昔のひとは、雲がどこから湧くのか不思議だった。目の前で雲が生じるのを見たことがあるだろうか。都市の平地部で、積乱雲が上昇気流に押し上げられて巨大化するのを経験しても、その雲の種が一体どこで生まれたのか、やはり気になったことだろう。
どうやら詩人は、わび住まいを濡らす雨が、遠くの渓谷で沸き起った雲にまざって来たと考えたようだ(渓雲雑雨来茅屋)。それなら何となく理解できる。早朝、集合した山奥の駅舎で、薄暗い朝の明かりに透けて、白い雲が暗んだ山肌の影から流れ出て来るのを見たことがある。
(本ブログ関連:”石 ①、②”)
山の奥に川を遡った先、岩の隙間をくぐりぬけた所に桃源郷を夢見たなら、山の岩肌から雲が湧いてくると考えるのもおかしくない。なぜなら、旅の途中、山道で小休止して、岩から湧きでた水を飲んで喉をいやしたことがあるだろうから。岩の奥に何かがある。
(本ブログ関連:”桃源郷”)
山をてのひらに夢見るひとは、水で「水石」を濡らす。湿った石の姿に、それをつつむ宇宙を感じているのかもしれない。鉱物趣味は、その石の中に含有物(インクルージョン)の不思議から、水晶に草が生えているのを見つける。それが別の鉱物の針状結晶だとしても、草と思いたいのだ。