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2018年1月20日土曜日

大寒 2018

きょうは、「小寒」も過ぎて、いよいよ二十四節気の最後、24番目の「大寒(だいかん)」である。これで四季が一巡して、納めというべき、寒さが最も厳しいころだ。一方、「三寒四温」もある。体感としては、「寒」と「温」のはざ間で揺れている。来週、月曜日に雪が降るという話もある。

(本ブログ関連:”大寒”)

わらべうた「おおさむこさむ(大寒小寒)」は、不思議なことにいつ歌ったのか、誰れと歌ったのかはっきりしない。それなのに、思い出の中に確実に定着している。それに、子どもながらに、冬の風音に応えるように口ずさんだ気がする。

         おおさむこさむ
         山から小僧がとんで(泣いて)きた
         なんといってとんで(泣いて)きた
         寒いといってとんで(泣いて)きた

歌に登場する、「山からとんできた」小僧とは一体誰れなのか・・・考えてみれば、疑問に感じることもなく、歌をまるのまま飲み込んでいた。

童話「大寒小寒」(土田耕平)の中で、おばあさんが孫に、山からとんでくる小僧について語っている。作者のメモ書きのような、幼い記憶の断片のような、懐かしく暖かい一文だ。
会話の部分だけ次に抜書きする。(青空文庫より)

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「おばあさん、小僧がなぜ山からとんでくるの。」
「山は寒うなつても、こたつもなければお家もない。それでとんでくるのだらうよ。」
「小僧つてお寺の小僧かい。」
「何に お寺なものか、お寺ならお師匠さまがゐて可愛がつて下さるだらうが、山の小僧は木の股から生れたから、お父さんもお母さんもなしの一人ぽつちよ。」
「おばあさんもないの。」
「ああ、おばあさんもないのだよ。」
「それで小僧は着物をきてゐるのかい。」
「着物くらゐはきてゐるだらうよ。」
「誰が着物を縫つてくれるの。」
「そんなことは知らないよ。大方木の葉の衣かなんだらう。」
「小僧は山からとんできてどうするの。」
「人の家の門へ立つて、モシ/\火にあたらせておくんなさい、なんて云ふのだらう。」
「そして、火にあたらせてもらふの。」
「いゝえ、火になんぞあたれない。」
「なぜ。」
「小僧のいふことは、誰の耳にもきこえないのだから、いくら大きな声をしたとて聞えない。もしかすれば、今じぶんお家の門へきて立つてゐるかも知れない。」
 三郎はそんな話をきくと、気味がわるくなりました。頭を青くすりこくつた、赤はだしの小僧のすがたが、目に見えるやうにおもひました。
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ぼくらは、でも、山からとんできた小僧に哀れみも覚える。風音を近くに感じる、自然をそばに生活した経験があればこそだ。遠い昔に、もしかしたら、救われない子どもたちがいたかもしれない。そして(子どもにだけ聴こえる)風音を今も響かせているのかもしれない。