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2014年5月8日木曜日

【多摩の代官】代官頭大久保長安

地元の公民館で、江戸時代の多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説するシリーズ講演会が始まった。朝方に届いたメールに気をとられ、返信などしているうちに・・・はっと気付けば遅刻してしまった。わずかな聴講であったが、興味深く話をうかがうことができた。

講師は法政大学大学の馬場憲一教授で、飄々と話され、かつ要所要所で気分をほぐらせてくれた。

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

第一回目は、代官頭大久保長安(1545~1613年)だ。(多数の金山を抱え甲州金で知られる)甲州武田家で、蔵前衆として金穀(金銭と穀物)をつかさどっていたが、同家滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の代官や、金銀山(石見、伊豆、佐渡、南部)の開発とその金山奉行を勤めた。死後、疑獄が起こり一族は処罰される。

終わりに近かったが、お話を聞くことができたのは、古文書資料などの解説も含めて次のテーマだった。
①代官領「八王子町」について、その町立て、八王子千人同心の成立、代官屋敷の配置など、ミニ城下町の機能を持たせた。
②交通網の整備として、八王寺町に沿う「甲州街道」を開設し、江戸城改修のため御用石灰(消石灰<石灰岩:現青梅市、昔の武州多摩郡上成木村、北小曾木村から、多摩川上流の山の根からの)輸送のために、「青梅街道」を開設した。
③高尾山、御岳山など修験道につながる宗教拠点へ対応(融和)した。

ところで、金山に関わった大久保長安の死後一族は死罪になったが、関東で多数の金山を持った常陸の佐竹氏も1602年に秋田へ転封(てんぽう)されている。他にも、金山、銀山に関わった重責者たちの、その後がどうなったかをそれぞれについて調べてみるのも面白そうだ。

(追記)
国立科学博物館で「企画展 石の世界と宮沢賢治」展(4/19~6/15)が開催されている。