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2016年10月12日水曜日

イソップ「狐と葡萄」

国会図書館には、古い書籍をデジタル化して公開している。その中には児童書まであって、明治の子ども向け道徳書もある。例えば、古代ギリシャのイソップの寓話集「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波)を見ることができる。

(本風ブログ関連:”国会図書館”)

児童文学者の巌谷小波は、この書の序文(明治44年8月)で、まず訓戒(おしえ)を説き、その後に物語りするという、今までにないやり方をした、新訳というより新編が妥当だろうと述べている。

このブログは常々、「狐」を話題にしている。そこで、狐にまつわるイソップ童話で、最も代表的なキツネとブドウの話しを選んだわけだが、訓話から始まる展開が気になるけれど、いかにも明治らしい香りを知るのも悪くない。フリガナを( )内に記した。

(本ブログ関連:””)

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「一三三  正(ただ)しき望(のぞ)み  (狐と葡萄)」(p.355)

   諸君(みなさん)! 自分(じぶん)の力量(ちから)では、迚(とて)も達(たっ)し得(え)られぬ様(やう)な、大(おほ)きな望(のぞ)みを抱(いだ)いて、夫(そ)れが仕遂(しと)げられぬ時(とき)は、直(すぐ)に自棄(やけ)を起(おこ)す位(くらゐ)なら、初(はじ)めからそんな野心(やしん)を抱(いだ)くより、正(ただ)しい希望(きばう)を持(もっ)て、だん~[だん]進んで行(ゆ)く方(ほう)が、いくら幸福(かうふく)か知(し)れません。

   或時(あるとき)一匹(ぴき)の狐(きつね)が、腹(はら)の空(ス)いたのを我慢(がまん)して、路(みち)を歩(ある)いて居(ゐ)る中やがて廣(ひろ)い~葡萄畑(ぶだうばたけ)に、さも旨(うま)さうな葡萄(ぶだう)の實(み)が、鈴(すず)なりになって居(ゐ)るのを見(み)て、もう食(た)べたくて仕様(しやう)がありませんから、幾度(いくど)も飛(と)び付(つ)いて取(と)らうとしましたが、高(たか)い棚(たな)の上(うへ)にあるので、どうしても思(おも)ふ様(やう)に取(と)れません。
   それで幾度(いくど)も跳(は)ねて居(ゐ)る中(うち)に、體(からだ)は段々(だんだん)疲(つか)れるのに、葡萄(ぶだう)は一粒(ひとつぶ)も食(た)べられませんから、狐(きつね)はとう~自棄(やけ)を起(おこ)し、
   「何(なん)だ! こんな青(あお)い葡萄(ぶだう)が食(た)べられるもんか。食(く)ったら酸(すっ)ぱくて仕様(しやう)がないだらう。」
と、毒(どく)づいて、其(その)まゝ行(い)ってしまひました。
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