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2019年11月30日土曜日

マユミの実

明日から12月、前日のきょう冷えびえして、外出に冬コートと手袋をはずせない。公園ベンチに座ってみれば、陽射しがまぶしく暖かさを増すものの、いったん立ち上がって歩き始めると寒さに身構えてしまう。

公園を横切る小川の水量に驚く。先日来の雨により、水源がそうなのか、崖線のたっぷりな湧水のせいか、あふれるように流れていた。水遊びするのはむつかしいほどだ。

冬の自然観察園は、さすがに草が枯れて殺風景な感がしないでもない。案内のリーフレットには、草花より樹木の実について多数紹介されていた。

頭上で、小高木の「マユミ」(ニシキギ科)が風に揺れているのが見えた。薄紅色の実がかすかに割れ始めているのに気付いたけれど、手元で観察できたわけでない。<>に特徴があって細かいギザギザがあるとか、割れた実の中に赤い種があるといったことについて、漠然と見上げただけなので、そこまで意識が回っていない。次回確認したい。


その他紹介があった、白い実の「シロミノコムラサキ」(クマツヅラ科)、紫色の実の「コムラサキ」(クマツヅラ科)、同じく紫色の実の「ムラサキシキブ」(シソ科)など特徴的な実を観察した。

ところで、草花のなかで、「コンギク」が木陰で独り気を吐いて、青紅紫色の花弁を広げていた。目が合うとじっと見入ってしまう。落ち着きのあるたたずまいが美しい。

2019年11月29日金曜日

真冬日、冬日

寒い日が続く。日本気象協会のtenki.jpの記事「今季最も低い最高気温 東京都心は10度に届かず」(11/29、15:55)は、きょうの東京都心の最高気温が9.7℃(13:46)だったと、次のように報じている。
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きょう29日(金)、日本付近にこの時期としては強い寒気が流れ込んでいます。午後3時までの最高気温は、東京都心 9度7分、今季最も低くなりました。東京都心は1月上旬並みの気温です。
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最高気温」について気象庁の用語に、「夏日」、「真夏日」、「猛暑日」の区分があって暑さの具合を示している。一方その対極ともいうべき、「最高気温が0度未満」の寒さを示す「真冬日」がある。

「天気予報等で用いる用語」*(気象庁)
(*)用語: https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/kion.html
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<夏>  夏日:日最高気温が25度以上の日。
          真夏日:日最高気温が30度以上の日。
          猛暑日:日最高気温が35度以上の日。

<冬> 真冬日:日最高気温0度未満の日。
          冬日:日最低気温0度未満の日。
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真冬日
さすがに東京都心で、その日の「最高気温0度未満」の「真冬日」があっだろうかと思って調べてみると、過去に次の4つほど事例があるという。
「東京における晴天下の真冬日」**(藤部文昭、気象学会「天気」、2019年1月)
(**)記録: https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2019/2019_01_0077.pdf
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1900/1/26  <-1.0℃>
1876/1/27  <-0.3℃>
1967/2/12  <-0.2℃>
1895/2/21  <-0.1℃>
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冬日
ちなみに東京都心の、その日の「最低気温0度未満」の「冬日」について調べてみると、ほぼ毎年「冬日」を経験している。(当り前のように経験して、当り前のように忘れているのに驚く・・・そうでなかった年が珍しい)
「東京の冬日の終日」***(気象庁天気相談所作成、2019年5月更新)によれば、今年(2019年)は、2月10日(=前季の冬に相当)に <-1.2℃> だった。
(***)記録: https://www.jma-net.go.jp/tokyo/sub_index/kiroku/kiroku/data/96.pdf

2019年11月28日木曜日

寒雨

薄暗い空、午後になって音ひとつない寒い雨が降り続く。そんな状態を過ごす。
底冷えするほどもない。着込めば鬱陶しい。動作も鈍くなる。

日も暮れた夕方、門扉越しに通りを見れば、あらゆるものが雨に濡れて、外灯にてかてかと輝いている。モノクロ無声映画よう、音もない。

ウェザーニュースの記事「日差し恋しい東京 今日28日(木)で一週間連続の雨」*(11/28 11:31)は、この雨について次のように報じている(抜粋)。
(*)記事: https://weathernews.jp/s/topics/201911/280095/
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東京都心など関東地方では先週22日(金)から毎日雨が降っていて、今日も午前中のうちに雨を観測し、一週間連続の降水となりました
11月1mm以上の雨が一週間続くのは1950年の10日連続以来69年ぶりのことです。
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道は舗装されていて、雨にぬかることはない。路の脇に傾斜をつけて雨水を排水溝に流しこむ。それでも、路にかすかな窪みがあると雨水が溜まるのを見つけて、子どもたちは飛びこみ水がはねるのを楽しむ。でも、こう長く降り続いては、飽きてきたことだろう。

明日はどうやら天気が回復する。ただし気温は今日よりも冷えるという。

ところで昔の芸能界に、若いタレントたちへの「ご意見番」役を果たした、淡谷のりこ(1907年~1999年)がいた。激動の時代を経験した彼女の発言に誰もが素直に聞き入れた。過去現在の互いの人生を重ね合いながら共にいる自覚ができた。当時の若者は、彼女が経験した時代を思い至ることのできる世代でもあった。そんな時代だったから、彼女の言葉を聞き流すそぶりを示す者はいなかった。もちろん微笑ましく受け入れたりもした。
雨のブルース」(作詞 野川香文・作曲 服部良一、1938年)の歌がある。


(Youtubeに登録のniponpolydorに感謝)

2019年11月27日水曜日

旧暦11月1日

きょうは旧暦の11月1日(今夜の月は月齢0.5の「新月」)、ただそれだけのこと。いつもと別段に違うことはない。

通いはじめた体操にも慣れて、心地よい疲労感から帰宅すると決まったように転寝する。そして目覚めてハッとする・・・多分、これからも繰り返すことだろう。

今月も残すところ3日間。来12月になれば、あっという間に一年が過ぎたことを思い知る。そして転寝から覚めたときのように、事態を飲み込めぬもどかしさに似て辺りをキョロキョロと見回すことだろう。

最近、むかしたずさわった仕事に関連した夢を見る。それもどこかの場所で話してくれと頼まれて、安請け合いしたものの期日が迫り慌てる夢だ。不思議なことにその後も、技術(アーキテクチャー)について思い出し整理しようと言葉を必死に紡いでいる。よほどに焦ったのだろう、夢に続編があるなんて思いもよらなんだ。

2019年11月26日火曜日

樹木観察会

先々月、近くの公園で開かれる「樹木観察会」の案内ハガキが届いた。公園の随所を巡り、そこに育つ様々な樹木を紹介してくれる。木の大きさ・枝ぶり、幹肌、木の実、葉の形状など直接見ながら観察する貴重な催しだ。(その気になれば、同じ場所に何度も訪れて観察できる。木はすぐに逃げ出さないし、ゆっくり変化していくのだから)

(本ブログ関連:”樹木観察会”)

今年に入って雑草の観察を再開したばかりで、樹木については遠い昔に観察会に参加しただけ。そんなレベルで、放蕩息子の帰還ではないが、許しをこいつつ晩秋のきょう出かけた次第。(春にも開催されたそうで、それと合わせて春秋の比較が考慮されたようだが、残念ながら春の会に参加してない)


公園サービスセンターと樹木の会の合同観察会で、一般参加者向けの資料(樹木地図など)も充実して、案内者の方の後をついて回るだけだったが・・・あっという間に2時間が過ぎた。

とりあえず、今回観察した木々のリストを次に記してみる。(貴重な解説コメントがあったが・・・この後、追記してみたい)

ケヤキ
サルスベリ
キンモクセイ
コブシ
トチノキ
マテバシイ
スダジイ
シラカシ
ニワトコ
ネグンドカエデ
センダン
ラクウショウ
オニグルミ
メタセコイア
ミツカエデ
イチョウ
エノキ
ムクノキ

それにしても、<ドングリ>の実がなる木の多いこと。そんな木々に特別な総称があるのかネット検索したところ、「茨城県自然博物館」のホームページに分かりやすい図表*で解説されている。次ぎに再掲させていただく。
(*)図表: https://www.nat.museum.ibk.ed.jp/assets/data/education/document/satoyama/donguri.pdf

2019年11月25日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-7

快調に歩けるようになった。健康体操教室のトレーニングの成果だろう・・・負荷の少ない地味なストレッチ運動中心のおかげか、歩きに疲労感がなくなったのだ。遠くの街で開かれている市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通いながら実感した。
(ところで帰りの電車で、若者が席を譲ってくれた・・・最近、歳相応に感謝して座るようにしている)

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今年前期の「ユダヤの歴史を学ぶ(第1部)」(7/8)で 、<アメリカへ渡ったユダヤ人>を解説をされた、東京大学准教授の鶴見太郎氏から「ソ連におけるユダヤ人の生き方」についてうかがった。

帝政ロシア・ソ連時代に、ユダヤ人がどのように生き抜いたかを次のように紹介された。

ポグロム: ロシア革命内戦期に発生したユダヤ人排斥の結果
・ユダヤ人はボリシェヴィキ支持へと傾倒していった
  - 1919年、キエフのチェーカー(秘密警察)の75%がユダヤ人だったという推計も
・一方、ユダヤ人に「シオニズム運動」を招くことになる

ソ連体制下: 民族政策の変転
・帝政時代の居住制限から、ソ連時代の当初、移動の自由があった
  - イディッシュ語(文化)の普及政策
    a.ボリシェヴィキのユダヤ人セクションにいた女性エステル・フルムキン(Esther Frumkin)は忠実に実施
      ⇒ 1940年、シベリアの収容所に送られ粛清される
    b.ユダヤ人自身は、ソ連社会との融和が難しいと判断して敬遠する傾向にあった
    c.ユダヤ自治州(州都ビロビジャン)に定着させる: 防衛上、農業定着
      ⇒ WWⅡ後、3万人に達したが、現在は2,000人程度
・WWⅡ
    a.「ホロコースト」(略)
    b.1942年、西側ユダヤ人に対し、ソ連支援のため「ユダヤ人反ファシスト委員会」を結成
・WWⅡ後
    a.スターリン時代
      ⇒ 上記ユダヤ人反ファシスト委員会関係者の暗殺・逮捕
      ⇒ 反ユダヤ主義の立場から、ユダヤ人の活動を「ブルジョワ民族主義」と呼んだ
    b.スターリン以降
      ⇒ イディッシュ語(文化)の名目上の復帰
・1967年「第3次中東戦争」、アラブ支持のソ連でイスラエル・シオニズム批判が起る
・海外(イスラエルおよび諸外国)への移住希望者が増大
    a.1989~98年、ソ連圏から120万人(内実質のユダヤ人は80万人)が出国
      ⇒ 1970~97年、ロシアから30万人が出国
      ⇒ 1970~97年、ウクライナから42万人が出国

(感想)
イスラエルにおける、ロシア語話者*のユダヤ人が多数いるという。
(*)Russia Beyond「さまざまな情報源によると、ソ連・ロシアからイスラエルに移住した人でロシア語を話すのは、25万〜50万人だ。米フォーブス誌の試算では、2017年時点でイスラエルのロシア語人口は150万だった(同国の総人口は約860万人)」(  https://jp.rbth.com/lifestyle/80162-sekai-no-roshiago-jinkou-wa-dono-kurai )
彼らがイスラヘル移住を決めた理由を知りたい。ソ連時代のロシア人だって大変な経験をしているのだから、ユダヤ人はもっと厳しい経験をしただろう。
東欧のポーランドの田舎町や村(シュテットル)にユダヤ人が多数いたことは、ポーランドやリトアニアの歴史から推察できるが、ロシアにどうして住むようになったのかも知りたい。

2019年11月24日日曜日

(雑談)お前は誰だ

昨日から続いた雨も昼ごろに止んで、午後は曇り空とはいえ路面もすっかり乾いた。おまけに、一昨日、昨日と寒い日が続いたが、きょうは少し気温が戻りおだやかに和む思いがした。
ちなみに、都心のここ数日の<最高気温>は次の通り。
・一昨日(11/22): 10.8℃  ← 今月中で一番寒かった
・昨日(11/23)   : 13.0℃
・きょう(11/24): 19.1℃(13:49)

そんなわけで、拍子抜けする話を探してみた。

先日(11/17)手にした「江戸奇談怪談集」(須永朝彦 編著、ちくま学芸文庫)の<怪談>編に、「狗張子(いぬはりこ)」に採録の「死して二人となる」の話がある。死者とウリ二つの男がたずねて来てひと騒動起すという、一口噺というか一息噺があって、落語に通じる可笑しさがある。要約すると次の通り。
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小田原城下の百姓村で、中間(ちゅうげん:侍の下、小者の上)が死んだ。村人が夜更けに埋葬しようとしていたとき、ある男が突然訪ねてきて、遺体のそばに座って啼き出した。すると、死んだはずの中間が起きあがり、二人は殴り合いを始めた。驚いた村人は逃げ出し、日暮れに部屋をふたたび覗き込んだところ、うり二つ(顔形から衣服まで)の二人が倒れていた。ひとびとは男たちを同じ棺に納めて塚を築いたという。
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二人の一方は既に死んでいるのだから、「ドッペルゲンガー」の逆バージョンというべきか。自分と自分の影とでもいうべき存在について、ヨーロッパ的な自我は意外と脆いのかもしれない。東洋というか日本には、そんな幻視はなかったのではないだろうか。ただ、視点のでんぐり返しを楽しんでいた節はあるようだ。

落語に、以前(2017/3/8)のブログで触れたように、自分の死体を引取りに行くという「粗忽長屋」がある。かつぐ当人が、自分がいったい誰だか分からなくなるという可笑しみがある。

(本ブログ関連:”粗忽長屋”)

2019年11月23日土曜日

勤労感謝の日 2019

きょうは、祝日の「勤労感謝の日」。土曜日(一般に休日)と重なって、日曜日だったら振替休日になったものをと、損したような気分になった子どもたちが多いのでは。おまけに、朝からあいにくの雨、降ったり止んだりして外出もできず、一日もやもやして過ごしたのではないだろうか。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”)

ちょいと耳を傾むければ、ぼそぼそと雨の気配して鬱陶しい思いをするが、ときに雨に遮断されるのも悪くない。気が散らず、気をめぐらすこともない充分な時間が感じられる。

「波止場しぐれが 降る夜は」で始まる石川さゆりの「波止場しぐれ」*(作詞吉岡治、作曲岡千秋、1985年)は、「時雨」の小豆島土庄港のネオン街が舞台。「とのしょう」(Wikipediaの「土庄町」でも「とのしょうちょう」)と歌っているが、地元出身者は「とのしょ」と呼んでいたような・・・。
(*)夕刊フジ「石川さゆり“転機”となった小豆島へ!恩師と波止場しぐれ」(2012.6.21)
       https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120621/enn1206211541009-n1.htm

昔、小豆島へ行くのに九州方面からなら、岡山県宇野港発で大型の「宇高連絡船」に乗って香川県高松港行へ渡り、そこで中型船に乗換えて土庄港へ着いた。その後の学生時代に、神戸港から土庄港へ高速船で向かったこともある。

ところで、土庄港に「浮世小路」という飲み屋街があったなんて知らなかった。わたしにすれば、島の中にある処を訪ねるだけだったので。


(Youtubeに登録の歌チャンネルk17 heieに感謝)

2019年11月22日金曜日

小雪 2019

朝からの氷雨。きょうは、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。雨が雪となるほどでないが、傘をさしながら街を行くひとのなかに、余りの寒さに慌ててポケットから手袋を出すのを見た。歯科に通院途中の私は、手袋を持ち合わせてないのを後悔するばかり。

(本ブログ関連:”小雪”)

さて、歯科治療室に入ったとき、外の冷たい雨を「氷雨」のようと伝えた。先生もご存知で、そういえば演歌に「氷雨」がありますねと応えて、演歌世代同士の会話になってしまう。

演歌の「氷雨」(作詞・作曲 とまりれん)といえば、記憶にあるのはやっぱり「日野美歌」の歌だが、元は「佳山明生(かやま あきお)」の1977年のデビュー曲という。歌詞は女性の未練がこもった別れ歌で、まさに演歌の王道。だから後も森昌子が歌ってよし、石川さゆりが歌ってよしだった。


(Youtubeに登録のcoffee shopに感謝)

2019年11月21日木曜日

木枯らし1号はまだ吹いていない?

11月に入って、東京都心の日々の最高気温で、きのうはそれまでで一番低く 15.9℃だったが、きょうは 15.7℃(13:17)となり、さらに下回ったようだ。寒さがますますつのるけど、まだまだ冬の序の口のようなもの。

ところで、冬を示す「木枯らし1号」はどうなったのだろう。Yahooニュースの記事「東京でも『木枯らし1号』の発表か  そのあとは暖気のち再び寒気」*(11/20、饒村曜 気象予報士)は、木枯らし1号の発表基準を次のように紹介している。
(*)記事: https://news.yahoo.co.jp/byline/nyomurayo/20191120-00150742/
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西高東低の冬型の気圧配置と・・・、「10月半ばから11月30日までの期間」、「東京(千代田区)で北から西北西の風で毎秒8メートル以上」というのが発表基準です。
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今晩21:00までの、気象庁発表の東京の「最大瞬間風速(m/s)、(風向(16方位))」によれば、「9.7(西北西)、12:15」となっている。「西北西の風で毎秒8メートル以上」なので基準をクリアしているように見える。ただし、日本気象協会tenki.jpの天気図**を見ると、いわゆる「西高東低の冬型の気圧配置」になっていない。今夕 18:00に高気圧が真上に陣取っている。
(**)天気図: https://tenki.jp/guide/chart/

実況天気図

そのせいか、ネットに「木枯らし1号」の話題が見つからない。ブログに記載しているこの時間(22:30ころ)までに発表されてない。

2019年11月20日水曜日

健康体操教室

運動不足とは、他に用があって運動するひまがないときにいうものだ。ところが、今はじゅうぶん時間があるのだから、少しくらい体に負荷をかけることでもやればいいのに。

寒いのが苦手なせいか、気合を入れないとなかなか行動に移せないけれど、週一回とはいえ「健康体操教室」のおかげで体が少し軽くなってきている・・・。

(本ブログ関連:”健康体操教室”)

教室通いを再開して以来、きょうで3回目。再開した初日は力が入っていたのだろう、何となくこなしたが、2回目、3回目と慣れてくると別の面が出てきたようだ。

思った以上にきついというか、体の動きが鈍いのに気付く。それなりに頑張って終了しても、帰宅すると気が緩んでグダグダになり、ストーブの温もり誘われて転寝してしまう。
数回通った程度で万端なはずもない。教室の合間に自主トレーニング?でもしてみようかと思う。

(付記)
睡魔に襲われる心地を、Youtubeに探したら、面白い動画が見つかった。
「ハプニング!民謡教室のアイドルvs睡魔!」(登録者菊地秀一氏)*
(*)https://www.youtube.com/watch?v=zdUvtUQe-ds
民謡教室に通う小さな双子姉妹の一人が、歌の練習中に見事に睡魔に襲われる、微笑ましい動画だ。

2019年11月19日火曜日

庚申

日めくりカレンダーを見れば、今日のしるしに「庚申(こうしん)」とある。例によって、Wikipediaをたずねれば、以下のような説明がある。

陰陽五行」の5種類と、「干支(えと)」の12種類を組み合わせて、毎日を分類すると、5×12=60通りの日にちが設定できる。その中でも、一番めでたい組み合わせが「庚申」となる。
・陰陽五行: 十干(じっかん)中の「庚(かのえ)」は、陽の金
・干支:十二支中の「申(さる)」は、陽の金

庚申が、一年に何回あるかといえば、365日÷60日 ≒ 6、つまり6回ある。めでたい日ということで、昔のひとは一晩酔いあかしたらしい。本当は、人間関係や労働からの気分転換だったかもしれないけど、仏教と結び付けて「庚申信仰」と呼んだようだ。

庶民の側にすれば、民間信仰として「庚申待」の行事をした。世の中、なにかしら理屈が必要なようで、人間の体に棲む「三尸(さんし)の虫」が、庚申の夜に「天帝」または「閻魔大王」に、その人間の日頃の行ないを報告に行くという。寿命とその先のための勤務評定のようなこと。それを阻止しようと、ひとびとは集まり寝ずに夜宴することになる。

そろそろ年末に開かれる<忘年会>もいってみれば「庚申待」のようなものだが、こちらは年一回だけ。ところで、わたしには「三尸の虫」も見限ったのか気配すらしない。でも忘年会は楽しみにしておこう。

2019年11月18日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-6

今月に入って日ごとの最高気温が大きく変動している。東京都心の最高気温を見ると、一番高いのは 23.9℃(11/1)、一番低いのは 16.1℃(11/13)。きょうの最高気温は 21.4℃(14:11)、少し緩んだ好天気でさしずめ「小春日和(インディアン・サマー)」といったところだろう。

遠くの街で開催される市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ出向く途中の電車の中で、窓から差し込む暖かい日差しに眠気を誘われた。実に心地よかった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

イスラエル建国後、イスラム世界との摩擦(中東戦争)に焦点をあてた「イスラエル国家の建設、数次の中東戦争とイスラエルの膨張」について、東洋英和女学院大学学長の池田明史氏から解説を受けた。

ところでお話は、中東戦争の空爆戦術とか戦車の防御構造とか、戦争談義に飛んだ気がする。さらには「六日間戦争」に勝利したことから、「六日間」を聖書的解釈に結びつける話題まで出てきた。そうなると、話を聞くほどに疑問が生じた。

(いつものような講義内容の要点記述を今回省略する)

① 疑問: イスラエル建国にいたる歴史的な経過を、具体的な<史実>で知りたい
  ・中東戦争を起点にしてしまうと、イスラエル国家ありきで始まるため
    - 初期シオニズム運動から、どのようにしてイスラエルの土地を入手できたのか
    - その当時のパレスチナ先住者たちとユダヤ人入植者との関係はどうだったのか

② 疑問: イスラエル国民、ユダヤ教徒、民族の定義を知りたい
  ・ヨーロッパのユダヤ人は民族か、イスラエルのユダヤ人は民族か
  ・イスラエル建国の後押しをした西欧の役割とその後の責任は

(感想)
シビアなテーマだけに、焦点の当て方に気配りされたのだろうけれど、歴史上のユダヤ人とイスラエルのユダヤ人がうまく結びつかない。ユダヤ教としてのユダヤ人、イスラエル国家としてユダヤ人について整理できないでいる。

2019年11月17日日曜日

雲根志

近隣の駅ビルにある文具店へ蛍光ペンを買い求めに出かけた。先日、同店で購入したSTAEDTLERの蛍光ペン(黄色)はユニークで、一般の水溶性インキの蛍光ペンと違い、インクが固形ゲルでできている。書籍にマーキングしたとき、裏面に滲みることがない。筆圧とか書籍の紙質と関係なく印(しるし)を付けられるため、読み返したとき不都合を感じることはない。そこで他色のペンも揃えたく、橙色、緑色、水色を買い足した。

同駅ビルに大型書店があり、面白い本はないものかとふらりと寄った。好みの<鉱物関連>の書棚を見に行く。アマチュア向けの美しいし紹介本がつぎつぎと出版されている。素晴らしいことで、多分近隣国では見られない状況だろう。
ただ、どの本も息長く続くかというと、この分野では難しそうだ。先日、アマチュアの鉱物趣味団体の長老が亡くなられたが、その方の著書の<鉱物図鑑>が書店の棚から次第に見かけなくなってきている。(多分どの分野でもそうだろうが、同好者の年齢構成に偏りがある)

(本ブログ関連:””)・・・ 検索したページの最下段にある「次の投稿」で続く

文庫本のコーナーで、「江戸奇談怪談集」(須永朝彦 編著、ちくま学芸文庫)を見つけて求めた。本来奇談集は、短い話を取り留めなく集めたものが多い。それらの書の中から、編者の好みで集めたアンソロジーといったところだ。江戸の奇談として代表的な「耳嚢(耳袋)」から、石の話の「雲根志」(木内石亭)まである。(怪談は苦手なので後回し)

「雲根志」については、その中から二十話ほど採録されている。博物学の源流という評価と違い、あくまでも奇談に徹している。特に私の興味から、石の中に<世界>を見るような、一種マトリョーシカの入れ子構造的な面白さに関心がある。
石の中から水が流れ出るとか、虫が這い出るとか、しまいには少女のような姿が見えるといった、古人の好奇心や想像力には尽きることがない。

(本ブログ関連:”雲根志”)

ところで同店には、ネットで売れ行きランキング上位にある本が置いてなかった(店頭の電子検索でも在庫なしという)。人気が凄くて売り切れなのか、あるいは別の要因からか知らないが、書店ビジネスを考えると信じられないことだ。

2019年11月16日土曜日

(雑談)スポンサー

とあるラジオ局のトップが新しくなり、番組編成が変わったという。どのように方針が変わったかは別にして、そのなかに若者感覚をメインにしたような番組があって、今晩それを聞いていて面白いことに気付いた。

同番組スポンサーのひとつに、高齢者向け薬品を通信販売している会社があって、放送中にコマーシャルが流れたのだ。このことから、表向き <若者の軟弱さ(ギャグ)> を売りにしている番組だが、実際の聴取者に高齢者が多いということが明らかになってしまう。何のことはない、スポンサー企業の特性から、番組の実態が漏れ出たようなものだ。
放送局の営業にとって、番組の方針と聴取者・視聴者の実態のどちらを優先するか決めるのは、今の時代しんどいことなのだろう。(週刊誌のサブ特集に<健康ネタ>が多いのも然り)

ちなみに、この番組のパーソナリティは、あるお笑いコンビのひとりではないかと思うほどよく似ている。番組パーソナリティ自身は、ネットで調べたところ50代半で、顔写真も全くイメージと違って決して若くないのだ。

放送界のなりふり構わぬ状況が透けて見えたような気がした。

2019年11月15日金曜日

2019年 第70回「NHK紅白歌合戦」出場歌手

年末の催事が明らかになり、年末を強く意識する。大晦日の定番、NHK「紅白歌合戦」もそうだ。ところで、近年とんと視聴することがない。演歌の出番もわずかとなり、新人歌手も若すぎて。なにより、楽曲に合わせて歌詞が作られるような風潮に馴染めないでいる。そして英語(カタカナ)の多様に鼻白む思いがする。

とはいえ、出場歌手に興味がないわけでない。石川さゆりや五木ひろしの出場にホッとする。出場歌手をどれだけ知って、どれだけ知らないかにも興味がある。自身の感度を確認する意味でも。

(本ブログ関連:”紅白歌合戦”)

ということで、11/14に発表された次の「第70回NHK紅白歌合戦」出場歌手リスト*で、知っている(聞いたことのある)歌手に「○」印を、名前だけ知っている歌手に「△」印を勝手ながら付けさせていただいた。
(*)NHKニュース: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191114/k10012177321000.html

    紅組                                         白組
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○ aiko(14)                             ○ 嵐(11)
△ いきものがかり(11)               ○ 五木ひろし(49)
○ 石川さゆり(42)                         Official髭男dism(初)
○ AKB48(12)                     ○ 関ジャニ∞(8)
    丘みどり(3)                        △ Kis-My-Ft2(初)
△ 欅坂46(4)                             King & Prince(2)
○ 坂本冬美(31)                           King Gnu(初)
○ 椎名林檎(7)                        ○ 郷ひろみ(32)
    島津亜矢(6)                            GENERATIONS(初)
    Superfly(4)                        △ 純烈(2)
○ 天童よしみ(24)                         菅田将暉(初)
△ TWICE(3)                          △ DA PUMP(7)
△ 乃木坂46(5)                      ○ 氷川きよし(20)
○ Perfume(12)                       ○ 福山雅治(12)
    日向坂46(初)                      △ Hey! Say! JUMP(3)
    Foorin(初)                              星野源(5)
○ 松田聖子(23)                           三浦大知(3)
△ MISIA(4)                               三山ひろし(5)
○ 水森かおり(17)                         山内惠介(5)
    LiSA(初)                             △ ゆず(10)
    Little Glee Monster(3)
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2019年11月14日木曜日

健康診査

市役所から住民に、健康診査の案内が来たのはだいぶ前のこと。年末までに受診するよう記されていたが、億劫できょうまでずるずると延ばしていた。この歳になると(家族のために健康を維持して働かねばならぬとういう義務は終えているので)、気楽なはずなのに、健診で怪しいものでも見つかるのが嫌で後回しにしたい気持ちでいた。例年のこととはいえ(観念して?)、病院へ行くことにした。

これまで何も変わりなかったのだから、今回も変わりはないはず。一通り検査項目をこなして、最後に医師の軽い問診のとき、全ての検査結果は(データとなって)今月末にあらためて聞くというに、妙に元気を装ってしまう。

病院を出ても尾を引いているのだろうか、もしかしたら何か見つかるかもしれないと杞憂する。そんな気分を知らず、街はクリスマス準備のためだろう落ち着いている。本屋には、来年のカレンダーが吊るされ、年賀状デザインの書籍が山積みされている。健診のことなんか「関係ない!」のだ。

来年は子年(ねどし)なので年賀状デザインは、古いミッキーマウスの動画から探してみようかな。


(Youtubeに登録のBig Takataに感謝)

2019年11月13日水曜日

さよならリュウグウ

平成26年(2014年)に地球を出発した、小惑星探査機「はやぶさ2」(初代「はやぶさ」の後継機)は、本日、地球近傍小惑星 「リュウグウ」を離れ、いよいよ地球に向かって帰還の旅についた。

(本ブログ関連:”はやぶさ、はやぶさ2”)

日本人はロボットに対して親和的である。「はやぶさ」帰還のときもそうだった。あの時に見た感動を、今回も見ることになるのだろうか。「はやぶさ2」にいろいろな思いを託したくなる。
今回、離れる「リュウグウ」に対しても、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の「はやぶさ2」プロジェクトは、「〝さよならリュウグウ〟キャンペーン」*を次のように催すようだ。そうそう、この感じ・・・いいな。きっと、子どもたちから小惑星へたくさんの「さようならメッセージ」が寄せられるだろう。
(*)キャンペーン: http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20191113_SAYONARA_Ryugu/
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2019年11月13日、10:05(機上、日本時間)、「はやぶさ2」探査機がリュウグウから出発し、地球への帰途につきました。11月18〜19日までは、探査機に搭載されたカメラで遠ざかっていくリュウグウを撮影することができます(画像はこちら)。その後、探査機はイオンエンジン運転姿勢へと姿勢制御を行いますので、リュウグウは撮影できなくなります。

そこで、リュウグウ出発から11月19日まで、〝さよならリュウグウ〟キャンペーンとして皆さんからリュウグウや「はやぶさ2」についてのメッセージを募集したいと思います。・・・
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産経新聞の記事「はやぶさ2、小惑星を出発 来年末に地球帰還へ」**(11/13 10:37)は、「はやぶさ2」の「リュウグウ」出発後について、次のように解説している。<約8億キロを飛行して来年末、6年ぶりに地球へ戻る>のが待ち遠しい。そして、研究者は、立ち去る「リュウグウ」に対して挨拶(「さよならリュウグウ、ありがとうリュウグウ」)を忘れていない。
(**)記事: https://www.sankei.com/life/news/191113/lif1911130015-n1.html
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 探査機「はやぶさ2」が13日午前10時5分、地球への帰還に向け小惑星「リュウグウ」を出発したと、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発表した。約8億キロを飛行して来年末(12月ごろ)、6年ぶりに地球へ戻る

 <はやぶさ2>は地上から送った信号に従い姿勢制御用のエンジンを噴射し、高度20キロの通常位置から秒速9.2センチで上昇を開始した。機体は正常という。

 来月3日以降、機体を加速するためのイオンエンジンの連続運転を開始し、帰還に向けた本格運用に入る。地球の上空に到達すると、採取したリュウグウの物質を納めたカプセルが切り離されオーストラリアの砂漠に落下する。

 統括する津田雄一プロジェクトマネージャは「貴重なお土産と、夢中なひとときをくれたリュウグウをついに出発しますあなたのおかげで地球人はよい年をとることができました」とのコメントを発表した。

 <はやぶさ2>は初代<はやぶさ>の後継機で、平成26年(2014年)に地球を出発し、約32億キロを飛行して昨年6月にリュウグウに到着。太陽系の歴史や生命の起源を探るため2回の着地に成功し、地表と地下の物質を採取したもようだ
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2019年11月12日火曜日

(訂正)アワコガネギク(キクタニギク)

先日(11/10)、「自然観察園」で見た黄色のキク科植物を <「アブラギク」の仲間と、しろうと判断してみた>が、本日、同園の「自然観察センター」にて次のように教示いただいた。(やっぱり、しろうと判断だった)

次の赤字訂正は、11/10付けブログに(訂正(11/12追記))として追記している。
・11/10に添付した写真は「キクタニギク(別名アワコガネギク*)」の花である。
(*)外来種もあるようで、国立環境研究所「侵入生物データベース」に掲載されている。
       http://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80500.html



ちなみに、「シロバナアブラギク」は、同園出入口付近の外部仕切りの金網越しに群生している(次の写真)

2019年11月11日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-5

毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ出かけた。天気予報の通り、昼は晴れ・夕方は雨となって、帰宅時にしっかり濡れた。この時期の雨は冷える。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

先週日曜日は「文化の日」の祝日だったため、月曜日が振替休日となり、市民講座は<休講>となった。したがって2週間振りの聴講になる。今回も重い内容で、WWⅡ後にホロコーストがコミュニティの中でどのように語られたかを、特に<犠牲者>側の語りについて、「ホロコーストを巡る戦後の言論と記憶 -想起のかたち-」のタイトルで、先週に引き続き学習院女子大学教授の武井彩佳氏から説明された。ホロコースト理解を多面的に切り分けて見せてくれた。

歴史の語りは、時代(世代)・政治体制・メディア(芸術表現)によって違いが出る
・時代経過のごとに、語りの主題や内容が変わってくる
  - 個人の記憶 ⇒ 政治利用 ⇒ 被害者の子ども世代が関心を持つ ⇒ 集合(文化)的記憶
・小説:「ホロコースト小説」といったジャンルがある
  - ホルヘ・センプルン(スペイン人)、エリ・ヴィーゼル(ハンガリー出身ユダヤ人)
  - ホロコースト小説は、イスラエル以外の世界から発表されることが多い
・映画: ホロコーストを象徴化・アイコン化(ビジュアル化)しやすい多様な表現
  - 刺青(囚人番号)、星マーク、列車(収容所へ搬送)、ガス室、被害者の人格崩壊

犠牲者のユダヤ人内部での語り
・ナチスドイツとの関係
  - シオニスト: 武装抵抗した意識
  - ユダヤ人評議会(Judenrat): 対独強力した富裕層(「裏切り者」と呼ばれる)
・性的役割(語られないこと)
  - 男性: 守るべきものを守るという男的役割・存在を果たせなかった矛盾
  - 女性: 生き延びるため身を手段にする(あるいは嬰児の処置)
・仲間割れの話については当然忌避される(語られないこと)

シオニスト(イスラエル在住)から見たホロコーストの解釈
・イスラエル以外のユダヤ人(ディアスポラ)に対して
  - イスラエルに移動しなかったこと、現地での共生化を試みたことの失敗など批判

宗教(ユダヤ教)的立場から見たホロコーストの解釈
・神学テーマ
  - 正統派: 神の罰(神に見捨てられた)
  - 神の不在:「あなた(神)はその時どこにいたのか」
  - 生存者(Sh'erit ha-Pletahשארית הפליטה)を神は見捨てたのではない解釈もある
・世俗派は、西欧世界での<共生>という幻想が破綻したことを知る

共産主義体制から見たホロコーストの解釈
・社会主義では、民族よりもファシストと闘った民衆に力点が置かれた
  - ファシストと闘った共産主義者 > 苦しんだ一般民衆 > 抵抗せず殺されたユダヤ人
・ホロコースト記念碑も、ファシズムへの抵抗を誇示するようデザインされる

アメリカに移住したユダヤ人から見たホロコーストの解釈
・アメリカ移住で生き残ったという理解
  - アメリカンドリーム: 困難からのがれる ⇒ 一生懸命働く ⇒ 裕福になる
・(ホロコーストのなかった)アメリカに多数のホロコースト博物館・記念碑がある
  - 体験者でないため、当初は逆にリアルな表現を求めたが、現在は抽象的になっている
  - 犠牲者の「無名性」を乗り越える作業として、生き残ったひとびとの体験を聞く


(感想)
<体験>は、生き残ったひとの言葉でしか伝わらない。死者の言葉ではない。<歴史>が体験をくるむとき、言葉は整理される(第3者の手で整理されてしまう)。時間が遠くなるほど、距離が遠くなるほど、言葉は純化される。メディア(あるいは思想)というプリズムをかけると、容易に角度を変えてしまう危険性がある。

(資料)天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」、「祝賀御列の儀」

一昨日の11月9日に皇居前広場で行なわれた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」での天皇陛下のお言葉、および昨日の11月10日に行なわれた「祝賀御列の儀」について次に記す。

民間主催による「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」での天皇陛下のお言葉*
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さきに、「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明しました。そして、今日ここに集まられた皆さんからお祝いいただくことに感謝します。

即位から約半年、多くの方々から寄せられる気持ちを嬉しく思いながら過ごしています。また、この間、様々な機会に、国民の皆さんと直接接し、皆さんの幸せを願う思いを私たち二人であらたにしてきました。

その中にあって、先月の台風19号をはじめ、最近の大雨などによる大きな被害に深く心を痛めています。亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、ご遺族、被災された方々にお見舞いを申し上げます。 

寒さがつのる中、避難を余儀なくされ、生活再建が容易でない方が数多くおられることを案じています。 

復旧が進み、被災された方々が安心できる生活が、1日も早く戻ることを心から願っています。 

ここに、改めて、国民の幸せを祈るとともに、我が国の一層の発展と世界の平和を願います。

今日は寒い中にも関わらず、このように大勢の皆さんが集まり、即位をお祝いいただくことに、深く感謝いたします。
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(*)ハフィントンポストの記事「国民祭典、天皇陛下がお言葉『みなさんの幸せを願う思いを、私たち二人で新たにしてきました』(おことば全文)」(11/9)より。


国事行為の「祝賀御列の儀」について、産経新聞の記事「『祝賀御列の儀』沿道は11万9千人 皇位継承式典事務局が発表」(11/10 18:46)は、次のように報じている。
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 政府の皇位継承式典事務局は10日、同日行われた天皇陛下のご即位に伴うパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」の沿道の奉祝者数が約11万9千人だったと発表した。平成2年11月の前回パレードは約11万7千人だった。
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2019年11月10日日曜日

ススキの原

久し振りに「自然観察園」へ出かけた。そして同園の脇を流れる小川を見て驚いた。台風(15、19号)と、その後の降雨で水量が増したことは以前のブログに記したが、きょうも流勢に変わりがない。そればかりか、川幅も少し広がったように感じた。武蔵野台地が吸収する水量の豊かさに感心するばかり。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

晩秋の穏やかな陽射しがする日曜日、自然観察園には観察者の姿があちらこちに見えた。扉を開けて入った瞬間、なんとなく草枯れのイメージがして、一体何が見られるのか心配になった。そこで、秋に実のなる落葉低木に注目した。すぐに、小さな赤い実をつけた「ガマズミ」に気づく。実を酒に漬ければ<果実酒>になるというが、それほど豊富にはない。すぐ隣りに、名前が小粋な、紫色したこれも小さな実をつけた「コムラサキ」がいる。<シソ科>ゆえの紫色が可愛らしい。こちらも<果実酒>ができるというがどんな風味だろう。

観察園と外部を仕切る金網があって、園の内側隅にいかにも居候のように<キク科>の花が1.5mほどの丈で群生していた。咲きっぷりは、決して三杯目をそっと出すような謙虚さはない。ネット情報などもとに勘案して、「アブラギク」*(次の写真)の仲間と、しろうと判断してみたが「アブラギク」そのものは関西以西に咲くとのこと。
ちなみに、今月の観察園発行の「花だより」には「シロバナアブラギク」の名があるが、写真の方は見ての通り黄色であって白くはない・・・(見当はずれだったら訂正したい)。



(訂正(11/12追記))
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上記写真のキク科植物について、11/12に自然観察園センターで次の教示をいただいた。
上記写真は「キクタニギク(別名アワコガネギク)」の花である。
・ちなみに「シロバナアブラギク」は、同園出入口付近の外部仕切りの金網越しに群生している(次の写真)。

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ところで、東西に広がる公園東側にある「調整池」広場には、小川から溢れた水あるいは崖の湧水のためか、湿地のように水が溜まっていた。そこを囲むように「ススキ」の原ができていて、白い穂を風に揺らしていた。近づいて高くにある穂を見上げれば、秋が通り過ぎていくのを実感する。

2019年11月9日土曜日

(雑談)みかん

寒い季節に暖かい部屋にずっといると乾燥して、ひんやりしたみかんを食べたくなる。とりわけ炬燵で食うみかんは最高だった。少々酸味のきいた甘い香りは口元をスッキリさせる。なにより水分だけでなく、ビタミンCの補給にもぴったりだ。このごろ、みかん販売の案内メールが来るが、配送時期は今月中旬からという。

例年、駅近くの果物屋で箱詰めのみかんを購入する。ぎっしり詰まっているので、自宅に持ち帰ると直ぐに取り出す。押し合いへしあいの状態のままにして置くと傷つきやすいからだ。それらを茶箪笥の隙間にあちこち並べる。少しずつ減っていくのを確認しながら口にするのは面白い。

昔のみかんは酸っぱかった。だから、缶詰のみかんは(実はシロップのおかげだが)格別に甘く、子どもにとって美味かった。最近は品種も増え、適度に甘くジューシィで、いろいろな味覚を楽しめるようになった。

そうなると酸っぱいみかんを懐かしく思い、果物屋に並んだ中から実の固めのものを選ぼうとするが・・・。昔は早出しだったのだろうか、実の固いものは酸っぱかったと記憶する。結局、実の柔らかそうなものを選んでしまうことになる。
今は見かけなくなったが「インドりんご」があった。実がさくさくする感蝕がして適度に甘味があり、酸味と固さはなかった。そんな記憶が重なり合っているからかもしれない。

ところがYoutubeに、みかんのプロらしい方が美味いみかんの探し方を紹介していて、皮がぴったりはりついている方がよいというのだ。それでも合点がいかず、比較して口にしようという気もない・・・頑固なのか億劫なのか。

2019年11月8日金曜日

立冬 2019

昨日、ガスの検針員の方から、先月使用量が去年同月と比べて随分増えているが・・・と、問うように聞かされた。別に思い当たる節はないけど、寒さが苦手で早めにストーブを出したせいかもしれないと応えた。最近寒さがつのる。

まさに今日、二十四節気の「立冬」で、いよいよ冬の始まりだ。気象庁の四季区分では冬は <12月~2月> 、むしろ11月初旬の<立冬>の方が体感に当てはまる気がする。

(本ブログ関連:”立冬”)

温い部屋にこもっていると、静けさが妙に身に沁みてくるもの。昔、聞いた「モーガン・フィッシャー(Morgan Fisher)」の「都市生活者のための音楽(Peace in the heart of the city)」 (1988) で心を安らがせたくなる。その中から次の一曲を聴いてみよう。

ところで、モーガン・フィッシャーについてWikipediaは <ヒーリングミュージックの作家> としているが、この曲を初めて聞いたころそのような紹介があっただろうか?
ヒーリングという言葉は、いつのまにか内部深く共生するウィルスのような側面があって、ちょっと危なっかしい気がする。鉱物趣味の世界でも同様。


(Youtubeに登録のsanatanolaboに感謝)

2019年11月7日木曜日

アイドル

若い歌手が「アイドル」と名指しされるようになったのは、いつごろのことだろう。ネットを探すと1970年代を中心にして語られ始めているようだ。もう少し私の世代に近い歌手はいないものかと検索したところ、次のような<論説>があった。

「アイドル 150年 ─アイドル・ブームと長期波動─」(平山朝治、筑波大学『経済学論集』第70号、2018年3 月)*
(*)論説: https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=45571&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

同レポートの「はじめに」に、「日本ではシルヴィ・ヴァルタンの歌った La plus belle pour aller danser をカバーした安井かずみ作詞『アイドルを探せ』*が,1946 年生まれの中尾ミエと 1941年生まれの双子姉妹ザ・ピーナッツによって 1965 年にあいついで競作発売された」とある。
(*)アイドルを探せ: (原題)「踊りに行く一番の美人」の邦題(1964年)

(本ブログ関連:”シルヴィ・ヴァルタン”、”中尾ミエ”、”ザ・ピーナッツ”

彼女たちはテレビ・ラジオでよく知った歌手だが、今でいう「タレント」のイメージとはちがった。シルヴィ・バルタンは、アメリカンポップの向こうをはったフレンチポップの旗手でもあったし、そんな中、アメリカンポップのカバーを中心に、日本の白黒のテレビの娯楽番組で活躍したのが中尾ミエであり、ザ・ピーナッツの歌手たちだった。

1960年代からずっと後、1980年代の「アイドル」に、今般高級官僚との結婚で話題になった「菊池桃子」がいる。当然ながら、当時のテレビで見ることはあっても時代を共有した感はない。彼女の結婚相手の官僚と近しい関係だった某元役人の評論家が悔しんでいるのはご愛嬌。

タレントは、若者の心にそれほど喰い込んでいたようだ。私にしたら、<桃>の字つながりで思い出すのは、「桃井かおり」かはたまた「河内桃子」の方かもしれない。

2019年11月6日水曜日

健康体操教室

きょうから再び「健康体操教室」へ通うことになった。3年ほどブランクの末の出戻りである。もともと年配者向けの教室なので、無理のないストレッチ体操が中心であるが、汗をかくほどの運動量はある。

(本ブログ関連:”健康体操教室”)

以前、体操教室と他の趣味との時間が調整できず、つい教室を休んでしまった。その後しばらくして気付いたことだが、次第に体がなまってきたのだ。歳相応なのだろうが、姿勢がよくないこともあり、今年後半から時間の余裕もできて教室を復活させた次第。

無理のないストレッチとはいえ、一人でできるならこしたことはないけど、家で体を伸ばしたりねじったりするのは長続きしない。すぐに飽きてしまう。やはり、みなと一緒に、先生の指導を受けながら続けるのがよい。今回は体力の続く限り通いたいと思う。

教室の運動量は、私にとってそれなりの負荷がある。帰宅後、解放されたせいかつい転寝してしまった。以前もそうだったし今回もそう。実に心地よい居眠りなのだ。

そうそう、体操の途中で水分補給が必要だ。自販機でペットボトルの飲料を用意しておこう。

2019年11月5日火曜日

(雑談)趣味的なこと

定年後にやってみたいことのアンケートに、本気度は別にして昔のおじさんたちが思い浮かべたものは、<喫茶店>とか<古本屋>だった。のんびりした時代、まんざらでもない夢だった。

冷徹なコンサルタントは、これからの時代、客待ちの仕事なんて経営として成立しませんよといった。実際、個人営業で<喫茶店>や<古本屋>を成功したという話を聞かない。定年後に、趣味的にやっていけるほど甘い仕事ではないようだ。

趣味に限定すればやれることはある。受動的な趣味ならばさらに大丈夫だ。映画は作れなくても、しろうと映画評は誰にでもできる。絵画を描けなくても、美術展を巡ることは誰にでもできる。趣味的であるというのは、対象と適当な距離にいるということなのだ。

なにより趣味的なことは、いつでも始められるし、いつでも止められる。そのタイミングに人生をかける決意も必要ない。また関心が冷めても人生に挫折することもない。趣味的なことは、その意味で楽しみ気楽なものだ。

あしたから、健康体操教室を復活させようと思っている。この場合、趣味的というより体力維持の方かもしれないが。

(本ブログ関連:”健康体操教室”)

2019年11月4日月曜日

日なたと日かげの温度

寒い季節に街に出るとき、できるだけ日なたを探して歩く。日かげに入ると急に冷えるからだ。そんなとき、<月面>の日なたと日かげの温度差を想起してしまう。(毎週通う、きょうの市民講座は振替休日のため休講)

JAXA(宇宙航空研究開発機構)の月探査月周衛星「かぐや」の説明で、「月の環境」*について次のように説明している。
(*)JAXA: http://www.jaxa.jp/countdown/f13/special/moon_j.html
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月の重力は地球の約6分の1。ほとんど大気がないため、昼夜の温度差が非常に大きくなります。月の赤道付近の観測では、昼は110℃夜は-170℃と、その差は200℃以上もあります。
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これって、月の昼夜を分けて月面温度差を説明しているが、昼間の同時刻について岩かげがある場合、日なたと岩かげの温度差は一体どうなるんだろう。大気が薄いので当然対流はないから、日なたが110℃で、岩かげは-170℃ということになるのだろうか。

宇宙服(船外活動用)が1000万ドルと聞いたが、月面用の場合もっと高価だったのだろうか。地上の日常生活では、季節の衣替えはあるが、日々について幸いなことに空気の対流のおかげで、同日の日なた用・日かげ用の区別なんてない。

ところで、<砂漠>についてWikipediaを見ると、季節の特徴として次のように説明している。こうなると、耐性の強い昆虫にでもなるしかないようだ。
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・最高気温は夏にはおおむね30℃を上回る地域が多く、40℃を超す地域も珍しくない。50℃を超えるような高温が観測される地点は、そのほとんどが砂漠気候である。
・一方冬の最低気温はサハラ砂漠でも氷点下にまで下がるときもあり、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠などの比較的高緯度の地域では、-20℃以下の酷寒となる。
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やっぱり寒いものは寒い。わたしは寒いのが苦手である。

2019年11月3日日曜日

文化の日 2019

11月3日は祝日「文化の日」であり、日本の文化の発展に寄与したひとびとへ「文化勲章」が授与される日でもある。そんな祝日に、私といえば文化と関わりない生活をしているので、のんびりだらりと日永送った。

(本ブログ関連:”文化の日 201820162015”)

きょうの新聞各紙は、文化勲章受賞した次の各氏と業績分野を報じた。
・吉野彰氏(71):ノーベル化学賞受賞者、旭化成名誉フェロー(同時に文化功労賞)
・野村萬氏(本名 野村太良)(89):狂言
・甘利俊一氏(83):数理工学者
・坂口志文氏(68):免疫学者
・佐々木毅氏(77):政治学者
・田沼武能氏(90):写真家

ノーベル賞受賞の吉野氏については、その受賞報道で業績を知った。狂言の野村氏は狂言がテレビなどで話題になるとき名前を知ったような・・・。このお二人しか見当がつかない。ともあれ、庶民が知らなくても日本文化が蓄積していくわけで、1937年以来のすばらしい伝統が続いているわけ。

2019年11月2日土曜日

吉祥寺

JR「吉祥寺駅」の北側に、中央線に平行して東西に走る「五日市街道」の筋がある。昼過ぎのんびり歩いてると、街道に面して寺院の標札をつぎつぎ目にする。

この地は古くからの寺町といわれるが、江戸時代の「明暦の大火」(明暦3年、1657年)の結果、江戸本郷の門前町が移り住んできたもので、さらに「関東大震災」(大正12年、1923年)後に、都心からひとびとが流入して発展したといわれる。

大手書店や古本屋を目当てにたびたび訪れる。しかし、それも最近きつくなってきた。

そういえば、駅南口の「井の頭通り(水道道路)」の南側に広がる「井の頭恩賜公園」にいたっては、最近全く足を伸ばしていない。行動範囲が狭まるばかり。


(追記)
吉祥寺の町にある武蔵野大学で開かれた市民向け連続公開講座「大乗経典の魅力を語る」の第5回「『華厳経』はどのような作品か」(堀伸一郎氏、国際仏教学大学院大学 国際仏教学研究所 副所長)に出かけた。

前半は、堀氏の研究課題であるサンスクリット語による「華厳経」の文献学的な解釈で・・・内容理解に至らなかったが、後半は、華厳経典中の「入法界品」について、少年スダナ(善財)が54人のひとや神・菩薩などを訪ねて法を求めるといった、次のようなトピックを語っていただきしろうとながら興味持てた。
・スダナが会った54人中、2人は同じ場所だったので、53ヶ所での展開となる。このことから、「東海道五十三次」の53につながるのではと語られた。
・スダナが訪ねた地に、「補陀落(サンスクリット語のポータラカ)」があった。補陀落の名前に「補陀落渡海」信仰が浮かんでくる。若いときにずいぶん興味・関心を持った。

(本ブログ関連:”補陀落渡海”)

2019年11月1日金曜日

コスモス畑

先月の半ば(10/15)に見た公園の「コスモス畑」へ再び出かけて驚いた。前回の咲き具合と違って、畑一面がコスモスの花で埋めつくされていたからだ。盛りは遠に過ぎたのではと案じながら寄ったところ、暖かい陽射しに照らされてまぶしいほど輝いて見えた。それは思い描いたようなみごとな花畑だった。

(本ブログ関連:”コスモス”)

コスモスについて、Wikipediaによれば「熱帯アメリカ原産。メキシコからスペインに渡り・・・コスモスと名づけられた。日本には1879年(明治12年)に渡来」とのこと。
きのう(10/31)のブログに記した、「西南の役」(1877年)の翌々年でしかない。きわめて新しい外来植物なのだ。その可憐な美しさに魅かれて人気があるが、「在来の自然植生の攪乱(かくらん)」という面もあるという。この花、すっかり受け入れていたが、トラップにでもひっかかってしまったのだろうか。

太陽の光に照らされて、そよ風に揺れる姿がよく似合うコスモスは、キク科植物といわれるまで気付かない。野草に混じって咲く野菊とその点でちょっと違う気がする。


きょうの公園広場には、めずらしいことに小学生の集団が複数いて、賑やかにはしゃぎ声をあげていた。それも、いろいろな学校から来たようで、車体デザインの違う観光バスが駐車場にずらり並んでいた。また、公園内にある、民家などの建造物を並べた博物園に、観光気分と違った雰囲気の外国人一団が訪れていた。どれもあまり見かけない光景だ。