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2019年4月6日土曜日

(雑談)大地

ユダヤ人(アシュケナージ)にとって「母語」が「イディッシュ語」である意味を知り、一昨日(4/4)のブログで、母なるものの例えに「母なる大地」があることも記した。「大地」は生命を育む場所であり、命を継続する場所である。

(本ブログ関連:”母なる大地”)

大地を保つために、国家や宗族などさまざまな集団のスタイルがあるだろうけれど、一度保有してしまうと、そこで暮らす仲間や身内(国民・親族)の中に、脱落する者が発生することもあるだろうし、彼らを守りきらねばならない。大変なことだ。そのための知恵として、神話や宗教、掟、あるいは道徳を総動員することになる。

流浪の民の場合、その道筋で、脱落者をどのように救済したのだろうか。また、行き着いた(たどり着いた)究極の土地で発生するであろう、新たな脱落者を守らねばならない。流浪で共有した価値観と、新天地での価値観とを、どのように整合するのだろうか。
(行き着いた究極の大地で発生する脱落者も永遠に土着する・・・どのように折り合いをつけるのだろうか)

日本人は島国に住み、そのなかで行動するため、大地とは海で囲まれた固有の場所、列島でしかない。比較して、大陸や国々を渡り歩いた人びとにとっての大地と、意味合いがだいぶ違うだろうと思う。

お喋り過ぎのようで、ここで気分を変えて美しい音楽を聴いてみましょう。

(映画「Once Upon a Time in America」から「Deborahのテーマ」)

(Youtubeに登録のSelfDistribuzioneに感謝)