ブログ本文&資料

2025年9月4日木曜日

体操教室(後期のスタート)、台風15号

きょうから、 体操教室の後期がスタートする。8月の夏休みを経ての再開だ。宿題に出された、日々の「運動記録表」(自宅プログラム表)の記載は、猛暑日のせいでほとんどない。せいぜい、数回の公園散歩や街巡りくらい。まして、自宅で汗をかいての体操なんて・・・。

昼になって、いきなりの土砂降り。気象予報各社の雨雲レーダーを見ると、千切れ千切れた雲からの降雨のため、気象庁の「アメダス」の観測拠点のデータ(時刻と降水量)と必ずしも一致しない。日本気象協会(tenki.jp)は、当地の降水量19mm/h(12:00)とした。

体操教室へ出かけるのに躊躇したが、次第に晴れ空に変わった。

1か月間の夏休みのせいか、久し振りの体操に戸惑った・・・あれっ、こんなに動きが速かったっけ。それに今月末の回には、年1回の「体力測定」がある。夏に鈍った体力を早急に回復*しておこうと思った次第。
(*)むかし、健康診断の1か月前から食事制限して、体を絞り検診に備えたものだ。


台風15号
あす一日中、雨模様(関東甲信:24時間降雨量予想 150mm)という。きょうの昼の土砂降りと比べて、「台風15号**が接近する明日5日は、大雨のピークとなる見込み」(日本気象協会(tenki.jp))とのこと。
(**)九州沖を北上し、徳島県に上陸した後、進路を急に真東に切り南紀を横断して太平洋上に抜ける予想だ。最近の台風は、急カーブしたり反転したりと動きが複雑だ。

2025年9月3日水曜日

はい、乾燥しています

むかし、子どものころにラジオで聴いた落語の落ちに、「はい、乾燥しています」というのがあった。歳をとると老人は枯れて水気がなくなり、軽過ぎてついには湯船で浮かんでしまう。

この「乾燥してます」という言葉を覚えているが、落語家が誰だったか覚えていない・・・柳亭痴楽さんだったかどうか?

落語は、子どものころ、ラジオから耳に入ったもので、すこし大きくなってテレビでの視聴では何故か興が乗らなかった。大人になって、新宿末廣、上野鈴本を訪れたことがあるが、観光気分でしかなかった。

子ども時代、当時の三遊亭小金馬(三遊亭金翁、1929年[昭和4年] ~ 2022年[令和4年])さんが、テレビでマルサン*提供のプラモデルの番組司会をやられていた。だから、懐かしく上野鈴本でお顔を見に行ったとき、「わたしは、まだ死にませんから」という洒落をいわれた。観客の多くは、プラモデル草創期に子どもだった世代だ。
(*)マルサンの「マッチ箱シリーズ」こそ、プラモデルの初経験だった。

あした、8月の夏休みが明けて、今年後期の体操教室が始まる。年配者向けの軽い運動だ。

2025年9月2日火曜日

コニー・フランシス/伊東ゆかり「大人になりたい」

60年代はじめ、アメリカンポップの代表のひとり、コニー・フランシス(1937年 ~ 2025年)の甘えたような歌声は忘れられない。「ボーイハント」なんかは最高だった。その彼女が、今年の7月に亡くなっている。残念なことだ。

(本ブログ関連:”コニー・フランシス”)

当時の日本では、もっぱら日本語歌詞をつけてカバーされていた。コニー・フランシスの歌の記憶は、日本の女性歌手たちを通じてになる。

歌手の「三人娘」といえば、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの3人が代表たが、その後の世代に、伊東ゆかり中尾ミエ園まり(1944年4月12日 ~ 2024年7月26日)がいた・・・「スパーク三人娘」と呼ばれた(ただし、そのグループ名についてあまり意識しなかった)。
伊東ゆかりは物静かで一歩引いた感じ、中尾ミエは明るく元気、園まりはおっとりした風情といったキャラクターを感じた。中尾ミエは、現在夕方のテレビ番組で活躍されている・・・疲れ知らずに感心する。

(本ブログ関連:”伊東ゆかり”)

その中の伊東ゆかりが <日本語> で歌ってくれた、コニー・フランシスの「大人になりたい(Too many rules)」の歌詞が今も耳に残る。
・「夜遅く帰ると ママから お目玉」: 歌の出だしから、光景がアメリカそのものだった。
・「Too many rules」: 英語が入れば尚更。けれど、あの頃 ”rules”  が聞き取れなかった。
・「早く 大人になりたい」: 「早く」が在ってこそ、この歌なのだ

今、聴きなおすと、テンポがゆっくりなのに気付く。あのころ随分と軽快に感じたのだが。

■ Youtube(登録:伊東ゆかり - トピック )
「大人になりたい」(1962年)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=zX6x6L6_AUo     ←  Youtubeで確認を

■  Youtube(登録:NachoFarias80 )
「Connie Francis - Too many rules」(1961年)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=6mhRjZ_rKoU

2025年9月1日月曜日

今年も残り3分の1になる、秋声賦

きょうから9月が始まる。気象庁のカレンダーでは「秋」(9月~11月)だが、夏の熱署の収まる気配はない。ここ数日、35℃以上の「猛暑日」は続くもよう。以降、11日ごろまで「真夏日」とのこと・・・。秋の涼しい風を感じるには、もうしばらく日数がいるようだ。

夏がまつわりつき、季節の節目がはっきりしない。午後4時ごろ街に出たが、熱気も日射も容赦なかった。きょうも最高気温が 36.7℃(13:45)で、きのう(8/31)につづき「猛暑日」(日最高気温が35℃以上)だった。

きのう見た「エノキ」も秋に変化する。Googleの生成AIは、次のように解説した。(抜粋)
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エノキの「葉」が黄葉する時期
・「黄葉」の時期は、10月〜11月頃に見られ、実が熟す時期と黄葉の時期が重なる。
・秋の深まりを感じさせる風景として、葉と実の両方同時を楽しむことができる。

エノキの「実」が色づき熟す時期
・「実」は、春から初夏に緑色の実をつけ、8月頃から色づき、9月〜10月頃に熟す。
・黄葉が進むにつれて、小さな実は、赤や橙色に変化し、黒紫色に成熟する。
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ところで、秋の変化に気付く和歌がある。教科書でお馴染みの、平安時代の歌人「藤原敏行」(ふじわら の としゆき、没年:昌泰4年[901年]または延喜7年[907年])の歌(「古今和歌集」秋歌上169)だ。
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秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
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北宋の詩人「欧陽修(おうよう しゅう)」(1007年~1072年)に、秋の風について書いた「賦」(漢詩~散文の中間)がある。欧陽は、藤原敏行より後年だが、秋の風の激しさに恐れたようだ。彼らは共通して、季節(自然)の変化にとどまらず、内的変化(人生)を感じ取っているようだ。そして、その後に残る静けさに言い知れぬ悲しさを感じることになるだろう。

■  立命館大学
「欧陽修 - Open 」
    ー https://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/欧陽修
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「秋声賦」
欧陽子方夜読書、聞有声自西南来者、悚然而聴之曰異哉、初析瀝以蕭颯忽奔騰而砕湃、如波涛夜驚風雨驟至、其触於物也、鏦鏦錚錚金鉄皆鳴、又如赴敵之兵御枚疾走、不聞号令、但聞人馬之行声、予謂童子此何声也、汝出視之、童子曰、星月皎潔明河在天、四無人声声在樹間、予曰、噫嘻悲哉、此秋之声也、胡為乎来哉、蓋夫秋之為状也、其色惨淡煙霏雲斂其容情明天高日晶、其気慓冽、砭人肌骨、其意蕭条山川寂寥、故其為声也、凄々切々、呼号奮発、豊草緑縟而争茂、佳木葱籠而可悦、草払之而色変、木遭之而葉脱、其所以摧敗零落者、乃一気之余烈、夫秋刑官也、於時為陰、又兵象也、於行為金、是謂天地之義気、常以粛殺而為心、天之於物春生秋実、故其在楽也、啇声主西方之音、夷則為七月之律商傷也、物既老而悲傷、夷戮也、物過盛而当殺、嗟夫、草木無情有時飄零、百憂感其心万事労其形、有動乎中必揺其情而以思其力之所不及憂其智之所不能宜其渥然丹者為槁木黟然黒者為星星、奈何非金石之質欲与草木而争栄、念誰為之戕賊、亦何恨乎秋声童子莫対、垂頭而睡、但聞四壁虫声喞々、如助予之歎息。
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■ DeepL.com の<翻訳ツール>による
    ー 残念ながら、漢詩文理解の素養がないので、翻訳ツールからたどるしかないが・・・。
    ー https://www.deepl.com/ja/translator
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欧陽子方、夜に読書する。西南より声ありと聞いて、悚然として聴く。異なりや、と。初めは析瀝として蕭颯、忽ち奔騰して砕湃、波濤の如く夜に驚風雨驟至る。物に触れるところ、 鏦鏦錚錚と金鉄が鳴り響き、また敵に赴く兵が鎧を鳴らして疾走するようで、号令は聞こえず、ただ人馬の足音のみが聞こえた。私は童子(召使い)に「これは何の音か、お前が出て見てこい」と言った。
童子は「星月夜は皎潔で、天には天の川が輝いています。周囲に人の声はなく、音は木々の間にあります」と言った。私は「ああ、悲しいことだ、 これ秋の声なり。何故して来るのか。蓋し秋の様相とは、その色は惨淡、煙は霏え雲は斂ず、その情は天明にして日晶、その気は慪冽にして人肌を刺し、その意は蕭条として山川寂寥なり故にその声は、凄々切々として呼号奮発、 豊かに茂る草は緑濃く競い、美しい木々は青々と茂って悦ばしい。草は刈られれば色を変え、木は風にあえげば葉を落とす。これらが摧け敗れ零落する所以は、一気の余烈による。
秋は刑罰の官であり、時に陰に当たり、また兵の象である。その行いは金に当たり、これを天地の義気と謂う。常に粛殺を心とし、天が万物に春に生じ秋に実らせるゆえ、楽においては、啸声は西方の音を主とし、夷則は七月の律商傷なり。物は老いて悲しむ、夷戮なり。物は盛んに過ぎ殺すべき時、 ああ、草木は無情ながら時に散りゆく。百の憂いが心を刺し、万事が形を労す。心に動けば必ず情が揺れ、力の及ばぬことを思え、知の及ばぬことを憂え。赤々と燃える者は枯れ木となり、黒々と染まる者は星屑となる。どうして金石の質でなく、草木と栄えを争おうか。誰がこれを傷つけ奪うのか、また何を恨むのか。秋声の童子よ、答えるな。うつむいて眠る。ただ四方の壁に虫の声がひそひそと聞こえ、あたかも私の嘆息を助けているようだ
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(追記)
そういえば、作家「徳田秋声」のペンネームである「秋声(秋聲)」は何に由来しているやら。また、師事した「尾崎紅葉」が主宰した俳句結社は「秋声会」だった。