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2017年3月6日月曜日

(童話)自分はどっち

思考ゲームみたいな童話。先日触れた、母語イディッシュ語が主体である作家アイザック・バシェヴィス・シンガーの童話集「お話を運んだ馬」(岩波少年文庫)に、「自分はネコだと思っていた犬と/自分は犬だと思っていたネコのお話」がある。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

貧しい農家を行商人が訪れた。農家の主婦が、無理して「鏡」を買ってしまうことから、家族だけでなく、飼い犬とネコまで巻き込んだ大騒ぎになる。そこで、題名の犬とネコの騒動にしぼる。

元々、犬とネコの2匹は、自分たち以外の動物を知らない。だから自分は互いに相手と同じ生き物だと思っている。犬はネコを見ていて、自分も同じ姿のネコだと思っているし、ネコは犬を見ていて、自分も同じ姿の犬だと思っている。そこに、「鏡」が置かれたのだ。

犬は「鏡」の中の犬の姿に驚き吠え、ネコは「鏡」の中のネコの姿に驚きつかみかかる。自分にとって見たことのない動物が突然現れたのだから。やがて興奮は高まり、収拾がつかなくなった犬とネコの2匹は、生まれて初めて飼い主も慌てるほどの本格的な取っ組み合いをする。

「鏡」に映った本当の姿を知ったとき、それを事実として受け止められない大混乱の結果、犬は屋外に、ネコは家の中に置かれた。一方、「鏡」は人間にも欲望を混乱させた・・・。結局、行商人に「鏡」を返すことになる。

考えてみれば、私も鏡無しに直接自分の姿を見たことはない。

(付記)
享保の改革で、郷土史で知られる川崎平右衛門(定孝)の武蔵野新田開発に焦点をあてた講演があった。武蔵野の名主の長男に生まれたが家督を弟に譲り、幕府の行政官として武蔵野新田開発だけでなく、後に、美濃の国の治水、石見銀山の鉱山経営に功績を残した。