日本人の感性として、月明かりにこうこうと照らされて、庭が白く映えるといった漢詩的な捉え方はあまりないような気がする。湿気の多い土地がらゆえ、まんまるお月様と出会えれば儲けものといったところだろう。
月の満ち欠けを頼りに生活していたわけで、庶民は月を眺めて思索にふけるなんて高尚な真似事と無縁だった。うっかりすると、明りのない夜道、キツネに化かされることだってある。その意味で月明りは大切だったかもしれない。
幕末の大利根川で、やくざ一家同士の争いに参じた平手造酒(三亀)の歌がある。田端義夫の「大利根月夜」(作詞藤田まさと、作曲長津義司、昭和14年(1939年))だ。歌の出だしに「あれを御覧と 指差さすかたに/利根の流れを ながれ月」と歌われる。
戦前の曲だが、戦後世代の子どもたちも歌っていた。用心棒に落ちぶれた実在の「平手造酒(みき)」を借りての語り口だ。結果、彼は壮絶な死をむかえる。ヒラテミキの名は記憶にしっかり残っている。
幕末に父の名を知らぬ妾腹の子だった侍が、憂えながらニヒルにやさぐれる、結果とんでもない事件に深くかかわる。徳山璉の歌「侍ニッポン」(作詞西條八十、作曲松平信博、昭和6年(1931年))がある。「昨日勤皇、今日は佐幕」、「流れ流れて 大利根越えて」、「命取ろうか 女を取ろか」と無様にあてがない(歌に登場する新納鶴千代は、郡司次郎正作「侍ニッポン」の架空の主人公とのこと。未読)。そうそう、この歌にお月様は現れないけれど。
それにしても、利根川が運命の境い目だった物語りがいろいろあるような・・・。
■ Youtubeに田端義夫の「大利根月夜」(1939年)がある)
https://www.youtube.com/watch?v=5-0j58U0M7o (登録者 uchukyoku1)