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2019年3月10日日曜日

森山加代子

子どものころ、「演歌」以外に耳にした大衆曲は、「アメリカンポップ」だった。それも、日本人歌手が日本語でカバーしたものだ。その頃の記憶は曖昧で、歌謡史を諳んじているわけではないけれど、アメリカンポップ流行の初期に、原曲(英語)のまま歌う風潮はなかった。

カバー曲のタイトルは「悲しき~」シリーズのような、原曲と違って日本風だった。原曲名を知ったのは後のこと。歌詞の意味を理解したのは、関心があった場合だけだった。

歌謡界が、外国曲をカバーしなくなったのは、まだラジオ全盛の頃(演歌の存在が圧倒的な時代)。ビルボードやキャッシュボックスのヒットチャートを聞いて、翌日の教室で知ったかぶりしたものだ。そんな状況からか、分岐するように、日本のポップ歌手たちもオリジナル曲を歌うようになった。もしかしたら、カバーとオリジナル曲発生までに、10年間ぐらいの時間差があったかも知れない。

先日亡くなった「森山加代子」(1940年3月23日~2019年3月6日)は、そのさきがけだった。白黒ブラウン管の中で歌っていた記憶がつよい。芸能界特有の華やかさというより、どちらかといえば、ご近所のお姉さんのような存在で、明るいイメージがした。そして、少し控え目な気がした。

彼女は、テレビ時代の初期の大手芸能プロダクションに属した三人娘(中尾ミエ(1946年~)、伊東ゆかり(1947年~)、園まり(1944年~))より年齢が上だったし、かつ所属も別のプロダクションだったせいもあってか、時代にうまく乗れなかったような気がする。彼女が亡くなったことについて、ここ数日のテレビの芸能報道で、特別にコマをさくことがなかったのではないだろうか。

ところで、全日本歌謡情報センターの歌謡情報記事*「歌手の森山加代子が死去、享年78」(3/8)は、彼女の死去を次のように報じている。
(*)歌謡情報記事: https://www.kayou-center.jp/17721
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「月影のナポリ」「じんじろげ」「白い蝶ちょうのサンバ」などのヒット曲で知られる歌手の森山加代子が2019年3月6日に死去した。

1960年「月影のナポリ」でデビュー。同年、新人としては異例のスピードで『NHK紅白歌合戦』に初出場(「月影のキューバ」を歌唱)を果たす。1961年にリリースした「じんじろげ」は、その年の流行語にもなった。

「♪あなたに抱かれて わたしは蝶になる」という、早口言葉のような歌い出しが印象的な「白い蝶のサンバ」(1970年)が、オリコンチャートの1位を記録。この曲で『NHK紅白歌合戦』に、8年ぶりとなる4度目の出場を果たす。

2018年9月15日、千葉県の柏市民文化会館で行われた『オールディーズ ヒット パレード 青春チャリティーコンサート』が最後のステージとなった。
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(20年ほど前にテレビ出演したときの映像という)

(Youtubeに登録のAyakoFuji2に感謝)