「ブラックホール」って、素人に分かるようで・・・本当はよ~く分からない。
宇宙は、「ダークマター(暗黒物質)」とか「ダークエネルギー」とか、全身黒ずくめの<ダースベーダー>のようなもので充満している。さらに、何でも吸い込んでしまうブラックホールまであるとか。
そんなブラックホールを調べようと、観測衛星が打ち上げられた。衛星は、「ひとみ」と正式命名された。テレビでは、もっぱら「ひとみ」ちゃんと呼ばれている。
JAXAプレスリリース 「X線天文衛星(ASTRO-H)の太陽電池パドル展開及び衛星の名称について」(2/17)
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・国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、平成28(2016)年2月17日17時45分00秒(日本標準時)に種子島宇宙センターからH-IIAロケット30号機(H-IIA・F30)で打上げられたX線天文衛星(ASTRO-H)の電波を、同日19時40分に内之浦局で受信し、太陽電池パドルの展開が正常に行われたことを確認しました。
・現在、衛星の状態は正常です。
また、ASTRO-Hの名称を「ひとみ」と命名しました。「ひとみ」という名称の由来は、以下のとおりです。
●「ひとみ」(ASTRO-H)が「熱い宇宙の中を観るひとみ」であること。
●画竜点睛(竜を画いてひとみを点ず)の故事において、ひとみを描きこんだ途端に、竜が天に昇ったことから示されるように、物事の最も肝要なところという意味に使われる。「ひとみ」(ASTRO-H)は、X線天文学において、物事を知るのに最も肝要なミッションになってほしいという願いが込められている。
●瞳は、眼の中で光を吸い込む部分でもある。ブラックホールは「宇宙の瞳」であるともいえる。
「ひとみ」で「宇宙の瞳」を観測する。
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(YouTubeのに登録のKYODO NEWS【共同通信社】に感謝)
ブログ本文&資料
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2016年2月17日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 千年万歳
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/10)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、実学者洪大容の「記留春塢楽会」の記載に関連した3曲を紹介した。
始めに、朝鮮後期の実学者、洪大容(홍대용、1731年~1783年)の別荘で開かれた楽会について次のように紹介された。
・「記留春塢楽会」は、洪大容の別荘「留春塢(유춘오)」で開かれた音楽会を記す。洪大容の伽耶琴(カヤグム、가야금)や金檍(김억)の洋琴/楊琴(ヤングム:양금)を始め、玄琴(コムンゴ、거문고)、洞簫(テュンソ、퉁소)、笙簧(センファン、생황)など登場する。一番年配の金用謙(김용겸)が上座に座し、酔が回りくると、色々な楽器が合わさり演奏が始まる。雰囲気が実った頃、金用謙が急に辞儀をした。みなが驚くと、「こんなに素晴らしい音楽を鑑賞したのに、年配の者が辞儀をするのは当然なことではないか」と言った。
▼ 国立国楽院正楽団による寿命が千年も万年も続く祈願の演奏「千年万歳(천년만세)」を聴く。軽やかなめでたい音色。
次に、朝鮮21代王英祖41年(1765年)、35歳の若さで中国の清に渡った洪大容の思想について次のように紹介された。
・清の文物を受け入れる主張の中心にいた洪大容は、権威のある家柄に生まれ、思うままに出世できる立場にいた。だが、学問の道を固執して(理論的な)性理学より、雑学と呼ばれた学問に関心を持った。実生活と関連した学問(実学)に関心を傾けた。玄琴演奏にも優れ、清に行った際に、天主堂(カトリック)のパイプオルガンを詳しく観察し、その形と原理を管楽器の笙簧と比較説明し、国の補助さえあれば作れるとも述べた。
▼ 笙簧とピアノ演奏「Oblivion」(忘却)を聴く。追想的な、昔の仏映画のような・・・今様である。
最後に、洪大容が楽器洋琴の奏法の解明に大きく関わったと次のように紹介された。
・「記留春塢音楽会」にある金檍が演奏した洋琴は、中国から入ってきた清く透き通った音色の楽器で、洪大容がその奏法を広めた。洋琴は細い針金で作った弦が数十個もあり、演奏が難しいと言われた。また、弦を揺らして奏する技法が使えぬため、国楽との調和が困難な楽器だった。当時、中国から不思議な楽器を入手しても、演奏法が分からぬことがあった。洪大容は色々試みて、その奏法を身につけた。
▼ 朝鮮時代の代表的風流音楽、「霊山会相(영산회상)」の三番目の曲、洋琴演奏「細霊山(세령산 )」を聴く。音を探るように響きを楽しむ。
始めに、朝鮮後期の実学者、洪大容(홍대용、1731年~1783年)の別荘で開かれた楽会について次のように紹介された。
・「記留春塢楽会」は、洪大容の別荘「留春塢(유춘오)」で開かれた音楽会を記す。洪大容の伽耶琴(カヤグム、가야금)や金檍(김억)の洋琴/楊琴(ヤングム:양금)を始め、玄琴(コムンゴ、거문고)、洞簫(テュンソ、퉁소)、笙簧(センファン、생황)など登場する。一番年配の金用謙(김용겸)が上座に座し、酔が回りくると、色々な楽器が合わさり演奏が始まる。雰囲気が実った頃、金用謙が急に辞儀をした。みなが驚くと、「こんなに素晴らしい音楽を鑑賞したのに、年配の者が辞儀をするのは当然なことではないか」と言った。
▼ 国立国楽院正楽団による寿命が千年も万年も続く祈願の演奏「千年万歳(천년만세)」を聴く。軽やかなめでたい音色。
次に、朝鮮21代王英祖41年(1765年)、35歳の若さで中国の清に渡った洪大容の思想について次のように紹介された。
・清の文物を受け入れる主張の中心にいた洪大容は、権威のある家柄に生まれ、思うままに出世できる立場にいた。だが、学問の道を固執して(理論的な)性理学より、雑学と呼ばれた学問に関心を持った。実生活と関連した学問(実学)に関心を傾けた。玄琴演奏にも優れ、清に行った際に、天主堂(カトリック)のパイプオルガンを詳しく観察し、その形と原理を管楽器の笙簧と比較説明し、国の補助さえあれば作れるとも述べた。
▼ 笙簧とピアノ演奏「Oblivion」(忘却)を聴く。追想的な、昔の仏映画のような・・・今様である。
最後に、洪大容が楽器洋琴の奏法の解明に大きく関わったと次のように紹介された。
・「記留春塢音楽会」にある金檍が演奏した洋琴は、中国から入ってきた清く透き通った音色の楽器で、洪大容がその奏法を広めた。洋琴は細い針金で作った弦が数十個もあり、演奏が難しいと言われた。また、弦を揺らして奏する技法が使えぬため、国楽との調和が困難な楽器だった。当時、中国から不思議な楽器を入手しても、演奏法が分からぬことがあった。洪大容は色々試みて、その奏法を身につけた。
▼ 朝鮮時代の代表的風流音楽、「霊山会相(영산회상)」の三番目の曲、洋琴演奏「細霊山(세령산 )」を聴く。音を探るように響きを楽しむ。