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2013年6月16日日曜日

ニコライ・レーリッヒ

今朝のテレビで、作曲家、指揮者、研究者、演奏家が円座して、ストラビンスキーИ́горь Фёдорович Страви́нский、1882年6月17日~1971年4月6日)の「春の祭典」についてわかりやすく紹介する番組(「題名のない音楽会」)があった。バレエ音楽のこの作品は、民族音楽からロックに至るまで裾野は広く、かつ現代音楽に影響を及ぼしたと評価されていた。
11拍子の解説では、そのリズムの採り方で演奏の仕方が変わると話されていたが・・・そうなんですかとうなづくばかり。指揮者のスタイルまで映像で見られて・・・分からないままだが音楽家たちの世界を覗かせていただいた。

「春の祭典」の舞台にかかわった人々の中に、ニコライ・レーリッヒНиколай Константинович Рёрих1874年10月9日~1947年12月13日)という美術家がいたとの話しから、初めて宇宙飛行(1961年4月12日)したガガーリンЮрий Алексеевич Гагарин、1934年3月9日~1968年3月27日)の言葉が紹介された。
ガガーリンの「地球は青かった」という有名な言葉の後に、「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」と続くというのだ。

ガガーリンの地球周回中の言葉と伝えられている「地球は青かった」は、実際はもっと具体的な描写だったようで、それほどロマンチックなものではないが。上記の「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」とは、いつ語ったのだろうかと、R-Wikipediaを見れば次のような補足(トリビア)があった。
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1961年4月12日、宇宙へ最初の飛行中、宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンは、彼の日誌に書いた
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ちなみに、その内容は、 ガガーリン著「宇宙への道」(江川卓訳、新潮社、1961年)に、「やがて地球の大気をとおして太陽の光線がもれてきた。地平線上が明るいオレンジ色に輝きはじめた。空色、青色、すみれ色、黒と移りかわる七色の虹のかぎろい。とても言葉にはつくせない色の諧調! まるでニコライ・レーリヒの絵を見るようだ!」と書かれているそうだ。(「沼野恭子研究室」感謝)

ニコライ・レーリッヒの名はいかにもドイツ風で、その名を初めて聞いた子どものころといえばインディジョーズ風の冒険話しが大好きだったので、神秘主義の危ない世界から彼の名前を知った記憶がある。(ニコライ・レーリッヒはドイツ系ロシア人で、ニコライ・リョーリフの名が正式だろう)

ところで、ニコライ・レーリッヒの美術館(Nicholas Roerich Museum)がニューヨークにあって、彼の年代別作品をネット上で見ることができる。なるほど青色の美しい世界だ。青色はヒマヤラの峰を突き抜けて宇宙につながる。

さて最後に、「楽しい鉱物学」(堀秀道著)に記されているように、シルクロードは絹を運んだ路であるが、ラピスラズリの石の深い青色を見れば、それを求めずにはおられない、ラピスラズリの路でもあったという説明に納得する。ラピスラズリには宇宙の青色がある。