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2017年6月17日土曜日

イ・ソンヒの歌う「麦畑」

KBSの国際放送「KBS WORLD」が放送する「国楽の世界へ」を毎週楽しく聴取している。といっても、短波でも中波でもなく、もっぱらネットを通じてだ。「国楽」というと重々しく聞こえるが、内容は豊富で、かつての支配階級の宮廷音楽や教養人の雅趣に富んだ風流音楽、日々たくましい庶民の歌(民謡、祝い歌や労働の歌)、庶民の娯楽であった物語りのパンソリ、更には宗教に関わる仏教音楽(梵唄)や土着的な巫俗音楽まで。そのうえ、ネイティブの録音版から、いまどきの音楽家によるモダンにアレンジした演奏まである。一週間に一度、ある意味直截的に理解できるよい機会でもある。
(解説紹介のキム・ボエさんの優しい語り口が素晴らしい)

国楽について、いつも気になることがある。物語りのパンソリを、市民が果たして聴き取れているのかということだ。実は、漢語の羅列といっていいほど満ちている。東洋文庫の「パンソリ」を参照すれば分かることだが、大筋は大衆的物語りをベースにしているのだろうが、採録者の教養と自負がなせるせいか極めて晦渋で衒学的なのだ。
歌舞伎の演目の場合、通しというより、代表的な幕を選んで観劇することが多い。パンソリも、そんな鑑賞スタイル(大衆受けする場を聞く)かもしれない。聞くところによると、若い人にパンソリの浸透は低いというが・・・。

上記番組で「麦刈りや脱穀に関する曲」の紹介があったのを、一昨昨日(6/14)のブログに記した。麦は、水はけの整わぬ土地柄でも収穫できる貴重な食べ物だ。わたしの地元も、江戸時代に開発された武蔵野新田の歴史がある。以前、郷土の「麦打ち歌」について図書館で調べてみたことがある。旧い村ごとに違っていて、意外に多様なのに驚いた。とはいえ、いくつかのバージョンに、若い男が娘を探すような味付けがされているのを見てニヤッとしたものだ。民謡はこうでなくちゃ。

(本ブログ関連:”麦打ち ”)

ところで、韓国大衆に愛されている愛唱歌に「麦畑(보리밭)」(1952年、作詞パク・ファモク、作曲ユン・ヨンハ)がある。イ・ソンヒも随分と格調高く歌っている。この曲を、韓国のクラシック歌手たちも歌っているのをYoutubeで多数見る。ベルカント唱法というのか、聴いているうちに重くなってしまう。イ・ソンヒの場合は、大衆歌手だから素直に聞き入ってしまう。それに、Youtube映像の、彼女のつけまつげが、かわゆくてしょうがないのだ。


麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ  声がして
私を止める
昔の想いが  寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に  聞こえてくる
振り返れば、誰れも  見えなくて
夕焼けの  空だけが
目に満ちる

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)