良寛の五合庵、千利休の茶室もそうだ、狭い空間に居れば精神も感覚も研ぎ澄まされるだろう。孤高であれ、俗世であれ大人(たいじん)になり得る。同様の狭い空間にいても、凡人のわたしには、そうはいかない。だから、身の丈に合った理解で済ましている。(本当は、列仙伝や聊斎志異の<仙人>の世界に憧れているのだが)
日常を超越するのは難しい。理解を身の回りに探すことと合点しているが、うっかり言葉が滑ってしまわぬよう、ちょっとだけ気を付けている。会話のときのように言葉が消えていくのは、2m四方の世界だけなのだから。
このあいだ、不思議な場面に出くわした。大した話しでないが、読書ルームでのこと。無地のベージュの野球帽、白いTシャツ、ズボンもベージュだったか。全くといっていいほど、同じスタイルのおじさんが二人、並んで書き物をしていた。アリスの物語に出てくる、「トゥイードルダム と トゥイードルディー」のマザーグースの童謡が浮かんだ。(片方の御仁はよく目にしている)
そのとき思ったのは、余りに似たもの同士、険悪になりはしないか・・・いや、むしろ少々気まずい思いをしていたかもしれない。引くにひかれぬ。Twitterだけじゃない、或るファッション・モードにも引きずられていないか気を付けないと。
(本ブログ関連:”「人イヌにあう」から”、”スカッシュ”)
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