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2022年10月31日月曜日

ハロウィン

今年も「ハロウィン」の夜が来た。日本では子どもたちのためというより、若い男女の空騒ぎ、あるいは商業主義的なイベントになってしまった感がして残念な気がする。とはいえ、雑踏に酔っ払いがあふれたかつての「クリスマス」が、今では家庭行事におさまったように変遷するかもしれない・・・と願いたい。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

呼称で気になっていたことがある。「ハロウィン」なのか「ハロウィーン」なのか・・・、メディアで両者を耳にするが、米語でどうなのだろう。Youtubeの英語ショート動画「矢作(やはぎ)とアイクの英会話」*で、アイクさんがいうにはアクセントを後ろに置くので「ハロウィーン」という、「自然とソウルから出てくる」のだと楽しく回答していた。
(*)Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=i_Do0GMaI8Q

ところで以前に触れたことだが、私がハロウィンを初めて知ったのは、米SFファンタジーの大御所(日本の同人誌「宇宙塵」に参加したSF作家たち*に影響を与えた)「レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)」の短編集「10月はたそがれの国(The October Country)」(宇野利泰訳、創元社 1965年)のある短編**を読んだときのこと。高校時代に仲間から、強く進められた記憶がある。
(*)SF作家たち: 小松左京や星新一の若いころの作品にある、ファンタジー的表現からうかがい知れる。
(**)ある短編:「集会(Homecoming)」

そのころの文庫本「10月はたそがれの国」のカバーは、ジョセフ・ムグナイニ/ムニャイニ(Joseph Mugnaini)による不思議な建物が描かれていた。いってみれば、ハロウィンやホラー(ナイトメア:悪夢)映画に登場する魔物や怪物が棲みそうな、おどろおどろしい屋敷を想わせた。ブラッドベリの語りから、部屋の隅やベッドの下に広がる暗闇に何かがいることを気づかされた・・・すでに高校生になっていたので、納得するだけだったが。SF小説に、ハードコア以外の、ファンタジーの領域があるのが新鮮だった。