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2010年5月31日月曜日

地名:錫高野〔近世〕

昨日、小金井公園のフリーマーケットで「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)を入手した。茨城県在住の元新聞記者の方の蔵書(といわれるもの)が並んでいたが、郷土史資料は僅かしかなかった。
これから、茨城県下にある鉱物採集でお馴染みの鉱山関連の地名について参照してみたい。
まず第一の地名は錫高野だ。ところで辞典には、錫高野の見出しに「すずこうや」とあるが、通称「すずごや」と聞いていたのだがどうなっているのだろうか。

錫高野の〔近世〕について、辞典は次の通り紹介されている。(〔近代〕は別日に記載)
「すずこうや 錫高野 <桂村>
那珂川の支流桂川に臨み、八溝山地鶏足山塊の東縁部に位置する。もと高野(こうや)といい、天保5年(1834年)徳川斉昭の命によって錫の産出にちなみ錫高野と改める。
〔近世〕錫高野村 江戸期~明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領、のち慶長14年(1609年)からは、水戸藩領。村高は『旧高簿』666石余。鎮守は三枝祇神社。宇梅ヶ沢(山神社がある)・宇銀山・宇錫ヶ沢などに小規模の鉱山があり、江戸期にもっぱら錫を産出。徳川光圀の保護によって発展、他所人足のほか百姓の農間余業としての錫掘りを認め、公納銀として吹立錫年間1,000貫を上納。享保末期頃から衰微、一時斉昭の保護によって復興したが、幕末の乱で衰退。(以下、当村出身のわが国初の女性教師、黒沢止幾子の紹介があるが省略)」

⇒以降、錫高野の〔近代〕、および同地関連の高取鉱山、仏国寺などについて紹介予定。

(付記)
本日、地元の韓国料理店(本ブログ関連:2009年の11/24、2010年の4/23)で純豆腐チゲをとり、その足でお茶の水の韓国関連書店にてイ・ソンヒの自伝「夢よ愛よ出会いよ」(本ブログ関連:5/30)の探索・購入を頼んだ。