ブログ本文&資料

2010年1月31日日曜日

鉱物のつどい

鉱物の会(栃木)の本年最初の集まりに参加する。会場が南宇都宮のため、早朝に家を出る。満月翌日の丸く赤い月が、西の空低くかかっていた。まだまだ寒さは厳しい。

主テーマの本年の進め方のほかに、次のような解説と標本提供があった。
・「劈開」についての解説と合わせて、水晶の劈開が結晶表面ではなく、結晶内部に(C軸に平行に劈開面ができ、先がフカヒレ状に広がって)存在することを標本で観察した。これまで、水晶をきちんと見ていなかったことを反省する。
・また「南田(のうだ)石」、「海緑石」と「溶結凝灰岩」、「こぶり石(菩薩石)」の解説と標本までいただく。
および「斜開銅鉱」、「鉄斧石」の標本をいただく。
・ユーモア標本として、好物名「メレンゲ」の手作り菓子が配られた。(標本は、現在胃中にある)

採集地の情報をいただいた。
・紫水晶の産地、「富井鉱山」の産地情報をいただく。従来の採集ルートとは別ルートのヒントを入手した。(毎月xаякава氏と鉱物採集しているが、来月の候補地を富井鉱山にしようということで一致した)

2010年1月30日土曜日

離れ部屋

先日(1/26)、神保町の韓国専門書店で入手した小説「離れ部屋」(申京淑著、安宇植訳)を今日からを読み始めた。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著も合わせて入手)

第1章の出だしに、第1回「大学歌謡祭(학가요제)」(1977年)で大賞受賞したグループSand Pebbles(샌드 페블즈)の曲「わたし、どうしよう(나 어떡해)」(歌詞)について物語っている。外の世界(都会)とは縁遠いところにいる16歳の少女にとって、この曲は驚きであり、「思わずからだが竦(すく)むくらいびっくりして、ラジオのスイッチを切ってしまった。」ものだったが、歌詞中にリフレインされる「ナ オットケ」が気になり、拒絶していたもののやがて歌うようになっていく。
物語は始まったばかり、これからどうなるか楽しみである。

(YouTubeに登録のorienkoreanに感謝)

(付記)
maniadbの解説によれば、「Sand Pebbles」の登場は、以後80年代までグループサウンドの全盛期を開く出発点となった貢献を記している。
・「申京淑」については、本ブログの'09年の6/77/24に記載。

2010年1月29日金曜日

しかけ絵本

孫に絵本をプレゼントしたいが、まだ10ヶ月を越えたところなので、本に遊びがなければならないだろう。そこで、見て楽しい「しかけ(細工)絵本」を探している。

1月の絵本は、ヒヨコの羽毛、サメの肌、カメレオンの舌など触ったときの感触を模擬できるもので、文字はほとんどなくて、動物の姿絵を見て、触って楽しめる絵本だ。
ところで絵本は紙で作られているので、子どもの手で容易に破けてしまうが、それでよいと考えている。孫は絵本を楽しそうに触る分、ちゃんとしかけを破いてくれる。大いに結構、本に親しんでくれればよいわけだから。

2月は、孫が手持ちできる程度の小型の絵本で、いろいろな色を細工を通して楽しめるものだ。いづれしかけ絵本に慣れたら、次は物語絵本に関心を向けてくれれば良いと思っている。

ところで、最近のしかけ絵本はスゴイ。凄まじいほどの細工が施されている。喜ぶのは大人なのかもしれないものがある。
(YouTubeに登録のmakototosotoyamaに感謝)

2010年1月28日木曜日

7080世代の好きな曲

一昨年のことであるが、KBS1音楽番組「コンサート7080(콘서트 7080)」は200回放送('08.11.3)にあたり、全国の満39歳以上~59歳未満の男女ネットユーザー1,988人を対象に、70〜80年代の国内歌謡の中から好きな曲を、10曲以上30曲以内で選んでもらった。(hanafos_shopKBS World掲載より)

1位~10位の結果は次の順の通り。
・ヤン・ヒウン(양희은): 朝露(아침이슬)
・キム・ヒョンシク(김현식): 私の愛、私のそばに(내사랑 내곁에)
・チョー・ヨンピル(조용필):友よ(친구여
・オニオンズ(어니언스): 手紙(편지
・イ・ヨン(이용): 忘れられた季節(잊혀진 계절)
・ソン・チャンシク(송창식): 鯨狩り(고래사냥)
・シム・スボン(심수봉): あの時、あの人(그때 그사람)
・ノ・サヨン(노사연): 出会い(만남)
イ・ソンヒ: Jへ
・キム・ジョンホ(김정호): 見知らぬ少女(이름 모를 소녀) 【ケイ・ウンスクのコンサート版も良い!】

(YouTubeに登録のakirafuse、VetteCruiser63、orienkorean、cfs814539に感謝)

2010年1月27日水曜日

韓国仏教について

韓国仏教の概要を、日本の仏教と対比して紹介している論文「韓国仏教の特質 : 日本仏教のそれとの対比において」(前田 恵學著:愛知学院大学文学部紀要 6 、1976)を読む。
日本と韓国の仏教の相違を、「結び」の中で端的に「選択の仏教と総合統一の仏教」と語っている。
・「日本仏教では多数の経典や教説の中から最もすぐれた一つを選びとり、完成した人が宗祖として尊敬せられる。」とし、鎌倉時代を、「それまでの輸入移植の古代仏教を革新し、真に日本的な仏教を成立せしめた時代」と特筆している。
・「韓国仏教では、異なった特色を有する多数の宗派や潮流を会通し融合調和させた人が仰がれる。」とし、「朝鮮半島における(仏教の)関心は、中国においてすでにいくつかの宗派や潮流に分かれていた仏教を、いかに総合し会通するかに関心が向けられていた」という。

仏教の素養全くないが、韓国仏教についてこれから調べてみたい。イ・ソンヒの音楽環境のヒントを知りたいからだが・・・。(本ブログ関連:'09/11/7

(付記)
ところで、韓国の寺刹は檀家制度ではないそうだ。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著)

2010年1月26日火曜日

みかん

NHKテレビで、近年ミカンの売り上げが減少傾向にあると紹介されていた。市場の仲買人がインタビューに答えて、家族で炬燵を囲む生活スタイルが減ってきていることを要因にあげていた。ミカンと平行して炬燵も売り上げが減少しているグラフが表示された。
炬燵の四方にひとが座ったらテレビが見えませんねと、司会者が語っていた。テレビのせいだけではないだろうが、みなで炬燵に暖まり、ミカンの皮をのんびり剥きながら、談話する余裕までなくなったのだろうか。

ところが、要因はそれだけではなくて、ミカンの皮を剥くこと自体面倒だとか、女性の爪(のマニュキア)を汚すからとか、いろいろ説明されていた。ティッシューをミカンにかぶせて皮を剥いている映像を見たときには、さすがにたまげた。実際、こんなことをしているのだろうかと思ったりもしたが。
しまいには、皮剥き済ミカンの商品まで登場した。時代は変わってしまったと思わざる得なかった。

足腰を炬燵で暖めて、ちょっと喉が乾いたとき、冷たいミカンを食うのは美味い。ファンヒーターで部屋全体暖めたときは、それこそオレンジジュースとか、アイスクリームが合うのかもしれない。

テレビを見て思い巡らし、炬燵から抜け出て、台所のミカンを炬燵の上に運んだ。そして立て続けミカンを食った。炬燵で食うミカンはやっぱり美味い。

(付記)
神保町の韓国関連の専門書店で、太古宗の寺院リストを見せていただいた。イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄」(ぼんばい:범패【参考:NAVER百科事典】)の伝授をしていた寺院を知りたかったからだ。(彼女の歌唱に仏教音楽の唱法が影響しているかヒントをつかみたい)
父親の寺院があるのは、彼女の本籍地の保寧なのか、それとも小学校を通ったソウル梨泰院地区近くにあるのか、候補をあげたかったからだが・・・難しい。
(本ブログ関連:'09/12/261/7

2010年1月25日月曜日

天の賜物

イ・ソンヒの歌唱について、小柄で信じられないほどの<爆発的な歌唱力>、<清々しい高音と突き出す直接的声量>と讃えられることが多い。

イ・ソンヒが、昨年初('09.1.4)のKBS2「ハッピーサンデー-不朽の名曲スペシャル」の番組に出演した際、司会の「20年前と声が変わっていない」という問いかけに対して、「私の声は、天がくれた贈り物」とこたえている。ただし、「普段、声を大きく出す方ではない」と声を大切にする生活習慣を語っている。(eNewstoday:2009.1.4

そして他番組でもそうだったが、現在の人生を語る彼女の静かでシャイな話しぶりこそ、いわれる上記イメージを内包しながらもそれを既に脱却している根拠となるのかもしれない。
彼女の新しいアルバムや、ツアーコンサートについて、今年も話題が早く出ることを待っている。

(本ブログ関連:全て2009年7/258/2711/7

2010年1月24日日曜日

歌謡曲の語彙

国立情報学研究所の「論文情報ナビゲータ(CiNii)」で「韓国歌謡」を検索してみたところ、「韓国歌謡曲の語彙の頻度分析」(劉 美貞、大分県立芸術文化短期大学研究紀要 43, 151-167, 20060131) という論文を見ることができる。

1920年代から1990年代までの歌謡曲について、語彙分析して頻出度合いの高い語彙を紹介している。当然ながらイ・ソンヒの「Jへ(J에게)」も含まれる。
そこで分かりやすい「情意」に関する語彙について見ると、次のもがあげられている。
・高頻度:「사랑(恋)」、「사랑하다(愛する)」、「울다(泣く)」、「눈물(涙)」、「아(ア)」
・形容詞:「슬프다(悲しい)」、「그립다(懐かしい)」

CiNiiは学術論文など信頼度の高い資料をいろいろと検索できる。

2010年1月23日土曜日

坑夫

日頃、鉱物採集に出向く茨城県の錫高野(すずごや)は、高取鉱山と背中合わせである。錫高野の名の通りスズ石、および鉄マンガン重石(タングステン)などを採取できる。一方、高取鉱山は現在も排水処理が行われており、一般の入山禁止である。

高取鉱山を舞台にしたといわれる小説に宮嶋資夫著の「抗夫」(大正五年、1916年)がある。茨城県の鉱山に関わるものをチェックしていて、同県の筑波書林という地方出版社の「ふるさと文庫」シリーズの1冊として収められているものを見つけた。
⇒同小説は、日本ペンクラブの「電子文藝館」のpdf版で読むことができることを発見!!

小説は、血と腕力の主人公の抗夫が、行き場のない苛立ちのまま、暴力と本能を頼みに生きようとする物語である。当時の抗夫の悲惨さは、主人公の父親が抗夫病(よろけ)になり死期を覚り行方不明になること、頭上を掘り進んだ岩が砕け落ちる事故死などに描写されている。生きるだけしか許されず、生き方を獲得できなかった抗夫達は、にもかかわらず姑息さと狡さにしか身を処することができない。アウトローの主人公はそれを本能的に嗅ぎ取る。そして血の固まりになり、抗夫仲間の惨たらしい仕打ちの中、主人公は最後をむかえることになる。

⇒CiNiiに、西田勝氏による本作品の<解説(NHKラジオ放送の速記録に加筆)>pdfがある。

作品中の鉱物描写の部分を抜書きする。
「彼の前には刳(えぐ)られた山の肉の断面が立っている。赤黒い母岩を貫いて走っている真白い筋のような、やや傾斜した硅石の脈の中には、オルフラマイトが石炭のように光っていた。真鍮色の硫化鉄や金色の銅、緑の鮮(あざや)かな孔雀石も鏤(ちりば)んでいる。小さな剣を植えたような透明六方石のスカリは、所々に氷のような光を放っていた。カンテラの焔(ほのお)がゆらめくと樋(ひ)の内は仏壇のように美しく輝いた。」
・オルフマライト: 鉄マンガン重石
・硫化鉄: 黄鉄鉱など
・金色の銅: 黄銅鉱?
・透明六方石: 水晶
・(スカリ: 不明)

ところで、小説では舞台を池井鉱山としているが、高取鉱山は池内鉱業所と呼ばれていたと、上記書籍「抗夫」のあとがきに記されている。また宮嶋資夫は高取鉱山の現場事務員として働いたことがあると、上記<解説>に記されている。
小説の中で野州鉱山の事件(暴動)について触れる箇所があるが、足尾銅山の鉱毒事件のいきさつを喩えたものか?
(ただし野州鉱山は栃木県足尾銅山近くに個別にも実在する)

2010年1月22日金曜日

イカロス

中学時代、教壇から見て教室の後ろ側の席に座っていた。授業に気乗りしなくなると、図書室から1巻ずつ借りていた美術全集本を取り出しては、膝の上に載せて隠れるように眺めていた。お気に入りは、北方ルネッサンスの巻だった。

代表的な画家ファン・エイク(兄弟)やデューラーは、その正統さに好奇心をくすぐられることはなかった。もっぱら奇妙な画風の画家にひかれたものだ。ボッシュからブリューゲルと、グリューネバルトあたりだった。(もちろん、デューラーの銅版画「メランコリア」には、好奇心を傾けた)
また同美術本に写真で納められた、ドイツ教会彫刻(木彫)の執拗な細密さに驚嘆した。

特に興味を持ったのは、ピーター・ブリューゲル(父)だった。ボッシュの系譜の怪奇な要素と、風刺の効いた庶民の諧謔さの要素に、もっぱら関心が向いた。絵画の中に配置された、ひとこまひとこまを謎解きのように楽しみ見るだけで、授業の退屈さから逃れることができた。
当時、ブリューゲルに「農民画家」という感想を思い浮かべることはなかった。 (むかし「農民画家」といわれたことと、庶民史に通じた現在の「農民画家」の解釈は当然異なるだろう)

後に、ポスターサイズの写真や絵画が流行った時期に、ブリューゲルの作品「農家の婚礼」と「農民の踊り」の印刷物を購入して部屋に飾ったりもした。
また最近では、彼の絵は図象学に囚われているようで、近寄りがたい画家になってしまった。反面、市民講座では人気の画家である。

ブリューゲルの作品に「イカロスの墜落のある風景」がある。<ロウ>で固めた羽をつけたイカロスが上空に飛び、太陽の熱で<ロウ>が溶けて海に墜落したギリシャ神話を題材にしている。その絵は、イカロスがどこにいるのかと探すほどにドラマチックではない。作画同時代の日常風景が(意味を持たせているのだろうが)描かれている。

ところで、宇宙航空開発機構(JAXA)が本年度打ち上げ予定の小型ソーラ電力セイル実証機を「IKAROS(イカロス)」と命名している。太陽の光を受けて、金星軌道に向かって宇宙を航海するというが、神話の通り太陽の方向に近づいていくのだ。この実証機イカロスへのメッセージを公募しているが・・・。

★★★★★ 孫がテレビCMに夢中になり母親の呼びかけに一顧だにしない動画が届いた ★★★★★

2010年1月21日木曜日

イ・ソンヒとジャージャー麺

イ・ソンヒの仁川専門大学時代の音楽活動は、同大学で属した「4幕5場」チームとしてMBC「第5回 江辺歌謡祭」に出場し、大賞を受賞したことなどで知ることができる。
ところで、その当時の一般学生から見た彼女の姿が、次に紹介するブログに語られている。

ブログ「私の人生が暖かかった日々(내 인생이 따스했던 날들)」(2009/1/5)に、イ・ソンヒが通う大学の1年後輩だった記述者が、校内食堂で初めて彼女を見たときの感想が綴られている。
・イ・ソンヒを探しに校内食堂に入ったが、いくら見回しても見つからなかった。
・メガネをはずして、ジャージャー麺を熱心に食べている小さな女子学生が一人いた。その女学生が全部食べて立ち上がり眼鏡をかけると、ああイ・ソンヒだった。

新入生歓迎会で見たイ・ソンヒの歌に、鳥肌がたったにもかかわらず、日常のイ・ソンヒに接するととても地味で平凡に見えて驚いている。(いささかフレンドリー過ぎる表現が上記ブログにはあるが・・・)
いまどきの作られたアイドルとは違い、イ・ソンヒのスタートはそれほど自然だったといえる。

2010年1月20日水曜日

大寒2010

暦は「大寒」ながら、今日はゆるりと暖かいようで、孫も寝起きがご機嫌よく、日中散歩の足を少し遠くに伸ばすとのメールをいただく。

この「大寒(대한)」については、中都日報(중도일보)の「節気の話」(1/20)の中で、アン論説委員が次のよう解説されている。大寒は一年の終わり、二十四節気の最後の節気であること。それにまつわる食事や、次の節気「立春」前日の豆まきで年の終わり感じること、そして寒さに耐える梅などを縷々述べられている。
豆まきといえば、孫が父親の鬼の仮面にチョップしている、いい具合の写真がメールに添付されていた。それに、昨日公園で、一部花開いた梅を見てきたと、頭の中で話をつなげる。

(付記)
「東国歳時記」(洪錫謨 著)、十二月の「臘享」の項によれば、「李朝においては、冬至から第三番目の未(ひつじ)の日を臘日と定め、宗廟、社稷で大祭がおこなわれる。」と記されており、臘日は明日に相当する。
※「(납)」について、Wikippediaに「つなぎあわせる」の意と説明している。
ところで広辞苑では、「臘」を「①冬至の後、第3の戌(いぬ)の日に行う祭。猟の獲物を先祖百神に供える ②年の暮れ、陰暦12月の異称、・・・」と記している。「東国歳時記」にある未(ひつじ)と、戌(いぬ)の違いがある。

(追記)
asahi.comの記事(1/20、20:53)によれば、「東京都心でも平年より7.8度高い17.3度と4月上旬並みの暖かさ」だったとのこと。

2010年1月19日火曜日

公園の梅

今日、明け方の冷え込みもゆるく、久し振りに小金井公園を散歩する。春の兆しを楽しもうと、暖かい陽を受けて人々が訪れていた。

公園の一角には梅園の区画があり、大方は芽が膨らんでいる(写真左)ものの、一部に白い花弁を開いて(写真中)いた。幹に「長寿」の名札がついていた。その他に、「八重冬至」、「芳流閣」などの名の梅も白い花を咲かせていた。

梅園の西側に、ソシンロウバイ(素心蝋梅)の薄黄色の花(写真右)が、ほんのりと穏やかな香りを漂わせていた。Wikipediaによれば、「蝋梅」の梅の字から、「梅」(バラ科サクラ属)の仲間と誤解されやすいが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木とのこと。





2010年1月18日月曜日

wantusong

子ども向けの歌に「wantusong」(歌詞)がある。フラッシュアニメを用いたそうで、キャラクターも可愛く、テンポの早い愉快な曲だ。
子ども+おとなの合唱を、少し速度をあげて再生しているのだろうか。それに、子どもが好きな言葉の繰り返しが使われている。「ワンチュ ワンチュ(원츄원츄)」が随所に出てくる。(繰り返しが好きなのは子どもだけではない、「Gee Gee Gee Gee」というのもあることだし)
Wikipediaには、「猟奇ソング(엽기쏭)」のひとつとしてこの曲が載せられていて、「猟奇」は流行語の「いたずらじみた」に当たると説明している。以前、本ブログ(2009/2/24)に記したうさぎ「マシマロ」も、その範疇に入る。
(YouTubeに登録のchloe1024に感謝)

2010年1月17日日曜日

おかっぱ頭のイ・ソンヒ

京郷新聞(경향신문)の「京郷プラス」(2004/8/4)に、イ・ソンヒの20周年記念コンサート(世宗文化会館大劇場)に当たってのインタビュー記事がある。
1980年代初頭、新村(신촌)にあった、ひたすらヘビ・メタルだけ聞かせるカフェ「レジスタンス(레지스탕스)」に、おかっぱ頭の女子高生イ・ソンヒが通っていたというのだ。当時の彼女は、「それは、メタルが世界のすべてであると思っていた」という。彼女のイメージとギャップがあって可愛らしくおかしい。
本ブログ(1/7)の「イ・ソンヒの高校時代」に、当時イ・ソンヒが歌っていたのが、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」や、キム・テファ(김태화)の「さようなら(안녕)」だったという情報を記した。これはヘビ・メタでは? さて当時、どんなヘビ・メタを聞いていたのだろう。
なお同記事には、彼女の声量(歌唱力、歌唱法)について、録音時とライブ時では違うという説明があるのが興味深い。(伝説に、彼女の発声のパワーでスピーカーが壊れたというものがある)

★★★★★ 孫が首を横に振ってイヤイヤする「動画」がついに届いた ★★★★★

2010年1月16日土曜日

孫と手押し車

孫が<手押し車>を押しながら歩く動画メールが届いた。お嫁さんのメール文には、感涙の絵文字が10個もついていたし、動画から「わぁ、凄い!」と喜ぶ声が繰り返し聞こえる。
とうとう歩くための第一歩を踏み出したわけだ。それにしても、孫の成長振りには驚かされる。

そういえば、最近のメールで知る孫の様子は、もっぱら動画が中心になった。孫は、じっとしていることがないのだから。写真といえば、なるほど寝顔や抱きかかえたものが多い。これならば、写真でブレることがない。
男の子だからか電車の中で喜んでいる笑顔、お尻をフリフリしながらハイハイする姿、橋の欄干につかまり立ちして小川の鯉を観察している様子、そして手押し車を押し歩く光景など、どれも動画ならではである。動画は、その時期その場に立ち会ったような臨場感を与えてくれる。

家門の栄光

いつもDVDレンタル店で、映画「家門の栄光(가문의 영광)」を探しでいた。ところが、Gyaoの「ドラマ・アジア」の番組案内に、「大変な結婚」というタイトルで載っていたのだ。見つからないはずだ。早速、online鑑賞させていただいた。

「家門の栄光」は、「家門シリーズ(3部作)」の第1作である。第2作は「家門の危機」で、昨年(2009/10/22)、韓国文化院で鑑賞した。第3作の「家門の復活」は未見である(ストーリーは第2作の延長らしい)。
第1作と第2作は、配役構成を次のように入れ変えているが、家門というヤクザの軸はそのままである。
・第1作は、ヤクザの親分である父親に育てられた娘ジンギョン(3人の兄弟がいる)と、ソウル大法学部卒のベンチャー企業CEOの男性デソとの物語である。
・第2作は、ヤクザの親分である母親に育てられた長男(2人の弟がいる)と、暴対担当の女性検事との物語である。

ところで、第1作と第2作では、イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」が、登場人物によってピアノ弾き語りされる。
・第1作は、主人公のヤクザの娘ジンギョン(キム・ジョンウン(김정은))が、揺れる心のまま愛を打ち明けるようにピアノを弾き語りをする。切なく不器用なジンギョンの想いが表現される大事な場面である。
・第2作は、検事の女性に一方的な片思いの上司の男性検事が弾き語りをする。こちらは、むしろ滑稽さとむなしさだけが響く作り方をしている。

YouTubeではこの曲「私はいつもあなたを」を、イ・ソンヒとキム・ジョンウン以外にも、ジュンス、ユンナ、ソン・ダムビ、チャン・ユンジョン、ユリなどが歌っているのを見ることができる。

(YouTubeに登録のpops8090、lsh1004732に感謝)

2010年1月15日金曜日

子どもの力

最近のTVコマーシャルには、子どもタレントが目につく。例えば、基幹産業というべき自動車会社のコマーシャルは露出量が多いだけに、その姿が目立つ。
この鬱々とした時世、挽回の秘策が子どもにあるのだろう。同じこと、戦後の荒涼とした中で、美空ひばり(8歳で初舞台)が果たしてくれた。子どもの成長力と限りない可能性は、閉塞した時代を開く門戸なのかもしれない。

他国の事情はわからないが、子どもの力は同様だろう。なぜなら、育ち育てる鏡の関係はかわらないのだから。そこには希望がある。
YouTube にウクライナ(1991年独立)の少女Assol(アソール)が歌う姿がある。1994年に生まれた彼女は現在、ティーン・シンガーだが、2002年の幼い8歳ころに歌った「Vkraino moya」に、民族の自信と誇りの香りがする。(言葉がわかればよいが、感想だけなのが残念だ。)
それだけではない、「Mama」には子どもらしい甘える愛らしさもある。映像も微笑ましい。(「(概要)」に英訳あり)
(YouTubeに登録のAssolinka、NoseySOBに感謝)

2010年1月14日木曜日

「春」

NATE動画(동영상)に、イ・ソンヒが童謡のように歌う「春()」(歌詞が登録されている。作詞・作曲はイ・ヂョンソン(이정선)である。
80年代に放送された映像だそうで、若々しいイ・ソンヒが、「ぽム ぽム ぽム ぽム ぽみわっそよ」と軽やかに春が来たことを歌う。
春は色々なところに来る。そう、外灯の影の下にも。(昨日(1/13)ブログに書いた沈丁花のように)春を感じる、時と場所にリアリティがあってよい。

ところで、この寒さも来週にはゆるむそうだ。早く春が来て欲しいものだ。

2010年1月13日水曜日

春の兆し

近くを散歩すると、ある民家の庭先に、冬の風に揺れる一本の白木蓮(ハクモクレン)と出会う。青空に伸ばした枝々には、もう小さな芽がついている。路上から、この木を見上げると暖かい日差しを感じることができる。今年も、春の陽いっぱいに白く大きな花びらを咲き誇って欲しいものだ。
路地に沿った栗園は丁寧に整理され、樹下は掃き清められている。ここの農家の仕事振りがうかがえる。
歩を進めると、放課後の子どもたちが遊び叫ぶ声が聞こえてくる。小学校の垣根に植わった沈丁花(ジンチョウゲ)は、未だ芽がかたい。これから、蕾のほころびを気付くのは夜だろう。夜道を通り過ぎるとき、後を追うように沈丁花の香りがすると、そのとき本当に春が近いことを知る。

(付記)
「沈丁花」は夜がよく似合う。赤坂小梅の「沈丁花」(1933年)はいかがだろうか。
(YouTubeに登録の1985ataru0628に感謝)

(付記)
沈丁花(서향)は、ブログ「花愛(꽃사랑)」によると、韓国では「南部や済州島のような土地の表面が凍っていない場所でよく育つ花木である。だから、冬の気温が5〜8℃以上になると冬を過ごすことができる。」とのこと。

2010年1月12日火曜日

カルミナ・ブラーナ

中央線の中野駅だったと記憶している。北口を出て線路沿いに、目指す個人経営のレコード屋があった。夏の日だったのだろうか、映画のように光景が浮かぶ分、記憶が怪しいが先に進める。入り口が木枠の透明ガラス戸で、まるで下町にある民家の玄関のようだった。小さな店構えで、申し訳程度にレコードが置かれていた。

多分友人からの情報だったのだろう、おもしろいレコードを売っている隠れ家みたいな店があるというのだ。事前に調べたレコードを頼むと、日を指定して渡してくれるのだ。しかも値引きまでするというのだから、高校生には願ってもない話である。

そんなわけで、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスという長い名前の指揮者による、世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」(AA-9256 Angelレコード 東芝音楽工業)を入手した。「第21回芸術祭参加作品」だからでもないだろうが、レコードはボックス型ケースに収められ、充実した解説と歌詞の冊子がセットされた凄い力の入れようだ。

この曲はFM放送で聞いたのだろうか、こんな曲があるのかと驚き知ったわけだ。もっと驚いたのは、家の小さなレコードプレーヤーから、今までのどんなレコードよりも迫力と鮮明な音色が響いてきたことだ。あわてて友人に頼んで、上等なステレオ装置で聞き直したりもした。

中世という混沌としたなかで、したたかに逞しく生きた大衆の、何でもありの響きがした。時代は違うがヴィヨンの詩を少し齧ったせいか、聖なるものを打ち負かし、滑稽にあざ笑う痛快さも感じられた。世俗は変わらない、一番くだらないが一番正しい生き方をしていると、そのことをこのレコードは教えてくれた。

そうそう、この曲も市民合唱団によく歌われている。

★★★★★ 孫が首を横に振って初めてイヤイヤしたというメールが届いた ★★★★★

2010年1月11日月曜日

イ・ソンヒの20年

成人の日の今日、ご近所を散歩する。陽が西に傾いた人影のない関野天神社(小金井天神社)にお参りした。宴会でも開かれているのか、社務所から賑やかな声が漏れてきた。今年に入って、三つの神社に願いをかけた。それも孫の未来を願ってのことだ。

ところで、成人の単位20年に合わせて、イ・ソンヒの20年ごとのできごとを見ると次のようになる。
・1964年11月11日(陰暦)に誕生。(陽暦1964年12月14日)
・20歳直前の1984年7月29日に、MBC「第5回 江辺歌謡祭」に出場曲「Jへ」で大賞受賞してデビューを果たす。
・20歳になったばかりの1984年12月30日に、KBS歌謡大賞新人賞を受賞。翌31日に、MBC 最高人気歌謡賞、新人賞、10代歌手賞で初の3冠王を記録(イ・ソンヒ公式ホームページ)。
・歌謡界へデビューして20年後の2004年8月26日~28日に、「"Jへ" 20周年記念コンサート」を<世宗文化会館(大劇場)>で開催(イ・ソンヒ公式ホームページ)。開館以来、最多有料観客動員という大記録を樹立(KBS WORLD radio)。そのときの彼女のライブ映像を、YouTubeに多数見ることができる。
(YouTubeに登録のpops8090に感謝)

ところで韓国の成人式は、5月の第3月曜日(休日ではない)で、2008年から成人年齢が満19歳になっている。

2010年1月10日日曜日

孫と初詣

孫宅の地元にある田無神社に初詣に出かけた。誕生してほぼ10ヶ月目の孫にとっては、初めての初詣になる。小さな身を、しっかり防寒着で固めた姿が可愛らしい。
今日でも、詣でに来る人々のあとは絶たない。正月気分が、ここにはまだ残っている。その賑わいのなかで、本殿の神々に向かい若い家族の平安を祈った。

昨年末、クリスマスに会ってから2週間ほどに過ぎないが、孫は一段と成長した。こんにちは、バイバイ、おいしいひとハ~イ!の仕草を見事にこなすし、言葉に似た声を発する。赤ん坊から幼児への過程を着実に進んでいる。それでも、帰りがけに見たあの寝顔の可愛らしさはいつまでも同じである。

森の歌

中学校の音楽教室は校舎の2階奥にあって、ブラスバンド部員は出入り自由だった。放課後、戸棚にあったドミートリ・ショスタコーヴィチの「森の歌(Song of the Forests)、Op.81」(オラトリオ)のLPレコードを取り出しては聴き入った。つまり、はまってしまったのだ。
ジャケットには、鬱蒼とした樹林が描かれていた。インターネットで探したところ、それはVanguard(VRS-422 )のLPレコードだったと思う。(指揮:ユージン(エフゲニー)・ムラヴィンスキー)

ロシア語の歌詞もわからなければ、歴史的(政治的)背景も知る由もない。ただ、オーケストラと次々湧き出るような合唱の旋律と響きを楽しんだ。実に心地よかったのだ。
それだからか、この「森の歌」は、当時もそうだが今でも市民合唱団の曲目に入っているという(それも日本だけのようだが)。

もう一度聴きたいと、前のことであるが、ヴラディーミル・アシュケナージによるCDの「森の歌」(LONDON POCL-5263)を入手した。指揮者の解釈や演奏について語ることは一切ない。ただ、懐かしい町に戻ったときに感じる、思い出と現実の違いに似た戸惑いを覚えた。歳をとるというのは、そういうことなのだろう。

ところでWikipediaによれば、ショスタコーヴィチ自ら「森の歌」をオラトリオと位置づけたとのこと。

2010年1月9日土曜日

ウリ銀行創立記念

イ・ソンヒの今月11日のスケジュールについて、彼女のファンサイト(NAVER:SunnyLoveCarrot)に、次の通り記されている。
・1月11日(月) 【行事】ウリ銀行(우리은행) 15:00~ オリンピック体操競技場(올림픽체조경기장)

ウリ銀行(日本では”ウリィ銀行”)は、韓国(朝鮮)最初の銀行とのことで、中央日報の昨年の記事(2009.01.12(月))に「創立110周年を迎えた」と写真付きで報じられている。創立記念会場は、ソウルのオリンピック公園体操競技場だった。
同銀行は、創立記念日を月曜にしているようで、南道日報(남도일보)の記事(2009.12.28)によれば、今年の1月11日(月)に創立111周年記念行事を開くと記している。

以上の他には、イ・ソンヒがウリ銀行の創立記念行事に出席することを直接的に示す情報を見つけられない。

★★★★★ 孫が絵本を指差して声を発している動画が届いた ★★★★★

2010年1月8日金曜日

夕陽に赤い帆

子どものころ、ポータブル・レコードプレーヤーにドーナツ盤のEPレコードを載せて、ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn )オーケストラの「夕陽に赤い帆(Red Sails In The Sunset)」を繰り返し聴いた。
小さなプレーヤーから流れるこの曲に、南の海にのんびりと停泊するヨットが夕陽を受けている光景を想い描いた。サキソホンの音色は、夕陽を惜しむ渚に寄せる波音のようで、気だるかった。何となく背伸びして聴いた曲だったのかもしれない。

(YouTubeに登録のにkotetu1011感謝)

2010年1月7日木曜日

イ・ソンヒの高校時代

Daumミュージックに、イ・ソンヒとのイム・ジンモ(임진모)のインタビューが掲載されている。イ・ソンヒが、ソウル大学路にライブ劇場を運営していた当時(2003年3月)のことである。
興味深い話題が縷々語られているが、その中で、彼女の高校時代の思い出を次のように記している。
・高校(サンミョン(상명)女子高等学校)の時分は、カフェに通ってメタル(메탈)を主に歌った。シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」や、キム・テファ(김태화)の「さようなら(안녕)」が、そのとき歌った曲だった・・・とのこと。それらは今、イ・ソンヒに歌いつがれている。
(YouTubeに登録のhsfine0768に感謝!!)

(追記)
・ちなみにイ・ソンヒの公式ホームページによれば、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)、信光女子中等学校(신광 여자중학교)を卒業。
・なお本ブログ(8/4)に記した、イ・ソンヒが高校時代に通った音楽室は、ソウル特別市龍山区(ヨンサング)南営洞(ナムヨンドン)にあった。

2010年1月6日水曜日

錫高野#12

昨晩急遽、茨城県の錫高野(すずごや)に鉱物採集に行くことがが決った。同場所へは、同行のxаякава氏と本日で12回目の採集になる。
ズリは山肌に露頭をさらして、頂から冷気が流れてくる。ジャンパーの上に雨具をかぶり防寒する。それだけの準備にもかかわらず、成果は次の通りで心もとない。収集は、いただきもので不足を補う毎度のこととなった。
・採集したもの: 黄銅鉱、黄鉄鉱、孔雀石(硅孔雀石)、水晶、鉄マンガン重石、白鉄鉱
・いただきもの: ネオトス石、プルシャン銅鉱、トパーズ、赤鉄鉱

(追記) 山歩きの人の情報によれば、高取鉱山の鉱業再開との情報あり。(未確認)

2010年1月5日火曜日

初詣

孫家族との初詣が延期となり、別個に明治神宮に詣でた。三が日も過ぎて人混みもさほどではと想像したが結構な賑わいで、昨夜の雨に濡れて黒く光るさざれ(細石)の参道を参拝者が続いた。

神殿に向かい二礼二拍して、孫、孫家族、親族の順に安全を祈った。孫が生まれて以来、人智の及ばぬ神の加護を祈らずにはいられない。ひとしなみに謙虚な人間になった。
孫には「児童健全守」を、孫家族には「開運守」と「神符」をいただいた。次回、孫宅訪問時に渡そう。

ところで、参道を帰路途中に中学時代からの友人(カラオケ仲間でもある)に会った。奥さんと連れ立っての参拝とのこと。偶然とはいえ、凄い確率である。明治神宮の杜、神域の中のできごとである。

(追記)
帰り道、新宿のコリアプラザで、ハングルキーボードのシールを購入する。

★★★★★ 孫が母親の言葉にはそぞろにテレビCMに夢中の動画が届いた ★★★★★

2010年1月4日月曜日

イ・ソンヒファンの構成

Naverにあるイ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に、ファンの性別、世代別構成が掲載されている。(統計期間:1/1、n=77)
・性別構成: 女性:男性=57(%):43(%)
・世代構成: 10代(0%)、20代(9%)、30代(44%)、40代(39)、50代以上(8%)

1984年に、イ・ソンヒが登場したとき、彼女は女子中学生世代に圧倒的な人気があったといわれている。当時のその世代は現在、40歳前後に相当するだろうから、ファンの世代構成は了解できる。
ただし、ファンの男女比についてみると、女性に比べて男性が予想以上に健闘している。

イソンヒについて、子どもの頃に姉がファンだったとか、母親が彼女の曲を歌っているとか、夫と一緒に(つまり連れて)彼女のコンサートに行ったなどと、ブログで目にすることがある。このことも、彼女のファン層の潜在的な広がりにつながっているのだろう。

2010年1月3日日曜日

K-POPフリーク('09年12月)

遅ればせながら、ユンナ(윤하)ちゃんの、昨年最後のKBS WORLD radioの放送(09/12/27)で紹介された曲をリストアップする。

・ユンナの新曲「今日分かれました(오늘 헤어졌어요)」。
・ソロ活動をしている、ゲストのブライアン(BRIAN:브라이언)のセカンド・アルバム「MANIFOLD」より「Move It ("Do It":Move It Eng Ver)」と「My Girl (내 여자)」、および、彼が感激したSupreme Team(슈프림팀)の「Supermagic(슈퍼매직)」。
・恋愛フレーズを、VOSの「大変だ(큰일이다)」(歌詞)のタイトルを使って説明。
・今年ユンナがはまった曲、SuperJunior(슈퍼주니어)の「SORRYSORRY」。

以上、バラード以外は、若い方にお任せ。
(YouTubeに登録のUrAsianSource、heAMFSandy、ysbk18、ci0ci、smentに感謝)

イ・ソンヒの詩

YES24.comのイ・ソンヒの「作家紹介」は、彼女のプロフィールを簡潔適確に記している。そこでは、イ・ソンヒが発表した詩のタイトル「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈꿀 수 있다)」が紹介されている。同詩は、同タイトルによるLPレコードのSide2(#6)に収められている。

イ・ソンヒによる同詩朗読と音楽を、ブログ「花のように美しく(꽃처럼아름답게)」で聴くことができる。
なお、上記のプロフィールでは、「1990年・・・、彼女はこの年に『去る者だけが愛を夢見ることができる』という詩を発表し、ファンに自分の感性を示すこともあった。」と語られている。彼女の最初の大きな人生の変転の1年前のことである。

2010年1月2日土曜日

孫とこんにちは

孫が「こんにちは」に応える動画が届いた。
母親の「こんにちはは? こんにちは!」の声に、指をくわえて座った孫は笑顔を返した。すかさず「こ・ん・に・ち・は」という呼びかけに合わせて、孫はニッコリと体を前に出して挨拶する。「よく、できました!」と褒める母親の言葉が温かく微笑ましい。
挨拶できることは、先日のメール文面で知らされていたが、こうやって動画が送られてくると、孫の成長の変化にタイムリーに立ち会っているような感動が味わえる。
その昔、INSの時代、CAPTAINシステム端末のPCのCRT上で、簡略図的な画像が見られると驚いたころに比べると、随分と幸せである。

2010年1月1日金曜日

金星へのメッセージ

あけまして おめでとうございます
JAXAによれば、本年「打ち上げ予定の金星探査機『あかつき』(PLANET-C)は、打ち上げ後約半年で金星周回軌道に到着し、約2年をかけて金星の大気を調査する」予定。そこで、「JAXAでは、この金星探査機『あかつき』に搭載するお名前とメッセージを募集するキャンペーンを実施します。」とのこと。早速、図のように応募した。
今年もよい年でありますように。