この時期、街を歩くと金木犀(キンモクセイ)の香りがする。地味な常緑樹に、隠れるようにオレンジ色の花を咲かす。このときだけは存在を思いっきり示すよう、辺りに香りを漂わす。地元公園にある野外博物館の前には、二つの大きな金木犀が立っている。こちらは、威容を誇る立派なものだ。
(本ブログ関連:”キンモクセイ”)
金木犀の香りは、若い頃にはちょっと苦手だった。甘くて重い、正直年増な感がしたものだ。今は、それに合わせた歳になったというより、自然の芳香として素直に受け入れる余裕ができたようだ。
金木犀の別名(中国名)に「桂花」の名がある。以前書いたことだが、新宿の「桂花ラーメン」を思い出す。ただし、このラーメンと金木犀の香りは全く別である。先日、新宿の大型書店近くの桂花ラーメン店に寄った。懐かしい味だ。
今日の午後、曇り空の下、体操教室の帰り道に金木犀の香りがした。姿がすぐに見つからない。そうなると見たいもの、どこかの庭木にあるはずと探しながら歩いた。香りが再びして、金木犀の花を見つけた。安堵した。
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2016年9月28日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 手紙
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<手紙>に関連する3曲を紹介した。
始めに、【柳致環(유치환、1908年~1967年)の詩と】手紙では満足しない女性の詩について次のように紹介された。
・高く澄み渡った秋空に、涼しい風まで吹くと心がそわそわする。【愛することは、愛を受けるより幸せという、柳致環の「幸せ(행복)」の詩が浮かぶ。】 誰かに手筆の文を書きたくなる季節。手紙や葉書を受け取ってくれる人がいるのも、幸せなことだろう。
・ところで歴史に、手紙でなく直接訪ねて来てと、詩に書いた女性がいる。手紙だけでは、その心が分からないという内容だ。
▼ 上記女性詩を歌った「手紙-他者に手紙を任せないで(편지-남하여 편지 전치말고)」を聴く。女性的で柔らかく今風に。
・今は、会いたい人がいれば海外でも制約がない。テレビ電話もある。昔は、手紙しかなく、どんなに遠くても誰かが直接届けた。手紙も嬉しいが、やはり直接来てくれた方が嬉しかったはず。そんな気持ちと寂しさが入り交じって、詩を作ったのだろう。
次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香が李夢龍(이몽룡)への手紙を使いに託す話について次のように紹介された。
・行きたくても行けない人の心は、どんなに切なかったろうか。パンソリ、「春香歌」にも、そんな内容がある。獄中の春香は、李夢龍が来るのを待ち望みながら手紙を書く。それを使いに渡すと、使いは漢陽(現ソウル)に向かう。途中、官職(御史)についた李夢龍とばったり会うが、彼に気付かない。李夢龍がみすぼらしい姿をしていたからだ。春香が心配な李夢龍に対し、使いは無駄な冗談ばかり言い、李夢龍はどんなに気を苛立たせたろうか。
▼ パンソリ「春香歌」から、「御史(李夢龍)が春香の手紙を読む場面(어사또 방자 만나 춘향이 편지 읽는 대목)」を聴く。
最後に、パンソリ「沈清歌(심청가)」で、皇后になった沈淸が父を想う場面について次のように紹介された。
・パンソリ、「沈清歌」にも、手紙にまつわる悲しい場面がある。秋の月明かりが庭に満ちる「秋月満庭(추월만정)」の場だ。親孝行な娘沈清は、父の目を治すために印塘水(인당수)の海に身を投じる。彼女は生き返り皇后となったものの、故郷の父が、娘は死んだものと思い、どんなに心を痛めていることだろと心配で仕方ない。また、目が不自由で食事も心配だ。皇室にいても気が楽でない。月が明るい秋の夜、一人庭にいると渡り鳥の群れが見えた。沈清は鳥に手ぶりをして、自分の手紙を父に渡してくれと言う。でも、涙が溢れ、手紙を書き終えることができず嘆く場面だ。
▼ パンソリ「沈清歌」から「皇后の沈淸が父を想う場面(심황후 부친생각 대목)」を聴く。
・この場面は「沈清歌」中、最も悲しい場面とされる。手紙を書き終えて窓を開けると、渡り鳥は既に去っていた。そんな切ない場面が浮かぶ。
始めに、【柳致環(유치환、1908年~1967年)の詩と】手紙では満足しない女性の詩について次のように紹介された。
・高く澄み渡った秋空に、涼しい風まで吹くと心がそわそわする。【愛することは、愛を受けるより幸せという、柳致環の「幸せ(행복)」の詩が浮かぶ。】 誰かに手筆の文を書きたくなる季節。手紙や葉書を受け取ってくれる人がいるのも、幸せなことだろう。
・ところで歴史に、手紙でなく直接訪ねて来てと、詩に書いた女性がいる。手紙だけでは、その心が分からないという内容だ。
▼ 上記女性詩を歌った「手紙-他者に手紙を任せないで(편지-남하여 편지 전치말고)」を聴く。女性的で柔らかく今風に。
・今は、会いたい人がいれば海外でも制約がない。テレビ電話もある。昔は、手紙しかなく、どんなに遠くても誰かが直接届けた。手紙も嬉しいが、やはり直接来てくれた方が嬉しかったはず。そんな気持ちと寂しさが入り交じって、詩を作ったのだろう。
次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香が李夢龍(이몽룡)への手紙を使いに託す話について次のように紹介された。
・行きたくても行けない人の心は、どんなに切なかったろうか。パンソリ、「春香歌」にも、そんな内容がある。獄中の春香は、李夢龍が来るのを待ち望みながら手紙を書く。それを使いに渡すと、使いは漢陽(現ソウル)に向かう。途中、官職(御史)についた李夢龍とばったり会うが、彼に気付かない。李夢龍がみすぼらしい姿をしていたからだ。春香が心配な李夢龍に対し、使いは無駄な冗談ばかり言い、李夢龍はどんなに気を苛立たせたろうか。
▼ パンソリ「春香歌」から、「御史(李夢龍)が春香の手紙を読む場面(어사또 방자 만나 춘향이 편지 읽는 대목)」を聴く。
最後に、パンソリ「沈清歌(심청가)」で、皇后になった沈淸が父を想う場面について次のように紹介された。
・パンソリ、「沈清歌」にも、手紙にまつわる悲しい場面がある。秋の月明かりが庭に満ちる「秋月満庭(추월만정)」の場だ。親孝行な娘沈清は、父の目を治すために印塘水(인당수)の海に身を投じる。彼女は生き返り皇后となったものの、故郷の父が、娘は死んだものと思い、どんなに心を痛めていることだろと心配で仕方ない。また、目が不自由で食事も心配だ。皇室にいても気が楽でない。月が明るい秋の夜、一人庭にいると渡り鳥の群れが見えた。沈清は鳥に手ぶりをして、自分の手紙を父に渡してくれと言う。でも、涙が溢れ、手紙を書き終えることができず嘆く場面だ。
▼ パンソリ「沈清歌」から「皇后の沈淸が父を想う場面(심황후 부친생각 대목)」を聴く。
・この場面は「沈清歌」中、最も悲しい場面とされる。手紙を書き終えて窓を開けると、渡り鳥は既に去っていた。そんな切ない場面が浮かぶ。