歌手イ・ソンヒが登場したこともある KBS 2TVの長寿音楽番組「ユ・ヒヨル*のスケッチブック」**で、穏やかな物腰で歌手たちと対話する司会者ユ・ヒヨル(유희열)が最近発表した曲と坂本龍一のものとが極めて類似していると話題になっている。ユ・ヒヨルは、歌手兼音楽プロデューサーでもある。
(*)ユ・ヒヨル: https://namu.wiki/w/유희열
(**)「ユ・ヒヨルのスケッチブック」: https://namu.wiki/w/유희열의%20스케치북
朝鮮ドットコム/朝鮮日報日本語版
「韓国歌手ユ・ヒヨル、坂本龍一作品の盗作認める…『申し訳ない 何とぞご理解を』」(オ・ギョンムク記者、2022/06/15)より抜粋
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・歌手ユ・ヒヨルが日本音楽界の巨匠・坂本龍一の曲を盗作したことを認めて謝罪した。
・ユ・ヒヨルは14日、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「フェイスブック」の所属事務所「アンテナ」公式アカウントで、「『ユ・ヒヨルの生活音楽』プロジェクトの2番目の曲『とても私的な夜』と坂本龍一氏の『Aqua(アクア)』が類似しているという情報提供があり、これを検討した結果、曲のメインテーマが十分類似していることに同意することになりました」と述べた。
・ユ・ヒヨルは「長年にわたり最も影響受け、尊敬しているミュージシャンなので、無意識のうちに私の記憶の中に残っていた同様の進行方式で曲を書くようになりました」「発表時、私の純粋な創作物と考えましたが、2曲の類似性は認めざるを得ませんでした」と説明した。
・ユ・ヒヨルは「LPリリースを延期し、坂本氏側と連絡して著作権関連の問題を整理します」「久しぶりに出す曲を待っていた方々を失望させてしまい、あらためておわび申し上げます」と謝罪した。
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(参考)類似Youtube映像: https://www.youtube.com/watch?v=06otxBrFJyw
(追記)坂本龍一の日ごろの言動に照合して、彼らしい表向き決着を図ったようだ。
韓国では、盗作(표절)問題がわりと話題になりやすい。音楽業界だけでなく、食品、漫画・アニメあるいは番組制作においてもそうだった(例えば、むかしのプロデューサーたちが「釜山へ行ってくる」といえば、そこで日本の放送電波をキャッチすることであったし・・・)。それだけでなく、小説家においても盗作が問題になったりした・・・、「知性」とか「教養」といった「精神的」な趣きとかかわりが深い分野だけに厄介だ。
(追記)朝鮮日報記事:「日漫画盗作論争、ネイバーウェブトゥーン『連載中断』」
https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2021/09/18/5ZA5O4YLB5GXRABTKLXM5MES3Y/
(参考)小説の場合
本ブログでも以前(2015年6月)、作家申京淑(シン・ギョンスク)の作品に、三島由紀夫の『憂国』からの盗作疑惑が報じられたことについて取りあげたことがある。その後をフォローしなかったところ、下記(①、②朝鮮日報記事:上記ユ・ヒヨルの件と合わせて最近再掲載)のような展開をしていた。(彼女の夫は大学関係者で、難解な擁護論を語っていたのに驚いたことがある)
なお申京淑は、盗作疑惑の指摘を受けた同年(2015年)に謝罪したものの、その後ある団体の長から告発を受けるにおよんだりしていた***。
(***)中央日報日本語版の記事(2015年6月)
https://japanese06.joins.com/JArticle/202147?servcode=400§code=430
https://japanese.joins.com/JArticle/202148
① 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
「三島由紀夫「憂国」盗作疑惑の韓国人作家に不起訴処分」(パク・サンギ記者、2016/04/01)
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・盗作による詐欺および業務妨害容疑で告発されていた小説家、申京淑(シン・ギョンスク)さん(53)について、ソウル中央地検刑事6部(ペ・ヨンウォン部長)は先月31日、不起訴とする決定を下した。
・申さんが1996年に発表した短編小説『伝説』は、日本の作家、三島由紀夫(1925-70)の『憂国』をまねたものだという疑惑が浮上していた。これに対し、韓国社会問題研究院のヒョン・テクス院長は昨年6月、「申さんの盗作行為によって、『伝説』を出版した出版社の業務が妨害され、また申さんが盗作によって印税を得たのは詐欺罪に当たる」として告発した。
・検察の関係者は「出版社側が先に、申さんに対し出版を持ち掛けたため、申さんが出版社をだまして印税を受け取ったわけではなく、出版社側にも処罰を求める意思が全くないため、不起訴とすることにした」と説明した。
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② 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
「【記者手帳】三島「憂国」盗作騒ぎと未必の故意」(ユン・イェナ記者、2015/09/06)
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韓国の女性小説家・申京淑(シン・ギョンスク)氏の盗作問題にあらためて注目が集まっている。盗作が問題となった小説を出版した創作と批評社が、編集人と編集主幹名義で盗作を事実上否定し始めたからだ。
同誌の編集人でソウル大学名誉教授の白楽晴(ペク・ナクチョン)氏は27日、自らのフェイスブックを通じ「盗作疑惑が指摘された部分に、疑いの目が向けられるだけの類似性があることは確認したが、これを意図的なもの、つまり破廉恥な犯罪行為であると断定することには同意できない」と主張した。
これに先立ち編集主幹で延世大学教授の白永瑞(ペク・ヨンソ)氏も同誌秋季号の巻頭言で「問題の作品の中に、盗作疑惑を呼び起こすに十分な類似性が見られるという事実は認めるが、その類似性を意図的盗作によるものと断定することはできない」との見方を示した。
この結果、この問題はまた原点に戻ってしまった。今年6月、申氏が自らの短編小説『伝説』に日本の極右作家として知られる故・三島由紀夫氏の短編小説『憂国』の一部を盗用したとの疑惑が表面化した直後、出版元の創作と批評社が「問題とされる文章に類似性は認められるが、作品全体に占める割合は低いので盗作ではない」との立場を表明したところ、批判の高まりを受けてこの見方を1日で撤回した経緯がある。
その創作と批評社が今回、再び盗作の否定に乗り出したわけだが、その主張のポイントは要するに「『見た目』はそうかもしれないが、『意図』はなかった」ということだ。この言い分は非常に巧みで絶妙なものだ。しかし批判する側が問題としているのはそのような点ではない。「誰が見ても盗作」と見えるものを「そのような意図はなかった」という論理で批判をかわそうとしているところに問題があるのだ。
このままだとこの問題は迷宮入りしてしまうだろう。文章を読んでそれを評する人間は、それを書いた人間の心の中まで見ることはできないし、また人間は誰でも自分の思いが自分でも分からない時が多い。これは現代の科学が教えるところでもある。
この問題を最初に指摘した小説家のイ・ウンジュン氏は、問題となった申氏の『伝説』の文章と、詩人のキム・フラン氏が翻訳した三島由紀夫の『憂国』の複数の文章とを比較し、その上で「世間の常識」に判定を求めた。
その結果はどうであったか。ここで全ての名前を挙げることができないほど多くの作家が、イ・ウンジュン氏の提起した盗作疑惑に同意した。当の申氏でさえも「盗作との指摘は正しいのかもしれない」と語った。しかし申氏はその一方で「私も自分の記憶が信じられない」ともコメントしたため、とても素直に反省しているようには見えなかった。
聖書には「太陽の下に新しきものなし」という言葉がある。無限ともいえる古今東西の作品から必要な栄養を吸収し、成長してきた21世紀に生きる韓国の作家たちが、完全にオリジナルの新しい作品を作り上げることは、もしかすると不可能に近いことなのかもしれない。
ただしたとえそうだとしても「誰が見ても盗作に見えるもの」を「意図的ではなかった」という一言で片付けるのは、どう考えても厚顔無恥だ。刑法にも「未必の故意」という言葉がある。多くの知識と経験を持つ作家や創作と批評社の高名な関係者たちであれば、当然誰もが知っている言葉だろう。
記者は今年5月にある作曲家にインタビューしたが、その際、その作曲家は「無意識の盗作を警戒するため」と前置きし「大衆歌謡や音楽はあえて聞かない」と語った。このように無意識による失敗をも警戒する態度と「盗作かもしれないが意図的ではない」とはぐらかす態度。どちらが芸術家として本当にあるべき姿だろうか。
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(参考)幽体離脱法
https://namu.wiki/w/유체이탈%20화법