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2018年9月26日水曜日

久米仙人

仙人は山奥に棲み神通力を示すもの。空を飛ぶなんてたやすい。久米仙人もそうだった。ところが、飛翔の途中、眼下の川辺で洗濯する女性の足を見てしまい、空から落っこちてしまう・・・余りにも知られた話だ。久米仙人の中に、生身の人間が登場する滑稽さは可笑しく楽しい。男ならみな同感する。

(本ブログ関連:”久米仙人”、”仙人”)

奈良の橿原神宮(かしはらじんぐう)の南東に久米寺があり、久米仙人の伝説と縁があるという。神仙と仏教が合体したのだろうか。そのあたりに事情を知りたいものだ。橿原市の久米寺の紹介に、「聖徳太子の弟だった来目皇子(くめのおうじ)の創建」とある。久米=来目につながるような話題が紹介されている。また、久米仙人が神通力を発揮したのは、東大寺大仏殿の建立の際だったと記されている。仏教が国家宗教の時代の物語で、次に引用する児童書と違う場所なのが興味深い。

児童向け読み物「日本国民伝説」(高木敏雄, 小笠原省三著、敬文館、大正6年(1917年))に、「久米仙人(くめのせんにん)」の話が紹介されている。(抜粋)
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昔、大和の国に久米仙人と呼ばれてゐた男があった。仙術を得て自由に空を翔けまわってゐたが、ある時吉野川の上の空を飛んでゐると、その河に一人の少女(をとめ)が衣服(きもの)の裾を高くかかげて洗濯をしてゐた。久米仙人はこの少女の白い脛(すね)を空の上から見て、忽ち子心が迷ひ其処に落ちてしまった。そして少女と夫婦となって其の村に住んでゐたので、後そこを久米邑(むら)と呼ぶやうになった。

(結果、久米仙人は神通力を失いこの国のひととなった)
(天皇が宮殿(みや)を作るとき、其処に住む民を召した)

ある時官人(やくにん)は久米仙人に戯れて、
「おまへはもと人だったそうだが、今でも此の木を祈って飛ばすことが出来るか」
と云った。久米は聞いて
「出来るか如何(どう)か試して見ませう」

(家に籠(こ)もって一心不乱に祈って南の山にあった木を宮殿を作る所へ飛ばした)

これから後里人は、畏(おそ)れ敬(うやま)ふやうになったと云ふ。
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