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2016年4月8日金曜日

桜が散りはじめている

先日聴講した市民講座「万葉集の桜」については、すでに本ブログに記した。ただし、万葉集の花歌の中で、梅(約130首)の方が桜(42首)より圧倒的に多い、そんな話題を書き漏らしてしまった。また梅は、今でいう、新春を彩るめでたい花というより、外来花として扱われたそうだ。桜も、絢爛に咲き誇る花というより、自然な山桜だった。

(本ブログ関連:””)

市民講座の資料を見ると、桜の歌に<桜花>と<散る>が一緒に使われているのが分かる。飛鳥、奈良の昔から、桜の散るさまに美意識を感じていたようだ。

(時代をくだると、歌集の桜と梅の関心は逆転して、花といえば桜が定着するようになる)

今日、町に出かけた帰り、ある桜並木に寄った。50mほどの道を、両側から桜の花が空を覆う。満開が早かった分、散るのも早いようだ。住宅街の一角にあるためか、花見客は滅多に来ない、いわゆる穴場である。私を入れて三人が、舞い落ちる桜花を見上げていて、そして、一人が散った花びらを箒で集めていた。

桜並木は、歩道も車道も花弁が積もって、雪道のようになっていた。桜は散るのをやめない。歩道と車道の段差の吹き溜まりに、桜花が厚く重なっていた。それにさえ、美しさを見出してしまうことに驚く。

並木道を掃き清める人は、ビニール袋に落ち花をぎっしり詰めていた。桜吹雪は始まったばかり、まだまだ降り積もる。