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2018年8月31日金曜日

今年も2/3過ぎて

8月31日の今日、今年も2/3過ぎることになる。若者にとっては追い風のようなもの。一方、歳とった者には、カレンダーをめくるのにため息するだけ。でも残りの日月を考えれば、今年はあと1/3しかない。

時の流れに、せわしさを感じなくなった。「タイムトンネル(マシン)」でどこかへ飛んでみたいと思わない。あるいは「大いなる遺産」のミス・ハヴィシャムのように時を止めたいとも思わない。ただ流れて過ぎゆくのを見守るばかり。

夕方になっとき雷鳴と豪雨があったが、あとは静かなまま。暑さもどうやら今日までのよう。それに続けて、台風21号が来週中旬に列島を上陸する可能性があるという。こんなときは、時間と照らし合わせて、小さな時間にも気になるものだ。

ちょっと、満足荘まで寄ってみましょうか。


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2018年8月30日木曜日

夏休み2018 イディッシュ語 3日目

今日は、夏期コース「イディッシュ語」(初中級、8/28~8/30 の3日間)の3日目、最終日だ。夏休みの最後に当たるこの時期を無為に過ごすことなく、イディッシュ語講習を受講でき、感謝一杯です。

(本ブログ関連:”夏休み2018 イディッシュ語”、”夏休み2016 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

本コースを一緒に受講された方が、ユダヤ教研究者ということもあって、普段では経験できない貴重な話をうかがうこともできた。そんな状況を考慮して、進捗や内容調整のため先生にご迷惑をかけたのではないか反省しきり。

授業は次の内容で進められた。
① 本テキスト
  ・ 「過ぎ越しפּסח)」の行事について: <用意する物>、<食事の飾りつけ(סדר)や四つの質問>、<過ぎ越しの物語り(モーゼ)>

② サブ読み物(追加)
  ・イスラエルでイディッシュ語の普及に努めた詩人アヴロム・スッケヴェルの詩「与えられたものへの祝福(שהחײנו)」
  ・スッケヴェルが発行した季刊文芸誌「黄金の鎖」の冊子を拝見。
  ・スッケヴェルについて、先生の著書「現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動」p.77-78(鴨志田聡子著、三元社)に紹介されている。

というわけで、3日目は、近郊にある高尾山の登山者の前にいきなりエベレストが現れたようで、先生とユダヤ教研究者の間で解釈が語られるのを拝聴した。奥深さを知る貴重な経験ができた。

2018年8月29日水曜日

夏休み2018 イディッシュ語 2日目

今日は、夏期コース「イディッシュ語」(初中級、8/28~8/30 の3日間)の2日目。昨日の授業で、昨年春期に使用した教材の既習部分をほぼ読了したので、本日どうなることかと気にしながら臨む。(教材は昨年春期だけ使用したため、今日からは未読ページにチャレンジすることになる)

(本ブログ関連:”夏休み2016 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

始業(午前10時)前に、早く到着しそうなので、校舎近くの立ち食い蕎麦に寄って <たぬき蕎麦> を食う。旨くて量も適切なのに、わたしには腹持ちがよ過ぎて後悔する。立ち寄るタイミングを誤ったようだ。もちろん自宅で朝食をとってきたわけではないのに・・・。

使用教材を、「דער אָנהײבער(The Beginner)」と(昨日)記したが、本テキストとサブテキスト(ワークブック形式)で構成されていて、本テキストは昨年春期に使用したもの、サブテキストは、今回新たに加えられたものだ。しかも、大判にして見やすくしていただいたので、老眼者にも読みやすい。教材を工夫いただき本当に感謝です。

授業は次の内容で進められた。
① 本テキストとサブテキスト
 ・ <子犬の湯洗い>、<雪だるまと橇(そり)遊び>、<よい子のケンカ仲裁>、・・・、<猫とネズミ遊び>まで進んだ。一部未読部分もあるが、おおむね全体の2/3読了したことになる。

② サブ読み物(追加)
 ・ショーレム・アレイヘムの掌編「嘆きの壁(כּותל-מערבֿי:Koysl-Maarovi)」
  - エルサレムで「嘆きの壁」を見た人から話しを聞くラビは、子どもたちへの授業を中断、感激の余り泣いてしまう。
  - この物語り、以前の授業で紹介いただいたのに・・・記憶がおぼろでぼろぼろ。

2018年8月28日火曜日

夏休み2018 イディッシュ語 1日目

今日から、夏期コース「イディッシュ語」(初中級、8/28~8/30 の3日間)が始まった。今年前半の春期コースが先月末に終了して以来、一ヶ月ほど経過したことになる。この間自習を少し進めたが、むしろ退行するのが早いのではと心配していた。

(本ブログ関連:”夏休み2016 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

午前と午後をまたがって、途中小休止するものの授業が進められた。合間に、先生と他の受講者の方がされた<ユダヤ文化などの話題>について楽しく拝聴した。だから、あっという間に時間が過ぎたといってよいかもしれない。

昨年(2017年)の春期コースで使用したテキスト「דער אָנהײבער」(The Beginner)を超高速で読み進め、初日の今日で、既習部分をほぼ読み終わったことになる。残り2日間、どうなることだろう。というのも、このテキストの後半は、進むに従って活字が小さくなり稠密になる・・・。

(本ブログ関連:”דער אָנהײבער”)

ところで、授業後も、先生と他の受講者(実はユダヤ研究者)の方との会話をうかがうことができた。素人学習者にとって、(こんな幸運はない!)本当によい機会に巡り合うことができたとよろこんでいる。

2018年8月27日月曜日

(雑談)雨の後

先日、夕方に雨が降ると知らされていたのに、大したことはないとたかをくくって、のんびり帰宅した。その途中、小雨に遭い、びしょ濡れになってしまった。連日の熱暑で、通り雨くらいだろう、遣り過ごせると踏んだのが間違い。逃げ場がない帰り道、探せば民家の軒先で雨宿りもできるというに、やせ我慢して道を急いだ。

そして今日、夕立があると天気予報が告げた。今回ばかりは先を見越して、早めに読書室を出た。ねずみ色の雲は次第に陰を増して、今にも雨粒が落ちてきそうな気配がする。幸い雨に濡れることもなく帰宅してほっとしたものの、夜に入って、雷鳴と共に雨音が続いた。玄関を開けて覗けば、「バケツを引っくり返したような」土砂降り。軒先で、通り道で雨滴が地面を打ちつけて跳ねていた。

その後すっかり雨は止んで、虫音もしない静けさが広がった。なんだか物足りない。少しくらい聞こえてもよいのにと思う。

ここらで、懐かしい(オールディーズ)、ザ・カスケーズの「悲しき雨音」(1962年)でも聞きましょう。

(本ブログ関連:”悲しき雨音”)


( Youtubeに登録のhitou daisukiに感謝)

2018年8月26日日曜日

ビリー・ヴォーン楽団「浪路はるかに」

懐メロという言葉がある。わたしにすれば、洋楽ポップスも懐メロにあたる。それも、日本でアメリカンポップス全盛の頃に馴染んだ「エルヴィス・プレスリー」までだ。日本人歌手がアメリカンポップスを日本語に直して歌っていた時代の少し後まで。

(本ブログ関連:”エルヴィス・プレスリー”)

わたしにとって、ビートルズは懐メロの範疇からずれる。プレスリーに親しんだものには、ビートルズは異様な響きでしかなかった。だから、最近のラップを聞いて、こんなことを思う。プレスリーに懐かしさを感じ肯定するなら、今の若者たちが老いてラップに懐かしさを覚えるのだろうかと。また戦前・戦後の演歌に馴染んだ歳上の方からすれば、プレスリーへの懐旧も変なのかもしれない・・・だろうと。

歳とともに安心する味覚に子どものころの記憶があるように、音楽もラジオにすがり付いて聞いた旋律がある。夏になると、ビリー・ヴォーン楽団の「浪路はるかに(Sail Along Silvery Moon)」(1957年)が聞こえて来る。そこへ戻るのだ。子どものころ、西日の射す応接間の隅にあったレコードプレイヤーにレコード盤をそっと置いて耳を傾けた。何度も聞いた。そのころは外国の音色でしかなかったが。

(本ブログ関連:”ビリー・ヴォーン”)

次のYouyubeの画像は、「7インチ33回転4曲入りレコード」だそうだ。そういえば、むかし聞いたビリー・ヴォーン楽団のレコードは、いわゆる、LP(30cm)版と比べて小型だったこと、そしてEP版ではなかった記憶がある。


(Youtubeに登録のTaka Makiに感謝)

2018年8月25日土曜日

花火の音

遠くでドンと轟いた。それも数回。夏休みの終わりをしめる花火祭りのようなものだろうか。公式な行事もあれば、夜の遊園地に華を添えるものもある。今回はもっと小規模なものだろうけど。

最近、足をのばして花火大会に出かけたことがない。考えてみれば、ここ数年は、遠くで花火が破裂する音しか知らないのだ。それでも不思議なもの、音に合わせて七色の火花がぱっと広がる光景が浮かんでくる。

花火の記憶は、歳とともに原点に戻るようだ。子どものころ、社宅の子どもたち(年齢に幅がある)が集まって、父親の勤める工場の敷地上空に、大きな花火が上がるのを見に行った。昔は、夜といって心配もなかった時代。今、漠然とした光景しか残っていないが、それでも、子どもを上気させたあの気分は鮮明だ。

ところで、この夏に誓ったイディッシュ語の学習が冴えない。暑い暑いと言い訳ばかり。一昨年(2016年)以来だが、「イディッシュ語」の夏期間コース(初中級)が、来週 8/28~8/30 の3日間開かれる。頭にドカーンと刺激をいただき、頑張ってみたい。

(本ブログ関連:”夏休み2016 イディッシュ語”)

2018年8月24日金曜日

イ・ソンヒ 「街の眺め」

街の夕焼けが美しかった。まだ西の空に青味が残り、それと対比するように、雲の後ろから夕陽が放射して天に広がった。白い明かりは、次第に勾配して赤い光となって雲を染める。そんなとき、心に浮かぶのは東洋風の宗教的な色彩といった方がよいかもしれない。あまりの美しさに遭遇したとき、反応はごく自然な回路につながる。自分の生きてきた世界の中に美しさを探してしまうのだ。そう、彩雲輝く「来迎図」やいかに。

そんな大げさなことではなくて、街を気取って歩くのも悪くない。イ・ソンヒの15集に所収の「街の眺め(거리 구경)」(2014年)は、もちょっと女性雑誌にありそうな洒落た街歩きのようだが。

(本ブログ関連:”街の眺め”)

ウェブマガジン「IZM」(2014年4月、投稿者ソ・スングン)に、この歌について、次のよう紹介されている。
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タンゴとフォーク、そしてジャズのスキャットが似合う「街の眺め」で披露している各楽器の音の黄金率は、今回のアルバムに多くの真心と努力が入り込んでいることをのぞかせる重要なトラックだ。
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歌の場面は、実際は、昼下がりのようで、陽ざしの眩しいころ。おじさんはしたことがないけど、カフェテラスで気取ってなにやら飲んでいる光景が浮かぶじゃありませんか。


(Youtubeに登録のstorycoffeeletterに感謝)

2018年8月23日木曜日

処暑 2018(台風と「藤原の効果」)

今日は、夏の暑さの境目ともいうべき、二十四節気の「処暑」。わたしたちは徐々に暑くなるときより、少しでもひんやりした感に転じたとき敏感だし驚くもの。夏休みも来週を残すのみ、子どもたちにとって、遊びをやり遂げねばならないだろうし、宿題の追い込みの期間でもある。

(本ブログ関連:”処暑”)

処暑は台風時期と近く、今日の天気について、Weathernewsのindex画面は「台風が接近、西日本は荒天に警戒」と次のように解説している。台風19号は昨夜に九州の西海上を離れ、もっぱら20号が注意の中心に置かれているようだ。
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今日は台風20号の接近に伴い、西日本では大雨や暴風、高波、高潮に警戒が必要です。夕方以降は荒天となるため、早めの帰宅が安心。東日本や東北では厳しい暑さが続き、猛暑日予想の所も。関東甲信では天気下り坂で、午後は雨が降り出します。外出時は折り畳み傘があると安心です。
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ところで、台風19号と20号の進路が平行して朝鮮半島をはさむ形となり、二つの低気圧が相互に影響しあって複雑な動きをするかも知れないという。「藤原の効果」といい、「1921年に当時の中央気象台所長だった藤原咲平が、このような相互作用の存在を提唱したためこの名がある」(Wikipedia)だそうだ。正直初耳の言葉。気象庁の天気予報の用語には使用されていないようだ。

まさに、韓国はその状況にあって、中央日報の記事「左に19号、右に20号…韓半島が『台風サンドイッチ』に?」(8/23)は、「藤原の効果」について触れている。(抜粋)
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・もし東側に位置した台風20号が、韓半島を横切って東に抜けようとする19号の進路を塞いでしまう場合、19号が韓半島上空に長くとどまることになり、被害がさらに拡大するという懸念が出ている。
・韓国気象庁は「藤原の効果」が発生する可能性は高くないとみているが、2つの台風が互いを引き寄せあう可能性があるため、2つの台風の進路をリアルタイムで確認している。
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2018年8月22日水曜日

台風19号、20号

暑さが復活している。公園の木陰でツクツクボウシの鳴き声がする。子どもたちは、この声を聞いて夏休みの終わりを知ることだろう。残すところ、来週いっぱいなのだ。

昼間の光景に驚いた。風が強いせいもあるが(まさか太平洋上に発生した台風のせいではないだろうけど)、空気が澄み太陽光線が鋭いせいもあるのか、生垣の緑がまるで高精細画像のようにどこまでもしっかりと輪郭を見せる。

日中の空気は未だまだ暑い真綿のよう。それでも、帰宅して水道水をひねってみれば、思いのほか冷たい気がする。夏の終わりを、少しずつあちこち知らせているようだ。

たしかに、図書館の読書室の空調が効き過ぎてきつい。窓を少し開けて暖気を取り入れるのだが、館員がそれを見つけるやしっかり窓を閉めてしまう。いたちごっこなのだ。周りをよく見れば、若いひとたちは部屋を利用するため長袖を着ていた。

これからの空模様が心配。台風が接近して、今週の中ごろから、九州、四国、近畿、および東北、北海道が荒れ模様になりそうだ。

tenki.jpの記事より
台風19号と20号のペアの襲来について、tenki.jpの記事「台風の今後の見通しと警戒点」(8/22 19:47、日本気象協会 本社樋口康弘)は、次のように注意喚起している。
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きょう22日正午、日本の南の海上の台風20号が「非常に強い」勢力になりました。今後、台風はほぼ勢力を維持した状態で、あす23日からあさって24日に西日本にかなり接近し、上陸の恐れがあります。エリアごとの警戒時間帯、予想される雨や風の強さを確認しましょう。
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特に20号については、「非常に強い勢力」であり、めったにない(記録的な)大雨が予想されるという。

2018年8月21日火曜日

(雑談)季節の変化にとまどうこと

連日、ヒンヤリした日が続き、昨日は霧雨というか小雨に濡れてしまった。そして今日、暑い一日だった。冷えた日に見向きもしなかった冷蔵庫の麦茶を、今日はしきりに飲み干す。

当り前のように飲んでいる自分が腑に落ちない。この心変わりようは一体なんだろう、自然過ぎて笑ってしまう。まるで手のひら返しじゃないかと。

暑さと寒さを、同時に予想して対応するといった処理じゃなくて、寒暖の結果で処理する、というか処理方法を差し替えるといった方が妥当かもしれない。だから、他の処理は最初からなかったように振舞う。知らん振りだ。

涼しいとき、冷えた麦茶に一度も手を出さなかったのに・・・といった(忸怩たる)思いが心のすみにチラリともない、そんな気恥ずかしさは、どうやら筋違いなんでしょうかね。

2018年8月20日月曜日

ナット・キング・コールの「スターダスト」

昔、日曜の夕方、4チャンネル(NTV)で娯楽音楽番組「シャボン玉ホリデー」が放送された。タイトルの通り牛乳石鹸の提供で、クレイジーキャッツの植木等を中心に、どたばたコントが繰り広げられた。家族で見るお笑い歌(音楽)番組でもあった。

エノケンの「メリーさん、メリーさん」を髣髴させる抱腹絶倒から、その後のテレビ番組ゲバゲバやザ・ドリフターズの公開番組へとつながるギャグの系譜の一翼を担った。

毎回、「シャボン玉ホリデー」の最後を飾るのは、ザ・ピーナッツの双子姉妹が歌う「スターダスト」だった。そんな彼女たちの後ろに決まってハナ肇が立ち、締めの言葉を語るのだが、それがピント外れというコメントを加味したお決まりのエンディングとなる。とにかく、テレビが楽しくてしょうがない白黒画像の時代だった。

ところで、「スターダスト」については、ナット・キング・コールの歌が一番のお気に入りだった。彼のセンスのよさ、独特な声質、迎合しない聡明感が伝わってくるような気がした。それに、センチメンタルなバラードであるけれど、星空の下の透明な空気をイメージさせた。

(本ブログ関連:”スターダスト”、”ナット・キング・コール”)


(Youtubeに登録のcto10121に感謝)

2018年8月19日日曜日

イ・ソンヒの特別講義

イ・ソンヒの歌手活動以外についても、新聞情報があれば、できるだけブログに記している。彼女の社会的な信頼の高さを示す記事があった。

先日(8/17)、イ・ソンヒが卒業した大学(旧仁川専門大学校)の学位授与式で特別講義を行なったと、全国毎日新聞の記事「仁川大学 2018学年度8月学位授与式 松島キャンパス講堂で開催」(8/19、チョン・ウォングン記者)は、次のように伝えている。(同記事に写真あり)

(本ブログ関連:”仁川専門大(←2010年に仁川大学と統合)”)

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(現国立)仁川大学 2018学年度8月学位授与式が、17日、松島キャンパス講堂(23号館)で開かれた。学位授与式では、博士26人をはじめ修士174人、学士1512人など、全1712人が学位を受けた。学位授与式で仁川大学出身である歌手イ・ソンヒが特講(特別講義)を実施して、同門(卒業生)先輩として卒業生たちを激励して祝った。
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合わせて授賞があり、イ・ソンヒは「仁川大学を輝かせた仁川大学同門賞」を受賞した。

若い卒業生たちに、どのような言葉を贈ったのか知りたいところだが・・・。社会と直面する彼らにどのような話をしたのだろうか。 *

2018年8月18日土曜日

(資料)イディッシュの料理

イディッシュ語教室で使用のテキストに「東欧ユダヤ人の料理」があって、いくつか料理名が手短に紹介されている。食べ物について、言葉で理解するには限りがある。本当は食事してこそだが、まずはネット上で検索してみた。中には結婚式にも出されるものもあるようだが、総じて家庭料理の香りがしてくる。「母の言葉」があるように、どの民族も「母の味」を忘れない。

「クーゲル(קוגל)」:オーブンで蒸し焼きにした料理
・ヌードル・クーゲル(Youtube
・ポテト・クーゲル(Youtube
・(Wikipedia

「ヨイフ(יױך)」:澄んだチキン・スープ
・(ブログ「Mouse Cafe」)

「ツィメス(צימעס)」:ニンジンやレーズンを使った甘い料理
・(Youtube
・(Wikipedia

「ゲフィルテ・フィッシュ(געפילטע פיש)」:魚肉をすり身にして団子状にした料理
・(Youtube
・(Wikipedia

(付記)
「ラトケス(לטקעס‏‎)」:ポテトのパンケーキ
・(Wikipedia
・(本ブログ

2018年8月17日金曜日

(雑談)小さな子どもたち

若くて新進の女優(スター、タレント)だと思っていたのに、近頃、テレビドラマで母親役を演じてたりするのを見て、あの娘(こ)も歳を重ねたんだなあと感慨深く驚き感心することがある。

中学生時代に見た、甲子園の高校野球選手が随分大きく年上に見えた。それが、今では高校球児といって差し支えないほど、初々しいのだ。こちらの年齢から、そう見えて当り前だけど。印象はがらりと違う。

最近では、赤ん坊連れの若い夫婦を見ると、大丈夫かななど余計な心配するほど、まさに、心理的に <おせっかい婆さん> の心境。われながら驚く。宇宙は加速しながら膨張しているという。おじさんの年齢も加速しているのが分かる。

小さな子どもを見る目が、齢を重ねるごと変化したのを実感する。誰れの子どもであれ、すべてが可愛らしく愛しく見えてくるのだ。人類愛に目覚めたというべきか、あるいは、自分の遺伝子の(利己的な)境界がぼやけたというべきか。多分、後者のせいだろう。

2018年8月16日木曜日

(資料)2歳児の救出

この夏、瀬戸内海の島で起った幼児行方不明事件に、多くの日本人が心配し、幸運な結果に安堵したことだろう。驚愕したのは、2歳になったばかりの幼児の(延べ4日間も耐えた)生命力と、ボランティアで参加した捜索者の優れた直感力だ。

事件の概要を、朝日新聞の記事「理稀ちゃん発見時の姿 ボランティアに『ぼく、ここー』」(8/15)は、次のように報じている。(抜粋)
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山口県周防(すおう)大島町で(8月)12日(午前10時半ごろ)から行方不明になっていた藤本理稀(よしき)ちゃん(2)=同県防府市=が 15日午前6時半ごろ、同町家房の曽祖父宅付近から数百メートル北東の山中で発見、保護された。県警によると、理稀ちゃんは脱水症状がみられるが、目立った外傷はみられず、受け答えもできているという。
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不思議な生命力のおかげで、幼児は事故もなく生き延びた。発見後、母親を介して伝えられたことだが、幼児の自然な母親への甘えにほっとする。この歳頃のことゆえ、本人はいつか忘れてしまうことだろうけれど、心の底に空白を残さぬよう、母親と周囲の愛でしっかりと埋めてあげて欲しいと願う。日本人みなが擬似家族となって、そう願っているに違いない。

なにより驚いたのは、ボランティアの尾畠春夫さん(78)の信念だ。発見の前日に大分から現地に到着し、翌朝、これまでの経験と直感をもって、わずか20分ほどで幼児を発見した。年金生活者で一途な方のようで、無私を徹底しているという。

幼児を発見後、尾畠さんへのインタビューがYoutubeに登録されている。(尾畠さんの信念ある行動と比べて、テレビなどコメンテーターの千の言葉がいかに無力であることか)

(1)
(2)
(3)信念を聞かせてもらう
(4)
(Youtubeに登録のANNnewsCHに感謝)

2018年8月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 尹善道

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代中期の政治家・文人(ソンビ)「尹善道(ユン・ソンド、윤선도、1587年~1671年、号は孤山)」にまつわる話を紹介した。

始めに、流刑中に撥弦楽器「玄琴(コムンゴ、거문고)」に没頭した「尹善道」について次のように紹介された。
・定型詩「時調(시조)」といえば、文人「尹善道」が浮かぶが、実は、4度25年間、流刑を経験して、その苦しみの中、詩作と音楽を慰めにした。北の咸鏡道に流刑されたとき、楽器「玄琴」に没頭したとの噂に困ったようだ。当地に地方官カンソル(강설)の従婢が使った玄琴が一つあった。地方官が帰任すると、尹善道と交遊のペクカン(백강)の妾が玄琴を受けるがペクカンも帰り、関係者も世を去り、結果、尹善道がもらい受ける。その玄琴は、カンソルが海南地域の地方官のころ、尹善道から借りたものだった。< その玄琴を見ると故郷を思い出し、心温かくなり、自分が流刑になることを予め知っていた神が、玄琴を通して心慰めてくれた > と思ったようだ。

▼ 時調を歌にした「五友歌(오우가)」から「我が友は何人だろう(내 벗이 몇이냐)」の歌と演奏を聴く。静かに詠う。

・「五友」とは、水、石、松、竹、そして月を指し、それだけを自分の友とした。この時調は、尹善道が流刑後、しばらく故郷で過ごしたころの作。複雑な政治や人間関係に失望し、世間を去って自然と暮らす願望があったようだ。

次に、尹善道が撥弦楽器「伽耶琴(カヤグム、가야금)」演奏したことについて次のように紹介された。
・尹善道は、玄琴だけでなく撥弦楽器「伽耶琴」も演奏した。伽耶琴演奏の感想を、時調で表した作品もある。

▼ 宮中音楽の「步虛子(보허자)」から分離して編曲を繰り返した「ドドゥリ(도드리)」をオクターブを高くした「ウッドドゥリ(웃도드리)」の伽耶琴演奏を聴く。素朴に。

最後に、尹善道が「甫吉島(보길도)」で作った「漁父四時詞어부사시사)」について次のように紹介された。
・尹善道は、生涯、政治の荒波の中で音楽と文学を慰めにした。晩年、世間を離れ、済州島に隠居しようと船に乗り向かったが、台風に会い、しばらく「甫吉島」に留まった。そこが美しかったのか、済州島行きを止めて、甫吉島に定着した。尹善道が、甫吉島で作った「漁父四時詞」は、漁師の春夏秋冬を表現した時調で、彼の代表作とされる。

▼ 現代風のリズムで歌った「漁父四時詞」を聴く。今様に描写的に。

2018年8月14日火曜日

埴生の宿

映画「二十四の瞳」(木下惠介監督、1954年)の中で流れた、記憶に残っている音楽に「埴生の宿」がある。子どものころゆえ、ストーリーも映像もおぼろでしかない。ただし、「埴生の宿」の旋律はいつも耳の底で響いていたようで、小学校の音楽室で学んだとき、久し振りに巡り会った懐かしい気がした。

Youtubeにある、この映画の始まり部分だけだが見直した。クレジット(ここでは「仰げば尊し」が歌われる)の後、「アーニー・ローリー」の旋律とともに、舞台となった「小豆島」の戦後と戦前の姿を描く。
戦後
・石切り場の紹介:小豆島は花崗岩を産し、むかし大阪城の石垣に使われた。
・お遍路の列:島内に独自の「八十八ケヶ所巡り」の遍路道がある。
・活況を示す商店街、交通の充実
戦前
・背負子姿、手漕ぎ船、魚網の直し
・醤油(味噌)樽を牛車に乗せて運ぶ行列

この部分だけ見ても、小豆島についていろいろなことが、直ぐに浮かんでくる。私としては、もう一度見直すべき映画だ。


(Youtubeに登録のYouTube ムービーに感謝)

そうそう、映画に肝心の「埴生の宿」が流れる場面をYoutubeで探せなくて、変な記述になってしまった・・・。ご容赦。

2018年8月13日月曜日

夕立とゲリラ豪雨

歳とともに行動範囲がせばまって、まるで現在地を中心に同心円の輪が小さくなるようだ。この夏、語学教室が休みのため、最小の輪から抜け出せずにいる。気分一新、昼間に、一回り大きな輪にある近隣市の駅ビルまで出かけてみた。

陽射しが強く、空は明るくて心配もない。駅ビル(商業施設)を巡るだけだから、天気を気にかける必要もないけれど。巡る店といえば書店と食べ物屋ぐらい。それでも私にとっては適度な運動になる。

書店で、「江戸端唄集」(倉田喜弘編、岩波文庫)を入手。ぱらぱらとめくっていると、(編者が端唄を独自に選んだと思われる)「端唄百番」に所収の「本郷二丁目」が目についた。「八百屋お七」を素材にしたものだ。

(本ブログ関連:”端唄”)

「本郷二丁目の  八百屋の久兵衛が  むすめの於七(おしち)とて  釜武がむこ入り  をりもをり  きらふて此の家を  にげゆけば  お寺は  駒込吉祥寺  こせうの吉三に  ほれるとせ」
-  本郷二丁目にある八百屋久兵衛の娘「お七」は、嫌な釜屋武兵衛が婿にならんとするおりもおり、嫌って家を出て、駒込の吉祥寺へ逃げ、寺小姓の吉三に惚れる・・・その後、帰宅して、吉三に会いたい一心から放火して火あぶりに処せられる。

端唄」から、江戸時代に、こ粋な女性が三味を持って歌う姿を想像する。いってみれば、旦那芸の延長にある習いごとを妄想してしまうけれど確信もない。

ここで気になるのは、この端唄のタイトル「本郷二丁目」についてだ。江戸端唄のタイトルに現代風な「二丁目」といった住居区分があるなんて。そこで、Wikipediaで「丁目」について、いつから使われたか調べてみたら、アッという驚き。次のように書かれていた。

「江戸時代初期に書かれた『慶長見聞集』の『本町二丁目の滝山彌次兵衛』という用例が、また『慶長江戸図』などの地図に『○丁目』の表記があり、17世紀初頭には既に『丁目』という言葉が使われていたようである。」
-  どうやら、「丁目」は江戸初期から使われた区分だったようだ。

「本郷二丁目」といえば、行動範囲を広げることも兼ねて通う「イディッシュ語教室」の最寄り駅と同じ名なのだ。これも何かの縁、秋になり涼しくなったら、教室の帰りに、久兵衛の八百屋跡地でも探してみたい。物語だから見当違いかもしれないが。

ところで、駅ビル散策の帰り、空模様が怪しくなった。黒く重い雲がのしかかってきた。帰宅後、気象庁の正式用語ではない「ゲリラ豪雨」という言葉があるが、ここでは(こちらも正式用語ではないけど)「夕立」が通り過ぎたといった方が江戸気分に近いかもしれない。

2018年8月12日日曜日

(雑談)服を着替えるように言葉を使い分ける

観光地で、次々来る外国人客を目ざとく峻別して、彼らのお国言葉に合わせて客寄せする商人の対応力に感心する。語学教室でも、前へ進むタイプの受講者は進歩が早くうらやましい。語学のセンスがいいということだろう。

司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの「オランダ紀行」(朝日文庫)に、こんな話がある。フランスとスペインをまたがる民族「バスク」の人々はバスク語にこだわり、民族独立につなげているようだ。今は沈静したようだがケルト語もしかりと。それに比べてオランダ人は、オランダ語の「言語にことさらに自己証明(アイデンティティ)をもとめることをしない」。そして、「この小さな面積(九州ほど)の国土で大きな効用を果たしてきた民族は、言語を衣類のように考えているらしい。ふだん着もしくは肌着がオランダ語なら、外出着が英語だというふうにである」と、オランダ人の言語に対するおうようさを記している。

なにしろ、オランダの国土は人工で、当然ながら拡張した所に先祖の歴史はない。土地に対する愛着といった、郷土愛も他国と趣が違うのかもしれない。(ところで、私にとって興味あるオランダのことといえば、画家ブリューゲルであり、「痴愚神礼讃」のエラスムスであり、「中世の秋」のホイジンガだ)

こんなとき、思い出すのは、「イディッシュ語」は文字を別にすれば、ドイツ語の影響が大きいようだ。日常生活の言葉として、外向きに「イディッシュ語」があり、精神の言葉として宗教的な場面で「ヘブライ語」が使われていたということなのだろう。ユダヤ人に言語達者が多いのは、そんな言葉の着せ替えの習慣からなのでしょうか。

(追記)
雑誌の書評にあった、神聖ローマ皇帝「フリードリッヒ二世」の人物について、評者たちの見聞が面白い。出生地のイタリア語、父方がドイツ系ということでドイツ語、古典としてのギリシャ語、公用語のラテン語、十字軍の公用語だったフランス語、それだけでなく、イスラムの使者とアラビア語でチェスをしながら交渉したという。このイスラムとの交渉により、彼はエルサレムをイスラム側と分割する権利を得た結果、「無血十字軍」と呼ばれ、イスラムとキリスト教の共存をやってのけた・・・そうだ。(「文芸春秋」の鼎談書評、2014年3月号)

2018年8月11日土曜日

山の日 2018

今日は祝日「山の日」。本格的な山とはしばらく縁遠い。鉱物採集で山に入るのは、登山といえない。以前、ブログに記したように、鉱石(資源となる鉱物)の運搬上、鉱山(跡)が深山にあるケースは多くない。また、ズリ(跡)で鉱物採集するとき、地面に向かってハンマーを打ち下ろし、石を砕き続けるわけで、山景に親しむ余裕はない。

(本ブログ関連:”山の日”)

集団で鉱物採集地の山を登りくだりしたとき、いずれも後塵を拝したことがあった。それも、若者に同道してもらってのこと。以来、横付けという、車道から近い鉱山跡で採集するようになった・・・安直なことで。

山といえば、懐かしい想いのする「あざみの歌」(作詞横井弘、作曲八洲秀章)がある。戦後間もなく発表され、その後、倍賞千恵子も歌った憂いに満ちたこの曲を、あまり聴かれることはないようだ。私にとっては、彼女のイメージと重なって思い出深い、なにしろ寅さんの妹さくら役でもあるからだ。

「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)によれば、作詞者横井弘(1926年10月12日~2015年6月19)は、まだ18歳の1945年5月に召集を受け、同年8月に終戦を迎える。あっという間の4ヶ月だったようだ。母子で暮らした四谷の家は焼け、人づてに長野県下諏訪の町に至ったという。復員した彼が八ヶ岳の八島ヶ原湿原で作ったのが「あざみの歌」だったとか。また、作曲者八洲秀章は、すでに旋律を作曲していて、それに合った詩を探していたという。

(本ブログ関連:”「唱歌・童謡ものがたり」”)

結果、Wikipediaによれば、「あざみの歌」は、作曲者八洲秀章の歌唱で、1949年(昭和24年)8月8日から1週間、NHKのラジオ歌謡で放送された。1951年には、歌手伊藤久男の歌でレコード化されている。

上記「唱歌・童謡ものがたり」に、作詞者横井弘とのインタビューが載っており、「でも、やはりこの歌が一番思い出深いなあ。自分の一生を決定づけた歌ですからね。華麗でも高貴でもないが、素朴に、ひたむきに咲いているアザミの姿に理想の女性像を重ねてみたんです。別に特定の人物はいませんが、この思いは今も全く同じです」とのこと。


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2018年8月10日金曜日

ひまわり

例年この時期、小学校前の畑を埋めつくすように小ぶりな「ひまわり」が栽培され、ひとびとが歩を休めては眺めたり、写真に撮る人もいる。ところが、今年の畑は裸地のまま置かれ、ひまわりを見ることができないのは、少々惜しい気がする。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

近所を巡って、ある畑地にひまわりを見つけた。むかしから知る背の高いひまわりで、それも20本近く群生したこじんまりしたものだ。これでは物足りない、フラストレーションがたまりそう。

ネットをさがすと、今年の暑さのせいで、ひまわりがの花が早く萎れているという。そんな中、ひまわりフェスティバルが近隣市で開催されているようで、機会を見つけて出かけてみようかと思う。
・当初予定の日程で開催された、50万輪規模の武蔵村山市の「ひまわりガーデン武蔵村山」は、8/6に閉園してしまったそうだ。出遅れてしまい、残念。
・西武線清瀬駅近くの農園で、8/18~28の間、10万本のひまわりを楽しむことができるという。10万本がどんなスケールか想像もつかないが。(「清瀬ひまわりフェスティバル2018」arukikata)

2018年8月9日木曜日

イ・ソンヒが初めて登場したときのステージ

1984年の夏(7/29の日曜日)、MBC主催の第5回「江辺歌謡祭(강변가요제)」に、仁川専門大学一年のイ・ソンヒは、同大の音楽サークル「4幕5場(4막5장)」からデユエットとして参加して大賞受賞した。

(本ブログ関連:”江辺音楽祭”)

この音楽祭は、年によって清平遊園地、南怡島、春川市などと場所を変えて開催されたそうだが、イ・ソンヒが大賞受賞した1984年は、(京畿道加平郡)南怡島(남이섬)で実施されている。次のYoutube映像(1:54頃)に、当時の会場周辺の様子が、「南怡島生放送」の字幕と共にうかがえる。

なにより、この音楽祭に登場したイ・ソンヒの姿(ファッション)に驚嘆する。そして、この音楽祭で歌った「Jへ(J에게)」の歌には驚く背景があった。この曲は、今も彼女の代表曲であり、彼女は国民歌手と呼ばれ続けている。

(本ブログ関連:”Jへ(J에게)”)


(Youtubeに登録した잰틀맨서に感謝)

2018年8月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 千字文

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、千文字で構成された漢字の手本に使われた、中国梁の時代の長詩「千字文」ほかにまつわる話を紹介した。

始めに、パンソリ「春香歌(춘향가)」で若者「李夢龍(이몽룡)」が歌った「千字文」について次のように紹介された。
・昔、音読は自ずとリズムも加わり、歌のように聞こえた。子どもも「千字文」で歌い遊んだりした。そんな千字文が、パンソリ「春香歌」で違って歌われる。「李夢龍」が、美しい「春香(춘향)」に一目ぼれする。いったん帰宅するも、彼女の顔が浮かんで読書に身が入らない。そこで、子ども時代に学んだ千字文を、好きに読み本来の意と変えて、春香と遊びたい内容にして読んだ。春香への想いを漢詩に表せるほど、実力をそなえていた。物語では、若くして科挙に合格する。

▼ パンソリ「春香歌」から「千字文後解(천자 뒤풀이)」を聴く。金演洙(김연수、1907~1974)の歌詞整理のお蔭とか。

次に、朝鮮時代中期の文人「申光洙(신광수)」の「關山戎馬(관산융마)」について次のように紹介された。
・千字文だけでなく、心のこもった詩を歌にすることもあった。詩にリズムを付けて歌う「詩唱(시창)」に「關山戎馬」がある。この曲は、朝鮮時代中期の文人「申光洙」(1712年~1775年)が、科挙試験で提出してナンバー2に合格したときの作品だ。当時の平壌で、妓生がよく歌ったといわれる。

▼ 詩唱「關山戎馬」の歌を聴く。秋の川に西から風が吹いてくる・・・、静かに長々と歌う。

最後に、長い物語を歌にした「誦書(송서)」の「三説記(삼설기)」について次のように紹介された。
・小説を歌にした曲に「誦書」があり、特に「三説記」が知られる。三人のソンビ(文人)が、冥界の王「閻魔大王」のミスで地獄に落ちてしまう話だ。自分のミスを認めた閻魔大王は、彼らに好きに生まれ変われる約束をする。すると、一人は英雄に、一人は科挙に合格して高官に、最後の一人は、素朴に生きたいと言った。良い家柄に生まれ、正しい教育を受け、孝行し、子孫も栄え、病気もせず長生きしたいと。ところが、三人目の話を聞いて、閻魔大王は激しく怒り、それが可能ならば、自分も閻魔大王を止めてそのように暮らしたいと言った。平凡が簡単でないことを教えてくれる。

▼ 誦書の「三説記」を聴く。平凡が簡単でないのか、それとも《それは欲の深い》ことなのか。

2018年8月7日火曜日

立秋 2018

帰宅途中の夕空は、重い雲に覆われたように薄暗い。おまけに、一瞬ぽつぽつと忘れたように雨が降る。これも、関東直撃を予想される台風13号の予兆か。朝からひんやりして、今月に入って昨日まで都心の最高気温が34℃を超えていたのに比べて、今日のそれは25℃とのこと。一気に、9℃近くも下がったことになる。

そんな今日、暦のうえで秋が始まる二十四節気の「立秋」だ。まさに秋らしい冷え込みがする。おかげでエアコンの世話にもならず、扇風機はよそを向いたまま。

(本ブログ関連:立秋 ”201220132014、2015、20162017”)

秋なると、風の音におどろかせられ、心にも沁みるようで、イ・ソンヒの2集所収の「秋の風(カルパラム、갈바람)」(1985年)なんかぴったりだろう。夏に上気したあの気持ちも、秋風にあっさり飛ばされていくのだから・・・おじさんには遠に無縁の話だが。

(本ブログ関連:”秋の風”)

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさ呉れた「カルパラム」
今でも目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさ呉れた「カルパラム」
・・・                  寂しさ呉れた「カルパラム」


(Youtubeに登録の모모선희に感謝)

2018年8月6日月曜日

百日紅

百日紅サルスベリ)」は、その開花期間が長く、いつの間にか咲き、いつまでも咲きつづける。そのため、ブログにも8月いっぱい思いつく日に記していることが多い。実際、7月~9月・10月の間見ることができる。

(本ブログ関連:”百日紅”)

「サルスベリ」の名に、サルが登るのに難儀する光景が浮かんできて滑稽味がある。「百日紅」の名からは、開花期間の長さが納得できる。花は小さく群れて咲くため、塊りとなって風にゆるりと揺れて、その様はどこか重たい。地味な感じすらする。全体に南画風であり、香りが漂ってくるような気がする。

7月から開花するとはいえ、この時期に良く見ると、花と一緒に緑色の実を想起させるような(実は)小さな蕾が多数見える。今も、咲きつづけているというところか。

民家の塀越しや造園業の庭に見る百日紅は、大方薄紅色しているが、なかに白色もある。そんなとき、珍しい出会いをした気がする。というのも、近所を巡ればこの辺り、百日紅が珍しくもない。いや、薄紅色の花がやたら目に付くのだ。

2018年8月5日日曜日

(東京外大非公式YouTubeチャンネル) イディッシュ語

昨日、地元駅が若者たちであふれていた。周辺にある大学の工学系学部が競うように「オープンキャンパス」を実施したようだ。行き先を間違えぬよう、各大学の学生たちが矢印付きプラカードを立てて案内していた。

志望者向けに、オープンキャンパスだけでなく、Youtubeなど使って公式・非公式に映像情報も提供しているようだ。その中に、東京外国語大学(TUFS)の「東京外大非公式YouTubeチャンネル」があって、シリーズ初回の「TufTube紹介動画!! 東京外国語大学非公式YouTubeチャンネル、始動。」(2017/10/22)に、次のようなメモが付されている。
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Hello everyone, we are TufTube.
このチャンネルは主に外大とはなんなのか、外大生とはどんな人間なのかを暴き、外大の魅力を知ってもらえるような動画をアップしていきたいと思っています!
外大生にやってほしい動画のリクエストなどがありましたらコメントよろしくお願いします!(^^)!
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若い外大生の手作り感(意欲)が満ちてとてもいい。そんな彼らの最新版が昨日(8/4)公開された。「TufTube版27言語リレー番外編 イディッシュ語」だ。「イディッシュ語」について、講師の鴨志田聡子先生から、前半に大学の授業について、後半に社会人向けコースについて解説されている。


(動画作成の ”Isam” に感謝)

Youtubeには、上記映像に次のメモが記述されている。
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TUFSオープンアカデミー」では広く一般市民の方に多様な言語などの学習の場を提供しています。メジャー言語に続き、マイナー言語の講義も沢山開講されています。イディッシュ語もその一つであり、「TUFSオープンアカデミー」にて学ぶことができます。秋期間の講義の申し込み(一般受付)が8月22日午前10時からスタートします。もしこの動画でイディッシュ語に興味を持たれた方は受講してください!
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2018年8月4日土曜日

(雑談)映画鑑賞

今週通った教室で、ある受講者が外国の古い映画の上映会を紹介した。その映画監督について研究しているという。私にしてみれば、もともと映画そのものに関心の低い素人であり、監督の名も初めて聞いたこともあって、逆にどういうものか興味しんしんに、まさに今日の上映会に出かけてみた。

芸術に対してリアリズムを要求した国の、創成期の(プロパガンダ)映画といっていいのかもしれない。驚いたことに、恋のさやあて部分だけ見ると、いずれ将来敵対することになるであろう国の同時期の映画と(余りに)違わぬ雰囲気がした。つまり、国家創成期には、映画についてさまざまな試行があったのだろうけれど、本作品は受け入れられず、監督は時代からはじかれたようだ。結果、「フィルムは一般公開されることはなかった」という。

(映画研究者の発掘精神に、情熱に感嘆しました)

映画上映後、同監督の映画作品についてシンポジウムがあった。今回の映画がテーマとした分野についての研究者たちによるもので、その(特定の)分野に関心ある方には有意だったかもしれない。とはいえ、研究者間に若干の論戦があって、テーマだけでなく映画や歴史の捕らえ方に違いが見えたりしたのが興味深かった。

それは、一方で、情報化時代の認識のような、もっといえば事象全てを同質に粒状にとらえて、それぞれに認識の差を置かないといったとらえ方と、もう一方、(確実に変遷した)歴史認識を背景にしてとらえようとする見方との相違といっていいかも知れない。

映画製作の当時、(すぐに)緊張関係になった対局する近隣二国がそれぞれ芸術に求めたのに、方や「リアリズム」を、もう方や「純正(純粋)」を標語しながら、その造形においてかなり近い表現を感じたことがある。素人の視覚でしかないが・・・。

(付記)
映画会が催された御茶ノ水のエリアにある、キリスト教関連の書店で、「ユダヤ教 歴史・信仰・文化」(G.シュテンベルガー著)を購入。ユダヤ教徒の日常行動が読み取れるような基本理解に合った内容だそうだ。
・東欧ではすでに三歳の子供はヘデル(寺子屋)に通うのが普通になっていた。
・男子の教育は他民族と比べて早期に行なわれていた。

2018年8月3日金曜日

夏の午後(夕方)

夏痩せしなくなって久しい。歳相応に運動しなくなったせいだろう。ところで、今年の夏は厳しくて、日中、外出すると汗をかく。それも、着いた先で吹き出して止まらないのだ。久し振りの汗っかきに驚く。なんだか若返ったような錯覚をする。

落語に、湯船で老人がつい浮いてしまうのを見て、「ご乾燥です」というくだりがあった。歳をとれば枯れ木のようなもの、水分も失せてみずみずしさもありゃあしない。それが今年の夏のおかげで何度も汗をかき、うれしいような妙な気分にさせる。

今週、月~金曜日の連日に通った教室も今日で終了。学生時代を思い出し苦心したが、あっという間で、楽しい時間だった。帰り道の途中、ほっとして小さな公園に寄った。

しばらくベンチ(Bank)に座って空を見上げていると、なんだかドラマチックな空模様になった。遠い雲の後ろに隠れていた太陽が、移動する雲のおかげで陽を射しはじめたのだ。太陽光が分散して、写真のように放射状に照らし出すのが見えた。

一瞬、神々しさを感じた。地上では、人影のない公園の昼下がり、セミの鳴き声がジージーと交じり合うばかり。一方、雲はゆっくり動いて、太陽が顔を出す。風景も風に流されて、いつもの暑い公園に戻る。

(しばらくして夕立に会う。それも「天気雨」といってもいいかもしれない。イ・ソンヒの「狐の嫁入り」を思い出す。随分と続いたが。)


公園から帰宅途中、地元駅の近くにあるグラウンドで「盆踊り」が行なわれているのが遠くから見えた。風にのって、太鼓のリズムに会わせた「炭坑節」の歌が聞こえた。何度も耳にした、心引き寄せられる盆踊りの響きに、どうやら私たちの原点があるのだろう、ひとびとが次々と集っていた。

2018年8月2日木曜日

どこまでも暑さは続く

日向に出ると陽が指すというより、陽が刺すといった方がぴったりで、襲ってくるといった感じがする。東京は、今月に入っても暑さは続いており、ちなみに先月の最高気温は、7月23日(月)に 39.0℃ だった。この先も、35℃±α が続くという。熱暑は衰えを知らないようだ。

今週の「東京(都心)」の最高気温(気象庁)
7月29日(日) 32.3℃
7月30日(月) 31.9℃
7月31日(火) 33.8℃
8月  1日(水) 35.1℃
8月  2日(水) 37.3℃

気象庁の東京都心の気温観測点は、一定の高さがあって、しかも地上の反射を考慮に入れないよう芝生の植わった囲い地にある。実際の生活場面と少々違う。そこで、TVのニュース番組では、照り返しの強い街中の路上で、赤外線温度測定器を使った画像をよく紹介する。結果、気象庁発表の気温よりも、+8℃ ほど考慮した方がよいという。

同様に、ヘリコプターで上空から赤外線温度測定した画像は、もっと凄まじい。林立するコンクリートの高層ビルに囲まれた街は、高温で逃げ場がないようだ。ゆうに 40℃ を超えているのが見える。

都心から離れた台地でも、家に帰ればエアコンの世話になりっぱなし。しかも、なぜか長袖姿に着替えているのだ。

2018年8月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」暑い夏を乗りきる

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「上霊山」ほかまつわる話を紹介した。

始めに、「洪大容(홍대용)」(1731年~1783年)の小音楽会を記録した「朴趾源(박지원)」(1737年~1805年)の描写について次のように紹介された。
・朝鮮後期の哲学者で実学者の「洪大容」は、音楽を好み、コムンゴをよく奏し、中国伝来の楽器「揚琴」の奏法を開発した。小説「許生伝(허생전)」で知られる「朴趾源」は、ある夏の夜、親しくした洪大容の家の小音楽会を記録した。< 洪大容が楽器「瑟(슬)」を奏すると、金檍(김억)は琴を奏し、麯翁(국옹)が歌った。深夜、暑さが和らぐと、楽の音色はさらに清まる。左右の人々はみな静かに黙々と、まるで修練をする人が神を見たかのような姿だ > と、風流を楽しんだソンビがうかがえる。

▼ 風流音楽の代表「霊山会相(영산회상)」の「上霊山(상령산)」をコムンゴセンファンの演奏で聴く。ゆるりと始まる。

次に、南道地域の女性たちが歌った「ドゥンドンギ打令(둥덩(당?)기타령)」について次のように紹介された。
・学者ソンビは、部屋で読書し友と政治や学問を語るのが常だったが、暑い日には板の間に座って小音楽会を開いた。彼らが風流を楽しむ間、庶民は暑さを乗り越えるにも、一日中仕事をして余裕はなかった。とはいえ、真夏にしばし仕事を忘れ、一息つく生活の知恵があった。南道地域の女性は、水入れの甕(カメ)に瓢箪(ヒサゴ)を置き、太鼓を叩くように奏して歌を楽しんだ。一人ずつ歌を歌い、心一新して労働の意欲を再び湧かせた。

▼ 「ドゥンドンギ打令」の歌を聴く。ずいぶんとソフィスティケートされて、舞台演奏だろうか。

最後に、「フィモリ雑歌(휘모리잡가)」にある、男と作男とのやりとりを歌うについて次のように紹介された。
・雨が降りそうなとき、魚の汁物や粥を食べるのも夏の楽しみのひとつ。ソウルと京畿道地方に伝わるテンポの速いフィモリ雑歌に、魚釣りに行った男の話が登場する。釣った魚を早く家に届けたいが他に誰もいない。そんなとき、近所の家の作男が通りかかる。この魚をわが家に届けて料理しておくよう頼んだが・・・。作男は色々と理屈を並べ、獲った魚を分けてくれるなら考ると、そんな使いまではやりきれないと答える、面白い内容の歌だ。

▼ フィモリ雑歌の「六・七月の曇りの日(육칠월 흐린 날)」の歌を聴く。今様ににぎやかに楽しく・・・。