きょうで2月が終わる。他の月のひと月が、30日/31日なので当たり前といえばそうだが。それにしても、歳とともに月日の経過が加速する。
国立天文台のサイトにある「よくある質問」コーナーに、次のようなQAが掲載されている。
「 質問3-8)どうして2月だけ28日しかなくて、日数が変わるの?」(抜粋)
https://www.nao.ac.jp/faq/a0308.html
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・最初に結論を書きますと、2月だけ28日しかないのも、うるう年に日数が変わるのも、どちらも古代ローマで使われていた暦において、現在の2月にあたる月が1年の終わりの月だったためです。
・現在私達が使っている暦は、古代ローマの暦が元になっています。
・(今につながる)ユリウス暦では、4年に一度うるう年を入れて1年の長さを調整します。
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今年は「うるう(閏年)年」ではないので、2月は28日までしかない(うるう年の2月は29日まである)。それにしても2月は短い。2月は(気象庁の定義の)冬の終わりで、春に向けたあわただしい変化に目が奪われる。
きょうの気温は、4月並みの暖かさ(最高気温 19.5℃、13:41)で、寒さが苦手な私にとって最高だった。昼過ぎ、防寒着を重ねることなく遅い昼食に出た。もちろん何かよい写真が撮れないかと見まわしながら。
体育館そばにある池と、公園の水が涸れそうな小川へ「カルガモ」を探してカメラに収めた。
カルガモ(左:体育館の池)
人通りも多いこの池に棲むカルガモは餌付けされているようで、随分と人に慣れている。池を囲んだ垣根の隙間から覗くと、2羽のカルガモが寄ってきた。餌を期待しているのだろうか、目を合わせても逃げようとしない。岸に接近して平気でいる。番(つがい)だろうか。真上から見た底の浅い池は、水が澄んで水紋が美しい。
カルガモ(右: 公園の小川)
涸れかかった小川の一部に水が溜まり、こちらも番(つがい)か2羽のカルガモが泳いでいた。少し高まった岸辺から見下ろすように撮った。自然の中に生きて、警戒心があるよに見えるが、実はこちらも千切ったパンを投げて餌付けしている人を見たことがある。とはいえ、野鳥を観察するようになって、一番身近なのがカルガモ。かれらの姿にホッとする。気心知れたように、お互い生きてますなあといった感じだ。
コブシ
小川のカルガモを見た戻り路に柔らかな毛に包まれたコブシの冬芽から、白い花が一部に見えた。かれらは、しっかりと冬の終わりを待ち、花を咲かせる機会を待ち構えていたのだろう。ここでも、お互い無事に冬を越しましたなあと思ったりする。
そういえば(家に籠っていた)1月と比べて、2月はだいぶ外出している。3月は、カメラを替えたので、いろいろなものを写したく、もっと散歩の機会を増やしたいと期待している。