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2016年7月15日金曜日

ちいさな男の子はやっぱり阿呆がよい

昨夜の豪雨は、今朝になって煙り雨に変わった。そんななか、隣町に買物に出かけた帰りのこと。学校が終わったランドセルの一団と出会った。時間帯からいって小学2年生だろうか、校門近くにできた水溜りに群がっていた。

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)

一人が泥水に足をつけた。すると競うように、別の一人がボクもできると飛び込んだ。そばを通り過ぎながら見ると、5、6人の男の子の中に、女の子が一人混じっていた。この時期の女の子は、精神年齢が勝っているようで、男の子たちを相手にしていられないのか輪から抜け出た。
あわてて一人の男の子が女の子を追いかけた。すると、更に後ろから、もう一人の男の子が傘の柄を突き出して、前を行く男の子のランドセルを引っ掛けるようにして追いついた。女の子は、もう彼らを完全に無視して先を進んでいる。

子どもたち一団と別れるように、道角を曲がった私の背後で、男の子が叫んでいるのが聞こえた。「さよなら、ユーリ君!」、「ユーリ君、ゆうれいだ~」とね。

幼い子どもは泥水の感触が好きだ。どろどろになるまで、濡れても汚れても平気で遊ぶ。言葉使いについても同様なものがあるのかもしれない。教えられ、操れるようになった言葉同士が、オーバラップするという不思議さに気付いたのだろう。言葉遊びに、泥水遊びと似た感蝕があるのに気付いたようだ。
そんな、感蝕に留まっている小さな男の子たちの世界は、どこかとぼけた阿呆振りが可笑しくてしょうがない。自分も通った道だけに。

彼らの時代は、泥水につかる感触がまだまだ楽しい。泥水の汚れとか、乾くのに手間取るという予測と無縁で、特に男の子は幼さから抜けきれないようだ。本当の意味で幼さを抜けきるには、中学2年の夏休みを過ぎてから、その頃になると、女の子もようやく認るようだ。