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2014年10月31日金曜日

ハロウィン

毎年、この時期、「日本でハロウィンは・・・」とブツブツいっても始まらない。でも、一つだけ、いいたいことがある。あれって、まだ子どもたちに受け入られてないでしょ、だって彼らは、何とかウォッチに夢中だもん。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ファッション・娯楽イベント・食品・メディア業界 ⇒ 若い女性(⇒若い母親⇒子ども) ⇒ 周りの男性

流行の注入口が、バレンタインデーのように、日本オリジナルになってしまってないだろうか。バター風味がして、オレンジ色ばかりがが目立つ。

でもねえ、若い人たちへ、ブツブツいえるかどうか。高度成長時代、全員が謳歌したときは、もっと凄まじかった。この時期、遊びの名目(イベント)が足りないからと、若者たちが遊ぶ機会を作ったとしても、それをとやかくいうものじゃない。

おじさんは、そういって納得する。でもねえ、ケルトだ、キリスト教との習合だとか・・・いってもねえ。

2014年10月30日木曜日

紅葉(もみじ)

道で転んで、右膝小僧をすりむいたのが、ちょうど3週間前の夜。今も歩くに少々かばい気味。急なねじりや、しゃがんでハンマーを振り下ろす、山中の鉱物採集に出向くには、ちょっと時間が要りそう。どっぷり秋が深まったというに、身動きできないのは残念。

秋といえば、小学生の頃好きでよく口ずさんだ歌に「秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)」で始まる、「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之(1876年~1947年)、作曲 岡野貞一(1878年~1941年))がある。紅葉の織り成す華やかさというよりは、夕暮れに薄まる山裾が処どころ陽を受けて、そこだけ彩る静かな情景を想像したりした。当時、子どもの耳に日常入ってくる音楽と比べて、上品さがよかった。


(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2014年10月29日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 煙草

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第77回として、「煙草(담배:tobaco)」にまつわる話を紹介した。

始めに、朝鮮王朝22代国王正祖(정조/이산、1752年~1800年)と煙草のまつわる話しを次のように紹介された。
・正祖の代、文化が大きく花開き、煙草が伝わったのもこの頃。正祖は愛煙家と知られ、国の高官選抜試験に煙草について出題したほどだ。
・学問に優れ、ハングル創生の世宗(세종、1397年~1450年)の如く学問好きの王と知られた。国政に情熱を注ぎ、疲れも人並み以上だったろう。そんな彼の唯一慰めが煙草だった。読書以外に趣味はなく、若い時から学問にだけ没頭し、疲れをに眠れぬ夜も多かった。王位に就いて以来、病がひどく薬も効かぬとき、(日本伝来の)南靈草(남령초=煙草)だけが症状を和らげた記録がある、彼は煙を吸うと胸がすっきりしてよく眠れたと話した。

▼ (童謡)民謡「辛い唐辛子食べてめーめm、煙草の煙吸ってめーめm(고추 먹고 맴맴 담배 먹고 맴맴)」を聴く。(「めーめm」:子どもたちがぐるぐるまわり遊びをしながら唱える掛け声)

次に、正祖が愛した煙草の起源と伝来について、次にように説明された。
・正祖は、煙草好きだが、健康への影響は考えなかったか。煙草に、肺を痛める可能性があると、伝来時に知られていた。煙草を止めなかったのは、公務のストレスのためと推測される。
・1616年、朝鮮に煙草が伝わった。その数年後の1622年、身分や老若男女を問わず煙草が広まった。アメリカのインディアンに始まったとされる煙草は、1550年代後半、ヨーロッパで栽培されるようになり、その約50年後、既にアジア、朝鮮まで伝わる。南米のジャガイモがヨーロッパに伝わるのに200年近くかかったのに比べて、煙草は速く世界に広まった。

▼ 煙草の打令(타령)の歌「煙草打令(담바귀타령)」を聴く。たたみ掛けるように、次へ次へと移る。

最後に、煙草の商品化、風俗化にまつわる話しを次のように紹介された。
・当時、煙草は食糧にも深刻な影響を与えた。農家が米よりも煙草栽培を優先したからだ。米を作るべき田が煙草栽培の畑に変わったのだ。
・また、煙草は人の関係にも影響した。正祖の臣下、蔡濟恭(채제공)は、煙草に関わる出来事で、官職を辞そうとしたことがある。あるとき、道端で、乱れた服装で煙草を吸う若者の一団に注意したところ、反発した若者を結局捕えたが、彼らの友人たちが押し寄せ徹夜して座り込んだため、結局、煙草のせいで恥をかいたという逸話がある。

▼ 「煙草の害悪(담배의 해악)」を聴く。・・・

2014年10月28日火曜日

イ・ソンヒの参加はなかった: MCモン6集

ニュースを見て、正直MCモンの音楽分野に関心が薄いせいもあって、そうだったのか・・・という感じだ。MKスポーツの記事「MCモン6集『Miss Me or Diss Me』(私を恋しいか、それとも、ののしるか)、イ・ソンヒの参加はなかった」(10/28、イ・チヨン インターン記者)は、MCモンの最新アルバムにイ・ソンヒが参加しなかったと次のように報じている。

関心の薄さについて断っておくと、MCモンだからではなく、今回のアルバムがどんなものかも知らないが、ヒップ・ホップの世界に寄っていく気力はないのです。おじさんとしては、既に「選択と集中」の時代に突入しているのですから・・・相済みません。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ、MCモンとコラボか”)
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・MCモンのカムバックが目前に迫ってきた。MCモンは、11月3日、5年ぶりに正規アルバムを発表する。2009年に発表した正規5集以後、5年ぶりのカムバックである。MCモンの6集アルバムは、全13曲の収録曲で構成されており、9曲目(トラックリスト)の「0904」を除く12曲が、同僚歌手のフィーチャリングで飾られた歌だ。

・今月初めに、MCモン、イ・ソンヒ、ケリー、ペク・チョン、ホ・ガク、ヒョリン、エイーリーなど国内有名なミュージシャンがフューチャリングした音源を出すと予告した。しかし、公開されたトラックリストによれば、イ・ソンヒは、今回のアルバムに参加していなかった。

(以下略)
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2014年10月27日月曜日

Chromeの管理(ブックマーク、タブなど)文字が”囗”になること

実は困ったことがあった。Chromeのバージョンが「38.0.2125.104 m」に上がって以来、Chromeの管理(ブックマーク、タブなど)文字のうち、ハングルだけが ”囗” 表示になってしまった。(漢字、かな、アルファベットは表示)
この現象をChromeのヘルプにある「問題報告」に通知したが・・・いつか改善されるだろうと。

ユーザーに解消策がないものか気になりネットに探してみると、次のYAHOO「知恵袋」で名案を見つけた。感謝。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137179822

質問者の回答者に対するお礼コメントに述べられた通り実行(Chrome再起動も!)すると、ハングルが無事表示された。(「その他の返信」にある、書体は”Meiryo UI”に変更するのが見やすくていいですね)

2014年10月26日日曜日

和菓子「御栗林」

近所の駅のそばに小さな和菓子屋があって、地元伝統の(幕府献上品であった)栗の実を使った、新しい和菓子を知らせる幟(のぼり)を店頭に立てている。外出の折、寄ってみた。

(本ブログ関連:”栗林”)

栗の実を丸々使った洋菓子や和菓子は他にもいろいろある。この和菓子がどんな工夫をしているのか関心があったからだ。柔らかにした栗の実の周りを、ぼそぼそ乾いた餡でくるみ、全体を固めの皮で包み仕上げている。総じて甘みは抑えられている。年配者には、栗の実の食感の乏しさと、(ビニールパックしているが)乾燥気味なのが少々気になる。

観光地の土産品と似たものにならぬよう、地元の歴史を備えた栗の実を使っているゆえ、まだまだ工夫を加えてしっかりした銘菓になって欲しい。

2014年10月25日土曜日

遠近法(消失点)

遠近法の絵画に、全てが集中して消える先に一体何があるのだろうか。絵画を見るままに見るといった、共通な視座があるのだろうか。もしかしたら、そのように見慣れているだけではないだろうか。時代とともに、絵画は、制作する者、所有する者、見る者それぞれにとって、入り混じったものがあるのではないだろうか。

(本ブログ関連:”遠近法”)

今の時代、映像を見慣れているので、遠近法は不思議でない。しかし、日本画に遠近法が登場したのは随分と後のことだ。なぜなのだろう・・・結局、日本画は、「日本画」という言葉とは違った存在だったのかもしれない。「西洋画」に対置して東洋画とか日本画といった配置をするのは、何かを歪めているかもしれない。

西洋画の遠近法について妄想したい。残念ながら、日本画の空間認識について何も知らないので・・・。

現実の世界を大きな升目を持つ網目を通して覗き、それと同じ升目のある画布に升目ごと転写すると、リアルな世界が再構成される。升目は一律でなく遠景が空気の厚い層に薄まり、全体像は遠近法の世界に収斂する。絵画工房の画工が気づかぬはずはない。

北方ルネッサンス絵画は、空間を緻密に埋める。隙間があってはならないのだ。間隙が存在したりすると、見える世界が崩壊するとでも思っているのだろうか、一部の隙があってはならないのだ。究極、視座をおろそかにできなくなる。
ファン・アイク(1395年頃~1441年)の「アルノルフィーニ夫妻像」は、遠近法の奥に壁に掛けられた鏡があり、そこに画家本人が描かれている。この絵画は、ファン・アイクの視覚を通したものでもあることになる。まるで、市民社会という視覚でもあるようだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の初期作品「受胎告知」は、聖母マリアの右手の動きとは別に、精緻に描いた作品と評価される。この絵は、遠景に尖った峰を持つ白い山腹に視線が収斂する。けれど、その消失点を意識されることはないようだ。一点に集中する視座は、特に宗教画には好ましいのかもしれない。

遠近法を合理的な視点でとらえる道具に、ピンホール・カメラを原理にした、カメラ・オブスキュラがある。誰もが一度、ピンホールでできる上下さかさまの映像を見た経験があるだろう。まるで、手に取るように現実世界がすくい取れるような錯覚をする。

フェルメール(1632年~1675年)の絵画が特にアメリカで好まれるという。フェルメールの視座は、ファン・アイクのような自意識を感じられない。見たものを印画紙に落とした、対象化した世界のように見える。カメラ・オブスキュラの世界なのだ。多分、タイム・トリップして彼の時代を覗く即物的な感触が好まれるのだろう。

そして、シネマトグラフの動く映像に市民が驚嘆した時代、印象派の画家たちは格闘していた。当時、カメラ技術の進歩で、今は忘れ去られた写真家たちが絵画と対峙する世界を写し取っていた。画家が、視座を画家個人のものに取り戻そうとした時代、遠近法はどうやら重要ではなくなったようだ。

絵画は、遠近法の奥にある消失点の先に、結局何も見出しえなかったようだ。シネマトグラフがそれを越えたのだから、絵画は画家の自我に直結するしかなくなったのだろう。現代絵画は空間さえ再構成しようとした。

2014年10月24日金曜日

ノート(筆記帳)サイズ、A4それともB5

仕事で文書作成にパソコンだけを使い、手書きの習慣からすっかり疎遠になって以来、あるとき驚いた。久し振りにノート帳に手書きすると、文字が恐ろしく汚いのだ。もともと綺麗な文字だったわけではないが、それにしても余りにまずい。

指先のコントロールがきかなくなったのか、すっきりした線が引けなくなっているのだ。もしかしたら歳のせいかと思い、文字を小さくすれば力も要らず小奇麗にまとまると思いきや、それも満足なものでなかった。どうやら、手書きの基本動作を忘れてしまったようだ。手書きの習慣の必要性を痛感した。

ノート(筆記帳)の場合、書道と違い、コンスタントに簡潔な文字を書き記した方が後で見やすい。指先を力まず、流れるように書ければベストだ。0.5mm、4B芯のシャープペンシルと、ノック式の消しゴムを使っている。どちらも力をコントロールしやすいからだ。

学生時代、授業内容を漏らさず記そうと、大判のA4サイズを使った。書き足し、補足、付記に便利だからだ。しかし、そんな余力もなく、何もかも書くことを止めてエッセンスだけ残せばよいという風に考えを改めると、ノートサイズは小型のB5サイズで十分と気付いた。

適時、適当な場所で見直すのに便利なノートサイズはB5だろう。一般書もB5サイズが多い。日本人の体形にあっているのかもしれない。もしA4サイズのノートを使うと、持ち運びにA4が入るバッグが必要になり、ついつい何でも入れてしまい重くなる。ノートを基準に、動作につながる物のサイズを考えるとよいのかもしれない。

最近は、A6のメモ帳を重宝している。思いつくものを何でも記入している。つまり、どんどん身軽になってきている。

2014年10月23日木曜日

イ・ソンヒがファッションコレクションを待つ写真

イ・ソンヒについて、実はよく語れないことがある。彼女の髪型とか服装のファッションなど、女性ならご存知だろうが、そのスタイル名についてだ。もともと、短髪にメガネとズボンスタイルという飾り気のないのがトレードマークのため、過去の新聞記事などで、彼女のファッションを詳しく触れているものをあまり見たことがない。

(日本の)女性ファンが、イ・ソンヒのファッションについて解説していただけると、Google画像検索で適度に検証できるのだが。

WOW韓国経済TVの記事「イ・ソンヒ 『私も、チ・ジュンヒのコレクションを見に来ました』」(10/23、キム・チユン記者、bntニュース配信)は、イ・ソンヒの写真を掲載して、次のように書いているが・・・上記のような分けでファッション関連についてよく分からない。(抜粋)
・「2015 S/Sソウル・ファッションウィーク」が22日午後、ソウル東大門区東大門デザインプラザで開かれた。チ・ジュンヒの「Miss Gee Collection」のコレクションで、歌手イ・ソンヒがショーを待っている。
(以下略)

今年の「Miss Gee Collection」について紹介しているブログ(Style N)を覗いてみたら、おじさんには全然無縁の世界のようで・・・。

これからも、イ・ソンヒについては、ファッション以外について記してみよう。それで十分だと思う。

2014年10月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 節気と贈り物

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第76回として、昔の「節気と贈り物」にまつわる話を紹介した。

まず、朝鮮後期の書家、秋史・金正喜김정희、1786年~1856年)と茶の関わりについて、つぎのように紹介された。
・節気は、1年を24等分して約15日毎に分けた季節。四季のある地域では、ここに春、夏、秋、冬など季節の名を付けた。季節に、人々はどんな風習を楽しみ、プレゼントをし合っただろうか。

(参考)日本の「二十四節気

・「秋史体(추사체)」の書体を生み出した、書家、金正喜(号は秋史)は、島流しの済州島で寂しく生活する中、茶をよく飲んだ。金正喜に茶を送ったのは、草衣禅師(초의선사、1786年~1866年)だ。全羅南道海南(해남)の大興寺(대흥사)に住み、茶文化を花咲かせた。金正喜が草衣禅師に送った手紙に、「茶の収穫の時期はまだですか。首を長くして待っています。茶を収穫したら壺にしっかりと包んで送ってください」といった内容がある。送って欲しい茶に細かく注文できるほど、親しい間柄を表している。

(本ブログ関連:”KBS WORLD「国楽の世界へ」 済州島”)

▼ ヘグム演奏「世の中で美しいもの(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。情感あふれる穏やかで心地よい今様の音色だ。

次に、金正喜が草衣禅師に茶を願った手紙と一緒に扇子を贈った話しを、次のように紹介された。
・金正喜は、貴重な茶をねだる手紙と一緒に、贈り物として、彼の書体の入った扇子を送った。当時、扇子の価値は今と違ったはず。庶民にとっては、うちわであり、虫よけの道具でもある必要なものだ。上流階級のヤンバンにとっては、地位を表す手段であり、人前で表情を隠す道具でもある。また、自分を守る武器としても活用した。扇子を送るのは、今年もよろしくという意があるという。

▼ 演奏「贈り物(선물)」を聴く。これも映画音楽のような、情緒深い今様の旋律だ。

最後に、年間を通して、節季のいろいろな風習(行事)について、次のように解説された。
・冬至(12/21)は、一年で昼が最も短い日だ。この日から昼が長くなる。一年を締めくくり、新年を迎えるこの時期に、新しいカレンダーをプレゼントした。カレンダーには色々な節気が記される。
・釈迦の誕生を祝う「初八日(초파일)」に、家族の名を刻んだ提灯をつるす。また、日本の中元に当たる「百中(백중)」には、使いの物に新しい服を作ってやる。新穀を神に供える「上月(상달)」には、祭祀を捧げた餅を分け合う。餅にも色々な種類があった。

▼ 各月の節気を歌った雑歌「タルコリ(달거리)」を聴く。 月巡る中、大衆の交わりを歌う・・・民謡と違って。

2014年10月21日火曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

まだ秋が終わらないというに、ストーブは入れるし、厚着して、去年よりも早く冬に向けて身支度している。年々早まる(歳とともにそう感じるのだろうけれど)、冬の気配を恨み、暖かい春を待ち望んでいる。

ここ数年、雪の積もり方がおかしい。雪融けに、2階の屋根から塊りがドスンと落ちるついでに雨樋(あまどい)を2度も破砕している。また、玄関先を雪掻きしたばかりなのに、すぐに屋根から雪が落ちてうず高く積もる。そこで、雪国のものと思っていた雪止めの必要性を感じ、業者さんに取り付けてもらうことにした。温暖化といわれながら、雪の量が極端過ぎる。

気分一新、美しく澄んで輝き、やがて消える雪の結晶のような儚(はかな)い恋歌、イ・ソンヒの5集に所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聞いてみよう。この歌にハッとしてわれに返り、冬へのわだかまりも溶けるというもの。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)

(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年10月20日月曜日

ブルーライト(再)

ノーベル物理学賞で話題の青色LEDだが、ちょっと前に、PCの液晶画面の青色成分(ブルーライト)が問題になっていた。PCを見続けると、目の奥に青色光が強く差し込むので、それを低減するためにいくつかの策が語られた。ひとつにブルーライト対応メガネ、もうひとつにディスプレイの青色成分の調整、最後に年齢に応じた対応だ。

(本ブログ関連:”PCのブルーライト”)

① 情報誌の付録についていた、ブルーライト対応メガネを装着する。PC画面全体に薄く赤味がさす。
② PCのデスクトップの色補正して、青色成分の明るさを抑える。PC画面全体から青味が減るような。
③ 年齢的には青色の感度が衰えているので、対応の必要なしとの情報を知る・・・ああ、そうですか。

年齢は別にして、対応メガネを装着し、ディスプレイの青色成分を減衰すると、両目の奥に四方から飛び込むようなインパクトが和らぎ、PC画面が穏やかになる・・・ちょっとモヤッとした感じで目に優しそう。そうすることで、眼精疲労に効果があるのか、正直よく分からないが、やらないよりはやった方がよいだろう。目に差すような青色光のエネルギーが弱まる気がする。長時間ディスプレイを見続ける場合、こんな対策もありだろう。

ところで、今年のクリスマスは以前に増して、街の何処かしこ青いLED照明に包まれることだろう。今まで以上に。

Youtubeの「ブルークリスマス」は、別の意味でブルーな若者たちのクリスマス。プレスリーの歌で聞いてみよう。

(本ブログ関連:”ブルークリスマス”)

(Youtubeに登録のElvisPresleyVEVO に感謝)

2014年10月19日日曜日

遠近法

子どもの頃、児童画といわれる、遠近法とは全く異なる表現が嫌だった。それは、子どもの時代に見られる独特なもので、(大人が忘れた)子どもらしい表現と絶賛されるものだ。でも、当時は見えるように描いてこそ絵ではないのかと思ったものだ。
(今の私には、児童画の伸びやかな表現が可愛らしくてたまらない・・・歳をとって気づいたが)

児童画は、運動会などを表現するとき、運動場を絵の中心に配置して、絵の上側に頭を上向きにした子どもたちを描くのに対して、絵の下側には頭を下向きにした子どもたちを描く。まるで、地球上の人々を宇宙遠くから眺めるようだ。

これは、視座が運動場の中心にあって、全て見るために頭(眼球)を回転させることからくるのだろう。つまり、視座が絵の中心に配置しながら、視線は固定しない。もし、遠くから俯瞰するように、つまり視座を鳥の目のように上空に置けば、登場人物たちの頭は、すべて上向きになるのだが。そこで、遠近法でない集団画の場合、地面を斜めにして、視座と登場人物とが等距離になるようする。一定の範囲内に、登場人物を集団に分けて配置すると、均等に描写することができる。

例えば、日本画で、屏風絵「洛中洛外図」は、集団を区分するのに雲のようなものを挟み込んでいる。また、好みの絵が多い、北方ルネッサンス絵画の場合、遠近法の表現はあるものの、説明的な要素が多いものがある。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に見られる宗教的な説諭、ピーター・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」に見られる世俗の風刺のように、解釈を一義にして見る目を動かすことになる。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

これらの作品は、今でいう絵画というよりは、絵に語られる物語なのではないだろうか。作品を、見る側の立場も含めて理解しなければならないような気がする。作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)。それぞれが別個であるとは限らない。また、今風の絵画鑑賞という見る側が大衆化してきた時代変遷は興味深い。・・・もしかしたら、遠近法の絵画技法は、世俗化と連動しているのかもしれないなんて考えてしまう。

絵画は最初から「絵画」ではなかったと思う。私は、仏像や仏画が美術や芸術作品として語られるのに、今も違和感を感じる。

2014年10月18日土曜日

超小型電気自動車に乗って

私の自動車免許証はゴールド(優良運転者免許証)だ。無事故、無違反の賜物である。というより、免許証はあれど、ずっと運転していないからだ。じゃあ、何のため免許証を持ち続けているのかといえば、これほど便利な身分証明証はない。そんなわけで、ずっと更新している。

鉱物採集に行くのに、いつもH氏の車に同乗させてもらっている。助手席に坐っているだけで、何のナヴィゲーターの役も務まっていない・・・何度も通った採集地への道、行きと同じ帰り道ですらよく覚えていない。やっぱり車の運転には不向きかもしれない。最初はそういって謙遜していたが、最近は確信している。

とはいえ、自動車に関心ないわけではない。安全な超小型電気自動車が身近になったら近所まわりに乗ってみたい・・・果たして何年先か。心配なのは運転の感を取り戻せるかということだ。近所の自動車教習所に通わなければならないだろう。

電気自動車について十数年ほど昔のこと。バスに乗っていたら、ある自動車メーカーの前のバス停から技術者らしき数人が乗ってきた。奥の座席で、ぼそぼそ話しているのが聞こえた。これからは電気の時代か・・・とため息をついていた。
電気自動車といわれても、素人には模型自動車に載せるマブチモーターのイメージしかない。技術者には大変な時代なんだなと思った。これから彼らが、どんな車を提供してくれるのか楽しみだ。

で、何のために超小型電気自動車に乗りたいのかって・・・、それは川べりに行って、自動車の中で、イ・ソンヒさんの歌を大声でカラオケしてみたいのダ。一人カラオケボックスとして。

2014年10月17日金曜日

膝小僧をすりむいて(続々)

先週の今日、転んでしまった右膝の痛みはゆるり治まってきているようだ・・・が。当初2日間つづけて貼った湿布にかぶれてしまい、痒みと痛さに悩まされている。ふくらはぎが、ちょっと突っ張った感じがして強張りがある。

どの程度リハビリすればよいか分からない。素人判断なので、むしろ運動不足かもしれない。まだまだ靴下を履くのも脱ぐのも難儀する(難しい)程度の回復状況なのだ。

ところで先日Y氏から、長野県茅野市にある金鶏鉱山の美味しい話をいただいた。クロム白雲母、苦土電気石、テルル蒼鉛鉱、セリウム・フローレンス石という・・・来月かな、よけいに夢(欲)が膨らむ。

セリウム・フローレンス石、何と美しい名だ。そして、薄紫色した可憐な結晶よ。一度、私と出会ってくれないだろうか・・・。もしよかったら、日本式双晶にもお会いしたい。正夢にならんことを。

(資料)世宗文化会館の歴史(続)

世宗文化会館の歴史について資料を探している。韓国Wikipediaの「世宗文化会館(세종문화회관)」の沿革の項に、同館着工時、何を念頭に置いたか、およびソウルの公演会場の変遷について、次のように記している。(抜粋)

(本ブログ関連:”(資料)世宗文化会館の歴史”、”世宗文化会館”)

ソウルの公演会場の変遷: 「京城府民館」 ⇒ 【「雩南会館 → 市民会館」 ⇒ 「世宗文化会館」】
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日帝強占期(日本統治時代)には、現在のソウル市議会の建物として使用されている「京城府民館」が総合芸術施設として機能した。光復(独立)後、1961年11月(10月?)に竣工・オープンした「市民会館」がその後に続いたが、1972年に火災で焼失した。これソウル特別市で大規模な総合公演場を建設する計画を用意して、1974年 1月に着工した。

1978年4月14日に竣工(工事終了)と同時に開館され、南北統一時、会議場の使用を念頭に置いて建てた、3,800席以上の大劇場と、532議席の小劇場など、当時最大規模の施設を備えて話題になった。しかし、1980年代に「芸術の殿堂」など他の総合公演場が開館すると、立地が弱くなり始め、ソウル特別市側の安易な運営体系に問題点があるという指摘も絶えず続いた。

(以下略)
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2014年10月16日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会う」

音楽を聞いて心が和むのは、そのとき、穏やかな春の陽に温もる風に包まれたような安堵があるからだろうけれど、それが何処から来るのかは、人生観や経験によるだろう。ときに、記憶のざらつきを埋め合わせてくれる心地よい風が吹く。

イ・ソンヒの15集に所収の「あなたに会う(너를 만나다)」(作曲イ・ソンヒ、作詞エピトンプロジェクト、編曲ミス・ケイ)は、そんな幸運な、そしてどこか懐かしい巡り会わせをさせてくれる。

Daumの”music daum”は、彼女の曲目紹介のなかで、この「あなたに会う」について、次のように解説している。
「無声白黒映画を見るような、クラシックで優雅な雰囲気の曲。ヒップホップ・ジャンルで主に使用されるサンプリングしたような表現技法は、あたかも80~90年代のLP盤で音楽を聞く感じを与える。 また、繊細ながらも多様な感性を表現するために、息一つまでも注意深くレコーディングして、イ・ソンヒ声の魅力を倍に感じることができる曲の一つだ」

昔、ラジオにそうしたように、耳をそばだてて聴きたい。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの15集”)


(Youtubeに登録のCoffee Letter Storyに感謝)

2014年10月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 尹善道

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第75回として、朝鮮中期の文臣兼詩人の「尹善道윤선도)」(1587年6月22日~1671年6月11日)」にまつわる話を紹介した。

始めに、尹善道が島流しの中にあって残した「漁夫四時詞(어부사시사)」について、次のように紹介された。
・尹善道は65歳で官職を退き、済州島へ向かう途中、全羅南道にある美しい風景の甫吉島(보길도)に出会い定住した。そこで風流を楽しみながら数々の傑作を残した。
・尹善道の傑作の一つに、「漁夫四時詞」がある。世俗を離れて、釣りを楽しむソンビの春、夏、秋、冬を表したものだ。

▼ 「漁夫四時詞」から歌「水国に秋が(수국에 가을이)」を聴く。秋に澄んだ海を、漁師船が軽やかに進むを眺めるよう。

次に、「漁夫四時詞」がどのように作られたのかについて、次のように解説された。
・漁夫には、魚労で生計の道をはかる漁師と、自然を楽しんで歳月を釣りする人もいて「漁夫四時詞」の中の漁夫はソンビを指す。
・漁夫を賛美する文学に、戦国時代の屈原の「漁夫辞」に遡る。高麗時代に「漁夫詞」の短歌があった。朝鮮初期、聾巖 李賢輔(농암 이현보)が高麗時代の「漁夫詞」を詩歌「漁夫詞」に改作し、後に尹善道が漢詩から韓国語で楽しめるよう「漁夫四時詞」とした。尹善道の「五友歌(오우가)」は、我が友と聞かれれば、水と石、松と竹、そして昇る月、それ以外に何があるのかと・・・。

▼ 尹善道の歌「五友歌」から「我が友は何人だろう(내 벗이 몇이냐)」を聴く。・・・う~ん、静かにソンビの諦観なのか。

最後に、尹善道とコムンゴ거문고、「玄琴」)の関わりについて、次のような説明された。
・尹善道は70歳を過ぎて、北方の地、咸鏡道北青(북청)の辺鄙な場所に流される。そこで持ち主のない1つのコムンゴを知った彼が探し見つけた
ところ、意外にも郷里全羅南道海南の時代、同僚に貸したものだった。その音は慰めになったことだろう。
・尹善道が実際に演奏したという孤山遺琴(고산유금)は、住んでいた家に保存されているという。

▼ 演奏「コムンゴを弾きながら(거문고를 타면서)」を聴く。新酒の香りがする軽快な曲。

(付記)
流れに掉さして無理するよりも、時に滄浪之水にまま漬かってみるのも必要ではと感じる次第。

2014年10月14日火曜日

(資料)世宗文化会館の歴史

歌手のステータスに、公演会場の格式がある。その意味で、会場の起源を知っておくのもいいかもしれない。

韓国の歌手の場合、音響、規模などで近代的なホールが各地に造られてはいるが、コンサートを開くべき象徴的な殿堂として、ソウルの光化門広場に面する世宗文化会館大劇場があげられるだろう。現在の建物は、火災事故後、朴正熙時代に再建したものだ。

現世宗文化会館の再建については、当時の朴正煕大統領の関わりから、東洋一の規模を狙う、「公演会場というよりも、朴正熙時代の権威主義を象徴する建築物であった」という話もあるが、まずは、この会館の成立から眺めてみたい。国家記録院のホームページにその起源について次のような紹介がある。(抜粋)

世宗文化会館:文化体育観光(部)「世宗文化会館 - 韓国現代史の生き証人」
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世宗文化会館の起源

「雩南会館」
現在、世宗文化会館がある場所に会館を設立する計画を立てたのは1955年だった。「6.25」戦争(朝鮮戦争=韓国戦争)が終わった後、李承晩(1875年~1965年)誕生80周年を記念するスペースに、現在の世宗文化会館の場所に李承晩の雅号である雩南(우남)を冠した「雩南会館」の建設を計画したものである。当時、民主党は雩南会館建設の不必要性を主張し、予算執行を妨げたが、最終的に1958年上棟式を行った。

「市民会館」
しかし、設計段階から建設費総額の正確な計算をしていない状態で始まった工事は、最初からギクシャクとしていた。1950年代末、韓国の状況は、建設基礎資材を国内で生産する能力がなかったので、鉄筋からセメントまですべてを外国から輸入しなければならず、設計当時予想できなかったさまざまな施設費などがかかり、工事費は雪だるまのように増えた。この中で、1960年4月19日「4.19」革命が起こり、李承晩大統領がハワイに亡命し、1960年8月、ソウル市議会は建設中の「雩南会館」の名称を「市民会館」に変更した。

火災
市民会館は、1961年10月、延坪2,900坪、4階建の建物で完工された、当時の韓国最高・最大の規模であった​​。市民会館では、韓国初のミュージカル劇団「芸グリーン楽団」の創立公演をはじめ、演劇、ミュージカル、楽劇、演奏会など各種の大衆文化公演が開かれ、毎年年末にMBC-TVの「10代歌手青白戦」が開かれ話題を集めたりもした。しかし、この市民会館は1972年12月2日「10代歌手青白戦」公演中(終演後?)の舞台上、照明装置が爆発し、起きた火事で全焼して、歴史の表舞台から消えてしまった。この火災事件は、火が出た後、慌てた主催側で急いで降ろした舞台の幕に火が移り大火になっており、この事故で、当時の市民会館館長をはじめとする50人余が死亡する惨劇が起きた。

「世宗文化会館」
市民会館が燃えてなくなった2年後の1974年、ソウル市民のための文化空間の必要性が要求され、その地に戻って市民会館建物を着工した。以来、1978年2月の時点で芸術院院長だったバク・ジョンファと世宗記念事業会などの提案で、名称を「世宗文化会館」に確定した。「世宗文化会館」と命名したのは、建物が世宗路にある点と、世宗大王の業績の敬いなどを反映したものという。世宗文化会館は、着工から4年後の1978年4月14日に開館(朴正煕大統領出席)した。

(以下略)
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2014年10月13日月曜日

2018年 小学校教科書の漢字併記案

韓国は、2018年に小学校教科書に漢字併記が考えられている。そのことも踏まえて、連合ニュースの記事「”漢字知らなくても不便はないと感じる国民増え”<(韓国)ギャラップ>」(10/7、ユン·ジョンソク記者)は、韓国民の漢字受容についての電話(インタビュー)調査(2002年対比)結果を、次のように報じている。

生活実感として漢字の有用性と、文化を見据えた漢字の有用性に違いがあるが、いろいろな面で漢字文化へのシフトが始まっているのだろう。今後、漢字はどのような字体が使われるのか、また、これから漢字を学ぶ世代と、漢字を排除されてきた世代との間にカルチャーギャップが生じるのか、もろもろ気になることがある。
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・漢字を知らなくても生活に大きな不便がないと感じる国民が、12年間で多く増えたという世論調査結果が出た。

・7日、韓国ギャラップは「ハングルの日」(10/10)を控えて、最近、成人1,004人を相手に漢字に関するアンケート調査(「漢字使用の認識調査 - 2002/2014年の比較」)を行った結果、「漢字を知らなければ生活が不便」を問う質問に、回答者の54%が「不便である」と答えたと明らかにした。
・韓国ギャラップが2002年に行ったアンケート調査で、漢字を知らないと不便という回答が70%に達したという点で、12年の間に漢字を知らなくても大きく支障がないと考えている国民が増えた。

・「漢字が外国の文字と思うか」という質問には、回答者の47%は外国の文字48%は韓国の文字と答えた。
・2002年の調査でも、漢字が韓国の文字との回答が47%外国文字という答えは46%で、今年のアンケート結果と似ていた。

・漢字使用の項目では、57%は「ハングルと漢字を混ぜて使わなければならない」41%は「ハングルだけ使わなければならない」と答えた。
・2002年の調査では、55%が「漢字併用」33%が「ハングル専用」に応答して、12年前も今もハングルと漢字を組み合わせて使用​​すると見る世論が多かった。

・今年の調査内容を年齢別に見たとき、漢字を知らないと不便だという意見が20代から40代まで48~50%であったが、50代57%60歳以上は63%を記録した。

20代だけで漢字併用(50%)とハングル専用(49%)が二つに分かれたが、30代以上では「ハングルと漢字を一緒に使わなければならない」という意見が「ハングル専用」よりも優勢だった。
・漢字を混ぜて使わなければならないと答えた回答者(575人)を対象に、その理由を尋ねたところ、67%が「漢字を知らなければ意味を十分に伝えることができる」と答えた。

2018年小学校の教科書の漢字併用案について世論は賛成67%反対29%であった。
・文部科学省は先月、ドアと統合カリキュラム」の一環として、2018年から小学校3年生以上の教科書に漢字を併記する案を推進すると発表し、これに対してハングル学会と関連市民団体は反対の立場を明らかにした。
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2014年10月12日日曜日

イ・ソンヒのテレビCF

若いイ・ソンヒが溌剌として登場するテレビCFがYoutubeなどに登録されている。現在はどうなのだろうか、企業提供コンサートなどに出演することもあるようだが。テレビCFに彼女の力は絶大に違いないけれど、思うにアーティストとして活動を選択しているかもしれない。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのテレビCF”、”七星サイダー”)

次のCFは、コカコーラの歌(코카콜라)、七星サイダー(칠성사이다)、ラッキーの紙おむつ(젬제미)、Hwany MaxのASレンズ(AS렌즈)。共通するイメージは、はち切れる若さ、健康、透明感・・・、彼女の持つ健全さに集約される。


(Youtubeに登録のjunghee .Pに感謝)

2014年10月11日土曜日

生命の不思議なこと

常々生命について不思議に思うことがある。

細胞の核内にある、DNAの塩基配列(設計図)にしたがって、アミノ酸=タンパク質が作られる。
生命(生きている活動)っていうのは、物質やエネルギーを拡散でなく凝集する方向に向かわせる気がする。生命活動が終われば、大地(地球=宇宙の塵)に還る(同質化する)ことだろう。

では生命活動というのは、細胞の中でどのような動きをしていることなのだろうか。
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・発生や分化の過程で、生体を構成する特定のタンパク質を作るために発せられる指令は、どんなタイミング、つまり環境変化をどのように認識して発せられるのだろうか?

・細胞内のエネルギーや栄養を得るために、ダイナミックに動く代謝システム(=状態遷移)は、遺伝情報の一部なのか、それとも別次元のものか?

・生命って、完全に閉じた系(システム)ではないよね・・・だから、環境の変化を考慮(想定)しているのだろうけれど、その環境変化の幅(最大・最小)をどこかで決めて(決まって)いるのだろうか?
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どれもこれも、進化の中でできあがったことなのだろうけれど。

建築物に(人の)動線があるように、生命も単純に構造体としてだけでなく、ダイナミックなもの(濃度勾配のようなメカニズム)に影響されるのではないだろうか。それにしても、生体の低い体温中で、ダイナミックに化学合成するメカニズムを作ったとは、よくできている。

自然(生命)はどうして、乱雑さを好まないのだろうか・・・不思議は尽きないけれど、科学者よって、その解もいつか見出されるに違いない。科学は停止しない。

2014年10月10日金曜日

膝小僧をすりむいて(続)

昨晩、夜道でつまづいて右の膝小僧をすりむいた。自宅に戻って、傷口を消毒したが、その後痛みが増して、今朝になって膝が腫れ、痛くてきちんと曲がらない。椅子の立ち上がりに一苦労する。2階の上がり降りは更に厳しい。

夕方になって、痺れは少し治まったようだが、自由がきかない。良い方に考えるとはいえ、回復に時間がかかりそう。おろそかにしていた鉱山巡りもあっさり頓挫した。本当に悔しい気がする。

明日の教室は、足を引きずりながら近所のバス停まで行って、循環小型バスに乗るしかなさそう。このバスがなかったら、お手上げだったろう。

2014年10月9日木曜日

膝小僧をすりむいて

なんというか小学生だ・・・家路の途中つまづいて膝を打ち、すり傷をこしらえた。スボンを見れば、膝に小さな穴が開いている。そのとき感じなかった痛みが、家に着くとジワジワ出てくる。神様はよくしたもので、家に戻るまでの間、痛みを抑えてくれたようだ。

だいぶ前にも転んだことがある。錫高野に蛍石を採りに行ったとき、岩場!で思いっきり仰向けに引っくり返ったのだ。幸いリュックを背負っていたお陰で、脊椎は守られたが、帰りの車中、小さな振動にも激痛が走って大変だった。なのに、リュックいっぱいの採集鉱物を捨てようともしなかった。

子どものころは、足を怪我すると、赤チンキを塗ってもらった。空き地で遊ぶ腕白たちは、半ズボンの足先にあちこち赤い勲章を飾っていた。その赤チンキが有害とかで次第に使われなくなった。怪我自慢の証がなくなって、男の子はさぞ残念だったろう。

そう、子どもって、怪我したことを得意がった。特に骨折などして、腕に三角巾をしたりすると、晴れがましい。松葉杖など使えば最高だ。みなが寄り集まり、あれこれ尋ねると、まるで空を指差して高らかに歌うポスターのように高揚したものだ。

怪我自慢は、それだけではだめ。大事なことは、それにもめげず、みなと一緒に遊びまわらなければならない。これができてこそ、怪我は男の子の栄えある勲章なのだ。我が遊び声、ますます天に響き渡るようだった。

2014年10月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 建国神話(開天節)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第74回として、韓国で1909年1月15日に制定された、建国神話の記念日「開天節개천절)」にまつわる話を紹介した。

始めに、檀君(단군)神話にもとづく「開天節」の史録について、次のように紹介された。
・開天節は、古代朝鮮神話の檀君による建国を記念する日。開天は天が開く意だ。檀君神話は、高麗僧侶の一然(일연、1206年~1289年)が書いた史書「三国遺事(삼국유사)」(1280年代中頃)にある。
・10月3日は、建国記念日「開天節」で、檀君が建国した古代朝鮮の紀元前2333年10月3日にあたる。開天節の時期にもう一つ説があって、檀君が建国した124年前に桓雄(환웅)が降臨した日もある。檀君、桓雄ともに神話中の人物だ。韓国民は、檀君神話を思いを起こし団結する。昔、節句に近所の家を訪ね、願うの意を持つ「ビナリ」を歌い、平和を祈った。

▼ 歌「ビナリ(비나리)」を聴く。以前の回でも聴いたよう、サムルノリのにぎやかな金属打楽器に合わせて歌う。

次に、桓雄による地上の統治神話について、次のように説明された。
・天を統治した神、桓因(환인)の子に桓雄がいた。桓雄が人間世界を欲したことに気付いた父は天下を見下ろし、人間を幸せにするため桓雄を人間の世界へ送り治めさせた。桓雄は兵士3000人を率い、太伯山(태백산、妙香山)の山頂にある天地を繋ぐ神檀樹(신단수)の下に降りた。他民族にも「生命の木」をモチーフにする神話がある。人類の想像力は似る。桓雄は、風、雨、雲を統治する各々の神を率いてこの世を治めた。人間世界を、穀物、命、病など360余り各々の神に治めさせた。

▼ 「一千年の物語り」からコムンゴ演奏「希望を抱いて(희망을 품고서)」を聴く。古皮袋に揺れる新酒のよう。

最後に、檀君神話の独特な系統(シャーマニズム的起源)を示す熊女について、次のように説明された。
・桓雄の統治国が羨ましく、一頭の熊と虎が人間になりたいと訪ねてきた。桓雄は一握りのヨモギとニンニク20個を渡し、これを食べて100日間太陽光を避ければ人間になれると言った。それに成功したのは、虎ではなく熊だった。熊は熊女(웅녀)という女性になり、桓雄と結婚する。生まれた息子の檀君は、国を建て現在の平壌を都とし、2000年近く治めた後、神になった。

▼ 民謡「城主プリ(성주풀이)」を聴く。( ⇒ ここでは、イ・ソンヒの慶尚道民謡を聴きましょう・・・圧倒されます)

(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年10月7日火曜日

ノーベル物理学賞

照明やテレビなどで身近で当り前過ぎるLED・・・そう思っていたが、3原色の最後の牙城であった青色LEDを完成した研究者に大きな光があてられた。今年の「ノーベル物理学賞に赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏」が受賞したと、朝日新聞は次のように報じている。(10/7、抜粋)
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・スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル物理学賞を、赤崎勇・名城大教授(85)と天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)の日本の3人に贈ると発表した。赤崎さんと天野さんは青色の発光ダイオード(LED)を初めて作り、中村さんが実用化につなげた。これにより光の3原色がそろう見通しが立ち、LEDで幅広い色が再現できる道筋をつけた。

・赤崎さんは名古屋大教授時代の1985年、天野さんとともに高輝度のLEDに欠かせない良質な結晶を作製。89年、窒化ガリウムの半導体青色に光るLEDを作ることに成功した。
中村さんは日亜化学工業(徳島県阿南市)の研究員時代の90年代前半に、製法を進化させた。
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青色LEDの結晶や製法を全く知らないが、あまりの普及に今回の受賞を納得してしまう。考えてみれば、他の赤色、青色LEDについても何も知らないのに・・・そこをすっとばした素人の強み、めでたいと思う気持ちは変わらない。

夕方、テレビのニュースで赤崎勇教授のノーベル賞受賞の記者会見を見た。記者から若い研究者への言葉を求められたとき、流行をやるのではなく、自分がやりたい研究を探せという印象的な回答があった。

2014年10月6日月曜日

マニア、CD

マニアやコレクターを辞書に探すと、熱狂者とか収集家があてはまる。江戸時代には奇人という言葉でくくられたようだ。奇人の系譜は、遠くに蘭学を見ながらも、後の博物学(本草学)に通じた。江戸諸藩に開いた独自の文化と経済交流という実学的なベースがあって、奇人が尊重される気風が醸成されたといえるだろう。奇人尊重の気風は英国においても同様だった。

さて現代の奇人は、高度に専門化して研究者に吸収される一方、市井で趣味人として生き残って、大方はのんびりと趣味世界にいる。オタクは時代とぎりぎり磨りあって、固有の指向を確立した新しい芽だ。奇人の大樹は、枝を伸ばし、芽を吹いている。

そんなとき、ふと思うのは韓国の書店で、鉱物採集マニア向けの(韓国産)鉱物図鑑が見つからないことだ。なぜ鉱物趣味が広がらないのだろうか。石(鉱物)という見える物に価値を知り、価値を付けるマニア的な世界がないのだろうか。

(本ブログ関連:”鉱物図鑑”)

このことは、音楽趣味が物(CDなど)を経るかどうかといったことでも、日本と韓国の音楽ファンの傾向がうかがわれる気がする。私は、イ・ソンヒのCDやLPを収集したくなる。重複したものがあれば、日頃、イ・ソンヒファンの心理を黙って聴いてくれた人たちにプレゼントしたりするのだが・・・間違ってないよね。

(本ブログ関連:”第15集「SERENDIPITY」を3つ”)

朝鮮日報(日本)の記事「多くの国で姿消すCD、日本では今なお人気」(10/5、ヤン・モドゥム記者)は、韓国と比べて圧倒的にCD購入者が多い日本の状況について、韓国側の視点から次のように紹介している。(抜粋)
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・スマートフォン(多機能携帯電話端末)やMP3プレーヤーの普及により、音源の世界市場ではデジタル音源が席巻している。楽曲をダウンロードしたり、インターネットを通じてリアルタイムで鑑賞したりする「ストリーミング」の世界シェアは60%(売上基準)に達している。ところが、日本市場の「王」は依然としてコンパクトディスク(CD)で、音源のシェアの80%を占めている。韓国では10年余り前に消滅した「ミリオンセラー(売上げが100万枚以上)」が今年二つも出た。日本人はなぜ、1枚当たりの価格が2500-3000円もするCDを好むのだろうか。

・これは日本人特有の「収集癖」と「ファンダム(特定の人や物に対する熱狂的な支持)」が結び付いた現象だという見方が出ている。ある歌手の歌を聴くだけにとどまらず、そのCDなど関連商品を所有することを好むというわけだ。ヒット曲を集めたCDも、関連商品を収集する人たちの間で人気が高い。
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韓国の音楽消費パターンは、圧倒的にストリーミング・サービスが多い。CDが少ないのに加えて、歌手の以前の歌を再編成したCDに歌詞カードがないこともある。この辺に、物(CD)を介さない音楽購入の理由があるような気がする。

(本ブログ関連:”歌詞カード”、”ストリーミング”)


上記記事が前提にしていると思われる、朝鮮日報(韓国)の記事「IT強国日本の変わらぬ音楽CD愛」(9/18、イ・ヨンソン記者)は、ニューヨークタイムズの情報で日米対比しながら、日本のCD売上げが多いことを次のように紹介している。(抜粋)
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・音楽を聞くプラットホームがモバイルに変わって、関連産業もダウンロードとストリーミング中心に再編されている。だがIT関連技術力にあって、世界最高を自負する日本は例外だ。

・16日(現地時間)、ニューヨークタイムズによれば、日本の音楽市場で一番である消費方式は相変らずコンパクトディスク(CD)購買で、全音楽市場売上の85%を占めるストリーミング・サービスの比重が90%に達する我が国(韓国)や、ダウンロードとストリーミングを合わせた比重が60%を越えるアメリカとは対照的だ。

・世界最大の音楽市場であるアメリカの場合、レッド・ツェッペリンとジェイスン・ムラーズ(Jason Mraz )などの所属会社で有名なアトランティック・ レコードのデジタル音源販売収入は、すでに6年前のCD販売収入を越えた。一時、全世界レコード流通市場を牛耳ったタワーレコードは、デジタル音源市場の急成長による実績不振に、2006年の一年間、アメリカだけで89の売り場を閉鎖した

・これとは対照的に、日本の最大移動通信社NTTドコモが運営を受け持っているタワーレコード日本の場合、東京、渋谷の地下1階、地上8階規模の単独売り場が盛業中であることをはじめとして、日本国内85の売り場を運営している。年売上げは、5億ドル(約5200億ウォン)に達する。

ニューヨークタイムズは、伝統のIT強国日本の格別なCD愛が、収集好きな日本人の独特の気質と関連があると分析した。我が国(韓国)でも一時流行した、特定アーティストの「ヒット曲選集(Greatest hits)」アルバムが日本で特に人気が高いのもこのような指向と関係がなくはないという。

・これに加えて、過度に慎重かつ几帳面な日本のビジネス慣行も、もうひとつの原因(=音源ダウンロード販売普及の遅れ)とされた。アップルがアイチューンズ・ストアの日本サービスを最初に始めたのは2005年だが、7年後である2012年に達して日本最大レコード会社ソニーミュージック・エンターテインメント所属のアーティストの音源を供給できたと、ニューヨークタイムズは伝えた。
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2014年10月5日日曜日

雨の日曜日に

台風18号は、北上して九州の南の海で急旋回、日本列島に沿うように太平洋沿岸を東に進んでいる。天気予報は、関東地方について、今日は雨というだけで、むしろ明日月曜の台風襲来に焦点を合わせていた。

淡々と今日は雨という予報に、少し外出する余裕でもあるかと思ったが、そうはいかなかった。雨は一日中降り続き、外出はままならない。雨脚は結構強く、傘があまり役立ちそうもない感じだ。ズボンは間違いなく濡れるだろう・・・。出かけるあてもないので、家の中でじっと過ごしたが。

深夜の天気予報は、これから関東地方にも風が吹きだし、明日朝方(9時頃)に直撃のようだ。勢力が、過去10年で最大級という。一体どんな準備をすればいいというのか・・・。雨戸だけはしっかり閉めておこう。

昔のコマーシャル・ソングにあった、「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」というわけにもいかぬ日曜日だった。

(本ブログ関連;”雨が降ってる日曜日”)

2014年10月4日土曜日

イ・ソンヒ全国ツアーコンサート 水原

イ・ソンヒの公式サイトのスケジュール情報によれば、来月後半にもデビュー30周年記念のイ・ソンヒ全国ツアーコンサートが京畿道水原(수원)市で催される予定。詳細は、次のインターパーク「チケット公知」より。

- 公演名: イ・ソンヒ 30周年記念コンサート - 水原公演
- 公演日時: 2014年11月15日(土)、7pm ~ 11月16日(日)、5pm
- 公演場所: 水原室内体育館
- チケット価格: VIP席 132,000₩ / R席 121,000₩/ S席 110,000₩ / A席 99,000₩
- 観覧時間: 120分
- 観覧等級: 未就学児童入場不可

イ・ソンヒのここ3回の(韓国)国内ツアー都市を一覧して見ると、ソウル公演を含めて過去10都市ずつだったのに対して、今年は13番目の都市まで予定されている。彼女を愛するファンに応え、風の吹く範囲を超えず、ファンとの距離を大切にしていることが分かる。それは、彼女とファンとの強いつながりであり、ファンの心にいつまでもありつづける歌手としての証左でもある。
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2014 コンサート”歌うイ・ソンヒ”
・ソウル4.18-20:「世宗文化会館」 ★4.19レポート
・大邱5.10-11:「大邱エックスコ・コンベンションホール」
・蔚山5.24-25:「蔚山東川体育館」
・光州6.7-8:「金大中コンベンションセンター」
・城南6.14-15:「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山6.28-29:「KBSホール」
・富川7.12-13:「富川室内体育館」
・全州8.30-31:「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂」
・安養9.13-14:「安養室内体育館」
・大田10.4-5:「忠南大正心華国際文化会館正心華ホール」
・昌原10.17-18:「昌原城山アートホール大劇場」(予)
・高揚11.1-2:「高揚アラムヌリ アラム劇場」(予)
・水原11.15-16:「水原室内体育館」(予)

2011 コンサート”5月の陽ざし”
(海外)
・ニューヨーク2.3(木):「カーネギーホール(Stern/Perelman)」
(国内)
・ソウル5.21(土)-22(日):「世宗文化会館」 ★5.21レポート
・水原7.2(土)-3(日):文化の殿堂 幸せ劇場
・高陽7.9(土)-10(日):高陽アラムヌリ アラム劇場
・大田7.16(土)-17(日):忠南大 チョンシムファホール
・釜山9.3(土)-4(日):KBS釜山ホール
・全州9.17(土)-18(日):全北大 三星文化会館
・仁川10.8(土):サムサン・ワールド体育館
・光州11.5(土)-6(日):光州文化芸術会館 大劇場
・大邱11.12(土)-13(日):大邱EXCO本館 5階
・晋州11.19(土)-20(日):慶南文化芸術会館

2009 コンサート”招待”
・ソウル(서울)4.1-5:「COEXオーディトリウム」 ★4.2レポート
・仁川(인천)5.16(土):「仁川サムサンワールド体育館」
・全州(전주)6.27(土):「韓国音文化の殿堂モアクダン」
・清州(청주)7.5(日):「清州芸術の殿堂大公演会場」
・水原(수원)7.11(土):「京畿道文化の殿堂大ホール」
・城南(성남)8.15(土):「城南アートセンターオペラハウス」
・高揚(고양)9.5(土):「高揚アラムヌリ アラム劇場」
・大邱(대구)9.12(土):「大邱市民会館大劇場」
・釜山(부산)10.24(土):「KBS釜山ホール」
・大田(대전)11.1(日):「忠南大 チョンシムファホール」
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2014年10月3日金曜日

「人イヌにあう」から

子どもが水溜りで、無邪気に遊んでいる姿は可愛らしい。水の感触もそうだが、意のままにならぬ形質も楽しくてたまならないのだろう。泥水だらけになって、しまいにその場に座り込んでも気にしない。水は、子どもが外の世界で最初に出会う、感性に直結する不思議なものかもしれない。

そんな水の面に水滴を垂らすと、初め輪郭をしっかりした輪ができて広がり、次第に薄れて無かったように水に吸収される。水紋を見ていると、まるで人の言葉のように思うことがある。水紋は、その輪があってこそ意味を持つ。水がなければ水紋がないように、人がいなければ言葉はない。水はいつまでも澄んで欲しい。水紋は美しい円弧を描いて欲しい。

動物行動の世界で、飼いイヌを通して愉快なイヌの行動を教えてくれた、動物行動学者のコンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz、1903年~1989年)の著書に、「人イヌにあう」(小原秀雄訳、至誠堂選書)がある。この本の中で、飼いイヌ同士が吠えあうとき、居るべき場所を前提にしているという面白い例を、次のように紹介している。(元文に適宜段落付けした)
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・~私の年老いたブリイとその不倶戴天の敵、白いスピッツにかんするものである。このスピッツは緑に塗った木のかき根で仕切られ、村の通りにそって長くのびた幅の狭い庭のある家に住んでいた。この三十ヤードにわたるかき根にそって、二匹の英雄は、走って行ったりきたりしては激しく吠え、かき根の両端の折り返し点でちょっと止まっては、役にもたたない怒りのあらゆる動作と声をおたがいに投げつけるのであった。

・ある日やっかいな事態がもち上がった。かき根は修理中で、一部がそのためはずされたのだ。下手の半分がなくなっていた。さて、ブリイと私は家を出て丘を下り、川に向かった。スピッツはもちろん私たちに気づいて、庭でいちばん高い一角で、うなり、興奮のあまりふるえながら待ちかまえていた。最初に、おきまりの不動の姿勢でののしりあいがはじまった。それから二匹のイヌはそれぞれがかき根の両端で、前方に向かっていつもの早駆けをはじめた。

・ところがなんと、珍事勃発。彼らはかき根が取り払われている場所を駆け抜けてしまい、さらにののしり合戦が行なわれはずの庭の下手のはずれまできて、やっとおのれの失態に気づくしまつであった。彼らは毛を逆立て、恐ろしげにきばをむき出して、そこに立ち止まった---が、かき根はなかった。たちまち吠え声はやんだ。

・そこで、彼らはどうしただろうか? あたかも一心同体のごとく、彼らはくるりと向きを変え、横腹を接してまだ残っているかき根のところへとんでいった。そこで彼らは、まるで何ごとも起こらなかったかのように、ののしりを再会したのである。
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鉱物採集などで地方に出かけると、農家の庭先に用心のため番犬役をしっかり果たしている飼い犬がいる。一方、住宅街を飼い主に連れられて散歩する小型犬は吠えないし、番犬イメージも薄い。屋内で飼う愛玩犬が中心になっているようだ。
愛玩犬の場合、家の前を通り過ぎる他のイヌに対して、どんな反応を示しているのだろうか。

2014年10月2日木曜日

イ・ソンヒ、MCモンとコラボか

Tonga.A掲載のニュースエンの記事「イ・ソンヒ側『MCモンのコラボ提案1次固辞、新曲待っているところ』」(10/1)は、「イ・ソンヒ側がMCモン側のコラボレーション提案に対して口を開いた」と、イ・ソンヒとMCモンによる新曲が展開されるか次のように報じている。

MCモン・・・ヒップホップ・・・ヒップホップねえ。どういったらいいか、おじさんの世界観から言えば、自然の棲み分け風に、近くにいても見えども見えず。

イ・ソンヒが、今回どのように関わるのか。もちろん最近のアルバムでも、チャレンジしており、見事にこなすのは間違いない。

(本ブログ関連:”ヒップホップ”)

ところで、ヒップホップ(ミュージック)って・・・。
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・イ・ソンヒ側関係者は、10月1日ニュースエンに「最近MCモンが、イ・ソンヒにコラボレーション提案をした。だが、曲がイ・ソンヒの音色に合わないと判断、丁重に固辞した。MCモンのアルバムに役に立たなければなければならないと考えたため」と明らかにした。

・これに対しMCモン側は、また他の曲をイ・ソンヒに伝えたいという旨を表明した。イ・ソンヒ側関係者は、「イ・ソンヒもこれを受け入れて、現在MCモンの曲を再び待っている。まだその曲を聞くことができなかった」と付け加えた。

・MCモン側も、同日ニュースエンに、「最近イ・ソンヒにコラボレーションの提案をしたし、イ・ソンヒ側もこれを肯定的に検討中だ」と明らかにした。だが、MCモンとイ・ソンヒが歌う歌は、現在まで決まっておらず、当然録音も入っていなかったというのがMCモン側の説明だ。

・今回のMCモンの新しいアルバムには、リサンケリー(리쌍개리)、ホガク(허각)、ペク・チヨン(백지영)などが一つになって、フィーチャリング援護射撃する予定とより一層期待感が高まっている。

・一方、MCモンは、来る11月、4年ぶりの新しいアルバムを持って歌謡界に復帰する。MCモンの歌は、その間、多くの歌手とコラボレーションを通じて大衆の多くの愛(支持)を受けたところ。それゆえ、MCモンとイ・ソンヒの組み合わせにも関心が集中している。
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2014年10月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」済州島

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第73回として、朝鮮半島南部に位置する火山島、「済州島제주도)」にまつわる話を紹介した。

まず、済州島の地理と伝統的な信仰について、次のように紹介をされた。
・半島の南に韓国最大の島、済州島がある。温暖な美しい自然のリゾートアイランド。中央に位置する漢拏山(標高1,950m、한라산)は10万年前にできた火山、牧場や農園などの地でもある。
・美しい島であるだけでなく、ユネスコ人類無形遺産に登録されたシャーマニズム信仰である巫俗(무속)のお祓い「クッ(굿)」の「済州チルモリ堂燃燈グッ제주칠머리당영등굿)」が、毎年2月に行なわれる。
・漢拏山の他に、10万年前に海底噴火でできた「城山日出峰성산 일출봉)」火山も有名。列を成した溶岩洞窟の「拒文オルム溶岩洞窟거문오름용암동굴)」もユネスコ世界遺産に登録されている。透き通った海、島中央の山とが調和した島には、半島と遠く離れて独特の文化が残っている。外国語のような方言、石積みの壁。半島と異なる風景をあらわした歌「瀛州十景영주십경)」*がある。
(*) 「瀛州十景」は、後述の朝鮮後期の金正喜に師事した李漢雨(이한우、1823年~1881年)の作。

▼ 済州島を代表する風景10ヵ所を歌った「瀛州十景」を聴く。民謡と別の起源を持っている。

次に、済州島の神(神話)について、次のように説明された。
・済州島には、1万8千もの神がいる。今でも祭祀を捧げる場所が400ヵ所も残っていて、土着の信仰を守っている。この世の地形を作った「麻姑婆さん(마고할머니)」や、宇宙を支配するとされる「天地王(천지왕)」などは済州島固有の神だ。
・済州島の歴史(「高麗史古記」)では、「三姓穴(삼성혈)」に古代の耽羅(탐라)国を建国した良乙那(양을나)、高乙那(고을나)、夫乙那(부을나)の3人の誕生から始まる。3人は碧浪国(벽랑국)から3人の姫を迎え、この時、牛馬と五穀の種が済州島に伝わった。4、5世紀頃のことで、その時農耕生活が始まったという。

▼ 「済州の海(제주바다)」という歌を聴く。イメージとしては都会人のあこがれのような・・・今様である。

最後に、流刑地としての側面について、次のように解説された。
・観光地の島だが、昔は罪を犯した臣下の島流しの場所とされた。険しい海を渡ると、いつ戻れるか分からない所だ。秋史・金正喜(추사 김정희、1786年~1856年)先生の絵「歳寒図(세한도)」は、その寂しい暮らしを表した作品だ。済州島の文化が今に至るのも、地理的に海があったからだ。済州島では、今も最も寒い大寒から立春の時期に引越しする。神が天に昇り、新しい任務を受ける過渡期で、引越しに無難な時期と信じられている。実際、済州島で唯一気温が5度以下になる時期で、慣れぬ地引越ししても病になりにくいという。

▼ 済州島女性民謡「シンアウェ(신아외기)」を聴く。次第に合いの手につられて口ずさんでいる・・・今様に歌う。

金寶愛(キム・ボエ)さんの言葉、「文化というものは暮らしの中で身につけた知恵の集まりだと思います」。本当にそうですね、生活に根ざしたものこそが、子孫に受け継がれるというものですね。