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2018年7月5日木曜日

(雑談)昔のヒーローはひとりだった

昔、子ども時代のヒーローは、ひとりで活躍したものだ。それが、今のテレビのヒーローはグループ(戦隊)になっている。最新のCGをふんだんに使ったアメリカ映画までもが、マーベルの主人公が寄せ集まっている。こうなると、独り立ちできない物真似タレントが集団になって登場するのに似て場末感が漂う。

昔のヒーローは、時代設定が現在であれ過去であれ問わず、「月光仮面」も「怪傑黒頭巾」もひとりで悪と戦った。アメリカの「スーパーマン」もそうだった。ヒーローはひとり存在して、つまり孤独を内ちに秘めてこそ価値あると思ったものだ。現在の「ヒーロー」はどうだろう、子どもたちにとってどんな存在なのだろう。

最近、映画を見て、真似しようという子どもはいないだろう。あまりにスケールが大きくて、CGのリアリティが強烈過ぎるからだ。昔は、モノクロ時代の映画は悠長だったようで、父親の世代には、映画「児雷也」を真似て、傘を広げて屋根から忍者のごとく舞い降りようとして骨折したなんて話を聞いたことがある。子どもを夢中にさせるものがあったようだ。戦後も「スーパージャイアンツ」の白いマントにあこがれて、風呂敷をマント代わりに飛んでしまった子がいたという。

最近、子どもの関心は戦隊ものであれアニメであれ、飛びぬけたヒーローはいないようだ。かならずチーム共同であたる。そういえば、アメリカ映画で、チーム(集団)にはリーダー争いがつきものだったが、今はどうだろう。ため口をきくチームはつまらない気がする。