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2018年10月29日月曜日

(雑談)スポーツ

スポーツ競技に国境が見えることがある。サッカーの試合などで、素人(にわかファン)にも顕著に見える。自国の応援は妙に盛り上がるものだ。サッカーは、むしろそれを前提(あるいはベース)にしているのかも知れない・・・と思うことがある。

(本ブログ関連:”サッカー”)

サッカーについて経験が乏しい。あえて記憶をたどれば、中学時代、休み時間に大勢で魚の群れのようにサッカーボールを追い、運動場を右往左往したことぐらいだ。現在のサッカーがこんなに隆盛を迎えたのは、私が体験したときよりずっと後のことだ。だから、思い入れが少ないのは致し方ない。

今晩、テレビで放送の「体操・世界選手権」(ドーハで開催)を横目で見ている。体操競技について、いうも恥ずかしいが、高校時代に体操部に少し寄らせてもらって、真似ごとをした経験がある。当時、他校へ、見学に近い合同練習に参加したとき、余りのレベルの差に圧倒されたことがある。その程度の実力であった。そんな経験しかないが、テレビで体操競技を見るとき、他のスポーツと違った感覚がある。

(本ブログ関連:”体操競技”)

不思議なことに、体操競技は(もしかしたら、体操競技独特の価値観かもしれないが)、サッカーなどと比べて国境が見えないのだ。いずれの国の選手であれ、演技の美しさ・端正さ・力強さに素直に賛美を惜しまないでいる。私の場合、全く手が届かなかった世界だからかもしれないが、選手一人ひとりを見てしまう。この感覚は、体操競技だけにしかないことだけど。