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2018年8月12日日曜日

(雑談)服を着替えるように言葉を使い分ける

観光地で、次々来る外国人客を目ざとく峻別して、彼らのお国言葉に合わせて客寄せする商人の対応力に感心する。語学教室でも、前へ進むタイプの受講者は進歩が早くうらやましい。語学のセンスがいいということだろう。

司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの「オランダ紀行」(朝日文庫)に、こんな話がある。フランスとスペインをまたがる民族「バスク」の人々はバスク語にこだわり、民族独立につなげているようだ。今は沈静したようだがケルト語もしかりと。それに比べてオランダ人は、オランダ語の「言語にことさらに自己証明(アイデンティティ)をもとめることをしない」。そして、「この小さな面積(九州ほど)の国土で大きな効用を果たしてきた民族は、言語を衣類のように考えているらしい。ふだん着もしくは肌着がオランダ語なら、外出着が英語だというふうにである」と、オランダ人の言語に対するおうようさを記している。

なにしろ、オランダの国土は人工で、当然ながら拡張した所に先祖の歴史はない。土地に対する愛着といった、郷土愛も他国と趣が違うのかもしれない。(ところで、私にとって興味あるオランダのことといえば、画家ブリューゲルであり、「痴愚神礼讃」のエラスムスであり、「中世の秋」のホイジンガだ)

こんなとき、思い出すのは、「イディッシュ語」は文字を別にすれば、ドイツ語の影響が大きいようだ。日常生活の言葉として、外向きに「イディッシュ語」があり、精神の言葉として宗教的な場面で「ヘブライ語」が使われていたということなのだろう。ユダヤ人に言語達者が多いのは、そんな言葉の着せ替えの習慣からなのでしょうか。

(追記)
雑誌の書評にあった、神聖ローマ皇帝「フリードリッヒ二世」の人物について、評者たちの見聞が面白い。出生地のイタリア語、父方がドイツ系ということでドイツ語、古典としてのギリシャ語、公用語のラテン語、十字軍の公用語だったフランス語、それだけでなく、イスラムの使者とアラビア語でチェスをしながら交渉したという。このイスラムとの交渉により、彼はエルサレムをイスラム側と分割する権利を得た結果、「無血十字軍」と呼ばれ、イスラムとキリスト教の共存をやってのけた・・・そうだ。(「文芸春秋」の鼎談書評、2014年3月号)