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2021年3月11日木曜日

東日本大震災から10年

きょうで「東日本大震災」から10年がたった。当時の記憶はいまだに鮮明である。

(本ブログ関連:”東日本大震災”、”震災”)

あのとき、いままで経験のない大きな揺れに襲われ、ようやく収まったとほっとした矢先、自宅の大谷石塀が倒壊していると隣人から知らされた。当時、近所で幼い子どもたちの遊び声がしていた・・・最悪の事態が脳裏をかすめた。さいわい何事もなく終わったが、あのときばかり焦りようはなかった。思い返すたび慄然とする。

(本ブログ関連:”地震被害(東北地方太平洋沖地震) 2011年3月11日”)

テレビから流れてくる震災映像には、自衛隊や放送局のヘリコプターによる上空からの撮影だけでなく、被災者ご自身が迫ってくる恐怖と一緒にスマホで撮ったものまで、実に多様で緊迫度ははかりしれない。伝聞でなく、一挙に事態を悟らせる視覚情報にあふれた。

真っ先に浮かんだのは両親を失った子どもたちのことだった。しかし、マスコミがそのこととを真正面から取り組んだのは、随分年数を経てからのように感じた。ひとびとの配慮がそうさせたのか、それともマスコミに取材態度そもそもが備わってなかったのか。
(追記)
ちょうど深夜、NHKで親を失った小学生の子どもたちを取材したドキュメントが再放送された。当時の取材対象である、両親を失った子どもは祖父母の手で、母親を失った子どもは父親の手で育てられていた。限りなく近い肉親による保護が可能なケースであり、番組を見る側にも救いがあった。しかし両親を失ったという、死語になったが戦災孤児のような境遇(社会が大混乱する中に放置される)とは違う。マスコミにとって、見えない事態に光をあてるのはむつかしいのだろう。