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2013年6月30日日曜日

韓国50代が迎える定年60歳制

韓国の年齢は数え年が普通だが、「2016年から60歳定年延長」というとき、その60歳は「数え歳」なのか「満年齢」なのか・・・実際は、満年齢であるが気になる。

(本ブログ関連:"ベビーブーマー")

JETROの海外研究員レポート「韓国ベビーブーマーの過去、現在、未来-『彼らは声を出して泣かない』から」(2013年4月、安倍誠)の「はじめに」、次のように韓国ベビーブーマーを定義している。(抜粋)
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・第二次世界大戦後、多くの国では、急速な出生数の向上、いわゆるベビーブームが生じ、そこで生まれたベビーブーマーたちはその社会において独特な地位を占めることになった。ベビーブームの期間は国によってまちまちであり、アメリカでは1946年から1959年まで日本では1947年から1949年までと言われるが、韓国の場合、朝鮮戦争の後になる1955年から1963年までがベビーブームであったとされる。現在、ベビーブーマーは約734万人、総人口の約14%を占めている。年齢は満49歳から57歳くらいまで、韓国では数え年で年齢を語ることが多いので、韓国的に言えば現在の50代がほぼベビーブーマーに相当することになる。彼らは1970年代から90年代の韓国の高度成長を支えてきた世代でもある。

朝鮮Bizの「定年60歳延長、労・使・政 葛藤新しい火種となるか」(2013年4月23日、イ・シンギ記者)は、2016年からの60歳定年延長について次のように報じている。(抜粋)
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朴槿恵政府の重要な選挙公約の一つである定年延長義務化が政界の立法で可視圏に入った。
・(4月)23日、国会環境労働委員会は、公共・民間部門の定年を満60歳に延長する「雇用上の年齢差別禁止と高齢者の雇用の促進に関する法律の一部改正案」を可決した。改正案は、現行法上の勧告事項である「定年60歳」を義務と規定し、従業員300人以上の事業所は、2016年1月1日から国と自治体と従業員300人未満の事業所は、2017年1月1日から段階的に適用することにした。

朝鮮日報(6/30)の「【コラム】60歳定年制を成功させるには」(5/16、金洪秀記者)は、対象となる50代について次のように記している。(抜粋)
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・韓国では大学を卒業した男性が兵役を終えれば27歳前後になり、それからやっと就職して50代の前半まで25年ほど働いてから退職する。しかも韓国人にとって50代の前半あるいは中ごろは、子どもを教育し独立させるために一生のうちで最も多くの金が必要な時期だ。そのため韓国人にとって50代の退職は、人生における「財政の絶壁」となっているのだ。


来年、1964年生まれのイ・ソンヒも「満年齢」で50代に入る。国民歌手らしく、ベビーブーマーも共有する<健全で希望に満ちた彼女らしい清潔な歌>が聞かれることになるかもしれない。

(追記)
今日は6月最後の日、今年も半分過ぎることになる・・・1年のリンゴを半分食ってしまった。残りのリンゴを考えると、時間を無為に過ごした罪深さをひしひしと感じる。

2013年6月29日土曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

Youtubeはありがたくて、イ・ソンヒのデビューの契機となった1984年の「江辺音楽祭」から数々の映像を見ることができる。その中でも、2004年の世宗文化会館でのコンサートステージ映像は素晴らしい。

イ・ソンヒをコンサート会場で直接見たのは、2009年(COEXセンター)と2011年(世宗文化会館)の2度しかない。デビュー30周年にあたる来年の2014年に、彼女のコンサートが予定されているので、コンサート会場へ足を運ぶことができればと思っている。

次の彼女の映像は2004年の世宗文化会館コンサートのもので、円熟味が増して歌唱力が最高にのっているときだったかもしれない。こうして見ることができるのはありがたい。「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)は、彼女のファンの心情のように何度も聴きたい名曲だ。

(本ブログ関連:"私はいつもあなたを")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

(追記)
昨晩のPCトラブルで、気になってマウスを買い換えた。微妙に右利き用の曲面が彫り込んでいる。左利きにとって、実に不都合なことだが、こんなことは慣れているよ(耐えてきたよ)・・・ああ、それにしても、鏡像、光学異性体、D/L型の世界は不便だよ。

2013年6月28日金曜日

不都合なこと

ちょっとPCに不都合なことが起こった。

Windows画面は正常に立ち上がるが、マウスでクリックしてもコマンドの実行におそろしく時間がかかる。
同じ現象が別PCでも再現した・・・ただし、マウスは共用した。

Windows終了時に、特定メモリエリヤがreadできないというメッセージが表示されたりして・・・。

あるいは、ウィルス対策ソフトのコンフリクトのせいか・・・。

(追記)
ああ、それから、今日入れたばかり歯の金属が、夕食時にとれてしまった・・・。

2013年6月27日木曜日

キタキツネ

北海道のキタキツネの観察者であり写真家として知られる竹田津実獣医師がいる。キタキツネが話題になり、写真でこまかく生態が知られたのも同氏のおかげだ。(花のそばで、首を傾げるキタキツネの子どもの可愛い写真にはまったものだ・・・どうやら、次に記す雑誌の表紙写真だったようだ)

昔、平凡社から出版された「アニマ」という雑誌があった。良心的な出版社らしく、雑誌「太陽」につながるエコの風情も加味した動物専門誌で、何度か購読した記憶がある。その別冊として「季刊アニマ」が登場して、いわば雑誌「アニマ」のムック版にあたるもので、狐好きのわたしは、今も「狐」をとりあげた「季刊アニマ」を手元に残している。それは、1975年冬季発行のものだ。

その中に、「キタキツネと農民と私」(竹田津実)の文があり、狐に対する恐れが伝染していく体験が書かれていた。「キツネが農夫をからかっている」という電話に呼ばれ駆けつけると、巣穴を壊され中にいた子キツネの命を奪った農夫の家に母キツネが、何度追い払っても近づいてくるというのだ。物を投げても動じない、じりじりと迫る母キツネの執拗さに、「得体の知れない恐怖」を竹田津獣医までが感じ怖気づきそうになる。

実は、死んだ子キツネを農夫が馬小屋に放り込んだことを嗅ぎ取り、母キツネが取り戻そうとしたのだ。狐に対する言い伝えや、巣穴の破壊行為、子キツネ殺しが重なり、その場に居合わせた人たちの心を揺さぶって、泣き出す老婆、焼酎をあおる農夫とさまざまな反応が起こったという。
原因が分かったとしても、この経験は不思議な心的な共有を通じて言葉に残されることになる。

わたしたちは伝承の虜である。今もその輪から逃れることはできない。狐に対する恐怖や畏怖はある意味深層に達し、わたしたちの自然観であると同時に、固有の価値観を見せてくれる貴重な民俗資料でもあるようだ。

2013年6月26日水曜日

結晶洞窟のこと

何気なくテレビのチャンネルを回していたら(古い表現だねえ)、NHKで以前放送されたもので、プレミアムアーカイブスの「ハイビジョン特集 驚異の結晶洞窟」に行きあたった。

鉛、亜鉛を採掘するメキシコのナイカ鉱山の洞窟で偶然発見された、まるで人間がミニチュア世界に置かれたような錯覚をする巨大結晶群を見ることができる。洞窟ドキュメントが大好きなNHKは、この巨大結晶について、これまで何度か取り扱っているが、ここではその成因などについて興味ある話題を提供している。

・鉱山採掘のため、地下水を排出したことにより洞窟が発見された。
・石膏の巨大結晶中に存在する水の中の空包を基に、結晶が50℃代でできたと推定される。
・巨大結晶の折れた部分が再結晶化する速度から、結晶の起源を50万年前と推定される。
・そもそも洞窟は、硫化水素を食性とするバクテリアが排出した硫酸で侵食拡大したと推定される。

最後のバクテリの存在の例証として、同じくメキシコのヴィラ・ルース洞窟が紹介されたが、あの美しい硫黄結晶の空間が見られなかったのは残念。わたし的には、硫黄結晶が好きなんですが・・・ナイカの石膏結晶は余りに巨大過ぎて想像を超えてしまう。まさに、上記番組が主軸にした、ジュール・ヴェルヌの「地底探検」の世界だ。

(本ブログ関連:"結晶洞窟")

2013年6月25日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 神仙(仙人)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/19)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第11回として、このシリーズでは珍しい(イ・ソンヒ(李仙姫)の「仙」の字につながる)、「神仙(仙人」について紹介された。

(本ブログ関連:"李仙姫の名前")

まず仙人即ち神仙について次のように始まった。
・東洋には不老長寿の考えがあり、俗世を離れ、精神を磨き、境地に至る生き方が信じられた。韓国ではそれを手にした仙人を「神仙(신선)」と呼び、神仙の境地の歌や絵が数多く残っている。仙人を歌った「辞説頭学時調(サソルジルムシジョ、사설지름시조)」は、旋律が緻密の意の「サソル」、最初を高い声で叫ぶ意の「ジルム」が合わさっている。

▼辞説頭学時調の「鶴に乗って横笛を吹く(학타고 저불고)」を聴く。長いトーンが空を滑空する鶴のように響く。

仙人の役割について次のように解説した。
・紀元前5世紀に遡る中国に仙人の関心があり、半人半獣の姿で、理想郷(蓬莱など)に住む不死の超人と言われた。中国初代皇帝始皇帝は、仙人の話しを知って不老不死を得るため仙薬を捜した。当時、仙人になるには一定の素質があり、仙人の住む山に入って祭祀(제사 )をせねばならないと信じられた。数百年が流れ仙人は人間に近づき、人も特別な修行で仙人になれると信じられ、様々な術も語られた。
西洋錬金術が科学を発展させたように、仙人の道も人間の体と自然の調和をはかった。昔の仙人の絵に(日本のとよく似た)「笙簧(センファン:생황)」を演奏する姿がある。

▼笙簧、短箫に牙筝を加えた「水龍吟(수룡음)」を聴く。楽器の織り合い続く音がまるで水流のよう。

有名な仙人の姿について次のように紹介された。
・朝鮮時代の画家金弘道김홍도)は、仙人の絵を多数残した。その中に、仙人が大きな松の木の下に座って笙を吹く「松下吹笙図(송하취생도)」がある。仙人は笙簧、笛、琵琶などの楽器を好み、鶴に乗って空を飛び回ったという。
仙人の長寿の秘訣は不老草や西王母の桃などを食べることだ。西王母の桃を盗んで食べた仙人東方朔は18万年の命を授かることになった。人々の寿命を司る仙人南極老人、男女の縁を司る仙人月下老人などが広く知られている。
また、韓国では、民族起源の檀君や新羅時代の学者崔致遠최치원も仙人になったといわれる。

▼The 林グループによる「天の川を見ていた日(은하수를 보던 날)」を聴く。・・・今様である。

岸さんの締めの言葉、「不老長寿を願うことは叶わぬことですが、仙人のように、人生を楽しむ余裕を持ちながら生活することはできそうですね」の通り、エンジョイできるもの探していますよ。

2013年6月24日月曜日

イ・ソンヒの「狐の嫁入り」

価値観や習俗さらには民俗(民族)など越えるとき、その境界に曖昧模糊としたバッファー(空隙)が生じてやがて揺らぎ始める。それは不安であり、希望でもあり、結婚する女性の心理に特に通じるのかもしれない。
明るい陽射しに浮かぶ期待、暗雲に漂う当惑という対比の中で、高揚した感情が解かれるとき涙に変わり、「狐の嫁入り」の雨が降る。けれど雨はやすやすとは癒してくれない。

SBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」の純真な主人公ミホのように、イ・ソンヒの清澄な歌「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)を久し振りに聴いてみよう。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り")



(Youtubeに登録のJunJunTeam1に感謝)

2013年6月23日日曜日

子安千代稲荷像

天気も悪くない、小金井公園にふらりと散歩する。同園併設の「江戸東京たてもの園」では現在、「大奥女中とゆかりの寺院」展が開催されている。たてもの園の会員でもあり、興味も湧いて少し覗いてみようかと入館した。

子安千代稲荷像(遠壽院)
奥女中を通じて、徳川家から縁ある寺院へ、いろいろと資金援助されていることを示す古文書が多数展示されている。もちろん活字解説付きを見てのことだが、そのなかになぜか稲荷の文字が散見され気になった。

展示物に「子安千代稲荷像」があり、「稲荷」の名にひかれて鑑賞する。なまめかしく体をよじらせて横たわる狐の上に、この稲荷像が立っているわけだが、左手に幼児を抱き、右手に宝珠(玉)のようなものを持っている。頭に豪華な飾りがあって、これは何の像かと関心が深まる。

像の名の「子安」から、安産に関連するのだろうか。いずこ、いずれの世にも共感するものだ。ふくよかで穏やかな姿に安らぐ思いがする。
また「千代」*については、この像がはじめ何処にあったのかを考えれば、江戸城との関連について解説を目にすることができる。
しかし、なぜ「稲荷」なのかわからないけれど、ネット上に「子安稲荷神社」**もあるので、特別なものでなく、庶民にもいき渡ったものなのだろう。稲荷には神道系、仏教系ともにあるが、寺院におかれていることから、仏教系のものだ。もしかして、菩薩の姿なのだろうか。

(*)「千代」について、次の二つの解説から知られる。
① 上記展示に、「江戸城紅葉山に安置されていたものを、幕府瓦解後各地の寺院へ奥女中たちが避難させたと伝えられる仏像の一つ」とある。
② この像を、現在蔵している遠壽院の解説に、「江戸城内の大奥に祭られ、最後の老女・瀧山が給仕役を務めたもので、維新後当院に祭られた。江戸城を千代田城ともいったことからこの名がつけられている。遠壽院では、代々、将軍家の祈祷を行っており、その祈祷が大奥で行われたことのゆかりを示す。」とある。

(**)池袋シティガイドの「稲荷神社(子安稲荷神社)」などの紹介。

(本ブログ関連:"稲荷"、"九尾狐"、"狐の嫁入り")

2013年6月22日土曜日

ライアテア・ヘルム

ようやくの顔をのぞかせた太陽に誘われて、午前中、親類を訪ねる。からりとした空気はいいものだ。ずっとこの天気が続けばいいのになんて、農家の方には恐縮なことを思ったりする。

親類に、鉱物採集の石仲間からいただいた、イ・ソンヒの写真つきTシャツを話題にする。彼女の写真を携帯の待ち受けにしていて、それを見せると、綺麗なひとだ、清潔な感じがすると、イ・ソンヒのファンとして大変満足な感想をいただく。

午後には、そのTシャツ現物を持って、韓国語教室の生徒仲間に見せる。これまた納得いく反響をいただく。しかも、生徒それぞれ好みの(今様のK-POP)歌手がいて、そちらの写真つきTシャツが欲しいなどと勝手な?要望までいわれる。Tシャツが大変好評な証なんだよ。

ところで、石仲間との会話で、鉱物の他に関心があるという(イタリアン・ポップス以外に)ハワイアンについても聞く。ハワイアン、う~ん、でも夏なもんで?・・・ということで、ライアテア・ヘルム(Reiatea Helm )が勧められた。初めて知った歌手をYoutubeで初めて探す。

彼女の「LEI KUI」を聴く。レイの花を糸で繋ぐことをいっているのでしょうか。(ハワイ語を紹介しているブログ「'A'ole Pilikia」に感謝)
優しく澄んだ高音、しかも穏やかに。ハワイの風にレイの花が香る・・・なんて想像してしまう。ウクレレでなくギターの伴奏に合わせて歌うのは、新参者にはちょっと新鮮である。



(Youtubeに登録のgraziemillioneに感謝)

2013年6月21日金曜日

夏至2013

「夏至」だというのに今日の空模様はかんばしくない。一日中ぽつり雨が続いた。梅雨前線と台風4号による降雨は、西日本に大きな被害を及ぼしたようだ。台風4号は、熱帯性低気圧に変わったものの、思った以上に影響は大きい。雨は今晩深夜まで降るという。

(本ブログ関連:"夏至")

この雨の中、机上鉱物採集でお世話になっている石仲間と昼飯談話をした。何と、舞台衣装の作者でもある石仲間から、イ・ソンヒの写真をプリントしたTシャツをいただいたのだ。

さて、その写真とは、2011年5月に開かれた彼女のコンサート「五月の陽射し(오월의 햇살)」のポスターに使われたものだ。インターネットから探し出してくれたようだ。左に、(コンサート案内などの文字は無いが)同じ写真*を載せる。彼女の美しさを見事にとらえた写真である。

(*)写真:ブログ「拾い入れた宝物倉庫(주워담은 보물창고)」より。感謝。

(本ブログ関連:"ソウル2日目:2011イ・ソンヒ コンサート")

果たして、この大切なTシャツを着ることができるのか・・・大事なお宝だ、飾っておこう。

2013年6月20日木曜日

梅雨前線

今年の梅雨入りは「平年より10日、昨年より11日早い」との発表にもかかわらず、当初空梅雨の傾向が見られたが、ここ数日の雨で心配はすっかり打ち消された。本来なら農家への恵みの雨と喜ぶべきところ、この雨、まだ数日続くという。わがままを承知でいえば、街の人間はそろそろ飽いてくる・・・なんてわがままなことか。

天気予報で、梅雨前線の根元が遠くインド洋にあるという解説を聞いてビックリ。前線はいつまで居続けるのやら。そのうえ、台風4号までもが南から接近、この停滞前線に沿って東に転進して、また雨を降らすという。でも、これが普通の梅雨時期の天候なんでしょうね。

いつまでたっても、季節の変化になじめませんね。雨には晴れを、晴れには湿り気を、暑さには涼しさを、寒さには暖かさを・・・そういっているうちに、なじむではなく慣れていくようです。
ただし、除湿機はつけっ放しですけどね。

2013年6月19日水曜日

イ・ソンヒ「草原」

イ・ソンヒのやさしく透き通る高い声は心にしみわたり、あるときはその力強い声に元気を与えられる。彼女の持つ健康さと清潔さは、今もアーティストとして大事なひとつの側面である。彼女に多くのファンがつながっている理由でもある。ファンサイトを見ればわかることで、そこに飾られている写真の選定から、ファン心理を読み解くことができる・・・かもしれない。

彼女は、様々な音楽スタイルを試行して現在、東洋回帰的な安定が見られるが、ファンとしては他方で、彼女の初期の持ち味も大切にしたい。彼女のアルバム8集(1992年)に収められた「草原(초원)」(キム・ヨンドン作詞・作曲)は、自然派志向の作者の原曲であるが、まるで童謡のような色彩を感じる。青空を流れる白い雲、見上げる草原の二人・・・ああやっぱり、こんな感じがいいな・・・でもやがて雲が夕立になるというのは、どういうことなのか気になるけれど。

(本ブログ関連:"童謡")



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2013年6月18日火曜日

土砂降り

よい天気で蒸し暑い。そんな中、隣り町、隣り駅にある駅ビルのレストランで昼食をとる。その後、のんびり駅前の図書館で時を過ごした。しばらくして外を眺めれば、路面に雨滴が跳ね返る土砂降りだ。ガラス窓越しなので、叩きつける雨音が聞こえてこない。時間を止めて眼をこらすと、図書館前の広場に雨がまるで円錐のガラスの造形のように現れては消える。不思議な光景に釘付けになる。

待つこと一時間ばかり。やがて雨脚は落ち着き、ようやく帰宅することができた。雨不足の空梅雨の話しもあったが、これから数日間雨がつづくという。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 端午の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/12)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第10回として、「端午(단오)の日」について紹介された。

まず、陰陽と端午の日について次の説明から始まった。
・東洋では(古代中国から)、万物が「陰陽」の気の調和で成立し、変化すると信じられた。陰は影、陽は光の意があり、女・男、臣下・王、偶数・奇数などの関係に当てる。
・特に、同じ奇数(陽)が並ぶ月日は意味を持ち(日本では節句)、(以下旧暦)1月1日を正月の「ソルラル(설날)」、3月3日を春の始まる「三巳日(サムジッナル、삼짇날)」、5月5日を夏の始まる端午の日の「戌衣日(スリッナル、수릿날)」という。
・スリッナルのスリには「神」と「高い」の意があり、偉大なる神の太陽神を意味する。燃える陽の夏がきて、農作物がすくすく育つ希望が込められる。今年の端午の日は、6月13日(旧暦5月5日)である。

▼東海岸巫俗(シャーマニズム)音楽の中から「プノリ(푸너리)」を聴く。同じリズムを繰り返して、次第に高揚感を高めていく・・・初源の響きがして。

端午の日の行事について次のような紹介があった。
・この時期、農家は田植えをある程度終え、端午の日に豊作を祈願して様々な行事で一日を過ごす。
・各地に固有の風習が伝承されていて、江原道江陵の「江陵端午祭(강릉단오제)」が最も有名だ。端午の一月ほど前から、神に奉げる神酒を醸し準備を始める。江陵の関門の大関嶺を司る山の神と、村の守護神の城隍神(성황신)に儒教式「祭祀(제사)」を奉げる。端午の日には次の行事も行われる。
- シャーマンの「巫堂(ムーダン、무당)」による、住民の安寧と豊穣を祈願する祭儀「クッ(굿)」が行われる。
- 普段手荒く扱われた役所の奴婢による官奴仮面劇が行われる。仮面劇(タルチュム、탈춤)は、江陵以外にも、殷栗タルチュム、鳳山タルチュム、康翎タルチュム、京畿道の山台劇(サンデノリ)などがある。仮面劇のほとんどは、両班を嘲笑、風刺する内容で、この日だけは両班も見て見ぬふりをしたという。

▼鳳山地域で端午の日に歌われた「トンドルナリ、ラリラドントルリピリ」を聴く。なんとも親和力のある旋律が繰り返され・・・誘われて、口ずさんでしまう。いいなあ。

・さらに、男はシルム(相撲に例えられる)や力自慢などで、女は川に下りて菖蒲湯で髪を洗ったり、村のブランコ(クネ、그네)で遊び楽しんだ。
パンソリの春香歌に、端午の日の様子があり、クネで遊ぶ春香を両班の息子李夢龍が見初めるシーンがある。

▼「春香歌」の中から「春香がブランコに乗る題目」を聴く。・・・初恋ねえ。

岸さんの締めの言葉、「端午の時期は、初々しい初恋の始まりにぴったりの、この上なくよい季節だといえるかもしれませんね」・・・なるほどなるほど。

2013年6月17日月曜日

紫陽花

夕方の明るさに誘われて、小金井公園に散歩に行く。6時過ぎ、さすがに人影がまばらなこと、圧倒的な静けさに夕暮れが近いことを感じる。

太い雲が数本浮かんでいる空を高く、豆粒のような飛行機がゆるり浮かんでいる。かすかな風音に遠くから響く爆音が混じる。しっとり滲み始めた草色の広場を囲む木立が、夕陽の影に溶け込み深緑になっていく。

公園に紫陽花を探した。梅雨どきの公園は人気がないからだろうか意外に少ない。そんな中、「江戸東京たてもの園」との仕切りの鉄柵の隙間から、色合いの美しい紫陽花が顔をのぞかせる。本来の青紫色、青味がかった桃色、そして白い色など多彩だ。

日が暮れて、紫陽花の艶やかさを眺めるのが難しくなってきた。そろそろ帰宅せねばならない。

2013年6月16日日曜日

ニコライ・レーリッヒ

今朝のテレビで、作曲家、指揮者、研究者、演奏家が円座して、ストラビンスキーИ́горь Фёдорович Страви́нский、1882年6月17日~1971年4月6日)の「春の祭典」についてわかりやすく紹介する番組(「題名のない音楽会」)があった。バレエ音楽のこの作品は、民族音楽からロックに至るまで裾野は広く、かつ現代音楽に影響を及ぼしたと評価されていた。
11拍子の解説では、そのリズムの採り方で演奏の仕方が変わると話されていたが・・・そうなんですかとうなづくばかり。指揮者のスタイルまで映像で見られて・・・分からないままだが音楽家たちの世界を覗かせていただいた。

「春の祭典」の舞台にかかわった人々の中に、ニコライ・レーリッヒНиколай Константинович Рёрих1874年10月9日~1947年12月13日)という美術家がいたとの話しから、初めて宇宙飛行(1961年4月12日)したガガーリンЮрий Алексеевич Гагарин、1934年3月9日~1968年3月27日)の言葉が紹介された。
ガガーリンの「地球は青かった」という有名な言葉の後に、「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」と続くというのだ。

ガガーリンの地球周回中の言葉と伝えられている「地球は青かった」は、実際はもっと具体的な描写だったようで、それほどロマンチックなものではないが。上記の「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」とは、いつ語ったのだろうかと、R-Wikipediaを見れば次のような補足(トリビア)があった。
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1961年4月12日、宇宙へ最初の飛行中、宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンは、彼の日誌に書いた
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ちなみに、その内容は、 ガガーリン著「宇宙への道」(江川卓訳、新潮社、1961年)に、「やがて地球の大気をとおして太陽の光線がもれてきた。地平線上が明るいオレンジ色に輝きはじめた。空色、青色、すみれ色、黒と移りかわる七色の虹のかぎろい。とても言葉にはつくせない色の諧調! まるでニコライ・レーリヒの絵を見るようだ!」と書かれているそうだ。(「沼野恭子研究室」感謝)

ニコライ・レーリッヒの名はいかにもドイツ風で、その名を初めて聞いた子どものころといえばインディジョーズ風の冒険話しが大好きだったので、神秘主義の危ない世界から彼の名前を知った記憶がある。(ニコライ・レーリッヒはドイツ系ロシア人で、ニコライ・リョーリフの名が正式だろう)

ところで、ニコライ・レーリッヒの美術館(Nicholas Roerich Museum)がニューヨークにあって、彼の年代別作品をネット上で見ることができる。なるほど青色の美しい世界だ。青色はヒマヤラの峰を突き抜けて宇宙につながる。

さて最後に、「楽しい鉱物学」(堀秀道著)に記されているように、シルクロードは絹を運んだ路であるが、ラピスラズリの石の深い青色を見れば、それを求めずにはおられない、ラピスラズリの路でもあったという説明に納得する。ラピスラズリには宇宙の青色がある。

2013年6月15日土曜日

イ・ソンヒの「小さな恋歌(ソナタ)」 (再)

イ・ソンヒが清しく歌う、しかもめずらしいハーモニーまで聞ける、8集所収の「小さな恋歌(ソナタ)」(작은 연가、作詞ハン・チョンウォン、作曲キム・ヨンドン、1992年)は、タイトルの通り、幼い少女の恋歌のようで・・・森の葉擦れが、野花を揺らすそよ風が、川堤のせせらぎが、そっと聞こえてくる・・・そんな舞台で歌うようで。いやいや、気恥ずかしいけれど、いい歌です。

(本ブログ関連:"小さな恋歌(ソナタ)")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝、お世話になります)

2013年6月14日金曜日

アジサイ

梅雨の「アジサイ」(アジサイ科アジサイ属)は、当たり前の花だ。子どものころから、何処へ行っても身近な花のため、特に知ろうともしない平凡な存在だった。
今でも、ご近所を巡ると、垣根越しにアジサイの青紫の様々なグラディエーションを持った花弁(実は萼【がく】)が覗かれる。もし見過ごしたとしても、気に留めないだろうな・・・だって雨が降れば必ず、何処からかその姿をぽっかりと浮ばせるのだから。

アジサイの漢字名は、色貴やかな色彩に合う「紫陽花」が代表的であるが、その色の変化(へんげ)から別名「八仙花」ともいう。韓国では「水菊(수국)」の名があてられているが、見るからに菊の姿をしている日本の「水菊(ミズギク)」とは異なる。

ところで、アジサイの花で有名な紫陽花寺の名月院が鎌倉にある。祖母が、わざわざ田舎から来て、能の「鉢の木」で知られる鎌倉幕府の第5代執権北条時頼の墓へ参ったのがおよそ40年ほど前のことだろうか。当時も紫陽花寺として知られた名所であった。ところで、名月院の紫陽花が、昔からのものでないことを祖母から聞かされた記憶がある。

紫陽花を名所にするものが各地にあるが、名月院は、わたしの知る限り初期のような気がする。当たり前の花から、愛でる花に変わったように、時代がゆとりを持ち始めていたのだろう。

五、六年前のこと、この時期に同寺を訪れたことがある。紫陽花の名の穏やかな響きに魅かれてか、多くの観光客が訪れて列をなしていた思い出がある。

2013年6月13日木曜日

(資料)童謡「狐の嫁入り」

今日もお天道様は冴えなかった。天候と縁のある「狐の嫁入り」をネットで探していたら、日本の童謡に「狐の嫁入り」(歌永岡志津子、作詞泉漾太郎、作曲平岡均之、日本ポリドール管弦楽団、レコード3685-B)がYoutubeに登録されていた。
歌詞画面もあって、天気のよいのに雨降りの中を進む狐の嫁入り行列を、SP時代(年代不詳)の古い歌で味わうことができる。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り")

作詞の泉漾太郎(1908年1月5日~1996年10月23日*)は栃木の出身とのこと。野口雨情を師として仰いだという、那須塩原にある旅館和泉屋の当主だった田代太平(筆名泉漾太郎)**のことのようだ。
同じ那須の湯本付近に殺生石になって残った九尾狐の伝説があるが、泉漾太郎は九尾狐の伝説をもとに歴史小説「新版 花妖殺生石 九尾の狐後日譚」を著したようだ。どんな内容なのだろう・・・。

(*) d-score
(**) 和泉屋旅館ギャラリー

(Youtubeに登録のnack500に感謝)

2013年6月12日水曜日

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年8月15日~)の「(邦題)アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser:踊りに行く一番の美人)」(1964年)は、イ・ソンヒが生まれた年に登場した。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

この題名について、邦題と原題の関係は、映画タイトルと収録曲の関係だ・・・そうで。今から恋に出かける間際、自分に釘付けにして見せるわと夢が膨らむ少女の想い・・・可愛いいね。

彼女の印象は、当時ラジオから得たものでしかないから、なにしろ若い女の子のEPレコードを買うなんて照れる年代だったので、彼女の容姿をしっかり見つめた記憶はないけれど、遠目にちらりと見やって、聞こえぬよう心の中で可愛いなと思ってたりして・・・。

そんな、シルヴィ・ヴァルタンの目元があるときからちょっと変わったりして、それは少女が化粧して変わったのだろうと思っていたが。最初の印象が強くて、目尻がツンとした、どちらかといえばアジア的な香りがしていたけれど、清清しいパリジェンヌに変わりなかったよ。

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2013年6月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 霊山斎

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/5)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第9回として、仏教儀式のひとつである「霊山斎(ヨンサンジェ、영산재)」について紹介された。今回は、待望の「霊山斎」だ!

(本ブログ関連:"霊山斎")

まず行事としての霊山斎について次の紹介から始まった。
・「6・25」と呼ぶ「朝鮮戦争」(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)の厳しい困難を乗り越えて今があるのは、命をささげた人々のためとして、6月6日を記念日「顕忠日」としている。政府が記念式典を開き、国立墓地である顕忠院を参拝する。
・新村にある太古宗태고종)の本山奉元寺봉원사)は、伝統的仏教儀式のひとつである「霊山斎」を6月6日に行なう。霊山斎は、霊魂の冥福や極楽往生を祈願する儀式で、古く歴史を持ち、独特な音楽と踊りを持つ。2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録された。

▼霊山斎の音楽を現代風にアレンジした一曲「香を焚く」を聴く。・・・今様で、軽快で。

霊山斎での梵唄の来歴について次の解説があった。
・霊山斎の「梵唄(ボムペ、범패)」は、釈迦と歴代高僧の言葉を歌詞とするため、歌というよりは念仏に聞こえる。1500年余り前、インド仏教音楽がシルクロードを経由して中国、韓国に伝えられた。梵唄は、インド伝来の歌の意がある。
・当初、梵唄は特別な人々の間で伝承されたが、統一新羅時代、真鑑(진감)禅師(774年~850年)が唐に留学して新しい形の梵唄を学んだ結果、広く歌われようになった。
・梵唄は、専門的に学んだ僧侶だけが歌えるもので、歌詞を長く伸ばすのが特徴。例えば、霊魂を明るい道へ引導し、「引路王菩薩(인로왕보살)」を呼び寄せるために「南無大聖  引路王菩薩(나무대성인로왕보살)」を歌うとき、この9文字の歌詞に一時間ほどかける。南無(나무)の二文字に15分くらいで、発音はもはや意味を成さず、「あぁ、えぇ」といい母音を長く伸ばす。これにメロディーと長短(リズム)を付けて長吟する。高度な集中力が必要なため、梵唄を歌う僧侶は、歌うこと自体ひとつの修練と考える。

▼「南無大聖 引路王菩薩」の中から一部を聴く。聞くというよりは、ことばの響きやうねりを自己に同一化することなのだろうか。

霊山斎での舞について次の紹介があった。
・仏教儀式の舞踊は「法鼓(법고)」と呼ばれ、4つの代表的踊りがある。
- 小さな太鼓をたたきながら踊る「法鼓舞」
- インド伝来の楽器の鈸羅(バラ)を持って踊る「鈸羅舞」
- 蝶のようにひらひら揺れる美しい服を着て踊る「胡蝶舞」
- 悟りを開くための道を示す「打柱舞」
霊山斎は本来、亡くなった人の冥福を祈るための儀式だが、それ以外にも、この世に彷徨う霊魂を始め、儀式の場に集まったすべての人々、そして動物や虫たちに至るまで、釈迦の言葉を聞いて悟りを開かせるという大きな意味を持つ。幼虫が殻を脱ぎ捨て蝶となるように、苦悩から抜け出し、解脱の境地に至るようにという、釈迦の慈悲そのものという。

▼霊山斎で踊られる鈸羅舞の際に演奏される「千手鈸羅(천수바라)」を聴く。

(参考)奉元寺の霊山斎での千手鈸羅


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2013年6月10日月曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒが抑制してしっとり歌う、12集所収の「離別小曲(이별소곡)」(2001年、作詞クォン・ジンヨン、作曲イ・ソンヒ)に描かれる二人は、どのような経緯で離別したのだろうか。そして、主人公が想い浮かべる相手はどうしてしまったというのか。最後のフレーズ、「あなたのそばにきます」とは、一体何を意味しているのだろう。

離別という過去を記憶に秘すことができず、回想が次の想いに進むようで・・・心配するよ。

ところで、この歌の作詞・作曲の二人は、イ・スンギのアルバム(Shadow、2009年)の共同プロデューサーでもあるそうだ。

(本ブログ関連:"離別小曲")



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2013年6月9日日曜日

(資料)天気雨の民俗名

先日、太陽につながる映画「ひまわり」やイ・ソンヒの歌「キツネの嫁入り(天気雨)」について触れたが、「Sunshower(天気雨)」をE-Wikipediaで眺めてみれば、世界の民俗がこの言葉に付けたものに、なぜか動物の「結婚式」(一部に出産など)のイメージが多いのに気付く。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り"、"(資料) 韓国テレビドラマの九尾狐")
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・南アフリカ(英語):「猿の結婚式」、(ズールー語):「サルの結婚式」、(アフリカーンス語):「ジャッカルの結婚式」、あるいは、「雨降りに太陽がかすかに輝くときジャッカルは狼の妻と結婚する」
・(ヒンディー語):「狐の結婚式」
・(コンカニ語)「猿の結婚式」
・(シンハラ語)「狐の結婚式」
・(ベンガル語)「狐の結婚式」
・ブラジル:「雨と太陽、カタツムリの結婚式」、「太陽と雨、寡婦の結婚」、または「狐の結婚式」
・韓国:「雄虎が狐と結婚する」
・日本:「狐の結婚式」(狐の結婚式が開かれる)
・スウェーデン:「vitterväder」
・モロッコ:「狼の結婚式」
・エリトリア:「ハイエナが出産している」
・(様々なアフリカの言語):「ヒョウが結婚している」
・ケニアで:「ハイエナが結婚している」
・ブルガリア:「熊の結婚」
・タミル(ナードゥ州、南インド):「狐とカラス/カラスが結婚する」
・イラン北部(Mazandarani語):「ジャッカルの結婚式」
・英国の一部:「猿の誕生日」
・(パシュトー語):「ジャッカルの結婚式」
・パキスタン(パンジャブ語):「片目のジャッカルの結婚式」
・フィリピン:「Tikbalang(山や森林に棲む馬頭の怪物)の結婚式」
・ハワイ:「ゴースト・レイン」
・エルサルバドル:「鹿が出産している」
・バングラデシュ:「狐が結婚する」
・フランス:「オオカミの結婚式」
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2013年6月8日土曜日

御栗林

当地は江戸時代に、新田開発された、南に野川を臨む武蔵野の丘陵地のため、水田のような水利に恵まれず、農産物として主に陸稲や麦などが生産された。他にも栗の林が造られ、当時の徳川幕府に献上されたという。その意味で、歴史的に栗の産地であり、今なお生産されているが名産地として知られていないようだ。

現在、近所のそこかしこに栗林が未だあって、その管理状況を見ると、個々生産者の性格が感じられておもしろい。小学校近くの栗林は、とても管理が行き届いて、見ていてすがすがしい。あるとき、高齢の方が作業しているのを見かけたことがあるが、厳とした気風を遠くから感じた気がした。今日も見事に花を咲かせている。

ところで、小学校の門の前に史跡「御栗林跡」の掲示板が置かれていて、栗林の来歴を次のように記している。(要約)
・武蔵野新田世話役として活躍した川崎平衛門定孝は、元文年間(一七三六~一七四一)、十町二反歩(約十万二千平方メートル)に及ぶ「御栗林」を造り、武蔵野新田十か所に管理を任せた。
・精選した二千粒を幕府に献上し、残りを食料として「十ヶ新田」の他、付近の三十四の新田に配った。
・御栗林は、嘉永五年(一八五二)に大規模な補修が行なわれ、明治初年まで続いた。現在、地元の公園や通りにその名を残している。

(余談)
江戸の農家に生まれた二男、三男は養子になるか、家付きのままに終わるか、それとも水はけのよくない新田開発にチャレンジするか・・・そうして武蔵野新田が生まれた。

2013年6月7日金曜日

(資料) 韓国テレビドラマの九尾狐

イ・ソンヒが、愛弟子イ・スンギの主演したSBSのテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」で、テーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌って以来、狐に関する故事(九尾狐、稲荷など)に関心を持ってきた。古今東西を問わず人間との関わりの多い狐は、米作の豊穣につながる神仏(宗教)性と、本来の肉食という2つの側面を持つ興味深い動物である。
東亜日報の記事「ドラマの中の『九尾狐』、40年間のキャラクター変遷の歴史」(6/7)は、テレビドラマの中で異種としての怪物、弱者、友人など変遷する九尾狐について、次のように紹介している。(최고야記者:best@donga.com )

(本ブログ関連:”九尾狐”)
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●怪物で少数者で…今は友人

《狐は古くからずる賢くて狡猾な動物に通じた。口碑文学に伝わる130編余の狐の説話で、狐は忍術)を使い、人間を脅かす存在として描かれる。多くの狐は、人間界に降りて人のふりをして発覚し、殺されたり、追い出される悲運をむかえる。数多くのキツネの説話中、九尾狐の話が特に注目される理由は、尾が九つ付いたキツネが美しい女性に変身して人間の肝(きも)を貪るという劇的な設定のためだ。1970年代から九尾狐の説話をモチーフにしたドラマが作られ続けている理由だ。40年以上の歳月を経て、変化している禁断のキャラクターを概観する。》

●2000年代以前 敵対的な九尾狐

1970年代から1990年代までは"人食い"の九尾狐が登場する時期だった。この時期の九尾狐は、KBSのテレビドラマ「伝説の故郷」などの恐怖物にのみ存在した。九尾狐が人間になるためには、100日間(長くは10年間)、人間と一緒に暮らしたり、人間の肝100個を食べなければならないというふうに設定されていた。

しかし、九尾狐がなぜ、人間になりたがるのかははっきりしていなかった。九尾狐が人間に生まれ変わることに成功し、幸せに暮らしたというストーリーなどない。大半は人間に殺されたり、森の中に永遠に隠れて暮らすために去るという悲劇的な結末で終わった。

人間との敵対性も激しい。九尾狐をよこしまな物とみなし、取り立てた理由も無く殺そうとする狩人が登場したり、人間に子供を殺された九尾狐が、怖い復讐の化身となり、人間の世界を脅かす。たとえ、人間を信じる"やさしい九尾狐"といえども、人間の裏切りによって信頼はまもなく憤りに変わる。短くは100日から、長くは10年間、人間になるための九尾狐の努力を、人間が一夜にして踏みにじるからだ。

●2000年代は、韓国社会のマイノリティー

21世紀初頭、ドラマの中の九尾狐は強力な怪物から、異種の少数者へと変わる過渡期を迎える。この時期の九尾狐は、人間社会に共存するが、一緒に馴染められず、時には弾圧を受ける弱者として現れる。かつて、九尾狐の恐怖物の根幹を成していた"人間対九尾狐"という善悪構図から脱し、共存するものの、受け入れたくない"嫌われる存在"と認識される時期だ。同様に、この時期もハッピーエンドはない。

このようなパターンは、1999年夏以降制作が中止となったが、2008年に復活した「伝説の故郷」で、はっきりと現れている。2008~2009年に制作された「伝説の故郷-九尾狐の巻」には、人間によって一方的に殺される九尾狐が出てくる。人間らは、富貴栄華をもたらす狐の玉を手にしたり、家門の秘密を守るため、九尾狐を殺戮する。

”フュージョンの九尾狐”も登場した。2004年KBSのドラマ「九尾狐外伝」は、現代社会を生きる九尾狐族と、彼らを皆殺ししようとする「SCIS」という団体との対立を描いた。九尾狐族と人間との男女の愛を中心に扱ったが、人間の世界に暮らしている少数者として、九尾狐に焦点を当てた。

2000年代は、韓国社会で、外国人労働者や多文化家庭、トランスジェンダー、同性愛者など、社会的少数者への関心が急増した時期。九尾狐の変化も、時代的変化と無縁ではないというのが、専門家の主張だ。

●2010年に入っては、友人または能力者

フュージョンの九尾狐の延長線上で、2010年以降、かわいくて突拍子だったり、正義に燃える”人間よりもさらに人間らしい"尾狐のキャラクターが登場する。

2010年のSBSのドラマ「僕の彼女は九尾狐」の女優のシン・ミナは、突拍子で愛嬌たっぷりの彼女・九尾狐役に扮した。さらに、肉を買うためにはじめたバイトで、経済事情が悪化した彼氏を食べさせる生活力の強いかわいいキャラクターとして描かれている。九尾狐が人間になり、幸せな結末を迎えた唯一のドラマだ。

現在放送中のMBCのドラマ「九家の書(구가의 서)」でも、獣人の九尾狐の青年に扮したイ・スンギは、人間よりも人間らしい義理派だ。家族同然の付き合いをしてきた人たちを忘れることができず、彼らを守るため、命も惜しまない。膨大な怪力を、正義のために使ったりもする。

恐怖物からフュージョン劇へと変わる過程で表れる最大の特徴は、九尾狐が人間になりたがる理由がはっきりしていることだ。かつては、なりふり構わず人間になる道を選んだなら、最近の九尾狐は、愛する人間と一緒にいたいという強い欲望を抱いている。九尾狐はもはや、怪物やマイノリティーではなく、人間と共存する友人として認識されている。
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(付記)
ところで、”フュージョン”ドラマとは、いろいろな要素を併せ持った(時代性や価値観が自由な視点の)ドラマといったところだろう。

2013年6月6日木曜日

ブルーライト

パソコンのLEDモニター画面から発する光りに、ブルーライト(高エネルギー可視光線)の成分があって、眼精疲労につながるため、それをカットするメガネが販売されている。日頃、ブルーライトを気にしないでもなかったが、わざわざ購入するまでもない、・・・と思っていた。

近所の書店で、経済紙系の流行情報誌に、ブルーライト・カットのメガネが付録になっているのを見つけて、ものは試しと雑誌を購入して、PC作業で使ってみた。
PC画面全体に赤味がして、白地は白地らしく白さを増したように見える。メガネを外すと、画面が薄く青色に覆われたような気がする、・・・テレビ画面でも同様だ。

ところで、上記情報誌の出版元が併設するネット情報欄「トレンド・フォーカス」の記事「・・・タダでできる『ブルーライト除去法』があった!」に、モニター画面に青色を使わないようにすればよいという手頃な方法が紹介されている。が、50~60代になると、眼の水晶体が濁りだしているので、青色光が自然とカットされるので心配ないとのこと、・・・齢をとると、何もしなくてもブルーライト・カットの眼になるなんて。

PCでブルーライトを心配しなくてよくなった世代には、郷愁のブルーライトといえば横浜の明かりだろうさ、・・・Youtubeで探して聴いてみようか。

2013年6月5日水曜日

芒種2013

今日は、立春から数えて9番目に当たる、二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」である。

Wikipediaなど参考にするとると、この節気は「(のぎ 、稲や麦の小穂の先端にある棘(とげ)のような突起)を持つイネ科植物のをまく頃だが・・・現在の(苗床への)種まきは、これよりも早い。」とのこと。

いかにも象形文字らしい姿をした「芒」の文字の起源を知りたいものだ。というのも、他の文字の不安なイメージ(形、音)に重なってしまい、ちょっと気になるからだ。

さて、梅雨入りしたにもかかわらず、湿気があっても晴天とは、都市生活者にとってありがたいが、農業生産者には迷惑かもしれない。さっそく、水不足の心配がいわれたりしている。

2013年6月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 田植え歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/29)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第8回として「田植え」について紹介された。

まず労働謡について次の紹介から始まった。
・古人が共に農作業する際、息を合わせるため「労働謡(노동요)」を歌った。農業は天下の根本と考えられ、地域や季節により様々な農作業の歌が伝承された。うまい歌い手は、仕事ができる人同様に厚遇された。
・「朝鮮王朝実録」の(第7代国王)世祖세조、在位:1455年閏6月11日~1468年9月7日)の実録に、農作業の始まる春に江原道を巡幸し、襄陽(양양)で農作業歌の<のど自慢大会>を主催したという。最高の評価を得た歌い手、奴婢トングリ(동구리)には賞品として、服一着と楽士の資格が与えられ、王の駕籠に付き添うことまで許された。

▼江原道、襄陽の田植え歌「オランソリ(어랑소리)」を聴く。長閑な感じして、まるで田圃のなかで次々歌い手が引き継がれるよう。

次に田植えの共同作業について次のように説明した。
・米作には88の作業が必要といわれ、種籾選びから収穫に至るまで、農民はわが子のように農作物に接する。田植えは、一年の収穫を左右する重要な仕事で、まず種籾を狭所にぎっしり植えて育てた後、田に植替える。直接田に種籾を撒くよりも管理が楽で生産量もアップするからだ。
・以前農村に共同作業体「トゥレ(두레)」があった。人手を多数必要とする田植えの際、家ごとに順番を決め、村中共同で田植えを行なった。田植えをする家は、働きに来た人々のためご馳走を準備した。田植えの日は、村はお祭りのように盛り上がった。

▼京畿道 コヤンの田植え歌「ヨルソリ(열소리)」を聴く。こちらはリーダーの歌のもとに田植えする光景が浮かぶ・・・田圃の水面に青空が映る。

田植え歌のスピードについて次のような解説があった。
・労働謡は、一般的には長短が速く、テンポを速くして作業を速くする。一方、田植え歌は、田植えが明け方から日暮れに続くため、スピードを調節し、音を長く伸ばしたゆっくりなテンポのものが多い。

▼全羅南道 珍島の田植え歌「サンサソリ(상사소리)」を聴く。こちらは威勢がいいというか力強い・・・土地の神に願いを込めるように。

岸さんの言葉、息切れしない生活が大切という・・・本当にそうですね。

2013年6月3日月曜日

ひまわり

随分と以前、「戦争を知らない子供たち」(1970年、作詞北山修、作曲杉田二郎)という歌が流行った。当時の若者は、確かに戦争を知らないけれど、共通するのは、彼らの親の世代がいずれかの形であれ戦争を経験していたことだ。直接の思い出であろうとなかろうと、親は戦争の体験を問わず語りして、子供たちはその言葉を耳に残したと思う。もしかしたら日常のひょっとした瞬間に聞かされたかもしれない。

当時の若者は、直接知ることもない戦争の残渣をどこかに感じていた。それは消えることのない、ある意味、心の中に直接的な響きを持っていた。自分たちが、戦争という多くの犠牲の中を生き抜いた両親の子であることに気付かないはずはなかった。戦後に生まれたこと、その命が続くという自身の存在を、いずれは問わざるを得なかったのだ。

戦争を本当に知らない今の若い世代には、身内に戦争の鮮明な記憶を聞かされることは極めて少ないだろう。だから、「戦争を知らない子供たち」のような歌が生まれてくるはずもない。ある意味、必然性もないのだろう。

時に思うことがある。ひとは個人の経験の中でしか過去を語ることができない。どんなに時代のうねりが大きくても、経験はちっぽけな一つでしかない、今にいたる一つの糸でしかないことを思い知る。たとえ記憶の糸を紡ぎ合わせて時代を知ったとしても。

DVDで映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)を見た。「戦争を知らない子供たち」の視点を越えることはできないが、齢を重ねて気付き、響いてくるものを感じた気がする。時代に翻弄されても、懸命に生き、そして小さくてもよい、生きるしかないのだから。生きるために幸せを求めたことを咎めることはできない。時代が運命を切り裂いたとしも、生きる価値を見出さなくては、ひとは生き続けることができないのだから。

(本ブログ関連:”ひまわり(映画)”)

大地に咲くひまわりは、陽射しをうけて黄色の花を輝かせ、ゆったりと風の動きに身をまかせる。無限に広がる畑に咲き続けるひまわりは、命を咲かせ種を残す。


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2013年6月2日日曜日

二宮鉱山、吉見町

前回(3/24)、埼玉県東秩父村朝日根と寄居町五ノ坪の鉱物採集のときと同じメンバーで、今回も埼玉県下の児玉郡神川町二宮鉱山(ニッケル鉱物)と比企郡吉見町(沸石)に出かけた。

集合場所は何とJR東海道線戸塚駅だ。待ち合わせ時間をゆるくしていただいたおかげで、いつもよりも自宅を出る時刻を遅く家を出る。
ところで戸塚駅の改札口が、上下2層あるとは知らず戸惑ったところを救出され・・・無事に定刻に出発。

最初に到着した、神川町二宮鉱山近くにある金讃神社周辺は、リーダーが前回来たときと比べて宅地化、整地化が進み、採集場所がリース会社敷地になったようで、断念か・・・そうはいっても、石の臭いを嗅いで辺りを探すと、道路際にある同社駐車場背面のわずかな斜面に、蛇紋岩を砕いた形跡があった。少し探し廻ったが、マックギネス石!なんて見つけることもできなくて。
採集結果は次の通り。
・黄鉄鉱(微粒)、苦灰石(ただしいただきもの)

次に、比企郡吉見町ひばりヶ丘に転じる。こちらも宅地化が進んでいて・・・高い場所からそれらしい岩場が見えたが、情報通りに見つからない・・・幸い、畑地でトラクターを運転していた地元の方に教えていただき、あっけなく採集場所にたどり着く。
採集結果は次の通り。
・(灰)菱沸石、黄鉄鉱(微粒)

言い訳として、現地到着と帰りの時間を考慮して、両採集時間はあっという間だった。

2013年6月1日土曜日

リンゴの実に例えると

日々の時間の進みを直感的に理解するのに、リンゴの齧り具合で例えるのがよい。今日から6月、リンゴの芯を中心に縦に輪切りすると、すでに5月まで食ってしまったのだから、半分位いしか残っていないことが分かる。

スケジュール管理ツールなど別にすれば、月別カレンダーやスケジュール手帳などは、今しか見ていないので、済んだことも残っていることも直感的でない。どうやら、日常ズルズルと過ごして、時間を消費というよりも浪費してしまったことに気付く・・・無駄に過ごしたということか。

食ってしまったリンゴは何処へ行ったのだろう、少しはリンゴの気持ちを考えるべきだろう。

あのう別に、あちらのリンゴのことではないですよ。