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2018年10月21日日曜日

(雑談)役者さんが分からない

最近、テレビや映画の役者さんたちが誰だか分からない(テレビと映画の境界も分からないのだが)。役者が分からないから、ドラマを見ない。
テレビのニュース番組の後、そのまま放っていると、ドラマやお笑い番組に変わっていることがある。ちらりと見て、登場する若い役者や芸人さんたちの顔が識別できないでいる。

特に、若い男の役者やミュージシャンが、前髪を眉毛の処までたらしているのに閉口する。ただでさえ顔の判断に苦心しているのに、前髪の隙間から世界を覗いているような姿は、おじさんにとって相当きつい。フードを被ったファッションと似て、防衛意識が強いのではないかと案じる。もちろん何度も出演していれば気付くだろうけれど。

昔、新人だった役者が、今では(中高生くらいの)子の親役を演じている。達者だった役者は、既に老人役をこなしている。同世代の役者が気掛かり。なにしろ、子ども時代に見慣れた役者はほぼいなくなっているのだから。

話はそれるが、聊斎志異とか百物語のような古い怪異話に、最近妙に馴染んでいる。短くて奇妙な、それもほとんど伝聞である。以前は、陳腐でだらだらと続く感がしたが、今となっては、ひとつひとつ味わいがあり捨てがたいのだ。作り込んだというより、伝承に近ければ近いほど、人の心に触れたのであろう共感を感じるようになった。

若い人が分からなくなった分、古い話に通じてきたようだ。