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2015年9月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕、餅、風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋夕(추석、旧暦8月15日)、餅(떡)、風流(풍류)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、節句や祭祀に、餅を食べた風習と喜びについて次のように紹介された。
・食べ物が十分でなかった昔、ことわざに「飯の上に餅」(飯の上に餅までのせてくれる)がある。良いものの上に、さらに良いものを添える意だ。日本の「錦上に花を添える」と同じようだ。餅は貴重な食べ物で、節句や祭祀に、すなわち秋夕にも用意した。精米場所(방앗간)に湯気が立つ。籠の中には、米が入り、作りたての餅を食べて幸せそうにしていた姿があった。

▼ 京畿民謡、穀物をつく臼(방아)の歌「臼打令(방아타령)」を聴く。どこか土俗的な精霊の響きを感じる。

次に、「三国史記」(1143年~1145年)記載の百結(백결、414年~?)の「臼打令」曲について次のように紹介された。
・餅に色々な種類がある。正月(설날)と盆には定番で、正月には、細長い餅(가래떡)を食べる。盆に当たる秋夕には、胡麻や栗などを入れた餅(송편)を食べる。「三国史記」に、餅をつく音を玄琴(コムンゴ거문고)で演奏した、百結先生の話がある。彼は玄琴が好きで、喜びや悲しみを全て玄琴で表現したという。ある日、節句を控え近所で臼をつく音が聞こえた。妻は、うちには穀物がないと心配したところ、先生は、生きることも死ぬことも、富貴もこの世で論じるものではない、悲しんではならない。君のために餅つきの音を演奏して慰めよういって、玄琴で演奏した「臼打令」曲は、今は失われたが、風流が残っている。

▼ 月に薄い雲がかかり光の輪が現れる「月暈(달무리)」の演奏を聴く。古皮袋に入れた新しい葡萄の酒のよう。今様である。

・三国史記に、百結先生の出身は記録されてないが、ある家譜によると、朴堤上(박제상)の息子、朴文良(박문량)と記録される。父朴堤上は新羅の人で、高句麗に捕まった王の弟を助けたという。

最後に、宮廷の機織りを競う行事について次のように紹介された。
・盆の秋夕にみなが集まり歌い踊る風習があった。これは、高句麗の第2代王の瑠璃は、宮廷の女性を二組に分け、機織りの競争をさせた。7月15日から一ヶ月間機織りをし、8月15日に勝敗を分けた。負けた方はご馳走を準備して勝った方をもてなし、音楽と踊りを楽しんだ。

▼ 演奏「風流都市(풍류도시)」を聴く。中国風の香りの物語的、今様の響きする。

・機織りを競った後、馳走と音楽、歌と踊りを楽しむことを「嘉俳(가배)」といった。これは、秋夕の別名でもある。

2015年9月29日火曜日

2度目の「怪しい彼女」

再び、映画「怪しい彼女수상한 그녀)」(2014年)を見た。1度目は昨年7月に都下の映画館で、2度目の今晩は四谷にある韓国文化院でだ。ともに大きなスクリーンなので、その分、感動も比例する。

(本ブログ関連:”映画「怪しい彼女」”)

この映画は、ハートウォーミングであり、コメディであり、ファンタジーだ。しかも涙腺を決壊させる。いつのまにか溜まった心の澱を浄化させてくれる、まことに爽快な映画でもある。

「ソウルミュージック・・・」、「えっ、ソウル?」、私も混乱する。

ところで、昔、話題の映画を何度見たかということが、芸能雑誌やラジオなどで語られた。記憶にあるのは、映画「ウェストサイドストーリー」を数十回見たというのだ。映画チケット代金を考えたら・・・。私にしてみれば、阿佐ヶ谷のすえた臭いのする古びた2番館で見ただけで、数を重ねる意欲は足りなかったが。

映画「怪しい彼女」は、不思議なことに、また見ようという気にさせてくれた。地下鉄駅までの帰り路、夜風が目元に涼しかった。

2015年9月28日月曜日

金木犀

そういえば、去年も同じ頃、金木犀(キンモクセイ)について記した。秋の落ち着きを感じさせる金木犀と、冬の寒さを和らげる沈丁花(ジンチョウゲ)の花は、季節の変化を香りで知らせる。

(本ブログ関連:”金木犀”、”沈丁花”)

子どものころ、実は、金木犀と沈丁花の香りは苦手だった。甘ったるくて濃い感じがした。それが歳とともに、季節感といった大きな感性で受容できるようになった。もしかしたら、嗅覚が鋭敏でなくなったからだろうか、なんて考えたりもする。

昼前、近くの公園を散策した。園内施設である建物園の入口両サイドに、金木犀の巨木が並んでいる。樹下を通るとき、甘い香りが漂うのを感じる。見上げると、オレンジ色の小さな花が咲き、飾っているのに気付く。

実は、もう一ヶ所、金木犀を楽しめる場所がある。公園への路に、金木犀が頭上まで、歩道を覆うように密集しているのだ。この歩道は、いずれ道路拡張工事のため取り除かれる運命にある。もしかしたら、この景観は今年で最後かもしれない。そう思うと、貴重な香りがしてくる。

(追記)
今夜の月は、いつもと比べて大きく見えるという「スーパームーン」だ。夜分、この目で確かめようと、近所の畑地まで出かけて空を見上げた。月は高く浮かんでいた。そうか・・・な、大きい・・・かな、ぶつぶついいながら佇んだ。乱視の目には、普段も「スーパームーン」だが。

2015年9月27日日曜日

十五夜 2015

旧暦八月十五日となる、この十五夜に昇る月を「中秋の名月」*という。帰宅路、雲の横たわるの東の空に、丸い月が、西の夕陽を受けて薄紅色に染まりながら顔を出していた。ところで今晩の月は、<満月>でなく、明夜に楽しめるという(それも、今年最大の「スーパームーン」になるそうだ)。

(* 今晩、地元公園で「お月見のつどい」が催されたが、昼間に、次の催事に出かけたので参加できなかった)

中秋の中日、日比谷公園で開催された「日韓交流おまつり 2015 in Tokyo」に、前の教室仲間たちとともに出かけた。薄曇りながら、雨が降ることなく、ときに晴れ間も広がり天候に恵まれた。会場は<昨年>と同じだが、人出は盛況だし、催事テントも増えたようだ。また、ステージとは別に、花壇広場で演じられた珍しい伝統綱渡りを見たりした。

大勢で出かけると、めいめいが売店で買った食べ物を持ち寄って昼食したり、休憩時にも菓子(ホットク)を食べたりといった祭り気分を味わえ満喫した。例によって例のごとく、(イ・ソンヒについて)ファン心理でいろいろしゃべった・・・しゃべり過ぎた。

(参考: 今年2015年、日韓民間交流関連「イベントカレンダー」・・・外務省の掲示より)

2015年9月26日土曜日

イ・ソンヒの童謡「秋の夜」

アルバム「イ・ソンヒ 愛唱童謡(이선희 애창동요)」に収録された2番目の曲、創作童謡「秋の夜(가을밤)」(1993年、作詞イ・テソン、作曲パク・テジュン)を耳にすると、母の帰りを待ちわびる子どもたちの不安と確信の切ない想いが浮んでくる。そんな秋に陽が沈むとき、子どもたちに語りかけてくれるのは、夜空の星々のきらめきしかない。童謡は、大人にも一時、郷愁と癒しをくれる。

(本ブログ関連:”童謡”)

秋の夜、さびしい夜、虫鳴く夜
わらぶき家の裏山道が、暗くなるとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

秋の夜、静かな夜、眠れぬ夜
雁の鳴き声が、高く低いとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

(Youtubeに登録のKi Young Anに感謝)

2015年9月25日金曜日

(雑談) 食欲が戻りつつあること

いまだに体調思わしくなく全快にいたらぬが、食欲が徐々に生じているらしい。

そう気付くのは、中華鍋の焼き入れに始まり、中華料理を調理するYoutube映像を見るようになったからだ。

「炒飯(チャーハン)」、「青椒牛肉絲(チンジャオロースー)」、それに大好きな「回鍋肉 (ホイコーロー)」ができあがっていくのを見ていると、自然と力が湧いてくる。独特な鍋の使い方、しゃもじの技にホレボレする。食欲を感じている。

スーパーの地下フードコートに、四川料理の店があって、そこの回鍋肉はたまらない。四川風の、黒々と味噌がからみ、花椒(山椒)の香りとピリピリとする舌。完全回復したら食べに行きたいものだ。

2015年9月24日木曜日

イ・ソンヒの家族史

イ・ソンヒの家族史について、何度かこのブログで触れた。仏教音楽の梵唄(ぼんばい:범패)指導者である父親から音楽的影響を受けたことや、優しい眼差しの祖父との関係などだ。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)

コリア・デイリーの記事「イ・ソンヒ、いま明す秘密の家族史 “ひとたびの女王は永遠の女王”」(9/23、イ・ユンミ記者)は、以前イ・ソンヒがイ・スンギと共にテレビ出演した際の話題で、本ブログに未入手の情報を、次の太字のように紹介した。(抜粋)

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イ・ソンヒの歌を教えた初の師匠チョン・ギョンス(정경수)*作詞家は、「イ・ソンヒに対する父の格別な愛情が、今日の国民のディーバ(歌姫)として、イ・ソンヒが愛された契機を作った」と話した。

(* チョン・ギョンスについて初耳である。2012年に「韓国歌謡作家協会第9代会長」に選出された(当時59歳の)人物か?・・・出会いの時期、場所について不明)

・イ・ソンヒは、ある放送に出演し、過去の政治に身を置いたビハインド・ストーリーを公開した。イ・ソンヒは、「もともと、”少年少女家長助け合い”に関心があった。海外進出を控えていたある日、所属会社で私に相談もなしに市会議員に登録した。それでやむを得ず、政治活動をするようになった」と、政治を始めることになった契機を明らかにした。

(cf.本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景”、および ”(続き)”)

・続いて、「政治*をしながら、生涯初めて冷たい視線を受けた。とても恐ろしかった。私に社会を分からせる最も貴重で大切な時間だった。もし、それを体験しなかったなら、今も夢だけで暮らす十やはたちの少女だったろう。人間関係を結ぶことについて多くを学んだ」と話した。

(* イ・ソンヒは、政治と関わりで、歌手として境界が鮮明でない面がある。民自⇒民主⇒セヌリと大きく振れる傾向にある。政治的な痛みを政治で補おうとする限り、振れは止まらなくなる。)

・イ・ソンヒの(ソウル)市会議員出馬ポスターを見たネチズンは、「<イ・ソンヒの市会議員(登録?)記号1番の時期>、<あどけなくて整ったイ・ソンヒの記号1番の時期>、<麻浦(地区)の娘に笑わせるイ・ソンヒ記号1番のころ、あんな姿もあったなんて>、<イ・ソンヒの今日の栄光は父のため>、<妻帯僧である父、イ・ソンヒの幼い時の夢は、歌手でなく何だろう政治家>、<政治家に転進したイ・ソンヒ、歌手女王が似合うよ>」などの反応を見せた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの政治”)
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この記者、かなり皮肉っぽいのでは?

2015年9月23日水曜日

秋分の日 2015

祝日「秋分の日」の今日、のんびり外出したい予定があったが、体調が思わしくなく家におとなしくした。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

実は、阿久悠記念館に行ってみたかったのだ。森進一と桂銀淑が歌った、「昭和最後の秋のこと」(1997年、作詞阿久悠、作曲浜圭介)の秋を、それも昭和の秋を思い浮かべ、訪れてみたいと思っていた。

わたしたちより、もう一世代上の昭和のイメージかもしれないが、心の襞にしみ込む歌だ。繰り返される詞、「昭和最後の秋のこと」から、遠ざかった昭和をしみじみ思い返す。心にとどめる最後の秋は、「雨にうたれる彼岸花」であり、「時に晴れ間が広がって」、「山の紅葉に照りはえて」と色彩的である。四季の秋は、次の秋の循環を予兆させる。

ことばを大切にした作詞家の詞には、時代のドラマ性があった。今聞く意義を知らせた。見て聞くだけでない、歌えば自身にイメージが再生され、記憶を巻き戻すことができたのだ。

この機会に、過ぎ去った昭和の秋と出あってみたかったのだが。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、民族芸能のひとつで、物語りに節をつけて歌う「パンソリ(판소리)」にかかわる3曲を紹介した。今回は、意地悪い人物に焦点をあてる。

 (本ブログ関連:”パンソリ”)

始めに、パンソリ「興甫歌흥보가)」に登場する意地悪な人物、兄ノルボ(놀보)について次のように紹介された。
・漢方では、人の内臓すべて合わせて「五臓六腑」といい、五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の内臓)、六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)を指す。また、心の中を指す表現でもある。物語に、五臓六腑に意地悪が加わった、五臓七腑の者が登場する。パンソリ「興甫歌」の、善良な弟興甫に対する兄ノルボ*である。「興甫歌」は、ノルボの人物説明から始まる。火に油を注ぐのはもちろん、独り身の未亡人をいじめ、医師から針を盗み、美しい絹織物に水鉄砲で水をかける。乗馬して畑を横切り、泣く赤坊をいじめ、盲人を川に導くという悪者である。
・「興甫歌」の観客は、ノルボに似た人を思い浮かべ笑っただろう。意地悪い人物が、反省してまともになるストーリーである。

 (*)ノルボの漢字表記:ノル=”奴”の下に”乙”、ボ=甫 ・・・ (「パンソリ」申在孝、平凡社東洋文庫)

▼ 「興甫歌」から、「ノルボの意地悪(놀보심술)」を聴く。いつの世も身内の欲深さと善良さ。「興甫歌」の始まり。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」に登場する継母となったペンドについて次のように紹介された。
・パンソリに、ノルボ以外にも意地悪な人物がいる。「沈清歌」に登場する淫女ペンドもそうだ。孝行娘の沈清は、盲目の父の目を治すため船乗りに身を売る。その金を目当てにペンドは、沈清の父に接近して妻となり、財産を酒やたばこに使い果たす。村人は彼女の悪口をいう一方で、悪口を楽しんだ。
・ペンドはノルボほど大罪でないかもしれないが、当時の女性への視線から、ノルボ以上に非難を受けたかもしれない。

▼ 「沈清歌」から、「ペンドばばあの行ない(뺑덕어멈의 행실)」を聴く。飯、肉、酒、滅多にしないこと。食うだけの楽しみ。

最後に、歌詞だけが伝わるパンソリ「ピョンガンセ打令(변강쇠타령)」の男女について次のように紹介された。
・当時、非難を受けた二人の男女が登場するパンソリ「ピョンガンセ打令」は、歌詞だけ伝わる。男ピョンガンセは怠け者で、博打にも手を出す。さらに、夫を次々亡くした哀れな女オンニョがいる。
・ピョンガンセ打令は、最も貧しい人々の暮らしを描いたもので、語り手が太鼓に合わせて物語りを歌う。

▼ 「ピョンガンセ打令」を聴く。歌詞だけ・・・巫女の歌のリズムを借りてパンソリにしているという解説がある。

2015年9月22日火曜日

ロコモ教室

今日は、シルバーウィークの連休後半、地元体育館で開かれた特別健康教室に行く。

ロコモといってもロコモコじゃない。ロコモティブ・シンドローム(Locomotive syndrome)とならぬよう、座学と軽い運動だ。

膝痛になったときの、膝のマッサージの仕方、立ち上がり方、そして予防のための歩き方などについて軽い実技があった。

今のところ痛みはないけれど、お世話になっている我が膝に目を向けることにした。

ビー・マイ・ベイビー

ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。

日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。

そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。

弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。

そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。

(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)

2015年9月21日月曜日

河津鉱山、高根山鉱山

昨晩の急な鉱物採集のお誘い、すぐに受けてしまったがちょっと心配事があった。この一週間、風邪から腹を下したようで、この数日、絶食に近い状態で過ごしていたからだ・・・大丈夫かな?

熟睡もままならず、早朝ひょいと出かけてしまった・・・フラフラしながら。欲に勝るものはない。待ち合わせのJR駅から車に同乗させていただき、目指すは伊豆、河津鉱山蓮台寺へ。

【河津鉱山(蓮台寺近辺)】

・朝の暖かい陽射しを受け、ガイドブックの採集場所(地図)を元に見当するが、それらしき場所が見つからない。迷い込んだ道先で、(H氏が)畑作業をしていた老夫婦から話しをうかがった・・・鉱山のズリ石は辺りに並んだ民家の石垣奥に埋込んだというのだ・・・途方に暮れる。
・結局、大沢川に架かる橋を渡って、採石場に至る最初の道端にある広場で採集を始めた・・・が、結果は全く思わしくない。磁鉄鉱、水晶、石英(微細群晶)のみ。テルルはいずこに。

【高根山鉱山】

・河津鉱山を早々にギブアップして、高根山鉱山へと転進する。住宅地の奥、こんな所にといった場所だ。民家の横を抜けて山に入る(ちょっと登る)とすぐにズリが目に入る・・・草木が茂って手の打ちようがない。硬マンガン鉱を割ると、石英?の透明薄片で埋まっていたが・・・そんなものなのだろうか。
・H氏はもう一段上側に探しに行く・・・お土産に、閃亜鉛鉱(べっ甲亜鉛)と水晶(美小群晶)をいただいた。

残念な成果、腹の回復は明日に持ち越しのようだ。

2015年9月20日日曜日

シルバーウィーク

実質、昨日(土曜日)から「シルバーウィーク」の長期連休に入った。月曜日と水曜日が祝日だった場合、その間の火曜日も<国民の休日>になるというルールがあるそうで、今年9月、6年ぶりの5連休となった。(月曜日:「敬老の日」、水曜日:「秋分の日」)

といって、この連休にとりたてて予定もない・・・連休特別教室の健康体操に出かけるくらいかな。

そんなとき鉱物採集のお誘いをいただいた。一度も行ったことがないけれど、誰もが知っている伊豆の河津鉱山だ。

昔、鉱物の会に同行して、河津海岸にある「やんだ」の浜で沸石を探した記憶がある。熱中しているうちに潮が満ちてきて、トレッキングシューズを水浸しにした。初心者の悲しさ、沸石の地味さがよくわからぬまま、隣りの菖蒲沢で金を夢見て銀黒を探した。眼力の乏しさ、銀黒らしきものを判別できず・・・、後日、リベンジしたものの再度要領をえなかった。

今回は、河津鉱山(蓮台寺方面)だ・・・さてどうなることか。夢も欲望も歌い流すことはできないよ。

2015年9月19日土曜日

社日 2015

雑節に「社日(しゃにち)」がある。余り耳にしない言葉だが、日めくりカレンダーの端に「社日」と小さく記してある。地元への関心の乏しさにあらためて気付く。

産土神(うぶすながみ)」(土地の守護神)を祀る日とのこと。昔は、生まれた土地から恵みを授かって、そこで一生を過ごし家をつないだことだろう。大地は命の源泉であり、郷土を意識したことだろう。(新田地帯の農家の次男・三男坊は独身のまま家付きになるか、養子や奉公人となって家を出るか決めねばならなかったが)

地元に「産土神」を冠した小さな社がある。300年ほど前に創建されたもので、毎年、初詣には必ず参っている。普段、鳥居をくぐることはあまりないけれど、そこに鎮座しているというそれだけで充分な、郷土の支柱のような存在だろう。

先ほど出かけてみたところ、境内に人々が集まって、来週の例祭に向けて何やら組み立てていた。子ども祭りもあるという、童心になって寄ってみようか。

2015年9月18日金曜日

もみじ

日本の秋は、木々の葉を色鮮やかに染める。特に、もみじの紅葉の美しさは欧米人を驚かせるようだ・・・、そんな感想を以前テレビで知ったことがある。山の起伏に展開する独特な景観であって、広い大地を波のように色付けていく様とは、およそ違った印象を持つのだろう。

日本建築の粋(美意識)に借景がある。部屋の内から望む、庭園と自然の背景が織り成す景色を、一幅の絵のように楽しむ。昔の室内は照明があるわけでなく、一層明暗と色彩が際立ったことだろう。残念ながら、今の私たちには贅沢過ぎるし、そんな余裕もない。

子どものころ、音楽の時間に歌った「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之1876年~1947年、作曲 岡野貞一1878年~1941年)は、いつまでも忘れられない。おじさんの心に、歌や景色に、そんなにも素直に感じることができたという証である。ひとなみに無垢な時代があったんだ。

(本ブログ関連:”紅葉”、”もみじ”)

(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2015年9月17日木曜日

秋?なのにもうストーブを出してしまった

半袖から長袖へ、秋の衣替えしても今日は寒い。去年(2014年)の東京の平均気温は、9月が23.2℃、10月が19.1℃、11月が14.2℃、他方、一日雨の9月中旬の今日、気温は地元で17℃ほど。来月の10月より更に11月並みの冷え方だ。

秋の初めに降り続く長雨(霖)を「秋霖」というそうだ。墨絵の風情する、霞む山裾の森に降る雨のよう。止まぬ雨は、秋の深まりを一層感じさせる。

テレビで誰かが、秋を飛び越えそうなほどの冷え方といっていた。寝冷えもしたので(理由と言い訳を重ねて)、とうとうストーブを出してしまった。弱火にポカポカして、心地よくとろりとする。それにしても、これから先の冷え込みが思いやられる。

ところで、この秋、韓国ギャラップが秋といえば思い浮かぶ歌を調査(自由回答)した結果*を、スポーツ朝鮮の記事「秋といえば思い浮かぶ歌 ~」(9/16、イ・ジョンヒョク記者)が次のように報じている。(抜粋)
(* : 2015年9月8日~10日、全国満19歳以上の男女1011人=携帯電話に、「秋」といえば思い出す歌を尋ねた結果)
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(韓国)20/30代は「秋が来れば」、40代は「忘れられた季節」、50代は「コスモス咲いている道」、60歳以上は「コスモス咲いている道」と共に「秋」を最も多く思い出した。総じて若年層よりも40代以上の中高年層がより多彩な秋の歌を言及した。

・「コスモス咲いている道(코스모스 피어있는 길)」(キム・サンヒ 김상희、6.7%)
・「忘れられた季節(잊혀진 계절)」(イヨン 이용、6.3%)
・「秋が来れば(가을이 오면)」(イ・ムンセ 이문세、5.6%)
・「秋(가을)」(ペク・ナムソク백남석 作詞、ヒョン・ジェミョン현제명作曲童謡、4.3%)
・「秋を残していった愛(가을을 남기고 간 사랑)」(パティ・キム 패티김、3.7%)
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(Youtubeに登録者に感謝)

この調査結果に、イ・ソンヒの「秋の風」がランク入りしてないのが残念。

2015年9月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 船

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船(배)」にかかわる3曲を紹介した。

始めに、李朝末の朴趾源(박지원、1737年3月5日~1805年2月5日)の文集「熱河日記(열하일기)」に記された、漁船の出港の曲「ペタラギ(배따라기)」について、次のように紹介された。
・海辺の人々に海はどんな存在か。最も有難く、恐ろしい存在でもある。漁船の出港に、無事を祈るのみだ。李朝末巨匠、朴趾源の文集「熱河日記」に、舟が去りいく意の「ペタラギ」の曲について記録がある・・・ただし、今、彼の描いた「ペタラギ」は継承されていない。
・悲しい曲調の歌だが、出舟する過程を記している。まず、舟を花などで飾り、妓生一組が並ぶ。そして、軍隊の礼節からはじめ、ラッパを吹き出す。すると、村中が音楽を奏し、妓生は絹織物に刺繍をした衣服を着て船の両側に立つ。みなが漁夫の歌を歌いだし、演奏がはじまる。舟が錨を上げて旅立つと、妓生は歌を歌って祝う。

▼ 舟の出るを歌う平安道民謡「ペタラギ」を聴く。厳かな祝い歌か。(cf. フォークグループのペタラギの歌もよい)

・「ペタラギ」を素材にした、1920年代の金東仁(김동인、1900年10月2日~1951年1月5日)の小説「ペタラギ」がある。兄は、美しい妻と弟の仲を疑い、結局、誤解の末、妻は自ら命を絶ち、兄弟は縁を切る。自分の過ちを後悔した兄は漁夫になり、数十年をかけて弟を探し歩く。でも、弟が歌う「ペタラギ」は聞こえてくるものの、弟を探すことはできなかった。

次に、2010年の砲撃事件の島、延坪島に伝わる民謡「難逢歌(난봉가)」について次のように紹介された。
北方限界線の南側にある延坪島は、海上に列車が走るように平らな形から、延坪島と呼ばれる。美しい景色があり、北の海を見渡すことができる、絵のような砂原が広がる。島に伝わる歌「難逢歌」で疲労を解消する人々の島だ。

▼ 延坪島の「難逢歌」の歌を聴く。難逢(난봉)は本来「放蕩の人」を指すという・・・海の大らかさか、今様に響く。

最後に、ソウルを横切る漢江を頻繁に往来した舟、「紫船ふね(시선배)」について次のように紹介された。
・朝鮮戦争(韓国戦争)の頃まで、ソウルを横切る漢江は重要な交通路だった。景色も見事で、昔、金持ちの両斑は妓生たち乗せて舟遊びを楽しんだ。地方から、税として穀物搬送船もあった。江原道の木材を筏で運ぶ人々もいた。特に、漢江を頻繁に往来した舟を「紫船ふね」と呼んだ。ソウルより車で約2時間にある江華島から肉や木材を、当時の都漢陽(現ソウル)に運んだ。最大限、内陸に行けるよう、船底を広く平らにした。麻浦、永登浦、露梁津などに有名な渡し場があったが、今は痕跡はなく、歌だけが伝わる。

▼ 紫船ふねの歌から「櫓を漕ぐ音(노 젓는 소리)」の歌を聴く。歌に調和して櫓を漕ぐ音も聞こえてきそう。

2015年9月15日火曜日

パク・ミンギュのこと

韓国を代表するといわれた小説家の申京淑とパク・ミンギュが、最近、文壇を騒がせた噂と問題について触れるのは、今回で終わりにする。朝鮮日報(日本語版)記事「【萬物相】盗作の告白」(9/129/8)、キム・グァンイル論説委員)は、書き出しにアメリカの有名人や小説家に起った盗作問題に触れながら、パク・ミンギュの印象(自家撞着した弁明)と今後の立ち位置について突き放すかのように、以下の通り語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:”申京淑”、”パク・ミンギュ”)

同じ朝鮮日報(日本語版)の記事であるが、「『文芸創作学科が韓国文学を台無しに』有名作家発言が物議」(9/129/12)、パク・ヘヒョン文学専門記者)は、小説家の黄晳暎(황석영、1943年1月4日~)の、大学教育に文芸創作学科が必要かという発言を紹介している。ちなみに、パク・ミンギュは、中央大学校文芸創作学科卒である。

パク・ミンギュの小説「亡き王女のためのパヴァーヌ」しか知らないけれど、その作風は、Twitter風であり、ある意味書き留めたスケッチ集を使っているのではと思いながら読んだ。

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・女性小説家・申京淑(シン・ギョンスク)氏が故・三島由紀夫氏の作品を盗作したのではないかという騒動はまだ記憶に新しいが、このほど小説家パク・ミンギュ氏が盗作を告白した。2003年の長編小説『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』と、07年の短編小説『昼寝』がインターネット掲示板の文章や日本の漫画を見て書いたものだと認めたものだ。
出世作の『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』は1990年代、パソコン通信の掲示板に野球ファンが掲載した文章と多くの部分で似ていた。また、パク・ミンギュ氏は「ずいぶん前に日本の漫画『黄昏流星群』を読んだ記憶がある」とも言った。そして自ら「明らかな盗用だ」と言い切った。

・10年前に初の短編集『カステラ』を出したパク・ミンギュ氏にインタビューしたことがある。当時の同氏は変わった風ぼうで話題だった。ひざまでの長さがあるヒッピー風の長髪をある日突然バッサリと切り、ファンキーな金色に染めた。家でもヒッピー風の服やアクセサリーを身に着けて小説を書いた。スキーのゴーグルのように大きなサングラスをかけて現れ、インタビュー中もずっと外さなかった。
高校時代は「クラスの平均点を引き下げるヤツ」で、中央大学文芸創作科にはカンニングで入学したという。すべてが盗用でも同氏は反逆的な小説家として残ると思っていた。

・映画監督のキム・サンジン氏は、「一流は世の中を守り、三流は世の中を変える」と言った。その時、パク・ミンギュ氏は三流を自任し、世の中を変えてやるとでも言うように食ってかかった。「芸術は盗作であるか、革命であるか、そのいずれかだ」と言ったゴーギャンよろしく、パク・ミンギュ氏も「韓国文壇の近親相姦風潮が小説の発展を妨げている」と「革命」の声を上げた。当時は文壇をひっくり返すかのように見えたが、10年を過ぎた今はただ盗作をするだけの人間だったと告白した格好だ。実感はない。盗作の告白ではなく、世の中をばかにしているのかもしれない。今も不穏な存在だ。
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(資料) 韓国の音楽・小説など盗作・剽窃の状況 ・・・ ナムWiki

2015年9月14日月曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

イ・ソンヒの8集所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(1992年、作詞・作曲キム・ヨンドン)は、まるでオルゴール箱から聞こえてくるような、素朴な響き(編曲クロードチェ)がする。少女にあるような、そんな自分に夢見ているといった感覚だろうか。微笑ましい。とはいえ、この歌は彼女がソウル市議会議員選挙で民自党候補として当選後リリースされているわけで、そんなに華奢でもなかったろう。

(本ブログ関連:”あなたに会いたいときは”)

一日 眠れぬ孤独さよ
流れ去った、時を彷徨って
あなたは見知らぬ 場所で待つでしょう
私も見知らぬ 場所で待つでしょう

私の喜び 包んだ 暖かな心
私の悲しみ 触った 柔らかな手
今は草花散った 夢の中のなのに
今は過ぎた愛の ささやきだけなのに

*こんなに、あなたに会いたい時は
心深く 愛はるかにたずねて
どこかに どこかに 去らねばならないのね

(*以下繰り返し)

どこかに どこかに 去らねばならないのね


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)


(追記) <噴火警報・予報: 阿蘇山>
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火山名  阿蘇山  噴火警報(火口周辺)  平成27年9月14日10時10分  福岡管区気象台

<阿蘇山に火口周辺警報(「噴火警戒レベル」3、入山規制)を発表>
 火口から概ね2kmの範囲では、噴火に伴う大きな噴石に警戒をしてください

<「噴火警戒レベル」を2(火口周辺規制)から、3(入山規制)に引上げ>

1.火山活動の状況及び予報警報事項
 中岳第一火口では、本日(14日)09時43分に噴火が発生しました。
噴火に伴い、火口から弾道を描いて飛散する大きな噴石を確認しました。噴煙は火口縁上2000mまで上がりました。
 今後も同程度の噴火が発生し、弾道を描いて飛散する大きな噴石が火口から1km以上に飛散する可能性があります。
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2015年9月13日日曜日

スペック

人の品性を語るのに「人品」という言葉がある。道徳性や教養といった人として備わるべき特性を指す。それを、履歴書や健康診断書に記載されるような項目で判断することがある。韓国で一般に、「スペック(스펙)」といわれるものだ。

通常、スペック(spec)は、製品の諸元、機能仕様書の項目といった風に使われる。人にも「仕様書」項目があるごとく判断するのがすごい。学歴、身長、職業、年収、・・・顔の美しさ、といった按配である。不足すればルーザー(루저)、敗者となる。そうならないよう、親はわが子に期待し投資することになる。

KBS「【芸能手帳】 勉強で親孝行しました!派手なスペックのスター2世」(9/10)で、イ・ソンヒの母娘の関係についても、彼女が人並みに<親馬鹿?>であるが、それが錯覚でなかったと、次のようにレポートしている。(抜粋)

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・歌謡界の女王、イ・ソンヒさんの娘ヤン・ウォンさんもアメリカで留学中です。
・ヤン・ウォンさんは、アイビーリーグの一つの学校であるコーネル大学校でジャーナリズムを専攻しているんですが。
・イ・ソンヒさんは、少し前のある放送(2014.04.16 SBS)で、幼かったときの娘の逸話を聞かせてくれました。
・<録音>イ・ソンヒ(歌手):「私たちの娘が天才だと思いました。生まれてから胸に置いて童話の本を私が読んであげたが、二、三度読んだ後に再びそこをぴったり広げると、子がそのまま言うんですよ」
・世の中すべての親たちが、「私の子どもは天才」という錯覚をしますでしょ ~、幼いとき童話の本読んだ子供が、今は世界的な名門大に通っていますので、イ・ソンヒさんの思いは錯覚ではなかったようですね。
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参考) イ・ソンヒの家庭
92年  (91年ソウル市議会議員当選後)、86年以来のマネージャーだった前夫ユン・ヒジュン(윤희중)と結婚。
93年  娘(ヤンウォン、양원)生まれる。
98年  協議離婚。
99年  (IMF時代の後)夫のユン・ヒジュンは、事業の失敗で自死する。(6月5日)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)

2015年9月12日土曜日

早朝の地震(震度4)

早朝、うつらうつらしているところ、いきなりドンと揺れた。来た!と一瞬身構える。立て続けに、ドドドと部屋が振動する。昨晩から付けっぱなしのテレビ画面の中で、司会者たちが地震を伝えた。横になったままどうすることもできない。体感震度は優に4を越えていたが・・・。

何かが落ちたらしい。机の小さな本立てに無造作に積んだ書類がずり落ちたようだ。そんなものだった。幸い家財道具が倒れるほどでもなかった。充分目覚ましできていないときだけに、東日本大震災の恐怖がよぎった。

(本ブログ関連:”東日本大震災”)

テレビのチャンネルを次々切り替える。栃木・茨城・宮城各県の大雨のときもそうだったが、NHKの情報発信の初動に、さすが公共放送とその役割を認識する。どうやら、地元は震度4、近隣の街では最大の5弱だったようだ。

平成27年09月12日05時54分 気象庁発表
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12日05時49分頃地震がありました。
震源地は東京湾(北緯35.5度、東経139.8度)で、震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
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テレビ解説によれば、心配される首都直下型大地震と比べて震源の深さがより深いため、別のものと説明された。私にしてみれば、ただ恐れおののくばかりだったが・・・。

(付記)
今日、国勢調査の案内資料をもらった・・・ネット記入は便利だ。

2015年9月11日金曜日

大雨(続)

台風一過の空とは別に、昨日の大雨は北上し、宮城県に新たな堤防決壊の被害をもたらした。午前3時過ぎ、栃木県・茨城県に出されていた「大雨特別警報」が宮城県にも出されたのだ。

NHKのニュースWEBの記事「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水」(9/11、16時38分)によれば、「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水 - 国土交通省などによりますと宮城県大崎市を流れる渋井川は、11日午前、古川西荒井地区で堤防が決壊して氾濫したほか、宮城県を流れる吉田川とその支流は、富谷町と大和町で水位が上昇して水があふれ、周辺の地域が水に浸かっているのが確認されました。」とのこと。(抜粋)

(Wikpedia「鬼怒川」より)
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・(鬼怒川は)江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれた。
・<六国史続日本紀>には古来毛野河は下総国と常陸国の境界を成しているとあり、また<常陸風土記>には、かつて筑波西部は紀の国であり毛野河が各郡の境界を成していたとある。
平安時代の書物(<延喜式兵部式>、<倭名類聚抄>など)には「河内郡衣川」や「下野国驛家衣川」などが見え、江戸時代の古地図にも「衣川」とあり、明治時代に編纂された<日本地誌提要>では「絹川」とされているが、<下野國誌>には「衣川」とあり、かつては「きぬがわ」が「衣川」「絹川」と書かれていたことが判る。
「鬼怒川」という表記は明治政府が編纂した<古事類苑>に見られ、これが「鬼怒川」の初出である。「鬼怒川」の表記は、暴れ川である「鬼が怒る川」から「鬼怒川」となった、などと云われるが、「鬼怒」は明治期以降の当て字である。
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今夕、午後8時前に、「大雨特別警報」がすべて取り下げられた・・・。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅窓

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)にかかわる3曲を紹介した。
(本放送は先月末までアーカイブされたが、今月から聴けなくなった)

始めに、梅窓と詩人の劉希慶(유희경, 1545年~1636年)の関係を歌った詩について次のように紹介された。
・朝夕に涼しい風も感じられ、夏が過ぎて、秋が訪ねくるようだ。今年も終わりに近づく。なぜか、懐かしい人を思い出す季節でもある。全羅北道の扶安地域に、妓生の梅窓が住んでいた。昔の恋人を愛しく思い詩を書いた。梨の花が咲く春に涙で見送った彼は、秋になっても戻ってこないという内容だ。彼とは詩人の劉希慶で、梅窓が二十歳のとき、28歳年上の彼と恋に落ちた。低い身分出身の詩人であった。梨の花がまるで雨のように降る様を指して、「梨花雨(이화우)」と言う。

頭学時調(지름시조、定型詩)の歌「梨花雨」を放送と別に、”ustreamの댕기언니”で聴く。秋風に舞う花弁・葉の如く。

次に、梅窓は、黄真伊(황진이、1506年?~1567年?)と並ぶ妓生(詩妓)だったことを次のように紹介された。
・梅窓は、黄真伊と並ぶ朝鮮時代を代表する詩妓だ。梅窓が亡くなると、人々は彼女の詩を探し、地方で身分を誇示した村役人が金を集めて詩集を作った。男女や身分の関係が厳しい時代、、妓生の詩集を出したのは驚くべきことだ。
・梅窓は、「洪吉童(홍길동)」の著者、許筠(허균、1569年~1618年)とも親しかった。彼は、梅窓を妓生としてでなく、人生や芸術を語り合える友としたようだ。梅窓に送った面白い手紙がある。梅窓がコムンゴを奏でながら歌っている姿を、通りがかったソンビが詩に表し広く知られた。詩を聞いた許筠は、梅窓へ冷やかす手紙を送った。梅窓が歌ったのは許筠を恋しいからという噂が流れ、悔しいという内容だ。梅窓がそのとき歌ったのは、「山慈姑鳥(산자고새)」という鳥の名の曲・・・だ。

▼ 「山慈姑鳥」の演奏。

最後に、梅窓は様々な人に囲まれて人生を終えたと次のように語られた。
・梅窓はコムンゴが好きで、亡くなる時もコムンゴと一緒に埋葬して欲しいと遺言を残したという。38歳の若さで亡くなると、許筠は残念な気持ちを文に残した。梅窓は妓生だが、詩や歌、コムンゴにも優れ、人柄が良く、清い人で、自分はその才能が本当に好きだったと。妓生であったが、彼女は幸せな人だった。劉希慶のような恋人と許筠のような友がいたからだ。それに、自身の詩を詩集にしてくれる人々までいた。

▼ 愛しい気持ちを込めた詩を音楽にした「남하여 편지 伝치말고」(他の人に手紙を渡さず、あなたが運び人となって直接手紙を持ってきてください)を放送と別に、”Youtube”で聴く。聴く。歌い手の恋しい気持ちが伝わるという。今様である。

2015年9月10日木曜日

大雨

昨日の昼過ぎ、映画会へ出かけた。雨はようやく晴れ、一時西の空に青空さえ見せた。夕方到着した地下鉄駅を出ると、映画会場までの道は土砂降りに変わった。そして今日、連日の雨も、昼過ぎには小雨となって止んだ。台風が日本海へ抜けたとほっとしたところだった。

そんなとき、テレビで栃木県鬼怒川の堤防決壊という実況中継ニュースが続いた。NHKのニュースWebによると、「茨城・鬼怒川で堤防決壊 各地で河川増水 : 国土交通省によりますと、茨城県内を流れる利根川水系の鬼怒川は、10日午前6時すぎに常総市の若宮戸付近で堤防から水があふれ、午後0時50分ごろには常総市新石下付近で堤防が決壊して氾濫しました。」(9/10、17時35分)という。(抜粋)

水没家屋からヘリコプターで救援される様子を見ながら、被災の大きさに驚く。被災者一人ひとりに名前があること、救援者に一人ひとり名前があること、忘れてはならないと感じた。

栃木県は日頃の鉱物採集の範囲で、鬼怒川沿いに車を走らせ、鬼怒川温泉を脇に見ながら鉱物産地へ向かうことがある。常に同乗者の身なれど、ナビゲータ能力については、行きと帰りの道筋が同じだと気付かないほど。そんなわけで、鬼怒川が栃木から茨城方面に南下しているということも未だ理解できていない。

いいわけすると、小学校高学年で地元地理を学ぶわけだが、そのころ九州から東京に転向したため、都内はもちろん関東周辺の地勢が直感できないままでいる。土地勘が鈍いのはそのためかもしれない・・・。

2015年9月9日水曜日

映画「シークレット・サンシャイン(密陽)」

以前、レンタルのDVDで視聴した、チョン・ドヨン(전도연)主演の映画「シークレット・サンシャイン(密陽、밀양)」(2007年)を、韓国文化院のホールで見た。これで2度目の鑑賞である。

(本ブログ関連:”密陽”、”チョン・ドヨン”)

DVDの場合、自分のペースで見てしまい、思い込みが生じるのではないかと気になる。それを大勢の息遣いに触れながら大ホールで観覧すると、意識の共有が感じられ、あらたな理解を楽しめる。

もう一つの楽しみは、スクリーンのチョン・ドヨンに会えることだ。彼女は、この映画で、「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を受賞した。「接続」(TV放送)、とりわけ「わが心のオルガン」(VHS)以来のファンである。

映画の最後に登場する陽だまりの光景にいたる、ストーリー展開をじっくり見ることができた。主人公イ・シネ(チョン・ドヨン)が悲劇的な事件の結果、キリスト教会へ宗教的に傾倒する中で生じる、神へ、自己へ、そして他者への不信(疑念)と葛藤を描いている。信仰を持つことで、果たして許されるのか、許すことができるのかと。映画は、そこにソン・ガンホが演じる、主人公に興味を持つ気のいいおじさんを登場させる。彼は、主人公を日常へと結びつける役回りだ。

神は見えない、もしかしたら、裏庭の隅の平凡な陽だまりにあるのかもしれない。

2015年9月8日火曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

イ・ソンヒの11集に所収の「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」(1998年、作詞・作曲:チョン・ヨンア)は、愛を語るのに、魔法のような想いであり、神に願いたいという切なさがある。情熱的でありながら、一方で、旋律は結晶を透過する研ぎ澄まされた光のよう。

イ・ソンヒの高音の世界に美しく輝く、とても印象深い曲だ。だから本ブログで何度も想い入れさせていただいている。

(本ブログ関連:”神がまた許すなら”)


何を いっているのかと、見つめられた ときは
何も 感じられなくて、あなたから去ってしまいたい

<分かるでしょう、どんなわけか、始まった全てのことを
時が経ち みな変わっても、この瞬間の記憶は欲しくて、

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら>
あえてあなたを、最後の愛で、う~う

(<  >繰り返し)
私の想いを 受けてくださるなら

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら
あえてあなたを、最後の愛で


(Youtubeに登録のMusic Mookに感謝)

2015年9月7日月曜日

パク・ミンギュの記事

小説家パク・ミンギュ(朴玟奎)の噂(盗作)について、今日の韓国紙日本語版記事に一斉に掲載された。
記事では、パク・ミンギュの小説「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」(15万部の売り上げ)で、盗作についての釈明は報じられているが、「昼寝」の盗用元になったといわれる「黄昏流星群」(弘兼憲史作)については、釈明という直接的なものはない。以下一部抜粋する。

(本ブログ関連:”パク・ミンギュ”)

① 朝鮮日報 「韓国の小説家、『黄昏流星群』盗用認める」(9/7、キム・ギョンピル記者)

・「パク氏は『月刊中央』9月号に寄稿し、『チェ・ガンミン氏とチョン・ムンスン氏の指摘について』という文章で、人生の黄昏時を迎えた男女を主人公にした『昼寝』の盗作疑惑について「『黄昏流星群』は昔読んだ記憶がある』とし、『普遍的なロマンスの構図とはいえ、客観的に見て似た面が確かにあるようだと認めた。その上で、『(作品を)あらためて検討し、必要があると思えば措置を取る。ご指摘に心から感謝する』と述べた。」

② 中央日報 「韓国人小説家、盗作認める…『インターネットの文章と日本の漫画を盗用した』」(9/7

・「パク氏は月刊中央8月号に掲載されたインタビューでも『三美スーパースターズ』の盗作事実を認めるような発言をしていた。やはり小説に使っていたインターネット著作物『プロ野球記名事典』を「著作権のあるものと認識していなかった」と釈明した。だが、『昼寝』については認知症になって苦労した自身の母親のために書いた作品で、盗作論争がおきて心が痛いと述べた。しかし、冷静になって検索をしてみると該当作品を読んだ覚えがあるとし、今回、その類似性を認めた。」

③ 東亜日報 「『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』の朴玟奎氏、盗作を認める」(9/7

・「申京淑(シン・ギョンスク)氏に続き、盗作疑惑を受けてきた小説家の朴玟奎(パク・ミンギュ)氏(47、写真)が、盗作指摘を認めた。」
・「朴氏は最近発売された小説レビュー文芸誌・アクストの9月号と10月号(← 隔月刊)に掲載されたインタビューで、文壇の盗作を巡る議論について、自分も同様に盗作疑惑を受けていると明らかにしながら、「最小限のガイドラインでもまとめてこそ、この問題を解決できるだろう」と指摘した。このインタビューは最初に盗作疑惑が持ち上がったごろに行われたと、アクスト側は明らかにした。」

2015年9月6日日曜日

同じ本の二度買い

同じ本を2度買ってしまった。昨日のこと、久し振りに近隣の街に出て、大きな本屋に寄り、いつのように地学関連のコーナーで何かおもしろい書籍はないものかと探す。山梨県の山梨日日新聞社発行、山日ライブラリー(新書版)の「山梨の奇岩と奇石」(石田高著)に、「甲州金山」の紹介があるのを目にして購入した。

商店街の喫茶店で読んでいるうちに、もしかして、わが家の書棚にあるのでは?と気付いた。そんなわけで、現在手元には同じ本が2冊ある。

以前だったら、おのれの粗忽さに呆れるわけだが、今はそうでない。やっちまったという諦念しかない。いいじゃないかと笑い飛ばす余裕もある。

ちなみに、上記紹介の末尾に「甲州金山一覧」があり、「湯之奥金山」について「下部町湯ノ奥にあり、地質は新第三系の火山砕屑岩や泥岩で、金を多く含んだ鉱石。”湯之奥千軒”などといわれたくらい往時は盛んに採掘された。金山に係わる下部町営の博物館が町内にある」とある。

(本ブログ関連:”砂金”)

2015年9月5日土曜日

イ・ソンヒの「涙に咲く花」

イ・ソンヒの作品に、ささやくように始まる、2集所収の「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。デビュー時の彼女の特徴である、突き抜けるような高音を遺憾なく発揮している、やや硬質な感じする作品だ。挿入の独白は、独特な雰囲気がある。後にLPで、語り(台詞)だけのもの、詩集まで出した。

アルバム第1集と2集は、本格デビュー初年(1985年)に出されたものだ。この曲は、彼女のイメージから、傷心の少女が精一杯に女ごころを歌うようで、当時の大人から見れば可愛らしく見えたかもしれない。柔道着を着た少女が女ごころを歌っているようなさまが浮かぶ。彼女の童顔は後の強力な武器になる。

(本ブログ関連:”涙に咲く花”)


“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”

あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか

遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ

“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”

こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年9月4日金曜日

パク・ミンギュの噂

正直言うと、イ・ソンヒを除いて、関心を持った韓国の歌手や小説家に戸惑いを覚える。韓流以前の頃、人気のあった歌手ケイ・ウンスクの歌を聞き続けたが、彼女のその後の生き方に大変残念な思いがある。母国へ帰った後も厳しい。

また、文学とは縁遠いながら、イ・ソンヒとほぼ同年輩であり、社会的評価もほぼ同時期に進んだ作家の申京淑(신경숙)の小説を読んだりした。ところが、今年6月に盗作問題が大きく報じられることになる。(実は、以前にも指摘されていたという)

(本ブログ関連:”盗作問題-”、”申京淑”)

ところで、今年7月、東京国際ブックフェアに出かけて、一般向けの韓国産鉱物図鑑について問い合わせた。その際、ある出版社の方にも相談したこともあって、同社の文学シリーズにある「亡き王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ、박민규、吉原育子訳)を求めたりした。この小説については、Twitter風小説とでもいうのだろうか、恋愛小説であり・・・若い女性向けで、映画化の話にぴったりのストーリー展開である。

(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)

何と、この若手人気作家パク・ミンギュにも盗作疑惑の話しが出ているという。東亜日報掲載のニュース1の記事「”盗作疑惑” 小説家パク・ミンギュ、『盗作は交通事故のような問題・・・』」(9/3)は次のように報じている。

盗作は交通事故とは違う。小説家の言葉として随分軽すぎる。私の方こそ交通事故にあったみたいだ。

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・「盗作が倫理的な談論でなく、交通事故のような現実的な問題になりました。最小限のガイドラインでも設置しなければなりません」

・デビュー作「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」の盗作疑惑が提起された小説家パク・ミンギュが、小説専門文芸誌「アクストゥ(Axt、斧)」秋号を通じて、盗作を防ぐガイドラインの設置が必要という意見を出した。

・加えて、文学での盗作是非が、他分野よりもっと大きな波紋を起こす理由が、文学に書かれた「純粋」という概念のためだと主張した。だが、パクは自身の盗作疑惑については明らかで詳しい立場を明らかにすることはなかった。

・パクは、ペ・スア「アクストゥ」編集委員と行ったインタビューで、「盗作が交通事故のような問題」になって、「接触事故、追突、衝突でのひき逃げ、保険詐欺などの多様な形態の盗作がありえることになった」とし、「故意でなければ口をつぐむ理由も、隠す理由もない。その場ですぐ提起され、調整するのが最善」と話した。

・「だが(文人たちは)文を上手く書いて、登壇をして作家になる訓練だけ受けるだけで、これに伴う危険、乃至は安全規則遵守についてはどんな準備も対策もない」と、文壇内部のシステム問題を指摘した。

・彼はまた、「大衆音楽の場合には、ガイドラインと合意を導く調整機構により、大半の問題を解決することを知っている。今からでもそのようなシステムを構築しなければ、一方的な主張と黙秘権の悪循環は絶えず繰り返されるだけだ」といった。

・また、「お互いの文学観がみな違ので、盗作に関する考えもみな違うため、ガイドラインの構築のためには長い間の協議が必要だ」とし、「(しかしながら)最小限のガイドラインでも設置してこそ、この問題を解決することができる」と強調した。

・文学界にだけこのようなシステムが樹立できず、他分野に比べて盗作の是非が大きく浮び上がる理由は、文学を純粋なものと見る観点から求めた。パクは、「(盗作が繰り返されることが)文壇権力の保護という問題が台頭したが、私の観点ではさらに長い間の本質的な理由がある。 一つの単語でまとめようとするなら『純粋』だ」と語った。

・彼は、「純粋文学(순수문학)」という単語がヨーロッパの「fine art」を翻訳した日本語からきたものと見ている。彼は、西洋文学を輸入したことについて劣等感を隠すために*、日本が「純粋」という言葉を入れたと見て、長い時間が経って徐々に単語の意味そのままに、文学のアイデンティティになってしまったと解釈した。

(* ここだけ、パク本人の言葉がない間接的な語りだ。言質をとられないためか、それとも記者の思い入れか)

・「長官や総理候補の論文盗作にも鈍感な韓国人が、一介の作家の盗作に公憤する理由」は、世の中がいくら腐ってくずれても文学は純粋だろうという、人々の普遍的信頼が裏切られたところのためという指摘だ。

・彼は、「(この)純粋の監獄から抜け出さなければならない」としながら、盗作でない「模倣」については擁護する態度を見せた。彼は、「模倣と創作は絶えずお互いに影響を与えて発展すること」と付け加えた。

・一方、作家は「三美スーパースターズ・・・」などに対して提起された盗作疑惑について、「アクストゥ」のインタビュー提案を受けて、詳しい解明と反駁文を書こうか考えもしたが・・・無意味である気がした。いうことは(その前にもマスコミに)大まかに話した。その後の判断は、各自の役割」と、言葉を慎んだ。

・先月の「月刊中央」8月号では、パク・ミンギュの2003年デビュー作「三美スーパースターズ・・・」と、短編「昼寝」がインターネット掲示板の文章と、日本の漫画*を盗作したという疑惑が提起された。「三美スーパースターズ・・・」は第8回ハンギョレ文学賞受賞作であり、「昼寝」は2007年「文芸中央」夏号に掲載された短編だ。**

(* 「月刊中央」によれば、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載の「黄昏流星群」(弘兼憲史作)・・・見てない⇒見たに変化)
(** 韓国ハフィントンポストの記事「小説家パク・ミンギュ、盗作を認めて心から謝罪する」(9/4))

・パク・ミンギュは、その後あるメディアとのインタビューで、「三美スーパースターズ・・・」盗作疑惑について、「当時インターネット掲示板に『人名辞典』という書き込みが掲載された。私は、この文を一種の80年代スズメシリーズ(참새시리즈)のようなユーモアで認識した。そこに、三美の選手たちの名前も数人入っていた」とし、「著作権がある文だと全く認識できなかった」と明らかにした。

・また、「昼寝」は、当時痴呆にかかった母を療養院に送り、心が痛くて書いた文だと釈明した。
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(追記)
他者の作品からヒントを得て、自分の世界で膨らますことはよくあるのではないだろうか。和歌で言えば本歌取りがある。それは、時代の状況に光と影を与えられ、命を吹き込む作業の結果だろう。素人には、文学史に作品が残ったでしか知りえないことだ。作家の内面にどうして入り得よう。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」の最終直前の節で、スイスの光景が描かれる。「黄昏流星群」(弘兼憲史作)の1巻に、スイスの雪山の場面が登場するのをネットでちらりと見て、素人はいらぬ詮索をする。疑心暗鬼になったのは事実だ。

2015年9月3日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 盂蘭盆

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、旧暦の7月15日の「盂蘭盆(うらぼん、백중*)」にかかわる3曲を紹介した。(* 백중を一律「盂蘭盆」と呼ぶことにする)

(本ブログ関連:”盂蘭盆”)

始めに、夏の「草刈り(김매기)」から解放される、旧暦7月15日の「盂蘭盆(백중)」について次のように紹介された。
・漢字の米は、十に八を上下に重ねる。米一粒できるまで、八十八回の手がかかる意だ。中でも「草刈り」は、真夏の強い日差しと地面から上がる熱で、本当に大変な作業だ。汗が目に入り、色々な虫が飛びつく。時間の余裕もなく、休む時間もない。こんな作業を三回ほど経て、やっと草刈りが終わると、今年の農作が終わった気がして、みな祭り気分で楽しむ。それが旧暦7月15日、「盂蘭盆」と呼ばれる日で、今年は8月28日だ。

▼ 「盂蘭盆の日(백중날)」の歌を聴く。家族の平穏を祈る・・・今様に洗練した歌いはアフリカのリズムのよう。

次に、盂蘭盆を「作男日(奴婢日、머슴날)」と呼んだり、「道軍楽(길군악)」について次のように紹介された。
・盂蘭盆は、草刈りを終えて「草取り鎌(호미)」を洗うことから、この日を、来年のために「草取り鎌を洗っておこう」とも呼ぶ。盂蘭盆は、草刈りを終えてみなで喜ぶ日で、一番一生懸命働いた者、農作の「壯元(장원)」を選ぶ。本来、壯元は科挙の首席合格者を指す。農作の壯元になった者を牛に乗せて帰る風習があった。地主は、新しい服や、休暇も与えたという。歌い踊りながら村に帰る時に歌うものを「道軍楽」 という。歩きながら演奏する音楽だ。また、盂蘭盆は「作男日」ともいい、村に市場が開かれ、余裕のできた作男のため、民族競技の「相撲(씨름)」が開かれたという

▼ 「道軍楽」を聴く。豊年満作、誇りと勇壮、湧き出る自信、エネルギー、民俗の逞しさ。いいね。

最後に、釈迦の優れた弟子「目連」と盂蘭盆について次のように紹介された。
・盂蘭盆は盂蘭盆節とも呼び、仏教で、祖霊を供養して「倒懸(逆さ吊り)の苦」を救う日だ。釈迦の弟子に「目連」がいた。目連の母は生きている時の行いが悪く地獄で苦しんだ。目連が悲しむと、釈迦は母を助ける方法を教えた。僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る日に、百種類の馳走と五つの果物で供養をすれば救われるという。その日が陰暦の7月15日、盂蘭盆が盂蘭盆節と呼ばれるようになった。供養すると、生きた親はもちろん、亡くなった親も生まれ変わることができるという。

▼ 仏教音楽の供養を終えてから歌う詩歌「悔心曲(回心曲、회심곡)」を聴く。経文でなく、民謡要素が強いとのこと。

・盂蘭盆には、色々な意味がある。両親を想う日であることはもちろん、草刈りを終えて楽しむ日でもあった。

2015年9月2日水曜日

東京オリンピック・パラリンピック

東京オリンピックの話題で何かとせわしいけれど、五年先のこと、さほど心配していない。それより、どうやって見ようか、ちゃんと見られるだろうか、チケットはどうすればいいのだろうと、考えればきりがない。

どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。

天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。

1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。

それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)

2015年9月1日火曜日

二百十日 2015

今日は雑節の「二百十日」。この言葉、今よりも子ども時代の方が馴染んだ記憶がある。昔、台風襲来のたび、木造家屋は強くなかったのだろう、親父が木の雨戸に釘を打ち付けて固定していた思い出がある。

いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。

私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。

今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。

1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。