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2024年7月5日金曜日

映画「九十歳。何がめでたい」を見た

きょうは、朝から陽が眩しい。そして物凄く暑い。そんな中、頑張って出かけた。

先日(6/15)、書店で求めた佐藤愛子著「九十歳。何がめでたい」(小学館文庫、「女性セブン」連載より)*を原作にした、同名映画「九十歳。何がめでたい」を近隣街の映画館**で見てきた。
(*)まさに、日ごろのよしなしごとを作家視点で肩凝りを解(ほど)くように語る、シニカルなエッセイ集である。
(**)場所柄アート系のようで、ずっと昔(2013年3月7日)に同街に在った映画館の精神を受け継いでいるという。

(本ブログ関連:”映画「九十歳。何がめでたい」”)

映画について
映画「九十歳。何がめでたい」は、九十歳の婆さんの日常を描いた、いってみれば長谷川町の漫画「いじわるばあさん」を思い出す、頑固・偏屈・意固地を信条に、作家目線をオブラートにして包んだような作品だ。痛快・洒落を以て味付けしている。
主役を御年90歳の「草笛光子」が演じているが、その元気さに驚かされる。さらに、原本最終回にチラリ登場する編集者***が、映画では一方のキャラクターとなって、ドラマ性(家族問題)を持たせて展開する。
(***)時代遅れの編集者役を演じているのが、「唐沢寿明」だとスクリーンを見て初めて気づいた。

原本について
ところで、原本に顔を出す作家の「遠藤周作」や「川上宗薫」にまつわる、本音と本当の話は映画には残念ながらない。文庫本を読みながら想ったことがある。もしかしたら「さくらももこ」の漫画・アニメの主人公「ちびまる子ちゃん」が、90歳のこんな婆さんになったら痛快だろうと空想してしまう。
文庫後半に連れて、持ち前の <完全婆ァ> が強くなっていくのが分かる・・・鋭い切れ味が見ものである。

ちなみに、むかしのテレビによく出ていた、母を慕う詩を作った詩人「サトウハチロー」は佐藤愛子の異母兄にあたる。

2024年7月4日木曜日

バナナを冷凍庫で凍らせる

昼過ぎに「体操教室」へ出かけた。空を見ると、雲は厚く重そうに見えた。それでも、雨に遭うことはないだろうと思った。ところが、教室が終わって外に出たとき、ポツポツと雨が降り始めたのだ。次第に雨粒は大きくなった。

家を目指して、雨降りの町の通りを抜けようとしたとき、目の前に餃子店が現れたのだ。仕方ない、ここでで雨宿りするしかないと納得した。結局、「ニラレバ炒め」と「水餃子」を食した。
店を出ると、からりと空は晴れ渡っていた。このまま帰るのはもったいないと、八百屋(実際は洒落た店名だが)に寄って、大きなトマトの詰め合わせ、バナナなどを買った。

家に戻って、トマトを水道水に漬けてしばらく冷やした後、冷蔵庫に入れた。冷えたトマト(の酸味)とマヨネースはよく合う。スライスすると、サンドウィッチがとても食べやすくなる。

さて、バナナをどうしようかと思案したとき、以前に買ったものが、まだ数本残っているではないか、すぐに食べきれないし・・・。そのとき思いついた。これらを剥いて、一本ずつラップに包み、冷凍庫で凍らせるのだ。カチカチに凍ったバナナは、暑いときに、冷たくて実に美味しい。バナナのアイスキャンデーだ。

私ら世代には、バナナへの思い入れは殊の外深い・・・バナナ味の巡礼はつづく。
最近、店頭にバナナ味の飲料水とか、プリンや菓子類が見当たらない。バナナが貴重品でなくなったせいだからだろうか?

(本ブログ関連:”バナナ”)

2024年7月3日水曜日

フナとヤブガラシ

先日、古書店で「野鳥の図鑑 水の鳥②」(中村登流、保育社)を購入した。それで、「水の鳥①」も揃えなければとAmazonに葉注した。書籍が届いたのを見て、今度は「陸の鳥①」と「陸の鳥②」も欲しくなり、昼過ぎに、コンビニで入金した。ああ、また積読(つんどく)の癖が出てきた。

せっかく外出したので、夏の暑い、熱い、あつい日向、公園巡りをすることにした。熱射にたじろぎ、木陰に逃げ込んで小休止する。緑の下にいると、やぶ蚊やダニの心配をするが、厳しい日照のせいか出てくることはなかった。

マルガモ(写真左)とフナ(写真右)
公園を横断する小川と調節池をつなぐ暗渠があって、その入口柵の前が小さな池のように広がっている。
・「カルガモ」と「マガモ」の交雑の「マルガモ」が、1羽じっとたたずんでいた。以前、別場所だが、子育て中のカルガモ母子を「カラス」から守っていた記憶がある。マルガモはやはり孤独のようだ。
・マルガモの後ろの水面下に「フナ」だろう一群(よく育った12匹ほど)がいた。こんな所に、これほどの数がいるとは。もしかしたら、釣り好きが放流したのかもしれない。


ヤブガラシ
Googleの画像検索と、ネットの情報(5枚の小葉や、葉の縁に棘状の特徴がある)から「ヤブガラシ」と判断した。花弁、雄しべが落ちて紅黄色になった花盤の中央に花柱が伸びているのが確認できた。ただし、<つる草> の特徴を把握するまでに至らなかった。


(付記)
夜8時半近く、帰り道、遠くで花火が打ち上がる炸裂音が聞こえた。ドン、ドンと爆音が何度もこだましたけれど、住宅街はおおかた2階屋が多く、地平線の彼方を確認することができない。
ー どうやら、府中市にある「東京競馬場」で、花火大会が開かれたようだ。

2024年7月2日火曜日

うどん

きょうは、香川県の製麺事業協同組合が定めた「うどんの日」(1980年:昭和55年)という。「うどん」は、スーパーなどで買ってん、めんを自宅でゆでて食するだけでなく、駅前や駅中の立ち喰い「そば・うどん屋」、チェーン店の「うどん屋」で気軽に食べられる・・・おじさんを超えた国民食である。海外の映画で、場面作りに「うどん食」があるので、世界食になるのもそんなに遠くないかもしれない。

(本ブログ関連:”うどん”)

映画「ブレードランナー」の屋台
(Youtubeに登録の 佐藤大輔 氏に感謝)

(本ブログ関連:”ブレードランナー”)

以前、地元の市民講座で、江戸時代の「武蔵野新田」の主要な作物は、段丘上の乾燥した農地ゆえ「麦作」*と聞いた。「水田」は、武蔵野段丘の下側、国分寺崖線から浸み出る湧水を利用できる一部の地しかなかったという。
(*)https://kodaira-tourism.com/tamarokuto/18820/

(本ブログ関連:”小金井の新田開発”)

それを聞いて、ならば日常は「うどん」を食していたのだろうと勝手に想像した。講演の後、講師の方に確認したところ、「うどん」は「ハレ」のときに食べるものであると教えられた。その後、当時の日常は「石臼で大麦をこまかく砕いたひき割り麦や、押し麦にウルチの陸稲をまぜたメシと味噌汁、漬物、煮物が日常食であった」と知った。

「うどん」が、どれほど貴重なものだったかという理解に届かぬほど、今の私たちは豊富な食物を享受している。
さらに、郷土の人びとが厳しい食事をしていたなかで、今に命を伝えてくれたことに感謝をせずにはいられない。

参考
(もしかしたら同様のQ/Aをしたかもしれないが)、江戸時代の武蔵野新田に生きた農民たちの食事を、生成AIの「ChatGPT」、「Gemini」に問うてみたのが次の通り。

■ ChatGPT
Q,日本の江戸時代に、水田がなくて稲作が不適なため麦作中心だった「武蔵野新田」の農民は、日頃どんな食事をしていたのでしょうか?
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A,江戸時代の武蔵野新田の農民たちが日常的に摂っていた食事については、以下のような特徴があります。

主食
    ・麦(小麦・大麦):武蔵野新田では稲作が難しいため、主食として麦が中心でした。麦飯(大麦と米を混ぜたもの)や麦粥が一般的でした。
    ・雑穀:ヒエ、アワ、キビなどの雑穀も食べられていました。
副食
    ・野菜:畑で栽培された大根、カブ、カボチャ、ナス、キュウリ、ネギなどの野菜を食べていました。また、野草や山菜も重要な食材でした。
    ・豆類:大豆、小豆、エンドウ豆などがよく食べられ、豆腐や味噌、納豆などに加工されていました。
    ・魚介類:内陸部であるため新鮮な魚介類は少なく、干物や塩漬けなどの保存食として利用されていました。
    ・動物性食品:家畜や鶏の卵、狩猟で得た動物の肉(野鳥や小動物)も食されましたが、量は限られていました。
調味料
    ・味噌:大豆を使った味噌は一般的な調味料であり、汁物や煮物に使われました。
    ・醤油:味噌と同様に、江戸時代には既に醤油も広く使われていました。
    ・塩:保存のためや味付けのために塩が重要でした。
食事の例
    ・朝食:麦飯、味噌汁、漬物
    ・昼食:残り物や簡単な野菜料理
    ・夕食:麦飯、野菜の煮物や炒め物、豆腐や納豆、時には魚の干物

このように、武蔵野新田の農民たちは地元で入手できる食材を工夫して利用し、栄養バランスを取って生活していました。
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■ Gemini
Q.江戸時代、水田がなく白米が手に入らない、麦作中心の「武蔵野新田」の農民は、日頃どんな食事をしていたのでしょうか?
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A.江戸時代、武蔵野新田の農民の食事:麦作中心の食卓
江戸時代の武蔵野新田は、水田がなく白米が手に入りにくい地域でした。そのため、農民の食事は麦を主食とした質素なものだったと言えるでしょう。

主食
    ・麦飯: 麦を炊いた麦飯が主食でした。白米に比べると栄養価が低く、消化も悪いものでした。
    ・麦粥: 麦を煮込んだ麦粥も主食として食べられました。
    ・雑穀粥: 稗、粟、黍などの雑穀を麦と一緒に煮込んだ雑穀粥も食べられていました。
おかず
    ・野菜: 大根、カブ、ネギ、ゴボウ、ニンジンなどの野菜を自家菜園で栽培し、漬物、煮物、汁物にしていました。
    ・きのこ: 山に入ってきのこを採ってきて、煮物や汁物にしていました。
    ・豆類: 大豆、小豆、えんどう豆などの豆類を栽培し、味噌、醤油、豆腐、納豆などの加工食品を作っていました。
    ・保存食: 漬け物、干し物、味噌、醤油などを保存食として常備していました。
肉・魚
    ・肉: 馬肉やイノシシ肉などの野生動物の肉を狩猟で獲ることが稀にありました。
    ・魚: 川魚を釣ったり、干物や塩漬けにして保存したりしていました。
その他
    ・ドングリ: 凶作の年には、ドングリを拾って粉にして餅や団子を作ることがありました。
調味料
    ・味噌: 大豆を塩こうじで発酵させた味噌は、汁物や煮物の味付けに使われていました。
    ・醤油: 大豆と小麦を塩こうじで発酵させた醤油は、貴重な調味料でした。
    ・塩: 海水から塩を採って、料理の味付けに使っていました。
飲み物
    ・水: 水を主な飲み物としていました。
    ・麦茶: 麦を炒って麦茶を作っていました。
    ・甘酒: 米麹を発酵させた甘酒を飲むこともありました。
白米
    白米は貴重なものだったため、正月など特別な日のみに食べる「祝飯(いわいい)」として扱われていました。

麦作以外の収入
農業以外にも、薪炭の販売、機織り、日雇い労働などを行い、収入を得ていました。

まとめ
江戸時代、水田がなく白米が手に入らない、麦作中心の武蔵野新田の農民の食事は、現代の食卓から見ると質素なものだったと言えるでしょう。しかし、限られた食材を工夫して、栄養バランスを考えながら食事を作っていたことが窺えます。

参考資料
・東北大学附属図書館企画展トップページ / 第4部資料一覧
    https://www.library.tohoku.ac.jp/collection/exhibit/sp/r3/part2.html
・江戸時代の食事情/江戸庶民のおかず|日本食文化の醤油を知る
    http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference15c.html
・武蔵野新田の歴史:
    https://www.city.musashino.lg.jp/
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映画「ブラックレイン」の屋台
(Youtubeに登録のMovieclips に感謝)

2024年7月1日月曜日

H3ロケット打ち上げ、先進レーダ衛星「だいち4号」分離に成功

「JAXA」(宇宙航空研究開発機構)は、本日7月1日 12時6分42秒に「種子島宇宙センター」から、先進レーダ衛星「だいち4号」(ALOS-4)を搭載した「H3ロケット 3号機」(H3-22S)を打ち上げ、16分40秒後に「だいち4号」の分離・軌道投入に成功した。

(本ブログ関連:”H3ロケット”)

先進レーダ衛星「だいち4号」
・この後、半年をかけて実運用が開始されるとのこと。
・JAXA「サテナビ(サテライトナビゲーター)」
    ー https://www.satnavi.jaxa.jp/ja/project/alos-4/
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「だいち4号」は、日本が継続的に開発してきた観測センサである「Lバンド合成開口レーダ」により、地球を観測する人工衛星です。新技術の導入によって前号機「だいち2号」の性能をさらに向上させ、世界最高レベルの解像度と観測カバレッジ(広域な観測)を実現しています。
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(JAXA: 先進レーダ衛星「だいち4号」(ALOS-4)/H3ロケット3号機打上げライブ中継)