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2014年5月31日土曜日

とうとう真夏日だ!

5月最後の今日、夕方に外から戻って自分の部屋を開けると、こもっていた熱気に押し返されそうだった。今年初めてのことだ。夜分になっても、熱気がなかなかひかないでいる。

① 日本気象協会のtenki.jp(5/31、11時9分)によると、今日、「東京で今年初の真夏日」と次のように予想している。
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・東京で午前11時1分に気温が30度2分まで上がり、今年初めて真夏日になりました。去年に比べて18日早い初真夏日です。明日も真夏日になる予想で、暑さが続くでしょう。熱中症に注意が必要です。
・予想最高気温は東京31度、前橋33度、熊谷32度と厳しい暑さでしょう。
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② 最新情報の、Time-j.netの「今日の最高気温」(20時現在)によれば、東京31.6℃、地元に近い府中32.7℃だったとのこと。

ちなみに、Wikipediaの「気温」によれば、「夏日:日最高気温が25℃以上の日。真夏日:日最高気温が30℃以上の日。」とのこと。

2014年5月30日金曜日

この世の果て

もうじき、5月が終わろうとしている。夕方、日ごとに明るさがたまるのを、まるで時間そのものが遅くなったように感じてしまう。時間は、時間であって、制御できるものではないのに。
そういえば、モスキート音の12,500Hz以上が聴こえない・・・ああ、一体いつからだ。

宇宙が誕生して、約137億歳(正確には、13.772±0.059 Gyr)だそうだが、それより昔はあったのか。今、膨張する宇宙の果ては存在するのか。一般向け説明を何度か聴いているはずだが、相変わらず理解できない。いっそ、宇宙が入れ子になって、私の手元にでもあればいいのに。

大切な父親を偲んで作られたという歌「この世の果てまで(The End Of The World)」(1962年、作詞・作曲:アーサー·ケント、シルビア·ディー)は、スキータ・デイヴィス(Skeeter Davis、1931年12月30日~2004年9月19日)が淡々と歌うことで、かえって身にしみる。

(本ブログ関連:”Skeeter Davis”)

岸辺に波を打ち寄せる海に、さえずる鳥たちに、天空に輝く星々に、変わらぬものに、ふと時の終わりを感じてしまう。そんなことってある・・・残念ながらなかったけれど、でも、そういわれれば納得できるような気がする。

時間は、どうやら過去にしか感じられない。だから、未来なんて分からない・・・分からないから、枝分かれするパラレルワールドがせめてもの慰めだ。

(Youtubeに登録のALLEN0955に感謝)

2014年5月29日木曜日

イ・ソンヒの「ヨン(Young)」

イ・ソンヒには、恋が若さの一幕に過ぎない特権を謳歌する、3集所収の歌「Young(영)」(1986年)がある。世宗文化会館での「デビュー22周年ライブコンサート」(2006年6月17日、18日)のYoutube映像に、デビュー2年目、22歳のときのこの歌を、40歳を越えてもなお初々しく歌うイ・ソンヒがいる。

Daumミュージックの「世界を変えた歌36弾 - イ・ソンヒ "Jへ"」(2012年1月20日、ユン・ホジュン)は、この「Young(ヨン)」から、イ・ソンヒが若い女子中高生たちのアバターとしてリードしたと次にように語っている。
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・イ・ソンヒは、「Jへ」から始まったイメージで、1980年代を生きたし、最高の人気を謳歌した。しおりにさしておいた色褪せたイチョウの葉を物語る「ヨン」が、少女たちだけの内密な世界を扱った歌が、人気歌謡の序列に上った時期はかつてなかった。レコードを発表するたびに、声がアップグレードされた彼女は、若い作曲家ソン・シヒョン(송시현)の歌を歌う時まで無敵だった。1990年代の入り口で「思い出のページをめくれば」を歌う時まで、イ・ソンヒは女子中高生たちのアバターであり、隠した欲望の代理人であった。
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Young しおりに挿した
Young イチョウの葉は色あせても

Young たまらなく会いたい Young うーん・・・
あなたは 今 どこに

Young わたしだけ 一人 寂しく
Young 残しておいてどこへ行ったの

Young 戻って来ることができないの  Young うーん・・・
私はあなたを愛してる

夕闇背負って  川岸に座って
花の指輪をさして  ささやいたその言葉

Young あなたは忘れてしまったの  もう忘れたの
帰ってきて  私はあなたを あなたを愛してる


(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)

2014年5月28日水曜日

(資料)韓国のネット音楽配信での歌手収入

韓国のネットによる音楽配信で、歌手の収入が厳しい現状にある。ソウル新聞の記事「音源サイト歌一曲の歌手持分として、0.36ウォンだけ…それで乗り出した、シン・テチョルの音源組合」(4/28、キム・ソラ記者)に、次のように厳しい状況が紹介されている。(抜粋、一部並べ替え)

ミュージシャンに少しでも多くの収益をもたらすため、音源流通のための協同組合が提案されたそうだが・・・とりあえず、ここでは現状のみ記す。

(本ブログ関連:”音楽市場”)
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・現在の音源市場は、歌手が音源収益の10%も持っていくことができない構造だ。文化体育観光部の「音楽伝送使用料徴収規定」によれば、メロンやバグスミュージックなど音源サイトで流通する音源は、全体収益を次のそれぞれが持つ。
⇒ 40%: 音源サイトを運営する業者
⇒ 44%: 歌手が所属した製作会社
⇒ 10%: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒   6%: 実演者(歌手・演奏者)
・月6,000ウォン程度を出して無制限にストリーミングできる、定額制でストリーミング1回当たり、実演者に落ちる持分は、1ウォンにならない。

・ミュージシャンは定額制を「ダンピング」と指摘して、従量制での転換を要求してきた。これに伴い、文体部は、昨年(2013年)5月、音源従量制を導入して、歌一曲が再生するたびに、次のように戻るようにした。
⇒ 0.60ウォン: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 0.36ウォン: 実演者(歌手・演奏者)
・しかし、ミュージシャンの持分が相変らず微小なうえに、消費者の選択権を理由に定額制と併行するようにして、従量制導入の意味が見るべきものがなかったという指摘が多い。音源市場の不均衡は、固定化されている。
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2014年5月27日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第57回として、冬を越して夏に実る「麦(보리)」にまつわる話を紹介した。

始めに、食料が窮乏する「春窮期(ボリコゲ、보릿고개)」について逸話と伴に、次のように紹介された
・秋冬に備蓄の食糧を食べ尽くし、麦を収穫するまで、深刻な食糧難の時期を「春窮期」という。麦(보리)と峠(고개)の象徴的な意もあり、この時期を乗り越えるのを「ボリコゲを越えた」ともいった。
・朝鮮21代王「英祖(영조)」(1694年~1776年)は66歳のとき、15歳の新王妃「貞純王后(정순왕후)」を迎えた。王妃候補者へ「これまでに一番辛かった人生の峠は何か」との問に、彼女は「ボリコゲ」と答えて高く評価された。彼女が民を思ったか諸説あるが、当時、生活難に苦しむ人々の様子を表している。麦畑が黄金の色に染まる、今頃の時期が「ボリコゲ」にあたる。

▼ 「麦畑(보리밭)」を聴く。麦畑をかすめる風が見える・・・穏やかな、今様である。

次に、庶民の立場から「ボリコゲ」について、次のように説明された。
・米は秋、麦は夏頃収穫し、夏に麦飯を、冬に白米を食べた。寒い冬に米を食べて体力を補い、暑い夏に麦を食べて体の熱を冷まし、余裕がある時、白米は熱く、麦飯は冷たくして混ぜご飯にして食べた。収穫した米が底をつき、麦畑がまだ実らぬ時期、人々は何としても生きる道を探すしかない、そんな時代が50年前まであった。

    (*) 韓国の稲・麦の二毛作地域はどのようなのだろうか? ⇒ (本ブログ関連:””)

・「食事はされましたか(식사 하셨습니까?)」という挨拶は、「ボリコゲ」から生まれた表現だ。今では体に良い麦飯だが、昔は、命をつなぐ大事な主食であった。麦の収穫から脱穀の作業を「麦打ち(보리타작)」という。

▼ 「麦打ち歌(보리타작 소리)」を聴く。実際の麦打ち作業は、もっと揺ったりでは・・・まるで餅つきだ!

最後に、麦打ちの道具「トリケ(도리깨)」と、労働の歌「オンヘヤ(옹헤야)」について、次のように解説された。
・昔、麦の脱穀に「トリケ」と呼ぶ殻竿を用いた。長い殻竿の先に「フィチュリ(휘추리)」という棒を二つ程付けて、地面に干して置いた穀物を打った。この作業は、数人が一緒に互いに助け合い、楽しく働くために歌を歌いながらした。
・「トリケ」で穀物の穂を打つリズムに合わせて、一人が掛け声で歌い出し、残りの者がついて歌う形式だ。民謡「オンヘヤ」も、もとは麦の脱穀で歌ったものだ。民謡には稲作に関するものが多いが、麦も大事な食糧であり、たくさんの民謡がある。代表的な麦打ち歌「オンヘヤ」で、「オンヘヤ」というシンプルな歌詞には、「ボリコゲ」を無事に越して麦打ちをする人々の収穫の嬉しさが込められている。

▼ 「オンヘヤ」を聴く。調子のよさに、イ・パクサを思い出したよ・・・歌詞はママに、曲は今様である。

2014年5月26日月曜日

なでしこ アジア杯初V

結局、結果が確定したのは、今日の日付に変わった深夜零時過ぎだった。FIFA女子ワールドカップはすでに制したものの、いまだにAFC女子アジアカップの優勝のない「なでしこジャパン」が、ついに念願を果たしたのだ。
スポニチAnnexの記事「なでしこ アジア杯初V視聴率20.6%!瞬間最高25.9%」(5/26)によれば、深夜にもかかわらず高いテレビ視聴率だったと、次のように報じている。(抜粋)

サッカーをよく分からず何となく観戦する(「オフサイド」も分からぬ)にわかファンだが、今回はしっかり見ましたよ。気分としては、テレビ解説者松木安太郎氏の、おじさん口調で「よし!よし!」の語りにのって画面に叫んでました。

全力疾走で走り続ける女子選手たちが素晴らしい。きっと、来月の男子ワールドカップに、よい影響を与えることだろう。それにしても、川澄奈穂美選手の笑顔が、まぶしくて可愛らしいこと。

(本ブログ関連:”なでしこ”)
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・なでしこジャパンの「アジア杯」初優勝を伝えた25日のテレビ朝日「日本×オーストラリア」(後10:11~0:15)が、20.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の高視聴率を記録したことが26日、分かった。

・22日の準決勝・中国戦の18.5%を上回り、銀メダルを獲得した2012年のロンドン五輪以降、女子サッカー中継としては最高の数字となった。

・瞬間最高視聴率は午後10時57分の25.9%。前半41分、MF澤穂希(35)が相手選手と接触した場面だった。
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2014年5月25日日曜日

図書館はいっぱい

今日は久し振りに部屋を片付けたため外出が遅くなり、図書館に着いたのは午後2時過ぎ。スタディーコーナーは満席で、座席の確保が難しい。特に日曜の休日は。それでも、利用しようと人々が次々来ては、発券機の前に並ぶ。

スタディーコーナーのシステムは、決まった予約時間ごと、個人カードを使って発券機から座席レシートを得て利用する。合理的なのだが、実は、気になることがある。
例えば、予約時間より早く退席する場合、発券機に戻って終了手続きをすることになっているが、やらずに退出する人がいて、システム上は利用者がまだ存在することになる。予約時間終了まで、その席は誰も使えない。そんな座席が散見するようで、もったいない。

利用できない者は、同じフロアに設置された、会議用の開放テーブルを使う。こちらも混み合っていて気ぜわしい。当然ながら、テーブルには対向の間仕切りもない。でもいいか。

しばらく、こちらのテーブルを利用して、添削いただいた作文(イ・ソンヒコンサート訪問)を復習する。丁寧に赤字を入れてくださった韓国語教室の先生に感謝。

2014年5月24日土曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

今月の初旬、「子どもの日」の祝日を中心に、家族連れで賑わう楽しい連休があった。ところで、韓国のひとびとにとって、この5月は、一方で深い記憶に残る月でもある。

イ・ソンヒには、5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ/イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。ふっと吹き寄せる風に、記憶は呼び覚まされる。彼女は、メッセージを直裁でなく、かすめる、そして遠くに流れる風に託して歌う。

政治性を持ち続けたわけではない。むしろ、イ・ソンヒは、その振幅は大きかったといえる。乾いた五月の陽射しの中、こころに寄り添う風が吹く限り、この歌は歌い続くだろう。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

(Youtubeに登録の라이브쓰리제이に感謝)

2014年5月23日金曜日

ペ・チョルスとイ・ソンヒ

以前、韓国経済の記事(2011年1月8日、キム・ミョンシン記者)に、KBS音楽番組「コンサート7080」のMCペ・チョルス(배철수、裵哲秀)が、”歌手として”事実上引退の可能性を示唆したという内容があった。

(本ブログ関連:”ペ・チョルス”)

ペ・チョルスは、いわゆる歌謡祭出身の歌手で、中央日報の記事「【噴水台】スーパースターK」(2010年10月24日、ソン・ウォンソプJES記者)が、スーパースターKなどオーディション番組隆盛時に、過去の同様のイベント(歌謡祭)紹介の中で次のように記している。
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・30余年前の「大学歌謡祭」を連想させる。77年に始まった「MBC大学歌謡祭」も盛り上がったのは2年目の78年だった。第1回大会の成功でレベルの高い参加者が数多く集まり、参加者のうちペ・チョルス、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、シム・スボンらが80年代の大衆文化の主役に成長した。同じく78年に始まったTBC(東洋放送)「海辺歌謡祭」もワン・ヨンウン、チュ・ビョンジン、グ・チャンモ、イ・チヒョンらを輩出した。その後、さまざまな大学生歌謡祭が韓国放送・歌謡界の登龍門に定着した。
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K-Wikipediaによれば、ペ・チョルスのデビューは、1978年のTBC第1回「海辺歌謡祭」のようだ。
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・1978年に 東洋放送 TBC第1回「海辺歌謡祭」では、グループ滑走路(RUNWAY )の一員として出場し、「世間知らずで生きてきた」で人気賞を受け、同年MBC第2回「大学歌謡祭」にも出場、<仮面舞踊>で銀賞を獲得した。
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(ちなみに、イ・ソンヒは、1979年に開始した「MBC江辺歌謡祭」の第5回(1984年)で、「Jへ」により四幕五場のグループとして大賞受賞している)

そんな、ペ・チョルス(1953年8月18日~)が、最近、30周年記念コンサートをした、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)とのデュエットの申し出を断ったという、おもしろい記事がある。アジア経済の記事「【ラジオスター】ペ・チョルス 『24年間のあいだ歌っていない、イ・ソンヒのデュエット拒絶』」(5/22)で、イ・ソンヒとの、年齢差と音楽経験の違いから、次のようなやりとりを述べている。
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・自分を置いて(出演した番組中の会話)争奪戦が広がるとすぐに、ペ・チョルスは、「イ・ソンヒさんから電話があった」と、「先だって、(15集)アルバムを出しながら、先輩とデュエットで歌いたいと言っていたよ」という事情を告白した。だが、ペ・チョルスは、「ソンヒさんよ、どうか、やらないでください」と、イ・ソンヒの提案を断った。
・ペ・チョルスは、「私は、24年の間(音楽を)していなかった」と話し、歌いにくいという立場を表わした。
・【ラジオスター】ペ・チョルスの音楽ネチズンは、「ペ・チョルスの声、また聞きたいけれど」、「ペ・チョルス、イ・ソンヒとデュエット想像するだけでも良いのに」など反応を見せた。
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2014年5月22日木曜日

【多摩の代官】関東十八代官

地元公民館で、江戸時代初めの多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授の第2回目講演「関東十八代官」を聴講した。(前回(5/8)のテーマは「代官頭大久保長安」)

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にともない、江戸時代前期の「幕領」支配としての4つの代官領の一つである多摩地域の代官頭となった大久保長安は、配下に「関東十八代官」を従えた。その拠点となったのが、代官町を形成した八王子だ。当時の八王子は、宿場(流通経済)、千人同心(武力)、関東十八代官の集住(行政)のミニ城下町機能を持った。

・徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。
・十八代官は、幕領支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
・正徳5年(1715年)に小普請に落ちたケースがある・・・十八代官制度は、100年以上続いた?
・多摩川に沿った武蔵野台地を支配した十八代官のひとつ、(メインテーマである)、武田家出自の高室代官(4代70有余年)の各代について説明された。最後の代官となる四郎兵衛昌貞は、元禄2年(1689年)在職中に、「多分の貢金を私して其会計滞りしにより」、最終的に4月25日切腹を命ぜられる。

今回、興味深かったのは、十八代官の家督を継ぐのは大変なことだったようだ。ある意味、徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた。

(追記)
興味深い話しに、江戸時代に石高が増えた理由として、新田開発だけでなく、傾斜地を開墾して段々畑にしたと説明された。今は草木に覆われて忘れられたかもしれないが、耕地に対する地道な努力がされていた。

2014年5月21日水曜日

桃太郎と母

青空文庫には、長谷川時雨の、桃と時代に洗練された姿の西王母について記した、掌のような短文「」が収められている。西王母や桃への優しい眼差しとは別に、少し視点を変えて、桃太郎の物語を眺めてみよう。

桃から生まれた、桃太郎の生い立ちは不思議だ。彼の母親とは一体誰だったのだろう。もし母親が、山海経の西山経に記された玉山に住む、三千年に一度咲くという仙郷の「桃」を与える西王母だったなら。ちなみに、玉山は西の方位にある。

桃太郎は、配下の猿(申)、雉(酉)、犬(戌)を引き連れて、西に棲む鬼を退治して、金銀財宝を奪い、育ての親である爺さんと婆さんに報いる。五行と十二支から、西は金であり、雉(鳥)を中心に猿と犬が位置する方位だ。物語は、果たして大団円なのだろうか。桃太郎は、なぜ母の住む西の世界から財宝を奪ったのか。なぜ母の元へ帰ろうとしなかったのか。

西王母が、刑罰(五残)を司ったことから、まさに地獄の使者たる鬼と結びつきがありそうな気がする。果たして、西王母と鬼との世界はどうだったのだろうか。

2014年5月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 瀟湘八景

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第56回として、八つの景勝地、「瀟湘(しょうしょう)八景(소상 팔경)」にまつわる話を紹介した。

まず、パンソリ「沈清歌(심청가)」中の歌「泛彼中流(범피중류)」について、次のようにな解説から始まった。
・物語を歌い語るパンソリは、口承文芸のひとつで、12作品のうち、今伝わる5つの中に「沈清歌」がある。沈清歌の中でも「泛彼中流」の歌は、美しい景色をのんびりとしたリズムで歌う。泛彼中流は、舟が海の中を突き進む意だが、波中を行く舟の様子や島の近くでカモメが飛び交う景色など歌う。陽射しの心地よい、ある午後の平和な風景が目に浮かぶ。
・沈清歌は、父親の目を治す治療費のため舟に乗って売られていく、沈清の物語だ。この景色は二度と見ることができないと、彼女の目になんとも美しく映った。

▼ 「沈清歌」中の「泛彼中流」を聴く。茫々たる滄海に、蕩蕩たる波濤は逆巻く・・・漢詩の風景に漕ぎ出る。

・この泛彼中流の背景は、昔の詩人や画家がよく題材にした中国の洞庭湖の南、「瀟湘八景」と言われる、二つの流れが合流する大きな湖のあたり。この地名から、泛彼中流を瀟湘八景歌とも呼んだ。

次に、瀟湘八景の美しい景色を表す表現について、次のように紹介された。
・山あいの村にきれいな空気が漂う「山市(さんし)晴嵐」。夕陽に染まる漁村の「漁村夕照(せきしょう)」。また、遠く川の入り口から帆掛け船が入り来る「遠浦帰帆」。夜の瀟湘川に雨が降る「瀟湘夜雨」。さらに、洞庭湖に映った秋空の月を「洞庭秋月」と言い、哀愁を感じさせる言葉だ。
・ソウル近郊の京畿地域民謡「バンア打令(방아타령)」にも、瀟湘八景の一部を歌った歌詞がある。「バンア」は、穀物をつく器具などを指し、「バンア打令」は、もち米をつく音を真似て歌われたといわれる。

▼ 「バンア打令(방아타령)」を聴く。帆に風受け・・・どこか勇壮、足腰に力を入れて進む。自然に拍を打つ。

最後に、瀟湘の川辺に伝わる娥皇と女英(아왕、여영)の二人の悲伝について、次のような説明された。
・美しい場所には、悲伝が伝えられることも多い。その昔、堯王は舜を後継者に決めて、二人の娘(娥皇と女英)を嫁がせる。舜が王となり、歳月が流れたある日、南の地域を回って海岸沿いの蒼梧山で急に命を落とす。娥皇と女英はすぐに蒼梧山に向かうが思いのままにいかず、二人抱き合って泣いた場所が、瀟湘の川辺だ。結局二人は川に身を投げて舜王の後を追う。彼女たちが涙を拭いた手を川辺の竹やぶに振り払った、その涙が血涙となって竹の節についた。その後、この地域ではシミのある竹が生えるようになったという。

▼ 「横笛テグムの音(젓대 소리)」を聴く。古色に西洋の香りする・・・現代音楽風、今様である。

・この地域の竹を、瀟湘斑竹という。

2014年5月19日月曜日

見間違えのこと

え~、今日は時間が速い。日没は遅くなっているのに、気の回ることがあると、あっという間に夕暮れ、そして夜の9時だ。

イ・ソンヒの4月のコンサート会場である、世宗文化会館の建物入り口前に置かれた組み立て椅子にすわって、のんびり世宗大路(世宗広場)を眺めていたときのこと、アメリカ大使館横、右手奥に見える建物が気になった。実は、前回のコンサートのときにも気付きながら、確認しないままでいた。

建物の一番上の壁に取り付けられた”n9”という赤い文字が目に入った。”n9”って?・・・news9のことかな・・・とすると、ニュース専門チャンネルだろうか?・・・大手新聞社が系列のテレビチャンネルを持つことができるようになったから、そんな放送局でもあるのかな?

おじさんの好奇心はそこまで。歩いて建物を確認する気はなかった。都市の街並みは同じだ、なんて。

実は、news9放送局なんて無いのだ。あの建物は一体何だったのだろうと気になって、グーグルのストリートビューで探してみたら、何と”n9”は、”119”、すなわち、鍾路(종로)消防署の文字だったのだ。(ちなみに、世宗文化会館から見た光景

・・・そんなことがありました。そうそう、フックエンターテインメントの建物もストリートビューで見ちゃいました。

2014年5月18日日曜日

甲州 黄金沢金山

久し振りに四人揃って、甲州の黄金沢金山へ鉱物採集に行く。先週の渦の沢に続き、2週連続の採集は、おじさんに厳しい。とはいえ、先輩も同じこと故、言い訳にもならず。
今回の目標は意気高く、金山だから「自然金」を、そして当地で知られる「洋紅石」を、「ミメット鉱」を、「車骨鉱」を・・・と。

中央高速の利用もあって、珍しくJR中央線の駅に集合。いつもお世話になるH氏の車に、S氏と同乗して集合場所の甲州市市役所へ進む。今回の案内役を引き受けていただいたY氏と合流して、県道207号を北上、竹森川の上流にある黄金沢金山へ向かう。途中、ゲートがあり、そこで降りて、山林をくぐり、沢を渡って黄金沢金山のズリまで歩く。

(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。

天気晴朗、陽射しが強く、ズリに散らばる花崗岩や石英がキラキラと輝き、金属鉱物と間違えそう。ともあれ、コツコツと石を探しては、ハンマーでカンカン割り続ける・・・。残念ながら、志の高さに比べて、目標鉱物はもっと高すぎたのか見当たらず。
それでも、それなりに地味~に、次の鉱物を採集した。

・方鉛鉱、閃亜鉛鉱、硫砒鉄鉱、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、珪孔雀石

ところで、案内役のY氏から、当地の産出鉱物の種類から、秩父の大滝と状況が似ているとのこと。いろいろな情報を教えていただき、感謝。そして、採集地まで2人を同乗させていただいたH氏に感謝。

気心の知れた仲間との、ほっとしながらの採集は楽しい。せっかく、ここまで来たのだから、熱い夏は、砂金採りでもしようかという話になった。

2014年5月17日土曜日

調布飛行場

今日の陽射しは気持ちがよい。午前、近所の崖線下にある公園の木陰道をサイクリングする。風に揺れる木漏れ日が、まるで頬をなでるようだ。静かな緑陰とベンチを探して読書する・・・時間も、空気も、気ままに過ぎる。

小川沿いの道を、夫婦が、恋人たちが、赤ん坊をバギーに乗せた若い家族が散歩するのが見える。グラウンドから少年野球の声援も聞こえてくる。のんびりした時間だ。そうだ、隣りの公園の南に、東京都調布飛行場がある。せっかくのお天気だから、ちょっと遠乗りしてみようと、思いつくままに進めた。

プロペラカフェ隣接格納庫の駐機
飛行場につながる武蔵野森公園には、休日のせいか、緑の芝生で幼い子どもとの大切な時間を過ごす親子連れが目に付く。公園はどこも平和だ。

飛行場の旅客ターミナルを抜けると、飛行場の誘導路&滑走路に隣接する「プロペラカフェ」の店がある。当然ながら、入ってみれば、滑走路側の客席はすでに家族連れで埋まっている。この店は格納庫に連なっていて、ガラス窓越しに、写真のように駐機を観察することもできる。
さっそく、格納庫側に坐って、コーヒーとケーキ(ガトーショコラ、おじさんにはヘビー過ぎるが)をいただきながら眺める。駐機は次の2機以外にも小型機とヘリコプターが数機見えた・・・わが家の上空を飛んでみたいと、ふと空想する。
・(奥側)Piper PA-46-350P Malibu Mirage
・(手前)Liberty XL-2

お客が混んできたので、早々引き上げた帰り道、空港ターミナルを見ながら、何~んにも用事はないけれど、Dornier 228-212に乗って、ちょっと南の島(新島、大島、神津島、三宅島)に日帰り飛行でもしたい・・・そんな気がした。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

2014年5月16日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念コンサート(MBC)

イ・ソンヒは、30周年記念コンサートの舞台から、「わたしが出会った数多くの人々の中で、みなさんに出会ったこと! それ自体、奇跡です」と語り、15集アルバムのタイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」を歌った。MBCは、その姿を、昨日(5/15)放送した・・・コンサート映像がDVD版で製作されることを願う。

次のYoutubeは、コンサート2日目のもので、幸いにも私が目にした舞台でもある。美しいストリングの音に乗せて、イ・ソンヒは、いつもの伸びやかな、そして独特な力強い澄んだ高音で歌った。星数の人々の、その中で出会って、互いに知った奇跡の愛。たとえ、それが遠ざかり、永遠の時が経っても・・・。

(本ブログ関連:”30周年記念”)


(Youtubeに登録のPeter K.に感謝)

2014年5月15日木曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

イ・ソンヒには、5集所収の「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン、1989年)という曲がある。まるで童謡のように懐かしく、恋しい思い出を歌う。子どもたちのために、童謡を、ミュージカルを、いくつも手がけた彼女ならではの、美しく、そしてちょっと切なくなる歌だ

(本ブログ関連:”「お姉ちゃん」”)

涙を流さないで、小さな路地の片隅の夢を忘れたと
涙を流さないで、雲のようにかすめて行った虚しいことを
なにも言わないで、その眼の輝きが消えるように私にささやくのですね
なにも言わないで、空の彼方が夕陽に染まるまで
悲しくても泣けない、タンポポの花の上に陽射しいっぱいなのに
見ても見えぬ、触れても採れないのですね
どこにいるの、お姉ちゃん

濡れた歌のように、あなたの小さな胸に雨が降ると
いつか言ったよ、うつろにただ歩きたくなる
私を呼ばないで、背を向ける姿に悲しみだけなのを
私を呼ばないで、そよぐ風が私の姿なのを
空の彼方、巡る鳥の羽ばたきだけ虚しいのに
聞いても聞こえず、探しても見つからないのですね
どこにいるの、お姉ちゃん


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2014年5月14日水曜日

若田 ISS船長 帰還

JAXAのお知らせ「おかえりなさい、若田宇宙飛行士! 無事地球に帰還」(5/14)によれば、宇宙での長期滞在188日の、国際宇宙ステーション(ISS)の船長を勤めた若田光一宇宙飛行士が無事帰還したと、次のように報じている。

(本ブログ関連:”若田宇宙飛行士”)
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(時刻はすべて日本標準時)
・5月14日(水)10時58分に、若田宇宙飛行士をはじめ3名のクルーが搭乗するソユーズ宇宙船(TMA-11M/37S)が、カザフスタン共和国の草原に無事着陸しました。
・若田宇宙飛行士は、2013年11月7日から第38次/第39次長期滞在クルーとして国際宇宙ステーション(ISS)での長期滞在を開始し、ISSの運用、「きぼう」日本実験棟を含むISS各施設のシステム運用、科学実験をはじめとする宇宙環境の利用に重点をおいた活動を行いました。
・滞在の後半となる第39次長期滞在ではアジア初のISS船長に就任し、3月9日から66日間にわたり指揮をとりました。
・約6ヶ月の応援、ありがとうございました。
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若田宇宙飛行士を、どれだけ若い目が追っただろう。国際宇宙ステーション(ISS)の船長という重責をこなされたことは、人の和をつなぐ素養も必要だと知らせてくれた。
宇宙が、開拓や冒険の世界から、連携と協調の世界になったと、子どもたちは学んだに違いない。これほど素晴らしい教育は他にない。子どもたち自身の目で見届けたのだから。

2014年5月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鳳凰

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第55回として、めでたい鳥とされる「鳳凰(봉황)」にまつわる話を紹介した。
番組の進行役が岸加那子さんからキム・ボエ(金寶愛)さんに代わった。いずれ岸さんの吉報が報告されることでしょう。そして、ボエさん、こんにちは。

始めに、鳳凰と善政の関係について、次のように紹介され。
・雨上がりの夜、蝋燭を灯した部屋に座ると、窓に人影が映る。嬉しく急ぎ出ると、青桐の葉が風に揺れていた。ソンビは、「鳳凰が来たのか」と自ら慰める。学識と人柄を備えたソンビは、よく庭に桐を植えた。娘の嫁入りの箪笥作りのためもあるが、縁起の良い鳳凰が桐にだけ巣を作るからだ。荀子の哀公編に、生を好んで殺を忌み嫌う政治をする王のもとに鳳凰が留まるという。

▼ 男唱歌曲「言楽(언락)」を聴く。以前聞いたもの・・・男の照れ隠しか、のんびりした風情で。

次に、鳳凰の姿と泣き声について、次のように解説された。
・鳳凰の雄を鳳、雌を凰と言う。その姿は、鶏の頭にツバメの口ばし、蛇の首と龍の体、麒麟の羽と魚のしっぽを持つ。麒麟は、鳳凰のように縁起が良い想像の動物だ。この外見はそれぞれ意味があり、胸は慈しみの「仁」、羽は理にかなう「義」、背中は敬意の「礼」、頭は恵みの「徳」、そして腹は信頼の「信」を表す。
・鳳凰は、群れることも、粟などついばむこともない。竹の実を食し、生虫や草を害さぬ神聖な鳥だ。乱れた姿で飛んだり、人の張った網に掛かることもない。鳴き声は、まるで、に似た管楽器の笙簧(생황)の音色に似る。

▼ 「薯童謡(서동요)」を聴く。民謡から・・・百済と新羅のドラマもあるそうだが、今様である。

最後に、鳳凰にまつわる装飾や歌舞について、次のように説明された。
・鳳凰は縁起の良い鳥と言われ、貴族の品によく描かれた。王族の服や布団、枕だけでなく、鳳凰の形を掘った簪(かんざし)は、王妃や姫が使った最高の贅沢品だった。
・パンパイプ型の楽器「鳳簫(봉소)」は、長さが異なる竹管を平らに並べた形が鳳凰の羽に似ることから「鳳簫」と呼んだ。また、朝鮮王朝初期の歌に、文物制度を称えて、王家の平和を祈願した歌「鳳凰吟(봉황음)」もあった。他にも、世宗大王がハングル創生後に作った、王朝を称える歌「龍飛御天歌(용비어천가)」に合わせた、音楽と踊りを「鳳来儀(봉래의)」と呼んだ。

▼ 「天の川と鳳凰(은하수와 봉황새)」を聴く。古色に流れて・・・なぜか感興がわかない。

(放送電波に載せる、前回内容の岸さん”最後の放送”が、前々回のものだったという、お詫びが掲示されている・・・う~ん)

2014年5月12日月曜日

中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」

考えてみれば、人生は永遠の放浪かもしれない。道どりなんて、あるようでない。だから、横丁で、あんちゃんが、人生は一度しかないのだからと、うそぶいているのもうなづける。楽しくなくっちゃ人生じゃない、楽しまなくっちゃ人生じゃない。

でもね、人生はもしかしたら、大きな廻り舞台かもしれない。皆がそれぞれ、自分自身だと思っている役割を演じているだけ。真っ暗な客席にざわめきはするけれど、一体誰が見ているのだろう。

人生に尋ねてみよう。中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」を聴きながら、来し方を思い返し、行く末をそっと眺めてみる。そして、気付くのは、人生の羅針盤は、そこにある手鏡でしかないのだと。そう、自分を知るのは自身でしかないのだと。だから、人生よ、永遠の嘘をついてくれ。

(本ブログ関連:”中島みゆき”)


(Youtubeに登録の 翼を広げて舞い上がる に感謝)

2014年5月11日日曜日

秩父鉱山ウズノ沢(渦の沢)

【秩父鉱山大黒坑へと出かけてみたが】

中津川沿いに県道210号線を北上。出合トンネル入り口に達したとき、「全面進入禁止」、「落石注意」の看板が立っていた。ここに至る途中、道路の陽影急斜面にまだ残雪があって、防石金網の覆いを押し広げるように路面にずり落ちていた。トンネル入り口で停車して、秩父鉱山への走行をどうしようかと思案する横を、他の車がスイスイと走り抜け進入するが・・・万一を思い断念した。

【急遽、渦の沢へ場所を変える】

出合トンネルに入らず、そのまま道を直進。例によって、炭焼き小屋施設の上にある、渦の沢に入る。思った以上に冷える。急いで簡易ヤッケを着る。沢に入ると、何と!枯葉に守られた下に未だ雪が残っていた。・・・とはいえ、採集を始めると、暑くなって簡易ヤッケを脱ぐ。

さて、噂によれば?cm台のものが見つかったという燐灰石は全く見当たらない。今回の採集品は次の通り。(いただき物も含む)
・磁鉄鉱+灰鉄輝石、緑簾石(緑色透明針状)、黄鉄鉱、菱鉄鉱+[硫酸鉛鉱(or白鉛鉱)]?、閃亜鉛鉱+水晶、灰鉄輝石、孔雀石

(本ブログ関連:”「秩父鉱山ウズノ沢(渦の沢)」”)


(追記) この時期、虫が湧くのか、虻(アブ)が周りを飛び廻りうるさい・・・中には、メガネを越えて目の中に飛び込んでくるものまでいる。虫除けが必要だ。

2014年5月10日土曜日

謎の金銅製馬具

深夜、NHKテレビのETV特集「発見!謎の金銅製馬具~古代日本と朝鮮半島の交流史~」(23:00~24:00)を見た。福岡県の古賀市船原古墳遺物埋納坑で発掘された、古墳時代後期(6世紀頃)の新羅の金銅製馬具(例:歩揺付き金具)などの話題から、当時の新羅・百済・倭(磐井/ヤマト)の外交戦略を検討紹介した。

出土した金銅製馬具装飾品(福岡県古賀市船原古墳)や倭系甲冑(韓国全羅南道の沿岸部)、および前方後円墳(韓国西南部)発掘などから、当時、各国が互いにどのような外交上の交流がおこなわれたかを討論し、推定した・・・研究者は真摯で冷静な態度で、現在の国際区分からではなく、当時の地政から見る必要があると語られた。

同番組は、今週末5月17日(土)午前0時00分~(16日金曜、深夜)にも再放送される。

ところで、考古学素人として感心したのは、発掘技術の進歩だ。
① 発掘時に対象が明確でない(土中で見えない・繊細な部品など)場合、出土品の周りの土も含めて取り出す。
CTスキャナーで、取り出した全体を3Dグラフィック化し検討する。
③ 3D情報を元に、土の中から出土物を3Dプリンターで形にし、再構成する。

まさに、見えないものを見えるようにして、そこから形あるものだけを取り出すのだから驚きだ。
泥の中に埋もれていた、「金銅製馬具」の部品を形にして、馬が歩くたびに揺れる「歩揺付き金具」を見事に再現した。
一見地味な考古学研究で、3Dプリンターがすでに活躍していたとは・・・。

(資料)
西日本新聞「「出土例ない」華麗な意匠の飾り 福岡・船原古墳の金銅製馬具」(2013年11月24日

2014年5月9日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念コンサート実況 5/15放送 MBC

マイデイリーの記事「イ・ソンヒ 30周年記念コンサート実況 編成される  5/15放送」(5/8、シン・ソウォン記者)は、タイトルの通り、MBCテレビの編成表によれば、4/18~4/20に世宗文化会館で開催されたイ・ソンヒの30周年記念コンサート「歌う イ・ソンヒ」の実況を5月15日(木)午後11時15分から放送すると報じた。

今回、同時間帯の番組編成が未確定だったため、この放送が実現したようだ。

そういえば、4/19(土)のコンサート2日目の会場で、MBCがTVカメラなど配置して動いているのを見た。2009年のコンサートも同様、2日目の模様が撮影されているので、コンサート2日目は、歌手にとって一番好調なのかもしれない・・・コンサートは、2日目が狙いかも。

2014年5月8日木曜日

【多摩の代官】代官頭大久保長安

地元の公民館で、江戸時代の多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説するシリーズ講演会が始まった。朝方に届いたメールに気をとられ、返信などしているうちに・・・はっと気付けば遅刻してしまった。わずかな聴講であったが、興味深く話をうかがうことができた。

講師は法政大学大学の馬場憲一教授で、飄々と話され、かつ要所要所で気分をほぐらせてくれた。

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

第一回目は、代官頭大久保長安(1545~1613年)だ。(多数の金山を抱え甲州金で知られる)甲州武田家で、蔵前衆として金穀(金銭と穀物)をつかさどっていたが、同家滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の代官や、金銀山(石見、伊豆、佐渡、南部)の開発とその金山奉行を勤めた。死後、疑獄が起こり一族は処罰される。

終わりに近かったが、お話を聞くことができたのは、古文書資料などの解説も含めて次のテーマだった。
①代官領「八王子町」について、その町立て、八王子千人同心の成立、代官屋敷の配置など、ミニ城下町の機能を持たせた。
②交通網の整備として、八王寺町に沿う「甲州街道」を開設し、江戸城改修のため御用石灰(消石灰<石灰岩:現青梅市、昔の武州多摩郡上成木村、北小曾木村から、多摩川上流の山の根からの)輸送のために、「青梅街道」を開設した。
③高尾山、御岳山など修験道につながる宗教拠点へ対応(融和)した。

ところで、金山に関わった大久保長安の死後一族は死罪になったが、関東で多数の金山を持った常陸の佐竹氏も1602年に秋田へ転封(てんぽう)されている。他にも、金山、銀山に関わった重責者たちの、その後がどうなったかをそれぞれについて調べてみるのも面白そうだ。

(追記)
国立科学博物館で「企画展 石の世界と宮沢賢治」展(4/19~6/15)が開催されている。

2014年5月7日水曜日

(資料) イ・ソンヒ 伝説を超える

「舞台に上がった彼女が歌い始めると、辺りの空気は一瞬息を止める。胸の最も奥深いところに届く澄んだ清らかな声。その3分45秒間の歌(「Jへ」)が終わって、今年デビュー30周年を迎えた歌手ははにかむように笑った。」という書き出しから始まる、女性誌<レディ京郷>の記事「歌手イ・ソンヒ、伝説を超える」(5月号(4/28)、ノ・ジョンヨン記者)は、この4月にコンサートを無事成功させたイ・ソンヒの音楽に対する言葉を、次のように報じている。

イ・ソンヒの語り口には、独特なものがあるという話を聞いたことがあるが、今回その面を感じる。

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震えて、昨晩一睡もできませんでした。
柔らかいおかっぱの、白いジャケットに黒いスーツのズボンを履いて、少女のような微笑を見せる彼女を見たら、本当に昔のままだと思う。2009年発表した「愛よ...(사랑아...)」のアルバム以後5年振りだ。デビュー30周年を記念する、15番目の正規アルバム「セレンディピティ(Serendipity)」をもって帰ってきた彼女が久しぶりに大衆の前に立った。

悩みが本当に多かったアルバムです。30年目の歌手として、どのように位置づけなければならないだろうか、どんな曲をどのように歌わなければならないだろうか、色々な考えを整理するのに、音楽を作る2年間は一人だけの時間を過ごしました。そうするうちに、アルバムが出る頃になると、ちらほら周りで待ってくださる方々や、助けてくださる方々ができましたよ。私一人だけの音楽ではない、多くの人たちと一緒に作ったアルバムだと思います。

1984年の江辺歌謡祭で、「Jへ」で突風を起こしていつのまにか30年。ちっちゃな体躯で、爆発的な歌唱力を噴出した「小さな巨人」は、もう韓国歌謡界の歌姫として、色々な後輩歌手のメンター(指導者・相談相手)として、絶えず努力するミュージシャンとして、大衆と向きあっている。歌手としても変わらず良い歌を聞かせるというのは、歌っている人にもまた、聞く人にも本当に幸せなことだ。特に、しばらくアイドルと電子音楽に飲み込まれていた歌謡界に、陶磁器をこねるように一曲一曲真心を込めた彼女の歌は、贈り物のようにうれしい。

振り返ってみると、いつも遠くのものを眺めてうらやみ、それを追い求めようとしていたようです。近くにあったんですね。ある瞬間、私が探したそのすべてのことが、すぐ私のそばにあったということを知るようになりました。音楽もそのうちの一つです。30年間、歌を歌いましたが、どんな感興(想いや関心)があろうかと思われるでしょうが、感動がありましたよ。初めてデビューした時、とても大きな愛を受けたし、頂上に立ってみたりもしましたし、降りてきてみたりもしました。その時その時感じた幸福と感謝するということは様々ですが、今感じる幸福がその時より小さいとは考えません。むしろ、今より多くの感謝の気持ちを込めなければならない、という思いで作りました。

今回のアルバムには、彼女が過去2年間書いては消すことを繰り返した百余曲の歌のうち、選択された11曲の歌が盛り込まれた。このうち、イ・ソンヒは合計9曲を作曲して、7曲の歌詞を書いた。シンガーソング・ライターとしての面目躍如の作品だ。タイトル曲(「その中であなたに出会って(그 중에그대를 만나)」)を書いたパク・グンテをはじめとして、イダンヨプチャギ(ダブル・キック)、ソン・ウジョンなど若いミュージシャンとの作業も目につく。

今回のアルバムに参加した彼らは、みな若い仲間たちです。生活パターンがみな違ったんですよ。私は早く寝て早く起きるスタイルで、その仲間たちは、午後5時に起きて明け方ずっと仕事をして、朝に退勤するフクロウ型でした。妥協をしようとして、午後4時に始めることに合意を見たんですが、苦しがりましたよ。フクロウたちを連れて作業したため、ちょっと一苦労しましたよ(笑い)。アルバム作業で記憶に残るエピソードです。

一つ明らかなのは、彼女が伝説に留まるというより、前に進むのを選んだということ。「セレンディピティ」は、30年目の歌手の内省と同時に、彼女の挑戦精神がうかがえるアルバムでもある。

昔のヒット曲だけ歌って留まっている歌手で残るより、自らを鞭打って発展していく姿をお見せしたかったです。今まで、私を好きになってくださり、愛してくださった(ファンの)心を考えても、そのようにしなければならないと考えましたし。今回のアルバムは、『これまで、私に送ってくださった応援と愛、その時の記憶と暖かい心が力になって、私が今このようにしています』というメッセージが込められたアルバムです。それが長い時間、私を愛された方々に本当に報いる道だと思います。

果てしない青春の名で

今春、歌謡界は、とりわけカムバックの便りでいっぱいだ。イ・ソンヒをはじめとして、イ・スンファン、イ・ソラなど「歌王」たちの帰還が続いている中、トレンドを越えてオーラを見せるミュージシャンのカムバックは、日ごとに変化する歌謡界に新しい活力を吹き込んでいる。イ・ソンヒも、全世代を貫いて「通じる」歌を誕生させた。とても多くの音に埋もれて暮らして、淋しくても孤独だとは知らない人々のための音楽だ。

大衆音楽をする人間として、人々が自然に聞いて感性に浸ることができる音楽を基本とするけれども、日常の音、人々の声が音楽に自然に埋めたら良いという気持ちで、様々な音楽的実験をたくさんしました。私は音楽が多様でなければならないと思います。音楽には年輩(歳頃)がありません。先輩にも習う点が多く、とても若い仲間にも私が学ぶ点があります。先輩、後輩と一緒に舞台に上がるほど良いものがあるでしょうか?一緒に舞台で交わってみようとする、緊張とときめきと期待しているところです。

実際に、「最近の音楽をやっている仲間たちはどんな音楽をするか」という好奇心に、音楽放送モニタリングはもちろん、弘大のインディーズバンド公演も尋ね廻ったと。歌謡界の大先輩イ・ソンヒが見る最近のアイドル歌手はどんな姿であろうか?

女性歌手は、ボーカリストや音楽的多様性より、見せる面に集中しているようです。一律的にセクシーコードが多い反面、男性アイドルはもっと多様になりました。メタル・サウンドからロック、ダンス、ヒップホップまで多様なジャンルを消化しましたよ。個人的に名前はよく分からないが、注意深く見ています。

時間は、彼女だけ避けたようだ。アイドルの後輩たちの名前をいくつか覚えておけばよかったと、子どものように笑う彼女から、とうてい歳月の痕跡を探し見ることはできない。食傷ぎみである質問だが、童顔の秘訣を尋ねないわけにはいかなかった。

冗談で、そんな質問受けるたびに、『少し施術しました』といいます(笑い)。どうして変わらないのでしょう。詳しく見れば、時間の跡は明らかです。それでも、その変化が大きくないと考えられるのは、私が持つ明確なイメージのいくらかが、まだ変わらなかったからのようです。もし、今、私がアップスタイルに髪を上げて、ドレスを着れば、明らかに歳月の跡を探して見ることができるでしょう。相変らず、おかっぱの髪とズボンを守ることが、変わらないように感じられるようにするのじゃないのかと思います。

30周年という数字は、明らかに大きな意味を持つ。しかし、振り返ってみれば、彼女には一年一年が意味深い時間だった。もちろん、いつも良かったときだけがあったわけではない。今よりはるかに大いなる関心と熱い拍手の中にいた時もあったし、一人で孤独な時間を過ごした時もあった。それでも彼女が今この場所に立っているのは、留まらなかったからではないか?

昔のヒット曲だけ歌う歌手だったら、多分私はこの場所にいなかったでしょう。なじんだものを捨てて、新しいものを取って努力してきたから可能なのでした。もちろん、そういう努力が皆成功したのではなかったです。失敗した時もあったが、それを恐れないで何か絶えず試みたことが、今日の私を作った力ではないのかと思います。今後も継続して、自らに質問を投げかけて挑戦するつもりです。一つ明らかなことは、失敗したとして、私の努力しただけ成果が現れないといって、恐れをなしたり萎縮したり、あるいはマイクを置くことはないということです。その一歩一歩を進んでみるならば、また再び良い年がくるのだと信じます。
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2014年5月6日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 燃灯祭

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第54回として、「燃灯(연등、蓮の花の提灯)」にまつわる話を紹介した。

始めに、この時期の行事「燃灯祭」の仏教的な意味について、次のよう説明された。
・ソウルをはじめ各地で、蓮の提灯の意を持つ「燃灯祭」が開かれる。祭りでは、様々な形の提灯を掲げ、人々の歩く暗い夜に花のように美しい。同時に様々なイベントも行われ、外国人にも知られる。
・今年は、セウォル号沈没犠牲者を追悼し、燃灯祭自粛も多く、ソウルでは犠牲が天国へ旅立てるよう、白地の提灯など簡略化が見られた。仏教では、提灯を持って歩くと、光が世の暗部や自身の心を照らし、人々が幸せに生きられるとの意を持つ。

▼ 「蓮花臺舞(연화대무)」を聴く。蓮の花から表れる少女・・・梵唄から宮廷音楽へと洗練されたような。

次に、燃灯(祭)の歴史について、次のように解説された。
・三国史記に、新羅の景文경문)王(846年 – 875年)は、西暦866年、陰暦1月15日、皇龍寺(黄龍寺、황룡사)に行幸、看燈した。古く、正月を「燈節(등절)」といって提灯を照らし夜を明かした。なた陰暦1月15日に松明(たいまつ)を手に高所に登って月見する風習があった。
・高麗時代、燃灯祭は国家的行事となり、仏教に、長い戦に疲れた民衆が、心を休め、和合をもたらすよう祈願した。燃灯祭は、城壁や大路に沿って提灯を飾り、宮殿前の仮設舞台で仮面劇など催した。また王は臣下と寺に行幸したり、王宮の楼台に立ち明るく灯された提灯を見た。

▼ 「念仏ドドゥリ(염불도드리)」を聴く。「霊山会相」中の七番目の曲・・・換骨奪胎の編曲で、今様である。

最後に、燃灯と関連する昔話「貧者一灯(빈자일등)」を、次のように紹介された。
・「昔、とても貧しい一人の女性がお釈迦様に供え物をしたいと願っていましたが、彼女が持っているものは何一つありませんでした。女性は道端で物乞いをし、なんとか一文のお金を手にして、これで油を買い、お釈迦様に提灯をあげたと言います。その日の夜、貴族や裕福な人が掲げた提灯は、全て消えてしまったのですが、この女性が捧げた提灯だけは、明け方まで明るくその火を灯していたといいます。」

▼ 「蓮の花が咲きほこる(연꽃 피어오르리)」を聴く。そよ風に蓮の花が揺れる光景が浮かぶ・・・大衆歌。

2014年5月5日月曜日

こどもの日、地震

こどもの日の早朝、寝床でうつらうつらしていたところに、いきなりの地震で目が覚めた。大きな揺れの前に、ズズズと微動も感じて、こんなこともあるさと思った矢先のことだ。
今日の揺れには、久し振りに恐怖を感じた。まずいな、まずいなと思いながら、結局揺れ時間がさほどでなかったため、寝床から起き上がろうとしなかった。振動がおさまると、また眠気にさ迷ってしまうという呑気さに、われながら呆れる。

気象庁の発表は次の通りで、最初のゆるい揺れと、次の大きな揺れとは時間差もあり、震源も異なる。
最初の揺れは、震源がいつもの方面で、震度は当地について「震度1」にも該当していないようだが・・・揺れは感じた。
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平成26年5月5日5時6分 気象庁発表
5日5時2分頃地震がありました
震源地は茨城県南部(北緯36.2度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、地震の規模Mは4.2と推定されます。
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次の揺れは、震源が珍しく相模灘の南(伊豆大島近海)で、震度は当地について「震度3」になっているが、寝ぼけ眼であったものの「震度4」くらいに感じた。
(追記) 最大震度だが、千代田区で「震度5弱」を観測したという。まさに眠りを覚ました。
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平成26年5月5日5時31分 気象庁発表(2nd発表)
5日5時18分頃地震がありました
震源地は伊豆大島近海(北緯35.0度、東経139.4度)で、震源の深さは約160km地震の規模Mは6.2と推定されます。
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さて、これから「こどもの日」が始まる。子どもたちに、うんと楽しい一日であって欲しい。

2014年5月4日日曜日

イ・ソンヒのスナップショット

4月に開かれたイ・ソンヒのコンサート会場で入手した、サイン入りCDに付属の彼女の「ポートレイトはがき」は、ファンを自称するものとしてペーパーによる唯一公式な資料・・・というより収集品、すなわちお宝である。普段、彼女の姿を目にするのは、CDケースやLPジャケットの写真と、Youtubeで見る映像といった具合である。

そんなわけで、先日のコンサート翌日に、東大門の清渓川沿い「平和市場古本屋街」を巡ったが、ペーパー資料(書籍や雑誌)を手に入れることができなかった。次回訪問時には、用意周到、事前準備を怠らずにしたい。

そんなところに、次のYoutubeで、15集所収の「Someday」の彼女の歌をバックに、例えばスタジオ収録時のものや、写真撮影時のものなどの彼女のスナップショットを見ることができる。彼女について、ある写真家がいっていた、「地下鉄に乗っているような」という、飾らぬ素の表情がうかがえてほっとする。


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2014年5月3日土曜日

ゴールデンウィーク

もしかしたら、ゴールデンウィークは今日からかも知れない。今年のカレンダーが按配よくないのか、ゴールデンウィーク前半にあたる今週は、先月4月からまたがっていて、「昭和の日」(29日)の祝日が、週の初めの火曜日だった。これが木曜日だったらベストだったろうに。

今月5月の祝日「憲法記念日」が今日(3日)なのだが、土曜にあたってしまい、祝日というより通常の土曜休日といった方がよいだろう。以後、ゴールデンウィーク後半となる、祝日「緑の日」(4日)が日曜日と続くため、土日に連休がダブってしまっている。明後日(5日)の月曜日が祝日「こどもの日」となり、結果として、火曜日が振り替え休日となるが、きょうから4連休でしかない。

子どもにとっては何だか損したような、消費税アップ後の一般家庭にとっては家計に無理のない、そして疲れ気味のお父さんにとっては程々の連休だろう。

それでも町には、のんびりした休日の気配がする。隣り町の図書館に開館と同時に入り、読書室で午前中を過ごす。

実は、図書館で借りた本を放ったらかしにして、返却が間近に迫っているからだ。化学者が翻訳した一般科学書だが、読んでいると読み返しが必要な文脈の乱れた箇所がいくつか出てくる。何より訳が固い・・・専門書の翻訳書は、正確を期すために科学者が訳すのはわかるが、一般向けの場合は、言葉のこなれた文系の翻訳者と共訳または監訳で関わった方がよいのでは・・・と思う。

おまけに、原著も化学者で、科学史の概念を説明なしに出したり引っ込めたりで恣意的・・・。原著と翻訳の負の相乗効果といった感じだが、後半に何かよいものでもあるのではと期待して・・・正直、時間の無駄かも知れない。

2014年5月2日金曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

イ・ソンヒの念願のCDアルバム、11集「Dream of Ruby」(1998年)がようやく届いた。収録曲は次の通りだが、その中でも「神がまた許すなら」は、透明感のある美しい旋律が残る。
過去が一瞬でもよみがえり、それが最後としても・・・。(う~ん、愛は、渇望は時空を超越するようだ)

ちなみに、ムン・ジョンホの「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(2011年12月8日)に、11集「Dream of Ruby」について、次のような評価がある。
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1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である。
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1.私が望むものは 내가 바라는 건 (作詞・作曲:김형석)
2.あなたに届くなら 너에게 가면 (作詞・作曲:신대철)
3.見知らぬ海辺で 낯선 바닷가에서 (独り旅혼자 떠난 여행) (作詞:이재경、作曲:박세준)
4.後悔はもうあなたの番です 후회는 이제 너의 몫입니다 (作詞・作曲:김형석)
5.神がまた許すなら 신이 다시 허락한다면 (作詞・作曲:정영아)
6.Morning Coffee (作詞:이재경、作曲:박세준)
7.私の別れ 나의 이별 (作詞:조은희 作曲:조장혁)
8.白雨 (백우) (作詞:이재경、作曲:박세준)
9.その頃には 그때 쯤엔 (作詞・作曲:정영아)
10.共存 공존 (作詞:조은희、作曲:イ・ソンヒ)
11.うるわしい悲嘆 아름다운 슬픔 (作詞・作曲:イ・ソンヒ)
12.あなたが私を愛されるなら 그대가 나를 사랑하신다면 (作詞:김미선、作曲:김진룡)
13.見知らぬ海辺で 낯선 바닷가에서 (Saxophone Version) (作詞:이재경、作曲:박세준)

(本ブログ関連:”11集”、”神がまた許すなら”)

---- 現在、Youtube 「この動画は存在しません」表示 ---
(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年5月1日木曜日

公園のツツジ

昨夜の強雨と打って変わって、昼には見事に晴れ渡った。近在の公園に出かけて見れば、幼い子どもたちが、原っぱでたむろして遊んだり走ったりしている。あるいは、引率者の保母さん、先生、母親などに引き連れられていく一団もいる。

どの子も、おとなの腰ほどの背丈、キャッキャと声が弾む。もしかしたら、働く父親、母親が知らぬひとときかも知れない。こんな時代があったのだなと懐かしむと同時に、大切にして欲しい一瞬だとも思う。

緑の木かげをまわって、公園にある施設受付で、”友の会”の継続手続きをする。このを機会に、紛失してしまった会員カードを再発行してもらいに来たのだ。

さて、公園の中に小さく盛った丘の斜面に、ツツジが咲いているのが見えた。紅色の濃い花弁がかたまって、緑の葉がはっきりしない。花はかたまり、丘の上まで駆けあがっていく。何という種類なのか、素人には全くわからないが、ネットの写真だけで判断して、もしかしたら「キリシマツツジ」だろうか。実は、他のツツジはまだ花を一部しか咲かせていないのに、このツツジだけは全力で今咲いている。