プラモデル作りの記憶はずっと昔のこと。タミヤがこんなに隆盛となる以前、社宅の腕白仲間から、親がアメリカ出張帰りに買ってきたというヘリコプターのプラモデルを見せてもらった。細部の細かさに驚いた、とういかアメリカの凄さを経験したといったほうがいいかもしれない。何しろNHKテレビ番組で「ハイウェイ・パトロール」が放送されていた時代だ。
その頃から飛行機模型に関心があったが、当時といえば、粗く切りだした木製の素材ぐらいしかなく、購入したもののヤスリなどで削りだすには相当根気がいった。結果は無残なもので、飛行機の断面図に合わせて器用に調整するなんてことは子どもに無理だった。
テレビで、三遊亭小金馬がマルサンのプラモデルを紹介した。子どもの小遣いで買えるものといったらマッチ箱シリーズの、今でいえば駄菓子の付録のようなものだが、子どもの目には精巧で手にする喜びを大いに感じたものだ。
(本ブログ関連:”プラモデル”)
小遣いをためては、胸をドキドキさせながら模型屋に向かった。そこは、子どもたちが飛行機や模型の知識をためるところであり、試すところでもあった。右手で飛行機雑誌を読み、左手で模型作りに励むといった具合だ。
そんなとき、アメリカ製のプラモデル(模型部品)が入った箱を見て驚いた。飛行機の姿が何と美しく描かれているのだろう。機体の光沢が何と流麗なことだろう。箱に耳を当てればエンジン音が聞こえてくるようだった。レベル(Revell)社の箱絵の作者が誰だったのか、関心が及ばなかったが、何度も箱絵を見ては買い求めた。捨ててしまった箱の、絵の部分だけでも切り取っておけばと今も悔やむ。
当時、480円だったかと思う。今の価値にすれば、5~6倍になるかもしれない。考えてみれば、(子どもには)相当な値段だったわけだが、欲しい一心で小遣いをためた。