ブログ本文&資料

2015年5月31日日曜日

イ・ソンヒと友人たち

イ・ソンヒが、関わりある友人と共に登場する「イ・ソンヒと友人たち(이선희와 친구들)」(2004年8月21日)は、自身の曲だけでなく、途中、トロットもはさんで歌い聞かせる、まさに歌謡ショーである。(別コーナーでは、愛弟子イ・スンギとのデュエットもあった)

番組の5日後、「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」が世宗文化会館で開かれる(2004年8月26日~28日)ことになる。このような形で、イ・ソンヒがテレビ登場するのは、コンサートに向けて高揚させる意味もあるのだろう。スタジオの観客は最高で幸運なプレゼント受けたことになる。(もっとも収録はずっと前だったろうけれど)

イ・ソンヒ曲から
・5集所収「私の街(나의 거리)」(1989年)
・4集所収「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이자리)」(1988年)
・2集所収「秋の風(갈바람)」(1985年)
・5集所収「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(1989年)

トロット曲からカバー
・シム・スボン 「憎い(미워요)」     ⇒ (本ブログ関連:”シム・スボン”)
・チュ・ヒョンミ 「片思い(짝사랑)   ⇒ (本ブログ関連:”チュ・ヒョンミ”)」

イ・ソンヒ曲から
・12集所収「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」(2001年)
・4集所収「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年)


가요쇼 - 이선희와 친구들 ('04. 8. 21) from Forever Sunny on Vimeo.


(追記)真夏日、夏日
5月の締めに暑い日が続いた。本日(5/31)も何と真夏日となった。読売新聞の記事「東京・千代田区32.2度…5月の観測史上最高」(5/31 19時22分)は、東京の真夏日と夏日の日数について、次のように報じている。(抜粋)
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・31日は本州を中心に晴天が広がり、東京都千代田区では午後2時45分頃、5月として観測史上最高となる32.2度を記録した。
・5月に同区で30度以上の真夏日となったのはこれで3日目で、1876年の観測開始以来、2004年と並んで最多。5月の夏日も22日目となり、これまでの記録の18日を大きく更新した。
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2015年5月30日土曜日

小笠原諸島西方沖地震

今夜、CDデータの移動に四苦八苦していたとき、嫌な予感する小さな揺れが始まった。次第に強まり、やがて一瞬激しい横揺れして家が軋んだ。いよいよ来たなと焦ったが、意外なほど短時間に減衰した。体感は、震度3+、ないし震度4(急な横揺れのとき)といった感じだった。

すぐに、テレビをつけた。緊急放送がこれほど待ち遠しかったのは久し振りだ。アナウンサーが伝える、震源の深さや、マグニチュードの規模を聞いて、その値の大きさに驚いた。ぜひとも、詳しい解説を聞きたい。

気象庁発表: 平成27年05月30日20時30分
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30日20時24分頃地震がありました。
震源地は小笠原諸島西方沖(北緯27.9度、東経140.8度)で、
震源の深さは約590km地震の規模(マグニチュード)は8.5と推定されます。
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(修正) 5/31 震源要素(暫定値) 気象庁発表) 
  ・地震発生時刻   平成27年5月30日20時23分
 ・緯度          北緯 27度51.6分
 ・経度          東経 140度40.9分
 ・深さ           682km
 ・マグニチュード   8.1

気象庁発表の通り、当地の震度は体感通り、震度3だった。

(付記)
最近、震源とは違って、別場所で震度が大きいことがあった。今回もそうだ・・・「異常震域」の可能性とのこと。
・5/25 : 震源地、埼玉県北部、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6
            ⇒ 茨城県土浦市常名、震度5弱
・今回: 震源地、小笠原諸島西方沖、震源の深さは約590km、地震の規模(マグニチュード)は8.5
            ⇒ 東京都小笠原村母島、震度5強埼玉県鴻巣市中央ほか、震度5弱 / (追記)神奈川県二宮町中里 震度5強 

2015年5月29日金曜日

口永良部島新岳が噴火

鹿児島県の南に浮かぶ、屋久島の西にある口永良部島(くちのえらぶじま)で、今日の午前9時59分に、新岳が噴火した。最近、国内であまり見かけない幅広い垂直な黒い噴煙が高く舞い上がり、一部が重みに耐えられず落下して火砕流となった。マグマ爆発といわれている。(災害緊急放送で定評の放送局が、「火砕流」の定義に慎重だったためか、島の地図上に図示するのが遅かったのが気になった)

幸い島民に重大な事故はなかったようだが、全島避難の事態とになり、ほとんどの方が隣りの屋久島へ一時避難している。この先、大変不安なことだろう。(三宅島、大島の事例を思い出す)

素人は、先の東日本大震災の影響を考える。プレートの動きと大規模地殻変動を想像し、近々の地震噴火を結び付けてしまう。この時期、地震火山学者の冷静な語り口を、冷静に受容できないのが残念だ。(自然のメカニズムは、もっと単純ではないかと、いぶかしむばかり)

九州には巨大カルデラが存在する。阿蘇カルデラ(阿蘇山)、 姶良カルデラ(桜島)、鬼界カルデラ(薩摩硫黄島)などが並んでいる。その南に、今回の口永良部島がある。(九州南部のカルデラ群をモデルにした小説を読んだことがあるだけに気がかりだ)

(参考) 産業技術総合研究所「口永良部島火山地質図

今は、早く沈静化して欲しいと願っている。

イ・ソンヒが合唱団審査委員に立つこと

第二次世界大戦直後、朝鮮半島は政情が複雑化し、南北に国家が成立した。そのため、建国の時期やその政府について多様な議論がある。韓国では、1945年8月15日を「光復節」と定めている。混乱の時期から国家樹立の経緯をたどると次のようになる。

1945年08月15日: (日本)太平洋戦争終戦
1945年09月02日: (日本)米戦艦ミズーリ号上で日本政府が連合国と降伏文書調印
                            (朝鮮)第二次世界大戦終結に伴い連合軍軍政下
1945年09月09日: (連合軍軍政期)朝鮮総督府の降伏文書調印、以降連合軍軍政期
1948年07月12日: (韓国)大韓民国憲法を制定 (同月17日発布)
1948年08月15日: (韓国)大韓民国の成立 (李承晩大統領が大韓民国樹立を宣言)

今年は、光復節から70年になるため、いろいろなイベントが予定されているようだ。その一つに、KBS NEWSの記事「【芸能】 『わたしは テハン・ミングク』 イ・ソンヒ - イ・クムヒ、解放ベビー世代合唱団の審査委員に立つ」(5/28)が伝える、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」の話題がある。

(本ブログ関連:”ソウル市議会”)
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・今年で70周年を迎える光復節に大韓民国の国民が、一つになって楽しもうという新概念のフェスティバル、KBSの国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」に歌手イ・ソンヒが加わった。

・国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」は、公式ホームページはもちろん、公式YouTubeやFaceBook、毎週火~金の夜10時55分に放送される KBS 1TV「私たちは(우리가)」、そして6月13日(土)午後8時から60分毎週放送される事前ドキュメンタリーなど、SNS、インターネット、オフラインを網羅して国民と直接コミュニケーションを楽しむ3ヶ月間の大長期プロジェクトだ。

・また、光復節当日である8月15日には、ソウル・ワールドカップ公演会場で、このプロジェクトに申請をした7万名の国民が大合唱を繰り広げる予定だ。

・こうした中、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」が、7万国民大合唱プロジェクトの一部門に参加するため、新たに結成されて関心が集まっている。大韓民国の光復と同じ年の、1945年に生まれた人たちで構成された「解放ベビー世代合唱団」 は、光復70周年を迎えた大韓民国の現代史を全身で証言する人々であるだけに、815プロジェクト「わたしはテハン・ミングク」に重厚な意味を加える。

・総360名が志願した「解放ベビー世代合唱団」は、二度のオーディションを経て最終45名が選抜されて本格的な歩みに出る。何より、歌手イ・ソンヒがこれらを導いていく予定と期待が集まっている。

・イ・ソンヒは、「解放ベビー世代合唱団」のオーディション現場に審査委員として登場、参加者一人一人と率直に通じ合って、彼らの歌に耳を傾けるのはもちろん、貫禄の音楽家らしい専門家的姿で現場をとりこにした。

・特に、イ・ソンヒとの友情で一緒に審査委員席を輝かせたアナウンサーのイ・クムヒと天才ピアニストのチェ・テワン*によってさらに活気あふれる進行を継続することができた。三名の審査委員は、緊張した参加者を配慮して気楽に話を続けられる雰囲気を誘導したし、参加者たちも自然にそれぞれの熱い人生を打ち明けて感動の波を誘った。

(参考)先日5/21の、イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」に参加している。

・このために、オーディション現場の高潮した雰囲気をほてるように熱くしたこれらのさまざまな事情に対して、すでに期待感が造成されている。イ・ソンヒと解放ベビー合唱団員が共に作っていく胸の熱くなった3ヶ月間の旅程は、国内全域に次元が違う感動をもたらすと関心を集めている。
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2015年5月28日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 仏教音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、今年の5月25日(月)(陰暦4月8日)の釈迦誕生を祝う日(「灌仏会」)にちなんで、仏教に関連する3曲を紹介した。

(付記)
イ・ソンヒの父が、梵唄の指導者であったことから、彼女の音楽の源泉(才能)がそこにあったような気がしてならない。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)

始めに、「初八日(초파일)」の祭事と、風流を楽しむ曲「霊山会相영산회상)」について次のように紹介された。
・「初八日」は、毎月8番目の日だが、昔は陰暦4月8日の釈迦誕生の日を指して祝った。寒暑もない春に、人々は米を持って寺に向かった。交通も不便な時代、寺にたくさんの知り合いが集い、親に付いてきた子供たちもいて、おもちゃや菓子を売る人もいた。五色の提灯や音楽も聞こえる。そんな素晴らしい季節に誕生された。

▼ 霊山会上(浄土)の仏と菩薩を讃嘆する意の「霊山会相仏菩薩(영산회상불보살)」を聴く。荘重に編曲したもの。

・両斑の風流曲に「霊山会相」がある。もともと仏教の声楽曲だった。「霊山会相仏菩薩」の歌詞からなり、歳月を経て、風流を楽しむときの音楽になった。

次に、釈迦と摩訶迦葉(マハーカッサパ)の間の拈華微笑と、仏教音楽の梵唄(ぼんばい)について次のように紹介された。
・古代インドのマガダ国の首都の近くにある、霊鷲山(りょうじゅせん)での出来事。釈迦が菩薩に対して仏教の教義を説いていると、空から花の雨が降ってきたという。また、ある日、説法を聞きに集まった大衆の前で、釈迦は一輪の花を見せたが、何も語らない。大衆は訳が分からないまま黙っていると、ただ一人、弟子の摩訶迦葉だけは釈迦を理解し微笑んだ。仏心を伝える仕草の拈華微笑は、字や言葉を使わぬ以心伝心に通じる。この光景をあらわした「霊山会相図」や、音楽にした「霊山会相」がある。

▼ 僧侶が梵唄で長く伸ばして歌う「ジッソリ挙霊山(짓소리 거령산)」を聴く。一体どんな場面で歌ったのだろうか。

・僧侶が儀式で歌うものを「梵唄(범패声明)」と言う。「ジッソリ(짓소리)」は梵唄のひとつ、「挙霊山(거령산)」は曲名で、16文字の歌詞を長く伸ばして歌うのが特徴。長くは一時間も歌うため、世の中で最も長い歌だろう。梵唄は、梵の音、「梵音(범음)」とも言う。「梵」はインドを意味し、宇宙の原理を指すこともある。また、このリズムを、水中で泳ぐ魚に例えて、「魚山어산)」とも言う。統一新羅時代に唐から入り、歌曲や民謡など民間の音楽にも大きな影響を及ぼした。伝統文化ともいえる。

▼ 「霊山会相」の中から、シタール、弦楽器ヘグムとヤングムの演奏「細霊山(세령산)」を聴く。インドの香りは・・・静かな曲だ。

2015年5月27日水曜日

夏日和というより、夏そのものといった感じ

気象区分でいう「春」(3~5月)の終わりに迫る今日、寒いのが苦手で暖かい方がいいといった私でも、2日連続の<真夏日>には少々ウンザリする。外出すれば、逃げ場のない陽射しにくるまれてしまい、空調の効いた体操教室では、すぐに汗がにじんでくる。家に帰れば、扇風機が登場した。

ところで朝のテレビで、気象予報士が、5月の東京都心での<夏日>はこのままいくと過去(1876年以降)最多だし、<真夏日>の2日連続!は過去2回目になるだろうといっていた。どうやら、その通りになってしまった。

どちらを向いても、陽が暮れても、暑い暑い。

▼ 東京都心観測地点
葵町(1875年6月~) → 代官町 → 竹平町 → 大手町 → 北の丸公園(2014年2月~))

▼ 気象用語(夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など): 気象庁「天気予報等で用いる用語 」より
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夏日   :日最高気温が25度以上の日。
真夏日:日最高気温が30度以上の日。
猛暑日:日最高気温が35度以上の日。
熱帯夜:夜間の最低気温が25度以上のこと。(備考: 気象庁の統計種目にはない。)

冬日   :日最低気温が0度未満の日。
真冬日:日最高気温が0度未満の日。
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2015年5月26日火曜日

イ・ソンヒ「私はいつもあなたを」

イ・ソンヒの音楽的変化が起き始めたといわれる4集に所収の、「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)は、彼女の曲集の中では大衆的でトロット寄りである。だから、お笑い映画「家門シリーズ」のOST(映画音楽)に採用されたし、チャートのトップにも立ったし、カラオケ曲の定番である・・・(私のカラオケ必須曲でもある)。

2004年、世宗文化会館で催された「20周年記念コンサート」で歌う、彼女の映像がYoutubeにある。余裕と自信、そして清雅さの全てを視聴できる。鮮明な映像を何度も見て、澄んだ声を何度も聴くことができる。さあ視聴しよう。

(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”、”家門シリーズ”)


「私はいつもあなたを」

いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ

戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(Oh~Oh~Oh)

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ

(*以下繰り返し)

(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ

(Youtubeに登録のpops8090に感謝)


(追記)
昼下がり、歯科医院に行く途中、太陽光に押されるような(まるで「太陽風」?)、そして巻きくるめられるような圧迫感があった。
毎日新聞の記事「天気:東京都心の夏日、最多タイ…5月に入り18日目」(5/26)によると、「東京都心では午後0時台に30度を超えた。都心で最高気温が30度以上の<真夏日>となるのはことし初めて。午前中から25度以上に達し、最高気温が25度以上の<夏日>となっていた。5月に東京都心が<夏日>となるのは18日目で、1967年と98年と並んで過去最多タイとなった」とのこと。

2015年5月25日月曜日

久し振りの強い地震

窓がざわついて突風でも吹いたかと思った。グラグラと揺れが始まり、次第に強まる地震に、不思議と落ち着いていた。あの日以来なんとなく震度がわかったような気がして、妙な気がする。大丈夫だろうという予感すらしていた。

とはいえ、すぐにテレビをつけた。各局はテロップで地震速報した。こんなとき、やっぱりNHKに限る、すぐに詳しく放送が始まった。

気象庁の、地震速報は次の通り。当地の体感は、震度3といったところかと思った通り・・・下記速報にある<各地の震度>と同じだった。だから、どうということはないのだが。


平成27年05月25日14時33分 気象庁発表
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25日14時28分頃地震がありました。
震源地は埼玉県北部(北緯36.1度、東経139.6度)で、
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
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「平成27年5月25日14時28分頃の埼玉県北部の地震について」 気象庁発表
http://www.jma.go.jp/jma/press/1505/25a/kaisetsu201505251545.pdf

(資料)イ・ソンヒの歌が国境をまたいで流れたこと

女性の声で相手側(兵士)に対し、戦意を萎えさせる心理戦がある。例えば、太平洋戦争中、ラジオから流れた東京ローズはよく知られている。当時、ドイツでも、Axis Sallyと呼ばれる女性がプロパガンダ放送されたという。

現在の朝鮮半島の南北対立は、朝鮮戦争停戦の延長であり、さまざまな心理戦が行なわれていると、中央日報の記事、「韓国、対北ビラにラーメン・ストッキング…北は『DMZ女性軍入浴』心理戦(1)(2)」(2014年10月14日)は伝えている。(抜粋)

その中で、イ・ソンヒが歌謡界に出るきっかけになった曲「Jへ」(1984年)を、休戦ラインをまたいで拡声器を使って南から北側へ流したと語られている。しかも、「イ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった」。裏面史である。

(本ブログ関連:”Jへ”、”ソウル市議会”)

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 ・「ビラ(bill)」は知っている。70年近い分断の時期、南北が休戦ラインを挟んでどんなことをしてきたのか。今は「伝単」という高尚な名前で変身したビラには、分断と対決の歴史がそのまま反映されている。

 ・心理戦は放送や手紙など、さまざまな手段を動員する。四面楚歌という故事成語も結局は漢の劉邦の軍に包囲された楚の項羽軍に故郷の歌を聴かせて投降させたという古典的な心理戦術といえる。

・休戦ラインの拡声器で南北は、数キロ離れた場所の兵士の耳が痛くなるほど出力競争をした。北朝鮮は帰順誘導放送を、韓国は歌謡で対抗する局面だった。主に女性歌手の曲を流したが、84年に「Jへ」でデビューしたイ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった
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2015年5月24日日曜日

向谷鉱山

明け方、階段を3段、踏み外してズルズルと落下。右足の親指と人差し指を捻挫したようだ。せっかくの鉱物採集日だというに、なんということ。

でも、石採りの妄想は既に始まっていた。止めるわけにはいかない。行かないわけにはいかない。

早朝、石仲間のS氏とJR駅前で待ち合わせして、迎えに来ていただいたH氏の車に同乗し、全員集合場所のPAで指導者Y氏と合流。長野県茅野市にある向谷(むかいだに)鉱山へと向かう。

今回の目的は、都茂鉱(Tsumoite、BiTe)だ。噛み付く(bite)わけではない。組成が、Bi(ビスマス)とTe(テルル)という、島根県の都茂鉱山で発見された珍しい鉱物なのだ。それが、何と長野県の向谷鉱山でも発見されて話題になった・・・。

そんなわけで、都茂鉱山目指して、山中を車が走る、走る。まさに(春最終の)、夏日和だ。

なだらかなズリ跡には、すでに、訪れた採集者が砕いたらしく、岩が散乱していた。斜面はやがて急勾配になるが、冒険はしない。ゆるりとした場所で、石割りを始めた。ガイドブックなど資料によれば、似た鉱物を含めて、多くが<石英>の中にあるという・・・。
しかし、見当たらない、石英の片鱗すらないのだ。

結局、目指す都茂鉱と、誰も出会うことができなかった。現地で、朝はオニギリ一個だけ、昼は食を忘れてまで探したのに、見つからなかったけれども、久し振りにリフレッシュできるよい機会に恵まれた。感謝。

強いて、採集物を列挙すれば、次の通り。
・毒鉄鉱、水晶(群晶)+雲母、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱

鉱山につながる山道の入り口に戻って帰り仕度をしている時、地元の方だろうか、車が止まった。気のいい親父さんから、「ずいぶんと沢山の人が来たよ」と話しかけられた。やっぱり、採集し尽くされたのかもしれない、皆で納得した。

2015年5月23日土曜日

パティ・キムの「愛するマリア」

韓国歌謡を聞くとき、女性歌手の大ベテランとして、トロットならイ・ミジャ(李美子:이미자、1938年2月28日~)があるように、洋楽からパティ・キム패티김、1938年2月28日~)があげられるだろう。昔、私にとっては、パティ・キムの名はどこからともなく聞こえていたが、あるとき秋葉原での仕事帰りに購入した彼女のアルバムを聴いて驚いてしまった・・・大袈裟にいえば驚天動地した。帰宅して、その夜はパティ・キム漬けになってしまった。

ブログで何度か触れたが、彼女は日本でいえば、雪村いづみ(1937年3月20日~)のような気がしてならない。その歌唱力は、圧倒的で衰えを知らなかった。先日、パティ・キムは引退発表したけれど。

(本ブログ関連:”パティ・キム”)

彼女のアルバムの中で、ずっと耳の底に残った(韓国風にいうと”中毒性のある”)のは、「愛するマリア(사랑하는 마리아)」(作詞・作曲吉屋潤:길옥윤、1969年)だった。彼女とこの歌の作家との関係については、とても大きな物語があった・・・しかし、ネットでは忘れられようとしている、時代は無情だ。

心の痛手と違って、軽快なリズムとリフレインが明るさを盛り上げる、楽しい曲だ。

「愛するマリア」

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君と別れてから、花を植えたよ
悲しい心に、花を植えたよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
春が再び戻って、花が咲いたよ
懐かしいように、花が咲いたよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君を思いながら、花を見たよ
この胸に戻ってこいよと、花を見たよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
忘れるためにと、花を折ったよ
涙を流しながら、花を折ったよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、マリア、マリア
マリ~~ア~

(Youtubeに登録のJohn Nohに感謝)

2015年5月22日金曜日

イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」

写真=フックエンターテインメント
イ・ソンヒは、若いころから慈善活動を続けてきた。(現在

今回、所属事務所のイ・スンギと共に、関係者の入院先の病院で、小児患者のための家族音楽会を開いたと、中央日報の記事「【フォト】 イ・ソンヒ 『爆発する歌唱力』」(5/21、ニュース・エン、イム・セヨン記者)は、次のように伝えている。師弟のなかで、慈善の継承が行なわれていることがわかる。
小児癌患者を助ける「新村セブランス病院」での才能寄付(=재능기부:能力を活かしたボランティア行為)

(本ブログ関連:”慈善活動”、”ソウル市議会”)

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イ・ソンヒ、イ・スンギが、子ども患者のために立った。

イ・ソンヒ、イ・スンギと一緒に「セブランス家族音楽会」が5月21日午後、ソウル西大門区新村洞セブランス病院で開かれた。

この日の公演には、イ・ソンヒ、イ・スンギなどが参加した。

イ・スンギ、イ・ソンヒの所属事務所「フックエンターテインメント」関係者は、ニュース・エンと通話で、「イ・スンギが新村のセブランス病院の小児患者のため、治療費を後援したのは事実」と伝えた。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)

関係者は、「最近、所属事務所の代表が、新村のセブランス病院に入院し、イ・スンギが病気見舞いによく来て、小児病棟の患者たちをもどかしく思い、支援したいという考えを伝えた。病院側と支援策について協議して、治療費を支援した」と説明した。
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(追記)
この音楽会で、イ・ソンヒは、「私はいつもあなたを」、「その中であなたに出会って(그중에 그대를 만나)」、「因縁(인연)」、および「Jへ」を歌ったようだ。

2015年5月21日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 先生の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「先生の日(교사의 날)」(5月15日、1964年~1972年、1982年~)に関連する3曲を紹介した。

始めに、孔子の言葉から「先生の日」の意義を、世宗大王の「龍飛御天歌(용비어천가)」から「与民楽(여민락)」の始まりについて、次のように紹介された。
・孔子いわく、「三人行けば必ず我が師あり」(三人連れで行けば、その中に学ぶべきものがある)。5月15日は「先生の日」であり、ハングルを作った世宗大王の生まれた日でもある。この日に、世宗大王を記憶し、先生に感謝する。世宗大王はハングル創生後、楽章 · 叙事詩「龍飛御天歌」の作成を命じた。朝鮮時代、歴代王の業績を記録した最初のハングル文献である。そして、この詩を歌にしたのが、民と共に楽しむの意の「与民楽」だ。今は歌は消え去り、器楽曲として伝わる。

▼ 「与民楽」の演奏を聴く。宮廷曲にしては軽快、なるほど歌いだしそうな旋律がする。

次に、朝鮮後期、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)と黃裳(황상、1788年~1863年)の出会を次のように紹介された。
・朝鮮後期最高の学者と言われた丁若鏞は、政治的理由で、長い間島流しになった。ある時、少年、黃裳が訪ねてきた。ソウルの立派な学者の噂を聞き、学びに来たのだ。身分も低く賢くもない少年は、少し内気になって、「こんな者でも勉強ができますか」と尋ねた。丁先生は、「学ぶ者には三つの大きな病がある」と答え、① 記憶力が良く、何事もすぐに覚えてしまう人は、自分の能力を信頼して適当になってしまう。② 書く能力が優れて、すぐに詩作し、どうしても内容が軽くなってしまう。③ 理解力が良く、何事もすぐに理解して、悟ることができず長続きしない。でも、「君にはそんな病気はない」と答えた。感動を受けた少年は勉学に励み、後日、作った詩は、著名な金正喜(김정희)も感動させた。

▼ 茶を嗜みつつの「草堂の白い湯のみに広がる茶花の香り(초당 흰 찻잔에 스며 퍼지는 찻꽃향기)」を聴く。視覚的今様。

・丁若鏞は、茶山草堂(다산초당)で茶をしながら多くの本を書き上げた。

最後に、朴貴姫(박귀희)(1921年-1993年)の国楽芸術学校設立について次のように紹介された。
・伝統音楽、特に(低く見られた)パンソリや民謡などは、師から弟子へと伝わってきた。だから師弟関係は強固である。日本統治時代、朝鮮戦争を経験した朴貴姫など歌い手たちが集まって、国楽芸術学校(국악예술학교)*を設立する。この学校で多くの学生が勉強に励んだ。・・・(* 「国楽芸術学校」の正式名称不明)

▼ 夏の美しい景色の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を、カヤグム演奏と歌で聴く。乾いた風のように淡々として・・・。

2015年5月20日水曜日

聊斎志異「石清虚」

希少な石を愛する人は、とどめがない。そこには、物欲と紙一重の世界がある。しかし、何かしら意義を求めるなら、志において、その高まりなのだろうけれど・・・。

「聊斎志異」(蒲松齢著、1640年~1715年)、岩波文庫版(立間祥介編訳)の最終所収の「雲の湧く石 - 石清虚」は、主人公(邢雲飛)の愛石ぶりを、その始まりから死後に至るまで顛末を語る。

(本ブログ関連:”聊斎志異”、””)

(概要)
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あるとき、川底で見つけた石が深い襞にきざまれ峨々たる山容をあらわし、雨が降りそうになると、いくつもの穴から綿のような雲が黙々と湧き出した。

これを求め奪おうとする権力者から逃れたところに、元来の所有者である老人(それが証拠に、石の穴の奥にある「清虚天石供」*の五文字を指摘する)が現れる。主人公は、寿命(石の穴の数)を減らして(潰して)までして、老人から貰い受ける。

(*) 注釈に、「清虚天は、清虚洞天ともいい道教説話中の仙境。また月の宮殿ともいう。そこの石供(石の飾り物)の意」とある。

その後、泥棒に石を盗まれ、その取調べに関与した役人に奪われてしまうが、夢の中に登場した男に、再び取り戻す機会を知らされる。役人没後、その家の者に盗まれた石が、市場に売りに出さたのを知りようやく手元に置くことができる。

主人公は、八十九歳でなくなるとき、石を墓に供にするよう息子に言いつける。ところが、墓荒らしにあい、息子は思いあぐねて道を歩いていると、二人の男が彼の前に来て、売ってしまったと詫びる。

役所に賊を突き出し、石が見つかったものの、そこの役人は我が物にしようとする。倉庫に納めるよう命じられた下僕は石を落としてしまう。息子は、砕けた石を集めて、主人公の墓に供えた。
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岩波文庫版は、展開を淡々と語って終わる。

ところで、石の世界を集めたアンソロジー「書物の王国6 鉱物」(国書刊行会)では、同作品を「石を愛する男」(増田渉訳)として採りあげている。物語の最後、次のような文が続いている。
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異史氏曰く----
並みすぐれた物は、禍のもとである。身をもって石に殉じようとするにいたっては、執着もまた甚だしい!だが結局は石が人と最後までいっしょになっていたのだから、石に情がないなどとだれが言えようか!昔の人は、「士は己を知る者のために死す」と言ったが、それは決して言い過ぎではない。石ですらなおこんなふうである。まして人間においておやだ!
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「身をもって石に殉じる」とは・・・石狂いにもほどがあるけれど、そんな世界にどっぷりはまった人には、選択の余地はないようだ。精神性までが、文字通り物化してしまった世界のようだ。

2015年5月19日火曜日

トロピカーナ エッセシャルズ カルシウム BANANA BLEND

テレビの築地場外市場の取材で、美味しそうに卵を焼いている光景があった。職人が作るのだから、美味くてきれいに仕上がるに決まっている・・・と分かっているが、真似したくなった。

早速、スーパーで専用の卵焼きフライパンを買った。而して、玉子も大量購入し試してみた。しかし、返しがうまくできない。ふわふわした感触もなければ、きれいに丸まって、美味しそうな姿にならない・・・そして作り過ぎた。

それはそれとして。

スーパーへ行けば、必ずバナナ味した食べ物・飲み物を探す。今回、ジュース棚に、バナナの姿をデザインした小さな紙パック(330ml)があった。横書きに「Tropicana Essentials カルシウム」と表記し、縦書きに「BANANA BLEND」の表示がある。バナナピューレを含む4種類(ぶどう、バナナ、いちご、ブルーベリー)の果実をブレンドしているというのだ。

バナナ味の巡礼は、バナナ味一本で勝負するものを本来の主旨にしているが、この際、バナナの絵柄を前面に出したパッケージデザインを慮って取りあげた。(以前、ミックスジュースに触れたこともあるが)

果汁20%の中、バナナの割合はいかに・・・飲んだ瞬間、バナナを探した。しかし、口中にミックスジュース特有の甘い香りだけが残った。もう一度飲んだ。いがいが感が喉奥に微妙に感じた。もっと飲んだ。330mlは、意外と腹にこたえる。

今回、無理強いした感がある。思いが強すぎたようだ。捲土重来、次回を期したい。

バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

(本ブログ関連:"バナナ")

2015年5月18日月曜日

「石の中に潜んでいる竜」

鉱物には、相容れぬものが恰も共存しているように見えることがある。水晶(SiO2)の、透明で美しい六角柱の中に、例えば細い針状の植物が見える。実は、苦土電気石の針状結晶が抱有されたもので、「ススキ入り水晶」と呼ばれる。草状以外に、水が入っている場合もある。

透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。

メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。

江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。

(本ブログ関連:”石亭”、””)

(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。

石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。

そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。

この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。

ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。

その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。

そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。

2015年5月17日日曜日

今年の梅雨は 2015

このところの天候で、<台風>の早い到来ばかり目に付く。私にとって、通年では更に二つ苦手なものがある。<冬の寒さ>と<梅雨の湿気>だ。冬の寒さにはストーブやエアコンで温まり、梅雨の湿気には除湿機を総動員する。だが、台風には打つ手はない。

(本ブログ関連:”梅雨”)

今年も<梅雨>が確実にやって来るが、去年と比べて少々出遅れているらしい。気象庁の「平成27年の梅雨入り(速報値)」は、各地域ごとの過去の梅雨入り時期(平年と昨年)について、次のように掲載している。今日現在、沖縄、奄美が未だ梅雨入りしておらず、もしかすると、九州と逆転するかもしれないという話しがあるようだが・・・どうなるだろうか。

地方 平年 昨年
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沖縄 5月 9日頃 5月5日頃
奄美 5月11日頃 5月5日頃
九州南部 5月31日頃 6月2日頃
九州北部 6月 5日頃 6月2日頃
四国 6月 5日頃 6月2日頃
中国 6月 7日頃 6月2日頃
近畿 6月 7日頃 6月3日頃
東海 6月 8日頃 6月4日頃
関東甲信 6月 8日頃 6月5日頃
北陸 6月12日頃 6月5日頃
東北南部 6月12日頃 6月5日頃
東北北部 6月14日頃 6月6日頃
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(北海道がないのは、同地に梅雨がないため)

実は、空模様が気掛かりだ。来週の日曜日(24日)に、長野県にある鉱山へ行きたいと思っている。今のところ天候予測は曇りとのこと。その数日前は、ずっと晴れ・曇りが続いているので、無事に実施できそうだ。

それに、今年も恒例の「第28回 東京国際ミネラルフェア」(6/5~6/9、新宿)が開催される。こちらは、雨に関係ないので、心配なく覗いて見たいと思っている。

2015年5月16日土曜日

イ・ソンヒの「愛しただけなのに」

イ・ソンヒのアルバム10集 「First Love」 (1996年:歌詞)は、彼女がシンガーソングライターに変身したといわれるアルバムである(ほぼ全て彼女の作詞・作曲したものだ)。

その中で、「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」は、彼女が歌まっしぐらに駆けてきた感があるので、結婚しているとはいえ、妙に大人っぽい感じがする。決してちぐはぐでないし、私の純粋培養のイメージから超えそうなものの、でも声質は変わらない。いたって健康である。その辺の微妙なバランスが楽しいのかもしれない。

(本ブログ関連:”愛しただけなのに”)


「愛しただけなのに」

手にできぬ、あなただから
この夜もっと、さびしい Uu... Uu...

お互いが、なぜ遠ざかるの
お互いは、こんなものだったの

その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...

笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね

愛しただけなのに

一日も欠かさず、会いたいと
あなた一人だけ、信じて待って欲しいと

その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...

笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね

愛しただけなのに

(Youtubeに登録のhirekatu3に感謝)

2015年5月15日金曜日

(雑談) いつの間にか自分のものとしていること

生命って何?

水平的なダイナミクスでいえば、自己複製できるものだろう。更にいえば、生命体である自身と、外部(<自然<環境)との間で、物質・エネルギー的な出入り(調整・平衡)することだろう。内部に恒常性を持っているともいえる。

時間的なダイナミクスでいえば、進化である。

進化は偶然の産物といわれる。ただし、どうやら進化の枝分かれは、それを単純に繰り返すだけでなくて、ときとして、進化の枝が絡み合うこともあったようだ。

細胞の中でエネルギー発生に有効な器官ミトコンドリアは、外部から細胞に混入したもののようだ。それが、ごく自然に(重要な役割を持って)共存していることになる。

先日、NHKのドキュメンタリー番組「生命大躍進」で、動物の「目」の誕生が紹介された。その起源は、植物性の光反応を担う細胞がプランクトンによって、クラゲに取り込まれたことに始まるそうだ。無脊椎動物(節足動物)の複眼へ、脊椎動物のカメラ眼へと進化したというのだ。

細胞内レベルの器官として、あるいは体レベルの器官として、いつの間にか自分のものとしているが、気付いてないものが、まだまだ他にあるかもしれない。

考えてみれば、人間の思考もそうかもしれない。進歩につながるものならいいのだが。

2015年5月14日木曜日

「バナナブラン」

今日も、スーパーの棚にバナナ味の菓子を見つけた。

主婦向け菓子の王者(と私は思っている)ブルボン社の「Banana Blanche バナナブラン」だ。主婦向けの特徴(と私は思っている)は、コストパフォーマンス(総量/価格)が良く、一品は小さ目のサイズで食べやすく、甘味がほどほどなことだろう。

菓子箱に「キャラメル香るふんわりケーキ」と記載され、成分表示として、バナナ香料、キャラメル香料、洋酒使用アルコール分1.1%とある。食べれば、口中にバナナの香りが広がるが、(バナナ果汁成分の表示ががないので)バナナ・アレルギー気味の私の喉に、イガイガ感が残らない・・・良いことだが、ちょっとさびしいような。

主婦向け菓子は、<お話し>しながら食べるという間合いがあるから、ゆっくり口に進むだろう。そういえば、菓子皿にはいろいろ菓子を盛り合わせるようだ。

バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

(本ブログ関連:"バナナ")

KBS WORLD「国楽の世界へ」 父母の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「父の日・母の日」(5月8日)に関連する3曲を紹介した。

始めに、「父の日・母の日」と親に報いる労働歌「相杵歌(상저가)」について次のように紹介された。
・一生懸命努力したつもりでも、悔いが残ることがある。特に、家族、中でも両親にであれば、その悔いは一生残る。両親のいる内に孝行せよというのもそのためだ。5月8日は「父の日・母の日」だ。父母別々でなく一緒に感謝する。
・高麗時代に、臼で穀物をつく労働歌「相杵歌」(≒朝鮮初期楽譜:韓国民族文化大百科事典)がある。<がたんとうるさい臼でも、穀物をつくことができるから幸いである。まずは両親に食膳を整え、残りのものを自分が食べよう>という内容だ。白米でなくても食べられる幸せという歌詞もある。この曲はリズムは失われ、歌詞だけが伝わっている。

▼ 「相杵歌」にリズムをつけた<創作曲>「新・相杵歌」を聴く。心情に響かせる、今様の国楽である。

・昔は食事のたび、臼で穀物をついて支度した。毎回米を食べたわけでない。庶民は、特別な正月や両親の誕生日などに白米を食べた。普段は麦や粟のような穀物を食べた。白米でなくても、親のために幸せな気持ちで食事の支度をしたという、親を想う歌だ。

次に、母を想う歌「思母曲(사모곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代、母を想う歌「思母曲」がある。農作業に使う鎌と鍬(くわ)を親に例えている。鍬も必要だが、鎌にはかなわない。つまり、父の愛も大きいが、母の愛ははるかに大きいという意だ。

▼ 朝鮮初期に記録された歌詞に、昔のリズムを最近<復元>した「思母曲」を聴く。厳かな曲調、今様である。

最後に、「父の日・母の日」成立の背景と、「父の歌(아버지의 노래)」について次のように紹介された。
・(「思母曲」は)母の愛が大きいと歌うが、韓国のしきたりとも関連がある。5月8日の「父の日・母の日」は、1956年に制定され、「母の日」であった。当時。父を上長と特にもてなしたので、母は比較的おろそかになっていた。この日だけでも、母に親孝行する意があり、母の日として始まったが、今では「父の日・母の日」になった。最近、父子の触れ合いが減り、寂しい想いをすることも多いようだ。
・父を想う歌もある。<一生涯、無口だった父>と始まる。悲しいときも嬉しいときも無口であった・・・。

▼ 「父の歌」を聴く。母親の姿は前から見て、父親の姿は後ろから見る・・・そんなためを息をしてしまいそう、今様である。

2015年5月13日水曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

昨晩の台風(6号)は、今日の日付に変わる頃に、すっかり凪いだ感じだった。転寝して気付いたときには治まっていたという、少々気抜けしたものだったが、大事にいたらず幸いだった。

ところが、今朝のニュースで知ったことだが、早朝、宮城県沖を震源とする地震(M6.8)が発生したという。岩手県花巻市で、震度5強だったという。自然は少しも油断できない。

そんな朝、台風一過の晴れやかな空が広がっていた。まさに五月の陽射しだ。

イ・ソンヒには、5集に収録した「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年)があるが、1990年にモントリオール室内オーケストラと協演した公演実況版アルバムがある。(この協演版は、「『なぜ私だけ(왜 나만)』など新曲が収録され、会場の(イ・ソンヒの語り)コメントを余すところなく、そのままに盛り込んで、臨場感を生々しく生かしたのが特色である」とのこと・・・公式ホームページ)
協演ステージの、彼女の初々しい様子を(コメント省略だが)Youtubeで見ることができる。

(本ブログ関連:”モントリオール室内オーケストラ”)

この「五月の陽射し」には、さまざまな思いが込められているという。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2015年5月12日火曜日

5月の台風6号 (2015)

2009年以来、このブログに台風について記述した最も早い時期は、2011年5月(台風2号)だ。それ以降、またしても5月のこの時期に台風到来、それも台風6号という。温暖化だからだろうか、台風発生が矢継ぎ早のようだ。

市役所から、台風6号について注意喚起メールが届いた。また、ネットのWeathernewsによれば、(地元Pinpoint地区について)「今夜は雨風がだんだん強まり、夜遅くがピークに。道路冠水や交通の乱れの可能性があるため、早めの帰宅をおすすめします」とのこと。

夕方過ぎ、灰色の雲が重くかぶさるようで、台風の迫り来る緊迫感がある。風はときたま、かすめるように吹くだけで、台風前の静けさといったところだ。とはいえ、夜分に厳しさが予想されるため、今晩予定の教室が休講となった。強風と土砂降りの帰り道ではかなわないからだ。

突然の地震も恐ろしいが、今来るとばかり待ちかまえる台風も嫌なものだ。でもこう考えることがある。私たちの祖先は、自然の変化と襲来を経験することで、より逞しく賢くなったのではないかと。遠く昔の遺伝子が、欠けることなく継承されてきたことに感謝しつつ思う。

2015年5月11日月曜日

過ぎし日の思い出

なんともセンチメンタルな、メアリー・マックレガー(Mary Macgregor、1948年5月6日~)が歌った、1976年リリースした「Torn Between Two Lovers」(日本盤「過ぎし日の思い出」)という、3角関係に陥った女性の心を歌ったものがある。

この辺の女性心理を分析したいが、口先が寒いので・・・ そういえば、女性タレントが言っていた。女性の記憶は、「オーバーライド」だそうだ。その点、男は、「デリート」といいながら、多分、外付けHDDに「リムーブ」しているのだろう・・・男はそんなもんだ。

穏やかな陽射しを感じさせる、甘い旋律である。なぜか浮かんだのが、BS番組「小さな村の物語イタリア」のオープン・エンドに流れる「L'Appuntamento逢引き)」(Ornella Vanoni)で、少し酔った気分にさせる、ついつい聞き入ってしまう曲だ。

メアリー・マックレガーは、映画版「銀河鉄道999」(1979年)のエンディングテーマ曲「SAYONARA」を歌ったそうだ。(他に「Love Light」)・・・マニアックでないので未見であるが。

(Youtubeに登録のClasicos de la Discoに感謝)

2015年5月10日日曜日

母の日2015

母について語られたものを、このブログで触れたのは次の通り。

・イ・ソンヒ : 「走れハニー」、「母をたずねて三千里」、イ・ソンヒのエピソードイ・ソンヒの生誕

・アソール : 「Mama」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)

エセーニン : 「母への手紙」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)

申京淑 : 「母をお願い」


昼下がり、近所の幼稚園から母子が一緒に帰るのを目にすることがある。そんなとき、つくづく感じるのは、わが子と対等に会話している母親の姿だ。幼い子と一体感が強いとばかり思っていただけに、ちょっと不思議な気がした。そこに、子の成長を見守る母親がいたし、家族が出来上がりつつあるようにも見えた。多分、子育てしながら母親も成長していくのだろう。・・・優しきお母さん方に思うこと。
それにしても、父親はそんな母子のゆったりとした慈愛に満ちた変化に気付いているのだろうか。

2015年5月9日土曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

イ・ソンヒの5集(1989年)は、ある意味若さの瞬発といったスタイルと違って、今になおつながる豊かさを持っているように思う。「私の街」、「五月の陽差し」、「ひとしきり笑いで」、「貴方よ」、「水仙」、「冬哀傷」、「花火のように」、「海になって」、「お姉ちゃん」、「心のように、貴方のそばに」が並ぶ珠玉集だ。

童謡のような響きで、遠くへ行った姉を懐かしむ、幼い妹の歌「お姉ちゃん(누나야)」は、聴くものの心を澄ますようだ。童謡の「兄を思うと(오빠생각)」とか「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)」に通じる、兄弟姉妹の切ない思慕や情愛が感じられる美しい曲だ。

(本ブログ関連:”お姉ちゃん”)

5集について音楽評論は、この「お姉ちゃん」に視点をあてながら、次のように語っている。

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒのアルバム4集から6集について、次のような紹介をしている。
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イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
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イ・ソンヒの「4集+5集(All That Masterpiece)」(24bit-remastering版)について、チョン・イルソ(정일서)KBSラジオPDは、アルバム紹介を次のように記している。
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・5集は・・・、グループ「山びこ(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作詞、作曲した二曲が収録されていて目を引くだけでなく、同年イム・ジフン(임지훈)によっても歌われた「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒのしなやかでしっかりした声が調和する「水仙」は多少実験的な曲だ。
ソン・シヒョンは、4集に続き5集でも中枢的な役割をしている。アルバムの代表曲の「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷」は、まさに彼が作った曲だ。
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2015年5月8日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 申潤福

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮後期の有名な画家、申潤福신윤복, 1758年~没年不明)に関連する3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”申潤福”、”金弘道”)

始めに、画家金弘道김홍도、1745年~1806年)と、申潤福の「蓮池の女人연당의 여인)」図について次のように紹介された。
・天才画家といわれた金弘道は、主に庶民の生活を描いた。一方、申潤福は、上流階層の風流や男女の愛情を素材にした作品が多く、妓女がよく登場する。金弘道と比べて、華やかな色彩を使っている。
・申潤福の「蓮池の女人」図は、庭池に蓮の花が咲き、一人の女がそれを見つめ、長いキセルと楽器の「笙簧(センファン、생황)」を持って座っている。もと妓女の様だが、歳をとり引退して、過ぎし歳月を深く思うさまを描いている。

▼ 笙簧演奏で「足跡(발자욱)」を聴く。心にこしかたをたどるような風情する・・・今様である。

・笙簧は、羽をたたんでいる鳳凰の姿に、その音色は鳳凰の鳴き声に例えられ、鳳凰の音ともいう。金弘道は笙簧を神仙と一緒に描いたが、申潤福は妓女が演奏する楽器として描いた。

次に、作品「舟遊清江(주유청강)」、「賞春野興(상춘야흥)」図について次のように紹介された。
・川に船を浮かべ風流を楽しむ「舟遊清江」図も同じだ。妓女が笙簧を奏し、男は横笛「大笒(대금)」を吹いている。
・花が綺麗に咲く春の庭園で風流を楽しむ様を描いた「賞春野興」図がある。身分あるらしい二人の男が主人公で、丘上で自分の敷物に座り、その間に妓女が二人、向かい側に玄琴(コムンゴ、거문고)、大笒、奚琴(ヘグム、해금)など奏する者がいる。演奏が素晴らしいからか、独奏の場面だったからか、人々は玄琴の方を見ている。演奏が終わると、二人は詩作したり、絵を描き、この日を記録しただろう。

▼ 玄琴の音を繰り返し奏する意の演奏「両清還入(양청도드리)」を聴く。千年万歳、素朴で舞踏的な香りする。

最後に、「雙劍對舞(쌍검대무)」図について次のように紹介された。
・申潤福は、身分の高くない両斑や妓女などに注目して多く描いた。それらには、愛情がこもっている。印象深い作品に「雙劍對舞」図があげられる。向かい合う二人の踊り子が、長い剣を持って踊る。見物するソンビや妓女、そして演奏する者の姿もあり、派手な服装の踊り子が印象的だ。・・・短い剣を持ち活き活きとしているとのこと。

▼ 竹管楽器を中心に奏する風流の意の「竹風流(대풍류)」を聴く。踊り子の姿をとのこと・・・こちらは洗練された響きだ。

2015年5月7日木曜日

(雑談)アリについて聞きかじり

連休中のテレビ番組(複数)で、昆虫の「アリ(蟻)」の話題があり、素人の聞きかじりだが、次のような面白い話があった。ただし、話者や番組名はうろ覚えではっきりしない。ご勘弁。

(本ブログ関連:””)

・アリは、固体一匹一匹について、単純な行動をしている。(それらが集合して社会性を持つ)

・アリは、複数の目的地をつなぐ経路について、最短経路をとる能力がある。(=粘菌にも同様な話しがある)

・アリは、縦列を組みながら進むが渋滞しないのは、互いに適切な距離を設けているから。

それから、こんな話題(番組)もあった。シンプルなルールに基づいた結果、複雑なように見えるというのは楽しい。動物の体の模様について、小さな点を単純なルールで配置すると、様々な形になるというのだ。(チューリング・パターンというそうだ・・・「動物の皮膚模様形成原理」(大阪大学 近藤滋教授))


(追記)
フィボナッチ数という並び方で、自然の連鎖を説明できる・・・全てに語っているのではないだろうけれど、命が数字に置き換えられるような気がして何だか変な気分がする。

昔は、細胞一個を見ても器官は見えないという話しがあったけれど、分化の研究から細胞をつなぐ糊の話しが出てきたし、それだけじゃない、iPS細胞が器官に直結するという話しにまでなった。

2015年5月6日水曜日

立夏2015

ひと月に2つの節気が巡って3ヶ月、春も終わり、いよよ夏来たる。二十四節気の「立夏」の今日も、晴れた空に緑がまぶしい。

(本ブログ関連:”立夏”)

5月の連休も今日でおしまい。でも、地元図書館のスタディー・ルームは満員だった。若者たちはしっかりと学ぶべきものを持ち、目標に向かっているようだ。この休日を、きっと充実させたことだろう。

おじさんときたら、長袖シャツもさすがに暑苦しくて、ようやく衣替えの踏ん切りがついたところ。そういえば、街の衣料品店の棚はとっくに夏に衣替えしているのに気付く。

夏は来ぬ、夕方に風が止んで、昼間を思い返して思うこと。唱歌「夏は来ぬ」(作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助、1896年)を聞けば、心も身も初夏の佇まいしてくる。(台湾は、すでに梅雨入りしたという)

(Youtubeに登録のsuginami384に感謝)

2015年5月5日火曜日

子どもの日 2015

5月の陽射しは深くて、通り道の垣根の若葉をきらきらと輝かす。まさに新緑の初夏といえる。

連休の終わりが迫ったためか、昼下がりの街は静かだった。散歩の耳をかすめる、小さな風音が気になる程度だ。子どもたちのいる近所の家々は、ガレージに車をとめている。不思議なほどに物音のない休日だ。ゴールデンウィークの家族サービスも一段落したのだろう。(街の本屋巡りをしたが、そそるものは見つからず)

でも、公園広場に行けば、子どもたちが思いっきり大声を出して走り回っている姿を見ることができただろう。今日という日は、それを見なけりゃ過ごしたことにならぬのに、散歩途中で引き返したことが悔やまれる。

明日は、振替休暇(=憲法記念日の5/3が日曜日だったため)だ。終われば日常に戻る。きっと、翌日からを気がかりな親と、連休遊びを消化し切れない子どもたちが、家の中にいることになる。親は英気養い。子は不燃焼か。

(付記)
陽射しの良いこんな日こそ、イ・ソンヒの「五月の陽射し」を聴きたい。でも、今聴くには美味し過ぎるので、もうちょっと後日にしよう。

2015年5月4日月曜日

ロコモ(みどりの日2015)

祝日「みどりの日」の今日、いつも通っている地元の体育施設で、特別な体操教室があって出かけた。コースは、「膝痛(しっつう)ロコモ」という、膝に負担のかからない運動だった。

夜道で転んで右膝を強打して以来、半年を過ぎたというに、90%の回復だ。今も、胡坐をかくのに不便を感じている。そこで、数あるコースの中から選んだ次第。丁寧に指導していただいたけれど、今回の運動メニューを今後も自宅でこなしてこそ意義があるのに・・・ひと頼みの性分ゆえ、先行きに自信ない粗忽さ。

ところで、コース名のロコモについて、最初に浮かんだのは、ハワイ料理の「ロコモコ」だった。運動しようというのに、初めに食い物とはあきれる・・・でも、ロコモコは、子どもが喜びそうな組み合わせ料理といったところか、うまそうだ。

本来、「ロコモ」の名は、「ロコモ対策」の運動のようだ。運動性(Locomotive)の低下、すなわち関節痛など含めて運動機能の不全(Locomotive syndrome)をさすようだ。私には、もっと気楽に、ロコモーションが連想されるけど。

ロックの原点をビートルズに宗旨替えした転向者が多くて、以前のものを忘れた風潮があるのは、おじさんにとって痛く残念である。子どものころ、よく聞こえた「ロコモーション」(1962年)は、いまの私と違ってまことに軽快な響きだった。いわゆる、第2世代の、三人娘の中で、控えめながら存在感のある伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」が懐かしい。

(Youtubeに登録の六三四Ⅲ 八野に感謝)

2015年5月3日日曜日

今年も、3分の1食ってしまった

例年、日めくりカレンダーに苦労していた。ついおろそかにすると、数日分残ってしまい、あわてて切り剥がしたりした。それを、今年からPCデスクにくくりつけることで、簡単に、忘れることなく日めくりできるようになった。

毎日、一枚一枚、剥がしていくうちに、一日の重さが日めくりカレンダーの一枚のように思えて、逆に気が重くなる。あっけないほどに日が進んでいることを実感する。そして、とうとう、今年も3分の1が過ぎてしまった。

リンゴの実に例えると、その3分の1を食ってしまったことになる。日めくりカレンダーの減り具合にあっけなさを感じるのと同様、何の味わいもせず口にしてしまったのが残念。後悔するほど目標もなかったくせに、忸怩たる思いだけは残る。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

イ・ソンヒには、この5月、リンゴの花咲く頃にことづけて愛を歌った、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)がある。美しい旋律にひたって、時を慰めに、癒しを求めたいものです。私の場合は、時間に置いてけぼりされたウサギのように、大変だ、大変だ・・・ Oh dear! Oh dear! I shall be too late!


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年5月2日土曜日

八十八夜 2015

雑節には、一年の季節の始まりである「立春」を起点に数える、今日の「八十八夜」、台風時期の「二百十日」などがある。農業と縁遠く、気候とも真正面に向き合うことの少ない都市生活者にとっては、そもそも立春について意識がうすい。この八十八という日数が来ても、感慨は足りない。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

雑節の八十八夜は、そもそも農家にとって遅霜への注意喚起だったそうだ(Wikipedia)。一方、この八十八について「米という文字は、八と十と八を重ねてできあがることから、縁起のいい農の吉日とされています」という解説本まである(「日本の七十二候を楽しむ」東邦出版)。

ところで、今日を何かの標で確認するのに、八十八夜を織り込んだ唱歌「茶摘み」がある。季節としての八十八夜を、歌詞の最初に持ってきている。この唱歌の由来といわれる(通説だが)、宇治田原町(教育委員会)の「宇治田原の茶摘み歌」を見ると、「八十八夜の お茶に会う」がある。茶摘みを機会に男女の契りを想わせる、いわゆる明るい民謡独特な表現だ。唱歌が静止した光景とするなら、民謡は活き活きとした生命感がある。

緑茶はうまい、歳とともに実感する。和室が似合う飲みもの。静かに時間を楽しむことができる。戻るべきもののようだ。

2015年5月1日金曜日

イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」

イ・ソンヒのファンクラブに「ニンジン」の名の付くものがあるが、もともとは彼女自身の食習慣に由来する。それについては、以前ブログに資料を記した。あらためて、以下整理する。

同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。

(本ブログ関連:”サニー”

さて、本題のニンジンについては、以下の通り。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
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・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。

・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)

「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
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国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。
(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
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