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2015年4月23日木曜日

(雑談) 映画の比較

昔、VHS版「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を、あるファエで偶然入手して、言葉も分からずに見た。17歳の小学5年生の少女が、新任の男性教師に淡い恋心を持つという、寓話的な世界を描いている。1960年代の世相というより、ノスタルジックな農村風景を象徴するようだった。なにより、チョン・ドヨン전도연)演じる少女の一途さに見入ってしまったものだ。そして、思いがかなうラストに仕上げてくれた。

(本ブログ関連:”我が心のオルガン”、”チョン・ドヨン”)

「我が心のオルガン」と同じく、1960年代の江原道の田舎を舞台にするものの、ある意味、間逆な世界を描いたのが「我らの歪んだ英雄(우리들의 일그러진 영웅)」(1992年)だ。小学5年生の教室を、教師に代って、15歳の級長が暴力で規律を作り実質支配する。ソウルから来た転校生は、正義の名で抵抗するが、いつか支配を受け入れ同化し、むしろ意図的に取り入ろうとすらする。当時の世情を汲んでいるのだろうか、狭い世界に置かれた人間の本性を、根源を、小学生の世界で語っているのかもしれない。

しかし、新任教師の登場によって、この世界は崩れ、新しい正義が規範とされる。生徒たちは新しい正義に進んで同調する。

後年、新任の教師は中央の政治家へ転身し、主人公の転校生は予備校教師となる。暴力によって支配された経験は、再会した同級生たちの心に深く澱となっているように見えた。

両映画には、小学校の校舎が火事になる場面もある。何かが崩れ落ちる象徴なのだろうか。相似するものが多々あるが、「我が心のオルガン」には、もしかしたら「我らの歪んだ英雄」に対する、対照的な意図があったのではと推測してしまう。

(付記)
テレビで知ったのだが、最近の女性の仲間内で、「マウント」するという言葉があるそうだ。これは、ニホンザル社会の序列付けに使われる、「マウンティング」という社会的な動作からきたのだろう。不思議なことに、チンパンジーに分類されるボノボでは、逆の意味を持つ。
小さなケージに飼われたニワトリ集団は、「つつき」を行ない順位付けする。しかし、広い場所で放し飼いすると、その現象がなくなると読んだ記憶がある。ニワトリは、鳥類という、恐竜の現在の姿だ。他者との差異と支配関係を求める順位制は、古くからの生命の必然かもしれない。