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2010年3月31日水曜日

桜の歌

春ともなると、これほどに次々と新曲が出て桜が歌われるのはなぜだろう。戸惑うばかりだ。
子どもの頃の桜の歌を思い浮かべると、むかしからの「さくらさくら」と、滝廉太郎作曲、武島又次郎作詞の「」ぐらいだ。これらの歌と、実際に桜が咲き散る光景とが合わさって、心象風景を形作っている。桜はいつでも新しく懐かしいものだ。

小学校の春の小さな外出に、校舎の南につづく坂道を上がって行くと公園に貯水池があって、その堤に植えられた桜の木の下で昼食をとった思い出がある。桜は、今となっては白く漠として輪郭がない。ただ、桜花を通して暖かく射す陽の下ではしゃいでいる子どもたちの姿が浮かぶ。

(Youtubeに登録のniponpolydor、tk152008に感謝)

★★★★★ 孫が、いよいよ明日から保育園に通うため、短時間預ける練習から始めるとメールが届いた ★★★★★

2010年3月30日火曜日

お花見予定

孫とのお花見が来月3日に決まったというメールが届いた。
ウェザーニュースの予報によれば、「週末には回復してお花見日和に期待できそうです」とのこと。
当日、小金井公園の青い空に、薄いピンクの花が一面に咲いているのが見えるとよいが。歩き始めた孫には、見上げる桜の花がどのように映るのか楽しみである。きっとよい思い出になることと思う。

(追記)夜中に、新年度のNHK「テレビでハングル講座」が始まった。番組オープニングに流れるテーマ曲は、パク・へギョン(박혜경)の「ハイヒール(하이힐)」のようだ。高音と低音を合わせ持った独特の不思議な声の持ち主だ。
(Youtubeに登録のAudHepFan5429に感謝)

2010年3月29日月曜日

80年代のトップ3女性歌手

MLBPARKのBULLPENに、「80年代の男女のソロ歌手No 3は誰だと思いますか?」(3/22)という問いかけの投稿があり、投稿者は女性歌手について次の名を挙げている。
ほとんどの意見の相違なく、女性歌手No1、2は、イ・ソンヒ、チュ・ヒョンミ(주현미)が数えられているが、No3はちょっと曖昧です。女性歌手は、キム・ワンソン(김완선)、チョン・スラ(정수라)とイ・ウンハ(이은하)などが可能なようだ・・・としている。

(Youtubeに登録のpbo3536に感謝)

★★★★★ 孫が、こちらに向いて、はにかむように「こんにちは」のご挨拶をする動画が届いた ★★★★★

2010年3月28日日曜日

錫高野#13

毎月の鉱物採集場所に窮すると、困ったときの錫高野になっている。ということで今回も春寒い早朝にJR南柏駅に集合して、хаякава氏の車に乗せてもらい錫高野に向かった。

いつも通り、仏国寺(茨城県東茨城郡城里町)側から山に入る。山裾に「木喰五行明満聖人終焉ノ地/奥ノ院三昧洞穴入口」と記した石碑がある。その傍を通って急な坂を登り小さな空き地に着く。そこからは、緩やかなズリ石を敷いたと思われる山道をたどる。頂からくだる山道の右手に、いくつかのズリがある。
13回目の同地採集だが(ベテランхаякава氏は30数回来ているとのこと)、初めての沢(ズリ)で採集する。錫高野は奥が深い。

吹く風が冷たく、用意した雨合羽が役に立った。寒さのせいか、誰とも会わずじまい。
成果は次の通りだが、もっぱらいただき物が主である。
・鉄マンガン重石、トパーズ、雲母、水晶、赤鉄鉱
・班銅鉱、銅藍、孔雀石、ブロシャン銅鉱、黄銅鉱
・輝蒼鉛鉱?、自然銅?

世界フィギュアスケート選手権2010

【下記リンク先:国際スケート連盟の「世界フィギュアスケート選手権2010」ホームページを参照】

記念すべき第100回「世界フィギュアスケート選手権2010」(イタリア、トリノ開催)の男子、女子ともに日本選手が制覇した。
男子高橋大輔が、ショートプログラム89.30、フリースケーティング168.40、合計257.70ポイントで、日本男子史上初めて金メダルを獲得した。
女子浅田真央が、ショートプログラム68.08、フリースケーティング129.50、合計197.58ポイントで、二年ぶり二度目の金メダルを獲得した。

(Youtubeに登録のOTACONNR、KimagureTekitou2に感謝)

2010年3月27日土曜日

イ・ソンヒと高音 2nd

イ・ソンヒの高音については、適切な表現を探してきたがなかなか見つからなかった。ブログ「ひばり(노고지리)」に、民謡を歌う彼女の高音について次のように記している。
・歌手としての端正な品位の高い高音でも、決してfalset(裏声)を使わないで、爆発的な歌唱力、歌詞を伝える卓越したintonational(音調)の中に、彼女だけの独特の興(たのしさ)があります。
・彼女が歌った「セタリョン(새타령:鳥打令)」、「ソンジュプルイ(성주풀이)」は、従来とは区別され、私たちが追求しなければならない現代的な民謡の歌唱法とシギムセ※(nuance or texture)を提示したパラダイム(paradigm)とします。

(本ブログ関連:2009年の8/2711/712/24、2010年の1/25

(※)シギムセは、出した音をそのまま維持せずに「揺らす(弄音)」「転がす(転声)」「落とす(退音)」など。ある音程から音程へ移ろう方式を避け、ある音程の周辺で留まり味を加えていく韓国音楽の特有の要素。(韓国文化院

(Youtubeに登録のnaragoyoに感謝)

★★★★★ 孫が、大判の模造紙の上でクレヨンをふりまわして描いている動画が届いた ★★★★★

2010年3月26日金曜日

CTKー495

昨日のブログで、ビリー・ヴォーンの「浪路はるかに」をYoutubeにリンクしたが、YAMAHAの上級キーボードTyros2で演奏されたものなので、ビリー・ヴォーン演奏のものにリンクを換えた。
Tyros2は国内販売はされていないらしい。Youtubeにデモンストレーションがある(demo-1、demo-2)。音色の美しさに驚かされる。

ところで、入門用のカシオのCTK-495を随分むかしに購入して、そのままにしている。いい具合にリズムを選択すると、2種類トーンで鳴らして、ウソのコードと指使いをしても、意外とその気になれるものだ。ただし基本を知らないから、いじって終わるだけだが。
このままではもったいないので、CTK-495には申しわけないが、いずれ孫のおもちゃになってくれればと思っている。

(Youtubeに登録Robsev、sosoa123、jkuser22497に感謝)

★★★★★ 孫が、風呂上りにテルテル坊主を牛乳の入ったコップに入れたというメールが届いた ★★★★★

2010年3月25日木曜日

浪路はるかに

ビリー・ヴォーンの音楽は、子どもには近寄りがたい感じがして、どうしても馴染めなかったものだ。それがどうしたことか、今となっては懐かしい。「夕陽に赤い帆」(本ブログ:1/8)もそうだが、海につながる「浪路はるかに(Sail Along Silvery Moon)」もよい。不思議なことに、しっとりと耳に入ってくるのだから。極端に例えれば、秋刀魚のわたを歳をとってこそ美味いと気付くのと同じかな。

「浪路はるかに」は、1937年に書かれた曲(作詞:Harry Tobias、作曲:Percy Wenrich)を、1957年にビリー・ヴォーンによりリリースされて、翌1958年に全米5位のヒットをしたそうだ。<Wikipedia、Youtube(概要)などより>

(Youtubeに登録の draadnagels、ilovetrains63に感謝)

2010年3月24日水曜日

「ハニー」のような「サニー」

このタイトルは、イ・ソンヒがテーマソングを歌った少女アニメ「走れハニー」、およびファンからの愛称「サニー」をもとにした次の記事タイトルから採った。

「文化日報」の記事「『ハニー』のような『サニー』…その声が懐かしい」('04/8/3)には、デビュー20周年記念「Jへ 20年 イ・ソンヒ・コンサート」('04/8/26~28)の準備に忙しい頃のイ・ソンヒとのインタビューがあり、次のような話題が載っている。
・イ・ソンヒの江辺歌謡祭大賞受賞('84年)は、「背が低くて声の大きい女性歌手」のさきがけとなり、以降チョン・ユナ(전유나:'89年大学歌謡祭大賞)、ユ・ミリ(유미리:'86年江辺歌謡祭大賞)などの「イ・ソンヒにつづく歌手」が入賞している。
・高等学校の時、作曲家イ・セゴンに会ったが、その方からこの歌の楽譜を受け、そして1年6ヶ月の間温めていた。【江辺歌謡祭時期から逆算すれば、いつ頃この曲を得たかがわかる】
・「ミュージシャン」といわれるよりも「歌手」にこだわる。【それは、彼女らしい筋の通った信念だろう】

(Youtubeに登録のamplify82、koreanballadsに感謝)リンク

★★★★★ 孫が、機関車トーマスのお面で、いない・いない、ばぁ~をする動画が届いた ★★★★★

2010年3月23日火曜日

孫と独り歩き

4月から保育園に通う孫に会いに行く。今までのように訪問もままならないだろうから、今日は孫と目一杯遊ばせてもらった。

風邪で鼻づまりの孫は、それでも元気に笑顔を振りまいてくれた。そして何より驚かせたのは、目の前で呼びかけに応えるように、両手を斜め上に挙げて立ち歩きしたことだ。独りで六歩は歩いた。先日のメールで、五、六歩と歩いた知らせを受けたが、直接見るとでは大違いの感激だ。親たちも、その洗練された歩きに感心したくらいだから。
風邪で決して快調ではないのに、何と頼もしい孫だ。1歳の当月に歩いたのだから。

小金井公園の桜まつりまでに孫が風邪を完治したら、ともして花見に行きたいものだ。早く元気になっておくれ。

2010年3月22日月曜日

桜開花

気象庁は、東京の桜(そめいよしの)の開花を発表した。靖国神社の標本木を観察して、携帯電話で開花を報告している女性職員の姿をテレビ朝日のニュースで報じていた。平年比6日早く、昨年比1日遅れだそうだ。

昨日訪れた小金井公園の桜は、まだ蕾を大きく膨らませているだけだったが、4月2日~4日に「第56回小金井桜まつり」が開催される。

イ・ソンヒが選ぶ印象的な歌

イ・ソンヒとのインタビュー記事「イム・ジンモが会った人-イ・ソンヒ」(oimusic '03/2)が、Daumミュージック(뮤직)に載っている。(インタビューは以前(1/7)、一部紹介)

インタビューの中で、イ・ソンヒが自身の曲から、40代が記憶する「Jへ」※と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば」※※を最も印象的な歌に選び、後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えた・・・とのこと。
※、※※ これらの曲は、彼女が歌番組「歌謡トップテン」で1位となった曲である。(2/28に紹介)
※※ イ・ソンヒが高音の強い発声のイメージから脱却した曲のひとつである。(2009年の8/27に紹介)
(Youtubeに登録のmongtec、pops8090に感謝)

また、このインタビューで、彼女は見せかけの自由より、教本の通り行くことを選ぶといい、歌に専念するゆえにむしろ無口であり、歌手は歌でだけ話しますと述べている。そこから彼女の清潔さにつながる、ある意味で一途なイメージが窺われる。

2010年3月21日日曜日

ケロロ軍曹

訂正がある。先日、孫が「ケロケロ軍曹」の着ぐるみを見ている写真メールが届いたと記したが、正しくは「ケロロ軍曹」だった。緑色していたので、ついついカエルのイメージの延長で、<ケロケロ>としてしまった。言い訳はここまで。

ケロロ軍曹の(公式?)ホームページを参照したところ、次のような説明があった。ケロロ軍曹は、ケロン星人で地球侵略の尖兵として活動していたが、地球の子どもと出会った結果、大切な武器?を奪われて囚われの身となり、今は面従腹背しているらしい。
このアニメをYoutubeのPart1で見ても要領を得なかったが、Part2で上記いきさつがわかった。このケロロ軍曹、困ると自ら「ただのカエル」と言い逃れしている。

(Youtubeに登録のTainted46に感謝)

春分の日2010

今日は、二十四節気のひとつ、「春分の日」である。昨日からの強風は衰えたとはいえ、まだ幾分の名残りがある。

穏やかな陽を受けて小金井公園に行くと、春の嵐の凄まじい跡を見ることができる。「江戸東京たてもの園」前の広場に並ぶ桜の一本の古木が根こそぎ倒れていた。桜の根は地中浅く広がると聞いている。強風に耐えられなかったのかもしれない。
また、公園中央にある「いこいの広場」のケヤキの木立の下には、強風に折れた枝が散乱していた。









★★★★★ 孫が、夜泣きして両親を振り回した後、あどけない寝顔で寝ている写真が届いた ★★★★★

2010年3月20日土曜日

国民の妹

せっかく穏やかで暖かい日和になれた筈なのに、強風に邪魔された一日だった。夜分、その風はますます強くなった。
(追記)深夜、風力は増して烈風となり、まるでラジオの効果音のように外気をゆすり、おまけに家まで軋ませてくれる。

キム・ヨナには、韓国で「スケートの妖精」などの愛称があるが、日本では2010冬季オリンピックのテレビ放送で、もっぱら「国民の妹」と呼ばれていると紹介された。
(本ブログの「キム・ヨナ」関連:2009年の3/283/298/20、2010年の2/242/26

ところで、元祖「国民の妹」といわれたのは、映画俳優イム・イェジン(임예진)だそうで、ブログ「The Blog of Samma」によれば、女子高生時代に多数のハイティーン映画で最高の人気を謳歌したという。例えば、Google「画像検索」で「임예진」と検索すると、当時の愛らしい画像を見ることができる。
(本ブログ関連:2009年の10/15

チュ・ヒョンミ&ソヒョンの「チャラチャチャ(짜라자짜)」MVに、イム・イェジンが出演して、少女時代のセピア色の写真を見て懐かしむ可愛いオンマ役を演じている。
・ブログ「Love」からの孫引きだが、「80年代最高のハイティーン・スターのイム・イェジンと少女時代のユリが共演して『離れの客とお母さん(사랑방 손님과 어머니)』をモチーフに、家庭教師を(間に)置いて繰り広げられる母と娘の三角関係をコミカルに描く予定」との記述がある。
・「シネマコリア」に、映画「離れの客とお母さん」の紹介がある。

(Youtubeに登録のchararabiに感謝)

(追記)
Jo!nsの記事「華麗な人脈」(3/19)によれば、イム・イェジンがSBS番組「ペ・キワン、チェ・ヤン、チョ・ヒョンギの良い朝」で、芸能界で顔が広いことを誇ったそうだ。番組に特別出演したスターたちは、歌手イン・スニ、演劇俳優ユン・ソクファ、俳優コ・ドゥシム、俳優バク・ジョンスとのこと。

★★★★★ 孫が、おばあちゃんと一緒にケロロ軍曹の前に立って見上げている写真が届いた ★★★★★

2010年3月19日金曜日

白木蓮

近くの民家にある白木蓮は、あっという間に白い厚手の花びらを開き、大きな木立を真白に飾った。そして、白い花弁を塀越しの路面に散らしはじめた。待ち遠しかった白木蓮の花が散るのは惜しいが、こちらの勝手というものだろう。

木々が新芽を出し、花を咲かせ散ることも、冬の木立にも意味があると思う。そして、それが平穏に繰り返されることに感謝を覚える。歳をとるというのは、そういことだろう。歳を重ねるといろいろなことが見えてくる。自然にも人にも。

★★★★★ 孫が、パンをゆっくり、じっくりと味わうように次々口にする(大丈夫?)動画が届いた ★★★★★

2010年3月18日木曜日

持ち歌探し

中学時代の仲間と毎月、八重洲にあるカラオケ店に夜分集まり、出来不出来は別にして思い思いに放吟している。
持ち歌に足して、先月はイ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」をチャレンジしたものの、残念な成果だった。その挽回に今夜は、イ・ウンハの「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を歌ったが、やっぱり残念だった。どちらも良い歌なので、これから何とかものにしたいと思う。

(本ブログ関連:2009年の10/9、2010年の3/6

(Youtubeに登録のdove2727、xxcoltsneckxxに感謝)

★★★★★ 孫が、スーパーのカートの台座で体をねじるように爆睡している写真が届いた ★★★★★

2010年3月17日水曜日

イ・ソンヒと学生家長

イ・ソンヒがソウル市議会議員になる前に、「学生家長(学生が家長となっている世帯)助け合いチャリティーコンサートなど社会的に苦しい隣人のための活動」をしていたことを本ブログで触れた。

彼女の実際の慈善コンサートの記録が、公式ホームページ(HOME > Biograph > 공연활동[公演活動])に次のように載っている。
・'86年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 7/26(弘益大学校)、11/30(大韓生命63ビル)
・'87年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 1/25(釜山社稷室内体育館)、5/31(大田忠武体育館)、8/30(大邱室内体育館)、11/29(大韓生命63ビル)
・'88年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 8/14(釜山KBS公開ホール)、12/4(88体育館)
・'89年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 12/3(88体育館)

これらの活動の後、ソウル市議会議員('91.7.1~'95.6.30)として、社会福祉委員会委員、保健社会委員会委員などの活動をしている。

(本ブログ関連:2009年の8/3110/29

★★★★★ 孫が、ゆったりと大きなイチゴを4つも続けて口に頬ばる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、寝ている父親の頭を触るつもりで引掻いて謝る?動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、母親から絵本をとって頁をめくり声を出して読む?動画が届いた ★★★★★

2010年3月16日火曜日

カスケーズ

カスケーズの「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1963年全米ポップチャートで2週間1位)は、妙に懐かしい曲だ。導入部の雷鳴と雨音にもかかわらず、どこか楽天的な少年の失恋を歌っている。

EPレコードから流れてくる「悲しき雨音」の、まだまだ大丈夫なんて思っている、のんきで(未熟な)、おばかな少年の失恋の歌を、もっとのんきで、もっとおばかな少年が聞いていた。
考えてみれば、湿潤なモンスーン地帯の僕らの雨と、明るいカルフォルニアの雨とではちょっと違う。雨雨降れ降れもっと降れとはいわないだろう。じめつく雨と乾く雨の違いかな。

(Youtubeに登録のksabondに感謝)

★★★★★ 孫が、孫の名を入れて歌ってくれる母親と、声をあげてよろこび遊ぶ動画が届いた ★★★★★

2010年3月15日月曜日

孫と歩き初め

孫が、5、6歩も!歩いたというメールがお嫁さんから届いた。今日は記念日になった。

孫は、はいはい、つかまり立ちなどといろいろ成長の歩みを進めて、まわりを驚かせてきた。今回の驚きと喜びには格別なものがある。メールに1、2歩と歩く動画が添付されているが、5、6歩も歩いたという姿を直接見たいものだ。
幼い子どもの発達は、遺伝子の設計図で自動的に進むものではないだろう。深い愛情というトリガーがなければ、そして愛されているという絶対的な自信がなければならないと思う。
孫は、若い両親の愛情に包まれて、成長の歩を進めている。本当に幸せなことだ。

ちょうど1歳を過ぎたばかりの孫が、初めて歩いたことに感謝したい。

カスマプゲ

昨晩、Twitterを覗いたら、韓国の作曲家朴椿石(박춘석)氏の訃報が綴られていて、今日のインターネットのニュースは死去の記事を一斉に報じている。

わたしたちの耳に馴染んだ朴椿石の曲は何といっても、「カスマプゲ(가슴 아프게)」だろう。少し前の会社の飲み会などでは必ず誰かが歌い、カスマプゲのフレーズになると、みな一斉に口ずさんだものだ。日本でのこの曲の流行は、李成愛(이성애)によっている。彼女が最後のステージで歌う感動的な録音がYoutubeにある。当然、今なお日本の歌手に受け継がれている(キム・ヨンジャも含めて)。また、本ブログの左に、元唱者ナムジン(남진)の映像を載せさせていただいている。

朝鮮日報(chosun.com)の記事「’島の先生’から’雨降る湖南線’まで」(3/14)には、朴椿石の幼少時からの天賦の音楽的才能と経歴などが記されている。
・(韓国)国内歌謡作曲家中最も多い2700余曲を残した。そのうちの1152曲が韓国音楽著作権協会に登録された。最多登録である。
・1964年地球レコード社に移った彼は、李美子(이미자)とともに音楽家人生の変化(第2の転換期)を迎える。彼が一生の間作曲した歌の4分の1を李美子が歌ったし、李美子が歌った歌の3分の1を彼が作った。(「島の先生(섬마을 선생님)」)

(Youtubeに登録のkmw2500、zingaz98、yokosuka30に感謝)

2010年3月14日日曜日

韓国料理

今日の天気は暖かいを通り越して、セーターにジャケットの身づくろいには、働かずとも額に汗が出た。

さて、むかしの仕事の仲間とJR新大久保駅で待ち合わせて、駅のそばにある韓国料理店「辛風(Kara Kaze)」で昼食をとった。
マッコリ、海鮮チヂミ、ジャガイモチヂミ、海鮮トッポギ、キムチ盛り合わせ、足りなければ追加注文のつもりだったが、おじさん達にはこれで十分満腹してしまった。同行仲間は、ジャガイモチジミが気に入ったようで、美味いと口にしていた。
コリアタウン巡りは、新大久保と靖国通りにある、CD(書籍)ショップや韓国食材スーパー等々を覗いてみたが、同行仲間を疲れさせただけのようだった。

解散後、新宿三越アルコットのジュンク堂書店に行き、孫のために絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」と仕掛け絵本を購入した。われながら疲れを知らない。

★★★★★ 孫が、溶けるような笑顔で母親と遊ぶ動画と、食事に専念!没頭!する動画が届いた ★★★★★

2010年3月13日土曜日

イ・ソンヒのファン

韓国の雑誌ELLEのELLE.co.krに、他誌編集者に自らのファン経験について質問に応えてもらっているページがある。
その中で、 雑誌GQ(korea)のフィーチャー・エディターのチャン・ウチョル(장우철)が、イ・ソンヒについて次のように思い出を語っている。

小学2年の頃に、イ・ソンヒの2集「秋の風(갈바람)」(1985年)を聞いて(生涯最初のファンとなり)、小学校を卒業するまで良くてたまらなかった。6学年の時に、イ・ソンヒの単独「リサイタル」(当時コンサートをこのように呼んだ)に、背が高い高等学校の姉たちの間に一人挟まって屈せず入場した。・・・
2集の歌「そうよ過ちは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)※」を、彼女がさえずる様子を見て、イソンヒに初めて女性らしさを感じた。・・・そうだ。
※ この曲はブログ「blueeco」で聞くことができる。

イ・ソンヒが男女全ての世代に支持されたことがわかる。国民歌手といわれる由縁だ。

★★★★★ 孫が、何と朝5時に食事をとりご機嫌で、愛くるしい声で「バイバイ」する動画が届いた ★★★★★

2010年3月12日金曜日

ロールモデル

Osenの記事「私も顔知らせたい」(3/4)に、歌手イェイン(예인)が理想(ロールモデル)とする歌手として、イ・ソンヒの名を上げている。

イェインは、ロールモデルにイ・ソンヒとインスンを挙げて、次のように語っている。「先輩たちは本当に私のロールモデル(롤모델)だ。 幼い時代に歌謡を開始した時から、イ・ソンヒ先輩の歌を聞いて彼女の歌と共に幼年時代、青少年期を送った。 本当に彼女の声は最高だと思う。むかしのままの彼女の少女のような声を聞けば感嘆する。 常にあのように歌手活動しなくてはならないと考える。」

イェインは、ラン(란)という名を改名して4年たっているにもかかわらず、同名の別の歌手がいていまだに混乱があるようだ(jo!ns 3/12)が、記事以上のことを知らない。
ここでは、「ロールモデル」という言葉の響きが気になったわけで、むしろ、成りたい~、憧れの~、理想の~といった方がわかりやすい。イ・ソンヒは誰にもそういう存在なのだから。

★★★★★ 孫が、公園の原に座って、「待て待て待て」に逃げる振りしてクルリと戻る動画が届いた ★★★★★

2010年3月11日木曜日

Kaleidoscope World

英国のポップ・バンド「Swing Out Sister」の「breakout」(1986年)は耳に残った。ボーカルのコリーン・ドリュリーは見た目もお洒落だし、軽快なサウンドながら落ち着いた歌声が心地よかった。
Wikipediaによれば、彼女はファッション「デザイナー兼モデルの仕事」から出発したようだ。
・ちなみに1986年にイ・ソンヒは、アルバム3集「分かりたいです(알고싶어요)」(歌詞)を発表している。

随分昔のこと、2集「Kaleidoscope World」(1989年)のVHSを購入して、音楽だけでなく万華鏡のような色彩とデザインの画面を楽しんだ。なかでも「Waiting Game」は、最初の印象を残してくれていた。
ということで、またVHSを見直したが、今もセンスのよさを感じる。

(YouTubeに登録のpinhamrv、empressmeに感謝)

★★★★★ 孫が、いよいよ離乳の練習を始めた。お嫁さんのお母さんにあやされる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、画面に向って初めて聞く「バイバイ」の声を発し、少しの間立った動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、初めて離乳のまま今晩寝てくれたと、「成長の証」という喜びのメールが届いた ★★★★★

(追記)
母の命日の今日、妹と一緒に小平霊園に行く。風が強く、線香に火がつかず難儀する。

2010年3月10日水曜日

春の寒さ

昨晩の雨は、屋根の雪を固まりにして、深夜にドスンドスンと音を立てて落した。それは驚かせるに十分な響きだった。 今日の風は随分と寒い。まるで雪の上を走って来る風のようだ。芯から冷たい。

そういえば以前のこと、まだ雪が残っている茨城県の錫高野で鉱物採集したときに、沢を下りてくる風の冷たさに閉口した。熱燗できる缶の日本酒を飲んだが、寒さを癒すことはできなかった。顔だけ赤くして震えていた。

図書館から借りた「生き急ぐ」(内村剛介著)を返しに行った帰り、あるお宅の白木蓮(ハクモクレン)のつぼみが膨らんで、白い花を僅かながら覗かせているのが見えた。寒風のなか春はひた走ってくる。

「生き急ぐ」には、デカダンスにモスクワに散ったエセーニンの詩「母への手紙」を載せていて、その詩の中に、無頼をつづける息子を気遣う母への気休めに「春 わが家の白い庭で木々が枝をぐっと伸ばすころ/ぼくは帰ってくよ/八年前みたいに 朝早く/起こすのだけはやめとくれ」という気を許す一節がある。 (本ブログ関連:1/132/16) 

 ★★★★★ 孫が、皿の料理を手づかみでゆったりと食べている動画が届いた ★★★★★

2010年3月9日火曜日

イ・ソンヒの秘訣

イ・ソンヒと同世代のアジュンマにとって、彼女の若々しさは驚嘆のようだ。若い世代のブログには、さすがに率直な驚きはないが、彼女の「爆発する歌唱力」に賞賛は惜しまれない。

ところで、イ・ソンヒの綺麗な肌について、「YAHOOメディア(미디어)」掲載の、「韓国経済(한국경제)」の記事タイトル「イ・ソンの"童顔の秘訣は皮膚科"率直告白」(2009年3月26日)の通り、「良い皮膚科に通いながら言うとおりに熱心に(手入れ)している」と正直に語っている。(MBC「音楽の旅ラララ」の番組で)
ならば、皮膚科に通えば誰でも肌が艶やかになるかというと・・・どんなものだろう。ご婦人方が一番よく知っていることだ。

彼女は、ミュージカルの舞台で「ピーターパン」を演じたこともあり、新聞記事に少年のような容貌と紹介されることがある。若々しく童顔であるといわれるのは、ひとえに彼女の持つ清潔なイメージによる。それこそが彼女の秘訣だろう。

(本ブログ関連:2009年の9/18

2010年3月8日月曜日

鉱物標本をいただく

昨晩、孫の誕生日会から帰宅すると、宅配便の不在連絡票がポストに入っていた。送り主の欄に、昨年から参加している栃木県を中心に活動する鉱物の会の大ベテランтакэути氏のお名前が書かれていた。すぐにwebで再配達を業者に連絡して、今日受け取った。鉱物標本だった。

同氏は、年初会合でレクチャーされた鉱物について後日、解説追補と標本を会員に送られた。その標本を、ニコンの入門用携帯実体顕微鏡で覗いたことを含めてお礼を返書したところ、あらためて次のような標本をいただいた。いまだにエントリーに留まるものに対して心いただき、たいへん恐縮している。
・鉄電気石、モナズ石: 福島県石川郡石川町中野 産
・マックギネス石、中宇利石、アラゴナイト: 埼玉県児玉郡児玉鉱山 産
・デュモルチ石: 山梨県三富村京ノ沢 産
・パーガス閃石: 神奈川県湯河原町 産
・コバルト色ひすい: 新潟県糸魚川市小滝 産
・珪孔雀石: 岐阜県吉城郡神岡鉱山 産
・まんじゅう石: 鳥取県倉吉市駄経寺 産
・マンガン斧石: 高知県吾川郡伊野町成山 産

★★★★★ 孫が、マグマグで自信たっぷりにお茶を飲んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年3月7日日曜日

孫と誕生日

孫は満一歳の誕生日を迎えた。昨年の今日、18:00に誕生した。孫宅で、孫を中心に、お嫁さんのご両親も出席して誕生日を祝った。
孫は、一升餅を背負い健気に振舞った。大丈夫、これなら一生安泰だ。誕生日のケーキには、たった1本のローソク、立派に育ったものだ。一緒に外出するために何本ローソクが必要だろうか。上野動物園、科学博物館、そして鉱物採集にも、行き先はすでに思案中だよ。

「(孫)は今、幸せな顔をして寝ました」というメールが届いた。今日はちょっと疲れたかな。4月から保育園に行くとのこと。これからも元気な顔を見せておくれ。泣いても、笑っても、まだ怒った顔はないけれど、孫はいつでも宝ものだ。

2010年3月6日土曜日

春雨

このところ晴雨が繰り返され、寒さが未練に顔を出すものの、いずれ去るばかりだ。そういえば、小学校の垣根の陽当たりのよい処に咲く沈丁花はすでに香りが薄らいでいて、それを凌駕するかのように陰にあるものが盛んに香っていた。今日もこの雨の中で香り漂わせていることだろう。

春の雨を題する1980年付近の歌をYouTubeに探した。
・イ・ウンハ(이은하)の「春雨(봄비)」 (1979年:歌詞)は、春雨に離別と(遅すぎた?)再会する二人を情感を込めて歌う。随分昔のNHK放送だろうが、彼女の「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を聞いて、八代亜紀が絶賛している映像がYouTubeに登録されている。(本ブログ左列に配置)
・ペタラギ(배따라기)の「君は春雨がとても好きですか(그댄 봄비를 무척 좋아 하나요)」(1984年:歌詞)は、若い恋の歌でフォークのメロディーが素朴でよい。彼らの「雨と湯飲み茶碗の間(비와 찻잔 사이)」(1982年:歌詞)も、恋人達の恋の戸惑いを歌っている。

(YouTubeに登録のyokosuka30、xxcoltsneckxx、leesang4388に感謝)

★★★★★ 孫が、おやおや、頬をいちだんとふくらませた写真が届いた ★★★★★

2010年3月5日金曜日

オンリー・ユー

考えてみれば、エルヴィス・プレスリーが全てだったのだろう。行き着くところ彼のイメージに戻ってしまう。何しろ中学時代のぼくらは、ラジオやスクリーンで彼と会うことができたのだから。

阿佐ヶ谷駅の北口に、二番館いや三番館とでもいうべき場末の臭いのする映画館があった。中学生にとって、遅れて来た映画「南太平洋」※(1958年)をやっと見ることができる場所だった。エルヴィス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」(1961年)もそこで見た。同じ太平洋の島でも、ハワイは楽しいわくわくするところと空想した。
(※) 映像が重苦しい記憶があったが、Wikipediaによれば、舞台照明と同様にカラー・フィルターを歌ごとに使用したせいのようだ。

イ・ソンヒのコンサートで、フィソンが「オンリー・ユー」を歌っているのを聞いたことがある。ほんとうに良い曲だ。「オンリー・ユー」は、プラターズ(1955年)というよりは、記憶の中ではどうしても、ソフトでどこか甘いエルヴィス・プレスリーの印象に偏ってしまう。

(YouTubeに登録のlostvocals4、elvisdreamgirl、unicorn58、vincoereに感謝)

★★★★★ 孫が、立ち姿でスプーンを使って皿のおかずをとる写真が届いた ★★★★★

2010年3月4日木曜日

イ・ソンヒのドラマ出演

イ・ソンヒのドラマ出演といっても10年も昔のことだが、「dongA.com(東亜日報)」の記事「[芸能界ニュース] 歌手イ・ソンヒ、ドラマ『ギブス家族』に出演」('00/3/12 )に、次の通り報じられている。

・イ・ソンヒが、MBCドラマ「ギブス家族」(金、午後7:30)にビックリ出演する。チェ・ミョンギルとキム・ソンニョンが入院している女性病室に新患「イ・ソンフィ(이선휘)」役で出演する。
・劇中、本名がチョン・ボクスンである「イ・ソンフィ」は、「ノフナ(너훈아)」や「チョー・ヨンピル(조영필:’ヨン’の字違い)」のようにナイトスポットで活躍するモノマネ歌手で、舞台から歌って落ち肩をケガして入院することになる。
・イ・ソンヒは「私をパロディにするとは思わなかった」と語った。

さてイ・ソンヒの登場場面を知りたければ、DVDレンタル店でこのドラマを探すしかない。本当かなあ。

2010年3月3日水曜日

ひな祭り

「桃の節句」の3月3日、女の子のいる家庭では「ひな祭り」を新暦の今日行う。残念ながら息子たちを育てたため、わが家には華やいだ行事も形もない。町なかの雛人形のディスプレイを眺めることにしよう。
ところで、韓国在住日本人主婦のいくつかのブログに、同様の行事の有無を探したがないようだ。ただし旧暦3月3日(本年新暦4/16)に、旧暦9月9日の「菊花煎(국화전)」と対をなす花飾りの餅(「つつじ花煎」진달래화전)を作るとのこと。
(本ブログ関連:2009年の10/26

東国歳時記」(洪錫謨 著)の「三月三日」の項には、「花煎」を作ることを次の通り説明している。
「杜鵑花(つつじ)※を採って糯(もち)米の粉に拌(ま)ぜ、まるい団子を作り、香油で炒めたものを花煎(화전)という。これは、むかし、寒具といわれた油炒めの餅である。」
※「杜鵑花(トケンカ)」は「サツキツツジの別称」(広辞苑)=つつじ(진달래

韓国Wikipediaによれば、花煎は高麗時代以来の「花煎遊び(화전놀이)」と関連しているとのこと。綺麗な写真が掲載されているが、Googleの「画像検索」で「진달래화전」を検索すると可愛いつつじ花煎がどっさり出てくる。

そういえば、子どもの頃につつじの花びらを採り、裏返して花床を吸うと甘いということで吸ってみた記憶がある。まあ甘くはなかったが、つつじの時期になったら、童心に返って試してみるのも悪くはない。

★★★★★ 孫が後楽園で楽しんでいる写真が届いた ★★★★★

2010年3月2日火曜日

3/3 イ・ソンヒ公演情報

先日(2/15)の本ブログで、釜山「新世界センタムシティ文化ホール」でのイ・ソンヒの公演情報を記したが、ようやくweb上で検証できたので記事を載せる。

「Paranニュース」掲載の「ヘラルド新鮮ニュース(헤럴드생생뉴스)」の記事「新世界センタムシティ“来年は釜山1等デパートへ”」(3/1)は、「開店1周年祝い謝恩大祝祭」(3/3~3/14)が開催される中で、センタムシティ文化ホールで催される各種公演を紹介している。そのなかで、3/3にイ・ソンヒの公演があることを報じている。

2010年3月1日月曜日

3月

いよいよ春だ。Wikipediaの通り「」は「社会通念・気象学では3月・4月・5月」の間で、今月がその始まりである。3月には、桃の節句のひな祭り、桜前線の桜の開花などあるが、去年から大事な行事が加わった。3月7日に誕生した孫の誕生日会だ。今年満1歳になる。

孫を連れて実家に行ったお嫁さんから、ひな人形を前にして孫をしっかり抱きかかえている写真が届いた。孫が到着する前に、ご両親がひな人形の飾り場所を例年と変えて、万全の孫シフトを整えているようだ。安全第一である。
今まで身近にない、赤い毛氈(もうせん)の上の華やかなひな人形を突然目にして、男の子の孫は戸惑ったことだろう。母親と一緒にひな祭りを楽しんだら、7日には誕生日会が待っているよ。