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2017年6月18日日曜日

イ・ソンヒ 「父は妻帯僧でした」

今日は父の日。このブログでは、イ・ソンヒの父と家族について、父と母、祖父の生き方、父の仕事、そしてイ・ソンヒの政界進出時の父との関係などさまざまな情報を記してきた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと父”)

イ・ソンヒの音楽的才能は、祖父譲りのおおらかさと、父の音楽的素養と躾、さらに母の慈愛があって開花したのだろう。その父が、仏教音楽「梵唄」の指導者と知って確信を深めた。彼女の高音とパワフルな声に、そんな背景があったに違いない。彼女の自伝的な「スター・ストーリー」を読めば納得できるだろう。

しかしながら、イ・ソンヒに才能を与えた父が仏教と深い関係があることに葛藤があったのも事実のようだ。仏教における僧侶の妻帯問題だ。この点についてもいろいろと記してきた。
(2014年4月7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ」で、彼女は音楽仲間のとの語らいの中で、この事実を吐露する場面があった。そのとき、歌手仲間たちは初めて知ったといった顔を見せた。本人の口から直接聞かない限り、ネット上で、あるいは書籍で既知であっても、そういった対応をせざる得ないものだ)

(本ブログ関連:”韓国仏教”、”妻帯僧(韓国では帯妻僧)”)

韓国仏教の中で特異な存在と見られる帯妻僧について、Ko-Wikipediaに次のような解説がある。(参照記事:「韓国仏教の歴史」と「帯妻僧」)
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韓国では、既婚僧侶を可能にする《帯妻僧》の伝統がなかったが、朝鮮後期の《抑仏政策》の中で、寺院の生活を管理(寺院の運営実務を担当)する僧侶を、(参禅・看経・念仏をはじめとする修道に従う)修行僧の『이판승(理判僧)』に対応して、『사판승(事判僧)』と呼んだことから結婚した僧侶という概念が生まれた。
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ここで着目するのは、仏教弾圧下の李氏朝鮮時代に遡って、「事判僧」という存在である。韓国仏教について素人なため、事判僧が当時どのような生活をしていたか知らなかったところ、「事判僧」に当ると思われる、戦前・戦後を経験したある無名の僧侶に光をあてたケーススタディがある。「さまよえる『鬼神』一 日本の植民地支配と『近代化』」(岡田活樹 神戸大学国際文化学部助教授、「人類学研究所通信」13・14号、2006年3月)は、いわゆる戦前の朝鮮(韓国)での仏教統治の「寺刹令」、および戦後に持ち越された「帯妻僧」の存在について淡々と多様に事例を紹介している。

実は、帯妻僧問題は、その起源が上記の事判僧の存在にあるように思われるのだが、日韓の特別な課題につながりかねない《微妙な問題を含んでいる》 と思われる。