ブログ本文&資料

2014年2月28日金曜日

風邪には安静がよい (続々)

今日も咳が治まらず、だるさも続く。まるで、一昨年(2月末~3月初)にかかった風邪の再現のよう。
親類から、専門家の言葉で「人の身体って 一年同じ周期が多い」と伝えられた。まさに実感する。

2014年2月27日木曜日

風邪には安静がよい (続)

今日も風邪の具合が厳しい・・・安静にしよう。

(訂正)
イ・ソンヒのデビュー曲「Jへ(J에게)」(1984年)の作詞・作曲は、イ・セゴン(이세건)によるものだが、このブログでは、彼の漢字名を「李生建」としていた。正しくは「李世建」だった。陳謝。
この歌を、ミン・ヘギョン(민해경、閔海景)、ケイ・ウンスク(계은숙、桂銀淑)が歌ったCDの日本語歌詞に付された作詞・作曲者名には、まさに「李世建」と記されているではないか。

過去ブログに遡り全て訂正した・・・一体、どこで間違えたのだろう。

(本ブログ関連:”Jへ”)

2014年2月26日水曜日

風邪には安静がよい

昨日、陽の温みに気が緩んでしまい、身軽になろうと、コートの下に厚手のセーターでなく薄いチョッキ(今風にベスト)を着て外出した。で、風邪を引いてしまったようだ。

今朝、寝起きに喉がひりつき、体の節々が痛むのに気付いた。体はだるく、咳も深い。ああ、やっちまったかな。今日、一日おとなしく安静にしていよう。

2014年2月25日火曜日

観梅

今日、ようやく陽射しに温もりを感じて、近くの公園に梅の咲き具合を確かめに行った。先(2/15)の雪降りのため、延期された「梅祭り」は、先日の22、23両日開催されたようだ。後のことなので、いかがと梅林を眺めたわけだが、咲き振りはまだのようである。やはり、雪の影響が大きかったようだ。

梅林の、半分が花を咲きほこり、半分が花弁を丸めている。来月初め頃が盛りかもしれない。梅香が漂うような風情はないが、陽射しを受けた紅白の花弁がまぶしい。

梅の木々に、それぞれ風流な名札が付けられていて、読めぬ漢字名に札を裏返して確認するのも楽しい。人出も、幼児を連れた母子、老夫婦、あるいは老いた親と一緒の家族など様々である。

午後の公園、のんびりした陽射しに温もり、巡った。とはいえ、売店で食ったかき揚げ蕎麦にほっとしたのも事実だ。もう少し、暖かくなって欲しい。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 橋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第44回として、「橋(다리)」にまつわる話を紹介した。

まず、江原道の旌善(チョンソン)を流れるアウラジ川と、旌善アラリの歌の紹介から次のように始まった。
・山深い旌善地域に、平昌(ピョンチャン)を源流とする松川(ソンチョン)と、三陟(サムチョク)を源流とする骨只川(コルジチョン)が交わる広い流れがある。韓国語の「交わる(어울리다)」の語源となる、アウラジ(아우라지)だ。
・旌善は松が多く、旧都漢陽(ハニャン)で使う木材を筏に組み、この川で運んだ。筏を操る船頭は、長い川下りに疲れや孤独を紛らすため、広く知られる「旌善アラリ」を歌った。畑仕事や、女性の家事にも歌われ、様々な歌詞が残っている。その一つに、愛しい人を恋偲び待つ、切ない歌がある。昔、アウラジの両岸に住む若い男女が、人知れず会っていたが、ある日、洪水で川が増水して舟が流され、会えぬ辛さを歌った歌詞が伝わっている。

▼ 「アラリキンソリ(아라리 긴소리)」を聴く。アリランの流れに沿った歌・・・どこかノンビリして。

・現在、アウラジの川辺に、歌詞の恋人を待つ女性が銅像*で再現され、その前の川に、平たい石を置いた飛び石の簡単な橋が作られている。冬に旌善を訪れる観光客のため、昔を感じられる丸太の乱雑な渡り橋だ。ただし、住人は、その脇の丈夫な現代式の橋を渡る。

    (*)銅像写真:ブログ「歳月&風景の中の話(세월&풍경속 이야기)」に感謝

次に、七夕や春香伝に伝わる橋について、次のように紹介された。
・橋は、流れを渡る他に、川向こうの住人に会う手段でもある。七夕の日(7月7日)、空に牽牛と織女が一年に一度出会う橋がかかる。二人が会えるよう、鵲(カササギ)が体を合わせて作る橋を、韓国語で烏鵲橋(オジャッキョ、오작교)という。全羅北道の南原に、春香伝の主人公、春香(チュニャン)と李夢龍(イ・モンリョン)が初めて会う広寒楼(クァンハンル)の前に、石の烏鵲橋がかかる。この橋の描写は、李夢龍が歌った赤城歌の中にも登場する。

▼ 春香歌の中の「赤城歌(적성가)」を聴く。一目惚れの舞台を歌う・・・自ら牽牛に例えるか。

最後に、北斗七星の伝説を次のように紹介された。
・あるところに、7人の息子を持つ未亡人がいた。この母は部屋を温かくしても、寒い寒いと暮らした。実は、夜に家を出て、小川を越えて、隣村の妻を亡くした男のもとを訪れた。毎日、冷水に足をつけて渡り、骨の髄まで寒さが染みた。そこで息子たちは、母に内緒で、小川に石橋をかけた。この石橋を渡り帰る母は喜び、感謝を込めて「この橋を作ってくれた人を必ず星にしてあげてください」と神に願った。7人の息子たちは、その後、夜空に輝く北斗七星になった。

▼ 「My heart is azure」を聴く。ラピスラズリの青色を想わせ・・・今様の響きする。

2014年2月24日月曜日

後始末から仕度へ

相変わらず路肩の雪は固まったまま。東西を走る街の通りで、陽の当たる側にも積雪がまだまだ残っている。民家の塀越しに梅の花が咲いているのを見るにつけ、もう雪は似つかわしくないのではと思ってしまう。早く雪解けしてくれないかな・・・どっこい、わが家の塀に張り付いた雪は一向に応えてくれない。

ソチ冬季オリンピックが終わって、きっとソチ市は宴の後片付けに追われていることだろう。いい意味で余韻が残るこの街も、金メダルが与えられるに違いない。

おじさんは、睡眠のリズムを回復できず苦労する。連夜のソチ冬季オリンピック放送のせいか、それとも暖かくなってきた春の兆しのせいか、今夕食後も、ストーブの温もりもあって転寝してしまった。外は寒く、家の中は暖かい。

冬の後始末と、春の仕度が共存する。気ぜわしいような、まどろんだような。赤い炎を揺らめかす石榴石が懐かしい。遅くなったが、この赤色の石を探しに行きたい季節になった。ぼちぼち、モードを切り替えよう。

2014年2月23日日曜日

大きくなる袂石(たもといし)

寒さが薄らいだようだ。ストーブを何度か消して、部屋の温度を調節したりした。このまま、春に突っ走って欲しい。

昔の着物スタイルには、袂(たもと)に手を入れて寒さをしのぐことがある。反対側の袂に手を入れて、両手を組むようにするとちょっと雄雄しく、手の側の袂にそのまま収めてしまうとちょっと滑稽に見える。着方ひとつで様子が変わる。

そんな袂の中に入れていた石にまつわる伝説がある。その石が大きくなるというのだ。柳田国男の「日本の伝説」に「袂石(たもといし)」の項があって、約36種の資料から紹介している。
基本的に、意図或いは無意識に、それも小石から荷運びのバランスをとるためまで含めて持ち帰った石や、自然に現れた石が、次第に大きくなり、結果として、元来名もないはずの石に名が与えられ、霊力を信じられるようになるという伝説だ。

(参考)
日本の伝説」の「袂石」の項にある、始めから9例ほど伝説を分類した。

伝承  採取者            採取場所         設置場所        大きさ  
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備後  百姓               安芸宮島参詣  小さなほこら     高さ一尺八寸、周り一尺二三寸程
信州  農民               富士             家の近く        大きな岩
信州  女                  天竜川の川原  水神様の前     大きな岩
熊野  -                  -                ほこら          大きな円形の岩、高さ二間半、周り七間
伊勢  菅公               播州袖の浦     菅原社          高さ五尺ばかり
土佐  曽我兄弟の母     関東            山                高さ二間半、周り五間
肥後  神功皇后          三韓征伐       海の水の底     滑石という青黒い色の岩
筑前  神功皇后          (産み石)       海岸の岡の上  三尺余り
下総  (ある家)主人     紀州熊野        ほこら            -
(以下略)
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現代、人が見向きもしない石に、名が与えられたばかりに、石好きは熱中し、嫉妬し、度を越すことがある。それは、石だからそうなのではなく、対象が何であれ、誰もが陥る「言葉」の罠にはまったからかもしれない。宗教的な信仰が、科学の信仰に変わって現れているだけかもしれない。

(本ブログ関連:”石の世界”)

2014年2月22日土曜日

もう雪は降らない?

今週はずっと寒かった。先週(2/14)の雪降りから一週間過ぎて、積雪は陽射しを受けたにもかかわらず溶けようともしない、道端に残ったままだ。おかげで、路面を底冷えの厳しい風が吹いてくる。

今月、東京には降雪が2回あった。1回目(2/8)はサラサラと乾いていたが、2回目(先週2/14)は、どこか湿り気があり重かった。1回目の積雪があっさり消え去ったのに反して、2回目は、すぐに溶けず、ザラザラと固く氷結して根付いた。

・・・ここで、うたた寝する・・・
連日深夜、オリンピック放送をうつらうつら観戦して、睡眠も適当になってしまった。結局、夕食後の暖かいストーブの前で眠ってしまう。フィルムの切れた映画のよう。
・・・ここで、目が醒める・・・

今日外出先で、3月に雪になりそうという話を聞いた(・・・ネットでは未確認だけれど)。話題は、もっぱら雪掻きだったが、そんなこともありかな。そうなると、今残っている固い雪の上に更に積もるわけで、雪掻きが大変だ。

2014年2月21日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念15集アルバム 最新情報

いよいよ待望の、イ・ソンヒのアルバム15集が、(当初2月予定から)3月発売に決まったようだ。韓国日報の記事「歌手イ・ソンヒ、30周年記念アルバム カウントダウン開始・・・ファンの熱い愛(支持)増す」(2/19、韓国スポーツ、ムン・ミヨン記者)は、MV撮影やファンクラブの動向など含めて、その準備状況を次のように報じている。

それにしても、イ・ソンヒのファンクラブの底力を知るニュースだ。彼女のファンはロイヤリティーが高い!

(本ブログ関連:”30周年”)
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・歌手イ・ソンヒの30周年記念アルバムが、ファンたちに出会う準備をつくして、カウントダウンを開始した。

・イ・ソンヒは、3月にデビュー30周年を記念する15集アルバムを発売する。イ・ソンヒ側関係者によれば、アルバムの仕上げ段階で、3月初めのミュージックビデオ撮影を終えた後、本格的な活動に乗り出す

・アルバム発売は、2009年14集「愛よ・・・」以後5年振りだ。15集アルバムの発売カウントダウンが本格化されると、すぐにファンも忙しくなった。イ・ソンヒファンは、所属会社と力を合わせて30周年を迎えたイ・ソンヒのための特別なイベントを準備している。

・イ・ソンヒのファンクラブ関係者は、「最近、イ・ソンヒの15集のアルバムについて、所属会社と会議を進めた。30周年記念アルバムであるだけに、さまざまな企画が準備されている。そのうちの最初の企画は、チャ・ウンテク監督が演出を引き受けたミュージックビデオ現場だ。イ・ソンヒに対する愛を、ファンたちの愛を表現する場になるだろう」と説明した。

・この関係者によると、ファンがサプライズイベントをする場は、3月初めに進行するタイトル曲のミュージックビデオ現場だ。ファンは、イ・ソンヒのコミュニティを中心に、大々的なプレゼントを準備している。

・この関係者は、「イ・ソンヒは、1984年江辺歌謡祭で大賞を受けてデビューして今まで30年が過ぎたが、相変わらず韓国を代表する最高のディーバ(歌姫)だ。ファンも30年前の心と変わりない。ミュージックビデオ現場で、イ・ソンヒがファンの心をそのまま感じることができる場になるだろう」と付け加えた。

・イ・ソンヒは、1984年のデビュー後、「ああ、昔よ」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」などヒット曲​​を出した。
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MVは、アルバムにパッケージされるのか、規格はリージョンフリーなのか。何より15集のアルバム内容はどうなのか気になる。また、今後の30周年記念コンサート情報も知りたいものだ。

2014年2月20日木曜日

小川の跡

江戸の昔、雑木林の台地を開墾して作った新田地帯に、玉川上水から引き込んだ(分水の)貴重な小川が縦横していた。その存在は限られているが、住宅地に変貌した当地のふとした建物脇に跡を見つけることができる。

住宅地の裏通りの、更に陰になるようにして存在する、幅3mにも満たない小道がある。散歩道というより、 土地の区分であるような役割をしている。通路は、場合によって道半ばで終わったりしている。近所の小川跡の小道は、石畳にして整備されているが、幼稚園の広場に突き当たって途切れている。まあ、それもいいかもしれない。

中には、小川と谷(川)が上下にクロスした(築樋(つきどい)の)跡もある。それを示す解説のプレートも立っていて、ときたま、その場所を通り過ぎるのだが、木立に覆われて構造を見極めることができない*。ただし、上側の小川跡の窪みが遠く続いているのが見える。いつかその先まで辿ってみたいと思う。

来週後半辺りから、春らしさが訪れるという。もう少し温んできたら、小川跡巡りも悪くないな。

(*)2/21追記:
築樋(つきどい)について説明のプレートを見て上記赤字修正。
② 小川の跡を、わき道に沿って辿ってみたところ、本来の築樋と見られる処があった。低地を流れる川と交差するように、上に小川が跨ぐための橋が作られていた。

2014年2月19日水曜日

イ・ソンヒの「涙に咲く花」

イ・ソンヒには、2集所収の(可愛らしい)傷心の恋歌「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。

Youtubeで同曲を探したら、同じタイトルを付して、実力派ジャズ歌手ウンサン(웅산)が歌う「L'Immensità(눈물 속에 피는 꽃)」に出会った。ただし、この「L'Immensità」(永遠)は、1967年のサンレモ音楽祭で入賞したジョニー・ドレッリ(Johnny Dorelli)の歌であるが・・・イタリア音楽好きの石仲間に知らせようかな。
ちなみに、韓国のブログ情報によれば、「当時、国内に入ってきた外国の曲の中で盛んにヒットした・・・翻案曲で、音楽喫茶店のDJたちの人気選曲対象」だったそうだ(「詩人ヒョン・テソプ」に感謝)。なるほど、Youtubeには他に、この「L'Immensità」に合わせて音楽喫茶店の古い写真や懐古イベントポスターを並べたものもあったりして・・・心象風景を形作った曲なのだろう。

イ・ソンヒ自身の「涙に咲く花」を聴いてみよう。
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“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”

あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか

遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ

“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”

こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ

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(Youtubeに登録のwindmillsofmusicに感謝)

2014年2月18日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 小正月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第43回として、旧暦1月15日(満月)の「小正月 (정월대보름)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに、小正月の民俗行事の紹介から次のように始まった。
・年中行事の半分以上が正月(陰暦1月)に集中する。新年の始まる月であり、農業も休み、羽根を伸ばす季節だ。小正月は、旧正月よりも風習が多く、人々に意味が大きかった。
陰陽の考え(空・太陽・男性・火などは陽、地・月・女性・水などは陰に分ける)により、満月は女神であり、地・水のイメージが重なり、出産・豊饒を司ると信じられた。小正月(満月)の日、村には風物(プンムル、풍물)を奏する一団が家々を回り祝った。当日、村人が作ったタルチプ(달집)の薪の山に火をつけたり、子供たちは畦や畑などに火を入れた。

▼ 創作打楽器グループ“Puri”による「キルグンアク(道軍楽、길군악)」を聴く。・・・どこか耳慣れた今様な。

・この「キルグンアク」は、軍隊行進の演奏を起源とするが、昔は名節を向かえる度に、風物牌(プンムルペ、풍물패、牌=集団)という演奏集団が村を回って演奏した。

(次に、小正月にまつわる風習について、次のように説明された)
・朝鮮時代、金昌業(김창업, 1658年~1722年)の詩に、小正月の夜に、「今晩、橋の上で足踏みをして遊ぶのだ」と記載がある。この日、橋を足踏みして渡ると、一年間、両足が丈夫だと信じられた。橋(다리)と足(다리)とが、同じ文字からきた風習のようだ。
・この機会に、家にこもっていたヤンバンの家の女性も外出したし、彼女たちを見ようと男たちも集まり、橋の上は混み合ったという。人々が集まるこの日は、大道芸人に稼ぎ時で、道端でパンソリの歌い手の大きな声が響き渡った。

▼ 「前山打令(앞산타령)」を聴く。山々の名を込めて・・・ゆったりして、これで小正月の踏橋遊びを?

最後に、小正月の遊びや演劇について次のように解説された。
カンガンスルレ강강술래)やウォルウォリチョンチョン월워리청청)などは、小正月の女性の代表的な遊びだ。女性たちが月光を浴びながら丸く円を描いて立ち、歌を歌い踊る。豊作を願う意味が込められたという。女性たちに過酷な時代に、小正月とチュソク、一年にこの二日くらい、名節を口実に思いっきり遊べた。
・綱引きも地域により様々な形で伝承された。村の男女が両端に別れて綱引きをする。女性が勝てば豊年と信じられた。
・夜になると、仮面劇(タルチュム、탈춤)が始まる。踊りと音楽を共に楽しむ、一種の演劇といえる。農民に君臨したヤンバンを馬鹿にしたり冷やかして笑うが、この日ばかりはヤンバンも口を挟まぬのが暗黙の了解だった。

▼ コムンゴ・アンサンブル“Geomun”による「タルハ(달하)」を聴く。インドネシア、中国・・・響きは今様に広がる。

2014年2月17日月曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

連日深夜のオリンピック放送で、寝不足は限界にきた。夕食後、テレビを見ながらいつのまにか寝入ってしまった。ふと気付いて、いやぁまいったな・・・と思う。このわずかな寝貯めのおかげで、また深夜のオリンピック観戦に力が入ってしまうのだから。いっそ、うたた寝のまま眠ってしまえば楽なのに。でも気になる。

ところで、昔、NHKテレビが新年の放送*で、韓国歌謡番組(KBS「'88年末決算 歌謡トップ10」)を紹介している。次々登場する歌手の中で、イ・ソンヒが6集所収の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年2月1日)を歌っている映像(Youtube、07:23~)を見ることができる。ちなみに、チョー・ヨンピルが歌う「ソウル・ソウル・ソウル」は、'88ソウル・オリンピック(9月17日~10月2日)の代表曲だ。

    (*)1989年の新年を丁度迎えたばかりの放送

宮崎キャスターは、イ・ソンヒの装いから、「女子中学生の間で・・・お化粧っけがなくて、飾り気のない、さり気なさが大変な人気のもとになっている」など紹介している。松平キャスターも「電車の中にいるような・・・」と、おじさん語りしているよ。日本で紹介された貴重な映像だ。


(Youtubeに登録のkazux377に感謝)

2014年2月16日日曜日

(資料)犬猫の飼育数

以前、韓国では猫を飼う家庭が少ないという話を韓国語教室で聞いたことがあるが、次のような調査結果があるので、日韓対比してみる。(日韓人口比=126,497千人:48,391千人、WHO発表:2013年5月15日)
人口比を勘案して、
・犬の飼育は、日韓同じような割合といえる。
・猫の飼育は、日本より韓国は確かに少ないようだ。猫について、文化的、伝統的にどのような捉え方をしているのか興味深い。

韓国
農林水産検疫検査本部は、去る2012年10月17日(社)韓国社会経済研究院に依頼して実施した「動物の保護に関する国民意識調査」の結果を発表した。
・調査によれば、国民の動物保護に対する意識は、予想よりも積極的で関心度が高い水準で現れ、伴侶動物を飼うことへの関心が増加していることが明らかになった。

「伴侶動物の飼育実態」を見ると、犬や猫を飼う家庭の割合は17.9%で、全国伴侶動物の飼育家庭数は、約359万世帯と推計されており
・伴侶動物の飼育規模を推計すると、犬は約440万匹猫は約116万匹を飼育していることが明らかになった。

日本
一般社団法人ペットフード協会が発表した「平成23年度 全国犬・猫飼育実態調査」(2011年12月26日、55,719サンプル)結果によれば、犬や猫を飼う家庭の割合は、犬は17.7  猫は10.3で、飼育世帯数は、犬は947.3万世帯、猫は552.1万世帯と推計され、
飼育規模は、犬は約1,193.6万匹  猫は960.6万匹を飼育していると推計される。

(注)
上記の日韓比較で、「犬猫を一緒に飼っている世帯」は不明。

(お口直し)
フレームポイントのシャム猫と黒パグ犬の追っかけっこに、キャッキャッと笑いながらヨチヨチ歩きの赤ちゃんが参加するYoutube映像がある。(登録者Monique Bに感謝)

ソチ冬季オリンピック いぶし銀のレジェンド

深夜0時を過ぎて実施される、ソチ冬季オリンピックの男子スキージャンプ、ラージヒル*を見ようと頑張ったが、寝不足のためか見失ってしまった。日本の最初の滑走者、清水礼留飛のジャンプを見たような・・・その後について何も覚えていない。横着して横になってテレビを眺めたせいか、あっさり睡魔に襲われてしまったようだ。

    (*)冬季オリンピックのスキージャンプには、ノーマルヒルとラージヒルがあって・・・。

結局、朝になって、付けっ放しのテレビ画面から、今や伝説となった葛西紀明(のりあき)が銀メダルを獲得したと知った。41歳の快挙である・・・それなのに寝過ごすなんて、勿体無いことをしてしまった。

彼は、1992年のアルベールヒル冬季オリンピック以来、7回目にして、個人として初めてメダルに輝いたという。すさまじい執念と克己力である。まさに、いぶし銀に相応しい栄誉だ

さらに凄いのは、インタビューで、次の目標は金メダルといった。・・・すぐにあきらめて、すぐに眠ってしまう身には、驚異としかいいようがない。もって生まれた才能と言い訳しがちだが、彼の強い持続力に・・・にわかファンは、ため息つくしかない。

2014年2月15日土曜日

ソチ冬季オリンピック男子フィギュア金メダル

昨晩の雪は、先週土曜日(2/8)と積雪量が確実に違う・・・夜半、通りを覗いたがすっかり雪に埋まっていた。何しろ、屋根下にある玄関ドアを開けるのに手間取るほど積もったていたのだ。

例によって夜更かしのため、今日の日付に変わった深夜に一眠りして、目を覚まし、うつらうつらの中、ソチ冬季オリンピックの男子フィギュア・フリースケーティングをテレビで視た。そんなわけで、高橋大輔と羽生結弦(ゆづる)の演技には間に合った。(町田樹(たつき)の結果は、画面の順位表で知った)

にわかファンのため、演技内容については何となく判断する。例えば、ジャンプ後に着氷したときのバランス具合を見つめる程度・・・ジャンプの種類を知っているわけではない。まして配点の加減など、テレビ解説で以前聴いたことはあるが忘れている。

高橋大輔は、善戦したと思う。順位がどうであれ、彼はフィギュアスケート選手団の良き支えになったのではないだろうか。
そして、ショートプログラム史上初の100点超えの101.45をマークした羽生結弦は、一瞬ひやりとした場面もあったものの溌剌とした演技で、日本男子フィギュア史上初の金メダルを獲得したのだ。ライバルのパトリック・チャン(カナダ)と接戦を繰り広げた。フィギュアスケートは、演技構成や出場順位など、ある意味精神的な競技でもあるようだ。

ところで、おじさんの目から見ると、羽生結弦の随分と長い足に驚く。何より10代がオリンピックを頑張っている。つくづく時代を感じる。


(追記)
昨夜来の雪は、朝には雨となり午前中いっぱい降り続けた。ようやく明るんだ昼過ぎに通り道の雪片付けを始めた。先週と比べて倍の量だったろうか。とはいえ、こんな比でないのは十分承知しているが、雪国の忙しさを思い知った気がした。
ドスン、ドスンと落ち続けた屋根の雪は、夕方にはすっかり静まってしまった。
・・・雪道不安なため外出もままならず、また教室も休みとなった。余波は大きい。

2014年2月14日金曜日

また大雪だ

先週土曜日(2/8)以来の大雪だ。雪は降りやまず、家の周りは真っ白に覆われている。積雪量は、今日の方が多いかもしれない。すでに気分は豪雪だ。
冬ならば仕方ないと諦めるが、この雪降り、明日にはもつれて大雨、強風に変わるという。少々うんざり。

これから、まだ雪に見舞われるかも知れない。雪景色の中の歴史的な事件でよく知られているものに、「二・二六事件(1936年2月26日~29日)」しかり、「桜田門外の変(安政7年3月3日、1860年3月24日)」しかりだ。春になっても、油断ならない。

気象庁予報部から、当地に大雪警報が発表(本日17時21分)された。(風雪関連のみ:抜粋)
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当地 [発表]大雪警報 風雪,雷,着雪注意報 
 雪 警戒期間 14日夜遅くから 15日朝まで
    注意期間 15日朝まで
    24時間最大降雪量 30センチ

 風 注意期間 15日未明から 15日夕方まで
   北の風のち南の風
   最大風速 13メートル
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あいつ、今頃鼻血ブーだぜ

バレンタインデーなんて、誰が考えたのでしょうね。日本の場合、チョコレートメーカーのキャンペーンから始まったという。一般に知られたのは1960年で、チョコレートを女性から男性にプレゼントするという習慣が本格的に定着したのが1970年代後半だそうだ。既に、にきび面の少年時代を過ぎていたので、この日にチョコレートを渇望する経験はなかった・・・。

バレンタインデーにチョコレートを貰った、貰わない、いろいろあるだろうけれど、こんな話がある。
バレンタインデーの日、学校も終わった小学5年生の男の子たちが、友人の家に集まった。一人が学校でチョコレートを一杯貰ったクラスの男子の名をあげて、「あいつ、今頃鼻血ブーだぜ」といって、他の仲間も一緒に「ヒヒヒ・・・」と笑ったそうだ。
そう、チョコレートを貰えない意味を、まだ十分に分かってない、けれど、どこかちょっと残念な気分もある。こんな時代の男の子は、最高で、お馬鹿である。それもいいな。

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)

2014年2月13日木曜日

寝不足だ

連日深夜に実況される、ソチ冬季オリンピック放送のせいで?寝不足だ。

いつもながら、スキー・ジャンプやスノーボードの選手が競技直後に、得点を見つめるため戻ってくる場所へ、きちんとすべり止まるのに感心する・・・なせって、勢いあまって囲いにぶつからないからだ。当たり前なのだろうが、素人には、そんなに簡単に止まるもんじゃないのでは・・・なんてね。

特に10代の若い選手を見ると、幼さに生意気言ってもかわいいし、しっかりした語りには立派に彼らを育てたご家庭をおもう。そして、競技しているときの選手の姿に、「すごいなあ」、「えらいなあ」、「がんばれよ」と親類にでもなったような気持ちでいる。

昔はオリンピック選手を羨望したけれど、今は彼らの溌剌とした動作に元気をもらい、10代の若い選手には愛おしささへ感じる。そして、彼らを今見つめている、中学生や小学生がいるのは、 何よりうれしい。いずれであれ、子どもたちの夢をかなえるのは大人の責任だ。

(追記)
ところで、話は変わるが、愛らしい気になる映像がある。「ギューっとして シリーズ」とでも名づけようか。
・ひとつは、TVコマーシャルで、飲んだ乳製品の容器を閉めるため、母親に「ギューっとしてね」といわれた女の子が、いつもギューっと抱かれていることを思い出したのだろう、両手をあげて母親を見上げるようにしがみついてくる映像だ。
・もうひとつは、実写で、幼い幼い女の子が子猫を頬ずりしてギューっと抱き続けているものだ。こんなに幼い頃に愛情を与えることができるのかと感心する。いうまでもなく、この子がそれ以上に愛情を受けているからだけど。「それはあなたの赤ちゃんなの?」と問いかけられても、ひたすら抱き続ける眼差しが愛しい。
・最後は悲しい話であるが、22週目の妊婦が脳出血で脳死状態のまま28週目に帝王切開して男児を出産、翌日生命維持装置がはずされた。残された夫は、妻に赤ちゃんをギューっと抱かせたかったろうし、赤ちゃんがギューっと抱かれること望んだろうけれど・・・。

2014年2月12日水曜日

イ・ソンヒのスターストーリー全12回をまとめて掲載

イ・ソンヒは、27歳当時、彼女の生い立ちとさまざまな思い出を「イ・ソンヒのスターストーリー」として「スポーツ韓国」紙に連載した。(1991年3月8日~4月5日)
本ブログでは、その内容を日に分けて紹介してきたが、次のようにまとめることにした。

ほぼ、暦年スタイルで綴られた彼女の自伝*全12回を、本ブログ画面左側にある、「ブログ本文&資料」の「●資料:이선희 Profile  (自伝~1991年、27歳まで)」に一括掲載する。

    (*) 自伝: 本文に「自伝」という直接的な表現はないが、内容と語りから自伝といえるだろう。

本ブログのメイン・テーマの一つである、イ・ソンヒの天性の音楽的才能を生んだ環境と、どのように影響を受けたのかについて、かなりの程度知ることができた。

また、関係者がネット上でイ・ソンヒについて語る内容は、ほぼ本資料に基づいているといっても過言でない。その意味で大変貴重な資料である。

上記自伝以降についても、イ・ソンヒがどのように音楽生活を過ごしたか、できるだけ彼女自身の言葉をベースに資料収集したい。

2014年2月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 馬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第42回として、「馬(말)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに、馬にまつわる逸話の紹介から次のように始まった。
・新羅の昔、没落した王朝の末裔に一人の青年がいた。両親は再興を期待して、幼くから厳しく躾けた。
・しかしながら成長した彼は、身分の低い娘と恋に落ちる。それを知った母は強く叱り、二度と娘の元へ行かぬよう誓わせたが、或るとき、酒に酔い乗馬して家に帰る彼の前に、娘の迎える姿があった。彼を思いやった馬が、娘の元へ導いたのだ。母との誓いを守る彼は、その馬の首をはねて家に戻った。娘は彼を恨めしく思い「怨詞(원사)」を歌った。三国統一に最大級貢献した新羅の将軍金庾信(김유신、595年~673年)の若い頃の逸話だ。(「破閑集」)

▼ 玄琴(コムンゴ)演奏による「新羅幻想曲」を聴く。御簾越しに流れるような・・・今様である。

次に、この逸話に触れた、李公升の詩について次のように説明された。
・金庾信に捨てられた娘は天官女(천관녀)といい、後年(三国統一後)、金庾信が彼女のために建てた天官寺(천관사)の名から付けられたようだ。天官女には、妓生(기생)あるいは巫女(무녀)とする説などある。
・天官女の歌「怨詞」は忘れられたが、高麗時代、慶州に赴任した李公升(이공승、1099年~1183年)が、天官寺の前を通りかかり、金庾信と天官女に関連してしたためた詩が伝えられている。その要約は、「青年と哀れな女性の愛の話も心痛む・・・が、最も気の毒なのは、忠誠を誓ったという罪だけで、かわいそうに命を落とした金庾信の馬であったのではないか」というものだ。*

    (*)ブログ「タルマル(달마루、天と地?)」に踏査情報がある。感謝。

▼ 大琴(대금)による「河臨城(하림성)」を聴く。笛の大きさに比して高音澄明な響き・・・今様である。

・「河臨城」は、伽耶琴(カヤグム)楽師の于勒(우륵)を受け入れた新羅王真興(진흥、534年~576年)の宮殿の名という。

最後に、建国神話での馬との関わりについて次のように解説された。
・新羅建国の赫居世居西干の出生にまつわる神話に、ある日、蘿井(나정)という井戸端で白馬がいななきながら天へ登った。そこに大きな卵が落ちていて、中から生まれたのが赫居世居西干だ。また、高句麗建国の東明聖王(朱蒙)も幼い頃、馬の面倒を見る仕事をしたと伝えられている。

▼ 男唱歌曲(界楽)「鐵驄馬に乗って(철총마 타고)」を聴く。雉狩りに行こうとするに、悠然としながらも心ははやる、馬は胴震いする、そんな感じかな。

・終わりに、岸さんから「ひとと深い関係を持った馬のように、どんなシーンでも心温まる関係を築けるような一年にしたいものですね」とのこと。まさに、おっしゃる通りです。

2014年2月10日月曜日

バイキング・ザ・バイキング

昨晩のテレビで、ドラゴン退治の伝説をCGを使って紹介するなか、バイキングに触れるところがあって、ふと思い出したことがある。主題歌の一節に「バイキング・ザ・バイキング」と歌うアメリカのテレビシリーズだ。

1960年に放送されたTV番組に「バイキング(Tales of The Vikings)*」があった。当時、子どものなので、バイキング(ヴァイキング)の歴史的な背景・・・キリスト教との対立など知る由もなかったが、戦いにあけくれる展開に毎回釘付けになったものだ。ある意味、海洋民族?に対する親和があったのかもしれない。

    (*) 「クラシック・テレビ・アーカイブ」に詳細な紹介がある。

ソチ冬季オリンピック開催式に入場した北欧諸国の選手団が掲げた国旗に、十字架のデザインが多いことに気付く。


(Youtubeに登録のStephen Carrollに感謝)

2014年2月9日日曜日

雪かき

降雪はいつ止んだのだろう。今朝はすっかり晴天になって、屋根上から積雪の塊がドスン、ドスンと音をたてながら落ちたり、溶けた水滴が雨だれのようにポトポト垂れている。

昨日のうちに、(前回の積雪の反省から)、門のレールに水道水をチョロチョロ流し続けていたので、雪に埋もれることもなく開閉がスムーズなのは幸いだ。後は、玄関前と通り道の雪かきだ。

今日は、降雪の心配もないようなので、玄関前の雪は水道水で溶かす。同様に、家の前の通りに水を撒くのは、凍結の心配というご意見もあるだろうから、新品の雪かきスコップで取り除いた。このスコップ、軽くて作業が楽だ。思いのほか短時間で終えることができた。

雪塊が屋根から落ちる音が続く。前回の降雪で、2階の屋根から落下した雪の塊が、1階屋根の雨どいを壊してしまったことがある。今回はどうだろう・・・ちょっと心配。


ところで、昨日の都心の降雪について、日本経済新聞の記事「東京都心で積雪27センチ、戦後4位 628人けが」(2/9 1:48、共同)は次のように報じている。(抜粋)
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・日本列島は8日、南海上を急速に発達しながら進んだ低気圧の影響で、東京都心(大手町)で戦後4番目となる27センチの積雪を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となった。都心で20センチを超える積雪は1994年2月以来、20年ぶり。東日本や東北では9日にかけて大雪が続く所があるという。
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東京の最深積雪:「気象統計情報」(気象庁
  年  cm
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1994 23
1995   2
1996 14
1997 -- (該当現象:なし)
1998 16
1999   0 (該当現象:1未満)
2000   0
2001   8
2002 --
2003  1
2004   0
2005  2
2006   9
2007 --
2008  3
2009  0
2010   1
2011   2
2012   4
2013   8  ← あれ、もっと降ったような気がするが!
2014 27 (2/8現在)
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2014年2月8日土曜日

大雪警報

サラサラ粒の雪が一日中降り続く。止む気配がない。通りに、雪が大好きなはずの子どもたちの姿を見ることができない。あっという間に、雪が肩に積もる。

徒労を承知で、家の前を雪かきした。次に、玄関先の蛇口から、門が雪に埋まらぬよう水を撒いて降雪を溶かしたが、小一時間もすると、辺りはしっかり雪に埋もれている。しかも、蛇口が凍ってしまい水が出てこないのだ。慌てて、熱湯をかけて解凍した。凍結防止のために、ちょろちょろと水を流し続けることにした。

テレビの気象情報では、降雪量(高さ)が、「~年振り」と次々更新して報じられている。


気象庁予報部は、当地に次のように「大雪警報」を発表した。(抜粋)

2月8日16時29分発表
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当地 [継続]大雪警報 風雪,着氷,着雪注意報 

 雪 警戒期間 9日未明まで
    注意期間 9日未明まで
    24時間最大降雪量 40cm
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なんと降雪量が、24時間で40cmだって!

イ・ソンヒの「雪は降る」

朝方、やはり雪は降っていて、外を覗けばすでに真っ白だ。積雪が吸音材になって実に静か・・・じっくりというか、絶え間なく降り続いている。テレビの天気予報は、本格的な降りとなるので、できるだけ外出を控えるよう伝えた。

予定した遅めの新年会は延期と連絡があった。以前のこと、大雪の晩遅くに帰宅したら、何と門が雪に埋まってしまい開かずに焦ったことがある。今日の雪かきが・・・心配だ。

ともあれ、銀世界ともなれば、イ・ソンヒの「雪が降る(눈이 내리네)」(S.Adamoの1963年の”Tombe la neige”より)を聴かないわけにはいかない。イ・ソンヒにはキャロル・アルバムというシリーズ?があって、「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年11月20日)に、この曲が収められている。随分しっとりした情緒ある歌い方だ。

(本ブログ関連:”雪が降る”)


(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

ソチ冬季オリンピック開会式

日本時間8日午前1時(現地7日午後8時)過ぎ、ロシアの黒海*沿岸都市ソチで、「第22回冬季オリンピック競技ソチ大会」が始まる。

(*) 「黒海」の名の由来について、Wikipediaによれば、黒海の深層で嫌気性バクテリアの発生する硫化水素と、水中の鉄イオンが結合して黒色の硫化鉄が発生したため、との説を紹介している。

早目にテレビの前に座っていたら、ストーブの温もりでいつのまにかうたた寝してしまっていた。開会式の実況放送を見過ごしたかと慌てたが・・・大丈夫、まだ間に合う・・・でも眠い。

全競技種目は、7競技98種目(内12は新種目)だそうだ・・・ところで、日本の出場競技は何種目?

今大会のメダル目標は、長野五輪(金5、銀1、銅4)を越えるとのこと。


(追記) うたた寝しつつ、開会式を見ながら
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・日本選手団は遅いなあ・・・うたた寝して見失ったのかと心配したら、最後に登場の主催国ロシア選手団の直前だった。そうか、ロシア語(キリル文字)で日本は、「Япония(Yaponiya)」となり、文字順で最終だ。お陰でちゃんと、日本選手たちの姿を見ることができたよ。
・開会式を飾るショーのなかで、歴史を象徴して、機関車を模したものが会場高くに登場したのを見たとき、なぜかセルゲイ・エセーニンの詩を思い返した。ソ連時代の始まりは、工業化であり、その象徴が国民大衆にとって機関車だったのだろう・・・馬を凌駕する速さとその力強さは、同時に不安さえ覚えたのかもしれない。

(本ブログ関連:”ロシア”、”ソ連”、”セルゲイ・エセーニン”)

2014年2月7日金曜日

雪かきスコップ

今日も寒さが緩む気配なく、寒気が顔を刺す。コートの襟首を閉じて冷気の侵入を防禦する。
どんよりとした空を怪しんで、DIYショップで雪かきスコップ(シャベル)*を購入した。柄(え)以外は、プラスティック製(刃先は金属で一部補強)のため軽く、雪降りの中での雪かき作業が軽便かもしれない。

    (*)スコップとシャベルの違いについては、JISに定義されているようだ。

気象庁によれば明日8日に雪が積もりそうで、当地に「大雪注意報」(2月7日17時40分、気象庁予報部発表)が発令された。(抜粋)
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・東京都の注意警戒事項
東京地方では、大雪や空気の乾燥による火の取り扱いに注意してください。

・当地: [発表]大雪注意報
雪 注意期間 8日明け方から8日夕方にかけて以後も続く、24時間最大降雪量 15センチ
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さあ準備万端、雪よ!いつでも降って来い。というものの、明日8日の晩に、遅めの新年会を予定しているのだが・・・どうなることやら。

明日、大雪になったら、イ・ソンヒの「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)をブログに書こうかな。

2014年2月6日木曜日

春の七草

立春に入った矢先、雪に見舞われて寒い日が続く。週末にひと雪あるかも知れないという。積雪が心配で、スーパーの店頭に並んだ雪かき(スコップなど)が気になる・・・早めに購入すべきかどうか。

うっとおしかったストーブが、まだ役目を終わらない。とてもじゃないが春は暦の名ばかりだ。

旧暦で見れば、今日はまだ1月7日で寒いはずだ。昔は、この日に春の七草を食べたという。先日、このブログに(1/7)に七草粥についてメモして、春の息吹を期待したのに・・・まだ遠いな。

七十二候を書いたガイドブックに、春の七草を小寒の項に入れてあるのを見て、はたと気付いた。すべて旧暦のなかで考えれば順当だったのに、このブログでは新暦で節気を記して、旧暦で思いをはせるという、まことにまとまりの悪いことをしている。旧暦の言葉は、旧暦がおさまりよいというもの。

ところで、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、「七草粥を作るときに歌う歌を知りたい」の問いに対して、次のような回答がある。
「1月6日の夜、七草をまな板の上に載せて、包丁で刻むときに歌う歌で、地域によって歌詞は異なる。例えば、山梨県では、『唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、あわせてこわせてバッタバッタ』と唱え、栃木では『七草なずな唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬうちにすととんとんとんとん』、宮城では、『七草ただげ七草ただげ七草なずなとうどの鳥といなかの鳥と通らぬ先に七草ただげ』と唱える。」

<七草粥を作るときの歌>でいう七草とは、「春の七草」、「秋の七草」両方を指しているのだろうか・・・「唐土の鳥」と「日本の鳥」というように、渡りの<時期>に符合させているとイメージしてしまうが。

2014年2月5日水曜日

(予定)イ・ソンヒの2014コンサート・スケジュール

イ・ソンヒの公式ホームページを覗いたら、自由掲示板に、ファンからのコンサート・スケジュールの問い合わせに、4月予定と回答が記されている。
(回答者は、イ・ソンヒの(ファンによる)30周年記念事業推進委員会の方のよう)

さて、チケットをどうしよう。

2014年2月4日火曜日

立春2014

春雨だ濡れていこう、といっても知られぬ時代になったのだろうか。無声映画を見たわけではないので、もしかしたら市川歌右衛門の映画のせりふだったのか・・・それとも、小雨の中を強気になって走り出した子どものころの掛け言葉だったのか。

昨日と打って変わって、一年の季節の始まりというに、小雨でひんやりしている。

(本ブログ関連:”立春2010”、”立春2012”、”立春2013”)

(追記) 立春に降雪
栗林に降る雪
あるテキストを求めて書店を巡って、昨日は地元の2軒になく、今日は小雨が霙(みぞれ)に変わりつつあるなか近くの街に出かけて、ようやく2軒目で手に入れた。さて、地元駅に戻って、駅ホームから外を眺めると、絶え間なくベタ雪というかドカ雪が回転しながら落ちてきた。真っ白な空に、隙間がないようにさえ見えた。

雪降りはますます勢いづいた。この街を走るマイクロバスで帰宅したのは正解だった。降雪の気配はしばらく続いたが、陽の沈んだ外に改めて様子をうかがうと、路面に積雪はなく、ただ夕暮れの中に存在を示すように、わが家のポストの上にこんもり雪が残っていた。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 旧正月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第41回として、「旧正月元旦(ソルラル、설날)」にまつわる話を紹介した。

まず、ある晦日、貧しさに溜息つく妻へ玄琴(コムンゴ)の音で慰めたという逸話を次のよう紹介された。
・新羅時代、慶州の狼山の麓、貧しくて繕(つくろ)った服を着た男がいた。村人は「百結(ペッキョル、백결)先生」*と呼んだ。家は貧しくとも、昔を慕い、常に玄琴を弾き、人生の喜怒哀楽を表現した。

    (*)百結: KBS WORLD「韓国偉人伝-百結」参照

・大晦日に、近所から穀物を搗(つ)く「パンア(搗き、방아)ソリ(音、소리)」が聞こえて、ため息をつく妻に、百結先生は「人の生死はその命に関わるものであり、貧富は天の決断である。これに対してあがくことはできないのに、婦人はどうして心を痛めているのか?」と言い、玄琴で臼をひく音を再現して慰めた。この音楽が世に知られ、「碓樂(テアク、대악)」、または、「パンア打令(방아타령)」と呼ばれた。

▼ 霊山会想から玄琴演奏「下弦還入(하현도드리)」を聴く。ゆたりと風流に響く・・・そんな部分か。

次に、さまざまな旧正月の料理の品々を次のよう解説された。
・旧正月、家庭は名節料理の準備で慌しい。次のような元旦の詩がある。「牛肉を煮てのせ、白い餅も積み重ねる/年の暮れの豊かさだ/元旦に膏粱(こうりょう)珍味を腹いっぱい食べれば/一年中、空腹を感じることはない」。
・食物が十分でない時代、元旦に先祖を祭る大切な目的があり、料理を盛りつけて分かち合い、一年が豊かで実りあるよう祈願した。
・元旦の客に出すお節料理に「歲饌(세찬)膳(상)」がある。トックク(雑煮)に餃子などを準備し、「シッケ(식혜、甘酒)」や「スジョンクァ(수정과)」の飲み物に、果物や「ナバッキムチ(スープ状キムチ)」を添えた。本格的に宴には、さらに、もち米に栗やなつめなどを加えた飯である「ヤクシク」や、「トッポッキ」、肉を煮た料理の「ピョンユク(片肉)」、小麦粉に甘く味をつけ揚げた「ヤックァ」などの菓子類、さらにゆでた栗やしょうが、なつめなどで作った「スックァ(熟果)」などを並べた。

ビナリ「祝願徳談(축원덕담)」を聴く。歌と打楽器で賑やかな・・・ともに祝いあう空気が伝わる。

・元旦の朝に飲む「屠蘇酒(トソジュ)」は、様々な薬草を入れて作り、冷たくして飲むと、悪い気運が去ると信じられた。屠蘇酒は一番若い人から、新しく一年を得るため先に飲み、年長者が歳月を失っていくため最後に飲むという。

▼ 「報念(보렴)」を聴く。祈り、地の香りして・・・今年もよい年でありますように。

2014年2月3日月曜日

節分 2014

節分の今日、鬼も張り合いがないのか、わが家にその気配がない。豆まき用の豆を買い置くのも忘れたくらいだ。なにしろ彼らときたら、腰が引けているのか、おさなごたちの前にしか登場しないのだから・・・全くブルブル感が足りない。

一日中、体が追いつかないほどの暖かさだった。最高気温が都心で17.8度、もはや春の兆しして、鬼も現れるタイミングを失ったかもしれない。そう、明日は立春、新しい季節の始まりである春になるのだから。

鬼さん、出てくるなら今晩限り・・・まあ、会いたくはないけれど。

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「12.統一のための触媒になりたい」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その最終回である第12回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒのファッションの特徴であるズボン着用の理由、結婚について、統一公演などについて知ることができた。

これまで掲載のスター・ストーリー(第1回~12回)を、ブログ画面左にある「ブログ本文&資料」に「●資料:이선희 Profile (自伝)」として、まとめて掲載する予定。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[12] 統一のための触媒になりたい
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読者や視聴者が、私に対して最も気にかけられるのは「なぜズボンだけ着るのだろうか」と、「いつ嫁入りするのか」ということだ

・ズボンだけこだわる理由は、中高時代に制服のスカートだけ着ていたらズボンが着たかったし、また、大学へ行って洋服にネクタイ姿に変えてみると、そんなに楽なことではなかったためだ。また、スカートは女性だけ着るものなので、化粧もしなければならないようだし、随所に装いもたくさんすべきなようで、ちっとやそっとのことで着ないことに決めたのだ。スカートよりはズボンが「自己防衛」にも良いようだったし。

デビュー当初、「結婚はいつ頃になるか」という問いには、いつも「三十歳前です」と答えた。当時には、はるかに遠い未来の年齢だと感じた「30才」が、もうそろそろ目に見え始める。だが、私たちの年齢(数え年)で三十前まで結婚できないようだ。

・今年と来年には、「公人」としてすべきことが山のように前を遮っており、また、29才になれば大人がダブー視される、いわゆる「九数(九がつく年齢、人生の節目)」にひっかかることになるので、どうやらこうやら三十には皆さんに麺をもてなすこと(結婚式を挙げること)ができそうだ。

・私は、ある種責任意識を持っている。私を大切にしてくださった全ての方に、企業が利益を社会に還元するように、何かをお返ししなければならないという信念を持っていることだ。

「私たちの願いは統一」のように、私は必ず北韓公演を成功させてみる。過去の東西ドイツの例を見ても、大衆文化交流は明らかに統一のための触媒として作用できると信じる。

・「つつじの花、菜の花ひとかかえ、胸に抱いてみればいつも夢見るよ。・・・一つになった愛で、自由と平和を思いっきり享受して生きる(懐かしい)その夢を・・・」、6集(1990年)に入っている「懐かしい国(그리운 나라)」*の一部である。

    (*)本ブログ関連;”「懐かしい国」

・つつじが春の園を刺繍する北方の地から、菜の花満開な南端の済州道まで、わだかまりなしに行き来することができるその日を描いて、私は公演のたびごとに必ず「懐かしい国」と「美しい江山」を切実な心境で歌っている。

・来る5月頃には、すでに作られ、統一を念願する多くの人々の口から口へ歌われている「愛の世界」(イ・コンサン作詞、キム・ジョンイル作曲)という歌を収めたレコードも出す予定だ。この歌はソ連のルドゥミルラ・ナムイの来韓公演でも歌われたし、テナー(歌手)のパク・インス教授も愛唱する曲だ。

・また「愛の世界」は、北韓にも知られているようだ。歌詞中の「開けよう・・・開け・・・」という小節を巡って、北側では「開け」を「開こう」に直そうと要求するという声も延辺自治区のある僑胞(海外在住韓国人)から聞いた。

・北韓公演は、来る9月の韓民族体育大会とほぼ同時に可能だと耳打ちして下さった関係者もおられる。公演関連の詳細は、私のマネジメントを担当している、ヘグァン企画で緻密に推進中だ。

・これまで、私が経験した27年を記録した貴重な紙面を快諾された日刊スポーツに心より感謝し、今後もこの新聞の芸能面を通じて、読者の皆さんになんどもお会いするのを希望する。
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(付記)
上記自伝(掲載1991年)の最後に語られたように同年9月に、イ・ソンヒの平壌公演は実現したのだろうかよく知らない。

現代峨山の報道資料(2003年9月25日)によれば、2003年10月6日に、平壌にある柳京鄭周永体育館(류경정주영체육관、12,500人)で開催される、南側の公演に歌手のイ・ソンヒ、ソル・ウンド、チョ・ヨンナム、声楽家のキム・ドンギュ、新世代グループの神話、ベイビー・ボックスの出演が予定される・・・。
彼女の公式ホームページに、この公演の記録は掲載されていない。(Youtubeに映像はあるが・・・)

ちなみに、チョー・ヨンピルは、2005年に同場所で単独コンサートを行っている。

2014年2月2日日曜日

「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃

歌謡界の2月の動向を記すスターニュース記事(2/1、キル・ヘソン記者)は、「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃として、次のように記している。抜粋。
いよいよ待望の、イ・ソンヒのアルバム15集を、今月遅くとも来月始めに入手可能とのこと。どんな内容なのか知りたい。あわせて、30周年のイベントについて時期や場所など詳細情報を今後得たい。

(本ブログ関連:”15集”、”●資料:이선희 Concert”)
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・(旧)正月の連休が終わる2月、多彩なスター級歌手たちが、歌謡界に同時出撃する予定で、すでに歌謡ファンをときめかせている。

・「女性歌王」の一人と評価されるイ・ソンヒは、早ければ2月の内に正規(アルバム)15集を出す予定だ。

・イ・ソンヒ側関係者は、1日のスターニュースに「イ・ソンヒは、現在の新しいアルバムの追い込み作業に心血を注いでいる」といいながら、「現在としては2月末、遅ければ3月初めに15集をリリースする計画」と伝えた。

・特に、今年はイ・ソンヒが歌手デビュー30周年を迎える年なので、彼女の新しいレコードに注がれる関心はより一層大きい。

・イ・ソンヒは、去る1984年、満二十歳の初々しい大学生時代、「Jへ」により第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を獲得、シンドロームを起こしてデビューした。以後ずば抜けた歌唱力を前面に出して、「ああ、昔よ」、「秋の風」、「分かりたいです」、「ヨン(You)」、「愛が散るこの場所」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などを次々大ヒットさせて、80年代と90年代初期を代表する女性歌手として地位を確立した。

・イ・ソンヒの音楽活動は以後も着実に続き、2005年発売した13集収録曲「因縁」は、(観客動員)1000万の興行映画「王の男」にも挿入*されて人気を独占した。2011年には、全国ツアーを盛況裏もまさに盛況裏のうちに終えた。

    (*)映画「王の男」: 未見であるが、サウンドトラックとしては使われたわけではないという。
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2014年2月1日土曜日

(資料)50代と漢字

新聞記事を通じて韓国の世代論をフォローしているが、時代を決定する50代に差し掛かった世代およびその下の世代であるハングル世代(한글 세대)が、漢字との親和が乏しいという現状を、朝鮮日報の記事「名前さえ漢字で書けない韓国人」(2/1、(魚秀雄(オ・スウン)記者 , 兪碩在(ユ・ソクチェ)記者)は次のように報じている。抜粋。

イ・ソンヒが1984年「江辺歌謡祭」で大賞受賞を紹介する、京郷新聞(テレビ番組紙面)にある記事は(氏名を除き)ハングルばかりだが、タイトルや写真の見出し部分に「熱気」、「大賞」、「音楽」など漢字が見られる程度である。
ちなみに、イ・ソンヒの2005年の13集アルバムタイトルは漢字で「四春期」(思春期ではない!)で、2009年コンサートのタイトルに「招待」の漢字が使われた。「인연(インニョン、因縁)」以降、彼女のヒット曲に東洋的香りする旋律が織り込まれている。

(本ブログ関連:”50代”)
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・1970年に「ハングル専用政策」が始まってから44年。今や、小学校で漢字を学んでいない最初の世代は50代に差し掛かった20-30代はもちろん、40代すらも漢字になじみがない時代になったということを意味する

スマートフォンやタブレットPCからは漢字の入力システムが姿を消し、ハングルだけで誤記された単語が、正しい表記として「定着」するケースも多い。

・成均館大学中文科のチョン・グァンジン教授は「漢字語は韓国語の語彙(ごい)の70%、学術用語の90%以上を占めている・・・

・仁済大学のチン・テハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「漢字が多く使われている1980年代以前の本を大学生が全く読めないということは、韓国各地の大学図書館に所蔵されている資料の90%以上が、そのまま死蔵されるということを意味する・・・
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