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2022年12月31日土曜日

年の暮れ

きょうは、12月の終わりであり、令和四年(2022年)の終わりでもある「大晦日」だ。明日になれば、すべて去年のこととくくられる。そこで思い返してみることにしたが・・・。

年があらたまるたび歳をくう。体にひずみが出る。昨年来の膝の痛みに四苦八苦した。公園に自然(野鳥や植物)観察に出歩く以外、行動範囲が狭まっている。

夜、洗面所の明かりを灯けず鏡を見たとき、そこに親父とそっくりの顔があった。最近、渋谷の交差点で親父とすれ違う夢を見た。ヨォと言って、笑い顔していた。

そうそう、来年から仙人の境地で生きていこうと決めている。雲に乗れたら遠出できるのだが。

2022年12月30日金曜日

(資料)エノケンの「最後の伝令」に雪が降る

喜劇王エノケン(榎本健一、1904年~1970年)が出演した軽演劇「最後の伝令」について知りたくネット上を探した。

子どものころ、父親からエノケンといえば「最後の伝令」だと聞かされたことがある。その後、夜遅くにテレビ(もしかしたら4チャンネルの日本テレビだったか)で、偶然にも「最後の伝令」の芝居(スタジオ撮影版だったか?)と巡りあった。

芝居は米国の南北戦争下、若い男女の悲恋物語のはずが、役者や裏方の手違いが連続して舞台がハチャメチャになってしまう。まさに抱腹絶倒、腹がよじれて笑いが止まらなかったよう記憶している。「メリーさん、メリーさん」のセリフも、父から聞いた通り発せられたし、紙製の雪が降ったし・・・。

最近になって、ネットのYoutubeや「国立映画アーカイブ」サイトで、「最後の伝令」の動画情報がないか検索したがたどり着けなかった。そこで<映画>や<芝居>についての文字情報を検索したところ、次のような記事を見つけることができた。


<映画についての文字情報>

① 映画評があるブログ「幻想館」*
映画「極楽大一座 アチャラカ誕生」のストーリー紹介・・・より抜粋
・「最後の伝令」を劇中劇にした映画(1956年、東宝、白坂依志夫脚本、小田基義 監督)
・ストーリーを、詳細に記述している。雪降りの場面もしっかり描写されている。感謝。
(*)「幻想館」: http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou59/gokurakudaiichizaatyarakatanjou.html
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・軍隊内で芝居を演じた戦友が、戦後も旅回り一座で役者を続けている。
・一座で脚本化志望の若者と、町の娘との恋物語り。
・演目にリアリズムが必須といわれ、米国の南北戦争を素材にする(・・・とは?)
・劇中劇「最後の伝令」は、エノケンの口上で始まる。
・雪の舞う舞台・・・舞台・裏舞台でドタバタが始まる。
・普段おんな方を演じる役者が、軍人姿となって「メリーさん、メリーさん、大変だ!」という所作の怪しさ。
・ラストに雪がどさっと落ちてくるなど・・・まだまだある。
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② 神保町シアターのフィルム情報
映画「極楽大一座  アチャラカ誕生」S31'56)/東宝/白黒/スタンダード/53分)・・・より抜粋
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/kigeki.html
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・ 映画制作・俳優陣の情報(略)
・エノケンの「メリーさん、メリーさん」で知られる、伝説のアチャラカ劇「最後の伝令」(菊谷栄 作、1902年~1937年)が観られるのはこの映画だけ! 
・柳家金語楼、古川ロッパ、トニー谷、三木のり平ら、日本の喜劇人たちが勢揃い。
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③ MOVIEWALKER PRESS
映画「極楽大一座 アチャラカ誕生」1956年6月1日公開、53分、コメディ)・・・より抜粋
https://moviewalker.jp/mv24688/
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昭和七年(1932年)、浅草玉木座**で公演して好評を博し、昨年秋に日劇、同年暮にも東京宝塚劇場で上演された同名喜劇の映画化である。
・芝居、南北戦争余話大悲劇(「最後の伝令」)の幕は切って落されたが、稽古不十分で舞台上のケンカが持ち上り、場内は爆笑の連続となった。だが観客の爆笑に気をよくした荒金興行主と古沢閣下は大喜び。かくて中久保と真知子の恋人同士も目出度く結ばれることになった。
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(**)昭和五年(1930年)浅草の玉木座・・・という記述もある。


<論文・レポート>

① 「演劇研究 : 演劇博物館紀要」(中野正昭、43, 99-122、2020年)
「エノケン喜劇『最後の伝令』(1931)とフランク・キャプラ映画『陽気な踊り子』(1928) -喜劇にみるアメリカ映画のアダプテーション(脚色)-」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=58090&file_id=162&file_no=1
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・「最後の伝令」の原案が、映画「陽気な踊り子(The Matinee Idol)」の劇中劇「アーロンに帰れ(Come Back to Aaron)」であることの分析。
ー (本来、旅芸人のヒロインとブロードウェイの一流コメディアンのメロドラマであるはずの)映画の劇中劇で演じられる、旅芸人一座の演目「アーロンに帰れ」のドタバタといい、映画全体を通じての男女のおさまり具合といい、「最後の伝令」はうまく吸収している。
・後半を「最後の伝令」と「アーロンに帰れ」の展開ごと、詳細に比較している。
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(参考)
映画「The Matinee Idol(陽気な踊り子)」(1928年)
■ Youtube (登録: Classic Film Library)
「The Matinee Idol (1928) | Comedy, Romance」(雪景色場面 55:33)
https://www.youtube.com/watch?v=wQxC_z6xwRc


② ニッポンヲシロウ
「時代と戦い、激動を生きた、ニッポンの喜劇人たち」
https://www.tv-asahi.co.jp/ss/137/japan/top.html


<新たな劇団の演劇ガイド-文字情報>

① 劇団回帰線
「最後の伝令」(2013.10.24-27、シアターZOO)、舞台化の演出・西脇秀之
http://kaikisen.info/saigono/denrei.html
・「最後の伝令」単独の劇なのか未確認
・芝居の解説より・・・抜粋。
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・「最後の伝令」(原案・榎本健一、脚色・菊谷栄)
・舞台は、アメリカ南北戦争。若い兵士とその帰りを待つ恋人の物語。しかし女のもとには悲しい知らせが届く。「メリーさん、メリーさん、大変だ…」嗚呼!悲涙血涙の大悲劇……のはずが、セリフはとちる、出もとちる。
・座員たちはその場しのぎの連続で、舞台の上も裏もひっちゃかめっちゃ! 徹頭徹尾のデタラメ、貫徹するドタバタに笑った口がふさがらない!
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② その他
・「最後の伝令」の作家菊谷栄に焦点をあてたものがある。

2022年12月29日木曜日

インフルエンザワクチン接種

今年末から来年にかけて、「新型コロナウィルス」と「インフルエンザウィルス」がダブル襲来するという新たな局面をニュースメディアは報じている。新型コロナウィルスで騒がれたここ数年間、インフルエンザウィルスは陰に隠れていたはずだが。

現在、インフルエンザの感染状況はよく分からないが、わが身安全のため、インフルエンザのワクチン接種をきょうしてきた。注射を観念して処置室に入る。腕に注射針がすっと刺さる・・・チクリとした。思わず「おっ」と声に出す。いつも、こんなんだったかな。

(本ブログ関連;”インフルエンザウィルス”)

ところで、新型コロナウィルスの方は変異体が次々に登場している。ワクチン接種を申し込んだところ申込者が多くて、年明けの予約(センター会場)が取れた。こちらも痛いんだな。

(本ブログ関連;”新型コロナウィルス”)

中国はゼロコロナの完全囲い込み対策から、開放方式に転換した。日本の各種業界は中国からの観光客の入国を期待しているように見える・・・かつてのインバウンドの味が忘れられないのかもしれない。しかし・・・どうやら慎重な対応になるようだが。

来年初は、初心に帰り極力外出も控えようかと思う。

2022年12月24日土曜日

クリスマス・イブ 2022

クリスマス・イブ」について正確な定義があるようだが、クリスチャンでない日本人にとって、きょう(12/24)がクリスマス・イブであり、明日はクリスマスということにしよう。日没を境目にして云々なんて、考えたこともなかったし知らなかった。

昔、親父世代には、クリスマス・イブを名目にサラリーマンの酔っ払いたちが街にあふれドンチャン騒ぎをした。それでも子どもたちに(私の経験では)、小さな木製の機関車と列車セットを枕元に届けてくれた。
やがて、宴会が苦手な世代が増えるごと、クリスマス・イブの街は静かになり、家庭行事に収斂した。クリスチャンでない日本人の大部分(99%)にとって実は、12/25のクリスマスは昔も今も無縁なのだ。

ところで、アメリカでは「メリー・クリスマス」という表現を公的に口にしない時代になったそうだ。それは宗教表現であり、今様の価値観では押し付けになるかららしい(宗教の中立性)。そのかわりに、「ハッピー・ホリデーズ」と交わすそうだが、日本人には「ハッピーな連休」といわれても・・・ピンとこない。さらに、ネット情報によれば、「禁酒法」を作ったアメリカのこと、クリスマスツリーもいずれ公共の場所から完全に消えるかもしれない。

(追記)
生クリームたっぷりのクリスマスケーキはこの歳にきつい。だから和菓子屋で、クリスマスと関係ない各種寅焼き(どら焼き風)のほかに、クリスマス菓子をイメージした饅頭を買った。和菓子サイズながら実に手の込んだもの、職人の心意気が感じられる。
・白い雪だるま
・緑色のクリスマスツリー
・赤い服と白いひげしたサンタクロース
・なにやら不明なトナカイ

(追記)
12/21夜、米連邦議会の両院を前にした、ウクライナのゼレンスキー大統領(1978年1月25日、ユダヤ系ウクライナ人として生まれた)の演説の最後は次のようなものだった。
NHK国際ニュースナビより
「【演説全文】ゼレンスキー大統領 アメリカ議会で語ったことは?」(2022年12月23日)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/detail/2022/12/23/28186.html
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最後にひとつだけ、本当にありがとうございます。私たちの勇敢な軍隊と市民を、神が守ってくれますように。そしてアメリカに永遠に神の祝福がありますように。メリー・クリスマス、そして幸せで勝利に満ちた新年を。ウクライナに栄光あれ。
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野鳥観察(43)

月2回開催の野鳥観察(探鳥会)へ、今月前半の回(12/3)を欠席したため、後半の回のきょうは是非とも出席しようと家を出た。辺りはだいぶ明るく、公園を巡る観察が終わるころには、太陽が前回(出席 11/26)よりも高度が上がり、樹々の枝葉や草々をはっきり細密・高精度に照らして実に清々しい。

(本ブログ関連:”野鳥観察")

氷と霜柱
順路に砂利道があって小さな水溜りが点在している。日陰で冷えた場所のものに氷が薄く張っていた。前回出席以来一か月ほどたっているので、寒気の厳しいこの時期、珍しくもないかもしれない。また、道ばたに霜柱が並んでいて、それを踏みしめると愉しい思いがする。子どものころ住んだ九州では霜柱の経験がなかった。東京に来て初めて知って驚き、子どもが泥水に飛び込むように見つけては踏みしめたものだった。

法(のり)面緑化
朝陽に照らされた景色が印象深かったのに、もう一つ理由がある。それは、雑草を刈り取られた小川の斜面(法面)に、丈の短い芝草のようなものが敷き詰められて、実に青々と輝き繁っていたからだ。会長から次のような解説をいただいた。
・丈の高い雑草を刈り取ったあと、地面が露出すると風雨に浸食されやすくなるため、人工的に芝草(牧草)を吹き付け保護している。芝草には、早く芽を出す、長生きする、常緑であるなど特徴を持つ種子(3種ほど)がブレンドされるそうだ。
    ー 吹き付け=混合種子+水+のり+繊維質状のもの
    ー 混合種子=ケンタッキーブルーグラス、ウィーピングラブグラスなど輸入外来種子。
    ー 種子の寿命が長いもの(クローバーは寿命が短いが、岩盤面に対し窒素肥料になる)
・切通しなどの深い法面では、段差を設けたり、網をかぶせたりして緑化しやすくする。
・大型、公共工事では、進捗が分かるよう緑色に着色・吹き付け、工程管理したりする。
公園の景観保存のため、さまざまな工夫がされていることを改めて知った。

次に、今回の野鳥観察で自分なりの整理として、ベテランの方から解説いただいたこと、ちいさな小学生に感化されたこと、自分の目で見たり・双眼鏡で覗いたことを記す。(聞き間違いはご容赦)
・ヒヨドリ: よく聞けば鳴き方が微妙に違う、樹間をあちこち飛び舞う・・・本当に
・シメ: 上に伸びた枯れ枝に、朝陽を受けて1羽がとまるのを双眼鏡で確認
・アオゲラ: 大人が見落とした樹を突ついていると小学生が発見、間近に見て双眼鏡で確認
・シジュウカラ: 行く先々で軽快に飛び、木立に群がるのを目視する
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・カルガモ: 小さなグループが分散して、次々と下流へ向かって移動する(32羽とのこと)
・アオサギ: 何と小川のそばの歩道にある街灯ポールの上に立ち、辺りを睥睨していた
・マガモ: いると聞こえたが確信ない、葦の間に一瞬見えたのはメスだったのだろうか?
・コガモ: 羽に傷がある個体・・・生きている、無事であって欲しい

参考情報
・ヒメハジロ: 多摩川に飛来と話題、ネット写真を見るとペンギン衣装を着たカモのよう?
・修景池: 飛行場北側の池、多摩川寄りの調布市にも「郷土の森公園 修景池」がある

2022年12月22日木曜日

冬至2022

きょうは、二十四節気の「冬至(とうじ)」。一年間で昼が最も短く・夜が最も長くなる日だ。むかし中学生のころ、仲間の家に集まったとき、冬至に食べる煮つけがふるまわれたことがあった。母親が北国出身の方のようで、カボチャと一緒にゆで小豆を盛り合わせていた。そんな組み合わせをそのとき初めて知った。

(本ブログ関連:”冬至”)

最近、寒さから外出がおっくうで家に籠っていると、日の出から日の入りまでの時間(可照時間)を直感しづらい。それでも日没時、窓越しの陰りに気づいてあわてて玄関の灯りをともすことがしばしばだ。
ところで、きょうの日の入り時刻は 16:32。実は、先月の11月28日から今月12月13日の間、もっと早めで 13:28だった(国立天文台)。

以前にも触れたが、東京の冬の暗さは冬至をもって気づき、寒さは年を越した翌1月の平均気温の低さ(5.2℃)で知ることになる。つまり、冬至は冬のすべてのピークでない。暗さと寒さがいっぺんに済まないのだ。冬は陰鬱がだらだら続く気がする、最も苦手な季節なのだ。

朝方から降った雨は昼に止んだが、この冷たい雨を「氷雨」とでもいえるだろうか(氷雨は冬の季語でもある)。演歌に佳山明生(かやま あきお)が歌う「氷雨」(作詞:とまりれん、作曲:竜崎孝路、1977年12月1日)がある。Wikipediaの「氷雨」の<脚注>に、今上天皇が学生時代にカラオケで十八番にしたのが「氷雨」だったそうだ。以前のテレビで、ヴィオラを演奏する姿を目にすることが多かったけれど。ちなみに、同じく皇太子時代にファンだったアイドルが柏原芳恵だったというのはよく知られている。

2022年12月20日火曜日

(資料)クリスマスソング作者にユダヤ系が多いこと、「Silver Bells」そしてレモン

もうすぐクリスマスがやって来る。

(本ブログ関連:”クリスマス”)

むかし、語学教室で米国のクリスマスソング作者にユダヤ系が多いという紹介があって、調べてみたことがある。ユダヤ教徒のユダヤ人がなぜ? と思ったりしたが、米国は移民の国であり、そこへ移住したユダヤ人音楽家の家系といえど同国の文化に適応したのは当然の帰結だろう。懐かしく耳馴染む名曲たちが、日本でもかなり普及定着している。


クリスマスソングの「Silver Bells」について

クリスマスソングの代表といえる「Silver Bells」(1950年)について、思い出と照らし合わせて、ネット上を次のように渉猟した。この曲は、ジェイ・リビングストン作曲、レイ・エヴァンス作詞でリリースされた。WWⅡ後の豊かな時代*を先駆ける米国らしいクリスマスの情景が浮かんでくる。
(*)豊かな時代: たとえばTV番組「パパは何でも知っている」のように。

リヴィングストンは、ペンシルベニア州マクドナルドでユダヤ人両親のもとに、エヴァンスは、ニューヨーク州サラマンカのユダヤ人家族に生まれた。

・1950年9月、最初のレコーディングは、ビング・クロスビーキャロル・リチャーズによっ歌われた。
(Youtubeに登録のThe78Profに感謝)

・1951年4月、コメディー映画「The Lemon Drop Kid」(下記の通り、Youtubeでフル視聴可能)の中で、ボブ・ホープマリリン・マクスウェルによって一般的に知られるバージョンで歌われた・・・。この映画で初めて演奏され、すぐにクリスマスの定番曲になった**。
(**)The American Film Institute Catalog of Motion Pictures (online database) ← Wikipedia掲載の資料
    

ところで、レモンについて

上記コメディー映画「The Lemon Drop Kid」と同じ名を持つ(主人公)詐欺師「レモン ドロップ キッド」*** 役を、ボブ・ホープが演じている。
(***)レモン ドロップ キッド: 米国の競走馬、種牡(オス)の名だそうだ。

レモンの名から思い浮かぶ、フォークソング「レモンツリー」は失恋した男の側の教訓(父から息子へ伝える)を、逆に同性の恋敵をカラッと言って見せる女の子の心情を歌ったオールディーズ「レモンのキッス」がある。それぞれYoutubeで視聴できる。

・「レモントゥリー」(ピーター・ポール&マリーのデビュー・シングル、1962年(昭和37年))
    https://www.youtube.com/watch?v=i6SmTqA-1RE
    甘いのに酸っぱい「レモン」は、女の子を指す。

・「レモンのキッス」(ザ・ピーナツ、1962年(昭和37年))
    https://www.youtube.com/watch?v=pJ0KmPYd7Q0

2022年12月15日木曜日

来年から仙人の境地になる(なりたい)こと

来年(2023年)から、仙人の境地で過ごしたいと思っている。年末、ウサギ年の年賀状を作成することなく、かわりに「年賀状じまい」の知らせをハガキにしたためて、親類・趣味仲間・知人の方々に送った。

(本ブログ関連:”年賀状 ”)

あ~っ、時が勝手に走っていく。泰然(否、呆然)とそれを見つめる。不動の(否、立ち尽くす)姿は、仙人のごとく見えるではないか・・・、多分間違っていないはず。(年賀状じまいのお知らせに、ネット上のイラストを次のように借用した)
このブログに、「仙人」に関連することを読んだり聞いたりしては書き連ねてきた・・・、じっくり研究書を読んだわけじゃない。だから、仙人になりたくて修練した亭主が女房の前で成果を見せようとした結果とか、仙人になりたいという気のよい男をだましてきつい仕事をさせ続けた結果とか、おかしく奇妙な結末になる話題を渉猟してきた。

(本ブログ関連:”仙人 ”)

わたしは、どのみち厳しい修行に耐えるこはできない。せめて人様に迷惑のかからぬよう、心の中だけでも仙人の境地でいようと考えた次第。

2022年12月12日月曜日

狐は冬の季語

キツネ(狐)」が、冬の季語という。寒い北国に生きるキツネたちの生態が浮かんでくる。北海道に棲息する「キタキツネ」の写真集(竹田津実氏が撮影したキタキツネの親子の情愛を撮った写真)が、以前、話題になったことがある。竹田津氏は、獣医師の仕事の傍ら、北の原野でキタキツネの行動を撮影した。ちなみに鳥でいえば、愛らしい目をしたまるで白い菓子姿のような、「エナガ」の北方系亜種「シマエナガ」の写真集(小原玲氏などによる撮影)だろうか。

(本ブログ関連:”キツネ”)

さっそく「合本 俳句歳時記」(第三版、角川書店)の「狐」の項を見ると、次のように記してある。
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・・・ 十二月下旬から一月ごろに交尾し、四月ごろ三-五頭の子を産む。北海道には北狐が生息する。「きつ」は狐の古名で「ね」は美称ともいわれる。
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(参考)「日本の文化における狐」Wikipedia

他方、狐の読みについて、「来つ寝(きつね)」を源にしているという語りがある。以前のブログにも記したことだが、「日本霊異記」上巻第二話に、狐を妻として子を産ませた・・・、次に再掲する。
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古代の欽明天皇の時代に、嫁探しに出かけた男が女と巡り合い結婚する。一男をもうけたが、実は女は狐の化身であり、飼い犬に気付かれその身をあらわにしたのを見て男は、「汝と我との中に子を相生めるが故に、我は忘れじ。毎(つね)に来りて相寝よ」という。ゆえに、また来て寝ることから、妻に「来つ寝(きつね)」の名がつく。
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(本ブログ関連:”来つ寝(きつね)”)

キツネと人との関係は、人をだましたり、農業神の使いとしての稲荷信仰だけでなく、異類婚姻譚といった男と(異類としての)女との関係まで幅広い。異類婚姻には断絶といった越えられぬ悲しみさえ感じる(上記の日本霊異記にはそれを越えるものがあるが、人目を忍ぶ二人だけの秘匿した契りかもしれない)。

このブログでは素人テーマであるが、狐について、歌手イ・ソンヒの歌「狐の嫁入り(여우비)」からキツネにまつわる奇譚とかキツネの家畜化まで広く話題を渉猟している。一点深く追求するには息がないため、あちらこちらへと関心が飛んでいく。

2022年12月7日水曜日

大雪 2022

きょうは、二十四節気の「大雪(たいせつ)」、いよいよ本格的な降雪が始まるころをいう。暦上ここまでに、冬になり(立冬)、雪が降り始め(小雪)、そして激しく雪が降る(大雪)ころになったわけだが、実際、雪とまだ会っていない。

(本ブログ関連:”大雪(たいせつ)”)

先日(11/22)のブログで二十四節気の「小雪(しょうせつ)」について触れたが、最近、初雪は初雪は1月に偏っている。ちなみに(昨晩の雨を除いて)、今月中旬は晴日が多いようで、雪と縁はなさそうだ。

雪の気配はないけれど、「雪」にちなんだ俳句と詩から二つ。

俳人「中村草田男」(1901年:明治34年~1983年:昭和58年)の句に、
    降る雪や 明治は遠く なりにけり
があって、てっきり老人が炬燵に入り、雪見障子と更に縁側の大きなガラス戸を通して、庭に降る雪を見ながら、しみじみと遠く過ぎた明治を懐旧する場面を想い浮かべた。けれど、この句は彼が30才ころ、1931年の作で、母校の小学校を訪れたとき、校門から出てくる児童の衣服が明治期のものとすっかり様変わりしていて、時代の移りを感じたのをいう*・・・ようだ。
(*)岡山・吉兆庵美術館「巨匠の和歌と俳句展」:  https://www.kitchoan.co.jp/column/2887/

歌人「三好達治」(1900年:明治33年~1964年:昭和39年)の詩「雪」(詩集「測量船」に所収、昭和5年)は静かだ。
    太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
    次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
には、雪降る音が、耳をすませば、子どもらの寝息も一緒に聞こえる気がする。

上記の二人は、まさに脂の乗り切った時代に大きな局面と対峙したわけで、その時の立ち居振る舞いが、作品とともに評論されることになる。若いころ、彼らに対する鋭利な批評に興味津々だったけれど、歳をとればそんなことはどうでもよいと気づく。いにしえの歌人(うたびと)に、そこまで激しく問い詰めたりしないではないかと。

(付記)
FIFAワールドカップ、「日本対クロアチア戦」(現地5日、日本時間6日)は、「1(前田選手)-1」による延長戦でも勝敗がつかず、PK戦にもつれ込んだ。結果、1-3で敗れたものの、今回は、強豪ドイツ、スペインに打ち勝ってのこと。日本チームは新しい歴史のページを進んだ・・・と、にわかは常に前向きである。

(本ブログ関連:”FIFAワールドカップ”)

2022年12月4日日曜日

マユミの実(種子)とスイセンの花

昼ころ、紅葉の公園へ行った。日曜日のせいか、バーベキュー広場もグラウンドも人出であふれていた。私は、昨日(土曜日)恒例の「野鳥観察会」(探鳥会)を欠席したため、自然と接するという辻褄合わせ?で出かけたわけだが。

例によって、公園付属の「自然観察園」を散策した。こちらは意外なほど人の気配がなかった。冬だから花も見当たらない。入口に配置の「12月の自然観察園の花だより」を片手に巡ることにした・・・。

マユミの実(種子)
観察園に配置の「樹木観察クイズ」には、30種の樹木の名前当てクイズが載っている。その一問に、冬の季節に相応しい「マユミ」の木が選ばれている。赤い実(種子)で飾られた枝は園内の通路を覆い、さらに柵を越えて園外にまで広がっていた。園の外側で、きゃしゃな枝々を丁字型の枝受けで支えていたほど。

(本ブログ関連:”マユミ”)

クイズの解答には次のよう記されている。「黄緑色の花。実は熟すと4つに裂け、赤色の種子が顔を出す。紅葉が美しい。よくしなるので昔はこの木で弓を作った。」(緑の愛護ボランティアの会:植物グループ樹木班作成)
また、「葉っぱで見わけ五感で楽しむ 樹木図鑑」(林将之 監修・写真、ナツメ社)では、「これ(果実・種子)は多くの野鳥の好物であり、秋冬の貴重な食糧だが、果実や種子を食べる機会の少ないメジロやコゲラが好むのが興味深い。」(写真解説:「種子を食べるコゲラ」)といった解説がある。野鳥の食性が知れてうれしい。



スイセンの花
園の西側、ヒガンバナ群生地(現在、緑色した艶やかな線形の葉を密集させている)のさらに奥に、少し狭ばめであるが「スイセン」が群生している場所がある。園の掲示板にスイセンの写真があって、「花だより」にも記されていたので観察順路図を頼って行ってみた。しかし、まだ早かったようだ。スイセンの株はいくつもあるが、しいて探せば一株だけ花びらを咲かせていた(写真:赤の丸印)。

(本ブログ関連:”スイセン”)

スイセンは「水仙」と書き。牧野富太郎の小冊子「植物知識」(講談社学術文庫)によれば、「仙は仙人の仙で、この草を俗を脱している仙人に擬(なぞら)えたものであろうか。」と推論されている。ちょうど私も、来年から仙人の境地で生きたいなどいって、「年賀状おさめ」の挨拶葉書を出したばかり。

2022年12月2日金曜日

アディショナルタイム (日本-スペイン戦)

きょう、とんでもないことが起こった。

早朝4時前からテレビ放送される、2022 FIFAワールドカップ「日本-スペイン」戦を見ようと眠らずに頑張っていた・・・寝床で横になりながらの観戦だったのだが。そしてハッと気づいたときには、試合は「アディショナルタイム」の7分間に入っていた。それ以前の試合経過が記憶にない・・・のだ。

(本ブログ関連:”FIFAワールドカップ”)

テレビの表示を見ると、日本チームが「2-1」で優勢らしい。目が覚めたばかりのボンヤリ頭には状況がつかめない。ドイツにつづいてスペイン戦まで、そんなことが起こるなんて。

次第に気分が冴えてきて、試合の前半に1点失うも、後半になって2点を返したことが分かった。2-1をキープしたまま、アディショナルタイムに突入していたのだと。長い緊張を感じた。にわかファンにも息苦しい。
ようやく試合終了のホイッスルが鳴ったとき、やっと勝利を確信した。そして試合のすべて見てきたように喜んだ。

結果、日本チームは「グループE」を首位通過し、決勝トーナメントに進出することになった。

後で知ったことだが、後半戦で次のような経過があったという。
・後半戦3分に、堂安律選手(24歳)の鋭いミドルシュートで「1-1」の同点になった。
・次の2点目は、(堂安選手のパスによる)ラインに奇跡的に重なったボールを、三笘薫選手(25歳)が折り返して、田中碧選手(24歳)がゴールに押し込んだ。
(追記)三笘選手と田中選手は、ともに川崎市の鷺沼小学校、有馬中学校の先輩後輩であり、川崎フロンターレのユースに所属した幼馴染みとのこと。

森保(もりやす)監督はインタビューで、ドイツ戦勝利のとき「一喜一憂」しないとか、スペイン戦のとき「新たな景色」を見せてくれたと語っていた。それに呼応するかのように、選手たちはインタビューの際にこの言葉を使っていた。

次は、6日の「クロアチア」戦だそうだ。にわかファンには予断も何もできないけど、今度こそ寝ぼけることなくしっかり観戦しよう。

2022年11月28日月曜日

公園の紅葉

先日(11/26)の公園で、野鳥観察(探鳥会)のとき、紅葉の美しさに目を見張った。今まで何度か経験した中で、最も美しく染入るものだった。もしかしたら、自然に対して謙虚になってきた私の歳がそうさせたのかもしれない・・・と思ったりした。

(本ブログ関連:”紅葉”)

探鳥会にカメラを持参せず映像に残せなかったので、あらためて公園を訪れて写真におさめた。人通りはまばら、ひっそりとして日射しも穏やか。小川に沿った散歩道は、彩りあざやかに紅や黄に染められていた。いってみれば、紅葉舞台の花道のようなもの・・・と思ったりした。


2022年11月26日土曜日

野鳥観察(42)

野鳥観察(探鳥会)の朝、雲は鈍色に低く垂れ、薄日の街は遠近感が乏しい写真のよう。公園へ向かう途中、思ったほど寒気はなく、マスクからもれる息でメガネが曇ることはない。視界は落ち着いていた。

(本ブログ関連:”野鳥観察")

公園の広葉樹は、葉を紅、黄、橙、緑の色に染め、美しく綾なして、今まで最高の紅葉舞台を作っていた。公園の樹々がこれほど色づくとは思いもよらない、絶好の機会を体験した。

集合場所の近く、先日(11/17)のブログに記した「ススキとオギの誤認」を確かめるべく植物の穂を採集した。探鳥会の始め、会長にチェックしていただき「ススキでなくオギである」ことを確認いただいた(「オギにノギ無し」)。探鳥の途中に、ススキの株に寄って、あらためて「ススキにノギ有り」を再確認した。

今回、膝がよい按配に回復しているようで、みなに遅れることなく付いて歩くことができた。先行きが楽しみである・・・。

FIFAサッカー試合の視聴のときそうであるように、野鳥観察も相変わらずの低空状態で、初心者気分から抜け出せないでいる。次に、ベテランの方から解説いただいたり、双眼鏡で覗き見ができた野鳥を記す。(聞き間違い・見間違いをご容赦)

それにしても、緑に覆われた樹間の下で聞く鳥たちのせわしいこと。
・アオゲラ: 声はすれども姿を、私は見つけられない
・イカル: 遠く群れ飛ぶ姿しか見えず(私に識別不可)
・ヒヨドリ: せわしく鳴き・飛び交う
・シメ: 双眼鏡で樹間に見つけるも、逆光で識別をベテランの方に頼るしかない
・シジュウカラ: 群れて飛び回る、私には重量感があるように見えた
・ヤマガラ: 樹上に4羽いるものの、識別はベテランの方に頼るしかない
・モズ: 樹上に1羽、すっととまる
・・・・・・
・カルガモ: 小川を上流に進むごと岸の葉影から次々現れる、久し振りに多く見た(最多)
・シマアジ: コガモかも?と議論になった(双眼鏡で見ても識別不可)、傷ついているのか
                 (追記 12/3)最終的に、コガモと同定された
・マルガモ: カルガモとマガモとの混血で、嘴(くちばし)に特徴があるのを目視した

みながじっくり観察したせいか、所要時間はいつもより30分超過したとのこと。

探鳥会の帰り道、ファストフード店「すき家」に寄って朝食をとる。店を出ると小雨がぱらついていて、帰宅するまで止むことはなかった。

2022年11月25日金曜日

にわかファン(11月23日のサッカー「日 - 独」戦)

スポーツ観戦で、「野球」や「相撲」は子どものころに空き地でやった経験があるため、テレビ中継を見ていて興が乗ることがあるが、「サッカー」は中学の体育授業のときくらいの記憶しかなくて中々関心が向かない・・・そんな世代である。

今回、カタールで開催されたFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップの試合では、その場だけ盛り上がる「にわかファン」であることを自覚していた。

(本ブログ関連:”FIFA”)

そんな気分で、一昨日の11月23日深夜に放送されたサッカー「日-独」戦を何気なくテレビ観戦していたところ、大方の予想を裏切り「2-1の逆転勝利」した結果に大いに興奮した。前半に先制され、後半に堂安選手と浅野選手がそれぞれが小気味よい得点したのを見て、ちょっと叫んだりした。正直、まさかといった展開だったのだ。

ところで、相変わらずルールでよく分からないのが「オフサイド」だ。Wikipediaを覗いたが、解説を読むうちにこんがらがる。結局、線審がそういうのならオフサイドなのだろうけど・・・いつまでたっても、にわかファンのままでいる。私のすべてに通じることだが。

2022年11月22日火曜日

小雪 2022

きょうは、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」で、雪が降り始めるころという。11月下旬の東京の初雪は、最近では何と6年前の 2016年(平成28年)の11月24日だった・・・ 6年前のこととはいえすっかり忘れていた。なにしろ、きょうは明るい日射しで最高気温が、きのうより2℃高い 20.8℃と小春日和の穏やかな一日だった。

(本ブログ関連:”小雪”)

初雪について東京の場合、気象庁(東京管区気象台)の「お知らせ(令和3年(2021年)12月26日)」*によれば、「最も早い初雪1900年(明治33年)11月17日最も遅い初雪2007年(平成19年)3月16日」だった。
(*) https://www.data.jma.go.jp/tokyo/shosai/news/pdf/2021/20211226hatsuyuki_oshirase.pdf

上記「お知らせ」中の「近年(2017年~2021年の寒候年**)における最近の初雪」に、次の通り統計がある。
(**)寒候年の統計は、特に断りがない限り、前年 8 月から当年 7 月までの 1 年間をいう
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2016年(平成28年)11月24日
2017年(平成29年)12月31日
2019年(平成31年)  1月12日
2020年(令和2年)   1月  4日
2021年(令和3年)   1月12日
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雪の気配がないきょうは、小雪(しょうせつ)を文字通り「こゆき」と呼べば、女優の『小雪(こゆき)』さんが浮かんでくる。彼女の柔らかな表情はとても日本的だし、能面の持つ要素がきらりと見えてくるように思える。雪の降り始め、辺りは急に静まり、音もなく小雪が降り積もる。そんな静謐な空気を与えてくれる・・・気がする。

2022年11月20日日曜日

自然観察(14)

朝、月一の「自然観察会」へ出かける前に、テレビの天気予報を見ると、気温は昨日と比べて低目だという。用心して厚着したけれど、家を出た時刻は、きのう(11/19)が6:30、きょうは8:30だったので、この時間差が気温差を埋め合わせたようだ・・・思ったほど冷えを感じなかった。通り道に大粒の雨跡があり、どんよりした空模様を案じたくらい。

(本ブログ関連:”自然観察会”)

このところ膝が按配良くなくて観察会の途中でリタイヤしたりしていたが、今回は最後まで付いて行くことができた。貴重で膨大な解説をいただき、手帳に聞き書きすることができたので以下列記する(聞き間違いがあったらご容赦を)。

観察会の始め
フィールドに出る前に会長から「ススキオギヨシ(アシ)」の特徴などについてレクチャーがあった。
・生育環境: 乾いた場所(ススキ)> やや湿った場所(オギ)> 水・湿地(ヨシ)
・茎の生え方: 大きな株(ススキ)、 地下茎から一本ずつ(オギ)、 水・湿地(ヨシ)
・ノギ()の有無*: 長いノギが有る(ススキ)、 通常ノギは無い(オギ)
 (*)「オギにノギ無し、ススキにノギ有り」という表現がある(副会長)。
     → ススキとオギの違いを知って、先日(11/17)のブログに誤まりがないか気になる(再確認が必須)。

フィールド(植物)
① 赤い実のなる樹木
モチノキ(メスの木): オス/メスの区別は、春・夏に花のメシベの多さで判別できる
イイギリ: キリの名を持つが、科が違うアオギリ、キリ(箪笥、500円硬貨の裏)がある
② 黒い実のなる樹木や野草
トウネズミモチ(樹木)
スイカズラ(つる性木本)
ヤブラン(草)
③ 草と木の違い: 年輪(形成層)の有無、木には形成層(木質部)が有り、草には無い
ツバキサザンカの違い: ツバキは花一輪ごと落花、サザンカは花びら一枚一枚が散る
コブクザクラ: 白い花が咲いていた(春と秋・冬に咲く)
史前帰化植物: 日本へ、稲作と同じころ中国から来たといわれる帰化植物
⑦ その他
ヨウシュヤマゴボウ(草):毒性がある。一方、ヤマゴボウは毒性無く食用される
・レモンエゴマ(草): シソ科。枯れた花序をもんでもレモンの芳香がする
・ラン・キクなどは進化が進んだ草である
・ちょっと可哀そうな草の名
  - ヘクソカズラ: 実を潰すと凄い臭い
  - ハキダメギク:「最初に掃溜めで見つけられた」そうだ
  - ヌスビトハギ:「果実が、泥棒の足跡に似ると言う」そうだ
・ササクサ(草): まるで笹の葉(かたち、葉脈)にそっくり
・キチジョウソウ(草): 薄紫の花が、他の野草の下に隠れて咲いていた
・シダの胞子のできる場所: 葉の裏、胞子茎などがある

フィールド(野鳥)
・この時期、樹木は落葉して野鳥がよく観察できるが、”Bird Week” は葉の繁る5月となる
・カワラヒワ: 遠くの樹上で群れるが・・・
・シメ: 遠くの樹上で・・・
・アオサギ: 視認できた
・ハクセキレイ :視認できた

2022年11月19日土曜日

日にちを間違えて朝の野鳥観察

野鳥観察(探鳥会)は、毎月2回、土曜日の朝早く行なわれる。今月、第1回目を休んでしまったので、残りの1回は是非とも参加しようと、昨晩から「あした!あした!」と考えていた(思い込んでいた)。

今朝は、完全防備の冬支度して出かけた。けれど誰れも来ない・・・、ようやく気付いた。今月の残りの探鳥会は、来週の土曜日だと。せっかく膝の調子がマシになり、その気になっていたのに。われながらの粗忽さにあきれる。まあ、せっかくなので早朝の公園を(いつもの半周にも満たないが)巡ってみた。

公園の朝陽がまぶしい。うっすら赤味を帯びた光を浴びて、紅葉した樹々はドラマチックに輝く。梢、葉一枚までしっかり見える。鬱蒼とした林に入れば反転して、深い緑に沈む。そんな木立の中、頭上を「ヒヨドリ」たちの鳴き声が響く。
林を抜けると、再び樹々の姿がはっきりしてくる。「シジュウカラ」が樹上にとまっているのを双眼鏡で確認できた。

小川で、「ジョウビタキ」?/「カワラヒワ」?だろうか下流に向かって飛んでいった。同じく、「カルガモ」の4羽も浮かぶように流れていった(きっとつがいの2組だろうと想像した)。

帰宅していつものように、知らずに転寝(昼寝)した・・・これが実に気持ち良い。

2022年11月17日木曜日

公園のススキ原、小川にアオサギとカルガモ

朝からどんよりした曇り空。空気に力なく、公園は古ぼけた写真のよう。人影もまばら、静けさが増す。散歩に都合のよい昼さがり、のんびりと巡ってみた。

公園の広場にススキ*の原がたち、風なく揺れもしない。薄曇りの空を見上げれば、飛行場へ着陸するのだろう、ドルニエ機がプロペラで風を切ってゆっくり旋回している。
(*)もしかしたら「ススキ(薄)」ではなく、「オギ(荻)」かもしれない(11/20追記)
(追記) 11/26の野鳥観察時に、「ススキ」ではなく「オギ」であることを確認した。


小川の岸辺にアオサギがたたずんでいる。例によって動かず、孤高を保つかのよう。その前をカルガモが一羽、川下へ流れていく。私も川下への道を歩んで分かったことだが、老人がカルガモの群れにパン餌を撒いていた。カルガモはエサに釣られてのことか、一方アオサギは見向きもしない。



(付記)
Youtubeに「メロンパン」を「ホットサンドメーカー」で焼き・プレスする動画があったので真似てみた。トッピング(生クリームやチョコなどのホイップクリーム)をしなかったので、期待通りにいかなかった。あわてて蜂蜜を塗ったが後の祭り・・・やっぱ、レシピ通りすべき。

2022年11月16日水曜日

(資料)アルテミス計画 第1弾のロケット打ち上げ

8月末以来順延していた、NASA(米航空宇宙局)による有人月着陸を目指す国際プロジェクト「アルテミス計画」の第1弾のロケットが、本日無事打ち上げられた。(アルテミスは、ギリシャ神話の月の女神であり、双子の弟アポロンは太陽神とされる)
本計画は、1967年7月に人類が月面に初着陸した「アポロ計画」(1961年~1972年)につづくプロジェクトである。

(本ブログ関連:”アルテミス計画”)

AFPBB
「NASA、『アルテミス』計画 第1弾のロケット打ち上げ」(2022年11月16日 16:21 発信地:ワシントンD.C./米国)
https://www.afpbb.com/articles/-/3434023
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【11月16日 AFP】米航空宇宙局(NASA)は、16日午前1時48分(日本時間同日午後3時48分)、人類を月に送る「アルテミス(Artemis)」計画の第1弾として、フロリダ州のケネディ宇宙センター(Kennedy Space Center)からオリオン(Orion)宇宙船を搭載した大型ロケット「スペース・ローンチ・システム(Space Launch System)」を打ち上げた。(c)AFP
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NASA:「Why the Moon?」そして火星へのミッション

2022年11月14日月曜日

(地震)三重県南東沖

夕方の5時過ぎ、部屋が一瞬ぐらっと揺れた。このまま続くのか、それとも止むのか・・・幸いわずかな揺れで治まった。急いでテレビをつけた・・・最近、小さな揺れ(おもに茨城県南部を震源とするもの)が頻発している。

テレビのニュース速報で、最大震度4の地区として、「福島県浜通り」、「茨木県南部」があげられた。震央については、少々遅れて「三重県南東沖」と報じられて耳を疑った・・・さすがに遠い、

気象庁の「地震情報」*を見ると、間違いなく震央は三重県南東沖と表示されていた。遠く、深い(深度350Km=太平洋プレート)震央にあらためて驚いた。
(*)気象庁: 「震源・震度情報」2022年11月14日17時14分発表
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地震の発生日時: 11月14日17時09分頃
震央地名: 三重県南東沖
深さ: 350km
マグニチュード: M6.1
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(追記)
朝日新聞Digital
「震源は三重県沖、なぜ関東・東北が揺れた?『異常震域』の仕組み」(佐々木凌、2022年11月14日 20時00分)より抜粋
https://www.asahi.com/articles/ASQCG6JYQQCGULBH00L.html
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・14日午後5時9分ごろ、三重県南東沖の深さ350キロを震源とするマグニチュード(M)6・1の地震が発生した。震源に近い三重県などで震度が観測されなかった一方、遠く離れた福島県、茨城県で最大震度4を観測したなぜだろうか
・東京大地震研究所の古村孝志教授によると、今回の地震は沈み込む太平洋プレート内で発生した、震源が深い「深発地震」と呼ばれるタイプと考えられるという。プレート内を揺れが伝わったため、プレートの沈み込み口に近い関東・東北地方を中心に揺れが観測された一方、震源の真上にある「マントル」は軟らかく、プレート部分に比べて揺れが伝わりにくいため、三重県などでは人が感じる揺れはなかったとみられるという
・こうした、震源の近くより遠くの地域**で大きく揺れる現象は「異常震域」と呼ばれる
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(**)今回は、北海道の釧路まで揺れた。

2022年11月13日日曜日

(雑談)硫黄と滝沢秀明氏

最近、芸能事務所「ジャニーズ事務所」の副社長を務めていた滝沢秀明氏が退社したという。彼の芸歴について詳しくないが、火山調査に関与したことを、以前の本ブログに記したことがある。研究機関の論文と英科学誌への投稿者のひとりとして名を連ねていたのだ。研究対象は、鹿児島県沖の薩摩硫黄島にある「鬼界カルデラ」だ。

(本ブログ関連:”滝沢秀明”、”硫黄”)

昔のこと、中年になってひとり鉱物採集に目を向け始めたとき、硫黄と名の付く山を訪れたいと思案した。その第一が、YS-11(最終航路前日)に搭乗して北海道の女満別空港を降り、知床硫黄山に登った。ヒグマを恐れて空き缶をハンマーで叩きながら、硫黄結晶(塊り)のある場所へたどりつき採集した。

次に行こうとしたのが、今度は日本の南側、薩摩硫黄島の硫黄岳で硫化水素と高熱水が噴き出す噴気孔を目の当たりにしたかったが、(当たり前ながら)登山禁止だった。無茶苦茶な目論見だったわけで、それなりの装備が必要で、研究者のみ可能と知って断念。鉱物趣味の仲間内でも、そこまでチャレンジしたひとはいなかった。(浅間山噴火のとき、火山に関心を持ったマニアのオフミーティングに参加したことはあるが・・・鉱物マニアと火山マニアは別系統)

後に、薩摩硫黄島の「鬼界カルデラ」調査*に滝沢秀明氏が参加されたとニュースで知って、その本気度に驚きうらやましく感じたものだ。
(*)神戸大学「鬼界海底カルデラ内に巨大溶岩ドームの存在を確認」
https://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2018_02_09_01.html

ところで、滝沢氏のTwitterのヘッダーにある写真**はすごい。昔、雲仙岳の火流に巻き込まれて亡くなった、仏の火山学者「クラフト夫妻」の溶岩流をバックにした映像***を思い出す。
(**)Twitter  https://twitter.com/h_Takizawa329
(***)Youtube    https://www.youtube.com/watch?v=oMArx64RBO4&t=125s

クラフト氏は、溶岩流に船を浮かべて乗ってみたいと語ったことがある。そんな空想を、もしかしたら滝沢氏も心に描いているのかもしれない。


(付記)
NHK「ダーウィンが来た!」(11/13)
「日本で急増中!おしゃれ水鳥の柔軟ライフ」
・渡り鳥の「カンムリカイツブリ」が、温暖化で日本に留まる(越冬する)傾向にある。
・青森県津軽平野の(コンクリート補強されていない)ため池,川などで見られる
・求愛ダンス → 巣作り → ヒナ誕生 → ヒナの食羽行動&エサ魚摂食 → ヒナ分け(生育)

2022年11月11日金曜日

(資料)11月11日 きょうは何の日

テレビの情報番組によれば、きょうは「もやしの日」(もやし生産者協会、2014年10月11日)*という。物価高騰の中、タマゴと同様に低価格を維持し家計に貢献してきた「もやし」の原材料費が上がっているというのだ。もやし特有の豆類の新芽が並ぶ姿から<1111>のイメージが浮かんで、11月11日をもやしの日にしたのも何となくうなずける。
(*)http://www.moyashi.or.jp/news/3725.html

カレンダーの日ごとに記念日がある。歴史的、宗教的な行事に根拠を持つ以外に、日付の読み方とか数字の形に、あるいはビジネス的意図から記念日を宣言したものまである。話題に富んでいれば、テレビの情報番組であつかわれる。

民間の記念日登録団体「日本記念日協会」のサイトに、もやしの日があるか参照したが見つからなかった。きょうの日付を記念日にしたリストを見ると、「ポッキー」や「うまい棒」などあるが、他について何が根拠なのかよくわからないところもある。ともあれ、次にリストの一部を転載させていただく・・・(抜粋)。

日本記念日協会
「記念日協会認定記念日 11月11日」より抜粋
https://www.kinenbi.gr.jp/
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うまい棒の日
スティックパンの日
ポッキー&プリッツの日
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また、 ITmediaサイトの記事によれば、11月11日のきょう登録されている記念日(日本記念日協会に登録)の数は、10月10日と並んで最も多いという。

ITmedia
「11月11日は何の日? 『一年で最も記念日の多い日』」(芹澤隆徳,ITmedia、2021年11月11日)より抜粋
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2111/11/news158.html
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11月11日といえば「ポッキーの日」「チーズの日」「チンアナゴの日」……人によって様々な記念日を思い浮かべる。日本記念日協会によるとその数は54件もあり、10月10日と並んで「最も記念日の多い日」という。
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結論
さて、もやし生産者の団体が民間の記念日団体に登録*をしないのはなぜか。簡単にいえば、費用体効果だろう。登録しなくても、多分マスコミへ独自に働きかけ(売り込み)をすれば取り扱ってくれることが、上記テレビの情報番組でわかっているのだろう。しかも、番組内で、今後の値上げの布石まで打ってくれる。
(**)https://www.kinenbi.gr.jp/mypage/entry#kouka

2022年11月7日月曜日

立冬 2022、たきび(焚き火)

きょうは、二十四節気の「立冬(りっとう)」、旧暦では10月14日となり、「冬」(旧暦の10月~12月)が始まる。

(本ブログ関連:”立冬”)

一方、気象庁の新暦をもとにした定義「季節を表す用語」*では、「冬」は 12月~2月となり、きょうの時点でまだ「秋」の終わりとなり、旧暦と新暦による季節感の微妙なズレをいつも気になる。
(*) https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html

この時期、近ごろ見られなくなったが「焚き火」をする光景があった。自宅の庭や公園、あるいは校庭に積もった落ち葉を掃き集めて火をくべる。周りから手をかざして暖をとる、子どもたちにとって楽しいひと時だ。さらに焼き芋がある。むかしは、サツマイモをそのまま放り込んだけれど、その後はアルミホイルに包んだりした。多分、衛生(あるいは焼過ぎ)を考えてのことかもしれない。
焼きたての焼き芋を、みなと一緒にほくほく食うのは楽しかった。だが、火の気の問題だろうか、いつごろからか焚き火の光景が見られなくなった。

わたしたち世代にとっては、チロチロと揺れる焚き火の炎を見ながら(あるいは思い出しながら)口ずさんだ童謡「たきび」(作詞巽聖歌、作曲渡辺茂)が忘れられない。「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)によれば、「たきび」の歌をひとびとが最初に耳にしたのは、1941年(昭和16年)12月9日で、真珠湾攻撃の翌日、NHKラジオの幼児向け歌番組で歌われたそうだが、三日間放送予定の残り二日は早々に打ち切られたという。その後、1949年にスタートした「うたのおばさん」で復活し、広く普及したようだ。

上記「たきび」の紹介記事中、筆者ネームの「永」(永井一顕)氏が、NHKのアナウンサー中西龍氏**の名調子をなぞっていたが、私もあわせて思い出したいナレーターに城達也氏***がいる。忘れられない独特の語り口だった。

(**)「歌に思い出が寄り添い  思い出に歌は語りかけ  そのようにして歳月は静かに流れてゆきます」

(***)「遠い地平線が消えて  深々とした夜の闇に心を休めるとき  遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は  限りない宇宙の営みを告げています」

2022年11月6日日曜日

11月の「ひまわり」

畑に小振りの「ひまわり(向日葵、ヒマワリ)」が、一本の畝に連なって咲いていた。季節を遅らせての栽培だろうか(ネットを検索すると、冬用のひまわり品種もあるようだが)。西陽を受けた花びらは、光が透けて、黄色の輝きを一層増していた。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

8月に見たヒマワリの畝は複数本あったが、今回は限定しているのか一本だけのようだ。丈が短いため、カメラを水平にすると住宅街の屋並が写ってしまい、いささか無粋なので、高さを工夫して見おろすように撮った。この時期に貴重な光景が見られた。


最近家に籠ってしまい、きのうの <野鳥観察(探鳥会)> をさぼってしまった。その埋め合わせにと、きょう、小公園の人工池へ「カルガモ」を探しに行ったが見あたらない。それに比べて、探鳥会のベテランの方が連日配信されるメール情報では、他の池に多種のカモが集まりつつあるのを紹介されている。やはり、出歩かなければ何事も始まらない・・・入門者ならなおさら。

(付記)
先日、足を引きずりながら出かけた近隣の街にある北欧家具店で購入したPC作業用の椅子が快適だ。奇妙なことに、膝の不具合が少し治まったような気がする・・・気のせいかもしれないが。

2022年10月31日月曜日

ハロウィン

今年も「ハロウィン」の夜が来た。日本では子どもたちのためというより、若い男女の空騒ぎ、あるいは商業主義的なイベントになってしまった感がして残念な気がする。とはいえ、雑踏に酔っ払いがあふれたかつての「クリスマス」が、今では家庭行事におさまったように変遷するかもしれない・・・と願いたい。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

呼称で気になっていたことがある。「ハロウィン」なのか「ハロウィーン」なのか・・・、メディアで両者を耳にするが、米語でどうなのだろう。Youtubeの英語ショート動画「矢作(やはぎ)とアイクの英会話」*で、アイクさんがいうにはアクセントを後ろに置くので「ハロウィーン」という、「自然とソウルから出てくる」のだと楽しく回答していた。
(*)Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=i_Do0GMaI8Q

ところで以前に触れたことだが、私がハロウィンを初めて知ったのは、米SFファンタジーの大御所(日本の同人誌「宇宙塵」に参加したSF作家たち*に影響を与えた)「レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)」の短編集「10月はたそがれの国(The October Country)」(宇野利泰訳、創元社 1965年)のある短編**を読んだときのこと。高校時代に仲間から、強く進められた記憶がある。
(*)SF作家たち: 小松左京や星新一の若いころの作品にある、ファンタジー的表現からうかがい知れる。
(**)ある短編:「集会(Homecoming)」

そのころの文庫本「10月はたそがれの国」のカバーは、ジョセフ・ムグナイニ/ムニャイニ(Joseph Mugnaini)による不思議な建物が描かれていた。いってみれば、ハロウィンやホラー(ナイトメア:悪夢)映画に登場する魔物や怪物が棲みそうな、おどろおどろしい屋敷を想わせた。ブラッドベリの語りから、部屋の隅やベッドの下に広がる暗闇に何かがいることを気づかされた・・・すでに高校生になっていたので、納得するだけだったが。SF小説に、ハードコア以外の、ファンタジーの領域があるのが新鮮だった。

2022年10月26日水曜日

(資料)野田元首相の安倍晋三元首相に対する追悼演説 全文

昨日(10/25)、立憲民主党の野田佳彦元首相は、暴力に倒れた故安倍晋三元首相に対する追悼演説(産経新聞掲載掲載)をおこなった。以下全文を転載させていただく。感謝。
(テレ東BizのYoutube映像: https://www.youtube.com/watch?v=aWpTyWZWOwY )

(本ブログ関連:”安倍総理安倍首相”)

産経新聞
「野田元首相の追悼演説全文」(2022/10/25 13:57)
ー 立憲民主党の「野田佳彦元首相」は25日の<衆院本会議>で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の「安倍晋三元首相」に対する<追悼演説>を行った。
https://www.sankei.com/article/20221025-EDM7VVDAVBJU5BYWHCGHBJHCLY/
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本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか

真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃(たお)れた故人へ、私たち国会議員がささげられる、何よりの追悼の誠である私はそう信じます

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます

安倍さん、どうか安らかにお眠りください
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2022年10月25日火曜日

(雑談)ウ〇チとクジラ、クジラとアニサキス、そしてサメ

昨晩(10/24)、テレビ朝日のトーク番組「激レアさんを連れてきた。」(出演:オードリーの若林正恭)は、あるサラリーマンを迎えて、彼がリモートワークしながら(ガイドとともに)南極点へ到達した話し*を紹介した。
(*) https://www.tv-asahi.co.jp/geki_rare/backnumber/#/

さまざまな苦難が語られたなか、興味深かったのは「ウ〇チ」の処置だ。人間はさまざまな雑菌やウィルスを体内に持つため、南極の雪面にそのまま放置することは環境保護の点から禁止されているという。踏破にあたっては、それを持ち帰ったという(途中、ある南極基地で引き取ってもらったそうだが)。

ウ〇チの話しで思い出したのは、以前ブログでも触れた、線虫「アニサキス」の発生だ。原因の一つに、「クジラ(鯨)」の保護による増加がある。クジラはアニサキスを持つサバなどを捕食して体内にため込み、大量のウ〇チを海中にマキ散らす。それが循環することになるというのだ。ウ〇チおそるべし。

(本ブログ関連:”アニサキス”、”クジラ”)

また、クジラを保護した結果、沿岸部にクジラが増え、連れてクジラを襲う「サメ」も増加したという説がある。しかもサメが増えれば、人と接する機会が増す。

Survival Labo
「【皮肉】頻発するサメ被害はクジラの過保護が原因?? (オーストラリア)」より抜粋
(2019/09/21、正木明 気象予報士/防災士)
https://bousai.press/shark-whale/
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(クジラが増えて)
・サメ: 人が保護したクジラやサンゴ礁に住む魚をエサにするサメが増える。
(サメが増えて)
・サメ: 興味本位で人を噛む(部分的な傷というが)。
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(付記)
カナダの博物館に寄ったことがある。そこに子どもたちがハガキ大の紙に手書きした、クジラの保護を訴える絵が十数枚ほど壁に貼り付けられていた。果たして子どもたちが自発的に描いただろうか・・・とは思ったけれど。それより私は、鉱物コーナーにある巨大な自然銅の標本を見たかっただけ。

2022年10月23日日曜日

霜降 2022

きょうは、二十四節気の「霜降(そうこう)」、霜の降り始めるころ。体感ではもう少し先のように思えるが。

(本ブログ関連:”霜降”)

晩秋の厳しい霜をきっかけに、広葉樹が緑から赤や黄へ彩あざやかに染まるようで、このときの葉を「霜葉」というそうだ。今年の高尾山の紅葉は、11月中旬~12月上旬が見ごろと案内されている。むかし、同山をケーブルカーに乗って上がったとき、車窓に真っ赤なイロハモミジがつづいた。

(本ブログ関連:”紅葉”)

ところで、霜降の語音から「糟糠(そうこう)の妻」を思い出す。Wikitionaryによれば、「」の本来の意は「もろみ」のようで、これを絞って酒を作ったという。また「」は「ぬか」であり普通に使われている。

霜降の「霜」の文字に銀色に伸びるさまを想い、白髪が浮かんでくる。そこから音つながりで「糟糠の妻」に移れば、(互いに)歳老いた妻へのいたわりが感じられてくる・・・気がする。
日本語の音読み(漢音)で、「霜・降」と「糟・糠」の発音が同じことからの連想に過ぎないけれど。Wikitionaryによれば、中国語(全く不案内だが)発音のアルファベット表記(ピンイン)を使って、「霜」は ”shuāng”・「降」は ”jiàng” であり、「糟」は ”zāo” ・「糠」は ”kāng” と記している・・・随分と違う。これでは、霜降から糟糠へとイメージが飛ばない。

2022年10月22日土曜日

野鳥観察(41)

薄曇りの朝(結局一日、雲間から青空が顔をのぞかせることはなかったが)、わたしとして41回目に当たる野鳥観察(探鳥会)へ出かけた。きのうより微妙に暖かく、風も穏やか。少々厚手して家を出た。

(本ブログ関連:”野鳥観察")

途中、ヒヨドリが住宅地の屋根をかすめて元気に通り抜ける・・・そういえば、早朝に野鳥を撮影して写真や動画を会員にメールしてくださるベテランの方のコメントに、最近ヒヨドリばかり目につくとあった。

今回、ひさしぶりに小さなお子さんたちが参加した。圧倒的に高齢のおじさん、おばさんが多い中、貴重な存在だ。しかも、かれらの吸収力はすごい。わたしとしたら、相変わらず初心者気分のまま進歩しないでいるが、次にベテランの方から解説いただいたり、自分の双眼鏡で覗くことができた野鳥を記す。(聞き間違いはご容赦)

・ヒヨドリ: 観察早々、木立に鳴き声がする。その後も多数飛ぶ姿が見られた。
・モズ: 林中で「高鳴き」しているのを教えていただいた。観察終了近くにも観察できた。
・シジュウカラ: ハナミズキの樹上にとまる姿を双眼鏡で観察。他所でも観察できた。
・アオサギ: 目の前を「ゲッ」と一声あげて、川下に向かって飛んでいった。
・カルガモ: 岸辺の草むらに3羽、小川に8羽、3羽と・・・つぎつぎと目撃する。
・コゲラ: 鳴き声がしたというが、耳にすらできない。

ベテランの方からの情報と解説
・オシドリ: 公園では見られないが、近くの池(複数)で観察できる・・・オスだけ1羽とのこと。
・モズの高鳴き: 肉食留鳥のモズは、越冬準備のため1羽となって、高鳴きしてナワバリ確保するとのこと。

植物
・「サンシュユ」木の赤い実をかじったが、まだまだスッパイ。
・「ミゾソバ」草が小川の水辺に「根元が白く先端が薄紅色」の小さな花を咲かせていた。

いつもの観察路そばにつづく木立。

公園の大きな原っぱに、自然を保つため駆除したはずの(外来種)コスモスが咲いていた。

2022年10月16日日曜日

自然観察(13)

薄曇りとはいえ明かりも十分、きょう久しぶりの「自然観察会」参加となった。前回、7月に参加したものの、以降、8月は朝に2度寝して遅れてしまい、9月は集合場所に到着したところ雨天となり中止になった。今回は心して家を出た。

(本ブログ関連:”自然観察会”)

好天に誘われて、いつもながら多数の方が参加されたのは、一週間ほど前、会長が催された玉川上水の自然観察会によって認知度アップされたこともあるだろう。会を運営される皆さんに感謝。わたしときたら膝と相談の結果、今回も途中で同行を断念してしまったが。

例によって、解説いただいた内容を記憶保持のため小型ノートに書き込み、カメラに残した。(聞き間違いがあるかもしれないが、その場合はご容赦を)
集中的に(聞ける範囲で)話題をいただいたのは次の通り。
・キク科の植物: 舌状花(コスモス:花びらが1枚)、管状花(アザミ:花びらが筒状)
・ドングリのおいしさ: シイ >マテバシイ > ・・・ > アカガシ(水にさらす)
・クリのイガ(毬)の形状: 一つのイガが、実は枝状に分枝しているのに驚く

最初に説明されたのは、公園の原っぱらにヒョッコリ顔を出した「キツネノタイマツ」(Google写真)だ。人だかりして、毒があるかどうか話題になったが、ネット情報によれば不明との記述が多い。
キツネには「狐火」もあり、火との関連が興味深い。フィンランドでは、「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって現れる」という言い伝えがある。

(本ブログ関連:”キツネ 光”)


春と秋、年に二度咲くという「コブクザクラ」の樹の白い花を数輪見た。何種かのサクラの雑種で、雌しべが2,3本あってヒョウタン形のサクランボができると紹介された。


今はまだ緑色の実だが、やがて(ネズミの糞のように)黒くなるという「トウネズミモチ」の樹を見た。葉脈が透けて見えるのが特徴と解説いただいた。次の写真は木の下側から撮ったもので・・・葉脈が透けて見えるだろうか。


遠くから赤い実がはっきり見える「イイギリ」の樹を観察した。葉の柄(葉柄)に蜜腺があり、それをエサにするアリと共生(害虫防除)関係にあると紹介された。実を割ると中から黒い種が多数出てきた。


野鳥
・「エゾビタキ」: 遠くの樹上で、飛んではとまりを繰り返していた。
・「ヤマガラ」: 「エゴ」?の実をつまんでいた。

2022年10月15日土曜日

観察園の散歩

きのうまで3日間、平均気温が20℃をくだり肌寒い思いをした。反転、きょうは日射しもキラキラして、そんな陽気に誘われて昼過ぎ、公園に併設の「自然観察園」へ出かけた。園内は人影もまばら、ひっそりしていた。

膝と相談しながら歩むうち、風速も1m/s前後しかなく、額に汗がにじんできた。例によって、観察園入口で配布されている「観察園の花だより」を手掛かりに、入門者なりに花(樹)を推測してみた。

入口の掲示板裏に、低木の「サンショウ」があって赤い実を実らせていた。実は「秋に赤く熟し、裂開して中から黒い光沢が持った球形の種子が出てくる」(Wikipedia)の通り、黒い種子も顔をのぞかせている。(サンショウの葉を一枚取って匂いを嗅いでみたが、香りを特に感じなかった・・・)


園内の湿地に、紅紫色の花をした「ツリフネソウ」が意外なほどあちこち群生していた。花弁の姿をよく見ると、素人目にはランを想起してしまうが縁はないようだ。


帰り道、隣りの公園に寄ってみた。春に、桜のあとをにぎわせてくれる「ハナミズキ」の並木があって、今の秋に赤い実をつけている。


2022年10月8日土曜日

寒露 2022

きょうは、二十四節気の「寒露(かんろ)」。Wikipediaによれば、「露が冷気によって凍りそうになるころ」とある。夏の朝、原っぱの野草の葉先に露が連なって、朝陽に輝いているのを見ると清々しい気分になる。この「朝露」、実は秋の季語に分類されるという・・・ちょっと意外な気がする。

(本ブログ関連:”寒露”)

本日は、旧暦の 9月13日にあたり、旧暦でいう秋の区分は7~9月となるので、晩秋に当たる。一方、気象庁の季節の区分では。秋は新暦の9~11月となる。この辺り、季節の扱いにいつもとまどう。ここ数日の気温の落差から、寒露を晩秋とするのには納得しそう。

以前、本ブログでも触れたが、寒露(かんろ)の音から、甘露 → カンロ飴 につながり、甘いイメージがしてくる。飴には、のど飴、缶入りドロップ、口さみしいときの飴などさまざま。もし「寒露飴」があるなら、それは仙人の口に入りそう。

最近、「グミ」というクチャクチャした飴(固めのゼリー)菓子があって、若者に流行っているそうだ。飴は口中で溶かすのに対して、グミは噛むといったところだろうか。ハロウィンといい、グミといい、いずれも子どもがするもの。日本では若い男女が楽しんでいる。

2022年10月7日金曜日

冷たい秋雨がつづく(2022.10.6~7)

きのう(10/6)の夜は冷えて、厚手の部屋着に衣替えした。おまけにストーブまで引き出して部屋を暖めた。きょうも変わらない。テレビの情報番組の気象コーナーで、きのうは11月中旬なみ、きょうは12月初旬なみの寒さという。

気象庁の「過去気象データ」を見ると、東京(北の丸公園場)の月単位の平均気温(1991~2020年)は、11月16.7℃、12月12.0℃ だったのに対して、この地の最高気温は、きのう(10/6)14.2℃、きょう(10/7)12.5℃ だった。平均気温に対する最高気温の差が、きのうの方が大きい分・・・それだけ冷え方が急だったことがうなづける。

ところで、観光会社からツアーの案内が届く。紅葉巡りが圧倒的に多い。コロナ明け、観光事業回復のため、公的な旅割というかキャンペーンがにぎわっている。行ってみたい気もするが、紅葉の樹々をめでるには徒歩が必要であり、膝のことを考えると難しい。むしろ、美味いものツアーのページに目が向く。

雨はいつまで続くだろうか。秋の長雨を表した言葉に「秋霖(しゅうりん)」がある。きのうも、きょうもそうだったが、ぱらぱらと間断なく降りつづく様に、すきまなく並ぶ雨の木立が浮かんでくる。「雨」と「林」の絶妙な組み合わせだ。

2022年10月6日木曜日

(資料)若田光一氏搭乗のクルードラゴン

きょうの日付にかわった深夜午前1時、米国ケネディ宇宙センターから打ち上げられた宇宙船「クルードラゴン(Crew-5) ”エンデュランス”」(「ファルコン9」ロケットに搭載)が、国際宇宙ステーション(ISS)へ向かうため、地球周回軌道に投入された。そのとき、私はまさに爆睡して、ロケット発射の映像を見ることができなかった・・・。

搭乗員は4名で、JAXAの若田光一氏は日本人最多の5回目の宇宙飛行となり、ほか3名(米国2人、ロシア1人)は初めてとのこと。若田氏のリーダシップが発揮されるだろう。それにしても、ロケットも宇宙船も宇宙服もデザインがとてもスマート。

(本ブログ関連:”若田光一氏”)

今回、「スペースX」社(CEO イーロン・マスク)が打ち上げ、民間による宇宙開発の第2ステップというべき時代を迎えた。米国の宇宙開発事業が本格的に民営化されるのを目の当たりにしたわけだが、日本で民間による宇宙開発(管制を含めて)はどうなるのだろうか。

読売新聞オンライン
「若田光一さん搭乗のクルードラゴン打ち上げ成功…『この調子で頑張ります』」(2022/10/06 11:37、冨山優介)
https://www.yomiuri.co.jp/science/20221006-OYT1T50060/
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・【ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)】宇宙航空研究開発機構(JAXA)の若田光一・宇宙飛行士(59)ら4人を乗せた米スペースX社の宇宙船クルードラゴンが5日正午(日本時間6日午前1時)、米フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。クルードラゴンは予定の軌道に入り、打ち上げは成功した。

・若田さんの宇宙飛行は5回目。若田さんは動画中継を通じ「非常にスムーズな打ち上げでした。この調子でチームワークを持って頑張ります」と日本語で話した。

・・・・ISS滞在中、若田さんらは日本実験棟「きぼう」で、月面探査車に使う潤滑剤の性質を調べる実験などに取り組む。
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(追記)
JAXA:「【録画】【Crew-5】若田宇宙飛行士 ISS到着生中継」(2022/10/07、Youtube)
・ファルコンロケットの第1段は、再利用目的から海上の船に逆着陸した。
・クルードラゴンは、打ち上げ約29時間後、日本時間の6時1分、ISSとドッキングした。


なんと、月面を走る日本製の車(友人与圧ローバ)のエンブレム部分に、”TOYOTA”の文字がある。

2022年10月1日土曜日

野鳥観察(40)

きょうの 10月1日、わたしにとって40回目の「野鳥観察(探鳥会)」参加という、実にキリのよい数字になった。しかしながら、40回も参加して、いまだに初心者気分から抜け出せないでいる。ある意味いつまでも新鮮・・・これからもそうだろう。

(本ブログ関連:”野鳥観察")

10月から、春・夏と比べて集合時刻が30分遅くなった(7時に変更)。公園の樹々葉はまだまだ青く繁っているが、これから落葉とともに、いろいろな鳥たちが戻ってくるだろう・・・楽しみだ。

野鳥観察にいつも手帳を携えている。しかし今回、筆記具(ボールペン)を忘れてしまった。ベテランの方から、野鳥や野草について貴重な解説をいただくのに記録できないという事態に陥った。記憶に自信がないので、帰宅するや思い出せる範囲で並べた。

例によって、公園で見たもの、聞こえたものを記す。

野鳥
・ヒヨドリ: 林間に鳴き声しきり、飛翔も見たが・・・
・モズ: 原っぱの樹上に一羽たたずんでいた(双眼鏡で観察)、鳴き声数種を聞く
・シジュウカラ: 双眼鏡で木陰にいるのを観察していたら、こちらに向かって飛んで来た
・カルガモ: 葦の隙間に見える小川に水紋が広がった・・・ひょいとカルガモ一羽が見えた

植物
・カリガネソウ: 昨日(9/30)見たのと違い、花柱・雄蘂(おしべ)が通常通り上を向いていた

・キバナコスモス: コスモスの園芸種だそうだ

・キンモクセイ: 観察路に濃いい香りが漂っていた
(本ブログ関連:”キンモクセイ”)

・オシロイバナ:(帰宅途中) 普通に見られる紅や白色の他に、次の赤紫と黄色の花を見つけた
 (本ブログ関連:”オシロイバナ”)

2022年9月30日金曜日

コムラサキ,カリガネソウ

日の暮れるのが早くなった9月もきょうで終い。今年はあと3か月しか残っていない・・・。さりとて追い込んで仕上げるべきものもない。来年のカレンダーはすでに用意しているが。

晴天のきょう、陽射しが温い昼下がり、公園に併設の「自然観察園」へ出かけた。年配者の一団とすれ違う。平日だもんなあ。

観察路をふさぐように、腰の低い白い「ユウガギク」の花がつづく。以前、本ブログに「観察園の随所に目立つ」と記述したことがある。


次は、いわゆる「カリガネソウ」だが、きょうの按配はよくなかったのか、本来、花弁の上側に伸びる花柱と雄蘂(おしべ)が逆転して下側にある。(昆虫を全く不案内だが)チョウや大型のハチがたくさん飛んで来たせいで(あるいは萎れて)、位置が逆転したのかもしれない・・・と想像する。(写真は、カメラが天地逆さまになったわけではありません)

(本ブログ関連:”カリガネソウ”)


枝が垂れるようにして、紫色の「コムラサキ」の実が生っていた。コムラサキはシソ科の樹で、実がビッシリ詰まっている(他方、「ムサキシキブ」の場合、実がまばらとのこと)。

(本ブログ関連:”コムラサキ”)


「コムラサキ」の隣りに、「ガマズミ」の樹の実が生っていた(自然観察園の「花だより」に位置など明示されてないので、あくまで素人判断だが)。ともに小さな実のため、赤と紫がにぎわうまでにいたらないけれど、陽が射して艶やな光沢が揺れるのを見るのはいいものだ。

(本ブログ関連:”ガマズミ”)