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2017年6月30日金曜日

”YiddishPOP” と 夏休み「イデッシュ語入門講座」

A. イディッシュ語教材ソフト ”YiddishPOP” 
イディッシュ語教室で使用している、先生紹介のネット公開教材ソフト ”YiddishPOP” (今のところPC専用だそうです)をご覧ください。女の子の「ノミ」とロボットの「モビ」を話題の中心にして、イディッシュ語学習を進めることができます。

① 先生のブログに、 ”YiddishPOP” の紹介記事があります。
② 下の Youtube で、”YiddishPOP”の Quick Tour を速見できます。
③ ”YiddishPOP” のソフトをいじっていただくと、なんとなく構成が見えてきます。
    (注)Versionが変わり次の操作と違う場合があります!
   ⇒ まずは、”Level1" のボタンをクリックしてみてください。
   ⇒ 動画の下のボタンで進行・停止・逆戻しできます。CCボタンでシナリオ表示します。
④ ちなみに、テキスト教材があり、英語(お勧め)/イディッシュ語を選択できます。

なんとなく見えて(雰囲気 ⇒ ドイツ語風+ヘブライ文字[活字体&筆記体])きたら、次に体験してみましょう。8月末に「イデッシュ語入門講座」があります。


B. 夏休み「イデッシュ語入門講座」
3日間で学ぶ、イデッシュ語入門講座です。(ノーベル文学賞の背景にもなった言語で、昔話など深い伝統があります)
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・日時:8月29日(火)~31日(木)、10時00分~13時20分(休憩20分含む)
・場所:東京外国語大学 本郷サテライト
・講座内容や申込みについては、次の「案内」をご覧ください。
    ⇒ 夏期間「イディッシュ語」
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(このQuick Tourでは、”YiddishPOP”の《雰囲気》だけ!とりあえずご覧ください)


(参考)
ちなみに本ブログに、つたない経験ですが関連話題を記しています。
・”始めの ~歩 イディッシュ語
・”イディッシュ語

砂場遊び

地元の公園に体育館があって、建物の横に幼児向けの小さな広場がある。一人乗りの揺れる遊具がいくつも置いてある。子どもたちはそれが大好きで歓声が絶えない。順番待ちのためか、砂場にも子どもたちがあふれている。いずれにしろ。遊具や砂場の廻りを母親たちが囲んで見守っている。なんとも幸せな光景だ。

そんな子ども広場を遠目にしながら、自分の子どものころを思い出してみた。幼稚園前のころ、砂場で遊んだことがあった。親に見守られながら遊ぶなんて時代じゃない。だから、目いっぱい遊んだ。そして、原っぱ端で母の呼ぶ声がしたら、砂をはたいて家に帰った。そんな充実した日々を送ったことになる。

砂場遊びの定番は砂山作りだ。できあがった山肌に小さな溝の筋をつけて、どこからか運んできたバケツの水を流すのだ。始めは砂山が水を吸ってしまい変化がない。バケツリレーを繰り返すうち、川筋ができ、次第に山崩れしていく。それが楽しみで、毎日繰り返した。

砂場に動物の糞尿があった記憶がない。当時、そんなことが話題になることもなく、衛生なんて気にもしないで、砂場がバケツで水浸しになり、灰色にびしょびしょになるまで遊んだ。それだけのことをしでかしたのに、服が汚れたという記憶がないのだ。砂場の水遊びは、子どもにとって無敵な遊びだったのかもしれない。母親がどう思っていたのか知るよしもない。

2017年6月29日木曜日

始めの12歩 イディッシュ語

12日目。一度学んだからといって覚えるわけではない・・・というのは素人おじさんのいいぶん。だから、沁み入るように覚えられるひとが羨ましい。今回から、メインテキスト(入門書)について復習が始まった。後ろから押していただくことに感謝。先を行く仲間に深謝。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生推奨の入門書の復習:「レッスン1」(ייִדן אין אַלע לענדער)について、先生手作りの  ① 本文中の単語(主に動詞)の読解と穴埋め、② 「文法」解説中の 1)冠詞と名詞の性、2)語順の解説中の単語の穴埋め。次回から、テキスト掲載の Exercise も手がけることになった!

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、ユダヤ人家庭の日曜日に、祖父母の来訪と孫の喜び、台所の母の調理の手伝いと父の帰宅と食事。

ここで一息、美しいイディッシュの旋律を聴いてみる。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年6月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 兜率歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、郷歌(향가)の「 兜率歌(도솔가)」など関連する曲を紹介した。

始めに、新羅の「景徳(경덕)王」のころ、僧侶「月明師(월명사)」作の「兜率歌」について次のように紹介された。
・新羅中代の第35代「景徳王」のある日、二つの太陽が昇り十日間沈まなかった、天文の官吏に、解決策を尋ねたところ、僧侶を招き儀式を行うよう答えた。呼ばれた僧侶「月明師」が歌いながら儀式を行なったところ、太陽はひとつに戻った。月明師が歌った「兜率歌」は、新羅の「郷歌」の形式だが、高麗時代に記された歌詞だけが伝わる。
・太陽は、全ての命の源。昔も太陽は大切な存在と知られ、多くの民族が太陽を信仰した。太陽が急に二つになれば驚いたことだろう。空を頼りの農作業で生計を営む人々にとって、災いに思えたはず。中国の昔の神話だが、十の太陽が昇った話もある。自然現象に、大気中の氷の粒に太陽光が反射して、複数に見えることがあるという。

▼ 「兜率歌」の歌詞をもとに、新作の曲「兜率歌」を聴く。あぁアリア、情熱的に今様に。

次に、日長の「夏至」、雨天の「梅雨」、乾期の「干ばつ」を通じ、豊穣の祈りについて次のように紹介された。
・今日(6/21)は、二十四節気中、一番日が長い日といわれる「夏至」だ。韓国では梅雨と干ばつの時期であり、麦の収穫や田植えに忙しい時期でもある。今は農作業も相当機械化され、手仕事が少なくなった。とはいえ農村では、秋の豊作を期待して、日照りの中でも汗を流すだろう。昼が最も長ければ、逆に、これから夜が長くなる。時が経つのは早い。しばらくすると季節が移り一年が終わる。

▼ パンソリ「春香歌(춘향가)」から、「農夫歌(농부가)」を聴く。別天地で聞くように今様に。

最後に、瞬く間に過ぎ去る歳月を嘆く「短歌(단가)」について次のように紹介された。
・韓国の「短歌」(パンソリの前に喉慣らしに歌う)には、瞬く間に過ぎ去る歳月を嘆く歌があるが、それだけでなくて、時が経つのは早い、若い内に懸命に働こう、そして思う存分に楽しもうといった内容が多いようだ。ところで、今年も既に半分経過したが、まだ半分残っていると考えれば、年初に計画したことを成し遂げられるだろう。

▼ 春夏秋冬を描写し、人生の空しさを歌った短歌「四季歌(사철가)」を聴く。こちらは正調で納得。

2017年6月27日火曜日

(雑談)素人について

素人について考える。つまり、そんな生き方をしている自身についてだが・・・。
・素人は、実行するのに責任はない。
・素人は、やる気だけあれば十分である。
・素人は、永遠に素人でいられる(やめても素人なのだから)。

専門家(プロ)がテレビなどで語ったこと、あるいは振る舞いを見て感じたこと。
・あるレストランオーナーが言った。素人でも美味い料理は作れる。プロは、それ以上のものを同時に大量に作る。
・ある画商が言った。素人は細部に目が向いてしまい、何を省略したらいいかといった全体にまで気が廻らない。
・ある作家が、急場にもかかわらず、すばらしいできばえのものを書きあげた。時間軸を同時に複数本持っているようだ。

研究者が他の研究者について、厳しく語ったことがある。
・(文系で)彼は研究対象に深く入るのではなく、結局は自分を語っている。
・(理系で)彼はウォーキング・ディクショナリーだ。(専門性がない)

こうなると、何もできなくても、とがめられることのない素人は身軽で気楽である。そして、素人は永遠に素人である。

2017年6月26日月曜日

「江辺歌謡祭」の企画者

1984年、イ・ソンヒが歌謡界にデビューするきっかけを作ったのが、MBC主催 第5回「江辺歌謡祭(강변가요제)」だった。イ・ソンヒが仁川専門大学一年のとき、同大の音楽サークル「4幕5場」からデユエットとして参加して、大賞受賞した。そのとき歌ったのが、彼女の代表曲でもある「Jへ」だ。この曲は、彼女が高校時代に通った音楽室で、偶然巡り合わせたことにより、自分の歌にした不思議な経緯がある。
京郷新聞19840731
(本ブログ関連:”江辺歌謡祭”)

この音楽祭について、「大学音楽祭」との比較もあり、競争的関係でもあったといわれる。大学生の音楽祭に対して、広い意味での新人歌手の登竜門として「江辺歌謡祭」は知られたようだ。

この「江辺歌謡祭」を企画したのが、MBCのプロデューサー、パク・ウォンウン氏だったという。先日の6/24に、同氏が亡くなったとネットに報じられた。享年77とのこと。

ハンギョレ紙の記事「『第1世代ポップソングDJ』パク・ウォンウン氏死去」(6/25)は、「7080世代の新人歌手の登竜門としては、イ・ソンヒ、イ・サンウンなどを誕生させた『江辺歌謡祭』も、彼の企画として知られている。」と記している。

2017年6月25日日曜日

イ・ソンヒ 90年代の「韓国の伝説的な歌手」第4弾

日本の掲示板サイトに「2ch」があって、それと同一レイヤーにあたる韓国版のものに「ガセンギ・ドットコム」があるそうだ。このガセンギに、(2011年頃のものだが)「90年代の韓国の伝説的な歌手」があり、歌手ひとり(グループ)ずつについて意見が掲示されている。

第1弾、歌手のキム・ゴンモの「間違った出会い」(김건모  '잘못된만남' )
第2弾、グループのソテジワアイドゥルの「僕は知っている」(서태지와 아이들  '난 알아요' )
第3弾、歌手のチョー・ヨンピル
第4弾、歌手のイ・ソンヒ

そこで、第4弾のイ・ソンヒ編をちらり見した。海外からの投稿もあるようだ。後半に、韓国の(多分)若者のコメントも列記されている。内容は礼賛で、兵役時代の懐かしい思い出もあるが、ライブ感覚というより、自分たち親世代の歌といった認識のようだ。

中に、イ・ソンヒを美空ひばりに重ねるものもある。その投稿、それなりの年配者によるものか、それとも韓国向けだからそうしたのか。世界の料理にそれぞれ国柄があり、つきつめれば郷土の味にいたる。イ・ソンヒは、韓国に在ってこそ普遍性を持つわけで・・・。まぁ、そんなことより、おおぜいの庶民による反応を直接知るいい機会、一見の価値あり。

ヘルムの町の穴掘り

いわれることに囚人を精神的に追いつめる穴掘り作業がある。掘り出した土を元の穴に埋め戻すという作業を繰り返させる。意味の無い、実りの無い作業の強要は、囚人の人間性を奪うわけで、その残酷さは容易に想像がつく。本当にそんなことを課していたか知らないけれど、物語の一場面なら象徴的で分かりやすい。

穴掘りを、悪意ではなく正当な作業と信じたらどうなるだろう。はたから見れば、当然おかしなことに違いない。そう、ヘルムの町の住人が、それをやってくれるのだ。
今回は「民話の本」シリーズの「ユダヤの民話」(ピンハス・サデー著、秦剛平訳、青土社)に所収の「ヘルムの賢者たち」だ。ここには他に3つの話題もある。(一昨日(6/23)記した、「イディッシュの民話」は同シリーズのもので訳者も同じだ)

(本ブログ関連:”ヘルム”)

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その知恵で知られていたヘルムの住民たちが自分たちの町をつくることにしたとき、彼らはまず基礎を掘りはじめた。突然、彼らのひとりが叫んだ。「兄弟諸君! われわれはここで掘って掘って掘りまくっているが、この土の山はどうするつもりなのだ?」そこでヘルムの賢者たちは頭をひねったあげくに宣言した。「われわれは次のような手順を踏む。まず大きな穴を掘り、そこにこの土山を崩して埋める。」
「だがその穴を掘ってできた土山はどうするんだ?」と執拗に質問する者がいた。
ヘルムの賢者たちは考え続けたあげくに言った。「われわれはもうひとつ穴を掘り、その中に最初の穴から出た土を埋める。」
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「賢者たち」として登場するひとびとは、町(村)のルールを定める決裁者であり、「長老たち」と記す読み物(童話)もある・・・、翻訳上の選択なのか分からないけれど。今回も一種の「いれこ構造」といったおかしさがある。とぼけた感じがたまらない。

2017年6月24日土曜日

初めて独りで見た映画

初めて独りで見た映画は、今はなき「アートシアター新宿文化」(ATG)で上映された、ソ連映画「僕の村は戦場だった(Иваново детство)」(アンドレイ・タルコフスキー監督、日本公開1963年8月)だった。ちょっと大人になりたい気分のころのこと、とはいえタイトルにひかれて行ったのが本当だろう。

(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)

当時の私は、主人公の想いや運命を解釈できる余裕に乏しかったが、主人公の行動を理解するのに難しさはなかった。素朴な共感だからこそ、分かったことながら結末が本当に辛かった。もちろん映像表現に感動もした。白樺の林、デューラーの版画「メランコリー」図の配置、井戸底の水面の輝き、水辺の情景など印象深い場面が記憶に残っている。

主人公イワンは、それでも私より歳下の少年ながら、独ソ戦の戦地を潜り抜けるように斥候として働く少年兵だ。そして孤児である。恐怖を現実として捉えるに十分でなかったのかもしれない。大人は彼を利用する。少年の純粋さを感じとり、彼を思いやる若き将校は親身に気遣うが、少年は戦場の偵察におもむく。

イワンの思い出にも家族がある。そんな少年が少年のまま人生を終わってしまう展開を、私は本当に理解しただろうか。誰ででもあるイワンが、もし生き延びていたら、過去も変わっていたかもしれない。

死者は語らない。生きた者だけが過去を語る。語る言葉は、時間と共に純化する。そして、届く距離もその純化に加担する。

(フル動画)⇒ 画面の ▶ をクリック後画面表示される「Youtubeで見る」のリンク先で視聴可能。

(Youtubeに登録のМосфильмに感謝)

その後、大学生になると問題意識を持とうとするものだ。黙って決意したかのように見たのが、イタリア映画「アルジェの戦い(La battaglia di Algeri)」(日本公開1967年2月)だった。表面的な理解でしかなかったかもしれないが、当時、フランスの退役軍人による軍事組織「OAS」は秘密でもなく、その名のまま独立戦争に対する鎮圧の先兵の役割を果たしていたし、そのように新聞報道されていたと思う。ドキュメントタッチの映画には、OASとの戦いのなか、投降を拒んだアルジェリアの若者たちが登場する。

(本ブログ関連:”アルジェの戦い”)

その後、OASは歴史の影に追いやられる(映画「ジャッカルの日」へと続く。また、映画「シェルブールの雨傘」の背景にもなったようだ)。今も、軍事的な制圧に対抗するテロといった構図は変わらない。

(予告編)⇒ フル動画は、Youtube「zesio」登録

(Youtubeに登録のSalem Zemaliに感謝)

2017年6月23日金曜日

ヘルムの町の日時計

短ければ短いほど切れ味がいいのが小話だ。「イディッシュの民話」(ベアトリス・ヴァインライヒ著、秦剛平訳、青土社)に、例によっておバカな村(町)「ヘルム」の人々がしでかしたおもしろ小話がある。
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ヘルムの町の人たちが日時計をつくったことがある。ところが、大雨に襲われて、びしょびしょに濡れてしまった。そのため彼らは、濡れないようにその上に屋根を作った。
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(本ブログ関連:”ヘルム”)

粗忽さ、迂闊さには笑える。うっかりやりそうなミス、真剣に考えたつもりでやってしまうミス、頓珍漢さだ。思いつくまま挙げればこんなことだろうか。
・機械不要な発明といって、日時計製の腕時計を作る。
・白夜の反対の極夜がある地に太陽光発電装置を置く。
・氷の彫刻が汚れたからといって、風呂に入れる。

2017年6月22日木曜日

始めの11歩 イディッシュ語

11日目。山あり谷ありだったが、先行きが明るんだようだ。先生のご配慮に感謝。気後れせず、今まで通り怠らず・・・真摯に謙虚に前向きに頑張っていこう。おじさんもついていくよ。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生推奨の入門書の「レッスン8」(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 先週に続き、第2次大戦下、ゲットー居住のユダヤ人の困窮と疲弊、そして抵抗について。ちょっと刺激的だが、イディッシュ語で読む意義がありそう。(ポーランドのひとびとのワルシャワ蜂起も話題にしつつ)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-2」(איך טו מײַן הײמאַרבעט)。動詞の人称変化(単数)。主に規則変化について、不規則変化も。(冠詞+名詞は頑張って覚えよう)

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、ユダヤ人家族の、子どもたちの「ままごと」と、それをやさしく見守る両親の眼差し。

2017年6月21日水曜日

夏至 2017

朝から雨が続く。ときに激しく、風も吹く。それなのに、今日は日長が長い「夏至」だというのに・・・。そんなわけで、夏至も気にすることもなく一日過ごす。・・・それが、夕方には雲間に青空が覗くほどに、路面もすっかり乾くほど回復した

(本ブログ関連:”夏至”)

昨夜 豊後水道の地震

今日に日付が変わろうとした昨晩遅く、午後11時27分ごろ、大分県佐伯市で震度5強の地震が発生した。日本経済新聞の記事「大分で震度5強 M5.0、津波の心配なし」(6/21)は下記の如く報じている。(抜粋)

先月来地割れで避難勧告が出ている「大野市」と、今回、震度5を観測した大分県「佐伯市」とは隣接しており、因果関係が気になる。震源の「豊後水道」(北緯32.9度、東経132.1度)をはさんで、愛媛県側に「伊方原発」があって、これも心配の種だ。

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・20日午後11時27分ごろ、大分県「佐伯市」で震度5強を観測する地震があった。気象庁によると、震源は豊後水道で、震源の深さは約40キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5.0と推定される。・・・

・四国電力によると、愛媛県の「伊方原発」では異常は確認されていない。九州電力によると、鹿児島県薩摩川内市の「川内原発」と佐賀県玄海町の「玄海原発」にも異常はないという。

・大分県豊後「大野市」では5月中旬、多数の地割れが見つかり、市が一部地域を災害対策基本法に基づく警戒区域に指定。立ち入りを原則禁止し、避難勧告を出した。同市の担当者は「地割れの変化などは確認されていない」としている。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」楽器「太平簫」

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、管楽器「太平簫(태평소)」に関する曲を紹介した。

始めに、王や軍隊の移動時に演奏する曲「大吹打(대취타)」について次のように紹介された。
・王のお越しや、軍隊が行進する時に演奏した曲に「大吹打」がある。曲名にある「吹打」は、吹く・叩くの意があり、口で吹く管楽器と、細長いもので叩く打楽器の演奏を指す。行進に、弦楽器のカヤグムやコムンゴを演奏するのは難しく、移動に便利な管楽器と打楽器が主に使われた。「吹打」をそのまま曲名にしたものがある中で、「大吹打」は代表曲を意味する。

▼ 「法螺貝製の楽器『螺角(나각)』と、リズム主体の楽器『太平簫』」で曲「大吹打」を聴く。睥睨するよう響く。

次に、楽器「太平簫」の構造と、農村での演奏曲「ヌンゲ(능게)」について次のように紹介された。
・韓国伝統の管楽器は、ほとんど竹製であるが、「太平簫」は固いナツメやヤナギの木で胴を作り、多年草の葦を薄く削ったダブルリードを吹口にはさんで音を出す。先端に金属ラッパを持ち音が遠く広がるようにする。音量が最も大きい管楽器のため、主に屋外で演奏する。宮廷の演奏曲で、強大な感じを与える。楽器名にある「太平」は、「天下太平」から取っている。農村で演奏するときも、重要な役割を果たす。中でも、「ヌンゲ(능게)」は、代表的な太平簫の演奏曲だ。

▼ (曲名の意が明らかでないが)「ヌンゲ」の演奏を聴く。明るく楽しく騒がしく・・・。

最後に、太平簫の起源と、その響きに安寧の祈りに通じるものがあるのではと次のように紹介された。
・西域(ササン朝ペルシア)で作られ、シルクロードを通じて、高麗時代末にモンゴルから伝来したという太平簫は、日本で「嗩吶(チャルメラ)」、中国で「嗩吶(Suǒnà)」と呼ぶ。(トルコの管楽器「ズルナ」が思い浮かぶ)
・インドの葬儀に、太平簫に似た楽器を演奏することがあるという。いずこも楽器の役割は似ているようで、この世の暮らしを終えてあの世に行く人に、その旅立ちが平和であるように祈る心が込められているのだろう、とのこと。

▼ 太平簫の演奏「あなたが踊るので私も踊る(너가 춤을 추니 나도 춤을 춘다)」を聴く。愉快に楽しく今様に・・・。

2017年6月20日火曜日

日めくりカレンダー

「日めくりカレンダー」を、一枚一枚はがすたび、最近揺れるようになった。そういえば、半分近く減って軽みが増したようだ。時があっという間に過ぎたようだ。

時は刻々と進み、後ろから押すような感じがする。時間のカウントが引き算に変わった。子どものころ、早く大人になりたいなんて思ったりしたのに、それが今では引き算となり、計算結果がどんどん小さくなっている。

ところで、海外の「ひめくりカレンダー」にはどんなものがあるかと探せばいろいろある。イディッシュ版がないかとネット検索したら、「イディッシュフレーズ」という「ひめくりカレンダー」があった。

サンプル表示された1月5日(木)のフレーズを見て笑った、「どこの村にもアホがいる」。イディッシュの民話には長老がみな間抜けな村もあったりして、笑いに事欠かない。笑いの楽しさは、その笑いが置かれた時代、環境、ひとびとの感覚に思いいたることでもある。時代を経た笑いは人生の価値まで教えてくれる。

(本部ブログ関連:”おバカな村”、”「イディッシュの民話」”)

ちなみに、わがPCデスクにぶら下がっているひめくりカンレンダーの今日は、「善悪の報いは影の形に従うが如し」。報いは付いてまわる、逃れることができない・・・、ああ、それよりもっと笑いを。

2017年6月19日月曜日

プリンの味見

今晩韓国語の教室で、先生が「プリン」菓子のことで、コンビの棚に並んだものではないだろうけれど、初めて日本に来たときに食べたプリンが美味しかったといわれた。若い女性のこと、パティシエがいるような洒落た洋菓子屋で食べたんだろうな・・・と、想像しつつ、思いのほか涼しい帰り道、コンビニに寄って「プリン」を数種類買った。久し振りのプリン、味比べしようというわけだ。

サイズ別に、「濃厚 卵のカスタードプリン」(森永乳業) < 「クリームのせ ジャージー牛乳 プリン」(OHAYO) < 「明治 ザ プリン くちどけプレミアム」(製造 バンビー食品)の3品。一気に全部食ってしまったら、みな同じ味になってしまった。分かったのは量の違いだけ。私は何か間違えたようだ。「プリン」オタクになれない。

ところで、3品ともネーミングに「プリン」が入っている。近頃、「プデイング」という名称も聞くが、コンビニの菓子はみな「プリン」を守っているようだ。そもそも、プリンとプディングはどう違うのだろうか。
ちなみに、核酸のDNAといえばATCGの4種の塩基で構成されていて、そのAとGの骨格を作っているのが「プリン」塩基で、痛風にもつながっているようで・・・おいおい、全然違うよ。菓子の「プディング」の「カスタードプディング」を「プリン」というそうだが、それ以上分からない。

「プリン」は、子どものころ、お袋が作ってくれた味でもある。材料の少ない昔のこと、それでもそのときの味が今も残っている。(木枠の、氷塊を入れて冷やす旧い冷蔵庫の中で、プリンが固まるのを待ったような・・・) それに、いろんな形にできあがった「シュークリーム」も作ってくれたな。そのとき以上の菓子に出会ったことはない。

2017年6月18日日曜日

イ・ソンヒ 「父は妻帯僧でした」

今日は父の日。このブログでは、イ・ソンヒの父と家族について、父と母、祖父の生き方、父の仕事、そしてイ・ソンヒの政界進出時の父との関係などさまざまな情報を記してきた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと父”)

イ・ソンヒの音楽的才能は、祖父譲りのおおらかさと、父の音楽的素養と躾、さらに母の慈愛があって開花したのだろう。その父が、仏教音楽「梵唄」の指導者と知って確信を深めた。彼女の高音とパワフルな声に、そんな背景があったに違いない。彼女の自伝的な「スター・ストーリー」を読めば納得できるだろう。

しかしながら、イ・ソンヒに才能を与えた父が仏教と深い関係があることに葛藤があったのも事実のようだ。仏教における僧侶の妻帯問題だ。この点についてもいろいろと記してきた。
(2014年4月7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ」で、彼女は音楽仲間のとの語らいの中で、この事実を吐露する場面があった。そのとき、歌手仲間たちは初めて知ったといった顔を見せた。本人の口から直接聞かない限り、ネット上で、あるいは書籍で既知であっても、そういった対応をせざる得ないものだ)

(本ブログ関連:”韓国仏教”、”妻帯僧(韓国では帯妻僧)”)

韓国仏教の中で特異な存在と見られる帯妻僧について、Ko-Wikipediaに次のような解説がある。(参照記事:「韓国仏教の歴史」と「帯妻僧」)
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韓国では、既婚僧侶を可能にする《帯妻僧》の伝統がなかったが、朝鮮後期の《抑仏政策》の中で、寺院の生活を管理(寺院の運営実務を担当)する僧侶を、(参禅・看経・念仏をはじめとする修道に従う)修行僧の『이판승(理判僧)』に対応して、『사판승(事判僧)』と呼んだことから結婚した僧侶という概念が生まれた。
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ここで着目するのは、仏教弾圧下の李氏朝鮮時代に遡って、「事判僧」という存在である。韓国仏教について素人なため、事判僧が当時どのような生活をしていたか知らなかったところ、「事判僧」に当ると思われる、戦前・戦後を経験したある無名の僧侶に光をあてたケーススタディがある。「さまよえる『鬼神』一 日本の植民地支配と『近代化』」(岡田活樹 神戸大学国際文化学部助教授、「人類学研究所通信」13・14号、2006年3月)は、いわゆる戦前の朝鮮(韓国)での仏教統治の「寺刹令」、および戦後に持ち越された「帯妻僧」の存在について淡々と多様に事例を紹介している。

実は、帯妻僧問題は、その起源が上記の事判僧の存在にあるように思われるのだが、日韓の特別な課題につながりかねない《微妙な問題を含んでいる》 と思われる。

2017年6月17日土曜日

イ・ソンヒの歌う「麦畑」

KBSの国際放送「KBS WORLD」が放送する「国楽の世界へ」を毎週楽しく聴取している。といっても、短波でも中波でもなく、もっぱらネットを通じてだ。「国楽」というと重々しく聞こえるが、内容は豊富で、かつての支配階級の宮廷音楽や教養人の雅趣に富んだ風流音楽、日々たくましい庶民の歌(民謡、祝い歌や労働の歌)、庶民の娯楽であった物語りのパンソリ、更には宗教に関わる仏教音楽(梵唄)や土着的な巫俗音楽まで。そのうえ、ネイティブの録音版から、いまどきの音楽家によるモダンにアレンジした演奏まである。一週間に一度、ある意味直截的に理解できるよい機会でもある。
(解説紹介のキム・ボエさんの優しい語り口が素晴らしい)

国楽について、いつも気になることがある。物語りのパンソリを、市民が果たして聴き取れているのかということだ。実は、漢語の羅列といっていいほど満ちている。東洋文庫の「パンソリ」を参照すれば分かることだが、大筋は大衆的物語りをベースにしているのだろうが、採録者の教養と自負がなせるせいか極めて晦渋で衒学的なのだ。
歌舞伎の演目の場合、通しというより、代表的な幕を選んで観劇することが多い。パンソリも、そんな鑑賞スタイル(大衆受けする場を聞く)かもしれない。聞くところによると、若い人にパンソリの浸透は低いというが・・・。

上記番組で「麦刈りや脱穀に関する曲」の紹介があったのを、一昨昨日(6/14)のブログに記した。麦は、水はけの整わぬ土地柄でも収穫できる貴重な食べ物だ。わたしの地元も、江戸時代に開発された武蔵野新田の歴史がある。以前、郷土の「麦打ち歌」について図書館で調べてみたことがある。旧い村ごとに違っていて、意外に多様なのに驚いた。とはいえ、いくつかのバージョンに、若い男が娘を探すような味付けがされているのを見てニヤッとしたものだ。民謡はこうでなくちゃ。

(本ブログ関連:”麦打ち ”)

ところで、韓国大衆に愛されている愛唱歌に「麦畑(보리밭)」(1952年、作詞パク・ファモク、作曲ユン・ヨンハ)がある。イ・ソンヒも随分と格調高く歌っている。この曲を、韓国のクラシック歌手たちも歌っているのをYoutubeで多数見る。ベルカント唱法というのか、聴いているうちに重くなってしまう。イ・ソンヒの場合は、大衆歌手だから素直に聞き入ってしまう。それに、Youtube映像の、彼女のつけまつげが、かわゆくてしょうがないのだ。


麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ  声がして
私を止める
昔の想いが  寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に  聞こえてくる
振り返れば、誰れも  見えなくて
夕焼けの  空だけが
目に満ちる

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2017年6月16日金曜日

電信の応用

科学が発展するのに、ひとりの天才が突然現れて世界を一変させる・・・なんてことを、子どものころ偉人伝を読んですっかり刷り込んでしまった。けれど、ガリレオを先導したジョルダーノ・ブルーノの存在が如何に大きかったかを、浪人中に岩波新書を読むまで知らなかった。

天才の種は、すでに深く耕された肥沃な土壌があってこそ開花し実を結ぶ。物語で理解すると、豊穣な大地に気付かず果実を求めてしまう。物語はわかりやすく理解しやすいが、誰かの手で書かれたものでしかない。事実をひとつひとつ丁寧に積み上げて実証する研究者は大切な存在と思う。

ところで、アメリカのモールスが電信機を発明したのが1837年。それ以前に電気信号をワイヤーに通す様々な発明があり熾烈な競争があった。驚くことに、この電信が「南北戦争」(1861年~1865年)で大いに利用されたことだ。情報戦(暗号化)であり、南北相互に「信号司令部」が存在し多数の人材を養成した。
Wikipediaによれば、信号司令部に参加した総人員は次の通り。
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(北軍の)信号司令部が戦時任務終了後、1865年8月に解隊されるまでに、146名の士官が任命されるか任官を提案された。実際は297名の信号士官が任命されたが、非常に短期間の者もいた。戦争中に携わった兵士の総数は約2,500名になった
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(モールスが「奴隷制度」支持だったとは実に皮肉なことだ)

日本でも1877年の「西南の役」に電信は使われている。東京から熊本へのワイヤーが、街道の松並木を電信柱にして張り付けられた、そんな錦絵がある。現地の政府軍には、Wikipediaによれば、電信掛74名(電信掛長:大島貞恭少佐)が編制されている。(1874年の「佐賀の乱」で、電信が既に使われていた)

電信は、科学というより技術工学だから、実りもはやく大きなものだったのだろう。

(本ブログ関連:”運が良けりゃ”、”インディアン・ラブ・コール”)

2017年6月15日木曜日

始めの10歩 イディッシュ語

ようやく10日目。カリキュラムの道のりを半分を越えたけれど、思うように定着が進まない。どうやら、我が頭と口が空回りしているようだ。イディッシュ語の滑走路を走り回るだけのタキシングばかり、いっこうに浮揚しないのだ。いろいろと教材を工夫される先生の期待に応えられるか、不安が止まない。

メイン教材は次第にヘビーな内容を扱うようになり、ネット教材はテンポよく先へ進む。追加された教材は入り口と比べて、後半が覚悟の必要なボリュームになっている。これからきっと、単語力(格変化)の重要さを思い知るだろう。結局、記憶力なんだよね。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の復習、命令形の口頭練習。

・先生推奨の入門書のレッスン8(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 第2次大戦下、ゲットーに居住を強いられたユダヤ人の窮乏について。後半は次回。ドイツ(”דײַטש”:「ダイチュ」)の発音に、”German”でもない、”Deutsch”でもない、どこか東洋的な響きがするのは気のせいか。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室風景、② ユダヤ人家族の朝の風景:起床・朝の挨拶・着替え・洗顔・朝食・登校といった日常。内容についてQ&A。

2017年6月14日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦刈りや脱穀に関する曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、麦刈りや脱穀に関する曲を紹介した。

始めに、朝鮮21代王「英祖영조)」が、「貞純(정순)」を王妃に選んだ逸話について次のように紹介された。
・朝鮮時代、最も長生した王と知られる21代王「英祖」は、在位期間52年、82歳まで生きた。60代で最初の王妃を亡くすと、66歳にして51歳下の「貞純」(15歳)を王妃に迎えた。ところで、彼は王妃を選ぶ際、候補たちに「この世で最も高い峠(コゲ:고개)は何か」と問うた。そのとき、貞純は、「麦(ボリ:보리)」と「峠(コゲ)」を合わせた、「春の端境期」の意を持つ「ボリッコゲ(보릿고개)」と応えた。この言葉を最近聞かないが、昔は農民の暮らしに直結した。食糧が底をつくと植物の根など食べたが、栄養失調で命を失うことも多く、貞純が「ボリッコゲ(別名「春窮期」)」を最も高い峠と応えたのは、それだけ農民の暮らし振りを理解しており、ために王妃に選ばれたという話につながる。

▼ 慶尚道地域の麦打ちの曲「オンヘヤ(옹헤야)」を聴く。ドイツ人が韓国民謡をアメリカンフォーク風に演奏する。

次に、麦の脱穀の歌「オンヘヤ」について次のように紹介された。
・今は麦刈りから脱穀、袋入れまで作業を全て機械が行なう。昔は、作業を人が行なった。脱穀では、長い棒に木の枝を結び付けた「殻竿」を使い、これで麦を打ち落とした。一日の脱穀作業に疲れたとき、「オンヘヤ」を歌って仕事のテンポを合わせた。「オンヘヤ」は、本来ゆっくり歌ったが、歌手が歌うようになって、テンポも速く、楽しい民謡となった。最近、若いミュージシャンが、モダンに編曲して演奏することも多い。

▼ 済州島の麦の脱穀の歌「脱穀の音(타작소리)」を聴く。満腹の期待を込め、元気が湧いてくる民謡。

最後に、病苦の詩人韓何雲(한하운、1919年~1975年)の詩「麦笛(보리피리)」について次のように紹介された。
・麦は晩秋に芽が出て、春に収穫する。麦が実る頃、子供たちは麦わらの茎を笛の形に削って吹いたり、麦を焼いて食べたりした。詩人「韓何雲」の詩に「麦笛」がある。ハンセン病に苦しんだ彼の詩は様々な活動をしながらも、寂しい生活をした。「麦笛」の詩は、子供の頃麦笛で遊んだ記憶の中の故郷を懐かしむ作品だ。

▼ 「麦笛」の曲を聴く。楽しい思い出だけが浮かんでくる、そんな懐かしさもあるだろうから。今様に。

2017年6月13日火曜日

チョン・ドヨン

韓国の映画について教室で話題があり、私としては、女優チョン・ドヨン(전도연)主演の映画、邦題「シークレット・サンシャイン」(2007年、밀양《密陽》)をあげた。先生から邦題を確認されて、「密陽」と答え、英語名を「Secret Sunshine」といってしまったが、正しくは上記の通り。

チョン・ドヨンは、最も気になる韓国の映画俳優だ。この映画で「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を獲得している。VHS版の「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を見たのが最初だ。その同時期作品の、全く逆のイメージの映画にも出演していたと後で知って驚いた。

(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”)

「密陽」のチョン・ドヨンは、最大の悲劇に翻弄され、その中で救いを求める母親を演じる。それも決して強くない、むしろ追い詰められる生身の女性を表現する。小柄で華奢な彼女が、どん底にいて、弱く繊細な立場からどう状況を変えていくか興味を持たせる。まさにうってつけだ。彼女は映画によって、善人であったり悪人にも変貌する演技者だ。

ところで、この映画は、プロテスタント(キリスト教)を素材にすることで、主人公の孤独を一層明らかにする。遠くソウルから密陽に訪れたばかりのよそ者であり、土着的な絆の弱い立場にある。その点を考え、もしプロテスタントでなく、癒しをシャーマンの「ムーダン(巫堂、무당)」に訪ねていたらどうだったろうか気になる。


(Youtubeに登録のCat'sCradleに感謝)

2017年6月12日月曜日

パンダの赤ちゃん誕生とGoogleニュース

いえねぇ、どうってこともないんですが、今晩23:30現在の「Googleニュース」記事一覧に、上野動物園でパンダ(「シンシン」)の赤ちゃんが誕生したという報道が載ってないんですよね。おじさんでもうれしくなってくるのに。

新聞各社のネットニュースは、ちゃんと写真入で掲載してるんだよね。Googleニュースは、独自のアルゴリズムで記事を自動掲載しているそうだけど。もしかしたら、「大人の中にある子ども視点」という選択機能を省いているのかな。

先日、深夜テレビの再放送?なのか、和歌山にある動物園(「アドベンチャーワールド」)でパンダの出産が成功している背景を説明した。出産後、母子を離さないことが必須のようだ。そのための飼育員の皆さんの昼夜の努力が紹介された。出産後の母子一体感が自然な子育てにつながるなんていい話しだと思う。(そういう言い方が気に入らないといわれても、わたしはそう思うんだ)

これから子どもたちは大変だ。かれらを見守り、動物園に連れて行く家族はもっと大変だろう。パンダは、子どもたちの愛らしさとマッチする。神様はどうして、あんな動物をつくったんだろうね、本当に不思議だ。

2017年6月11日日曜日

「入梅」

暦上、二十四節気の「芒種」、「夏至」、「小暑」を基準にその数日後を雑節の「入梅」と呼ぶそうで、今日が「入梅」にあたる。とはいえ、先週水曜日(6/7)に、気象庁から「梅雨入り」が発表されている。そっちの方が実感がある。ちなみに、気象庁は「入梅」の用語をひかえているそうだ。

(本ブログ関連:”梅雨入り”)

Weathernewsの記事「梅雨入りとの違いは?暦に書かれた入梅の意味」(6/11)は、梅雨入りと入梅の違いを分かりやすく説明している。「まとめ」として次の記述がある。
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・「梅雨入り」は、天気と密接に関係しており、梅雨前線の状態によって早まったり遅れたりする。
・入梅は暦上の梅雨入りであり、天気とは関係ない。
・入梅は、田植えの日取りを決める目安として使われていた。
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「入梅」は、昔の農事カレンダーといったところだろうか。麦作だった武蔵野新田に、田植え(水田)の光景はないので、実感に乏しいのも納得できる。(昔、野川沿いの狭い一体に水田が作られたという。ほんのわずかな面積だったのだろう)

2017年6月10日土曜日

運ぶもの

文字が容易でない時代、魂に託して想いを伝えることもあれば、獣がかわりに魂を運んだり伝えたりした。柳田国男の「遠野物語 一○○)に、狐が夢をかすめ取り、夢見るものの想いを悪知恵で運んでしまう話がある。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。

人の夢に潜り込んで、人の想いに便乗したのが狐の間違いだった。何かが足りないことに気付かぬ狐は、いっぱい食わしたつもりが、わけも分からぬうちに命を落としてしまうことになる。ことの顛末、子細がわからぬまま命を落とすくらいなら、知恵を落とすだけに留めて置けばよかったものを。

忘れたようで忘れられない、人の夢や魂を鳥や獣が運ぶシャーマニズム的世界がまだある。人の代わりをする超自然なものを身近に感じて託すことがある。もしかしたら、いまどきの何かがそれを担っているのかもしれない。

2017年6月9日金曜日

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

ロシアのメディア「スプートニク」(日本語版)に、「ロシアからこんにちは! 『食べると幸せになれる花』」(6/1)として、5月後半に入るとその季節になるという「ライラック」の花が紹介されている。花に囲まれた美しい風習なわけだが、「願い事をしながら食べると願いが叶う、幸せになれると言われている」と知って、心そそられる。

ライラックについて、この記事は、ロシアのひとびととライラックとの距離感、親密な度合いを分かりやすく説明している。私ごときには、ライラックの花がどこか余所行きの感が大きく占めていて、こんな風にライラックと身近に、日常的に接する話題に驚いたし、うらやましく思う。


(Youtubeに登録のスパシーバ!に感謝)

イ・ソンヒの10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때)」(1996年)は、彼女がシンガーソングライターとして初めて発表した曲だ。こころ変わりして去って行った様を、ライラックの花が散るのにたとえる。でも、歌詞には「ライラック」の言葉はない。冷え切った想いに、気付けば未練だけが残っている・・・そんな感じかな。女性はその気になって聴くだろうし、おじさんはファンとしていい歌と思って聴く。

(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)


さよならという言葉は
私にただ一度も語らなくても
私は気付いていた
もう再び会えないことを

*変わっていくあなたの心が
私に鋭い跡を残しても、会いたいのは
未練が残っているのよ
もう 私の胸から逃れているね

振り返えらないで、わたし切なくて
何にしても、見つめないで
思い返さないで、もうあなたの人生で
私と一緒だったその記憶を
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を

(*以下繰り返し)

二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を

2017年6月8日木曜日

始めの9歩 イディッシュ語

遠くに聞こえる祭りのざわめきに誘われて、気付けば踊りの列に加わっている・・・そんな感じのするイディッシュ語学習9日目だ。それも、流暢に喋る(読む)仲間につられてその気になり、やさしく導いてくださる先生のおかげ。目を覚ますのが怖い、このまま突っ走って行こう。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)の形容詞の復習(QA練習)と、「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の縄跳びとランニングの命令形(動詞末尾の ען、-ן-をはずす、plの場合 ט-に換える)の理解と練習。

・先生推奨の入門書の「レッスン7」(משפּחה אין אנדערע לענדער)を先週から引きつぎ輪読。(富む者が仲間を支援するユダヤ人の共同意識=単位が分かるような気がする・・・もしかしたら、宗族を超えた宗教的な屋根=民族性の下に水平な一義的で原則な関係があるのだろう)

今日は、睡眠不足か、知恵熱か、ちょっと冷やしてリブートしよう。私のPCもそうしている。

2017年6月7日水曜日

梅雨入り 2017

どんよりした空に窓の明かりがくすめば、気掛かりがあるわけでもないのに何となく気が重くなる。ネットの注文とコピーついでにコンビニに行けば、途中、ぽつぽつと雨滴を感じる。そして、それ以上のこともない。

ハフィントンポストによれば、「気象庁は、6月7日(水)、四国、中国、近畿、東海、関東甲信地方が『梅雨入りしたとみられる』と発表しました」(6/7)とのこと。以前ブログに記したものを見返せば、だいたいこの時期。桜の開花時期と違って心が踊らないことに、モンスーン地帯の米作の末裔のくせ申し訳ない気がする。ちなみに、一週間天気予報では、曇り空がしばらく続くようだ。

(本ブログ関連:”梅雨入り”)

(付記)「新聞エンマ帖」
話しは違うが、月刊「文芸春秋」に「新聞エンマ帖」があった。辛口な小批評で、大手紙の事件記事を中心に比較していたが、いつのまにか消えたようだ。中学生のころ、いわゆる中2世代にとって、面白いページだった。大手紙を当時でも併読するユーザーがそんなにいたとは思えなかったと思う。ただ、小ネタに終始していたような気がする・・・。今は、ネットがいろいろな幅を以ってその役割を果たしている。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 想像の生き物

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/31)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、想像の生き物に関連した曲を紹介した。(未聴取のため他語版を参考にした)

火を吹く西洋の「ドラゴン」と違って、東洋の「」は水中(地中)に発生する。仏教伝来の水神を「竜王」とも呼ぶ。朝鮮時代初期の宮廷曲目に「水龍吟(수룡음)」があった。(今回聞く、「水龍吟」は朝鮮時代初期のものと違う)

▼ 「短簫(タンソ:金管)」と「笙簧(センファン:日本の「」に似る)」の演奏による「水龍吟」を聞く。

いままで使われることのなかった「笙簧」は、構造・材質を新しくして、現代曲演奏に登場するようになった。

▼ 「Libertango」を聞く。音色はアコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のよう)に似る。今様に軽快に。

李氏朝鮮後期の風俗画家、「申潤福(신윤복、1758年~没年不明)」の絵に、蓮の花の池を眺めながら、長めの喫煙パイプと笙簧を持った女性を描いた「蓮の池の女(연못가의 여인)」がある。

▼ 「蓮の池の女」を想像しながら、笙簧演奏「거울자아(鏡自我)2」を聞く。今様に。

2017年6月6日火曜日

(雑談)知恵の葉っぱ

子どものころ、祖母が「あの人もスーツを着れば立派に見える」といったりした。衣装が立場を現す古い時代を経験したからだろう。モードの発達に歴史的背景があるように、当時スーツに意味があった。

ネクタイなしで着るのが流行っている。シャツの襟を立てたりすると、IT業界の切れ者のポーズになる。そればかりか、スティーブ・ジョブズの影響で、黒タートルを着たりするものもいるようだが、さすがにこれは気が引けているのか、なかなか目に付かない。おじさん体形にも難しいのだろう。

昔、日本のレーシングドライバーの先駆者といえる方がとてもカジュアルな話し方をしていた。若者雑誌が流行した時代とかぶさっていたのじゃないかな。今では、そんな喋り方も普通になった。深夜ラジオが大いに話法を開発したのかもしれない。

つい最近まで、マーク・ザッカーバーグのような早口喋りをする連中がいたが、それもテレビから見かけなくなった。結局、業界での実力が追いつかないのだから真似るには限界がある。

テレビが白黒時代だったころ、米ドラマの「ハイウエィパトロール」に登場する警官の制服と、日本の警官の制服を比べてだいぶ違うなと、あこがれ半分、感心したものだ。その頃、ある国の警官のスタイルが米国と似ていて、それを見て日本が遅れているのではと思ったりしたが・・・実は、その国、いまだにワイロなどの問題を抱え続けているという。

表面だけ整えたり、真似しても続かないことが多い。凡人はどうすればいいものやら。

ある平凡な男が、アダムとイブの知恵の園から嵐が運んできた知恵の葉をサンダルの裏に偶然貼り付けて、知恵者になるという寓話がある。流行に乗るでもない、衣装や振る舞いを真似るでもない、そして見掛けも関係ない・・・ただ、幸運と巡り会うだけ、そんな秘かなバイパスがあるといいのだが。

2017年6月5日月曜日

青天の霹靂

隣り町の図書館で借りた書籍を返却した帰り道、ちょうど西に向かって進んでいた。正面に傾いた陽がきらきらしてまぶしい。天空の7割以上に青空が残っているそのとき、ゴロゴロと雷鳴がした。「まさか?」とひとりごとする。充分晴れていて、青空をのぞかせているのに・・・。

商店街の通り道をはさんで、おばあさんが二人向かい合いながらしゃべっていた。東の空を指して「あっちは真っ暗だねえ」。振り返ると、真っ白な積乱雲が横たわり、その下を鈍色の雲がたれ、さらにその下を雨雲だろうか黒雲が遠く東の町を埋めていた。

再び雷鳴がつづいた。しかもかなり近くに聞こえる。イ・ソンヒの「キツネの嫁入り(여우비)」を思い出したが、今回は、お天気雨でない。晴れ空に雷鳴とは、まさに「晴天の霹靂」。さすがに、彼女の歌にそんなものはないだろう・・・。

Youtubeを探すと、なんと青森県産の米「青天の霹靂」のCMソング"が登録されていた。県民が「青天の霹靂」と書いた書を持って次々登場してくる。最後がいい、一転おにぎりを美味そうに頬張るのだ。「真っ白いおにぎり」は絶対、唯一無二の日本食の原点だと思い起こさせる。こちらは、「まさか?」ではない。



(Youtubeに登録の青森県広報広聴課に感謝)

(追記)
どうも、青森県産米「青天の霹靂」のCMはシリーズ化されているようだ。ああ、おにぎりが食べたくなる。

2017年6月4日日曜日

「レッドブル・エアレース千葉2017」 行ってみたかった・・・

昨日(6/3)、今日(6/4)、千葉県幕張で開かれた「レッドブル・エアレース千葉2017」に行ってみたかったけれど・・・気持ちがあっても体力がない。でも、当日の様子をYoutubeで見られると期待した。

早速Youtubeに、エアレースのサイドアクトとして実施された、「零戦」と「DC-3」の飛行映像が登録された。それも、会場にかなり接近した様子の近距離撮影で。(6/3撮影のようだ)
(6/4については、ハフィントンポストに、零膳DC-3の飛行写真が掲載されている)

DC-3は九州から順次北上して、今回のイベントでぶことが事前に知らされていたが、零戦は昨日のニュースで知った。どちらも、レシプロの排気音がたまりません・・・飛行機を生命体に例えるなら、エンジン音はまさに心臓の鼓動。その爆発音に一体化してしまう不思議な魅力がある。

(本ブログ関連:”飛行機”)

零戦(日本人所有の機体だそうだ: 低空を低速のためか、その身軽さが分かる)

(Youtubeに登録のあおのそらに感謝)

DC-3

(Youtubeに登録のgigazineに感謝)

2017年6月3日土曜日

イ・ソンヒの「水仙」

イ・ソンヒの5集収録の「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)は、「ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲」(チョン・イルソ)だ。当時、24、5の女の子がちょっと大人ぶって、少し、小悪魔的に(今じゃこんな表現もなくなった・・・)独白した。イ・ソンヒだからいいんだな。

自己愛の例えに、鏡(あるいは水面)に映る自身を眺める構図がある。独白もそんなものかもしれない。無限ループのフィードバックに迷わねばいいが、若いときは巨大渦に巻き込まれるものだ。でも、イ・ソンヒだからいいんだな。

イ・ソンヒの「水仙」に、ついつい聞き込んでしまう。彼女の清雅さを後ろ盾にしてね。


(ふふふ) みんな過ぎたこと

いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい

未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう

その花が散ったとしよう

それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう

それも日を決めておいて

ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はぁ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

2017年6月2日金曜日

(雑談)見えないものが見えること

眼力のある人が、あるいは直観力のある人が素晴らしい鉱物を発見する。ズリを掘り返して探し出すこともあれば、岩塊を叩き割って見つけることもある。それもこれも、背景に鉱物への深い関心と素養があってのこと。もっといえば、経験を忘れていないことだろう。これは全てあてはまるにちがいない。研究者から職人、マニアにいたるまで。

昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。

その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。

基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)

真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。

次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。

できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。

そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。

2017年6月1日木曜日

始めの8歩 イディッシュ語

今日で8歩目(8日目)。今年前半に通うべき回数の、ほぼ半ばまで至った。しかしながら、この”8”の字を横にすると、”∞”(無限)になる。そう、理解は微分的世界をさ迷っていて、はるか遠くおよびもつかないのだ。

今日は、配布教材、オンライン教材、特別教材と盛りだくさんにすすめられた。

・先生推奨の入門書のレッスン6(אַ שמועס)を輪読: 近しい者同士の会話(独特の含みがあるのか・・・今一歩意が届かない)、レッスン7(משפּחה אין אנדערע לענדער)の通読:海外に住む一族の文通と経済的関係(こちらの話題はユダヤ的宗族意識が垣間見えるようだ)・・・といった内容。

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)を元に、カーニバルに出てくる歪んだ鏡に映る姿を見て楽しむ場面。体の部位名称を使って互いの高低、大小、長短などを表現(所有形容詞、形容詞)する。
ところで、ブラッドベリの「10月はたそがれの国」の一番最初のものがたりが「こびと」だ。「鏡の迷路」にたたずむ男が登場する、陰鬱な気分にとりこにしてしまう濃い短編だ。教材ソフトの方は、がらりと明るくて、教材作者が楽しんだに違いない。対話の最後に一番の笑いがある。

・先生がネットで探した、古い、イディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)の一部が紹介された。海外で、老婦人から登場人物(少年少女のベレーレとセレーレ)を懐かしく語られたという。日本の中学英語教科書でいえば、「Jack & Betty」かもしれない・・・教室では誰も知らなかったが。