ブログ本文&資料

2019年9月30日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-1

今年4月~7月にかけて開催された市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」*の後期編にあたる、第2部(9月30日~来年1月)の講座が今日から始まった。久し振りに会場に着いて驚いた。開講30分前というに、今回も前回同様にすしずめ状態だったのだ。潜り込むようにして着席した。(講師の方も盛況振りに感心していたことはいうまでもない)
(*)市民講座の正式名称:「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

平日昼過ぎもあって、講座の参加者は高齢者ばかり。よく、来日した欧米人が空港の入国審査の列を見て <何と黒髪が多いことか> と感心するという。今回の市民講座の場合は、さしずめ <何と白髪が多いことか> といったところだろう。

前編にあたる講演(6/17)「オスマン帝国 のユダヤ人とユダヤ神秘主義:ユダヤ社会の変容」で <シャブタイ派のメシア運動> を解説された東京理科大学講師 山本伸一氏から、今回は(趣向を変えて?)「日本におけるユダヤ人論の系譜、ユダヤ人イメージの変遷」について紹介された。

最初に、講師の山本氏から「歴史」について次のようなポイントが語られた。薀蓄に富んできわめて納得できる気がする。
---------------------------------------------
歴史は事実の集積ではない。歴史は思惑の化合物である。
---------------------------------------------
(これってインテリジェンスの鉄則「情報源に決して惚れ込んではならない」に通じる)

① 1930~40年代の日本人のユダヤ観
  ・1937年:「オトポール事件」、 樋口季一郎(陸軍少将:当時)によるユダヤ人へ土地を与える検討
  ・1930年代後半:「河豚(ふぐ)計画」、満州にユダヤ人を移住させる計画
  ・満鉄調査部:「米国猶太人社会とその団体」など

② ユダヤ人について書かれた日本での書物・人物
  ・1872年:「西洋今昔袖(そで)鏡」(百科事典に記載)>国会図書館デジタルコレクション
  ・内村鑑三:< 2つのJ >(JapanとJesus)
  ・矢内原忠雄: シオニズムへの関心

③ その他人物列伝
  ・酒井勝軍
  ・ニコラス・マクラウド(別名 Norman McLead)
  ・佐伯好郎

2019年9月29日日曜日

シャボン玉ホリデー

昔、日曜日の夕方といえば、牛乳石鹸提供のテレビ音楽バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」を見るのが決まりだった。ジャズ演奏に長けながらも(その後に続くテレビコントの原形ともいえる)ギャグも展開する「ハナ肇(はじめ)とクレージーキャッツ」と、和製(日本語にカバーした)ポップスを歌う双子姉妹の「ザ・ピーナッツ」を中心に進んだ。

クレージーキャッツに「植木等(ひとし)」という人気タレントがいて、(昔は座敷に鎮座した)テレビのブラウン管の前で、彼のギャグに子どもたちは親のそばで笑い転げたものだ。彼らクレージーキャッツの芸は、テレビが普及する新しい時代に合わせて登場した模索の芸だったのかもしれない。

思い起こせば、クレージーキャッツの芸は、当時の視聴者(つまり家族の団欒)を<笑いに包む>といったものだったと思う。その後、テレビの放送時間や局数が増えて互いに競い合う中で、お笑い番組も細分化していくことになる。電化製品が家電から個電に変わっていくようにお笑い芸も変質した。

ところで、シャボン玉ホリデーの番組の終わりに、決まってザ・ピーナッツの二人が「スターダスト」を歌う。すると後ろから、ハナ肇や植木等たちが登場して、ピントのはずれた今でいう<おやじギャグ>風の語り始めるや、ピーナッツの二人に肘鉄を喰らうといった落ちがあった。子どもたちは、それを期待していた。

(Youtube映像の 1:02ごろからエンディングテーマ「スターダスト」が始まる)

(Youtubeに登録のukikusajiromovie12に感謝)

2019年9月28日土曜日

「こうのとり」(8号機)無事ISSに到着

25日午前1時5分に「種子島宇宙センター」から「H-IIBロケット」(8号機)により打ち上げられた、宇宙ステーション補給機こうのとり(HTV*)」(8号機)は、今晩(8時13分)「国際宇宙ステーション(ISS)」に到着し、無事キャプチャー(把持)された。キャプチャー コンプリート!
(*)HTV: H-II Transfer Vehicle

昨年末(2018/12/1)、「JAXA筑波宇宙センター」の一般公開展示の「こうのとり」(実機モデル)を見学して、その余りの大きさに驚嘆した。積載重量(ペイロード)は、最大約6.0tといわれている。なるほど、打ち上げに「H2Bロケット」を要するのも素人ながら・・・感覚的でしかないが納得した。しかも、宇宙で微妙に航行(移動)制御できるという実は凄い能力を持っている。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

日本経済新聞(共同通信)の記事「こうのとり 8号機、宇宙ステーションに到着」**(9/28 22:05)によれば、ISS側ロボットアームにより把持されたと次のように報じている。
(**)記事: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50359790Y9A920C1CZ8000/
------------------------------------------------
・高度約400キロの「国際宇宙ステーション(ISS)」に物資を運ぶ「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」の無人補給機「こうのとり」8号機が28日午後8時13分、ステーションに到着した。滞在中の宇宙飛行士がロボットアームを操作しキャッチした。これまで連続8回の輸送に成功したことになる

[写真](国際宇宙ステーションに到着した「こうのとり」8号機。左下からステーションのロボットアームが伸びている=NASA提供・共同)

・補給機は鹿児島県の種子島宇宙センターから25日に打ち上げられ、JAXA筑波宇宙センターの制御で徐々に高度を上げた。最後にはISSと同じ速度で飛行することで速度差をなくし、約10メートルの距離まで接近。長さ17.6メートルのロボットアームが補給機をつかんだ。

・補給機は食料品やバッテリー、実験装置など約5.3トンの物資を搭載。ステーションに取り付けた後、飛行士が荷物を搬出する。
〔共同〕
------------------------------------------------

(把持の模様は、Youtube映像の29分ごろ)

(Youtubeに登録のJAXA | 宇宙航空研究開発機構に感謝)


(付記) ラグビーWカップ
日本が、優勝候補のアイルランドを19対12で破った。にわかファンにもなれない素人にとって、凄いと思うし、凄いことなのだろうと推測する。これから、テレビ解説を聞いてその凄さを理解しよう。

2019年9月27日金曜日

飛行機雲

線状の雲を吐きながら高空を飛んでいる飛行機に気付いたとき、ついしばらく見続けるものだ。それを見上げる子どもは、大いにはしゃぐかもしれない。大人ならどうだろうか。

今朝方、ウィークデイの早朝番組「シャキット!」(tvk、テレ玉、チバテレの3局ネット)で、気象予報士(竹下愛実さん)が「飛行機雲」について絵入りで説明された。

a. 空気中に湿気が多いとき、飛行機雲の形がはっきり見える
b. 飛行機のエンジン数にしたがって、飛行機雲の本数が決まる
c. 太陽の位置と近くにある場合、飛行機雲に虹色に輝く「彩雲」が見える

(本ブログ関連:”飛行機雲 ー ”)

飛行機雲は、ひとを引き付け空へ誘うポエチックなようであるが、気象との関係からいえば、雲がくっきり見えるほど後々の空模様はかんばしくないという。

ところで、上記にあげられた「彩雲」には旧海軍の偵察機の名にもあって、機体の美しさから「タロン(T-38)」、「フランカー(Su-27)」と合わせて興味深い航空機だ。

(本ブログ関連:”飛行機”)

飛行機雲の言葉から、荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)とそれを主題歌として採り入れた宮崎駿の長編アニメ「風たちぬ」(2013年)を忘れることはできない。


(Youtubeに登録のc22mmt7yyに感謝)

2019年9月26日木曜日

(資料)対談「わしらを育てた闇市の流儀」

哲学者木田元氏(きだ げん、1928年~2014年)とジャーナリスト徳岡孝夫氏(とくおか たかお、1930年~)の対談「わしらを育てた闇市の流儀」が雑誌「文芸春秋」(2014年9月号)に掲載されている。

木田元氏は、2014年8月16日に亡くなられている。上記雑誌の実質の発行時期と重なることになる。当然ながら、対談自体はそれ以前に行なわれたのだろうけど。

対談では終戦直後の「闇市」の経験が語られるが、語りはいたって飄々とした体であり、却って気負いのなさに真実が伝わる感がする。なにしろ、当時の若き木田氏の身過ぎ世過ぎときたらピカレスク小説をほうふつさせるのだから驚愕する。

(本ブログ関連:”戦争”)

いきなり余談だが、わたしが若いころ新聞記者だった方から聞いた話に、戦時中の一高出身の東大(旧制第一高等学校・旧制東京帝国大学)の理学系学生は、学徒動員をまぬがれて軽井沢に温存されていたという。まさに記者当人の話であり直接聞いたことだ。
一方、戦時中・終戦後をようやく生き延びた若き木田氏は、超エリートたちのような待遇を望むべくもない厳しい環境に置かれていたわけで、生きるための知恵のかぎり振り絞っていた。

上記対談の最終のテーマ「戦争体験は伝わるか」で語られた、木田、徳岡両氏の発言を次に記載させていただく。(抜粋)
---------------------------------------
木田】   戦後、時間が経つにつれ、戦争体験という言葉がしきりに言われますよね。そして「戦争体験が伝わらない」という。
でも、私は、戦争体験を伝えるということ自体が無理なんじゃないかと思うようになっているんです。数年前に「戦争と文学」(集英社)という戦争にかかわる文学作品を集めた全集が刊行されました。これを読むと、どうもそれぞれの世代がそれぞれのやり方で、自分たちの戦争体験みたいなものを作っているように感じたんです。

徳田】   どういうことですか?

木田】   つまり「これが正しい戦争体験だ」なんてあり得ないような気がするんです。全集の中のどの作品が戦争体験を正確に伝えているか、検証できる性質のものではないのです。
「戦争と文学」でいえば、編集委員は戦後五〇年代に生まれた方々ですから、私と感覚が違うのは当然なんです。先の戦争を知っている私たちだって、その前の日清戦争や日露戦争については、今の若い人と似たようなものでしょう。それはしょうがないことで、なにか訂正するといって何を基準に訂正していいのか。
ーーーーー

徳岡】   来年は日本の終戦から七十年かもしれませんが、ベトナムの終戦からも四十年なんです。僕はあのときサイゴン(現・ホーチミン)にいて、日本の終戦に次いで二度目の終戦を見ました。
陥落を見届け、帰国してびっくりしたのは、あれほどベトナム、ベトナムと叫んで、デモだなんだと大騒ぎしていた日本人がまったく無関心になっていたこと。新聞も大型連休をどう過ごすか、なんてネタが紙面の大きなテーマになっている。アホらしくなりましたね。やっぱり、われわれは我が身に近い戦争しか見ていないんですよ。ある意味では、人間としてはそれで健康なのかもしれませんが。

木田】   ですから、さも正解があるように「あの体験」というけれども、口にすると無責任な気がして仕方ないですね。・・・
ーーーーー

徳岡】   歴史から教訓を得るというのは、必ずしも最良の手段ではないらしいですよ。
ーーーーー
---------------------------------------

婉曲に語られているようだが、戦争経験のない戦後生まれに戦争体験の意味を勝手に掠め取られていくようなおもい(危惧)がしてならないのではないか・・・と、そんな風に感じるのです。

2019年9月25日水曜日

プロペラカフェで昼食

歯科治療の後、すぐに食事ができないとのことで、快晴の天気に浮かれて「調布飛行場」まで散歩に行ってみることにした。休憩と昼飯は、いつものように飛行場隣接(正確には敷地内)の「プロペラカフェ」に寄るつもりだった。

(本ブログ関連:”調布飛行場”、”プロペラカフェ”)

公道から飛行場敷地に入るときゲートがあって、氏名と電話番号の記入を求められた。昨年からチェックが厳しくなったという。始めてのことで驚く(以前はフリーパスだったのに)・・・来年のオリンピックに向けて、セキュリティが強化されたのだろうか。

プロペラカフェの昼食時に、何を頼んだかうろ覚えだったので、運ばれてきたものに手をつけたところどうやら間違いで、急遽注文をそれに変更してもらう。なにしろ、わたしの気持ちはガラス戸越しの滑走路にあったのだから。

そのとき、ボディーにライトグリーンの横線が走る共立航空撮影の単発ターボプロップ機「セスナ208」 (JA8895) が飛び立つのが見えた。食事にじゅうぶん時間をかけて、他機の離発着の機会を待ったが、時間帯が塩梅よくなかったせいか見ることができなかった。その後、意外にも上記のセスナ208が着陸したのを見届けてカフェを出た。

飛行場敷地の隣りに続く公園を横断しているとき、飛行場南端の滑走路に新中央航空(NCA)の高翼双発機「ドルニエ228」が離陸待機しているのが見えた。合わせて、北側にある東邦航空の格納庫脇にTV朝日のマークのあるヘリコプター「ユーロコプターEC135」が着陸した。すぐさま、ドルニエ機が北へ向けて飛び立った。素早い変化ある場面を見せてもらった。

EC135

2019年9月24日火曜日

知恵泉 - 大久保長安

NHKの番組に、肩のこらぬよう居酒屋風セットで歴史人物評する「知恵泉」*がある。今晩(22:00~22:45)視聴した。徳川創成期に家康の家臣として従った「大久保長安(ながやす/ちょうあん)」について、司会者と3人の話者**が出演した。
(*)https://www4.nhk.or.jp/chieizu/x/2019-09-24/31/32766/1494231/
(**)出演: 小説家真山仁、東京大学史料編纂所教授山本博文、ハードキャッスル エリザベス、司会新井秀和

江戸の歴史と鉱物趣味から、興味深い人物「大久保長安」を以前のブログで触れたことがある。上記番組では有能な人物として焦点をあてられたが、人間らしい別の面も浮かんでくるかもしれない・・・番組の最後にさらりと触れられたが。

(本ブログ関連:”八王子 - 千人同心”、”鉱山 - 山師”)

猿楽師の家に生まれた大久保長安は、いってみれば(武家としての背景がないことにより)裸一貫で、武田信玄から徳川家康の家臣として渡り歩き出世したようだ。この辺りの肝が座った強さもあって、あらたな都市計画や鉱山開発の使命を実現したのだろう。

① 八王子の街づくり
 ・砦の機能を合わせ持った商業都市をつくる
 ・防備に、旧武田の流れを持つ人脈による「八王子千人同心」をあてる
 ・治水に、旧武田の治水技術「信玄堤」を採用する

② 鉱山(金山・銀山)経営
 ・人の采配として、プロジェクトマネジャー「山師」を重用する
   - 労働成果の分配に工夫する
 ・精錬技術として、「灰吹法」から「アマルガム法」を採用する

③ 一族の繁栄とその後の子孫の悲惨な終焉
 ・(もしかしたら、結局は歴史に利用されただけかもしれないが)

2019年9月23日月曜日

秋分の日 2019

きょうは、二十四節気の「秋分」と重なる、昼と夜の長さが同じという「秋分の日」。でも空は鈍く曇りときたま強風が吹き、台風(17号)の余波を感じる。祝日気分には遠いというか薄いようだ。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

天体の動きから、実際は昼の時間が少しだけ長いという。ウェザーニュースの記事「二十四節気  / 『秋分』季節は少しずつ冬へ」*(9/23)は、きょうの日の出から日の入りまでの時間が、12時間9分という。つまり、9分だけ夜より長いことになる。
(*)記事: https://weathernews.jp/s/topics/201909/220055/

・昼の時間:12時間9分
・夜の時間:11時間52分

そのうえ大気の屈折で、地平線下の太陽が微妙な時間見えるため、更にもう少し長く感じることになるという・・・けれど、あいにくの曇り空。

ところで、今日を含めて今年も残り100日しかない。これから昼間は短くなるし、日めくりカレンダーも一枚はがすたび揺れが大きくなる。

街に出れば、何処のショーウィンドウも秋物ばかり。お洒落に敏感でないわたしでも、商品の色合いの変化には気付くというもの。そういえば公園の小川のそばで「赤とんぼ」を見かけた。もしかしたら「ウスバキトンボ」だったかも知れないが。

(本ブログ関連:”赤とんぼ”)

というわけで昨日につづき、ちあきなおみの「紅とんぼ」(吉田旺詞、船村徹曲、1988年)を聞こう。

(本ブログ関連:”紅とんぼ”)


(Youtubeに登録の392kidに感謝)

2019年9月22日日曜日

雨に濡れてる 黄昏の街

夜の雨、それもしとしと降りの雨音を聴きながら、ちょっと気分にひたりたいとき、「黄昏のビギン」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)はぴったりな曲だ。もともと「水原弘」(1935年~1978年)の1959年の歌だったが、私には「ちあきなおみ」(1947年9月17日~)の歌が好きだ。彼女へのファンは今も根強いという。

(本ブログ関連:”黄昏のビギン”)


(Youtubeに登録のfkazz duffeyに感謝)

2019年9月21日土曜日

「これは何の花?」への回答いただきました

昨日のブログに「これは何の花?」として、一昨日(9/19)に高架線下で採集した野草の名(ネットの画像検索から「ウラジロフジウツギ」ではないかと素人判断したもの)を、自然観察園にある公園管理センターで確認を願ったところ、本日次のような回答があったので記す。合わせて、昨日のブログに同じ内容を<追記>した。

「フジウツギの仲間で、『フサフジウツギ』、『トウフジウツギ』のどちらかではないかと思われる」とのこと。フジウツギ属であることが分かった。

・フサフジウツギ、トウフジウツギについて、ネットで検索したところ、Wikipediaの「フジウツギ属」の紹介文に(「ウラジロフジウツギ」の説明の後に)次の解説がある。
----------------------------------------------
数種が園芸用に栽培されており、特によく栽培されるのがフサフジウツギ(ニシキフジウツギ)B. davidii である。これは極端に寒い地域を除いて栽培しやすく、野生化することも多い。フサフジウツギは中国原産とされるが、秩父で野生状態で発見されたため、チチブフジウツギの別名がついている(在来種とみる説もある)。

そのほかオレンジ色のB. globosa や、ライラック色のB. alternifolia、またB. x weyeriana (B. globosa x B. davidii) などの交雑種が栽培される。沖縄県では中国原産のトウフジウツギB. lindleyana がよく栽培されている。
----------------------------------------------

2019年9月20日金曜日

これは何の花?

鉄道の高架線下にある空き地に入らぬよう金網の囲いがあって、辺りに薄紫の愛らしい小花が群がって咲く野草がある。実は、昨日(9/19)、その場を通り過ぎたとき目に留まった。帰宅後、(簡易版の)野草図鑑を参照したが見つからない。タデ科の植物ではないかと思ったりしたが気になって、今日あらためて現地におもむき、写真に撮り、あわせて採集した。それを教示いただきたく、公園にある管理センターに持参した。

あいにく、植物分野の担当者がいないとのこと、対応いただいた方があらためて写真に撮って専門家へ問い合わせてくれて、そのうえで回答いただけるという。その手間に恐縮しつつお願いした。

自生地で撮影したもの

一方、自分で撮った写真を基に「Google画像検索」で調べたところ、見た目がかなり近い感じのものが見つかった。上記の回答いただく以前のこと、あくまで素人判断だが。サイト「花図鑑」*に掲載の「裏白藤空木(ウラジロフジウツギ)」に似ている気がする。
(*)図鑑: http://hana-zukan.net/334hujiutugi.html

Wikipediaで「フジウツギ属」について参照したところ、「ウラジロフジウツギ」について、「日本にはフジウツギB. japonica と、ウラジロフジウツギB. curviflora が自生する。フジウツギ(藤空木)の名は花序の様子や色が藤に似ていることから。」と記されていた。フジウツギ属の花は美しいので、園芸用に栽培されている・・・というのも分かる気がする。正解は、後日いただく回答で知ることになるのだが。


(追記:9/21)
自然観察園がある公園管理センターの担当者の方から次のような回答をいただいた。
フジウツギの仲間で、『フサフジウツギ』、『トウフジウツギ』のどちらかではないかと思われる」とのこと。フジウツギ属であることが分かった。
・フサフジウツギ、トウフジウツギについて、ネットで検索したところ、Wikipediaの「フジウツギ属」の紹介文に(「ウラジロフジウツギ」の説明の後に)次の解説がある。
----------------------------------------------
数種が園芸用に栽培されており、特によく栽培されるのがフサフジウツギ(ニシキフジウツギ)B. davidii である。これは極端に寒い地域を除いて栽培しやすく、野生化することも多い。フサフジウツギは中国原産とされるが、秩父で野生状態で発見されたため、チチブフジウツギの別名がついている(在来種とみる説もある)。

そのほかオレンジ色のB. globosa や、ライラック色のB. alternifolia、またB. x weyeriana (B. globosa x B. davidii) などの交雑種が栽培される。沖縄県では中国原産のトウフジウツギB. lindleyana がよく栽培されている。
----------------------------------------------

2019年9月19日木曜日

「身近な雑草の愉快な生き方」

公園にある「自然観察園」で紹介される草花を見ていると、たしかに野の草々に違いないが、この環境で育ったればこそのエリートのような気がしてくる。もちろん、観察園にはこれからも訪れて観察するつもりである。

同時に、道端に咲いている雑草の花にも気になるものだ。今日も、タデ科の植物だろうか、まるで穂先に薄紫の小さな花弁が群集している姿とすれ違ったりすると、一瞬目がとまったりする。雑草とはいえ、微風に優雅に揺れている様は気になるものだ。

先日、書店で楽しい文庫本と出会った。見なれた雑草について、植物学者か(一般読者にとって)裏話のような話題を提供してくれる、ちくま文庫「身近な雑草の愉快な生き方」(稲垣栄洋著、静岡大学教授)の最初の話は「スミレ」だ。花弁の不思議な構造や、実(花粉や種)と昆虫(アリやハナバチ)の関係の不思議さを教えてくれる。子どもたちにも聞かせたい。そして、彼らが関心を持ってくれたらどんなに素晴らしいことだろう。

次のYoutubeで、稲垣栄洋氏が「ヨモギ」の <葉> について記した、上記文庫(「身近な雑草の愉快な生き方」)の話を、NHKの老人向け深夜番組「ラジオ深夜便」で直接聞くことができる。文庫本には、まだまだ他の雑草の生存戦略について、絵入りでたくさん紹介されている。雑草がもっと身近になる。

(登録者の注に「写真はヨモギではありません」とあるのでご注意を)

(Youtubeに登録のroy0135に感謝)

2019年9月18日水曜日

秋の社日 2019

まだ晴れ間があった午前中に外出することにした。天気予報では、昼過ぎから本格的な雨降りになると報じていたからだ。それでも路の途中、小雨に一瞬会った。その後、用を済ませて家に戻る途中、雨がぱらついた。帰宅して玄関ドアを閉めた瞬間、外でザザザという雨音がした。やはり雨かと、戸を開けて確認する気もなかった。

今日の日めくりカレンダーに「社日」とある。このところ歳とともに、暦にある昔のひとびとが感じたであろう季節感を知りたい思いがする。なにしろ、社日の言葉を初めて知った訳で、そんなとき頼りになるWikipediaを見れば、次のよう解説がある。
-----------------------------------------------
社日(しゃにち)は、雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春(2019年3月22日)のものを「春社(しゅんしゃ、はるしゃ)」、秋(2019年9月18日=戊午)のものを「秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)」ともいう。古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。

春分または秋分に最も近い「戊(つちのえ)」の日が社日となる。・・・
-----------------------------------------------

ところで、時事通信の jiji.com は、記事「大嘗祭の『斎田』決まる=栃木と京都 - 宮内庁発表」*(9/18)で、「大嘗祭」の斎田の地を発表した。(抜粋)
(*)記事: https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091800879&g=soc
-----------------------------------------------
宮内庁は18日、11月の大嘗祭で使われる新米の産地の「斎田(さいでん)」が、栃木県高根沢町と京都府南丹市の田に決まったと発表した。近く米の収穫儀式「抜穂(ぬきほ)の儀」が行われる。
-----------------------------------------------

今日の「社日」と、大嘗祭の「斎田」の地の発表がたまたま同じ日だったのか、それとも「産土神」を通じて日が合ったのか、知識のないものに分からないけれど・・・興味深い。

秋雨に冷える。自宅でとうとう熱いコーヒーを飲んだ。今までは、冷蔵庫にある冷えた麦茶しか飲まなかったのに。

2019年9月17日火曜日

ちいさい秋

「栗」林のイガグリが膨らんできたというに、農家は切り取る気配がない。傍を通りながら、もう十分だろうと思えるものがあるのだが。ここ数年、栗に病気(伝染?)があったようで、立ち枯れしたものもあった。そのせいか、いまだに林全体の生育は不均衡で、実が痩せたままのものもある。

もうひとつ気付いたことがある。小学校の生垣に、真っ赤な「ヒガンバナ(曼珠沙華)」が咲いていたことがある。誰かが秋の印にと植えたのかもしれない。だが、この花には別に不吉な意味合いもあって、小学校という場に似つかわしくないと抜き取られたようだ。曼珠沙華の茎がひとつもないので気付いた。

そんなわけで、身の廻りに秋を見つけるのはむつかしい。童謡「ちいさい秋みつけた」(サトウハチロー作詞・中田喜直作曲、1955年)で、気持ちだけは秋を見つけられればと思う。

(Youtubeに登録のseesr2に感謝)

2019年9月16日月曜日

敬老の日2019と公園の倒木

先日(9/8~9)の台風15号による、公園の倒木被害についてはブログにすでに記した。今日、先日とは違った公園のエリアを見回ったところ、写真のような激しい光景を目にした。あまりな状況なので、他の来園客と台風被害のすさまじさについて少々雑談したほど。

(本ブログ関連:”2019年 台風15号”)


祝日「敬老の日」になんだが、大樹といえど強風を受ければ弱ったものからいずれ倒れていくしかない。写真の倒木もしかり。ヒトも見かけは元気そうでも、あるいは若々しくきれいに装っても、その内臓は歳相応に等しく老いているという。

(本ブログ関連:”敬老の日”)

命の循環でいえば、草食動物の集団が肉食獣に襲われるとき、狙われるのは病弱や老衰したもの、あるいは誕生して間もないものたちだ。それらは、生態系の最上位者たちから順に喰われ、最終的に草原に腐敗物が残らないよう消化される。一方、公園に人工的に植樹された樹は、台風で根元から折れた場合、公園管理者の手により、チェ-ンソウで細分化して取り除かれる。

自然なものは自然に消えていくが、人工的なものは人工的に始末するしかない。

2019年9月15日日曜日

お肩をたたきましょう タントン タントン タントントン

今日(9/15)から「老人週間」が始まる。それに伴い、9月の第3月曜日(9/16)が「敬老の日」となる。以前は、9月15日を「老人の日」と呼んだ。老人となる境い目はいつか。本人の意志以外に、医療や年金制度の課題から定義が揺れている。

孫が生まれたら、親族名称で「祖父・お爺ちゃん」であり「祖母・お婆ちゃん」になるのを受け入れたがらない人が多いようだ。親族名称を避けた(日本語化した)「シニア」という区分もある。確かに、楽隠居できる歳でもなく、将来が不安でもある。だからこそ、年寄の肩を小さな孫がたたいてくれる光景があれば、本当に微笑ましい。

童謡「肩たたき」(西条八十 作詞、中山晋平 作曲:1923年・大正12年)のようにして、爺さん・婆さんが「お肩をたたきましょう タントン タントン タントントン」といわれたなら羨ましいだろうが、実際は母親を思う子どもの願いだ。
--------------------------------
母さん お肩をたたきましょう
タントン タントン タントントン

母さん 白髪がありますね
タントン タントン タントントン

お縁側には日がいっぱい
タントン タントン タントントン

(以下略)
--------------------------------

歌詞に、母さんの髪に白髪を見つける部分がある。童謡のやさしい響きから、小さな子どもと若い母親の情景を思い浮かべてしまうかもしれないが、母に老いを発見する場面でもある。


(Youtubeに登録のKAZEKOZOU69に感謝)

2019年9月14日土曜日

ビールフェスティバル

中央線の武蔵境駅前で開催中の「ビールフェスティバル」*(9/13(金)~9/16(月))へ出かけてみた。中央線に点在する12のビール醸造所が集い、自慢のクラフトビール(地ビール)を味あわせてくれるという。(2018年に初回開催以来、今回で3回目とのこと)
(*)ビールフェスティバル: https://chuo-beer.com/

(本ブログ関連:”クラフトビール”)

駅に隣接する広場に、ビール醸造所とビールに合った肉料理のフード店がそれぞれテントを張って囲んでいた。その中央には、テーブルがいく列も並び、いろいろな組み合わせの客が楽しそうに飲み食いしながら談笑していた。満席の盛況振りだった。

中央線につながる青梅線の終点「奥多摩」駅近く、日原川沿いにあるという醸造所「VERTERE」の屋台で黒ビールを頼んだ。さっぱりした飲み心地で、軽いアルコール飲料といった風情。そしてフードに選んだのは串焼きソーセージ。組み合わせもちょうどよい。・・・他のクラフトビールも味わいたいが、屋台を飲み歩くほどの気力は乏しい。まだ残り2日間もあるではないかと、ひとまず我慢した。

会場近くにある書店で、万葉集の歌と地誌を合わせて紹介す年配者向けの本を見つけた。気負わずのんびりと読んでみたいと思う。だんだんそのように自覚してきている。

2019年9月13日金曜日

十五夜、ヤブラン

曇り空の今晩、月齢13.7の月を見るのはむつかしそう。旧暦8月15日の今夜は、実は「満月」の前夜でもあるが、「中秋の名月」すなわち「十五夜」に当り、みなで「月見」を楽しむ風習がある。

「自然観察園」の帰り道、ススキの穂をしっかりと握った子どもを乗せたママチャリが追い越していった。また、「月見だんご」を求めて寄った和菓子屋で、私の後ろにおさない子連れの家族がつづいた。今晩の空模様では月が見えないかもしれないが、きっと家族団らん「月見」で賑わうことだろう。ちなみに、10月初旬に商店団体による祭り「お月見のつどい」が開催されるという。

話の順序が逆になるが、月見だんごを買う前に自然観察園へ行った。閉園ぎりぎりのため、しかも園内放送で退園をせかされて、「ヤブラン(藪蘭)」の花・実を見るのが精一杯だった。この花について、手持ちの <山野草の図鑑> の写真と随分違うため、自然観察センターで確認した・・・。

(本ブログ関連:”ヤブラン”)

観賞(園芸)用のものと違い、スッと伸びた葉の両サイドが班(ふ)入りのものではない。つやつやした緑色の小さな実が、淡紫色の花弁と並んでいるのが印象的だった。(次のヤブランの写真はピンボケなので残念)

2019年9月12日木曜日

暑さ寒さも彼岸まで

まだまだ暑さが残る。ここ一週間、「東京都心の最高気温」は次表の通りで、30℃以上の「真夏日」と、35℃以上の「猛暑日」が交わっていたが、はたして今日になって 30℃を切った。それでも、25℃以上の「夏日」であることに違いはない。

月/日  最高気温℃
--------------------
9/6(金)   32.9
9/7(土)   33.5
9/8(日)   33.3
9/9(月)   36.2
9/10(火) 35.6
9/11(水) 32.3
9/12(木) 28.7
--------------------

東京の気温は、明日以降、急に降下して最低気温が(20±2)℃、最高気温でも(27±1)℃くらいになるようだ。まさに「暑さ寒さも彼岸まで」で、Wikipediaによれば、「概ね『秋分』*までは、夏の季節現象では猛暑日・真夏日・熱帯夜になることもある」と残暑の可能性を示している。
(*)秋分の日: 今年は 9月23日

気象協会のtenki.jpの記事「しばらく残暑、台風に注意 一か月予報」**(9/12、18:44 徳田留美)は、暑さ寒さも彼岸までの通り、次のように記している。(抜粋)
(**)記事: https://tenki.jp/forecaster/r_tokuda/2019/09/12/5926.html
--------------------
9/14~20: 関東と東海は湿った空気の影響で、平年と同様に曇りや雨の日が多いですが、湿気が多く、蒸し暑いでしょう
9/21~27: 関東と東海は、引き続き湿った空気の影響で、平年と同様に曇りや雨の日が多いでしょう。気温は平年並みで、涼しい日が増えそうです
--------------------

ところで、9/8~9に襲来した「台風15号」の災害が凄まじい。台風一過の先日(9/9)訪れた公園とは別の公園に今日行って見た。大変なことになっていた。公園内の自然再生のゾーンとの境目にある塀(鉄網)が、倒壊した巨木によってペしゃんこに押しつぶされていた。あちこちに、落下した大きな枝が散在していた。(それらは「立入禁止」のポリエチレン・テープで囲われていた)
なにより、千葉県の停電に驚いた。修復の難しさから、電気に依存する社会(水道、都市ガスも同様)の脆弱さをあらためて感じた。こんなことでは、電気がなければ実用しないキャッシュレスの将来なんて信用してよいのか不安だ。(大停電では、現金があっても何の役にも立たないようだが・・・3日も経てば店頭から食料品は消える)

2019年9月11日水曜日

二百二十日 2019

午前中は晴れ、午後から曇り、夕方になって土砂降り。このところ、このパターンが多い気がする。帰り道に夜空を見上げれば、薄雲の先に月がぼんやり浮かんでいる。春の季語に「朧月(おぼろづき)」があるが、秋口の場合なんと呼ぶのだろうか。ネットを検索してみると「薄月(うすづき)」とある。

さて、朧月といえば、映画「絵日傘」(長田幹彦作詞、佐々紅華作曲:昭和5年/1930年)の主題歌「祇園小唄」に歌われる。この歌は祇園の四季を歌っている(実は随分と色っぽいのだが)。始まりの「月はおぼろに東山」は、春の「朧月」明かりをさす。秋については、静けさの中に聞こえる(際立たせる)「瀬音」や「鐘」の音、さらに「秋風」に象徴させている。
------------------------------
鴨の河原の水やせて
咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
枯れた柳に秋風が
泣くよ今宵も夜もすがら
祇園恋しや だらりの帯よ
------------------------------

「祇園小唄」の秋に、台風の気配はないが、今日は雑節の「二百二十日」。Wikipediaによれば、「八朔(旧暦8月1日)・二百十日とともに、天候が悪くなる農家の三大厄日とされてきた。統計的には、台風は二百十日から9月下旬にかけて襲来することが多く、二百十日よりも二百二十日の方を警戒する必要がある。」とのこと。

(本ブログ関連:”二百二十日”)

先日(9/8~9)の台風15号を思えば、確かにこの近傍の方が農家にとって「厄日」ということが分かる。今日にしても、夕方の土砂降りは台風15号が吹き落とした後の木の枝や葉を再び散乱させた。台風の余波はしぶといようだ。

2019年9月10日火曜日

今日も「猛暑日」

昨日に続いて今日も暑かった。東京都心の最高気温は、昨日 36.2℃(13:34)、今日は 35.6℃(12:30)。9月に2日連続して 35℃以上の「猛暑日」になるのは 27年振りとのこと。

気象庁「気温に関する用語
----------------------------------------
・夏日: 日最高気温が25℃以上の日
・真夏日: 日最高気温が30℃以上の日
・猛暑日: 日最高気温が35℃以上の日
----------------------------------------

おかげで出歩く気にもなれず、一日家にこもっていた。それでも、夜になると秋の気配に変わりはない。どこか落ち着きを取り戻したように感じる。ところで、数日前の夜にあった虫の音が、今夜は聞き耳を立てても聞こえてこない。余りの暑さにげんなりしたのだろうか。

台風一過の昨日、公園で、胴が極めて細い黒色の羽をした「カラストンボ」が草の上にふんわりとまるのを見たことを思い出した。蝶のように舞うのが特徴のようだ。カラストンボという呼び名は子どものころのことで、正式には「ハグロトンボ」という。でも、ハグロトンボと口にしてしまうと心地よくない。子ども仲間(世界)から外れたような気がする。

8月気分がまだ抜けきっていないようだ。ならば冷たいビールを楽しみたい。9/13(金)~9/16(月)まで、中央線のある駅前で「ビールフェスティバル」があるという。行ってみようかと思う。

2019年9月9日月曜日

重陽の節句

今日は、五つの節句の最後にあたる「重陽の節句」。「菊」にちなんだ節句で、その花弁を浮かべた「菊酒」を飲むという。昨日(9/8)のブログに「白露」について、仙人が「風を吸い露を飲む」との言葉を引いたが、「菊酒」も仙人が飲むという。

(本ブログ関連:”重陽の節句”)

五節句
--------------------------------
人日(じんじつ)   (1月7日)
上巳(じょうし)   (3月3日)
端午(たんご)      (5月5日)
七夕(しちせき)   (7月7日)
重陽(ちょうよう)(9月9日)
--------------------------------

菊花は、この日に縁ある花であるが、実際は秋に咲かせるもの。東京の菊花展は、10月から11月頃にかけて開かれることから、旧暦にずらして見ればよいだろう。すなわち、今日は旧暦の8月11日であり、旧暦の9月9日は、新暦の10月7日となり一ヵ月後のことになる。

ところで、台風一過の公園を覗けば、余りの惨状に驚かされた。古木は風圧に耐え切れず根元から折れていた。木立に覆われた散歩道をくぐれば、吹き飛ばされた葉や小枝が一面に落ちて、両側の草地と区別がつかないほど。先へ進むのに一瞬躊躇した。

湿気った公園を巡れば汗をかく。つい売店に寄って、冷たいものを口にふくませる。東京都心の最高気温は 36.2℃(13:34)だったという。どうりで暑いわけだ。(今年最高の「猛暑日」)

2019年9月8日日曜日

白露 2019、台風15号

今日は二十四節気の「白露」。この時期、日中に暑さが残るものの、昼夜に気温差が出て草葉に「露」がつきはじめるころをいう。東京ではまだ目にすることはない。高原の朝なら白露を実感できるだろう。その名がいいので、日本酒に白露を冠するものがあるようだ。果たしてその風味は、「風を吸い露を飲む」仙人だけが知るものかもしれないが。

(本ブログ関連:”白露”)

台風15号が接近している。Tenki.jpの記事「強い台風15号 関東や東海に接近 深夜の上陸か」*(9/8、05:14)によれば、まるで関東南部や伊豆半島付近を蹴りあげるようにして太平洋に逃げて行く感じがする。暴風が予想され、交通機関の運休が計画されている。困り者だ。
(*)記事: https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2019/09/08/5860.html
---------------------------------------
強い台風15号は、8日夜遅くには関東南部や伊豆半島付近に接近し、上陸する可能性が高くなっています。台風の接近に伴って関東から東海は、急に雨や風が強まりますので、早め早めの備えが必要です。
---------------------------------------

せっかくの日曜日、午後には雨が降り始めるという。それじゃぁ露もだいなしだろう。明日の日付に変わった深夜には土砂降りらしい。首都圏直撃になる。

(ウェザーニュース「台風15号 関東は9日早朝、大荒れ」より)

(Youtubeに登録のウェザーニュースに感謝)

2019年9月7日土曜日

夏仕舞い

民謡「会津磐梯山」に登場する小原庄助さんの「朝寝 朝酒 朝湯が大好きで・・・」を真似たところ、パソコンデスクの前でしばらく寝込んでしまい夢心地していた。だらだらと日中を過ごす・・・。

このままじゃ体が鈍ると公園散歩に出かけることにした。まだ西日がさす時刻、公園口から出てくる帰りの客とすれ違う。園内の樹上で「ミンミンゼミ」が、「ミ~ン、ミィ・ミィ・ミィ・ミィ~」と激しく鳴き続けていた。ちなみに、ミンミンゼミの地上での生活は、「7月下旬~9月上旬」とのこと。
(訂正)ミンミンゼミ: 「ツクツクボウシ」と間違えて記していたので訂正します。

ところで、セミが、地上に出て一週間の命しかないというのは誤りらしい・・・「10日以上の生存を確認」されたという。山陽新聞の記事「セミ成虫の寿命1週間は俗説! 笠岡高植松さんが生物系三学会最優秀賞」*(6/19)は、岡山県の高校生の観察研究を次のように報じている。(抜粋)
(*)記事: https://www.sanyonews.jp/article/909869
------------------------------------------
植松さんは2016年の7月中旬から9月中旬にかけて、笠岡市内の住宅地や雑木林など4カ所でほぼ毎日、この調査を繰り返し、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミなど計863匹にマーキング。15匹を再捕獲し、4匹を再再捕獲した

植松さんは「なかなか再捕獲できず、調査の効率は非常に悪かった」と笑うが、調査の結果、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミの3種で10日以上の生存を確認最長生存確認記録はアブラゼミが32日間、ツクツクボウシが26日間、クマゼミが15日間だった。
------------------------------------------

公園をぐるりと巡れば、太陽は西の果てに没したにもかかわらず、空はまだ明るい。でも確実に、日没の時間が早くなった。南の空に鈍色の雲が浮かび、南南東の風に乗って寄せて来る。

帰宅するころには、すっかり薄暗くなっていた。どこからか、ゴトゴトと物音がする。どうやら近隣の街で行われている「花火大会」のようだ。ネット情報によれば、鉄橋を渡る車窓から見える光景がよいという。来年は、行ってみようかと思う。

2019年9月6日金曜日

ロシア式紅茶

先日(8/26)のブログで、一般公開講座「ロシア・スラヴの言語と文化入門」(最終日)の帰り道に、クラスの仲間と地下鉄「茗荷谷」駅近くにあるロシア料理店「ソーニャ」へ行ったことを記した。食後にロシア式紅茶を頼んだところ、紅茶入りのガラス・カップと一緒に、ジャムを盛った小皿とスプーンが運ばれてきた。

(本ブログ関連:”紅茶”)

そのとき仲間がいうには、スプーンにジャムをすくって口に入れ、合わせて紅茶を飲むというのだ。てっきり、カップの中にジャムを入れ、混ぜて飲むものと思っていたがそうではないらしい。ためしにジャムを口にすると随分と濃く甘いけれど、熱い紅茶をふくませると、口中に蜂蜜と練り混ぜたイチゴジャムの香りが広がった。なるほど、こういう飲み方もあるのかと納得した。

ところで、むかし読んだ「オール読物」(平成18年(2006年)、5月号)に連載「とは知らなんだ」(92)の「ロシア式紅茶はどこから?」(鹿島茂著)に、ロシア式紅茶の飲み方について興味深い話題が載っていた。

仏文学者の鹿島氏がソ連時代のモスクワ空港で、フルーツ・ジュースを飲みたくて、バー・マンにフランス語でフルーツ・ジュースを頼んだところ、甘いドロドロの果汁が渡されたという。それは一体何か。沼野充義夫妻の著「世界の食文化 ロシア」の中に、次のような記載があると紹介している。孫引きになるが、「そもそもロシア式のジャムは『ヴァレーニエ』と呼ばれる果物の砂糖煮で、日本でいうジャムほど煮込まない、つまり別ものである」という。鹿島氏がモスクワの空港で口にしたのは「ヴァレーニエ」だったことになる。

その「ヴァレーニエ」と紅茶の関係について、沼野夫妻の著は、紅茶を飲む際に「お茶うけ」にするという。「ヴァレーニエをスプーンで一口食べて(舐めて?)お茶を飲み、またヴァレーニエを口に入れてお茶をすする、という飲み方だ」としている。

連載にある「ロシア式紅茶はどこから?」の後半に、日本では紅茶にジャムを溶かして飲むという習慣について、沼野夫妻の著と合わせて鹿島氏ともども由来を推測されている。ロシア革命後に亡命して来日した白系ロシア人の風習を見間違えたとか、戦後のシベリア抑留体験の中で見たソ連人の風習を日本風に解釈し直したとか、昭和三十年代の歌声喫茶でロシア式紅茶の飲み方に新解釈があったとか・・・。いずれにしても正解はなさそう。

2019年9月5日木曜日

パソコンで気分転換

パソコン作業の途中、気分転換する。仕事場じゃできないだろうが、自宅なら可能なこと。ひとつに、Youtubeにある自然の音などをバックグラウンドにして仕事するのもいい。実はもうひとつ、仕事を中断して(短時間だけ)ゲームに切り替えるのもある。それもオールドスタイルなものの方がよい。

ネットに、フリーの「スペースインベーダー ゲーム」がある。タイトルに「昔懐かしのレトロなインベーダーゲーム スペースインベーダー【無料】」*とある。機能は簡易版のようで、コメントにいくつか要望があるが、ちょくちょく遊ばせていただいている。
(*)http://game-ac.com/flashgame/shooting/space-invaders/

「スペースインベーダー ゲーム」といえば、むかしの喫茶店のイメージが浮かぶ。喫茶店といっても、スターバックスのような洒落た喫茶店ではない。どちらかといえば、脂(やに)臭くて湿気た雰囲気の店に置かれたテーブル筐体型のゲーム機だ。
Wikipediaを見ると、最も早い時期のものが「1978年(昭和53年)に発売したアーケードゲーム」とある。熱中したのは、社会人だったということになる。もっと以前に出会っていたような、錯覚というか記憶違いしていた。

次のYoutubeのゲームの敗れ方にアッパレ!


(Youtubeに登録のGame Archiveに感謝)

2019年9月4日水曜日

百日紅(さるすべり)

今が旬か、いつまでも咲きつづける「サルスベリ(百日紅)」の花をあちこちで目にする。白色から薄紅を経て紅色までさまざまな色合いを持つ。枝先に小さな花弁が群集して風に重く揺れる。その様はいかにも東洋的で古風な趣がする。あえていえば、辺りに抹香が漂う感すらするのは思い過ごしか。

(本ブログ関連:”百日紅”)

この季節、公園の木々には色数が少ない。そんな今日、昼下がり紅色の花を見た。おやこんな所にと、若い百日紅が植えられていたりする。その幹は、花と違って、樹の名の通りサルが手を滑らせるようにツルリとしている。その対比ぶりにいまだに馴染めない。

育てばかなり大きくなる。造園業者の庭先に高木となってあふれていたのを見たことがある。その様子から、民家の塀越しに覗かれる百日紅が将来どうなるか気をもんでしまう。

公園の百日紅の若木

2019年9月3日火曜日

秋の夜

天気予報の通り、午前は晴れ、午後に曇って、そして夕方から夜にかけて驟雨。夜半にいたって辺りは静まりかえる。一日せわしい空模様だった。

深夜の静けさに、唱歌「埴生の宿」の歌詞を思い出す。雨後のため、窓から見る庭には月明かりに冴え渡る青い明るさはないが、気持ちだけは古い詞の思いにひたりたい。
----------------------------
清らなりや 秋の夜半(よは) 月はあるじ 虫は友
おゝ 我が窓よ たのしとも たのもしや
----------------------------

この曲は、中学時代の思い出の合唱曲でとても懐かしい。いってみれば、合唱入門曲として最適だったのだろう。声変わりした男子のパートが、女子の声部とうまく調和して、混声合唱の楽しさを味合わせてくれた。そう、歌垣ではないが、男女で歌うことになんとなく感じていたのだろう。

今夜の秋の夜は音もない。せめて虫の音でも聞こえてくればよいものを。静すぎるのもやるせない気がする。

2019年9月2日月曜日

秋の日のヴィオロンの

秋となれば、少しメランコリックな気分になって、詩的な雰囲気にひたってみたくなるものだ。まさに気分だけ秋を味わう。上田敏の訳詩集「海潮音」にある「落葉」(仏詩人ポール・ヴェルレーヌの「秋の歌」)が浮かんでくる。

映画館で、モノクローム*画面の「史上最大の作戦(The Longest Day)」(1962年)を見たのはいつの日だったか。仏レジスタンスへの作戦開始の暗号に、ヴェルレーヌの「秋の歌」の詩が語られていた。今も印象強く覚えている。これから始まる戦いに、なんという詩的な言葉が選ばれたのだろうと思った。しかし、ノルマンディーの海岸は、すぐさま血の海に変わった。
(*)モノクローム: 戦争経験者が多数存命した時代の作品。ぼくらは世代が重なりながら時を経ることを忘れがちだ。

海岸を制圧展開する場面では、戦場の「非情」さが描かれていた。それに戦慄した。後に制作された映画「プライベートライアン」(1998年)で表現された「悲惨」さとは別種のものだ。

Youtubeに、D-dayのために送信された、ヴェルレーヌの「秋の歌」の音声(フランス語)を英語字幕したものがある。(上田敏訳「秋の日のヴィオロンのためいきの 身にしみてひたぶるにうら悲し」)


(Youtubeに登録のNickyJIlanに感謝)

2019年9月1日日曜日

二百十日 2019

今日は(今年の)「立春」(2/4)から数えて210日目。雑節の「二百十日」である。日本気象協会のTnenki.jpの記事「『知って得する季語』 ── 謎の季語『二百十日』『不知火』とは?」(8/29)*に、「二百十日」について次のように解説している。(抜粋)
(*)記事: https://tenki.jp/suppl/m_yoshino/2019/08/29/29374.html

----------------------------------------------------
「二百十日」と台風
「二百十日」とは、立春から数えて二百十日目をいい、今年は9月1日がその日にあたります。なぜあえて「二百十日」というのか。それは、日本では稲の花が咲く大事な頃でありながら、台風襲来の時季でもあり、この日を無事に過ぎてほしいという農家の願いから「厄日」ともいわれているのです。
----------------------------------------------------

(本ブログ関連:”二百十日”)

台風の経験についていえば、子ども時代に育った九州の台風では、父親が台風襲来前に木の雨戸に釘を打ちつけて固定していたこと。小学時代の東京の教室で、転校生の女の子から「伊勢湾台風」の災害を聞いたこと。今も台風被害はあるが、天気予報や土木工事の充実(警報や精度の向上)で、年々被災が小さくなった気がするが・・・。もちろん、天災は忘れたころにやって来るのを肝に銘じたいのは承知のうえ。

昨日のブログに「今年も 2/3 が過ぎた」と記したが、今日からは、1/3 しか残っていない。あっという間に過ぎていくだろう。大事にしたいと案じるが、さて如何に過ごすべきか、まとまっていない。二百十日に新風でも起こればいいのだが・・・何事もなく終わりそう。