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2019年11月24日日曜日

(雑談)お前は誰だ

昨日から続いた雨も昼ごろに止んで、午後は曇り空とはいえ路面もすっかり乾いた。おまけに、一昨日、昨日と寒い日が続いたが、きょうは少し気温が戻りおだやかに和む思いがした。
ちなみに、都心のここ数日の<最高気温>は次の通り。
・一昨日(11/22): 10.8℃  ← 今月中で一番寒かった
・昨日(11/23)   : 13.0℃
・きょう(11/24): 19.1℃(13:49)

そんなわけで、拍子抜けする話を探してみた。

先日(11/17)手にした「江戸奇談怪談集」(須永朝彦 編著、ちくま学芸文庫)の<怪談>編に、「狗張子(いぬはりこ)」に採録の「死して二人となる」の話がある。死者とウリ二つの男がたずねて来てひと騒動起すという、一口噺というか一息噺があって、落語に通じる可笑しさがある。要約すると次の通り。
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小田原城下の百姓村で、中間(ちゅうげん:侍の下、小者の上)が死んだ。村人が夜更けに埋葬しようとしていたとき、ある男が突然訪ねてきて、遺体のそばに座って啼き出した。すると、死んだはずの中間が起きあがり、二人は殴り合いを始めた。驚いた村人は逃げ出し、日暮れに部屋をふたたび覗き込んだところ、うり二つ(顔形から衣服まで)の二人が倒れていた。ひとびとは男たちを同じ棺に納めて塚を築いたという。
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二人の一方は既に死んでいるのだから、「ドッペルゲンガー」の逆バージョンというべきか。自分と自分の影とでもいうべき存在について、ヨーロッパ的な自我は意外と脆いのかもしれない。東洋というか日本には、そんな幻視はなかったのではないだろうか。ただ、視点のでんぐり返しを楽しんでいた節はあるようだ。

落語に、以前(2017/3/8)のブログで触れたように、自分の死体を引取りに行くという「粗忽長屋」がある。かつぐ当人が、自分がいったい誰だか分からなくなるという可笑しみがある。

(本ブログ関連:”粗忽長屋”)