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2018年4月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」「テーブルはテーブル」ほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、弦楽器「玄琴(コムンゴ、거문고)」演奏で、名を正すこと、記すことについての話を紹介した。

始めに、ペーター・ビクセルの小説「テーブルはテーブル」と同名の韓国曲について次のように紹介された。
・変化のない毎日の生活に疲れた男が、今日こそは違うと期待するが、平凡な日が続く。部屋にはいつものテーブル、椅子、ベット、写真がある。なぜテーブルをテーブルと呼ぶのか、ベットをベットと呼ぶのか。ベットを写真と名付けたらどうかと考えると、何か変わった気がして、あらゆるものに新しい名を付けてみた。テーブルをじゅうたん、椅子を時計という風に。初めは面白かったが、次第に元の名を忘れ、時が経つと他人の言葉も理解できなくなり、次第に何も話さなくなった。スイスの作家「ペーター・ビクセル(Peter Bichsel)」の童話「テーブルはテーブル(原題:Kindergeschichten)」で、物事から名を失うことで、世界を失う話だ。

▼ 童話と同名の韓国曲「テーブルはテーブル(책상은 책상이다)」を玄琴演奏で聴く。今様に。

次に、論語から孔子の「名正しからざれば則ち言順わず」について次のように紹介された。
・論語にも同様の話がある。弟子が孔子に尋ねた、「衛の君主が先生を迎えたら、一番最初に何からなさいますか」と。すると、孔子は、「必ずや名を正さんか(必也正名乎)」と答えた。名が正しくなければ言従わず、言従わざれば事成らず、事成らざれば礼楽(れいがく)興らず、礼楽興らざれば刑罰あたらず、刑罰あたらざれば民はどのようにすれば良いか分からない、それだけ名は重要と。昔、学者ソンビは、大事なものに好きな言葉を刻んで、それを見て心を落ち着かせた。高麗の文人「李奎報(이규보)」は、小さい硯石に、無限な気持ちを書き込めるといった内容を記録した

▼ 「墨の香り(묵향)」を玄琴ほか演奏で聴く。気取らず、今様に。

最後に、学者ソンビが、硯や楽器に文を刻んだことについて次のように紹介された。
・学者ソンビの部屋には、常に墨やすずり石、筆、紙などがあった。学問に疲れると、玄琴を奏した。ソンビにとって、玄琴は単なる楽器でなく、心を表現する友のような存在だった。また、ソンビは、玄琴にも立派な文句を刻んだ。朝鮮時代の思想家「李珥(이이)」も、険しい世の中で自分の気持ちを理解してくれる玄琴に、ありがたく切ない気持ちを残した。

▼ < 友と風流を楽しむ楽しさを表現した曲 >創作国楽「水里齋(수리재)」(1996年)を聴く。古趣、今様に。