以前口にしたけど今では高騰してしまい、気安く食すものでなくなったのが鰻の蒲焼だろう。かといって、スーパーでパッケージして陳列されているものを見ると、どうせタレを効かせているのだろうと気乗りしない。しかも決していい値段ではないのだから。
今日は土用の丑。暑さに閉口している。江戸の博学奇才平賀源内(1728年~1780年)の名コピー「本日土用の丑の日、鰻食うべし」に誘われて、鰻の蒲焼でも・・・と思ったが、さて源内は「蒲焼」を推奨していたのだろうか。このこと江戸期の流行と時系列はどうなのだろうか。
キリン食文化研究所のホームページに、次のように解説している。感謝。
・江戸期においては、江戸の名物や名所を記したガイドブック『江戸鹿子(えどかのこ)』(藤田理兵衛著・1687年刊)内で鰻の蒲焼屋について触れていることから、この頃には鰻は蒲焼という形でも広く食されていたと考えられる。そして源内も、この鰻の蒲焼きをこよなく愛した。
ふむふむ、源内存命の頃には、すでに蒲焼はあったようだが、さて今と同じく開いて、甘醤油で味付けして焼いたのだろうか。
以前、TVで紹介されたロンドンの下町料理に「ウナギのゼリー寄せ」を見た。鰻をぶつ切りにした料理で、姿からしていまいちで・・・食わずにいうのは失礼だが。
インターネットに蒲焼について様々な文面を探すと、鰻のぶつ切りを串刺しして焼いたから、蒲浦(がまほ)に似て蒲焼だという説があったり、味付けは関東での濃い口醤油の発明・普及と関連されるなどと・・・研究者のきちんとした文献があればいわれが整理できるだろうけど。
ともあれ鰻の蒲焼、口にしなければ話にならない。