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2014年11月30日日曜日

イ・ソンヒ、今年の人物部門検索順位で第6位(Daum)

師走が迫ってくると、恒例のまとめが始まる。今年のいろいろな出来事や人物への関心や人気について思い返すことだ。
イ・ソンヒが、サイト「タウム(Daum)」(タウムカカオ*)で今年検索された人物中6位だったと、ヘッドライン済州の記事「2014年 今年の人物・・・検索語総合1位は?」(11/29)は次のように報じている。
10位のハ・ジウォンと合わせて喜ばしいかぎりである。

(*)タウムカカオ: 韓国2位のポータルサイト「タウム」(タウムコミュニケーション)と韓国1位のモバイルメッセンジャーアプリ「カカオトーク」(カカオ)の合併社
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・タウムカカオが28日、2014年の一年を整理して今年1月から11月まで検索回数が最も多かった「今年の検索語」を部門別に公開した。

・人物部門ではJTBCニュースルームのアンカーであるソン・ソッキが1位を占めた。2位は秋信守、3位EXO、4位チョン・ジヒョン(モデル)、5位少女時代の順だ。

6位はイ・ソンヒ、7位IU、8位Hyeri、9位Ailee、10位ハ・ジウォンがそれぞれの名前を連ねた。

・「今年の検索語」は、事件、新規、最多、人物、放送、映画などに分かれて、検索回数が多い順にまとめて発表している。
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2014年11月29日土曜日

イ・ソンヒの「I Have To Say Goodbye」

イ・ソンヒの曲には、未熟さゆえの別れを、独り追想するものが多い。ある意味、ドラマ性とは離れた面もあるけれど回想は美しくなり、まさに女学生年代に受け入れられた。音楽界に登場して、以来17年近く時代を共有したファンたちもいろいろな人生を経験するわけで、彼女の歌にも多面な変化がある。

その17年目にリリースされた、12集(My Life+ Best)に所収の「I Have To Say Goodbye」(2001年、作詞:イ・タギョン、作曲:チョン・シロ、編曲:ユ・ヨンソク、パク・ヨンス)は、心ならずの別離であるが、歌詞がいつもと違う。
もう、さよならを言わなくちゃいけないという詞に、刹那的出会いを連想させる、どこかさばさばしたものを感じる。そこに、おじさんは思わず腰を抜かす。
新しく異質なるものを求める、女性特有のメンタリティーなのだろうか。イ・ソンヒのこの歌に驚くばかり。


あなたを愛したんじゃないわ、ただ酔ったのかしら
すれ違いはいやだったの、初めは本当にそうだった
電話を待ったりもしたわ、こっそり隠したときめき
あなたのその眼差しの中で、道に迷ってたわ
*
だけど、私には久しく一緒だった
人がいるって、知ってるじゃないの
私が全てである、彼をどうするの
しばらく(あなたと)一緒だった、時間を忘れて

now I have to say goodbye

互いを消さねばならなくて
うろたえさせないで
私の久しい彼を捨てられない

あなたを忘れたいの

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2014年11月28日金曜日

養老渓谷、金谷

昨日からの天候に恵まれて、千葉県夷隅郡大多喜町粟又にある「養老渓谷」巡りのバスツアーに参加した。養老渓谷に訪れたのは初めてである。

「養老」という言葉から、滝の水が酒に変わったという孝行伝説に出てくる「養老の瀧」(岐阜県養老郡養老町)との区別をこの機会に整理した。千葉の養老渓谷は、紅葉時期の景観が素晴らしく、渓流にある滝を「粟又(あわまた)の滝(高滝)」という。

粟又の滝は、養老川の上流にあって、川床を緩やかに斜めに削ってできた滝だ。滝の下から、岩肌を落下する水流を眺めるのもよいが、滝の上で滑り落ちる水の勢いを眺めるのもよい。左の写真は、滝上部に脇道があって、そこから渓流の下りを撮ったものだ。

足元は、ドロ状で滑りやすい。川床が泥岩からなっているからだろうか。おかげで、靴はドロだらけになってしまった。年長者には、この岩場での転倒を心配をしてしまう。

紅葉はピークを過ぎただろか・・・とはいえ、葉を染めた木々が、まだ渓谷を彩っていたし、渓流の音と光と相まって景観を楽しめる。

ツアーの楽しみにもう一つある。フェリー港、金谷でカキ、ホタテ、サザエ焼きを時間いっぱい賞味したのだ。いやあ実に美味かった。てきぱきと食べる人あれば、慌てて後追いする人もいる。楽しくて面白い一日だった。

(付記)
バスの振動は心地よい。会社帰りに、バス路線をわざわざ選んだほどだ。今回も乗車中、ほとんど居眠りしていた。

2014年11月27日木曜日

小春日和

今日は朝からぬくもりがして、寒さが苦手な身には、気持ちまで緩むような一日だった。この時期、暖かく穏やかな小春日和はまことにありがたい。

【Wikipedia情報によれば】
英米では、よく知られているように、小春日和を「インディアン・サマー(Indian summer)」という。ネイティブ・アメリカンの生活行動やインド洋の気象に関連するそうだ。
ドイツでは「アルトバイバーゾンマー(Alt-weiber-sommer)」といって、「老婆の夏」といわれるが、実際は蜘蛛糸に関連する。秋に蜘蛛が糸を流して飛ぶ様から、老人の白髪に例えたよう。「爺さんの夏(Großvatersommer)」というのもあるそうだが・・・で、何で夏(sommer)なの?

図書館のスタディールームは、午後の陽射しにカーテンを閉めざるえないほどだった。いつもなら、午後3時を過ぎるとひんやりしてくるのに、今日は午後4時頃まで部屋はぬくぬくしていた。それでも、その後、急に冷え始めた。やはり冬だ。

この小春日和、明日はくだり坂のようで、来週は厳しい冬に戻るという。

2014年11月26日水曜日

イ・ソンヒの「そうよ過ちは私にあります」

イ・ソンヒらしさって、力強く突き抜けるような高音を響かせることなのだと思い返す。最近、彼女の初期作品に耳を傾けることが多い。元気と無垢が背中合わせになっている、そんな感じがいいのかもしれない。
2集収録の「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」(作詞チュ・セホ、作曲チョン・ギョンチョン、1985年)も、背伸びしたい年頃に、さぞや受け入れられたことだろう。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのファン”)

熱い涙で、胸濡らしながら
一人で、とても悩みました
*
そんなに愛した私を
忘れてもかまわないんですか
胸いっぱいになる、そんな悲しみを
一人で、受けとめてます

これ以上のこと、もっとあったのに
私たちが別れるなんて、信じられません

そうよ、過ちは私にあります
いつも、私だけのせいだから

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2014年11月25日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 大木匠(棟梁)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第81回として、木造の家を建てる棟梁、「大木匠(대목장)」にまつわる話を紹介した。

始めに、パンソリ「興甫歌(흥보가)」の物語りから「大木匠」について、次のように紹介された。
・ある日、興甫(フンボ、흥보)は怪我したツバメの足を治した。ツバメは恩に報いるため瓢箪(ヒョウタン)の種を運んできた。その種からなった瓢箪を割ったところ、最初の瓢箪から金と米が、二番目の瓢箪から絹が出てきた。三番目の瓢箪から、職人が出てきてテキパキと、立派な瓦葺きの家を完成した。

(本ブログ関連:"興夫歌"、"興甫歌")

・昔は、宮殿や大きな瓦葺きの家の建築には、「大木匠」と呼ぶ棟梁が全てを総括した。家を建てる職人を大きな木の意の大木といい、家具などの生活用品を作る職人を小さい木の意の小木と言った。大木に匠を付けて大木匠と呼び、建築の設計、施行、監督に至る責任者で、官職につくほど重要な職だった。

▼ パンソリ「興甫歌」から「興甫、家を建てる場面(흥보 집짓는 대목)」を聴く。パンソリ・・・である。

次に、棟梁である大木匠の文化的な位置づけについて次のように説明された。
・木造の家を建てる大木匠の役割は大変重要だ。大木匠の手を経た建物に、仏国寺(불국사)や昌德宮(창덕궁)などがある。大木匠は、建築文化を率いてきた芸術家とも言える。ここ100年近く、コンクリート造りの西洋建物に慣れてきた中で、大木匠の役割は次第に忘れられてきたが、最近、伝統文化に目覚め、韓国固有の家屋、韓屋(한옥)に関心が集まっている。文化遺産の保存ととにもに大木匠の役割も注目されて、ユネスコ人類無形遺産に登録された。

▼ 京畿道坡州地域の歌「敷地を固める音(집 터 다지는 소리)」を聴く。労働の歌らしく、反復と軽快さが伝わる。

最後に、木造建築の作業と大木匠になる修行について次のように解説された。
・建築作業に敷地を整える重要な作業がある。木や石を使って土地を整える作業を、互いに呼吸を合わせ、歌を歌いながらした。伝統的木造建築は、木組みに釘を使わず、木を精巧に削って互いにかみ合わすのが特徴。木の特徴を把握し、建物の用途や自然環境など考慮して、適切な木材を使う。外見の美しさも重要だ。
・大木匠は数十年の経験を重ねて、人並み優れた者だけがなることができる。大木匠が最も活躍したのは、景福宮(경복궁)を再建(朝鮮末期1867年)したときだ。ソウル鐘路にある宮殿に、全国から人を集めて再建に取り組んだ。

▼ 景福宮再建当時、広く歌われた「景福宮打令(타령)」を聴く。「再建時に集まった芸人の歌」とのこと、沸き立つ賑やかさだ。

2014年11月24日月曜日

金鶏鉱山鉱物採集

先月9日に転んで右膝を強打して以来、久し振りに石仲間と一緒に、長野県茅野市金沢にある金鶏鉱山へ鉱物採集に出かけた。膝の治り具合に正直自信がなかったが、何と無事にやりとげた。

早朝、JRのK駅前でS氏と待ち合わせして、H氏の車に同乗、待ち合わせ場所でY氏と合流。そのまま、金鶏鉱山に進む。諏訪南ICからの道のりは、関連書籍に掲載の通り、驚くほど整備され分かりやすい。道筋の紅葉の美しさに感嘆するが、枯葉がやっかいなことに後で気付くことになる。

(本ブログ関連:”(資料)金鶏鉱山”)

水が少量流れている沢の向かい斜面が採集場所で、枯葉に覆われていて滑りやすく、採集に少々手間取る。斜面上部と下部の転石の種類が異なる。膝の調子を考慮して、斜面上部で採集は1回に留めた。快調なら何度も往復できたのに残念。

あたり一面、緑色したクロム白雲母だらけ・・・最初、孔雀石かと驚いた。

採集の結果は次の通り。(頂き物を含む)
・苦土電気石(針状)、クロム白雲母、水晶(晶洞、日本式双晶)、クロム鉄鉱(粉)、緑泥石、石英

けれど、セリウム・フローレンス(石)様との出会いは叶わなかった・・・幹事役のY氏には舞い降りたのに。

(本ブログ関連:”セリウム・フローレンス様”)

この機会に次の頂きものがあった。
Y氏から: 北海道
・カンラン石(オリビン/クロム透輝石/石榴石、東邦オリビン採石所)、ペクトライト(日高町)、日高ヒスイ(日高町)
H氏から: 群馬県
・閃亜鉛鉱(白沢鉱山)、硫砒鉄鉱(白沢鉱山)、黄鉄鉱(根羽沢鉱山)

2014年11月23日日曜日

(資料)金鶏鉱山

明日出かける鉱物採集地「金鶏鉱山について、「金鶏山」と打ってネットで調べると、Wikipediaに奥州藤原氏にゆかりの平泉にある山が出てくる。私にとって懐かしい、東北修学旅行の経路(中尊寺~毛越寺)近くにあった山である・・・未だに、毛越寺の庭園の陽射しが焼きついている。何十年前のことか。

今回は、長野県茅野市金沢にある金鶏鉱山の方だ。同鉱山は、「鉱物ウォーキングガイド 全国版」(松原聡著、丸善)に次のように紹介されている。
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金鶏鉱山は、武田信玄によって開発されたと言われている。三波川変成帯に属する滑石-白雲母-緑泥石-石英片岩中に金を含む鉱床で、初期は鉱床の風化部に残された金鉱を水で選り分けて採掘していたらしい。その中心部が信玄つるし堀跡と呼ばれる場所と考えられている。
その後も江戸時代から、明治、大正、昭和時代に至るまで、小規模な採掘は断続的に行なわれていた。
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もし、かなうなら、「セリウム・フローレンス石」に、あるいは水晶の双晶に巡り会いたい。

(本ブログ関連:”セリウム・フローレンス石”)

天気は、まあまあのよう、幸運を祈るばかり。

2014年11月22日土曜日

小雪2014

今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。雪降りと違って、どちらかといえば冬の中休みのような、暖かく穏やかな一日だった。このまま連休が続けばいいのだが。(明後日の振り替え祝日の月曜日、久し振りに採集にでかけたいので)

(本ブログ関連:小雪”2011”、”2012”)

ところで、「小雪」の文字に最初に浮かぶのは、どうしても女優の小雪さんだろう。映画「三丁目の夕陽」シリーズは1作目しか見てないが、どうやら作家と結ばれたようだ・・・何だか薄幸なイメージがしていたけれど幸せになれただろうか・・・役の上では。

女優としての彼女は、むしろ化粧品のTVコマーシャルが印象深い・・・映画もTVドラマも不精で見ないため、CMでしか見る機会がなくて。彼女の容貌は、いわゆる情念を深く秘した般若顔の伝統的な日本美人だ。
般若顔的美人顔は他に、栗山千明さんなんかもあげられるのではないかな。
海外では、シンガポールのコン・リー(鞏俐)、韓国のチョン・リョウォン(정려원)・・・

・・・ぉおっと、「般若顔 美人」でGoogle検索したら、次々と小雪さんの名前が出てくるではないか。けれど、般若顔についてあまり好意的でないようだ。だが若者よ!まだ気づいてないのかな・・・歳をとれば理解できることなんだよ。


(追記)地震情報
夜遅く、テレビから地震のアラーム音が流れてきた。慌ててストーブを消して固唾をのむと、やがて、わが家も揺れ始めたが幸いすぐにおさまった。読売新聞の速報「長野県北部でM6・8地震、長野市で震度6弱」(11/22、22時22分」によれば、震源は長野県に珍しく規模の大きいものだった。
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22日午後10時8分頃、長野県北部を震源とする強い地震があり、長野市、同県小谷村、小川村で震度6弱を記録した。
地震の規模を示すマグニチュード(M)は6・8、震源の深さは約10キロ。
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2014年11月21日金曜日

小川未明の童話「石をのせた車」

小川未明の童話「石をのせた車」は、生きることの刹那を知る、まるでスケッチのような短文だ。主人公は、時間が重荷になった大人ではない、時間を抱いて生きていく少年である。しかし、時代は残酷だ、乞食という言葉が通用したころの童話である。

あらすじ:
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あるところに病身で身寄りのない、歳の頃十五の少年がいた。生きるすべを失いかけていたとき、通りがかりの老婆に温泉で養生するように勧められる。しかし、その費用を工面する当てもなった。仕方なく、少年は意を決し底辺に身を置くことにした。人に銭を恵んでもらうことだ。

あるとき、四つ筋に立って、行きかうひとに小さな手伝いをして小銭をためた。もちろん十分ではない。その晩、物乞いたちが集まる処に身を寄せて過ごすことにした。新入りの少年は、正直に、四つ筋でのいきさつと小銭について話した。脅され危うく小銭を取り上げられそうになったのを救ってくれた男に、翌朝、四つ筋を横取りされてしまう。

途方にくれた少年は、坂道を上がるのに難儀していた「石をのせた馬車」を押してやる。その時、きらりと輝く小石が落ちた。坂の上まで登った御者は礼もいわず立ち去った。少年は落ちた石を拾い町に出た。ある店で石を見せたところ、星のかけらのような美しい紫色のその石を主人は買ってくれた。もっと欲しいとまでいわれた。

物語の最後を原作のまま載せる:
「少年は、その店から出て、往来に立ちましたときに、また、今夜も、あの坂の下に待っていて、もし、あの車がきたときに、後を押してやろうかなどと考えましたが、なんでも、いい機会というものは、二度あるものでない。お開帳の日だって、つぎの日には、あんなことがあったと考ると、旅費のできたのを幸いに、はやく目的地をさしてゆこうと決心したのであります。」
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2014年11月20日木曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

何度も触れたことだが、イ・ソンヒの代表曲のひとつである、しっとりとした曲調が美しい3集収録の「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)は、作品の成立にさまざまな逸話がある。ファンも一緒になって作ったといってもいいかもしれない。

「李氏朝鮮で最も有名な妓生」である黄真伊(ファン・ジニ:황진이)の伝承に引き込まれるようにして、この歌は元々、彼女の次の漢詩がベースになって生まれたとまことしやかな噂となった。

蕭寥月夜思何事
寢宵轉輾夢似樣
問君有時錄忘言
此世緣分果信良
悠悠憶君疑未盡
日日念我幾許量
忙中要顧煩或喜
喧喧如雀情如常

実際に、作曲家と作詞家の関係、この歌を最初に発表したのは、あるいは、漢詩はいかにして登場したかなど興味深い話題を、次の「本ブログ関連」のリンク先で紹介した。現在は、古典をしのびつつも、逸話にぶれることなく、ファンに長く支持される名曲となった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「分かりたいです」、そして漢詩”)


月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のhyunmi kimに感謝)

2014年11月19日水曜日

セリウム・フローレンス様

まだお目にかかったことがないのに、突然このような文をしたためましたことご容赦願います。

水晶の狭間に隠れていらっしゃる妖精、セリウム・フローレンス様に、一度お目にかかりたくお願い申しあげます。

写真で拝見しただけですが、ピンク色に頬を輝かせ、薄紫色の衣から香気が漂うお姿にお会いしたく存じます。

ルーペの奥に、あなた様の清雅なお姿とお目にかかることがかないましたなら、望外の幸せでございます。

ぜひとも、妖精の羽を休めて、私のそばに舞い降りられますよう切に願っております。

2014年11月18日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 清声濁声

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第80回として、国楽(伝統音楽)の音域を指す「清声濁声(청성탁성)」にまつわる話を紹介した。

始めに、国楽の音域、弦楽器「玄琴コムンゴ거문고)」と打弦の「匙(スルテ、술대)」について次のように紹介された。
・国楽の五つの音域で、中心となる音域を「中声(중성)」と言う。中声から1オクターブ高い音域を「清声(청성)」、1オクターブ低い音域を「濁声(탁성)」と言う。
・代表的な弦楽器「玄琴」は時々、打楽器ではと言われることもある。竹棒の「匙」で弦を叩いて演奏するためだ。弦を弾ませてきれいな音を出すのでなく、力いっぱい叩いて音を出すのが特徴。匙が弦を叩いて、筒の本体にぶつかる音も玄琴の音色を構成する。さらに、左手で弦をこすりつけて出すのもまた玄琴の音だ。バイオリンやハーフのような音色に慣れた人には、聞き慣れぬ音色かもしれないが、文化によってこのような違いもある。

▼ 玄琴散調から、国楽の拍子「チュンチュンモリ(중중모리)」を聴く。躍動感あって喜怒哀楽の部分に聞かれるとのこと。

次に、管楽器「大笒テグム대금)」の特徴であるリード部分の響きについて、次のよう解説された。
・「大笒」演奏の姿はフルートと似るが、その音色は全く違う。大笒の構造に、息を入れる吹き口の少し下方にもう一つ穴があって、<吹き口>と、音の高さを変えるためにおさえる<音孔>の間に位置し、これを「清孔(청공)」という。この清孔に、葦(あし)の茎内にある「ソクチョン(속청)」という白い薄膜(=リード)を張り付けて塞ぐ。息を吹くたびソクチョンに振動が伝わり、不思議な音がする。風になびく旗音に似た小さい音だ。フルートの音色に慣れた人には、練習不足で未熟な音に聞こえるかもしれないが、大笒演奏は、このソクチョンの見事な振動にかかっている。

▼ 振動の響きを重視した大笒演奏「清声曲(청성곡)」を聴く。この楽器は、音色も深く素晴らしいし演奏スタイルも格好いい。

最後に、白磁「月壺(달항아리)」の<破調>に似た造形から「奚琴ヘグム해금)」について、次のように説明された。
・月壺は、模様のない白磁の丸壺で、月のイメージから呼ばれた。しかし、完全な丸でなく、片方は丸く反対側はへこんだ形がほとんどだ。大きな月壺を作るとき、上下別々に作って貼り付けたため、窯の中で模様がつぶれたり、壺の形がへこんだ。丸い形を作れなかったのではない。優れた陶磁器は既によく知られていた。わざわざへこんだ形にしたのだ。
・中国の二胡に似た、二弦の擦弦楽器、「奚琴」にもそんな響きがあるようだ。

▼ 京畿民謡「臼引き打令(방아타령)」を奚琴演奏で聴く。中国風の響きがする。

2014年11月17日月曜日

イ・ソンヒの海外公演はあるか

イ・ソンヒは、昨日・一昨日の水原コンサートを終え、今年の全国ツアーを成功裡に終わらせた。にもかかわらず、ファンの要望は止まないようだ。スターニュースの記事「『27回、全回売り切れ』 イ・ソンヒ、海外・国内コンサート アンコールの要望殺到」(11/17、キル・ヘソン記者)によれば、アメリカ、オーストラリアの海外公演まで期待が高まっていると次のように報じている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ、2014年全国コンサート・ツアー仕上げへ(チケット全回売り切れ)”)

それなら、イ・ソンヒの日本公演はどうでしょうか・・・。コンサートが、2、3年に一回のペースなので、私としては旅の楽しみも含めて、ソウルでのコンサートの方がよいのだが。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒの日本語曲「空がくれたもの」、「見せたいけしき」”)
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・「女性歌王」イ・ソンヒが、延々8ヶ月をかけた全国コンサート・ツアーを成功裡に終わらせた中、国内はもちろん海外までアンコール公演の要望が殺到している。

・イ・ソンヒは、去る15日と16日の二日間、各1回ずつ京畿水原市、水原室内体育館で歌手デビュー30周年、および今年3月正規(アルバム)15集「セレンディピティ(SERENDIPITY)」発売を記念した、全国ツアーの最後の公演を持った。

・イ・ソンヒは先行のコンサートと同様、水原公演も二日合計6400席全てを完売させる底力を見せ、3時間の(コンサートの)間、ファンたちと泣いて笑って深くかかわった。特に、16日の公演にはトップスターでありフックエンターテインメントに共に所属する後輩のイ・ソジンとイ・スンギが直接現場を訪れ、イ・ソンヒはより一層の力を得た。

・水原公演を最後に、今年4月に始めた全国ツアーを全回売り切れのなか終わらせたイ・ソンヒに、現在、追加コンサートの要望も押し寄せている。

・フックエンターテインメント関係者は、17日のスターニュースに「全国ツアーを有する間にも、国内で公演した都市はもちろん、しなかった都市で年末コンサートなどアンコール公演を持つという提案を多数受けた」とし、「韓国を越えて、アメリカとオーストラリアなど海外でも単独コンサートをして欲しいという要望が殺到し、今も同じ」と伝えた。

・この関係者は、「3時間に渡ったイ・ソンヒの単独コンサートの最後はデビュー曲『Jへ』を観客と一緒に歌うもので、このように彼女の誠意のあるボーカルを感じることができて、老若男女の観客と息の合った公演なので、ありがたいことにアンコールの要望が多いようだ」と明らかにした。

・だが、イ・ソンヒが直ちにアンコール公演の要望に応じることは難しい見通しだ。

・この関係者は、「現在のイ・ソンヒは、最善を尽くして全国ツアーを終わらせた状態で、休息が必要な状況」としながら、「一定期間の休息後、自身に大きな愛を送ってくれたファンにより良い姿でごあいさつする予定」と伝えた。

・一方イ・ソンヒは、4月18~20日ソウル世宗文化会館/5月10~11日大邱エックスコ/5月24~25日蔚山室内体育館/6月7~8日光州コンベンションセンター/6月14~15日城南アートセンター/6月28~29日釜山KBSホール/7月12~13日富川室内体育館/8月30~31日全州ソリ文化の殿堂/9月13~14日安養室内体育館/10月4~5日大田正心華ホール/10月17~18日昌原城山アートホール/今月1~2日一山高揚アラムヌリ、および16~17日水原室内体育館など、全国13都市で合計27回にかけて全国ツアー公演を行った。

・イ・ソンヒは、13都市27回の公演を全て完売させ、合計7万余のファンと出会う大記録をたてた。

・「30年の女性歌王」 イ・ソンヒの底力を正しく知らせた全国ツアーであった。
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2014年11月16日日曜日

公園の秋

日向と日影の差に驚き、あるいは雲間に隠れた太陽を探して、暖かい陽のありがたさを思い知る。休日の昼過ぎ、近所の公園を久しぶり散策した。

(本ブログ関連:”公園1”、”公園2”、”公園3”)

木々は、すっかり葉を染め、また樹下に落ち葉を敷き詰めている。二十四節気の暦の上では冬に入っているものの、秋の景色がたっぷり残っていた。

健康体操教室で教えていただいた通り、公園は映画のような秋景色で迎えてくれた。公園の中央に北側へ通り抜ける路があって、見上げるように高いユリノキが一部片側に並んでいる。

何だかフランス映画に出てきそうな洒落た光景だ。といっても、フランスに行ったこともないけれど・・・多分そんな秋があるんじゃないかなと妄想する。左写真のユリノキの木立の隙間から、児連れ家族が三々五々遊んでいる、いこいの広場を見ることができる。左側から、キャッキャッという子どもたちの遊び声が聞こえてくるようだ。

ユリノキは、見上げるような高い木立だ。初夏にチューリップに似た大きな花を咲かせる(ボソッという感じで落ちてくるが)。秋には、葉を染めて周りを落葉で埋める。陽が傾いて、幹の長い影が伸びてくる。ところで、木立の周りに厚く積もった落ち葉を盛り集めているものがあった。焼き芋でも作るのかな・・・落ち葉が香りすることも忘れてはいけない。

陽が傾くのが速い。3時頃には、寒さが辺りをつつみ始めた。そそくさと帰り仕度する。これで秋の景色を見に行こうという思いを果たした。

2014年11月15日土曜日

イ・ソンヒと住民登録番号

韓国は国民一人ひとりに、「6桁(生年月日)-1桁(年代別性別)4桁(出生地コード)1桁(出生登録順)1桁(チェックデジット:誤検出用)」の数字で構成する、「住民登録番号」が付されている。重要な個人情報である。

(本ブログ関連:”住民登録番号”)

イ・ソンヒの初期アルバムに、何と彼女の住民登録番号が掲載されているという話題が、写真入りで以前からブログ*などであった。クッキーニュースの記事「【親切なクック(ぶすり)記者】 『イ・ソンヒのアルバムに住民番号が?』 杜撰だった個人情報管理、ネチズン『驚愕』」(11/13、ミン・スミ記者)は、その話題からセキュリティの重要性について次のように報じている。

    (*) ブログ:「킬크로그(killklog)」(本ブログ関連
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・好きな歌手のCDを買って聞くというのは、愛情がなければ難しいことです。ファンでもそうです。オンライン音源で音楽を聞く時代の今はもっとだと思います。国民歌手イ・ソンヒ(50)*のCDには、素晴らしい彼女の声以外にも特別なのが入っていますね。

    (*) 年齢:数え歳、満年齢なら現在49歳。

・最近、インターネット・コミュニティーに出まわっている写真*があります。1985年発売されたイ・ソンヒの1集と2集、全曲が含まれているアルバムを撮った写真です。イ・ソンヒのあどけない姿が印象的ですね。「Jへ」、「あ、昔よ」が含まれています。名曲でしょう。ジャケット写真の後ろを見ると驚くようなものが記されています。彼女の出生年月日、住民登録番号、本籍、現住所です。イ・ソンヒを紹介するために書いたようだが関心が高まっています。重要な個人情報であるためです。驚きと共に心配が押し寄せますね。特に住民登録番号は犯罪に悪用されることができます。

    (*) 写真:クッキーニュースの記事にも掲載されている。
    (本ブログ関連:イ・ソンヒの”本籍”)・・・ただし、番地は不記載

・イ・ソンヒのファンたちの間では、「アルバム中に記されている住民登録番号が本物だ、違う」を巡り舌戦が広がっています。しかし問題は、過去、個人情報に対する認識と管理がこのように粗末だったという点です。

・ネチズンも驚愕を禁じえなかったです。「何とまあ(そんな事があり得るかと驚きあきれる)」、「1、2枚売れたのではなかったのに」、「インターネットもない時で、重要だと考えていないよう」、「時代の違いでしょう。だが恐ろしいですね」 「住民登録番号持って何かをすることができる時代ではなかったんですよ」、「そもそも住民登録番号が何がすごくて、いろいろな重要行為の要求条件にするのか。それ自体が問題ですね」などの反応を見せました。

・一時、インターネットでは、ある小学校卒業アルバムが話題でした。卒業写真の下に名前と住民登録番号が一緒に描かれていたからです。ネチズンたち驚きましたよ。記事をモザイクにしあげた作成者は、「校長先生が、住所は変わっても住民登録番号は変わらないと、かように作られた」という説明を付け加えました。問題が深刻に見えます。

・去る6日、「カード3社の情報漏洩事件」の被害者が、地方自治体を相手に出した訴訟に敗訴したという報道がありました。被害者は、「住民登録番号を変更してほしい」と要請したが、裁判所は「個別的な住民登録番号の変更を認める場合、住民登録番号の個人識別機能が弱まって社会的混乱を招くようになる」と拒絶しました。

・続く情報流出事件と事実上一度もない後続対策に国民の懸念が増しています。イ・ソンヒのアルバムの写真を見て、ネチズンの肝を冷やしたのは無駄ではないですね。
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2014年11月14日金曜日

枯葉

本来シャンソンなのだが、耳に馴染んだのはナット・キング・コール(Nat King Cole)の英語版「枯葉(Autumn Leaves)」だった。イブ・モンタンの「枯葉(Les Feuilles mortes)」もラジオから流れていたが、この歌でしかイブ・モンタンを知らぬため、子どもの耳では距離感がつかめなかった。それに比して、アメリカンポップに慣れていたので、ナット・キング・コールの歌にはすぐに馴染んだ。都会的で、洒落た雰囲気に惹かれたのだろう。

(本ブログ関連:”ナット・キング・コール”、”枯葉”)

ナット・キング・コールの「枯葉(Autumn Leaves)」は、映画「枯葉(Autumn Leaves)」(1956年)の導入歌になっている。ただし日本未公開とのこと。内容は、Wikipediaに紹介されている。次のYoutubeは、Full movieだが、最初だけ聴くことにしよう。


(Youtubeに登録のdelacroix pepallに感謝)

2014年11月13日木曜日

アイドルからレジェンドへ 2014

2014年、イ・ソンヒは、デビュー30周年を記念して15番目のアルバムをリリースし、ソウルのコンサートを起点に全13ヶ所のツアーを展開した。昨年から続く歌謡界のベテラン歌手の復帰という話題もあり、彼女が音楽潮流の中でどのように語られるか関心あった。また、K-POPアイドルの脱アイドル化もいわれており、アイドルたちの超克がどうなっているのかも知りたいところだ。

ジョイ・ニュースの記事「【創刊10年】アイドル時代10年…新たな編成は2014K-POP / 10年ぶりにK-POPルネッサンス迎える転換点」(11/10、チョン・ピョングン記者)は、2004年のKポップが、多様な音楽の春秋戦国時代だったのに比して、2014年の今年について、「(3~4年程度の準備期間を経てデビューさせる)アイドルは、もはやK-POPの主人公ではない」と報じた。
合わせて、韓国アイドル界の歴史を知ることができるが、ここではイ・ソンヒについて触れている部分を抜き出す。

(本ブログ関連:”レジェンド”)
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・2014年はちょっと違う。アイドルは、もはやK-POPの主人公ではない。一つのジャンルになった。代わりに、「レジェンドの帰還」と一緒に多様な音楽が共存して愛された。2004年、あの時のように2014年はK-POPの新しい転換期だ。

・2014年は、大型歌手のカムバックが特に多かった。フライ·トゥ·ザ·スカイ、godが、再び一つになったし、イ・ソンヒ、ソテジ、キム・ドンリュル、MC The Max、パク・ヒョシン、イ・ソラ、Bobby Kim、イム・チャンジョンなど、歌謡界のルネサンスを導いた多くの歌手が長い間の空白を破ってカムバックした。「クラスは永遠だ」という話のように、彼らの音楽はファンたちを失望させなかった。彼らがひしめいた2014年は、いつの時より豊かだった。
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2014年11月12日水曜日

久し振りの健康体操

先月(10月)9日の夜道、転んで右膝を思いっきり痛打して以来、治りに一ヶ月ほどかかった。まだ、しゃがむと痛みが残っていて、それに足を急に捻ることもできないが、リハビリのために足を動かすことにした。

静養のため休んでいた健康体操教室に久し振りに行った。元来、体力維持のためだったが、ありがたいことにリハビリにも通じる無理ない運動なので、回復にもつながりそうだ。一ヶ月近い休みをとったためか、体操の最初、間違えたりしたが、それでも汗をかきながら遣り通した。

ああそれなのに、教室の帰り道、餃子店が目に入ってきたのだ。運動直後の食事は好ましくないと聴いたことがある。でも致し方ないこと・・・久し振りなんだから。

今度から節制するつもりだ。そして、鉱物採集で、しゃがんでハンマーを降りおろせるようにしなくては。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 改良楽器

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第79回として、改良された昔の楽器、「改良楽器(개량악기)」にまつわる話を紹介した。

始めに、伽耶琴カヤグム가야금)、玄琴コムンゴ거문고)、牙筝(アジェン、아쟁)などについて次のよう紹介された。
・時代変化と共に音楽や楽器は変わり、国楽も例外でない。昔の姿を保ちつつ改良が始まったのは、朝鮮後期からと記録される。数多くの楽器中、撥弦楽器の「伽耶琴」から改良が始まった。
・伽耶琴は十二弦、「玄琴」は六弦から成る。当たり前とされたが、最近は変わってきて、伽耶琴は十二弦よりも二十五弦が多く、玄琴も十弦まで増えた。「笛」も元々3種類だったが、今は数えきれないほど増えた。国楽を専攻者でも、その種類を把握しきれないほど改良楽器が多い。中でも、伽耶琴に似た擦弦楽器の「牙筝」は、弦の数、形も大きく変わっている。

▼ 淑明伽耶琴演奏団演奏「キサス・キサス・キサス」(1947年、キューバ)を聴く。懐かしい、蓄音機で聴くよう、今様である。

次に、伽耶琴の由来と曲調「伽椰琴散調(가야금산조)」と、楽器の改良の様々について次のように説明された。
・伽耶琴は、伽耶国の嘉実(가실)王と于勒(우륵)が作ったと記録されている。千年以上楽器の形状は変わらず継承されたが、朝鮮後期に改良され始めた。伽耶琴本体はコンパクトになり、弦の間隔も狭まった。音楽のテンポも速まり、それに合わせて改良されたのだろう。弦も細くなり、音色にも大きな変化が出た。この頃、登場した音楽の形式が「散調」だ。ゆっくり始まり次第に速くなるテンポ、リズムやメロディーの変化が激しいのが散調の特徴だ。
・さらに、金属弦から成る伽耶琴や、弦数を変えた多様な伽耶琴も登場した。最近は、二十五弦の伽耶琴が最も一般的だ。
・玄琴は大きく変わっていない。十本弦の玄琴もあるが、未だ広く演奏されていない。しかし、玄琴だけで演奏するグループ「コムンゴファクトリー」が活動を始め、玄琴の音色を色々な形で演奏を試みている。

▼ コムンゴファクトリー演奏「自由な鳥に(자유로운 새에게)」を聴く。青空に浮かぶか夕陽に漂うか羽音するよう、今様である。

・コムンゴファクトリーは、玄琴の大きさを普通の半分にしたり、チェロのように弓で演奏したりする。さらには、電子玄琴で違う音色を作ったりする。そのほか、「琵琶」やハープに似た「箜篌(くご)」などで演奏する方法も開発している。日本の笙とよく似た楽器「笙簧(センファン、생황)」のも、他の改良楽器と演奏をすることもある。

最後に、主に個人が楽器改良に対して、北朝鮮の改良楽器について次のように解説された。
・1960年代から国策で改良されたようだ。例えば、西洋にバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスのように、二弦の擦弦楽器の奚琴(ヘグム、해금)を4種類の楽器に改良して演奏を試みている。また、笛には、フルートやオーボエのようにキーを付けて、オクターブの切り替えなどしたようだ。

▼ 金剛山歌劇団演奏「フェヤンニルリリ(회양닐리리)」を聴く。なるほど異国西域の乾いた雰囲気のよう。今様である。

・日本で活動する歌劇団の演奏。聞き慣れた音色のようで、どこか異国的な雰囲気もする(とのこと)。

2014年11月11日火曜日

乙女の祈り、少女の祈り

子どものころ、初めて買ったクラシックのレコードは、演奏家も知らぬピアノ小品集だった。その「JOEL ROSEN PIANO ENCORES」のレコードについて、以前、本ブログでも記したが、レコードジャケットに次のような解説があった。

(本ブログ関連:”レコード盤”)

日本のコロンビアレコードが、このアルバムにバダルチェフスカの「乙女の祈り(A Maiden's Prayer)」(1856年)を加えて欲しいと希望したところ、彼(Joel Rosen)は承知しなかった。困った顔をして次のように断ったという。
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・日本ではたしかに有名な曲かもしれないが、この曲には芸術音楽としての価値が全然ない。この曲を録音するということは、真のピアノ愛好家の耳を穢すだけのことである。私は弾く気がしない・・・
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Wikipediaに、「乙女の祈り」の評価を知る朝日新聞記事(「『乙女の祈り』を探して」、2007年10月23日)が引用されている。このピアノ曲は、日本では知られていたが(現在はどうだろうか)、世界的にも、作曲者の故国ポーランドでも、ポピュラーでないという理由を、ソース記事は次のように報じている。(抜粋)
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・ピアノを習いたてのころ、だれもがあこがれる曲といえば「乙女の祈り」だろう。どこかはかなげな響きが胸にしみる。
・なぜポーランドで忘れられたのか。「その原因は、当時の評論家の偏見にあったと思う」とドロタ*。19世紀の音楽事典は「乙女」の作者をこう酷評していた。「浅薄な素人くささを超えられなかった」。音楽に高い精神性や芸術性を求めるあまり、音楽教育を受けていない少女の、独白のような小品を見下したのだろうか。
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(*)ドロタ:来日中のポ-ランド女性で、「乙女の祈り」について調査した。

イ・ソンヒに、「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)があって、風に舞い散る落ち葉の季節にひとり寂しさにふけりながら、春の訪れを待つ少女を歌っている。イ・ソンヒの清らかに澄んだ少女のような声が耳に残る。ところで韓国では、上記ピアノ曲「乙女の祈り」に、この題名と同じ「소녀의 기도」が使われているようだ。

2014年11月10日月曜日

イ・ソンヒに似ている?

街を歩けば、人混みに「他人の空似」を感じたことがある・・・それも昔のこと。今は、他人に関心が乏しくて、思いも及ばない。とはいえ人には、この世に、自身とソックリな人が3人いるという。どこかで巡り会っているかもしれない。

ネットに、知名の人物を二人あげて、ソックリかどうか投票するサイト「soKKuri」があって、田嶋陽子とイ・ソンヒがソックリかどうか○×投票している。何と、35%ほど同意があった。私は、「似てない~」の×ボタンを押したのだが。

イ・ソンヒの場合、メガネ姿が特徴なので、メガネをかけた人を見ると似通ったものを感じるのだろう。韓国のテレビコメディ番組「Manny」でシングルマザー役のチェ・ジョンユンもメガネ姿で、イ・ソンヒと似ているかなと思ったりした。仕事と子育てで主婦ぜんとしている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒに似ている”、”イ・ソンヒに似た議員”)

イ・ソンヒは、自身の詩に 「私はイ・ソンヒに似ているんですって?」があるが・・・この場合、本当の私は何かと自省することなのだろうけれど。

ところで、イ・ソンヒは、優れた才能の歌手でありながらも、容貌は童顔を残し、健全さと清潔さを合わせ持つ主婦的でもある。地下鉄に乗れば隣り合わせするような日常さがある。ファンにとって、そんな距離感がよくて、隔ての少ない存在といえるのだろう。

そういえば、日本でもイ・ソンヒに似ている人って、街なかに案外いるもんですよ。

2014年11月9日日曜日

DNS ルックアップでエラー

実は、昨日(11/8)の夜、帰宅してPCを立ち上げ、ウェブ上のいろいろなページにアクセスした後、本ブログを開けようとしたところ、灰色の四角の中に次のようなメッセージが表示された。

    「DNSルックアップでエラーが発生したため、このウェブページにアクセスできません」

上記表示は、トラブルを示しているわけで、ここから先へ進められない。つまり、自分のブログを見ることができない事態に陥ったのだ。慌てた・・・。スキルのない私には、事態が皆目見当がつかないのだ。どうしよう、どうしよう。

結局、このメッセージをそのママ使ってGoogle検索した。次に、Chrome環境で対処方法を説明しているウェブページを参照・試行して、「YAHOO知恵袋」のお世話になった。ここでクリア!したのだ。

「YAHOO知恵袋」の回答にある「ベストアンサー以外の回答」の中でも、「ID非公開さん (2014/4/214:48:07)」の説明通り実施したところ、本ブログ表示が復活できた。(感謝)

    主な対処ポイント
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    ◆DNSプリフェッチOFF

    ◆Google Public DNSの設定
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対処内容の意味について、繰り返しになるが、スキル不足のためサッパリ分からないけれど。書かれた通りに、チェックやDNSサーバーのアドレス設定をした・・・結果よければ全てよしではないか。

2014年11月8日土曜日

イ・ソンヒ、2014年全国コンサート・ツアー仕上げへ(チケット全回売り切れ)

今年のイ・ソンヒの全国ツアーは、今月末の水原コンサートを以って幕を閉じようとしている。スターニュース「”女性歌王”イ・ソンヒ、30周年ツアー 27回全回売り切れ 8ヶ月の大長征目前」(11/6、キル・ヘソン記者)は、これまでのコンサートを振り返って次のように報じている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ全国ツアーコンサート 水原”、”コンサート”)
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・「30年歌手」のイ・ソンヒが、もう一度「女性歌王」らしい面目を見せて、8ヶ月に及ぶ全国コンサート・ツアーの仕上げを目前にひかえた。

・イ・ソンヒは、来る15日と16日の二日間、毎日1回ずつ京畿水原市の水原室内体育館で、今年の全国ツアー最後の公演を持つ。今回の水原コンサートは、イ・ソンヒが歌手デビュー30周年および今年3月の正規15集「セレンディピティ(SERENDIPITY)」発売を記念して、4月ソウル世宗文化会館を始め突入した全国ツアーの最終公演だ。

・先立って、イ・ソンヒは、4月18~20日ソウル世宗文化会館/5月10~11日大邱エックスコ/5月24~25日蔚山室内体育館/6月7~8日光州コンベンションセンター/6月14~15日城南アートセンター/6月28~29日釜山KBSホール/7月12~13日富川室内体育館/8月30~31日全州ソリ文化の殿堂/9月13~14日安養室内体育館/10月4~5日大田正心華ホール/10月17~18日昌原城山アートホール/今月1~2日一山高揚アラムヌリなど全国12都市から合計25回にかけて全国ツアー公演を行った。

・6日現在、イ・ソンヒの所属会社「フックエンターテインメント」およびチケット販売業者によれば、該当の公演は全回売り切れて、もうすぐの水原公演も二日間合計の6400席全席チケットがすでに販売完了した。

・これでイ・ソンヒは、13都市27回公演で、デビュー30周年および15集発売記念の全国ツアーを全回ソールドアウトさせて、合計7万余のファンと会う大記録をたてることになった

・イ・ソンヒの底力をもう一度知るところだ。

・興行の成功だけでなく、イ・ソンヒは自身の名前に合うようにコンサート自体も「名品(プレミアム)公演」を作り出したという評価まで引き出している。

・イ・ソンヒは、有名作詞家キム・イナが歌詞を書いて、ヒット作曲家パク・クンテがメロディを作り音源チャート1位も記録した、15集タイトル曲「その中であなたに出会って」などの新曲から、去る30年間誕生させた多数のヒット曲など合計24曲ほどを毎回公演ごとに、2時間40分余りにかけてファンたちにプレゼントした。特に、彼女が、バラードのヒット曲である「因縁」と「その中であなたに出会って」を歌う時は、感性にぬれて涙を流す観客も多かった。ここに、40人組のオーケストラと12人組バンドも共に公演の質を一層高めた。

・観客の間では、イ・ソンヒの今回の全国ツアーに対して、「1部はオーケストラの旋律に合わせて楽しんで、2部はヒット曲について歌い、3部はロック・ステージで体に沿って動く」という話があるほど、多彩だったし楽しめるものも多かった。

・30年の音楽人生のイ・ソンヒなので、スター級の先後輩歌手の自発的なゲスト参加もまた続いた。

・イ・ソンヒの音楽弟子というほどのトップ歌手イ・スンギを始め、イム・チャンジョン、チョ・ソンモ、ペク・ジヨン、ホガク、ソ・ヨンウン、アリ、ウルラルラセション、パダ、シン・ヨンジェ、Gavy NJ、エディキム、ホン・テカン、ユ・スンホ、モーゼ バンなど後輩らと、チュ・ヒョンミおよび五本の指出身のイム・ヒョンスンなど同僚級歌手は、イ・ソンヒの今年全国ツアーにゲストで出て、コンサートをより一層輝かせた。

・国内最高の女性ボーカリストの1人に選ばれる、イ・ソンヒの今回の全国ツアーが量的および質的すべての面で、いわゆる「ベスト」だったとの評価を受けるもう一つの理由だ。

・一方、去る1984年満二十才のいきいきした大学生時代、「Jへ」で、「第5回MBC江辺歌謡祭」で大賞を獲得、症候群(シンドローム)を起こしたイ・ソンヒは、翌年の1985年、「あ、昔よ」をタイトル曲にした正規第1集を発表して直ちにトップ歌手の隊列に合流した。

・イ・ソンヒは、以後、去る30年間ずば抜けた歌唱力の中で、「秋の風」、「分かりたいです」、「ヨン(Young)」、「愛が散るこの場所」、「いつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」、「因縁」など数多くのヒット曲を誕生させた。
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2014年11月7日金曜日

立冬2014

今日は二十四節気の「立冬」、冬の始まりだ。一方、気象庁の「」は、カレンダー上で定義していて、12月に始まり2月に終わる。この間、一ヶ月ほど間があるが、温暖化の進む今、カレンダーに合わせた方が案外実感に近いかもしれない。

(本ブログ関連:”立冬”)

立冬とはいえ、天気は穏やかで、窓越しに部屋を暖めている。こんな具合ならいいのだが。

でも油断してはいけない、寒さは後ろからやって来る。冬の陽は、春の陽の若芽、夏の陽に照る緑、秋の夕陽に映える黄金の穂といった、生命と直接関わるようにも思えない。冬の寒さは、生命を強靭にする、四季の一局面かもしれないけれど。

近頃、童謡「たきび(たき火)」のような冬の風物はない。枯葉で焼き芋作りの思い出も無理だろう。家々は頑丈で、ガラス窓は小さく、隙間風の心配はない。冬は、街並みから排除されている。
それでも変わらないのは、子どもたちの遊ぶ声だ。何でも遊びにしてしまう彼らの声はありがたい。

2014年11月6日木曜日

(訂正) 砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯

一昨日、本ブログの「マーマレードとザボン」の中で、「中学時代、国語の教科書に、エベレストを初登攀したニュージーランドの養蜂家出身のエドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Percival Hillary)について次のように書かれた文章があった。山中、彼は体を暖めるため、熱い紅茶にマーマレードを溶かし入れて飲んだという(記憶に違いがあるかもしれないが)。」と記述したが、記憶の不確かさが気になり、図書館で確認した。

ヒラリー著「わがエヴェレスト」(松方三郎・島田巽訳、「世界ノンフィクション全集3」、1956年)を見ると、ヒラリーが口にしたのに次のようなものが書かれていた。上記「マーマーレード」について、記述を「砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯」と訂正する

エベレスト頂上へ登攀途上、高さ8,500メートルに張ったテント中、テンジンが作ってくれた(用意してくれた)のに次のものがあった。
   ・鶏肉とヌードルのスープ
   ・ビスケットとサーディン
   ・ナツメヤシの実
   ・砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
   ・アンズの缶詰

後述に、「しかし、いちばん活動を与えてくれるのは、砂糖を山のように入れた熱いレモン湯だった」とある。ひと寝入りして、いよいよ頂上へと向かう。登頂の結果について、以降、わたしたちは、ヒラリーとテンジンとの固い友情を知ることになる。

上記の書籍が、中学時代の教科書に採用されたものとして、年代的に妥当と思う。図書館で見た本が年代を示すように古色蒼然としていたのに驚いた。紙質の悪い頃だったのだろうか。

中学時代、この全集で最初に読んだのは、「1914年7月」(エミール・ルードウィッヒ、「世界ノンフィクション全集13」)だった。いずれ・・・。

2014年11月5日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 天然痘(媽媽)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第78回として、天然痘を指す「媽媽(마마、マーマ)」にまつわる話を紹介した。

(参考) 韓国民間信仰の伝統的シャーマニズム「巫俗(무속)」で行なわれる祭儀を「クッ(굿)」という。地に根ざした姿をYoutube映像で知ることができる。

始めに、おそろしい感染症と民間信仰の儀式の関わりについて次のように紹介された。
・恐ろしいものを指して、「虎患媽媽(호환마마)よりも怖い」という。恐ろしい人や飲酒運転などのスローガンやタイトルとしても使われる。虎患媽媽の「虎患」は「虎に襲われる災い」を指す。韓国は山が多く、山奥の虎が村に下りてくることも少なくなかった。
・「媽媽」は「天然痘」を指す。昔は、世界的に最も脅威を与えた病のひとつだ。薬もない当時、世界中の死者の1割がこの病で亡くなった。神にお告げを行う「クッ」の儀式で、必ず天然痘を退ける順番があった。また、天然痘を客の意の「ソンニム(손님)」とも呼び、この儀式を「ソンニム・クッ(손님굿)」とも呼んだ。

▼ 東海岸地域の「東海岸別神(동해안 별신)クッ」の中から「ソンニム・クッ」の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。

次に、天然痘に敬称を付ける習わしについて次のように説明された。
・「憎い者にほど良きことをしてあげる」ということわざがある。災いを追い払う方法もこれに似て、災いをむちゃに退けるのでなく、心を込めてもてなすという。王や王妃につける最高の敬称「媽媽」を、最も恐ろしい天然痘にこの敬称を付けた。また、お客様を「ソンニム」とも言い、心を込めてもてなすが、召し上がった後は留まらずに去ってくださいの意があった。
・済州島でも面白い呼び方で「神夫人拝送(マヌラ・ペソン、마누라배송)」とした。現代韓国語で、マヌラは自分の妻を指し、家内とか女房の意だ。媽媽と表現したように、王族や官吏を指す言葉としてマヌラと言った。拝送は見送るの意で、早く去って欲しいことを指す。大切な客でも、早く帰って欲しい相手であった。

▼ 黄海道のクッ「マングデタク(만구대탁)クッ」の中から「ビョルサン・コリ(별상거리)」(ビョルサン:天然痘の神)の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。

最後に、天然痘の予防接収と撲滅の歴史について次のように紹介された。
・朝鮮後期、天然痘予防の「種痘」という予防接種が伝わり、一部地域で実施されたが広く伝わらなかった。薬もない天然痘にかかると、迷信以外に頼るものがなかった。WHO(世界保健機関)は、1967年から天然痘の撲滅を推進して、ソマリアで発生した患者を最後に、1977年には天然痘の根絶を宣言した。

▼ 珍島地域のクッ「珍島シッキム(진도씻김)クッ」の中から「ソンニム・クッ」の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。

2014年11月4日火曜日

マーマレードとザボン

ジャムにいろいろあれど、私の好みは「マーマレード」だ。とりわけ、鼻腔にツンと来るものがよい。近頃見当たらないが、一体どこへ消えたのだろう。このツンとくる香り、実は塗料の「ニス(ワニス)」に通じる気がする・・・なかなか説明しづらい。

中学時代、国語の教科書に、エベレストを初登攀したニュージーランドの養蜂家出身のエドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Percival Hillary)について次のように書かれた文章があった。山中、彼は体を暖めるため、熱い紅茶にマーマレードを溶かし入れて飲んだという(記憶に違いがあるかもしれないが)。そこだけ妙に心に残って、以来真似している。

(追記)
上記「マーマーレード」の記述を「砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯」に訂正する (11/6)
図書館で、ヒラリー著「わがエヴェレスト」(松方三郎・島田巽訳、「世界ノンフィクション全集3」、1956年)を確認したところ、次のように書かれていた。エベレスト頂上へ登攀途上、高さ8,500メートルに張ったテント中、テンジンが作ってくれた(用意してくれた)ものに次のものがあった。
   ・鶏肉とヌードルのスープ
   ・ビスケットとサーディン
   ・ナツメヤシの実
   ・砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
   ・アンズの缶詰
後述に、「しかし、いちばん活動を与えてくれるのは、砂糖を山のように入れた熱いレモン湯だった」とある。ひと寝入りして、いよいよ頂上へと向かう。登頂の結果について、以降、わたしたちは、ヒラリーとテンジンとの固い友情を知ることになる。


柑橘系の香りが好きなのかもしれない。「ザボン(ブンタン:文旦)」を砂糖水で煮漬け、砂糖をまぶして乾燥させた菓子「ザボン漬」がある。普段、砂糖をまぶしているような菓子を手にしないのに、こればかりは違う。砂糖が落ちないように、ゆっくり口にするのがおかしい。そして、甘いだけでなく、このときも同様に口中に柑橘類特有のツンとくる香りが広がる。

ザボン漬は子どもの頃よく食べた。長崎や熊本などの物産展やアンテナショップで見つけたとき、懐かしさも手伝って購入するくらい。家に帰ると、必ず他の品に一緒にくっついてきている。この菓子、皮肉だけで作るものもあれば、輪切りにしたものもある。どちらもいいが、できれば肉厚でネットリした重量感のものが最高。それなら、前者の方かな。

(追記)
Youtubeにマーマレードの作り方を探していたら、なんと「夏みかんピールの作り方」(登録者marronrecipe、感謝)があった。材料に「オレンジや文旦でも」とのこと・・・なるほど、ザボンの代わりに、夏みかんを使って、ザボン風の菓子ができるということのようだ。(映像では丁寧に作られていたけれそ)真似してみようかな。それにしても砂糖の量の凄いこと。

2014年11月3日月曜日

入間航空祭

西武池袋線の「稲荷山公園駅」そばにある入間基地に行ってきた。本日開催の「入間航空祭」で演じられるブルーインパルスのアクロバット飛行を見るためだ。飛行場といっても、地元の都営「調布飛行場」と違い、自衛隊基地のため、このような機会がなければ中に入ることはできない。幸い、航空祭は穏やかな天気に恵まれた、絶好のタイミングだった。
それに、右膝打撲の本格的リハビリテーションも兼ねて、いざ行かん・・・。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

T-4、C-1、YS-11FC
駅から大変な人混み様、流れに任せてたどり着いた滑走路前の(整備場前の)広場は、既に場所取りされていた。しかも、滑走路近くに至っては、左の写真のように、イベントの迫力を楽しもうと人垣ができ、更に集中した。
(写真: 左手に駐機するのはブルーインパルスのT-4、右手奥は輸送機C-1と点検機YS-11FC、手前で太鼓演奏が轟いた)

圧巻は、何といっても4+2のブルーインパルスの隊形だ。轟音とともに、ときに編隊で、ときに数機でひとびとの視線を青空に釘付けする。そのたび、地上に歓声と拍手が起こった。

歳とともに、パイロットひとりひとりの存在を重く感じるようになった。彼らの妙技に感嘆すると同時に、彼らを待つ家族も考えずにおられない。実は、会場に入るとき、基地内を横切る西武線の踏み切りで、客を誘導する若い隊員が手を挙げたとき、結婚指輪がキラッと輝いた。彼も家族を背負っているのだと思った。

ブルーインパルスの飛行を間近に見て、子どもの頃の夢が十分満たされた。パイロットになれなかったが、夢は忘れていない。大人になって、宮崎駿のアニメ「紅の豚」や「風立ちぬ」を一人秘かに見に行ったりした。

(追記)
そういえば、ニコラス・ケイジが、映画「ザ・ロック(The Rock)」のラストで、サンフランシスコ湾に浮かぶ監獄島アルカトラズを消滅させるため飛び立った空軍機に、間一髪で回避させる場面を思い出した。映画のように低空飛行ではないけれど、迫力十分だった。

2014年11月2日日曜日

イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」

この時期、リンゴの話になる。それも輪切りして食ってしまった大きさを思い返して、一年を無為に徒食したと慨嘆する、ついついそんな例えにリンゴの実は都合がよい。

リンゴは花が咲き、実が実のり、その香りするときがよいけれど、物語のリンゴ畑には、アンビバレンツな要素が欠かせない。それに、どこか異国の風がするのはなぜだろう。Wikipediaによれば、「日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの」との記述がある。

イ・ソンヒの13集「四春期」に所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)は、洒落た旋律に想いを深く重ねたよう。リンゴ畑には、本当は何もないのだが・・・。

(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)

ところで、最近は見かけなくなった印度リンゴが好きだったなあ。

(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年11月1日土曜日

11月のある日

いよよ残り2ヶ月。といえば日々忙しく振舞う言い草のよう。けれど、そうじゃない。いつのまにか、気付けば11月になっていた。一年を一個のリンゴに例えると、縦割りした実をとっくに、5/6も食ってしまったわけ。今は1/6しかない。

小さな頃、親父がリンゴを剥いて切ってくれたとき、何度も呼び寄せようと実を小さくしてくれた・・・何度も何度も戻っては頂だいをいって、口に入れてもらった記憶がある。小さなリンゴも悪くはない。

ところで、それぞれ年末の計画を教室で語り合ったけど、私には計画も予定もないとしか答えようがない。残りが少ないのに、まだある、まだあると考えていた。何もかも含めてそんなものだ。

今日、11月に入ったばかり。右膝が回復したら、薄紫の妖精(結晶)、セリウム・フローレンスに会いたい。そういえば、今月末、魚の干物巡りなんてことを計画していたのを思い出した。

今月にちなんだ、ギター曲「11月のある日(Un día de noviembre)」(1968年、レオ・ブローウェル(Leo Brouwer、1939年~))を聴いてみよう。キューバの作家とはいえ、ジュリアードで師事したような方だから、この曲に、11月にどんな思いを込めているのだろう。ハバナとニューヨークでは趣も感傷も誘い方が異なるだろうけれど(映画のサウンドトラックだったという噂もあるようだが)。さあ、年の瀬に浮かび流れていこうか・・・。


(Youtubeに登録のCecilio Pereraに感謝)