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2014年7月31日木曜日

「孝行ラジオ」販売業者に判決出る

韓国では、携帯ラジオ+デジタル・プレイヤー機能を合わせ持つ、安価な「(親)孝行ラジオ」と呼ばれるものが流行っている。孝行の名が示す通り、親へのちょっとしたプレゼント品として、もらった老人たちにとってもアウトドアで楽しむ便利な音楽ツールになっている。

デジタル・プレイヤーに使う、MP3音源を収録したSD(TF)カード販売が大きな問題になっている。実は、1枚のカードに収められた500~5,000曲が、CDと比べると驚くほど安く販売されているのだ。

音源(トロット曲)を制作、発売する音楽業界にとって影響が大き過ぎたため、今回その違法性に対して、ついに実刑が科せられることになった。ニューシスの記事「『孝行ラジオ』違法です、SDカード流通業者実刑」(7/23、イ・ジェフン記者)は、孝行ラジオの実態と影響、判決内容を次の通り報じている。

(本ブログ関連:”「孝行ラジオ」”)

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「孝行ラジオ」に挿入されているマイクロSDカードに大量の音源を不法に複製、販売した流通業者に実刑が宣告された。

韓国音盤(レコード)産業協会によれば、最近、ソウル中央地裁刑事15単独裁判部は、SDカードに音源を不法複製して販売した流通業者に懲役8ヶ月・執行猶予1年、社会奉仕命令120時間を宣告した。

孝行ラジオはラジオ形態のプレーヤーだ。数千曲が不法複製されたSDカードを挿入すれば、きりなく聴取することができる。

裁判所は、不法SDカードを大量に市中に流通した流通業者Lに、「創作の成果に対する権利を保護して著作物の公正な利用を図ろうとする著作権法の趣旨に照らして罪質が良くない」とし、「犯行規模が大きく、一切の反省をしない点」などを理由に、このように宣告した。

一方、音産協は、今回の事件と関連して2012年から証拠収集などをしてきた。昨年11月、文化体育観光部の著作権保護課と特別事業警察官は、家宅捜索を通じて不法SDカード流通会社4ヶ所を刑事立件した。

協会関係者は、「孝行ラジオの主消費層である老齢層の、購買行為よりも、コンテンツに対する接近性(アクセス)が容易にできない点を悪用した流通業者の悪意的な行動(の方)が問題」としながら、「営利を目的に不法音源を専門的に流通する事業者によって、残っていた成人歌謡市場は完全に崩壊してしまった」と話した。

最近では、トロット曲だけでなく、海外ポップソング、著作権がある賛美歌など、多様なジャンルの音源が数千曲ずつ侵害されるなど、その被害が深刻な水準」と付け加えた。
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2014年7月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 川漁

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第65回として、川で魚を捕る「川漁(かわりょう)(천렵)」にまつわる話を紹介した。

始めに、漁労(川漁)をしながら自由に暮らす、学問に優れたソンビの生活について、次のように説明された。
・漁労には、それを生業とする漁師の他に、ソンビが隠遁生活しながらする場合もあった。生活がかかる漁師は、たくさんの魚を捕って高値で売りたい。一方、ソンビは、魚は捕れても捕れなくても構わない、ただ自然の中で過ごすのが目的で、どこにも拘束されない自由な人々であった。昔は、このように自由な暮らしこそ、ソンビにとって最高の老年と言われた。

▼ 自由な暮らしの喜びを歌う「魚父辞(어부사)」を聴く。山よりも川がいいとノンビリとした風情で・・・今様である。(屈原の「漁夫之辞」じゃない)

次に、農民も川魚獲りに行ったことを歌うフィモリ雑歌「六七月(육칠월)」について、次のように紹介された。
・家族や友人と美味い料理を楽しむため、川に向かう農夫もいる。にわか雨が通り過ぎると、農夫は農機具の代わりに釣りの道具を整えるが、雨具がない昔、雨よけ笠をかぶり蓑を着て出かけた。早いテンポで歌うフィモリ雑歌「六七月」の曲中、そんな姿を歌う。
・畑仕事で手が空かぬ農夫は、通りかかった男の子を呼び止め、自分の代わりに魚を獲ってうちに届けるよう頼む。ついでに、カボチャを入れて鍋料理を用意しておくよう妻に伝えて欲しいと言うが、男の子は機嫌が悪いのか、きっぱりと断る。自分も仕事が山積みで、夜は勉強までしているから忙しいという。鍋を分けてやるかして、うまくなだめるしかない。

▼ フィモリ雑歌「六七月」を聴く。農夫が頼んだのは牛追いの作男(少年)のようで・・・テンポ軽く次々と続く。

最後に、避暑を兼ねて農民が川漁した風俗を、次のように説明された。
・夏は、農夫にとって休む暇もない時期だ。強い日差しの中で働き続ければ倒れるかもしれぬ。だから夏は、早朝から朝方までや、日暮れる頃から仕事を始めたりした。それでも耐えられぬ暑い日は、村中集まり水遊びに出た。小川に足を浸して魚を捕り、辛い鍋料理を作り食べた。これを川漁と言う。
・片隅に石や木の枝を集めて、そこに窯をかける。また、川に網を張り、魚が捕れるのを待つ。足を浸して遊ぶうち、しばらくすると魚が網に掛かる。風が気持ちいい日には魚もよく捕れると言う。

▼ チャルメラのような「太平簫(別名:セナプ(새납))」を長尺に変化させた現代の管楽器「チャンセナプ(장새납)」の演奏で「渓谷(계곡)」を聴く。渓谷に北風が吹くよう・・・。今様である。

金寶愛さん、川辺でも辛い鍋料理がよさ気とのこと・・・そうなんだ。

2014年7月29日火曜日

「江辺歌謡祭」デビュー以来30年

今日は、イ・ソンヒが音楽祭にデビューして、ちょうど30年目にあたる。

1984年7月29日に、イ・ソンヒ(1964年12月14日【旧暦11月11】~)が(満)19歳のとき、第5回MBC「江辺歌謡祭(강변가요제)」に、仁川専門大学のサークル「4幕5場」を代表して、イム・ソンギュン(임성균)とのデュエットで「Jへ(J에게)」(作詞作曲イ・セゴン)を歌い大賞受賞した。これを機会に、イ・ソンヒはソロとしてデビュー、翌1985年に音楽界へ躍進、地球レコードよりアルバム第1集を発表する。

(本ブログ関連:”江辺歌謡祭”)


(Youtubeに登録の010tmehakに感謝)

江辺歌謡祭から、以来30年を記念して、今年4月にソウルの世宗文化会館大劇場で「歌うイ・ソンヒ」コンサートを開催、その後、全国ツアーを展開している。

・ソウル04.18-20: 「世宗文化会館」  ★4.19レポート
・大邱05.10-11: 「大邱エックス5階コンベンションホール」
・蔚山05.24-25: 「蔚山東川体育館」
・光州06.07-08: 「金大中コンベンションセンター」
・城南06.14-15: 「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山06.28-29: 「KBSホール」
・富川07.12-13: 「富川室内体育館」
・全州08.30-31: 「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂」
・大田10.04-05: 「忠南大学正心華国際文化会館正心華ホール」

(本ブログ関連:”30周年”)

2014年7月28日月曜日

睡魔

若い頃、図書館で読書や学習を始めようとするとき睡魔に襲われ、しばしまどろんだ後、急に頭の中に涼しい風が吹くようなスッキリした感になる。それからは、読書や学習が軽やかに進んだものだが、歳をとるとそうはいかない。もやもやしたまま、更にもやもやする。いつまでたっても、清朗な気分にならないのだ。

気分転換に、図書館の書棚からおもしろい本を探す。黄表紙の「桃太郎後日噺」(朋誠堂喜三二)を見つけて、挿絵をながめながら言葉がきを楽しむ・・・もちろん、注釈付きで。

桃太郎が連れてきた鬼と、老父母の下女との恋に横恋慕する猿の醜さもあるが、しまいには娘道成寺に変転したりして、ドタバタな展開もいいところ。

ネットに、この噺を史実の人間関係に即して説明するものがある。当時のひとには、何を風刺しているのか分かっていたのだろう。作者の朋誠堂喜三二が秋田の佐竹藩の藩士というのもおもしろい。佐竹藩は上から下まで開放的だったのか、器用な生き方ができたようだ。秋田は、歴史的に見て、東北の他県とは違った独特なものを感じる。

2014年7月27日日曜日

(資料)2014上半期チャート(GAON)

韓国のガオン・チャートは、2014年上半期のランキング集計結果を、同サイトで発表している。
その中で、アルバム部門について見ると(元表は100位まで)、イ・ソンヒが今年3月25日発表した公式アルバム第15集「SERENDIPITY」は、39位の順位を占めている。若手歌手が上位多勢のなかで、自身の音楽的確立のため、試行を止まないイ・ソンヒの姿勢は大きな道標となっている。

(本ブログ関連:”(資料) イ・ソンヒ 伝説を超える”、”(資料)デビュー30周年迎えた「サニー・オンニ(お姉さん)」”)

それにしても、韓国のイ・ソンヒファンのみな様方、彼女のアルバムをしっかり購入しましょう。私は、第15集「SERENDIPITY」を3つ持っていますよ。(1つは新大久保のCDショップで、2つはサイン入りをコンサート会場で)

                        【ランキング集計: 国内出荷量( - 返品量)を基準に集計】
Ranking Title / Artist Gaon Count Production
1 EXO-K|중독 (Overdose) 386,383 Kt music
2 EXO-M|上瘾 (Overdose) 285,078 Kt music
3 동방신기|Tense 197,172 Kt music
4 소녀시대|The 4th Mini Album `Mr.Mr.` 159,007 Kt music
5 인피니트 (Infinite)|Season 2 158,091 로엔엔터테인먼트
6 비원에이포 (B1A4)|Who Am I 126,702 포니캐년코리아
7 씨엔블루 (CNBLUE)|Can't Stop 113,338 CJ E&M
8 동방신기|The 7th Album Repackage `수리수리 (Spellbound)` 109,763 Kt music
9 B.A.P|First Sensibility 104,528 로엔엔터테인먼트
10 비스트 (Beast)|Good Luck 88,800 Universal Music
11 방탄소년단|Skool Luv Affair 75,178 로엔엔터테인먼트
12 엑소 (EXO)|정규1집 리패키지 XOXO (Kiss Ver.) 74,226 Kt music
13 투하트(우현&키)|1st Mini Album 73,463 로엔엔터테인먼트
14 빅스 (VIXX)|Eternity 72,385 CJ E&M
15 슈퍼주니어-M (Super Junior-M)|Swing 63,173 Kt music
16 2NE1|2NE1 NEW ALBUM `CRUSH` 62,132 Kt music
17 태양|RISE 52,859 Kt music
18 에이핑크 (Apink)|Pink Blossom 51,551 로엔엔터테인먼트
19 엑소 (EXO)|12월의 기적 (Miracles in December) (Korean Ver.) 51,272 Kt music
20 김재중|WWW 화장을 지우다 50,000 에이앤지모즈
21 EXO-K|`MAMA` EXO-K The 1st Mini Album 44,444 Kt music
22 GOT7|Got it ? 44,409 Kt music
23 S.M. THE BALLAD|S.M. The Ballad Vol.2 Breath (Korean Ver.) 41,007 Kt music
24 Various Artists|Frozen OST (Deluxe Ver.) 40,998 Universal Music
25 갓세븐 (GOT7)|GOT♡ 38,505 Kt music
26 비 (Rain)|Rain Effect 37,616 로엔엔터테인먼트
27 비투비 (BTOB)|뛰뛰빵빵 34,840 Universal Music
28 Various Artists|Frozen OST 33,387 Universal Music
29 B.A.P|Unplugged 2014 29,986 로엔엔터테인먼트
30 아이유 (IU)|꽃갈피 29,027 로엔엔터테인먼트
31 EXO-M|`MAMA` EXO-M The 1st Mini Album 28,900 Kt music
32 악동뮤지션 (AKMU)|PLAY 28,895 Kt music
33 엑소 (EXO)|XOXO (Kiss Ver.) 28,812 Kt music
34 김광석|김광석 Best 27,364 CJ E&M
35 블락비 (Block B)|Jackpot (Special Edition) 25,043 CJ E&M
36 동방신기|The 4th World Tour "Catch Me" Live Album 24,986 Kt music
37 Various Artists|별에서 온 그대 OST 24,368 로엔엔터테인먼트
38 빅스 (VIXX)|Voodoo 24,260 CJ E&M
39 이선희|SERENDIPITY 23,784 로엔엔터테인먼트
40 엑소 (EXO)|十二月的奇迹 (Miracles in December) (Chinese Ver.) 22,194 Kt music

2014年7月26日土曜日

みそぎぞ夏のしるしなりける

百人一首の最後から3番目の98に、旧暦6月30日の今日にちなんだ、従二位家隆(藤原家隆)の次の歌がある。まさにこの禊祓(みそぎはらえ)の時期、夕暮れに流れる風と小川に夏の気配を感じると詠嘆する。

風そよぐ 
ならの小川の 
     夕(ゆふ)ぐれは
みそぎぞ夏の
     しるしなりける

風そよぐ
イ・ソンヒの代表曲「Jへ」は、「J, 스치는(すれすれに通り過ぎる、かすめる) 바람에(風に)」から始まる。この(頬を)かすめる風について、いろいろなチャレンジ(訳)をネット上に見たが、「かすめる」とか「かすむ」など言葉を越えられないのに対して、作詞家の三佳令二の歌詞はさらりと、「そよぐ風に」と言葉を配している。やはり、プロは凄い。

なら(楢)の小川(をがは)
「京都市北区、上賀茂神社の御手洗(みたらし)川。」[歌枕]【広辞苑(電子版)】
Youtubeを「ならの小川」で検索すると、いくつか該当すると思われる風景が見当たる。川幅は数m程度、まるで唱歌「春の小川」に出てくる小川のようだ。川筋は木々(楢?)に囲まれ整備されているよう。南下して加茂川に合流する。

みそぎ(禊)
「身に罪または穢れ(けがれ)のあるときや重大な神事などに従う前に、川や海でを洗い清めること。」【広辞苑(電子版)】
契約や原罪もない神道世界でも、人生に何となくけがれ(穢れ)を負っているよう感じる。人は心に澱が溜まるようで、日があらたまるとき、洗い清める(禊祓(みそぎはらえ)する)ことをする。(旧暦)6月30日、一年の半分も終わるときに、「六月禊祓」するが、現在は新暦に合わせているようだ。

2014年7月25日金曜日

(資料)イ・ソンヒのデビュー30周年記念コンサート映像

今年、4月18日(金)~20日(日)に、ソウルの世宗文化会館大劇場で開催された、イ・ソンヒのデビュー30周年を記念するコンサート「歌う イ・ソンヒ」のステージは、後日、MBCより放送された。
Youtubeに載った、この貴重な映像が長く登録されることを祈りながら、本ブログ画面左(上側)にも「이선희 30周年記念コンサート」のタイトルで同じものを埋め込んだ。

なお、コンサート中継映像は、5月15日(木)午後11時15分からMBCより放送された。実際、2時間ほど演じられたコンサートであったが、1時間15分ほどに選択されているものの、会場の雰囲気は十分伝わっている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 30周年記念コンサート実況 5/15放送 MBC”、”資料:이선희 Concert”、”30周年”)

(Youtubeに登録のにO DY感謝)

2014年7月24日木曜日

夕立と思えど

夕方、公民館を出たそのとき、建物前の乾いた路面に大きな黒点が次々と散った。あっという間に、大粒の雨が降ってきたのだ。戻ろうか、一瞬たじろいだものの、付設の駐輪場が目の前にあったので、そちらへ駆け込んだ。

夕方、6時前のことだ。雨は次第に強さを増し、駐輪場の屋根を激しく叩いた。時節柄、夕立の通り雨くらいに考えて、やり過ごそうとしたのだ。しかし、雨脚はますます強くなり、20mほど先の公民館に戻るのも躊躇した。

えい、ままよと立ち尽くしたが、一向に休まる気配もない。隣接する、欅の巨木の下にたたずむ稲荷神社の遠景が、雨煙に霞んで見える。雨風は横なぶりになり、雷鳴が轟く。俵屋宗達の屏風絵「雷神」を思いめぐらした。まさに雨風が舞い、雷光で辺りが一瞬明るみ、すぐさま雷鳴が轟く、まるで鼓を打つように、ドドドドドと連打して聞こえてくるのだ。(連打して聞こえるというのは、外にいないと分からないことかもしれない)

建物の向こう側が薄桃色に輝いた、落雷だ。ビリビリという響きして、辺りの施設から光が消えた。薄闇の中、待ち続けると、建物一斉に明かりが灯った。置いてけぼりされたように駐輪場にいて、それを見たとき、なぜかほっとしたのは不思議だ。

一時間ほどして、小降りになったのを機会に、急いで公民館に走り込んだ。なにしろ、駐輪場はコの字型に囲われているだけで、壁は腰丈ほどしかなく、風に煽られた雨が舞い込んで来たのだ。ずっと立ち止まっていただけに、ロビーのソファーのありがたかったこと。

雨脚がおさまった7時過ぎ、陽の落ちた中、ようやく帰宅できた。寄り道もしないで。

2014年7月23日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 フィモリ雑歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第64回として、人々の暮らしを早いテンポで歌う「フィモリ雑歌(휘모리잡가)」にまつわる話を紹介した。

まず、清渓川(청계천)の橋を渡った人々を例えた歌「メンコンイ打令(맹꽁이타령)」について、次のように始まった。
・ソウル市の中心を流れる清渓川は、'60~'70年代の経済成長で水質が汚れ、コンクリートで埋めて高架を作り道路とした。2000年代に入り、高架道路の撤去と復元により、市民の憩いの場となる。清渓川は、ソウル北部の北岳山(북악산)と仁王山(인왕산)から出て、市中心部を通り、東に流れて中浪川(중랑천)と合流する。
・昔、清渓川は人々の生活の中心にあり、洗濯をしたり、子供の遊び場だった。正月には、清渓川の橋を往来して遊ぶ人々で混み合い、そこに歌芸人のクァンデ(광대)がいた。朝鮮時代、清渓川が流れる光化門(광화문)に官庁街があり、官職者やその使い、国民に至るまで、各層が往来した。それを地潜り蛙(ヒメアマガエル科)を指すメンコンイに例えた面白い歌がある。

▼ 朝鮮時代の曲調、打令(타령)で歌う「メンコンイ打令」を聴く。青銅青精米・・・とは何?、ともあれ元気だ。

次に、動詞「吹き荒ぶ」(휘몰아치다)の意から早いテンポで歌う「フィモリ(휘모리)雑歌」について、次のような説明があった。
・フィモリに、せき立てるの意があり、早いテンポの俗歌を「フィモリ雑歌」と言う。庶民の素朴な暮らしを大げさに描いた長い歌詞を休まずに早いテンポで歌う。とぼけるように歌うところが面白い。
・清渓川は小さいが、昔は川辺に多くの人が集まって暮らした。夏の梅雨時に水が溢れることも多く、雨に履く木履(ぼくり)が川を流れ、その上に乗っかったメンコンイの様子が、舟に乗ったヤンバンを思わせた・・・そんな歌詞から始まり、混迷した国の情勢や夫を亡くした未亡人、目的もなくブラブラ歩く人や夫の妾と喧嘩して首をつりに行く妻などを、メンコンイに例えながら歌う。現実的ながらもユーモアが溢れて笑ってしまう。

▼ 岩(바위)を意味する「バウィ打令(바위타령)」を聴く。次々と岩の名を挙げていく・・・岩の名で埋め尽くす。

・(バウィ打令は)飯を食うきに小石を噛むと、なんと大きく感じたのか。これを大げさに説明するため、全国の有名な岩の名を全てあげながら歌う・・・まるで山林を思わせて、食べ終えると窯の中から獅子のような動物一組がのそのそと出てきたという。

最後に、雑歌の分類について、次のように説明された。
・よく知るパンソリや民謡も昔は「雑歌」と呼んだ。最近は、専門の歌い手が歌うものを雑歌と言う。フィモリ雑歌は、歌や踊りを楽しんだ後、一番最後に歌うもので、雰囲気も真っ盛りになり、思う存分諷刺をしながら歌った。

▼ ひどく不細工な顔を指す、フィモリ雑歌の中でも最も大げさな歌詞の歌「あばた打令(곰보타령)」を聴く。~のようで~のようで・・・おどけた感じの列記スタイルだ。

・あばた(곰보)の僧侶が小川に現れると、その顔がなんと不細工であったのか、魚がびっくりして逃げてしまっ。川魚はもちろん、突然タコやサバ、イシモチまで登場する。フィモリ雑歌を聴いていると知らないうちに微笑む。

2014年7月22日火曜日

梅雨明け 2014

今日、ついに梅雨明けした。おかげで、映画「怪しい彼女」の鑑賞に出かけることができた。

平成26年度 梅雨明け(気象庁
   地 方   平成 26 年 平年差  昨年差       平  年        昨  年    
関東甲信7月22日ごろ1日遅い16日遅い7月21日ごろ7月 6日ごろ

(本ブログ関連:”梅雨明け”、”梅雨入り”)

映画「怪しい彼女」

久し振りに、都下の大きな街に出て、映画「怪しい彼女(수상한 그녀)」(韓国公開2014年1月)を見てきた。痴呆や死が背後に迫る老人、将来の定まらぬ若者、その中間にいて振り回される親たちが織り成す、可笑しくて、しんみりとさせるストーリーだ。あるとき、70歳のおばあちゃんが、20歳に変身することから始まる騒ぎも、最後には家族の絆の重さに収斂する。

主人公オ・ドゥリ(急に若返ってとまどう自分に、オードリー・ヘップバーンをヒントに付けた仮の名前)役のシム・ウンギョン(심은경)は、映画「Sunny サニー 永遠の仲間たち」で、仲間に引っ張られる、転校してきたおとなしい?高校生役を演じたが、今回は、20歳の体に70歳の意地悪婆さんが憑依したように、元気いっぱい辺りに騒動を巻き起こす。それに、頬がちょっぴり膨らんだ、シム・ウンギョンの童顔になごむ。

(本ブログ関連:”サニー”)

でも20歳の旋風には理由がある。おばあさんの新婚時代の悲しみ*を振り返らねば理解できないことだ。僕らは、肉親だからこそ、知っているようで知らない、気付こうとすらしてこなかった、そんなことがいっぱいある。この映画は、身近なひとの人生を推し量るきっかけになる。あなたの涙腺まで保障はしないけれど。

(*) 経済発展の礎となった、派独、西ドイツへの(鉱山、看護)労働者の出稼ぎ(東亜日報の記事:2004年6月9日

映画の最後に、この映画を「全てのお母さんに捧げます」というメッセージが表示されたのを見て、アジュンマサイトにある、「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」という言葉の、母親が愛するものに持つ絶対的な信念に対する、感謝あるいはオマージュのような気がした。

ところで、この映画は、70年代の流行り歌を取り入れて時代性を演出している。Youtubeに、20歳に若返った主人公のオ・ドゥリが歌う場面を集めたものが載っている。
それぞれの曲目は、ストーリーの各場面に相応しく歌われるもので、あるときは楽しく、あるときは胸に沁みる。そして、原曲の曲調をガラリと変えたものまである。すっかり感情移入してしまった私は、主人公役のシム・ウンギョンのバラードやツイスト風味にすっかり染まってしまった。

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・「LAに行けば(나성에 가면)」: セセムトリオ(세샘트리오)、1978年、作詞・作曲吉屋潤(길옥윤)、【나성=羅城=LA(ロスアンゼルス)】
・「雨水(빗물)」: チェ・ウンオク(채은옥)、1976年 ・・・ (参考)ブログ「Likeafriend
・「白い蝶(하얀나비)」: キム・ジョンホ(김정호)、1975年、作詞・作曲キム・ジョンホ
・「もう一度(한번더)」 ・・・ ???(気になる話題がでている)


(Youtubeに登録のCJ Entertainment Official、windmillsofmusic、soya iに感謝)

2014年7月21日月曜日

梅雨明け間近・・・多分

昨日は一日、ムチャ暑いと思ったら、夕方に熱さの帳尻を合わせるかのように土砂降りして、空気もヒンヤリさせた。今日は夕方に一雨来るかと思ったが、ずっと蒸し暑いままだ。お天道様の心がよく分からない。

先週末、近所の小学生たちが両手にいろいろ荷物を抱え、ランドセルを揺らせながら下校しているのを見た。そう、夏休み(7月20日~8月31日)がj始まったのだ。いよいよ、本格的な夏になる。子どもたちのためにも、早く梅雨明けして欲しい。

今年の「梅雨明け」は、気象庁(「平成26年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」)によれば、南側地域から次の通りだ。九州北部が、四国、中国よりも1日遅れるというが面白い。

6月26日頃    沖縄
7月13日頃    奄美
7月16日頃    九州南部
7月21日頃    九州北部
7月20日頃    四国
7月20日頃    中国
7月21日頃    近畿
7月21日頃    東海

関東・甲信地域の、今年の「梅雨入り」は、6月5日頃だった。その日に近く梅雨入りした例は、最近では2012年6月9日頃があり、梅雨明けは7月25日頃だった。

(本ブログ関連:”梅雨入り2014”)

これ以降、関東・甲信、北陸、・・・、の順に梅雨明けするだろうが・・・明日かも知れないという話もある。

2014年7月20日日曜日

イ・ソンヒ 「HIDDEN SINGER」(シーズン3)に出演決定

イ・ソンヒは、中央日報系JTBCの「HIDDEN SINGER(히든싱어)」(シーズン3)に出演がどうやら決まったようだ。亜州経済の記事「”HIDDEN SINGER3” イ・ソンヒ出撃…『歌謡界のレジェンド 女帝』が出る」(7/20、アン・ソンヨン記者)は、シーズン3の最初の主人公として出演すると、次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 「HIDDEN SINGER」に出演か”)

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・「歌謡界のレジェンド 女帝」 イ・ソンヒが”HIDDEN SINGER3”の最初の主人公として出撃を予告した。

・イ・ソンヒは、来る8月中旬、初放送を控えているJTBCの「HIDDEN SINGER3」の最初の舞台を開ける。1984年の「Jへ」でデビューして以来、15枚の正規アルバムを発表し、30年目のわが国歌謡界の王座を守っているイ・ソンヒが、どんな神話を作り出すのか成り行きが注目されている。

・何より、デビュー30年目の貫禄と内的充実あるイ・ソンヒは、小さな体躯から生まれくる響きとは信じられない嵐吹く声量と圧倒的な歌唱力、繊細な感受性まで兼ね備えた自他共に認めるわが国の代表歌手。HIDDEN SINGERのシーズン1から最も見たい歌手の1位に選ばれるかと思えば、最も付き従って歌うのが難しそうな歌手の1位に選ばれて話題を集めたことがある。

・このために「HIDDEN SINGE」制作スタッフは、シーズン1、シーズン2を経る2年の間、イ・ソンヒと交渉するために刻苦の努力を傾けたところ・・・出演提案を受諾、格別さを増している。

・特に、最近進行された「HIDDEN SINGER3-イ・ソンヒ特集」予選現場には、歴代シーズンを合わせて最も多い志願者が集まって、イ・ソンヒの人気を実感させた。さらに、職場に休暇を出して外国から帰国した30年のファンから、外国人、公務員、医師、教師、小学生に至るまで、国籍も、年齢も、職業も多様な参加者が続出した。これと関連して、老若男女関係なく全国民が知って、愛するイ・ソンヒの声を物まねてやり遂げられる志願者が存在するかどうか疑問が広がっている。

・「HIDDEN SINGER3-イ・ソンヒ編」は、異例の2回に渡って放送される。製作スタッフが、何と2年の間ラブコールを送ってきた「わが国最高の女帝」イ・ソンヒの名声に合うように、既存の「HIDDEN SINGER」では見られなかった、とてもスペシャルな舞台が繰り広げられる予定。どんな歌手よりも視聴者たちに期待が大きい舞台だけに、焦眉の関心が集められている。

2014年7月19日土曜日

「孝行ラジオ」

最近、韓国の巷に流行るもの、親孝行のプレゼント品として知られる「孝行ラジオ(효도 라디오)」がある。
プレゼントされた年配者は、これをハイキングに携えるという。ラジオ機能以外に、デジタル・オーディオプレイヤー機能が付いていて、韓国歌謡のトロットを収録した「TF(ミニSD)カード」を装着して、山歩きにもっぱらこれ楽しんでいるようだ。

(本ブログ関連:”孝行ラジオ”)

ラジオ本体の価格もそうだが、トロットが500曲~5000曲入ったTFカードも恐ろしく安価なのだ。このことが問題になっている。孝行ラジオの出現によって、歌謡界の売り上げが大幅に落ち込んでいるというのだ。

なおラジオ本体は、韓国ネット通販に公開されており、ほぼ中国製だ。一方、トロットの音源については未確認? 電気街や市場の屋台などで、TF(ミニSD)カードをチューインガム・ケースのようなものに隠し置いている映像を見たような気がする・・・じゃなくて、KBSの「뉴스9」で放送していた。

(資料)KBS WORLD「クリックK」の「孝行ラジオ」(2013年12月10日)より、抜粋。
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・孝行ラジオが発売されてから1~2年の間で、トロットのアルバム売上額は70%以上減少。音楽が利益を生み出すのが難しい時代になったという・・・

(資料)スポーツ・トゥデイ「孝行ラジオ」に泣く歌謡界、解決策を問う」(7/3)より、抜粋。
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・2000曲以上の不法音源が入っているSDカードを装着したポータブル・オーディオ(ラジオ兼用)をいう。主に登山道、高速道路の休憩所、清渓川の屋台通りなどで3万〜5万ウォンで取引される。


ところで先日、ソウル土産にこれをお願いしたところ・・・。

2014年7月18日金曜日

イ・ソンヒの「さようなら」

若い女性の繊細な心情を歌う曲が多い中で、イ・ソンヒの4集の最後に収められた「さようなら(안녕)」(1988年、作詞イ・ギョンエ、作曲キム・イラン)は、若い独特な高音の迫力があるとはいえ、内容に、朝焼けとともに旅立つ自信を感じる。(歌の主人公を男にしたら、ありふれたものになるだろうから)

この4集には、後に彼女そのものになった、国民的な代表曲「美しい江山」(作シン・ジュンヒョンのカバー)がある。ソウルオリンピックの年、その時代の気風とまさしく調和した曲々を発表したことになる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」入手”)


美し過ぎた思い出にふけりながら、あなたの寝顔を見つめて
あなたの額に口づけして、静かにささやいたわ、さようなら

ドアを、ドアを開けしなに心残りして、もう一度、あなたを見つめて
遠くから聞こえる夜明けの鐘に、静かにもう一度、さようなら

別れは、本当につらい、愛とは、ただあなた

けれど、去らねばならない私を引き止めないで、ああ、引き止めないでください、

愛しています

ドアの、ドアの外に出たら、冷たい夜は明け、コートの襟を上げて、口笛吹いて
白(しら)露なのか涙なのか、私の目もとに流れ、静かにささやいたわ、さようなら

静かに、もう一度、さようなら、さようなら

(Youtubeに登録の숲속여행に感謝)

2014年7月17日木曜日

【多摩の代官】江川代官の事績と在地支配

地元公民館で、江戸時代に多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授による、最終会となる第6回講演「江川代官の事績と在地支配」を聴講した。

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

今回とりあげられた代官の江川太郎左衛門英龍(号を坦庵)は、例によって次男として生まれ、他家に養子に出され、そこで才を認められ代官にまでになる。天保4年の大飢饉(1833年)に際して窮民救済の業績の他に、ペリー来航など騒々しい時代にあって、洋学を特に砲術を修めて、江戸湾防衛のお台場建設と砲台設置などで知られているという。

江川代官について、特にお台場建設で広く知られているということだが、今回始めて知った。彼は絵も得意で、民情視察の際の部下を従えた主従の絵図や自画像を、配布された資料で知った。眼の大きな彼の顔、どこかで見たような気がする・・・それとも別の人物だったのか。

江川代官が世間に広く知られのは、次の要素があるようだ。当初、開国を要求する外圧に抗するため民兵組織の農兵を作った。しかしながら、幕末、国内治安が(一揆など)不安定となり、対策のため、農兵を使うことになる。「本来外へ向かうものが、内に向かうようになった」(本講義)という。

江川代官の支配は、武蔵野全域にあったが、地元へ直接関与した記録はないそうだ。


(付記)
前回の最後に少し触れられた田中兵隅、今回紹介された江川太郎左衛門英龍など初めて知った人物だ。これから、少しずつつだが、近在の博物館巡りなどする新しいテーマができたようだ。

2014年7月16日水曜日

イ・ソンヒの「いつも愛してる」

自転車(ママチャリ)の幼児席に小さな子どもを載せて走る母子を見て思うことがある。母親は、幼いわが子に、まるで回答を求めるかのように、日常の何気ない会話をしている・・・もしかして、自問自答の延長ではないかと思ったりするが。言葉を教えるのではなく、自然にわが子と共有しているようだ。家の中でもきっと、同様な会話しているのだろう。

母親と幼児の会話が素晴らしいのに、じっと待つこともある。誘導せず急がず、子どもが言葉を出すのを待ち続けることだ。これは、家の外で会話をして過ごす父親にはなかなかできないことだろう。先日、ラジオ番組で、言葉の起源を研究している男性科学者が、誕生したわが子をよき観察対象にしようとしたができなかったと述懐したのを聞いて、そうだろうなと納得した。

イ・ソンヒの8集に所収の「いつも愛してる(언제나 사랑해)」(1992年、作詞・作曲キム・ヨンドン)は、愛するものと、愛されるものとの、色や光の違いを想わせる。包むような光、そして風さえ感じさせる。

カンホンの歌手列伝」のイ・ソンヒの項で、苦戦した8集ではあったが、この歌も含めてカンホンは次のように記している。
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・イ・ソンヒのボーカルは、暖かいながらも、強靭な女性のエネルギーを抱いており、西欧的な発声の中でも、東洋的な静寂美が流れる。彼女のディスコグラフィーで最も挑戦的だった8集でキム・ヨンドンの「小船」や「ハンネの別れ」をリメイクしたファン・チョンウォンの詩にキム・ヨンドンが曲を付けた「あなたに会いたい時は」や、キム・ジハの詩の「あるおばあちゃんの極楽」、そしてどのような愛の歌よりも美しく、親しみやすい「いつも愛してる」を歌った時のイ・ソンヒは、ブラウン管とコンサートのスーパースターの枠組みから抜け出して、より深く広い音楽の世界に飛翔する。
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(本ブログ関連:”いつも愛してる”)


愛してる、私の愛する人
あなたは、日ごとまぶしい光で私へ近づいてるのね

愛してる、う~ん~
永遠(とわ)に、一緒に私たちの幸せな人生の夢見るのね
貴方の、愛の香りが私にいっぱい飛んでくるのね

(トゥル~ル~、トゥルットゥ ルルットゥ ルルットゥ ルル~ル~ル~)

私の魂、私の愛する人
貴方は、私にいつも新しい光で現れるのね
その光は、いつも虹の色をして私に近づくのね

愛してる、私の愛する人
愛してる、私の人生


(Youtubeに登録のlys218に感謝)

2014年7月15日火曜日

憂鬱なレディに赤いバラ

子ども時代のアメリカンポップスは、常に最新の輝きして、ラジオに噛り付いて情報を仕入れたものだが、今はオールディーズと一括される。耳が遠いのか、そんな言葉に苛立ちを感じることはない。

女性ファッションに、来年になれば流行遅れだし、時代が変われば回顧の対象でしかないと、オヤジ目線で冷ややかだった。ところが、ポップミュージックについても同様ということに、気付くのには随分と時間がかかった。関心が薄いものには時代の磨耗を容易に予測できるが、好きなものには変わらぬ点だけを追い求める。

60年代の記憶にあるポップスの「ブルーレディに赤いバラ(Red roses for a blue lady)」(作詞:Roy C. Bennett, Sid Tepper)は、様々なミュージシャンに歌われ演奏されたが、耳に残っているのは当時の雰囲気を今も感じさせる甘い口調のヴィック・ダナ(Vic Dana)の盤だろう。

ほんの些細な行き違いで、彼女を憂鬱にさせてしまった。後悔に、赤いバラの花を送ろうと花屋に出向く。そこまではいいのだが、バラを求めながら妄想する・・・彼女の機嫌が直り、結婚するときはウェディング・ドレスに合った白い蘭を選ぶのだと。

若者は気がいいね。好いと思ったことも、振り返れば、あれって一体なんだったんだろうと自問するときがくるのだから。


(Youtubeに登録のtop401965に感謝)

2014年7月14日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 葬儀と歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第63回として、死者を見送り家族を慰める「葬儀と歌(상례와 소리)」にまつわる話を紹介した。

初めに、棺を運ぶときに歌う「喪輿歌(상여소리)」について、次のような解説から始まった。
・昔は人が棺を運び、そのときの歌が今でも地域に伝わっている。町中の人々が棺を乗せた喪輿(もこし、상여)を肩にかつぎ、亡くなった者への願いと、残った家族を慰める気持ちを込めて一緒に歌を歌う。
・人は希望を持ち、明るい未来を夢見るが、叶えられたとしても、人生の最後に死が待っている。その事実を見つめられるとき、人生について語れるだろう。最後があるからこそ尊い。古くから、亡くなった者を見送る儀式に特に心を込める。この儀式に欠かせないものが音楽だ。西洋に死者のためのミサで歌う曲(レクイエム≒鎮魂歌)があるように、韓国には喪輿を運ぶときの歌「喪輿歌」が伝わっている。この音楽には、亡くなった者と生きている者に対する願いが込められている。

▼ 京畿地域(高陽)の「喪輿歌」を聴く。仏教的な響きがして、感情を包むような庶民の厳粛さを感じる。

次に、喪輿歌の意義について、次のように考察された。
・昔は、自分の家で生まれ自分の家で亡くなった。最近は、病院で生まれ病院で亡くなり、葬儀も簡単に行なうことが多くなった。葬儀が過ぎると、この世に死の存在を忘れて生きるため、死について考えたり、暮らしを振り返る機会は多くない。昔は、墓場に到着するまで町中の人々が喪輿を担ぎ、喪輿歌を歌った。それを聴き、子供たちは、この世に死の存在を自然に学び、若者も、いつか自分も老いることを悟り、今後どう生きるべきか考える機会になる。歌う人も聴く人も、一度聴けば胸に残り、その記憶が(民俗)芸術になる。

▼ パンソリ「沈清歌(심청가)」の中から「郭夫人の喪輿が出る」場面を聴く。靈軸旣駕 往卽幽宅 載陣遣禮 永訣終天 觀音菩薩・・・

最後に、全羅南道の珍島に伝わる、葬儀中に遊ぶ「ダシレギ(다시래기)」について、次のように解説された。
・死は悲しいことだが、生者はその後も生きていかなければならない。残された家族の心を慰めるため、珍島では、葬儀の中で「ダシレギ」という遊びをする。喪輿が出る前日の夜、歌を歌い、劇をしながら楽しむ。庭に集まった人々みなが歌を歌うと、芸人が登場してちょっとした笑劇をする。みなで笑い楽しんだ後、空の喪輿を担ぎ庭を一周し、実際喪輿が家を出発するかのように練習する。家族に心の準備をさせるし、翌日喪輿を担ぐ者に予行演習にもなる。愛する人を見送る最後の瞬間に、みな一緒にいるだけでも家族には慰めになっただろう。

▼ 遺族を慰める遊びに歌う「珍島ダシレギ」を聴く。葬儀って忙しく騒がしいほど、悲しみも吹っ飛んでしまう・・・本当に。

2014年7月13日日曜日

川崎平右衛門

地元の郷土史で知られる、川崎平右衛門についての知識はつたない。農民出身ながら、その才能を見出され、享保の改革時に、江戸町奉行大岡忠相の配下として武蔵野新田の世話役に登用され、窮乏する新田の農民を救い、その結果、新田規模を拡大さえしたというのだ。

(本ブログ関連:”川崎平右衛門”)

地元では近々、合唱構成劇に採りあげられるというパンフレットも見たほどに、今だに信望が厚い。ネットでは、川崎平右衛門に関わる地域住民同士の交流も行なわれたという。彼について、もっと知りたい。

今日、散歩で寄った、小金井公園近くにある小金井市文化財センター(旧浴恩館)の資料展示室の一角に川崎平右衛門の紹介があり、彼の供養塔について解説したリーフレットから人となりを次に転記する。
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・享保年間、幕府の政策で武蔵野新田の開発が行なわれましたが、困窮する出百姓*が続出して新田の農村の存続の危機を招きました。そこで関東地方御用掛**であった大岡越前守忠相は多摩郡押立村の名主川崎平右衛門定孝(1694~1767)を元文4年(1739)に南北武蔵野新田世話役に登用し、武蔵野新田82ヵ村の振興に当たらせました。平右衛門は田方養料の名目で幕府から補助金を借り、一時に分配せずに肥料をまとめて買い、必要分だけを渡す養料金(やしないりょうきん)制度や貯穀などによって、出百姓の生活の安定化を図りました。こうして、平右衛門が美濃に転じる寛延2年(1749)までの10年間で南北武蔵野新田には新たに戸数300戸、人数1800人、開発反別2000余町が増加したといわれます。平右衛門はその後、美濃や石見銀山の代官を歴任しましたが、明和4年(1767)に江戸で没しています。墓地は府中市の龍光寺にあります。(以下略)
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(*) 出百姓: 他の村から新田に入ってきた百姓
(**) 関東地方御用掛: 江戸時代の享保改革期の新田開発などを担当した役職

2014年7月12日土曜日

朝バナナオレ

スーパーにはこまめに行くべきだ。今日、食品売り場でバナナ味の飲み物を見つけた。エルビーの「毎日の 朝バナナオレ」(清涼飲料水、1000ml、果汁0.1%)で、うたい文句に「コップ1杯(200ml)でバナナ役2本分の食物繊維」とあり、1パックに何とバナナ10本分の食物繊維(15,000mg)が入っていることになる・・・そうだ。

台風一過の暑さに負けて、帰宅するやいなや、あっというまにバナナオレ1パックを飲み干した。ミルク感アップというキャッチフレーズもあって、飲み心地もほどよい。いわゆる、バナナ特有のイガイガ感が喉に残らないのが更によい。

バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:”バナナ味”)


(付記)
明け方、付けっ放しのテレビから地震の警報音が流れた。うつらうつらして、記憶もあやふやだが、寝床で耳元がズズズと揺れる感がした。来るな、来るなとかまえたが、そのままに終わったようだ。どうやら、当地の震度は2で済んだ。

平成26年07月12日04時29分 気象庁発表
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12日04時22分頃地震がありました。
震源地は福島県沖(北緯37.0度、東経142.6度、いわきの東140km付近)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は6.8と推定されます。
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イ・ソンヒ大田コンサート

イ・ソンヒのデビュー30周年記念コンサートは、4月にソウルを起点として、現在全国ツアーを次のように展開している。今回、大田広域市「忠南大学正心華国際文化会館正心華ホール」でのコンサートが追加されたようだ。(インターパーク

2014年デビュー30周年記念コンサート「歌う イ・ソンヒ」
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・ソウル: 4月18日-20日、「世宗文化会館」 ★4月19日レポート
・大邱: 5月10日-11日、「大邱エックス5階コンベンションホール」
・蔚山: 5月24日-25日、「蔚山東川体育館」
・光州: 6月07日-08日、「金大中コンベンションセンター」
・城南: 6月14日-15日、「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山: 6月28日-29日、「KBSホール」
・富川: 7月12日-13日、「富川室内体育館」
・全州: 8月30日-31日、「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂」
・大田: 10月04-05日、 「忠南大学正心華国際文化会館正心華ホール」
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上記、大田でのスケジュールは、今のところ公演予定とのこと。

2014年7月11日金曜日

直線

ちょっと美術的なものに関心を持ち始めた頃、手軽に見られる文庫本サイズで、カラーページの豊富な書籍が登場した。図鑑の名門、保育社の「カラーブックス」シリーズである。一冊にカラーの写真や絵などが満載なのに驚嘆したものだ。とはいえ、見開きカラーページと見開き白黒ページが交互になるよう構成されていた。

早速手にしたのは、シリーズ第2番目の「桂離宮」(著和田邦平、1962年)だった。巻末の解説をじっくり読むより、写真を何度も繰り返し見ては、京都にある桂離宮の建物や庭園の造りをあれこれ空想した。一度は行ってみたいという思いはあったが、見学に必要な手続きもあり、当時一人で行けるわけでもなかったので、この本で満足していた。

写真で静謐な桂離宮のたたずまいを想像するうちに、建築物の美しさが自然の姿と同じでないことに、当たり前ながら、気付いた。むしろ自然にはめったにない直線を主体にしているのだと。
考えてみれば、ほっと落ち着く日本間を見渡せば、柱や窓枠や畳も、廊下板もすべて直線でできている。単に築材として、建築に容易だからとか、構造上の強度だからといった説明だけではつかないような気がする。かつて私たちが、森の奥、樹上に棲んでいた頃の、枝々のカーブや葉陰の重なり具合を、今の生活空間に取り置くことを避けてしまったようだ。

(もちろん流体を意識した構造物では、曲面が重要視されるけれど。)

庭園の木立や池の自然の姿を、室内から長方形に囲まれた枠の中に借景する。入れ子のように複雑化した景観と額縁のような関係がそこにある。実際、直線は自然に稀にしか存在しないから、風景をより際立たせるのかも知れない。屏風や掛軸が、そこにおさまる絵画をダイナミックにさせるように。

鉱物結晶に魅入られるのも、そうした人間の心の奥にあるものが感応しているからかもしれない。
時間をかけて地中に生まれた、真っ直ぐな稜線で作られた、水晶の6面柱状の結晶に驚き、柘榴石の十二面体や二十四面体の固まりに、理解を超えた不思議さを感じる。人は、どうやら直線が好きなような気がしてならない。

2014年7月10日木曜日

イ・ソンヒ 「HIDDEN SINGER」(シーズン3)に出演か

そういえば去年の10月頃でしたか、中央日報系放送局JTBCの番組「HIDDEN SINGER(히든싱어)」(シーズン2)に、イ・ソンヒの出演が期待されると話題になったことがある。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 「HIDDEN SINGER」に出演か”)

デイリー韓国の記事「”HIDDEN SINGER” イ・ソンヒ出演の消息にネチズン『ざわめく』…いつ?」(7/9)によれば、どうやら今年のシーズン3に向けて、イ・ソンヒが初回出演するかどうか、他の歌手も含めて論議中のようだ。(抜粋)

ちなみに、番組「HIDDEN SINGER」は、本物の歌手と対抗する形でモノ真似歌手が、互いにブラインドに隠れて歌を競い合って、100人の聴衆が本物の歌手と判断した歌い手を選抜する構成のようだ。もし、本物の歌手がモノ真似歌手に敗れたとしたら・・・という、スリリングを味わう番組でもある。
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・「HIDDEN SINGER」シーズン3は、7月末に初録画を進行、来る8月2日に初放送される予定だ。「HIDDEN SINGER」のイ・ソンヒの報せに接したネチズンたちは、「『HIDDEN SINGER』のイ・ソンヒ、大当りだね」、「『HIDDEN SINGER』のイ・ソンヒ、本邦死守」、「『HIDDEN SINGER』のイ・ソンヒ、楽しみだ」などの反応を見せた。
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2014年7月9日水曜日

イ・ソンヒの「悲しい愛」

独りいるとき、雨音にひとは外界から遮断されたような気がして、孤独感を増すようだ。悲しい思いをしているときはなおさら。と、同時に雨は心にしみ入り悲しみを流してくれるよう。

イ・ソンヒには、雨降る街にさまよう歌が多い。9集に所収の「悲しい愛(슬픈 사랑)」(1994年、作詞・作曲ヤン・ムンスン)もそうだ。ところで、いつまでも降り続く雨なのか、止んだ後はからりと晴れ渡る雨なのか、雨傘が必要な雨なのか・・・風土によって、この歌から受ける印象もだいぶ違ってくるだろう。
(この7月~8月の降水量、何とソウルの方が東京の倍の量なのだ・・・イメージが違ってしまう)


ひとたび去った 愛の束の間は 二度と 戻らなくて
街に 雨降るように、私の心に 涙降る

*あちらこちら さまよい ながら 歩いても
見えない あなたの姿、あらゆることが 夢だったのか

ひとり野辺に 咲く花のように、私いつも ここにいるけれど
なぜ 暗い思い出の中に 遠ざかって行くのですか

わたしの悲しい 愛よ

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年7月8日火曜日

レレレのおじさん

近隣の町にちょいと出かけて買物し、お世話になる方へお中元を送ってもらう。町なかにある大手書店まで足を延ばして渉猟したら、「山師入門 登山で見つけよう大地の宝」(著:成谷俊明、2013年)という楽しいタイトルの本を見つける。

ひとくち、ふたくち、みくちと量に違いはあるが、日本各地の鉱山情報(採集鉱物)が列記されている。普通、鉱物採集の本には、鉱山名の一覧リストが掲載されていることが多い。その点、この本は、あの鉱山はこんな石が採れる・・・といったひとくちコメントが豊富で、出歩かない鉱物マニアにはありがたい。さっそく手元に置かせていただく。

それにしても、昼間っから(私を含めて)何という人の混みよう。結局、歩き疲れて帰宅する。居間でごろりと転寝したら・・・朝になっていた。でも、何だか様子が変。テレビの7時のニュースに出てくる、アナウンサーがいつもと違うのだ~。

レレレのおじさんの登場。「お目覚めですか~? レレレのレ~?」

そう、朝ではないのだ。まだ今日なのだ。どうりで、辺りがどんどんと暮れていく。今じゃ真っ暗くらな夜なのだ。

レレレのおじさんといえば、赤塚不二夫がリスペクトした、杉浦茂のキャラクターを思わせるが、そのギャグは幻灯機で映し出された世界から飛び出して自由ではちきれんばかり。レレレのおじさんのイメージが浮かんだということは、粗忽と粗忽の二重唱なのだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 茶

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第62回として、昔ながらの趣が感じられる「茶」にまつわる話を紹介した。
(先週は特別番組で休みのため、2週間ぶりの放送になる)

まず、時間をかけて飲む緑茶の効用について、次のような紹介から始まった。
・茶に色々な種類がある。喫茶店で「お茶をする」こともあるが、本来、緑茶のように茶の葉で抽出するものをいう。昔はどのようにして茶を楽しんだのだろうか。
・茶の中でも緑茶は時間をかける飲み物で、入れ方にこだわりがある。水は泉の水の方が良く、沸騰させた後、ある程度冷めるまで待つ。(発酵させた茶には沸騰した湯をそのまま注ぐが)緑茶は少し冷ませて注ぎ、しばらく待つ。この時間は、忙しい現代人に無駄に思えるかもしれないが、客と茶について多様な話ができるし、一人であれば自分だけの時間に集中できる。待つ時間があるからこそ、茶が更に香ばしく感じられる。白い茶碗に、透き通った緑色の茶。昔の人々には、これが風流であった。

▼ 「清声の曲(청성곡)」(清声とは高い音域を指す国楽用語)を聴く。短簫の響きは、落ち着いて澄み平明である。

次に、朝鮮後期の草衣禅師(초의선사、本名張意恂、1786年~1866年)の茶との関わりを次のように説明された。
・古く三国時代から茶を飲んだ。特に、仏教では茶の供養を重要視し、仏教美術の作品に茶に関するものがある。茶の新しい境地を開いたことで有名な、草衣禅師は修行僧だが、わらぶきの小さな庵を作り「一枝庵(일지암)」と名付けた。そこに茶の木を植えて育てながら「茶禅一味」(茶道と禅が一体であること)を広く知らせた。草衣禅師の詩「東茶頌(동다송)」には、茶に関する内容が歌われ、湯を沸かす音がひっそりとしていて、冷たい空気が骨に染み込んで魂を覚ます、という内容から始まる。茶を入れる方法から、識別する方法、飲み方、そして、韓国茶の趣や香り、中国茶より薬効が優れている点など、美しい詩で記録した。

▼ 「東茶頌(동다송)」を聴く。茶を古色にたしなむ・・・今様で。(参考:Ohmynews

最後に、朝鮮後期の名筆と言われた秋史・金正喜(추사 김정희、1786年~1856年)と草衣禅師の茶を通した友情について、次のように解説された。
・忙しい中、茶をする時間は幸せだ。秋史・金正喜先生は、草衣禅師と手紙をやりとりして友情を分け合った。その中に、草衣禅師に対し、茶を送ってくれるようねだる手紙がある。「禅師に会いたいわけでも、手紙を待っているわけでもありません。ただ、茶に絡んだ縁だけは切ることができません」から始まるのに対して、草衣禅師は「茶の香りがしたのでふと目が覚めました。手紙が届いていることには気が付きませんでした」と返書した。このようなやりとりに微笑む二人の姿が想像され、友情が伝わってくる。どんなに忙しくても大切な人と茶をいっぱいできる余裕のある一日を過ごしたい。

▼ 「風が伝える言葉(바람이 전하는 말)」を聴く。南米の風音かと思わせる・・・今様である。

金寶愛さんの、茶には「ゆっくりと時間をかけてする時間の余白」があるという言葉、本当にそう思います。

2014年7月7日月曜日

七夕2014

今日は、旧暦の6月11日で7月7日までしばらくあるが、新暦では7月7日であることから、「七夕」の節日になる。真夏の宵を感じる時候ではないけれど、テレビのニュースや商店の飾りに短冊をつるした笹竹を見ることがある。七夕の祭りを旧暦で行なうか、それとも新暦で行なうか・・・どうなのだろう。

素直な子どもたちが七夕をともに経験するには、夏休み前の学校で、願いごとを書いた短冊で笹竹を飾るのもいいな・・・どんな願いをしたのか見てみたいものだ。一方、家族連れが夜祭りに七夕を楽しむなら、夏真っ盛りの旧暦の頃がよいのだろう。代表的なものに仙台の七夕まつりがあり、近くで阿佐ヶ谷の七夕まつりがある・・・ところで、京都にも七夕まつりがあるそうだが、大きな祭りとしての歴史は古くなさそうだが、どうだろうか。

旧暦6月11日の今日は、二十四節気の「小暑」で、感触からすれば、微かに夏の気配がする。

(本ブログ関連:”七夕”、”小暑”)

空模様がはっきりしないこの頃だが、澄んだ夜空を願って、そのむかし子ども心に大人の雰囲気を感じさせてくれたビング・クロスビー(Bing Crosby)の歌声で「スターダスト(Stardust)」を聴いてみよう。

(本ブログ関連:”Stardust”、”ビング・クロスビー”)

(Youtubeに登録のBand Standに感謝)

2014年7月6日日曜日

何ごともあって、何ごともなし

昨晩の酒がきいたのか、今朝は気分爽快で、出かける準備をする。ブックフェアの入場券の裏にアンケートに応えて書き込む。これでよしと、入場券を表に返して開催日を確認したら・・・な、何と!昨日までではないか。朝っぱらから挫けてしまった。

せっかくなので、近在の駅ビルにある書店に行く。そういえば、「月の銀色の林檎/太陽の黄金の林檎」のフレーズを思い出し、イェイツ(Yeats)の「さまようイーンガスの歌(The Song of Wandering Aengus)」が収まった詩集はないものかと探したが見つからない。とりあえず、岩波文庫の詩集から始めよう。

ケルトの愛と若さの神イーンガス(オェングス)によせて、愛するものを、林檎の花の飾りした少女を永遠に探す・・・。

若い林檎は純粋さがあるだけに、自分の傲慢に気付かないこともあるけれど、老いてなお林檎を求め続けるとは、神話の世界なればこそか。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」”)

2014年7月5日土曜日

ひまわり畑

今日は、外出の行き帰り霧雨がけぶる。通り道にある畑のひまわりは、夕方に近づく頃も顔を東に向いたままだ。太陽に向けて顔を廻すというのに変化が見られないのは、あいにくの天気のせいか、それともただ億劫なだけか・・・どうして?

(本ブログ関連:”ひまわり”)

畑一面に咲くひまわりにそっと近づいて見ると、黄色の花弁に蜂が一匹とまっていた。まるで雨宿りして小休止しているよう。

傘をさしながら写したせいで、蜂に焦点が当たる工夫が足りないため、彼、否、働き蜂はみな雌であるから、彼女の表情が読み取れないのは残念である。

さらに一歩近づいても、蜂は、霧雨をやり過ごすように、ひたすら黙して動かない。
晴天なら、蜂にとってひまわりは重要な蜜源なのだろうが、今日は動きにくいようだ。そのまま、たまの風に揺れる花弁にじっと身をゆだねている。

まだ、開花してさほどでないにもかかわらず、顔を動かさぬひまわりと、静止したままの蜂がいる。よく見れば、二つの命が出会う、そんなのんびりとした世界がそこにあるのに気付く。

ひまわりに、いろいろなイメージがあるけれど、雨の日に咲く命の糊しろの大きい若いひまわりも良いものだ。

2014年7月4日金曜日

(資料)デビュー30周年迎えた「サニー・オンニ(お姉さん)」

「女性東亜」(5月号、p296-299)に掲載の記事「デビュー30周年迎えた『サニー・オンニ(お姉さん)』の驚くべき帰還」(#1#2)(ク・ヒオン記者)は、イ・ソンヒの言葉を借りて、彼女の音楽の原点、および30年に渡る音楽活動(人生)と音楽観について次のように記している。
(イ・ソンヒの言葉の部分を太字表記した)

なお、同時期のインタビュー報道である「レディ京郷」の記事「イ・ソンヒ 伝説を超える」と内容が重複するところがあるが、以下そのまま掲載する。

(本ブログ関連:”SERENDIPITY”)
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<#1>
歌手イ・ソンヒが、デビュー30周年を迎えて、(これまで)生きてきて感じたことを盛り込んだ15枚目のアルバムを出した。率直な家族史も虚心坦壊に公開した。

「太陽のように光を放つあなたよ(태양처럼 빛을 내는 그대여)」、3月25日ソウル、松坡区のウリ金融アートホールで開かれた彼女のデビュー30周年ショーケースで、歌手イ・ソンヒ(50)を見て、ラブホリクス(Loveholics)の歌(「Butterfly」)の歌詞が浮び上がった。15集の「セレンディピティ(세렌디피티)」で帰ってきた彼女は、イム・ジョンヒ、Gummy、T.A Copy、イ・スンギ、ユン・ドヒョンなど、後輩歌手の応援を受けて新曲を熱唱して拍手を受けた。今年で彼女をマネジメントして17年目である所属事務所(HOOK ENTERTAINMENT)のクォン・ジンヨン代表は「百余曲を書いては消してアルバム準備する姿を見て」、かくして、この歌手のマネジャーをしているんだなと「考えた」と話した。

1984年、第5回「江辺歌謡祭」大賞受賞で派手にデビューしたイ・ソンヒ、デビュー曲「Jへ」は清らかな声と爆発的な歌唱力が調和をとれて、彼女を一気にスターの隊列に載せた。その年の放送と授賞式をさらったのはもちろんで、KBS「放送歌謡大賞」新人賞を受け、MBCでは「10代歌手歌謡祭」最高人気歌謡賞・新人賞・10代歌手賞を以って最初の3冠王にのぼる珍記録もたてた。その時も今も、彼女はショートヘヤに丸縁メガネとズボン・スーツ姿だった。

▼コンピュータ習いながら精魂込めて作ったアルバム

15集のタイトル曲は「その中にあなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」。彼女のアピール力濃厚な声と美しい旋律が交わったポップ バラードだ。 「ファッション・ショーやイベント会場行っても照れくさくて、フォトウォール(Photowall)*の前に立ってみたことがない」という彼女だが、この日だけは慎ましやかな姿でカメラ前に立ち、フラッシュの洗礼を楽しんだ。

    (*)フォトウォール: イベント会見時に背景に置く、複数の関係企業のロゴを貼り付けた壁。

このように記者懇談会を開いてアルバムを紹介することは、私たちの時代には定着しなかった文化なので、初めて享受してみるんですよ。そのためか、睡眠も十分足りてなかったが、これまで以上に嬉しい気分で最善を尽くして舞台に立つべきと考えて、ここに上がってきています。アルバムを準備する2年間、デビュー30周年になれば、どんな歌をどのようにしようか、歌手としてどんな位置づけを確保しなければならないだろうか、悩み、孤独に準備しましたよ。アルバムが世の中に出ると、一人だけの音楽でない、多くの人々の音楽に成っていくようで楽しいです。おののきますが、とても落ち着きますね。

歌の歌詞には、彼女が生きてみて感じて気付いたことを盛り込んでいる。

いつもそばにあったものをよく知らないまま、常に別の処を眺め、羨ましがって、人に付いて行こうとう気持で過ごしたようです。ところが、ある瞬間、そばにいたことを知って、それによって人生が違うように見えるんです。一人だけの悟り(でしょうか)? 今回のアルバムには、家族に対する内容もあるし、歌う人として受けた感動に対する内容もあります。デビュー後、多くの人たちが呼応してくれるとき、『ありがとうございます』、『幸せです』といったけれど、トップから降りてきて、過ぎた時間を眺めると、その言葉がより多くのものを含んでいたのに、そこまで分からなかったんだなと思いましたよ。私のファンに、絶えず自らを鞭打って発展していき、今もどこかへ向かって行きつつあるとのをお見せしたかったのですよ。私を好きになった方々に対する記憶、私が享受した人気、まさにそんなことが暖かい力となって、私がこのように(年月が)(た)っているという話をしたかったのです。

今回のアルバムの収録曲11曲中、イ・ソンヒ作曲が9曲、作詞が7曲だ。それだけ、シンガーソングライターとしての力量が集約されたアルバムだ。後輩であるイ・スンギの話によれば、コンピュータもできないイ・ソンヒが直接コンピュータを習いながら作業するほど熱意を見せたと。イ・ソンヒは、「14集までは、編曲やアルバムの外的な部分には参加しなかったが、15集はそこまで残らず参加した」と話した。アルバム作業をしながらあったエピソードも聞かせてくれた。

どうしてもモニタリング(評価)してくれる人たちが会社の人以外にいないけれど、歌作りして、聞いてみてといっても別に反応がないのです。それでは『別に良くないか?』と思って消し、また他の歌を作って、そのような形で百余曲近く完成しました。『手応えあるまで、作ってみよう』という心情でした。録音に参加した友人たちがみな若かったんですよ。朝起きて夕方に寝る私と別に、その友人たちは午後の5時頃起きて眠らずに夜を明かして、明け方の5~6時に寝入りましたよ。折衷して、午後の4時から歌ったが、皆赤くした目で遅く出てきて、『先輩、申し訳ありません』と(笑い)。私がそのフクロウたちを連れて作業するのに、苦労をちょっとしましたよ。

彼女は、「普段(人々の反応に対して)モニタリングをたびたびする方だが、世代により私のイメージが違うのですよ」と、「デビュー当時を記憶する方々にはボーカリスト、(映画)『王の男』に挿入された『因縁』で私を、子どもがいない(若い)友人たちにはシンガーソング・ライターという認識がより強いようだ」といった。

あえて、シンガーソング・ライターで記憶されるなくちゃいけないという考えはないです。私はボーカリストです。歌うのが良くて、マイク握るが良くて、言葉ではなく歌で感情表現をもっとうまくできるし、それが大好きです。直接曲を書く理由も、私の声をさらに良く表現できてるからです。ふだんの私は、私が一番よく分かりますね。低く話すとか囁(ささや)く声など、専門の作曲家が表現できなかった自分を表現しなければならないように見えて、曲作業を始めました。ロック、国楽などの色々なジャンルの音楽をやりながら感じた点を表現して見たら、欲求が生じてきて、他のジャンルはどうだろうか度々実験することになりましたよ。もちろん、実験が成功したことも、失敗したこともあったんですよ。

「これから、どんな方向に進んでいくのか」と尋ねると、すぐに彼女は「これから、どのようにしていくのか…」といいながら質問を低く口ずさんだ。

好きなジャンルはバラードです。ボーカルが勢いよく歌って、シャウティングして込める力でなく、私たちの言葉と音色が与える力があるけれど、そのような力を表す音楽ならばジャンルに関係なく歌うでしょう。歳も取って、幼いとき聞いた音楽がみなそのためか、歌詞が与える力が無限に大きな歌を好きです。ただ流される曲も良いけど、十分にかえりみて考えることができる歌詞がはるかに良かったんですよ。今後もずっとそのような音楽を作って、そのような歌詞を書くつもりです。どんな方向に進むかは、私がどのように変るかも知れなくて話せないが、留まっていないだろうということだけは確かに申しあげることができます。


<#2>
彼女は、代表的な芸能界の「童顔(若々しい)スター」に挙げられる。彼女は、「笑い話しで施術したといえば、そんなことが記事に大きく出る」といったり、「そうでなくて、マッサージを受け、皮膚科も通っている」と話した。

私もいっぱい変わりました。けれど、変化が大きくないとお考えになるのは、私から感じられるはっきりしたイメージのためでしょう。多分、髪をアップしてドレスを着れば時間の痕跡を探すでしょうが、今もズボンにジャケットを着ているから(笑い)。前は、すっぴんでお会いしたが、今は化粧を少ししたということ位いですよ。

「オンニ(お姉さん)の帰還」は、茶の間のテレビ劇場視聴率上昇にも一助となった。2回に渡って放送された、彼女が出演したSBS「ヒーリング・キャンプ」は、同時間帯視聴率1位を記録もした。彼女は過去、マイケル・ジャクソンの両親にラブコールを受けた理由を聞かせた。27才のとき、女性歌手5人を集めてアジア版「ジャクソン・ファイブ」を作ろうと思ったマイケル・ジャクソンの両親から、ニューヨークで活動しようという提案を受けたこと。彼女は、「オーディションまで合格した」と明らかにした。この時期、彼女は、日本のグループ「安全地帯」が書いた曲で日本に進出する考えもあった状態であった

▼留まらなかったけれど、いつもその場にいた歌手

しかしながら、彼女の海外進出は結局失敗に終わってしまった。代わりに彼女は政界に出た。イ・ソンヒは、その年(1991年)、最年少のソウル市市会議員*になって話題を集めた。彼女は「韓国にしばらく立ち寄った間、マネジメントから私と相談なく市会議員出馬の書類に印鑑を押した。私がしなければ色々な人が難しくなる状況だから、やむを得ず海外進出の夢をあきらめて政治に挑戦した」と海外進出が失敗に終わった理由を明らかにした。

    (*)本ブログ関連:”ソウル市市会議員

「ヒーリング・キャンプ」では、率直な彼女の家族史も聞くことができた。イ・ソンヒは、帯妻僧(結婚して妻と家庭をもうけた男性の僧侶=妻帯僧)の父のおかげで幼い時期、森の中で育った話も聞かせた。彼女は「祖父は風流を知る人なので町内で歌(歌唱)ったりしたが、父はとてもきちんとした人である。学校は、市内の中心にある所に通ったが、家族は森の中の寺で生活した」として、「念仏をたくさんそらんじた父のおかげで喉ができあがったようだ」と話した。2006年、空白期をもって、娘と共にアメリカ留学に進んだ『情熱ママ(教育ママ)』でもあるイ・ソンヒは、現在アメリカ名門大であるコーネル大でジャーナリズムを専攻している娘ユン・ヤンウォンさんに対しても言及した。

「(娘)ヤンウォンが幼いときは、天才だと思いました。胸に抱いて童話の本を読んだが、二三度読んで、その場面を開(あ)けるとそのまま話しましたよ。すべての母親たちが勘違いするように、内心『私はなかなか良い子供を産んだ』と思いました。本を読んでやって、その本(の話し)をより合わせてストーリーを別のように解釈すれば、この子は再びより合わせて別の話をしました。想像を続くようにする私たちだけのゲーム方式でした。ところで、本を買って読んでみなさいといったところ『ママが読んでくれたら分かるの』というんですよ。ストーリーを覚えて想像したのであって、文自体は分からなかったのです(笑い)。

先立って、彼女は記者懇談会で「最近、音楽のトレンドを逃さないように、人気歌謡番組をしばしばモニタリングして、弘大のインディーバンド公演をたくさんたずね歩く」と明らかにしたりもした。長い時間愛されることができる彼女だけの力は何だろうか。

「振り返ってみると、毎年いつも良いことだけではなかったです。ある時は、一人だけの時間を通り過ぎたりもしたし、今よりもより多く関心を集めて一年をむかえたりもしましたよ。それでも、今こんなにうれしい今日を享受することができるのは、私が『元気だったため』なようです。『元気だった』というのは、留まらなかったということですね。ある方法で成功したがそれを捨てることができて、もちろん新しい試みをして足を踏み間違える時もあるが、恐れないでずっと何かをしようとしたので、多くの方々が『イ・ソンヒはいつもその場にあった』と記憶してくださるようです。今後も引き続き働くだろうし、数多くの質問を私にすることで、挑戦することで、その時ごとに好き嫌いが分かれるだろうが、今までそのようにしてきたように失敗するとおじけづいたり萎縮しないでしょう。」
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2014年7月3日木曜日

【多摩の代官】享保改革と農民出身代官の活躍

地元公民館で、江戸時代に多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授による、第5回*講演「享保改革と農民出身代官の活躍」を聴講した。

(*)前回の第4回テーマは、「【野外研修】八王子の史跡を訪ねて」だったが、人数が限られ参加できなかった。

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

江戸幕府は自治機構として、幕府創立(1603年)から約100年近くの間、「世襲代官」を使ってきたが、その後は任地が変わる「僚代官」へと交代していく。その江戸中期に登場した将軍徳川吉宗(将軍:享保元年(1716年)~延享2年(1745年))は、緻密に時間をかけ、2重体制により「享保の改革」を行なったと次のように解説された。
・吉宗を将軍に推挙した旧老中の交代時期を待った。(機の熟すを待つ)
・新田開発にあたり、財政的裏付けのため、豪商の集まる日本橋に、開発について「高札」を立てた。
・農政で、従来の「地方(じかた)支配」とは別に、(別働隊として)江戸町奉行大岡忠相の配下に農民出身代官を配置した。

農民出身の代官として、今回は川崎平右衛門について紹介された。
・川崎平右衛門は、新田開発の中で生活に困窮する農民に配慮した、社会政策的な施策として、公共事業で日当(麦)を支給、商品作物の奨励、栗林の栗買い上げ制度など設け、現金収入による生活の安定化をはかった。

(本ブログ関連:”小金井の新田開発”)


(感想)
川崎平右衛門は郷土史に語られることの多い人士で、その名をしばしば耳にする。能力を認められ、他の地でも代官を務めたという有能さを知る。
世襲代官が時代のなかで排され没落していく一方、農民から有能な行政官になり得る時代へと変遷する。庶民の生活を知ったところから人望を勝ち得た人物であり、それを見い出した上層部の懐の深さも知る。

また、徳川吉宗が将軍職を発揮するため、時機を待つだけでなく、人を見い出し配置・組織する周到さを知る。

2014年7月2日水曜日

半夏生2014

今日は、二十四節気の「半夏生」。年の後半を始める頃でもある。梅雨の長雨、ゲリラ豪雨、当地でが見られなかったが近隣の市での局地的な雹。そして、夏を思わせるカラッとした晴れ空。一体、どれが本当なのかと聞きたい。

例年のことながら庭に、ハンゲショウの臭いに似たドクダミ草がところかまわず生え繁っている。この雑節(半夏生)について、身近に感じるのはそれくらいかな。

(本ブログ関連:”半夏生”)

ネットのニュースによれば、福井地方に、土用の丑の日のうなぎの蒲焼ならぬ、半夏生に焼サバを食べる風習があるという。いかにもサラリーマン御用達の定食屋メニューにありそう。少し煙った店のカウンターで昼飯によく食ったものだ。隣町に行けば、魚料理の店があるので、いつか食べに行こうか。

2014年7月1日火曜日

イ・ソンヒ全州コンサート(8/30、31)

イ・ソンヒのデビュー30周年記念コンサートは、4月にソウルを起点として、現在全国ツアーを次のように展開している。今回、全羅北道全州市「韓国ソリ文化の殿堂」でのコンサートが追加されたようだ。(インターパーク

2014年デビュー30周年記念コンサート「歌う イ・ソンヒ」
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・ソウル: 4月18日-20日、「世宗文化会館」 ★4月19日レポート
・大邱: 5月10日-11日、「大邱エックス5階コンベンションホール」
・蔚山: 5月24日-25日、「蔚山東川体育館」
・光州: 6月07日-08日、「金大中コンベンションセンター」
・城南: 6月14日-15日、「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山: 6月28日-29日、「KBSホール」
・富川: 7月12日-13日、「富川室内体育館」
・全州: 8月30日-31日、「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂
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イ・ソンヒのデビューは、1984年7月29日に京畿道加平郡南怡島で開催されたMBC第5回「江辺歌謡祭」で、仁川専門大学のグループ「4幕5場」の代表として「Jへ」をデュエットし、大賞受賞したことに始まる。
今月29日は、まさにイ・ソンヒの音楽人生30年を記念すべき日だ。