山の怪異話は、都会の人間が入り込むのも稀な白神山地などの奥で、もっぱら父祖伝来の猟師集団に伝わるものの方がイマジネーションを高める。ブログで何度か紹介した「山怪」もそうだが、具体的に伝承者の所在と氏名が語られる。
(本ブログ関連:”山怪”)
これは、怪異話に定則で、古い中国であれ、江戸の市街であれ、主人公たちの所在(あるいは出身地)や名から始まる。しかも、その人物が知られた必要はない。ただ、固有名が語られることで具体的風味を持つことができる。その後に続く話題に信憑性を増すというものだ。
原話に具体的なものを付け替えすることで、時代や場所を超えた様々なバリエーションを生み出すことにもなるだろう。
歴史家ホイジンガだったか、ある市民が戦場と化した都市の被害状況を克明に記したものを紹介している。随所の死者数が何千何百何十何人と事細かに記録しているのだが、一市民が果たしてそんな実測が可能かよりも、そのような数字の確からしさから、一定の心理的なもの(信頼)を感じるようだ。
その場に居合わせた訳でもない話を聞くとき、私たちは一定の準備(身構え)が必要のようだ。怪異であれ、歴史的事件であれ、確からしさを示唆するようなものがあれば、それで十分なのだろう。どうやら容易にそんな術中にはまってしまうようだ。