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2016年12月18日日曜日

「美しい江山」の経緯

イ・ソンヒのコンサート終盤に必ず歌われる歌がある。コンサートの時期に合ったヒット曲とは違い、観客にとり民族の血を沸かす定番ともいえる曲、 「美しい江山(아름다운 강산)」がある。客は総立ちして両手を大きく揺らす。もちろん客層から、若者の熱狂と趣が異なるのがすぐ分かる。日本の客人にとって、この渦に紛れ込むには正直なところ少々の躊躇がある。

(本ブログ関連:”美しい江山”)

この歌の起源や歌手について、このブログで何度も記してきた。ソウル経済の記事、「シン・デチョル、『バクサモ*、父が作った ”美しい江山” 歌う資格はない・・・むしろ私と交渉せよ』」(12/18、キム・キョンミン記者)は、原曲者のシン・ジュンヒョン(申重鉉、신중현、1938年1月4日~)の息子シン・デチョルが、現在の世情について触れたもので、父の曲を親朴槿恵派の集会で歌われたことへの批判である。が、ここでは、その中から、「美しい江山」誕生の経緯について扱った部分のみ抜粋する。イ・ソンヒのバージョンについても語っているが・・・。
(*) バクサモ(박사모): 親朴槿恵派団体

現存者の近親者の発言として意義がある。ただしそれゆえの偏りにも考慮する必要があるだろう。

(本ブログ関連:”シン・ジュンヒョン”、”キム・ジョンミ”)

参考1) 「もっと!コリア」の記事「韓国芸能界の二世タレントについて教えてください。(下)」
参考2) 上記(参考1)にも触れられているが、シン・ジュンヒョンは、「韓国人の父と日本人の母の間にソウル明洞で生まれた」

(段落改変)
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・(シン・デチョルの)記事で、彼は、「『美しい江山』という歌は、私の父が74年に作曲した歌だ。この歌を作ることになった事情がある。当時、私の父は最高のヒット曲作曲家であった」といい、「父の証言によれば、大統領府が 『閣下(朴正煕、パク・チョンヒ)の歌を作れ』という内容の強権を行ったという。すなわち、朴正煕称賛の歌を作れということだった。しかし、父はそのような歌は作ることができないと断った。すると、この後、(民主)共和党だといって再び電話がかかったという。やはり同じ内容で、もし作らなければケガするという脅迫もしている。しかし再度断った」と、当時の状況を描写した。

(参考) 朴正煕(1917年11月14日~1979年10月26日)の大統領任期は、1963年12月17日~1979年10月26日

・そして、「その後、父の作品は次々と禁止曲になる。当時は『美人』という歌が大ヒットして国民歌謡となった時期だ。ところが、『美人』は突然禁止曲になる。それだけでなく、キム・チュザが歌った『』など多くの愛を受けた数十曲が禁止された」といい、「苦心した父、当時の父のバンドであった『シン・ジュンヒョンとヨプチョンたち』の2集(74年)に、『美しい江山』を収録する。

・オリジナル・バージョンは、この後イ・ソンヒのリメーク・バージョン(第4集アルバム、1988年)とは大いに違う。

・この曲は、権力者を称賛する歌は作ることができないが、美しい私たちの大韓民国を称賛する歌は作ることができるという意志の表現だった」と付け加えた彼は、「激しい独裁権力者朴正煕の強権を拒否し、我が国を一つに重ね合わせる歌を作ったが、この曲もやはり禁止曲になった。

・ところで、『美しい江山』の歌詞をよく調べてみると巧妙なメッセージが隠れている」といい、「歌の前半部の核心は、『美しいここに 私がいて 君がいるよ/手をとり合い行ってみよう 駆けてみよう、あの広野へ/我ら集いて語ってみよう、新たらしい 希望を』であり、後半部核心は、『今日も君に会いに行かなくては/語らなくては 遠い後日(のち)に/君と私 生きて 終(しま)う/永遠のここに 我らの 新しい夢を/作ってみたくて』」との歌詞の背景を説明した。
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